予算委員会公聴会

1991-02-16 衆議院 全114発言

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会議録情報#0
平成三年二月十六日(土曜日)
    午前十時一分開議
 出席委員
   委員長 渡部 恒三君
   理事 大石 千八君 理事 鹿野 道彦君
   理事 近藤 鉄雄君 理事 二階 俊博君
   理事 増岡 博之君 理事 加藤 万吉君
   理事 佐藤 敬治君 理事 松浦 利尚君
   理事 草川 昭三君
      志賀  節君    田邉 國男君
      中谷  元君    原田 義昭君
      星野 行男君    五十嵐広三君
      串原 義直君    佐々木秀典君
      嶋崎  譲君    新村 勝雄君
      鈴木喜久子君    戸田 菊雄君
      野坂 浩賢君    山元  勉君
      和田 静夫君    石田 祝稔君
      日笠 勝之君    冬柴 鐵三君
      小沢 和秋君    佐藤 祐弘君
      伊藤 英成君    高木 義明君
      楢崎弥之助君
 出席公述人
        国立環境研究所
        副所長
        東京工業大学教
        授       市川 惇信君
        横浜国立大学経
        済学部教授   岸本 重陳君
        名古屋大学法学
        部教授     森  英樹君
        立正大学法学部
        教授      星野安三郎君
        成蹊大学教授  牟田口義郎君
        中央大学教授  一河 秀洋君
 出席政府委員
        内閣官房副長官 大島 理森君
        北海道開発政務
        次官      鳩山由紀夫君
        防衛政務次官  江口 一雄君
        経済企画政務次
        官       井出 正一君
        沖縄開発政務次
        官       仲村 正治君
        国土政務次官  植竹 繁雄君
        外務政務次官  鈴木 宗男君
        大蔵政務次官  持永 和見君
        大蔵省主計局次
        長       藤井  威君
        大蔵省主計局次
        長       小村  武君
        文部政務次官  中山 成彬君
        農林水産政務次
        官       杉浦 正健君
        通商産業政務次
        官       自見庄三郎君
        運輸政務次官  今枝 敬雄君
        郵政政務次官  大野 功統君
        建設政務次官  杉山 憲夫君
        自治政務次官  岡島 正之君
 委員外の出席者
        予算委員会調査
        室長      多田 俊幸君
    ─────────────
委員の異動
二月十六日
 辞任         補欠選任
  粟屋 敏信君     原田 義昭君
  加藤 紘一君     中谷  元君
  戸井田三郎君     星野 行男君
  串原 義直君     鈴木喜久子君
  新盛 辰雄君     佐々木秀典君
  辻  一彦君     山元  勉君
  東中 光雄君     小沢 和秋君
  中野 寛成君     高木 義明君
同日
 辞任         補欠選任
  中谷  元君     加藤 紘一君
  原田 義昭君     粟屋 敏信君
  星野 行男君     戸井田三郎君
  佐々木秀典君     新盛 辰雄君
  鈴木喜久子君     串原 義直君
  山元  勉君     辻  一彦君
  高木 義明君     伊藤 英成君
同日
 辞任         補欠選任
  伊藤 英成君     柳田  稔君
    ─────────────
本日の公聴会で意見を聞いた案件
 平成三年度一般会計予算
 平成三年度特別会計予算
 平成三年度政府関係機関予算
     ────◇─────
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渡部恒三#1
○渡部委員長 これより会議を開きます。
 平成三年度一般会計予算、平成三年度特別会計予算、平成三年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。
 この際、御出席の公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成三年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。
 御意見を承る順序といたしましては、まず市川公述人、次に岸本公述人、続いて森公述人の順序で、一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 それでは、市川公述人にお願いいたします。
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市川惇信#2
○市川公述人 おはようございます。
 御紹介賜りました市川でございます。地球環境に関連いたしまして意見を述べさせていただきます。
 二酸化炭素あるいはメタン等に代表されます温室効果ガスの蓄積によりまして地球の温暖化が予測され、また特定フロンによるオゾン層の破壊に基づきます紫外線の増加等、いわゆる地球環境の変動に関しまして、現在精力的にその現象の解明、影響の評価並びに対策等に関しまして国際的、国内的に研究が進められ、また行政的な措置が国際的調和のもとで進められております。このことは、人類の活動が地球の有限性を通じまして再び人類のもとへ返ってきたということを認識した人類の最初の反応でございます。このことは、人類が他の生物から区別されていると言われます英知、ホモサピエンスでございますが、そのサピエンスの部分が問われている状況にあると考えております。ここで人類の英知が問われていると申し上げますのは、何もこの人類の中にだれか非常に賢い人がいて、現象を解明し、影響を評価し、さらには適切な対策を立てるということを意味しているのではございません。もちろんそのことも重要でございますが、人類一人一人の英知が問われるということでございます。このことに関しましてはまた後ほど言及したいと思います。
