市川惇信の発言 (予算委員会公聴会)
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○市川公述人 おはようございます。
御紹介賜りました市川でございます。地球環境に関連いたしまして意見を述べさせていただきます。
二酸化炭素あるいはメタン等に代表されます温室効果ガスの蓄積によりまして地球の温暖化が予測され、また特定フロンによるオゾン層の破壊に基づきます紫外線の増加等、いわゆる地球環境の変動に関しまして、現在精力的にその現象の解明、影響の評価並びに対策等に関しまして国際的、国内的に研究が進められ、また行政的な措置が国際的調和のもとで進められております。このことは、人類の活動が地球の有限性を通じまして再び人類のもとへ返ってきたということを認識した人類の最初の反応でございます。このことは、人類が他の生物から区別されていると言われます英知、ホモサピエンスでございますが、そのサピエンスの部分が問われている状況にあると考えております。ここで人類の英知が問われていると申し上げますのは、何もこの人類の中にだれか非常に賢い人がいて、現象を解明し、影響を評価し、さらには適切な対策を立てるということを意味しているのではございません。もちろんそのことも重要でございますが、人類一人一人の英知が問われるということでございます。このことに関しましてはまた後ほど言及したいと思います。
このような地球環境に関連いたしまして意見を申し上げるわけでございますが、私の背景に関しまして二つのことで御了解をいただきたいと思います。
一つは、私の学問的背景でございます。私は現在地球環境研究の場におりますが、地球環境研究と申しますのは、これもまた後に触れさせていただきますが、全学問分野にわたる広範なものでございます。到底一人でその全域を見渡すことはできません。したがいまして、地球環境研究に参加している研究者は、それぞれその研究者の背景、それに基づいて地球環境問題を眺めるわけでございます。私のもとの学問的背景はシステム科学でございます。したがいまして、私がこれから申し上げる地球環境観といいますものは、このシステム科学的視点に基づいているということをまず御了解いただきたいと思います。
二番目は、私の職責上の背景でございます。私は現在、国立環境研究所の副所長といたしまして、同研究所に併設されております地球環境研究センター長を仰せつかっております。しかしながら、今日ここで申し上げます意見は、そのような職責上の立場からのものではございません。地球環境研究の研究者の一人といたしまして、個人的な立場で意見を申し上げたいと思います。この点もあわせて御了承をいただきたいと思います。
まず最初に、今日話題となっております地球環境変動、あるいはそれをひっくるめまして地球環境問題といいますならば、それは一体どういうものであるかということを申し上げたいと思います。
御存じのとおり、宇宙は五十億年前に誕生いたしまして、それ以来今日まで変化を続けております。地球もその誕生以来、生物もそして人類もその誕生以来今日まで変化を続けているわけでございます。したがいまして、人間の周辺にあります地球環境が変化をするということは当然のことでございまして、何もそのこと自体怪しむに足るものではないわけでございます。例えば、数億年の昔の大気、これは非常に二酸化炭素に富んでおりまして、酸素が少のうございました。しかしながら、海洋に発生いたしました藍藻類その他植物が極めて盛んに炭酸同化作用を行いまして、そして二酸化炭素を減らし、酸素を増加させ、今日の大気の組成に近づけてきたということは我々既に知っているわけでございます。すなわち、その時点において何が起こったかといいますと、もし酸素を嫌い炭酸ガスに頼って生きていた生物がいるとするならば、それを絶滅あるいは衰退に追い込んだわけでございます。申し上げたいことは、地球環境を変えたのは人類が最初ではないということでございます。生物の歴史におきまして、その地球環境を変え、自分自身あるいは他の生物を絶滅に追い込んだ、そういうことはたくさんあるわけでございます。
さて、そういたしますと、なぜ人類が今日地球環境を問題にするかということでございます。要するに一番のポイントは、人類が地球環境の変動を感知し、その変化の速度が人類が対応できる速さを超えているのではないか、そういう感触を持ったことが地球環境問題それ自身なわけでございます。別の言い方をしますと、ホモサピエンスである我々は、地球環境が変動しているようだ、どうもそれに対して人類の対応が間に合わないかもしれないということを感知するまでに利口であったわけでございます。英知を持っていたわけでございます。問題は、それに対処できるだけの英知を持っているかどうかというのが問われているわけでございます。
ここで以上のことをまとめまして、ここで話題としております地球環境変動を定義させていただきます。人類の活動により引き起こされ、人類の生活に影響を与え、人類が対応できる速度を超えた速さで環境の変動が起こり、人類のために解決を迫られている十年ないし百年単位の環境変化を申します。
ここで、人類が対応できる速度を超えということと、それから十年ないし百年の単位であるということを御記憶におとどめいただきたいと思います。例えば千年のオーダーでございますと人類はかなりのことに対応できます。今日の科学技術の世界をごらんいただいてわかりますが、近代科学が始まって以来わずか三百数十年、そしてここまでつくり上げました。千年あればかなりのものに対応できるわけでございます。しかし、その時間がないんではないかというのが今日の地球環境問題でございます。
ただし、ここで十年ないし百年と申し上げましたけれども、我々の研究あるいは対処がそういう近視眼的なものであっていいということではございません。後ほど申し上げますように、そのようなことを見知し、そして将来の対策を考えるためにはもっと長い研究が必要であり、また将来にわたる研究が必要なわけでございます。このことについては後で触れさしていただきます。
申し上げます第二といたしまして、地球環境問題というのの構造はどういうものかということを申し上げたいと思います。
国連の環境計画、御存じUNEPでございますが、そこでは地球環境の変動現象といたしまして、オゾン層破壊、地球温暖化、酸性雨、海洋汚染、有害廃棄物等の越境移動、野生生物の減少、森林減少、砂漠化、開発途上国公害が挙げられております。これらの個々の問題につきまして、その現象の解明、影響評価及び対策というものがどういうふうにとられているかということを個々に申し上げる時間がございませんので、ここでは一括いたしまして地球環境変動、地球環境問題が持つ一般的な特徴を申し上げさしていただきます。
第一は、今個々の現象、問題を挙げましたけれども、これは、これらが自然法則を通じて相互に複雑かつ密接に結合いたしまして地球環境変動システムとでもいうべきものをつくり上げているということでございます。
よく知られている例を申しますと、酸性雨によって森林が減少しあるいは森林の活性度が下がりますと炭酸同化が下がりますから、二酸化炭素の増加を招きまして温暖化に貢献する。これはまあ比較的簡単な例でございます。単一のものでも複雑な挙動をいたします。例えば御存じのとおり北極圏に近いところには凍土がございますが、その凍土の中には太古からの植物が埋まっておりまして、気温が低いために分解が徐々にしか進んでおりません。別の言い方をいたしますと、そこにメタン等が大量に入っているわけでございます。もし地球の温暖化が進み、かつその北極圏近傍の凍土の表面を解かすほどになったとするならば、そこから大量のメタンが放出される。メタンは御存じのとおり二酸化炭素に比べまして約十倍の温室効果を持っております。したがいまして、これは温室効果を促進いたしまして温暖化をさらに高めるわけでございます。高めますとさらに凍土が解けてメタンの放出を促すわけでございます。このループが閉じて回り出しますと、極めて短時日のうちに地球の温暖化が進み、大気の温度としては別の平衡点、今日の平衡点ではなくてより温度の高い平衡点に移る心配が考えられるわけでございます。さらにもう少し複雑な例といたしましては、これは国立環境研でわかったことでございますけれども、植物は亜硫酸ガスに対して徐々に耐性を獲得してまいります。亜硫酸ガスがありましてもそれに耐えるようになってくる。ところが、そこに紫外線が照射されますと、その耐性が劣化するということがわかっております。そういたしますと、仮にオゾン層が破壊され紫外線がふえますと、植物の硫黄酸化物雰囲気に対する耐性が弱くなりまして、これまた炭酸同化作用が低下するということになるわけでございます。