 このような地球環境に関連いたしまして意見を申し上げるわけでございますが、私の背景に関しまして二つのことで御了解をいただきたいと思います。
 一つは、私の学問的背景でございます。私は現在地球環境研究の場におりますが、地球環境研究と申しますのは、これもまた後に触れさせていただきますが、全学問分野にわたる広範なものでございます。到底一人でその全域を見渡すことはできません。したがいまして、地球環境研究に参加している研究者は、それぞれその研究者の背景、それに基づいて地球環境問題を眺めるわけでございます。私のもとの学問的背景はシステム科学でございます。したがいまして、私がこれから申し上げる地球環境観といいますものは、このシステム科学的視点に基づいているということをまず御了解いただきたいと思います。
 二番目は、私の職責上の背景でございます。私は現在、国立環境研究所の副所長といたしまして、同研究所に併設されております地球環境研究センター長を仰せつかっております。しかしながら、今日ここで申し上げます意見は、そのような職責上の立場からのものではございません。地球環境研究の研究者の一人といたしまして、個人的な立場で意見を申し上げたいと思います。この点もあわせて御了承をいただきたいと思います。
 まず最初に、今日話題となっております地球環境変動、あるいはそれをひっくるめまして地球環境問題といいますならば、それは一体どういうものであるかということを申し上げたいと思います。
 御存じのとおり、宇宙は五十億年前に誕生いたしまして、それ以来今日まで変化を続けております。地球もその誕生以来、生物もそして人類もその誕生以来今日まで変化を続けているわけでございます。したがいまして、人間の周辺にあります地球環境が変化をするということは当然のことでございまして、何もそのこと自体怪しむに足るものではないわけでございます。例えば、数億年の昔の大気、これは非常に二酸化炭素に富んでおりまして、酸素が少のうございました。しかしながら、海洋に発生いたしました藍藻類その他植物が極めて盛んに炭酸同化作用を行いまして、そして二酸化炭素を減らし、酸素を増加させ、今日の大気の組成に近づけてきたということは我々既に知っているわけでございます。すなわち、その時点において何が起こったかといいますと、もし酸素を嫌い炭酸ガスに頼って生きていた生物がいるとするならば、それを絶滅あるいは衰退に追い込んだわけでございます。申し上げたいことは、地球環境を変えたのは人類が最初ではないということでございます。生物の歴史におきまして、その地球環境を変え、自分自身あるいは他の生物を絶滅に追い込んだ、そういうことはたくさんあるわけでございます。
 さて、そういたしますと、なぜ人類が今日地球環境を問題にするかということでございます。要するに一番のポイントは、人類が地球環境の変動を感知し、その変化の速度が人類が対応できる速さを超えているのではないか、そういう感触を持ったことが地球環境問題それ自身なわけでございます。別の言い方をしますと、ホモサピエンスである我々は、地球環境が変動しているようだ、どうもそれに対して人類の対応が間に合わないかもしれないということを感知するまでに利口であったわけでございます。英知を持っていたわけでございます。問題は、それに対処できるだけの英知を持っているかどうかというのが問われているわけでございます。
 ここで以上のことをまとめまして、ここで話題としております地球環境変動を定義させていただきます。人類の活動により引き起こされ、人類の生活に影響を与え、人類が対応できる速度を超えた速さで環境の変動が起こり、人類のために解決を迫られている十年ないし百年単位の環境変化を申します。
 ここで、人類が対応できる速度を超えということと、それから十年ないし百年の単位であるということを御記憶におとどめいただきたいと思います。例えば千年のオーダーでございますと人類はかなりのことに対応できます。今日の科学技術の世界をごらんいただいてわかりますが、近代科学が始まって以来わずか三百数十年、そしてここまでつくり上げました。千年あればかなりのものに対応できるわけでございます。しかし、その時間がないんではないかというのが今日の地球環境問題でございます。
 ただし、ここで十年ないし百年と申し上げましたけれども、我々の研究あるいは対処がそういう近視眼的なものであっていいということではございません。後ほど申し上げますように、そのようなことを見知し、そして将来の対策を考えるためにはもっと長い研究が必要であり、また将来にわたる研究が必要なわけでございます。このことについては後で触れさしていただきます。
 申し上げます第二といたしまして、地球環境問題というのの構造はどういうものかということを申し上げたいと思います。
 国連の環境計画、御存じUNEPでございますが、そこでは地球環境の変動現象といたしまして、オゾン層破壊、地球温暖化、酸性雨、海洋汚染、有害廃棄物等の越境移動、野生生物の減少、森林減少、砂漠化、開発途上国公害が挙げられております。これらの個々の問題につきまして、その現象の解明、影響評価及び対策というものがどういうふうにとられているかということを個々に申し上げる時間がございませんので、ここでは一括いたしまして地球環境変動、地球環境問題が持つ一般的な特徴を申し上げさしていただきます。
 第一は、今個々の現象、問題を挙げましたけれども、これは、これらが自然法則を通じて相互に複雑かつ密接に結合いたしまして地球環境変動システムとでもいうべきものをつくり上げているということでございます。