以上申しました幾つかのシナリオがございますけれども、これがそのまま実現するということではございません。このうちどんなシナリオを実際にたどるのかということにつきましては、今後さらに十分な研究を待たなければならないわけでございます。私がここで申し上げたかったことは、地球環境変動のそれぞれの現象というのは互いに自然法則を通じて密接に関連し、したがって、それを全体をシステムとしてとらえ、その影響を評価した上で正しい対策を立てなければならないということでございます。
第二に申し上げたいことは、これらの諸現象は、今申しました自然現象を通じてだけではなしに、人間の集団あるいは国の意思決定を通じても相互に関連しているということでございます。
例えば、途上国への開発援助、これがもし環境に対する配慮を欠いたものであるといたしますと、途上国の公害が進みまして、それがさらに地球環境を悪化させるということにつながるわけでございます。環境への配慮を欠いた途上国援助などと申しますと、何となく公害輸出的なぎらぎらした感じがいたしますけれども、それは必ずしもそうではございません。善意に基づいた援助といえどもその可能性があるわけでございます。一時、今日でも言われておりますが、アプロプリエートテクノロジーという言葉がありました。すなわち、途上国には先端技術を移転するよりはそこの国に適した技術を移転した方がいいのではないかということでございますけれども、一般にアプロプリエートテクノロジーというのは環境負荷が大きいものが多いわけでございます。
一例を申し上げます。我が国におきますGNP当たりの二酸化炭素の排出量を考えますと、一ドル当たり約百グラムでございます。ところが、現在発展途上にある某大国におきましては一ドル当たり千八百グラムでございます。十八倍の二酸化炭素を放出するわけでございます。すなわち、二酸化炭素放出という観点から見れば極めて効率の悪い技術なわけでございまして、そういう技術が拡大するということはこれは大変なことであるということが御理解いただけるかと思います。
第三は、地球環境変動といいますのは地域環境の問題と不可分であるということでございます。要するに、いきなり地球全体でぼかっと何か起こっているという話ではございませんでして、地域で起こっているいろんなことが大気あるいは海洋を通じて地球全体に集積されていろんな現象が出てきているわけでございます。ここで、すなわち地球規模で考えて足元から行動するというようなことが本当の意味を持ってくるところでございます。
それで、ここで問題がございます。それは、社会における一人一人のとった行動が地球規模に集積されて、そしてその人に戻ってくるまでに大変な時間がかかり、かつ直ちに目や手に触れる形をとらないということでございます。例えば地域環境問題でございますと、自動車のエミッションを減らせばそのあたりの空気がきれいになるということで比較的早く人々に戻ってくるわけでございますが、地球環境の場合にはとった行動が地球規模で集積されてその影響が出てくる。しかもそれに時間がかかる。それだけでなしに、実はそこのところでとった行動から結果を予測するまでの間に、これまで人類が獲得してきた学問的知識を基盤とした推論というものが必要なんです。逆に言いますと、そういう学問的基盤に基づく推論を我が身一人一人の問題として認識していただかないと地球環境問題というのは解決しないわけでございます。これが最初に私が申し上げました実は人類の一人一人の英知の問題である、こう申し上げた理由でございます。
次に、私は研究者でございますので、地球環境研究に関して言及をさしていただきます。
第一は、地球環境研究といいますものは分散型の巨大科学であるということでございます。地球環境には非常に広範な学問分野が関連いたします。例えば大気、海におきます流動を考えるとすればこれは物理の問題ですし、その中の反応を考えるとすれば化学の問題でございますし、さらに生物あるいは土壌への影響を考えますと生物学、農学等と、人間への影響を考えれば医学、さらに対策技術ということを考えますと工学の問題でございまして、自然科学全般にわたるわけでございます。それだけではございません。例えば変動現象の影響、経済社会への影響、さらには対策の影響等を考えるということになりますと法学、社会学、経済学等々、人文社会諸科学の出番ということになるわけでございます。これらが連携を持って、かつ盛大に進められなければならないわけでして、そういう意味ではまさに巨大科学でございます。しかも、それは要するに高速の加速器であるとか核融合であるとかあるいは宇宙開発であるとかといったように人、金、物を一カ所に集めて精力的にやれば済むということではございませんでして、先ほど言いましたように、学問領域を超え、研究機関を超え、国を超えて分散して進めなければならないという意味で分散型でございます。