 よく知られている例を申しますと、酸性雨によって森林が減少しあるいは森林の活性度が下がりますと炭酸同化が下がりますから、二酸化炭素の増加を招きまして温暖化に貢献する。これはまあ比較的簡単な例でございます。単一のものでも複雑な挙動をいたします。例えば御存じのとおり北極圏に近いところには凍土がございますが、その凍土の中には太古からの植物が埋まっておりまして、気温が低いために分解が徐々にしか進んでおりません。別の言い方をいたしますと、そこにメタン等が大量に入っているわけでございます。もし地球の温暖化が進み、かつその北極圏近傍の凍土の表面を解かすほどになったとするならば、そこから大量のメタンが放出される。メタンは御存じのとおり二酸化炭素に比べまして約十倍の温室効果を持っております。したがいまして、これは温室効果を促進いたしまして温暖化をさらに高めるわけでございます。高めますとさらに凍土が解けてメタンの放出を促すわけでございます。このループが閉じて回り出しますと、極めて短時日のうちに地球の温暖化が進み、大気の温度としては別の平衡点、今日の平衡点ではなくてより温度の高い平衡点に移る心配が考えられるわけでございます。さらにもう少し複雑な例といたしましては、これは国立環境研でわかったことでございますけれども、植物は亜硫酸ガスに対して徐々に耐性を獲得してまいります。亜硫酸ガスがありましてもそれに耐えるようになってくる。ところが、そこに紫外線が照射されますと、その耐性が劣化するということがわかっております。そういたしますと、仮にオゾン層が破壊され紫外線がふえますと、植物の硫黄酸化物雰囲気に対する耐性が弱くなりまして、これまた炭酸同化作用が低下するということになるわけでございます。
 以上申しました幾つかのシナリオがございますけれども、これがそのまま実現するということではございません。このうちどんなシナリオを実際にたどるのかということにつきましては、今後さらに十分な研究を待たなければならないわけでございます。私がここで申し上げたかったことは、地球環境変動のそれぞれの現象というのは互いに自然法則を通じて密接に関連し、したがって、それを全体をシステムとしてとらえ、その影響を評価した上で正しい対策を立てなければならないということでございます。
 第二に申し上げたいことは、これらの諸現象は、今申しました自然現象を通じてだけではなしに、人間の集団あるいは国の意思決定を通じても相互に関連しているということでございます。
 例えば、途上国への開発援助、これがもし環境に対する配慮を欠いたものであるといたしますと、途上国の公害が進みまして、それがさらに地球環境を悪化させるということにつながるわけでございます。環境への配慮を欠いた途上国援助などと申しますと、何となく公害輸出的なぎらぎらした感じがいたしますけれども、それは必ずしもそうではございません。善意に基づいた援助といえどもその可能性があるわけでございます。一時、今日でも言われておりますが、アプロプリエートテクノロジーという言葉がありました。すなわち、途上国には先端技術を移転するよりはそこの国に適した技術を移転した方がいいのではないかということでございますけれども、一般にアプロプリエートテクノロジーというのは環境負荷が大きいものが多いわけでございます。
 一例を申し上げます。我が国におきますGNP当たりの二酸化炭素の排出量を考えますと、一ドル当たり約百グラムでございます。ところが、現在発展途上にある某大国におきましては一ドル当たり千八百グラムでございます。十八倍の二酸化炭素を放出するわけでございます。すなわち、二酸化炭素放出という観点から見れば極めて効率の悪い技術なわけでございまして、そういう技術が拡大するということはこれは大変なことであるということが御理解いただけるかと思います。
 第三は、地球環境変動といいますのは地域環境の問題と不可分であるということでございます。要するに、いきなり地球全体でぼかっと何か起こっているという話ではございませんでして、地域で起こっているいろんなことが大気あるいは海洋を通じて地球全体に集積されていろんな現象が出てきているわけでございます。ここで、すなわち地球規模で考えて足元から行動するというようなことが本当の意味を持ってくるところでございます。
 それで、ここで問題がございます。それは、社会における一人一人のとった行動が地球規模に集積されて、そしてその人に戻ってくるまでに大変な時間がかかり、かつ直ちに目や手に触れる形をとらないということでございます。例えば地域環境問題でございますと、自動車のエミッションを減らせばそのあたりの空気がきれいになるということで比較的早く人々に戻ってくるわけでございますが、地球環境の場合にはとった行動が地球規模で集積されてその影響が出てくる。しかもそれに時間がかかる。それだけでなしに、実はそこのところでとった行動から結果を予測するまでの間に、これまで人類が獲得してきた学問的知識を基盤とした推論というものが必要なんです。逆に言いますと、そういう学問的基盤に基づく推論を我が身一人一人の問題として認識していただかないと地球環境問題というのは解決しないわけでございます。これが最初に私が申し上げました実は人類の一人一人の英知の問題である、こう申し上げた理由でございます。
 次に、私は研究者でございますので、地球環境研究に関して言及をさしていただきます。
 第一は、地球環境研究といいますものは分散型の巨大科学であるということでございます。地球環境には非常に広範な学問分野が関連いたします。例えば大気、海におきます流動を考えるとすればこれは物理の問題ですし、その中の反応を考えるとすれば化学の問題でございますし、さらに生物あるいは土壌への影響を考えますと生物学、農学等と、人間への影響を考えれば医学、さらに対策技術ということを考えますと工学の問題でございまして、自然科学全般にわたるわけでございます。それだけではございません。例えば変動現象の影響、経済社会への影響、さらには対策の影響等を考えるということになりますと法学、社会学、経済学等々、人文社会諸科学の出番ということになるわけでございます。これらが連携を持って、かつ盛大に進められなければならないわけでして、そういう意味ではまさに巨大科学でございます。しかも、それは要するに高速の加速器であるとか核融合であるとかあるいは宇宙開発であるとかといったように人、金、物を一カ所に集めて精力的にやれば済むということではございませんでして、先ほど言いましたように、学問領域を超え、研究機関を超え、国を超えて分散して進めなければならないという意味で分散型でございます。
 さらにもう一つつけ加えますならば、現在、地球環境研究、これだけのことをやればいいんだということがわかっておりません。研究を進めればさらに研究すべき新しい課題が出てまいります。そういう状況におきましては、だれかが命令して一斉にやれというわけにはまいりません。研究者それぞれがお互いの研究情報を交換しつつ、それでは自分はどういう形で貢献できるかということを考えながら、全体として地球環境現象の解明あるいは影響評価の方へ進めていくわけでございます。そういう意味で、みずからを律するという意味での自律型の巨大科学でございます。自律分散型巨大科学、こう呼ばせていただきます。
 このような自律分散型の巨大科学を推進するに当たって最も重要なことは、それらの分散した研究者がお互いに情報を交換し協調し合う場を設けることでございます。地球環境研究等企画委員会、あるいは昨年十月に設置されました地球環境研究センター等は全般に対するこういう調整の場を提供するもので、まことに時宜を得たものと思われます。また、本年度予算等に入っておりますが、幾つかの各分野の研究センター、気候システム研究センターあるいは生態学センター等々、こういうものも大きな効果を上げ得るというふうに私は期待している次第でございます。
 第二は、地球環境研究は大きな時間的な広がりを持っているということでございまして、長い時間をかけた研究観測が必要であるということでございます。二酸化炭素の増加に関しましては、既に十九世紀末にフーリエが言及しておりますし、二十世紀初頭におきましてはアルレニウスが計算をいたしまして、三度C程度の上昇が起こり得る、こう言っております。さらに、一九五七年から八年にかけましての国際地球年に端を発しましたハワイ、マウナロアの長期の大気バックグラウンドの観測といいますものが、今日の二酸化炭素の増加を確認しているわけでございます。オゾンホールにいたしましても、我が国の長期にわたる南極観測の結果として認識されたものというのは、これは世によく知られているところでございます。このような長期の観測、長期の研究に基づいて初めてその現象が見えてくるものでございます。
 第三に、地球環境研究は国際的協力がなければどうしようもないということでございます。特定の国がその国あるいはその周辺のみ調べましても、到底地球全体はわかりません。したがいまして、それらの成果を持ち寄りまして、情報を交換し、分析をいたしまして初めて一つにまとまるものでございます。このことから、地球環境研究の分野におきましては、世界気候研究計画あるいは地球圏生物圏国際研究計画等国際的な研究計画が進んでおりますけれども、これらの研究計画は、文字どおりその利害で争うことなく、真の国際協力として進んでおります。要するに、その成果について経済的利益に基づく分捕り合いというようなぎらぎらしたことがないわけでございます。
 ここで、一つの問題が出てまいります。やはり途上国の問題でございます。例えば、観測網をつくりますときに、観測の精度というのはその中で一番精度の悪いところで決まってしまいます。途上国であるからといって、そこの観測がアプロプリエートであっては困るわけでございます。途上国といえども、今日期待し得る最高の精度で観測していただかなければならないわけでございまして、そこに我が国を含めまして研究先進国の果たす役割というものが見えてくるわけでございます。
 第四は、民間における研究でございますが、先ほど来現象解明、影響評価及び対策、こう申し上げておりますけれども、現象解明、影響評価の段階におきましては、民間で研究をするインセンティブがございません。これは直ちに理解いただけるかと思います。対策のレベルになりますと、いわゆる環境ビジネスの成立の可能性が出てまいりますので、民間等において期待できるわけでございますが、この現象解明及び影響評価のレベルというのは、国あるいは地方公共団体を含めてでございますが、そこでの研究というものがすべてであるということでございまして、これは我が国のみならず外国でも同様の事情にあるわけでございます。
 その次に、地球環境研究への予算について若干触れさせていただきたいと思います。
 私は、実は一介の研究者でございますので、私の研究所に来た予算書はともかくといたしまして、国全体の予算書は読み切れませんので、そういう意味でやや一般的かつ包括的意見を申し上げることを許していただきたいと思いますが、先ほども申し上げましたように、我が国におきます研究開発投資といいますものは、若干手元の資料が古くて恐縮でございますが、一九八八年現在で申しますと十・六兆円でございまして、GNPの二・八%に達しております。米国の二・五%、西ドイツの二・九%とほぼ同一の水準にございます。しかしながら、その中で政府負担の割合を眺めてみますと、二・一兆円、一九・九%でございまして、米国の四七・四%あるいは西ドイツの三七%に比較いたしますと約半分であるということが言えるわけです。対GNP比でとりましても、日本は〇・五六%、米国は一・二%、西ドイツは〇・九五%でございまして、先進国が軒並み一%レベルにあるのに対しまして、これもまた約半分でございます。