さらにもう一つつけ加えますならば、現在、地球環境研究、これだけのことをやればいいんだということがわかっておりません。研究を進めればさらに研究すべき新しい課題が出てまいります。そういう状況におきましては、だれかが命令して一斉にやれというわけにはまいりません。研究者それぞれがお互いの研究情報を交換しつつ、それでは自分はどういう形で貢献できるかということを考えながら、全体として地球環境現象の解明あるいは影響評価の方へ進めていくわけでございます。そういう意味で、みずからを律するという意味での自律型の巨大科学でございます。自律分散型巨大科学、こう呼ばせていただきます。
このような自律分散型の巨大科学を推進するに当たって最も重要なことは、それらの分散した研究者がお互いに情報を交換し協調し合う場を設けることでございます。地球環境研究等企画委員会、あるいは昨年十月に設置されました地球環境研究センター等は全般に対するこういう調整の場を提供するもので、まことに時宜を得たものと思われます。また、本年度予算等に入っておりますが、幾つかの各分野の研究センター、気候システム研究センターあるいは生態学センター等々、こういうものも大きな効果を上げ得るというふうに私は期待している次第でございます。
第二は、地球環境研究は大きな時間的な広がりを持っているということでございまして、長い時間をかけた研究観測が必要であるということでございます。二酸化炭素の増加に関しましては、既に十九世紀末にフーリエが言及しておりますし、二十世紀初頭におきましてはアルレニウスが計算をいたしまして、三度C程度の上昇が起こり得る、こう言っております。さらに、一九五七年から八年にかけましての国際地球年に端を発しましたハワイ、マウナロアの長期の大気バックグラウンドの観測といいますものが、今日の二酸化炭素の増加を確認しているわけでございます。オゾンホールにいたしましても、我が国の長期にわたる南極観測の結果として認識されたものというのは、これは世によく知られているところでございます。このような長期の観測、長期の研究に基づいて初めてその現象が見えてくるものでございます。
第三に、地球環境研究は国際的協力がなければどうしようもないということでございます。特定の国がその国あるいはその周辺のみ調べましても、到底地球全体はわかりません。したがいまして、それらの成果を持ち寄りまして、情報を交換し、分析をいたしまして初めて一つにまとまるものでございます。このことから、地球環境研究の分野におきましては、世界気候研究計画あるいは地球圏生物圏国際研究計画等国際的な研究計画が進んでおりますけれども、これらの研究計画は、文字どおりその利害で争うことなく、真の国際協力として進んでおります。要するに、その成果について経済的利益に基づく分捕り合いというようなぎらぎらしたことがないわけでございます。
ここで、一つの問題が出てまいります。やはり途上国の問題でございます。例えば、観測網をつくりますときに、観測の精度というのはその中で一番精度の悪いところで決まってしまいます。途上国であるからといって、そこの観測がアプロプリエートであっては困るわけでございます。途上国といえども、今日期待し得る最高の精度で観測していただかなければならないわけでございまして、そこに我が国を含めまして研究先進国の果たす役割というものが見えてくるわけでございます。
第四は、民間における研究でございますが、先ほど来現象解明、影響評価及び対策、こう申し上げておりますけれども、現象解明、影響評価の段階におきましては、民間で研究をするインセンティブがございません。これは直ちに理解いただけるかと思います。対策のレベルになりますと、いわゆる環境ビジネスの成立の可能性が出てまいりますので、民間等において期待できるわけでございますが、この現象解明及び影響評価のレベルというのは、国あるいは地方公共団体を含めてでございますが、そこでの研究というものがすべてであるということでございまして、これは我が国のみならず外国でも同様の事情にあるわけでございます。