 国からの研究開発投資といいますものは、主として大学あるいは研究所等の基礎研究に回るというのが、これは諸外国、日本を含めましての常識でございます。ここから、日本は基礎研究に手を抜いて、他国の基礎研究の成果にただ乗りしているといういわゆる基礎研究ただ乗り論ということが外国から言われることになるわけでございます。外国からの批判は別にいたしまして、実はこのような国からの支出が少ないといいますことが大学、研究所等におきます研究環境の著しい悪化を招いておりまして、明治以来今日まで、人材養成の意味でも基礎研究の意味でも今日の科学技術立国の基盤を支えてまいりました大学、国立研究所の衰退というのは目を覆うばかりになっておりまして、これはもう諸外国にも知られております。イギリスから来ました学者が日本の一流大学におきまして、これは化学の実験室でございますが、こんな危ないところにおられるかというので帰っちゃったという例さえ聞いております。この問題というのは、我が国の将来の科学技術に対しましてあたかもボディーブローのごとくじわじわきいていくというまことにゆゆしき問題でございますので、ここで皆様方の御理解を得たいところでございます。
 話がやや一般的になりまして申しわけございません。地球環境に戻さしていただきます。
 先ほど申しましたように、地球環境の場合には、現象解明、影響評価というものに対して民間の力を期待できません。言いかえますと、他の科学技術と違いまして、政府支出といいますものがまともに我が国の地球環境研究の力になってくるわけでございます。そういう意味で国からの支出というのは大変な大きな意味を持つところでございます。
 それじゃ、外国と日本と比較してどうかということでございますが、これはまた地球環境研究といいますものが非常に広範にわたっておりますためにいろいろな費目に入ってきておりまして、集計するのが大変難しゅうございますので、私どもの身近なところでちょっと申し上げますと、米国の場合ですと大統領府にございますが、地球科学委員会というのがございます。ここがUS・グローバル・チェンジ・リサーチ・プログラム、米国地球変化研究計画というのを所掌しておりますけれども、ここでは一九九一年度でございますが、観測、データ管理、モデル化及び予測というそれだけでもって直接で千三百億円、間接を含めますと二千四百億円ぐらいに達しております。私のわかる範囲で我が国のそれに対応するものを拾い上げてみますと、厳しく見れば百億円、甘く見ても二百億円程度ということで約十分の一という状況でございます。
 平成三年度の政府原案におきまして、地球環境保全関係の予算が大幅にアップされました。その中で特に地球環境研究総合推進費といいますものも大幅にアップされましたので、このこと自体は大いに私は評価したいと思いますが、ただいま申し上げましたように決して十分でなく、先進国といたしまして諸外国に自信を持って言える金額ではございません。この辺に関しまして先生方の御理解を賜りたいと思います。
 時間を過ぎまして大変恐縮でございますが、ここで終わらしていただきます。御清聴を感謝いたします。拍手
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渡部恒三#3
○渡部委員長 ありがとうございました。
 次に、岸本公述人にお願いいたします。
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岸本重陳#4
○岸本公述人 岸本でございます。あわや遅参という到着の仕方をいたしまして申しわけございません。ただ、委員長も冒頭私の名前を間違えてお読みになりましたので、これでチャラにしていただければありがたいと存じます。
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渡部恒三#5
○渡部委員長 御無礼をいたしました。
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岸本重陳#6
○岸本公述人 何せけさ三時過ぎまでテレビを見ておりまして、テレビを見ながら気になったことをちょっと中東関係の専門書を引っ張り出して読みふけっておりましたら朝の五時半になって、ちょっと起きるのがつらかった次第でございます。先生方も皆さんそうじゃございませんか。
 きょう私は、経済学者として予算案についての意見を述べたいと存じます。
 御承知のとおり、予算案を発表されますと、大蔵原案の段階ですが、大蔵省が苦心のごろ合わせを発表いたしますね。ことしのはもう実に苦心の跡がしのばれるものでございまして、なぜかというと百万円単位まで読み込んでありますものね。七十兆三千四百七十四億千九百万円、これを「なるさ世の中良い暮らし」、大分字を補わないとこのごろ合わせが頭に入らない。その意味では、ごろ合わせとしてはいささかうまいとは言いかねる。しかし、七十兆三千四百七十四億千九百万円、九百万円台まで読み込んだごろ合わせというのは前代未聞、御苦心に対して敬意を表さなければいかぬと思います。
 しかし、私は大蔵省のごろ合わせが発表されると、いつも対抗的に自分のごろ合わせを発表しまして、そして原稿を頼まれたりしたらそれに書くことにいたしております。ことしのは単純明快、そんな百万円台のところまで覚えるというのは皆さんに難しいから、一般の人が来年度の予算規模を頭に入れるのには、なるべくわかりいい数字、億円のところまでぐらいでいい、そう思っています。そうすると、七十兆三千四百七十四億円、七〇三四七四、これ簡単に言っちゃえば、七〇の零をローマ字読みでオーと読みまして、私が当てているごろ合わせは「なお民用なし」。民用というのは変な言葉ですが、要するにまあ民需用といいましょうか国民生活用というか、それがなお足りない。「なお民用なし」。三四のところをもし素直にサンヨと読みますと、参与、参加しあずかる、「なお参与なし」と言ってもよろしい。
 予算編成過程というものが御承知のように概算要求の段階から始まる。私も国立大学の現場におりますので、平成四年度概算要求の大学現場からの取りまとめの現場責任者として、もう去年の秋以降苦労いたしております。この四月ごろに大学で取りまとめる、そして出す、それをもう随分前からやっているわけですね。そういう意味で、公務員としてはまさに職を通じて、自分の職責を通じて予算編成に現場のメンバーとして関与はいたしております。しかし、国民全体あるいは市民レベルで見て、予算編成というものに市民参加というのがあるかどうかというと、怪しいですね。もちろん予算編成のプロセスで、いろいろな圧力団体が皆さんのところにいらしていろいろな要望をなさる、皆さんそれをお受けになって頑張る、それは一つの参加のプロセスです。しかし、それだけのことであったらやはりそれは不透明で、自分の属している団体の枠で、何というのでしょうか予算編成への参加のルートは開かれているけれども、それを自分の、その枠を離れて考えてみて意見を述べるといったチャンネルが非常に小さいと私は思います。