その次に、地球環境研究への予算について若干触れさせていただきたいと思います。
私は、実は一介の研究者でございますので、私の研究所に来た予算書はともかくといたしまして、国全体の予算書は読み切れませんので、そういう意味でやや一般的かつ包括的意見を申し上げることを許していただきたいと思いますが、先ほども申し上げましたように、我が国におきます研究開発投資といいますものは、若干手元の資料が古くて恐縮でございますが、一九八八年現在で申しますと十・六兆円でございまして、GNPの二・八%に達しております。米国の二・五%、西ドイツの二・九%とほぼ同一の水準にございます。しかしながら、その中で政府負担の割合を眺めてみますと、二・一兆円、一九・九%でございまして、米国の四七・四%あるいは西ドイツの三七%に比較いたしますと約半分であるということが言えるわけです。対GNP比でとりましても、日本は〇・五六%、米国は一・二%、西ドイツは〇・九五%でございまして、先進国が軒並み一%レベルにあるのに対しまして、これもまた約半分でございます。
国からの研究開発投資といいますものは、主として大学あるいは研究所等の基礎研究に回るというのが、これは諸外国、日本を含めましての常識でございます。ここから、日本は基礎研究に手を抜いて、他国の基礎研究の成果にただ乗りしているといういわゆる基礎研究ただ乗り論ということが外国から言われることになるわけでございます。外国からの批判は別にいたしまして、実はこのような国からの支出が少ないといいますことが大学、研究所等におきます研究環境の著しい悪化を招いておりまして、明治以来今日まで、人材養成の意味でも基礎研究の意味でも今日の科学技術立国の基盤を支えてまいりました大学、国立研究所の衰退というのは目を覆うばかりになっておりまして、これはもう諸外国にも知られております。イギリスから来ました学者が日本の一流大学におきまして、これは化学の実験室でございますが、こんな危ないところにおられるかというので帰っちゃったという例さえ聞いております。この問題というのは、我が国の将来の科学技術に対しましてあたかもボディーブローのごとくじわじわきいていくというまことにゆゆしき問題でございますので、ここで皆様方の御理解を得たいところでございます。
話がやや一般的になりまして申しわけございません。地球環境に戻さしていただきます。
先ほど申しましたように、地球環境の場合には、現象解明、影響評価というものに対して民間の力を期待できません。言いかえますと、他の科学技術と違いまして、政府支出といいますものがまともに我が国の地球環境研究の力になってくるわけでございます。そういう意味で国からの支出というのは大変な大きな意味を持つところでございます。
それじゃ、外国と日本と比較してどうかということでございますが、これはまた地球環境研究といいますものが非常に広範にわたっておりますためにいろいろな費目に入ってきておりまして、集計するのが大変難しゅうございますので、私どもの身近なところでちょっと申し上げますと、米国の場合ですと大統領府にございますが、地球科学委員会というのがございます。ここがUS・グローバル・チェンジ・リサーチ・プログラム、米国地球変化研究計画というのを所掌しておりますけれども、ここでは一九九一年度でございますが、観測、データ管理、モデル化及び予測というそれだけでもって直接で千三百億円、間接を含めますと二千四百億円ぐらいに達しております。私のわかる範囲で我が国のそれに対応するものを拾い上げてみますと、厳しく見れば百億円、甘く見ても二百億円程度ということで約十分の一という状況でございます。
平成三年度の政府原案におきまして、地球環境保全関係の予算が大幅にアップされました。その中で特に地球環境研究総合推進費といいますものも大幅にアップされましたので、このこと自体は大いに私は評価したいと思いますが、ただいま申し上げましたように決して十分でなく、先進国といたしまして諸外国に自信を持って言える金額ではございません。この辺に関しまして先生方の御理解を賜りたいと思います。
時間を過ぎまして大変恐縮でございますが、ここで終わらしていただきます。御清聴を感謝いたします。(拍手)