 そして、ことしの場合、非常に奇異な感じがいたしますのは、大蔵原案、政府原案の取りまとめの責任を持たれた大臣が、予算案編成と同時にみなかわってしまう。予算案の編成についての所管大臣としての抱負経綸、信念、そういうものがおありだったはず、またそういう所管大臣の政治信念や政策や、そういうものを反映するものとして予算案というのが編成されていいんだと私は思う。ところが、案が編成されたと思ったら大体はかわっちゃった、こういうのは甚だしくその予算編成というものの意義を軽んじることになりはしますまいかと苦言を呈したいところであります。
 さて、限られた時間に膨大な予算書のあれやこれやまで申し上げるわけにはまいりませんので、歳入面と歳出面についてそれぞれ若干のことを申し上げて、責めをふさぎたいと存じます。
 この九一年度予算案、平成三年度予算案というのは、日本経済が、あるいは世界経済が九〇年代に入ってこの二十世紀末最後の十年間というものを乗り切っていく、あるいはこの最後の十年間に、先ほどお触れになった地球環境問題を初めとするさまざまな人類史的課題にチャレンジする、その中でも日本はまた格別の責任を持っている、義務も持っている、可能性も持っている、それにこたえるべき九〇年代財政のいわばスタートだと言ってようございます。
 日本の場合、その九〇年代財政の課題としてやはり明記すべきは、何といっても財政再建であります。特例公債の発行をしなくても予算が組めるようになった、これは財政再建の第一歩ではあります。皆さんの御努力の成果と言うべきでありましょう。しかし、特例公債の新規発行をしなくなっても、過去の累積国債の利払いというのはまだ続くわけでありまして、一般会計歳出の三割を超えるぐらいの部分が利払いに取られている。したがって、一般会計の歳出規模を大きくしましても、それの実質的な政策的運用といいましょうか施策の実行という点では、なお片手ぐらいは背中に縛られたまま行動しなきゃいかぬ、そういった状況にある。そういうことが指摘できるかと思います。
 それで、その財政再建のためにどのような手だてを尽くすのかということが、どうもまだはっきりしないのじゃないでしょうか。景気がよければ自然増収が期待できていろいろやれるとか、それから税制改革の面ではそれは工夫がありました、利子課税についておやりになった、二〇%源泉徴収するぞということになった。国債の利払いを、国債を買った人がその利払いを受けると二割税金に持って行かれる。みんな返してくれると思ったら、二割も国庫に吸い上げられちゃう。これは財政再建の上では、国債償還の上では実に巧妙なシステムだと評価すべきものでありますね、国の立場からすれば。しかし、全体としての財政再建の方途というのは、目に見えていないと私は思います。
 なぜならば、税制改革というものが、やはり全体像が見えてない。例えば消費税をおやりになった。私は欠陥消費税だと思います。益税という変な言葉があります。利益の益と税金の税。これが物すごい額に上っている。大蔵省は数字をつかんでいるだろうと思いますが、ともかく当初予想、消費税導入時の大蔵省の当初予想だって、物すごい規模の消費税差益といいましょうか、滞留する部分がある。買い手からは消費税として取っておきながら、国庫には納入されない部分、それが業者の手元にとどまっている部分、これがすごい規模である、こう言われているわけですね。そういった欠陥を最初からはらんでいることを承知の上で導入なさった以上、これは税の、徴税の公平という観点からいったって早急にこの改善がなされるべきであることは、言うまでもありません。
 しかし、それについて今回手もつかないということになりますと、消費税問題一つとったって、税制改革は緒についてない。しかも、消費税というのは税制改革全般の中の一つとして位置づけられたはずでありまして、そうすると、そこにさえ見直しの手がつかないということになりますと、財政再建の前提となるべきあるいは手段となるべき税制改革の全体像が見えていない、こういうふうに厳しく言わざるを得ません。
 いわゆる地価税あるいは新土地保有税についても同様でございます。固定資産税との整合性いかん、税概念として、税理念として、税理論として、その整合性いかん、あるいは実際上の徴税、課税の技術面から見ても整合性いかん、こういうことは十分に問題になりますし、また〇・三%、初年度〇・二というような税率で所期の目的を達成できるのか、土地保有税に託された目的を。それも大いに疑問でありますし、そもそも土地保有税というものを考えるならば、それは土地価格全体をどういう方向に持っていくか、こういうことの位置づけの中で正確な、精密な議論の上に持ち出されるべきものでありますが、例えば四百三十兆円の公共投資をこれから十年かけてやる。そのときに土地の価格がネックになりはしないかというような問題を抱えている中で、それとの関係もなしに〇・三だ、〇・二だ、初年度はあめ玉で〇・二だというようなことで所期の目的が達成できるのか。目的達成できるかどうかよりも、新たな不合理を生みはしないかという大きな懸念を持たずにはいられません。
 歳入面に関してはもう一つだけ簡単に触れます。
 それは、いろいろな政策課題がある。その中で九〇年代の本格的なスタートでもあるということで、公共投資のSIIで要求されていることも盛り込みたいということで大変苦心の予算編成になっていることは認めますが、そのいろいろな新規事業をやろうということと、それから赤字国債を出さないようにしようというような財政再建上の要請、それと何とかつじつまを合わせようというその努力はどこで達成されているかというと、結局地方財政へのしわ寄せという形で数字がつじつまが合った、こういう格好になっていると思われます。しかし、今触れた公共投資の実現、これは主たる主役は何といったって自治体でありますから、地方財政にしわ寄せを負わす格好での中央政府予算の編成だけでは、中央政府ではバランスがついていても国全体で果たして望ましいバランスの姿になっているかどうか、これはやはり深刻に検討すべき問題ではないでしょうか。
 歳出面について簡単に触れるしか時間を残さなくなってしまいましたが、私、九〇年代十年間で一番大事な問題は二つあると思いますね、日本経済の課題として。それは、何といったって生活基盤というものをできるだけ他の先進国の水準に近づけていく。十年しかありませんから、十年で他の先進国の水準に追いつき追い越すというのはやはり無理だろうと思いますよ。だけれども、できるだけ近づけていくということは、これは可能だと思う。
 そのときにやはり一番問題になるのは土地価格でしょう。一九五五年、昭和三十年、日本の土地の値段と賃金との比率がほぼ戦前の賃金対土地の値段の比率になった。だから、そこで賃金対土地の値段を今一対一になったというふうに考えましょう。そうすると、一九八九年、三十五年間のうちに土地の方は百八十倍、賃金二十倍。一対一からスタートしたものが一対九になって、かつてなら十年勤労所得をためたら土地が手に入ったかもしれないけれども、それが一対九にまで伸びてしまったら九十年働いて九十年ためてと、いかに長寿社会になったとはいえ、これはもう期待する方が無理、こういう事態に今なっちゃっているわけです。したがいまして、公共投資を生活基盤中心で拡大していくということを、水準アップしていくということを実現するためには土地の価格をどうするかということ、これは大変問題です。
 三十五年間で九対一まで差が開いちゃったやつを今、土地の値段を今の水準で固定して、凍結して後上がらないようにする、こうしたって、賃金を今後何年間かで九倍にしなければ一対一の比率は回復しない。十年で持てる、八年で持てるというふうな、そういう水準には回復しない。賃金を九倍に持っていくなんてことは今後何年かけてやるか、これを想定するにしても容易ならぬことであるのは明らかです。
 土地の値段をできるだけ下げましょうというふうに言うのも、これも口で言うのは簡単だけれども、現在の日本経済の体質の中に、土地の値段がこれほど高いあるいは土地の値段というものは下がらないということを前提にした経済ビヘービアが至るところに組み込まれている以上、これが下がるということになれば日本経済のかなりの骨格に影響する、パフォーマンスにも影響する、そこをどう誘導しながらやっていくか、そういう角度から歳出の全体的な戦略が立てられるべきではないかというふうに思います。
 もう一つの課題は、何といいましても高齢者の増大に対してどう対処するかということであります。
 念のために申し上げておきますが、二十一世紀になったら高齢化社会が来る、そういう考え方はやめていただきたい。高齢化社会というのは、日本で化けるという字を使いますから、化け終わっちゃった後が高齢化社会。高齢化率が一四%なり一五%に達したら高齢化社会になって「そこまではまだ高齢化社会ではない、そこに近づいていくプロセスだ、こんな理解が広まっておるのですけれども、欧米の理解でいったら、例えば英語で言って高齢化社会とでなのはエージング・ソサエティーでありますから、社会の高齢化が進んでいるその一歩一歩が高齢化なんですね。
 現在日本でなるほど高齢化率はまだ一一%台。しかし、お年寄りが住んでいる地域で見たら、私の田舎、兵庫五区でございますが、あそこなどはもう高齢化率は二〇%を超えているわけですね。日本の至るところ、地域で見たら、高齢化社会は来ているのです、十五%基準を当てはめたって。現にお年寄りは高齢化の中で生きているわけですね。そういう意味ではできるだけ年々、現に高齢化社会の中に生きている地域の老人のために万全の高齢化対策が上乗せされていくのでなければいけないと私は思います。まあ昨年度から「高齢者保健福祉推進十か年戦略」というのがスタートしているようでありますけれども、それの実際の充実のさせ方は余りにも遅々としているのではありますまいか。もっと重点的にやるべきものであろうと思います。本当はここをもう少し丁寧に申し上げたいのでございますが、与えられた時間がほとんど尽きかかっているようでございます。
 さっき市川先生が同業の研究者の立場から、日本の国立大学や研究所の施設設備、予算状況はひどいよとおっしゃいました。私も現場におりまして全くそう思います。そして私、これは期待されている役目じゃないのですけれども、せっかくここにお呼びいただいたので、この際諸先生方のぜひともの御理解を得たい。まあ、どうなんでしょう、公述よりも陳情になっちゃうかもしれませんが、どうか文教政策、それも国立大学についての政策をしっかり考えていただきたいと思います。
 例えば従来、学費が私立よりうんと安かった。貧乏秀才は国立大学へ来た。国立大学へしか行けないという人たちがたくさんいた。しかし今、私学と国立の学費格差はだんだん狭まってきて、何も大学レベルだけじゃないですね。公立なんというのは私学の滑りどめというふうなぐあいに至るところのレベルになっている。何のための公教育か、このことがもう一遍、原点から問われていいんじゃないでしょうか。
 しかも、大学レベルで申しますと、大学の予算配分が特に人文・社会科学分野で申しますと旧帝国大学中心になっていて、横浜のような全国第二位の大都市、ここにある私どもの大学でさえ人文.社会科学分野には大学院ドクターコースはない。しかし、世界の各地から私どもの大学にやってくる連中はドクターコースに行きたいわけですね。だけれども、それを受け入れる我々の能力というのは、人文・社会科学分野は旧制大学院だけでいいんだというような政策の結果、対応がうんと狭められております。今市川先生おっしゃったように、地球環境問題一つとったって、それはもう単に自然科学の問題ではない、人文・社会科学との協力がなければ問題は解決しない。経済開発の問題、湾岸の後に日本が大きく負わなければいけない経済再建の問題、そういう開発、発展という問題をとってみたって、これは宗教の問題から文化の問題から、もちろん経済政策から財政、金融、資金のファイナンスの問題から全部動員しなければ総合的な政策というのは立たない。そういう意味では、全国津々浦々に社会科学、人文科学でしかるべきレベルの教育施設が展開されていること、これは二十一世紀をにらんで日本が世界の期待にこたえる上で非常に重要なことではなかろうか、かように申し上げたいと存じます。
 不十分でした。終わります。拍手
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渡部恒三#7
○渡部委員長 ありがとうございました。
 次に、森公述人にお願いいたします。
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森英樹#8
○森公述人 名古屋大学法学部で憲法を担当しております森と申します。
 私は、専門の憲法学の立場から、今、国会の焦点になっております憲法問題、とりわけ自衛隊法百条の五に基づく特例政令によって自衛隊機を中東地域に派遣するという問題と、いわゆる多国籍軍への財政支援、この二つの問題について私の意見を若干述べさせていただきます。
 本論に入ります前に若干申し述べたいことがあります。
 その第一は、立憲主義、法治主義の原則からしまして、公権力の行使というのは厳格に憲法または憲法適合法律、これによって拘束されているということであり、事の緊急性や重大性や、ましてや諸般の事情なるものを理由としましてこの拘束を解除することはできないという点です。目下の湾岸危機は、あるいは湾岸戦争は、もとよりイラクの不法なクウェート侵略に端を発しておりますし、イラクが国際的に非難をされておりますのは、独善的な正義を振りかざし無法を重ねているからでありますが、だからといってそれへの対応をする側が、対応する国内において自国の法治主義をいいかげんにしてよいということにはなりません。
 第二は、国際紛争に対する日本の憲法上とるべきスタンスはどうなっているかという規範論であります。それは簡単に言いますと、国際紛争にはあくまでも平和的、非軍事的に対応するというその一言に尽きます。すなわち、国際紛争が生起すればそれを平和的に解決するよう努力する、あるいは不幸にしてそれが軍事的紛争に至っても、それに軍事的にコミットはせず、和平に向けて平和的、非軍事的に努力するということであります。
 第三は、したがいまして、憲法のこの原則からしますと、自衛隊及び関連諸法の存在が、あれこれの論理を用意しようとも、違憲の嫌疑を晴らせられないという点が問題の出発点であろうかと思います。なお、この点は日本の憲法学界の今もなお通説たり続けておりまして、同様のことを恐らく午後から公述されます星野安三郎先生も述べられるかと思います。
 さて、以上を踏まえまして本論の第一に入ります。
 一月二十九日に政府は、自衛隊法百条の五に基づく特例政令を公布、施行いたしました。問題は多々ありますが、ここでは主にその法的整合性の欠如と法治主義違反について申し述べます。
 自衛隊法百条の五は、なるほど輸送対象を「国賓、内閣総理大臣」と並べて「その他政令で定める者」と記しております。したがいまして、ここに「その他の」ではなく「その他」という文言を使っている以上、国賓、内閣総理大臣が規範的には例示にならないということは法形式論としては言えるでありましょう。しかし、政令に委任された事項の内容は、国権の最高機関にして唯一の立法機関である国会が制定した法律の趣旨、目的の枠内で、かっこの法律を執行するに必要なものでなければならないという原則がございます。
 自衛隊法百条の五が制定されたときの立法趣旨は、当時の議事録を読ませていただきましても、国賓等を国内の近距離で輸送することが想定されておりましたし、一九八六年十二月四日参議院内閣委員会における政府答弁によりますと、国賓、内閣総理大臣という例示、列挙されたものとおよそかけ離れたものは予定していないというふうに答弁がございます。「その他」という規定の内容を定めたのが自衛隊法施行令百二十六条の十六でありますが、その十六は、その限りでは、中身を見ますと、かけ離れていないというよりも、百条の五を代表列挙といたしまして、それに準じて定めたものというふうに言えると思います。しかも、この施行令の改正は自衛隊法百条の五の公布と同時になされておりますので、その施行令に列挙された者から対象範囲が論理的に特定されますので、そうした範囲に対象が限定されているものとして、「その他」というのは国賓等を内容上限定して列挙していたというふうに考えていいかと思います。
 こうして見ますと、問題になっております当該輸送というのは、立法趣旨において、例えば成田─羽田間のVIP輸送のごとく、輸送の地理的範囲におきましても、それから輸送の対象におきましても限定されておりました。したがいまして、当然のことながら、八六年十月二十八日の衆議院内閣委員会でも政府は「在外邦人の救出とか緊急援助隊、こういったものについては含まれない」と明確に答弁しておられます。ところが、このたびの特例政令は、この「その他」に湾岸危機に伴い生じた避難民というのをカテゴリー的に加えるというのでありますから、いかにかけ離れた政令であるかは一目瞭然であります。当該授権の範囲を超えており、法治主義ないしは法律による行政、これに明瞭に反すると言わざるを得ません。
 この法的整合性の欠如を補うために提出されましたのが二月八日の政府見解でありますが、ここで示されました論理は極めて危険な内容というものを持っておるように思われます。この見解によりますと、「その他」の授権範囲につき、授権根拠法に代表列挙されたものから「かけ離れているか否かは、高位高官であるか否かという社会的地位にのみ着眼して判断すべきものではなく、その者の置かれた状況、国による輸送の必要性その他」、またも「その他」と出てくるわけですが、「諸般の事情を総合して評価すべきである。」ということであります。「その者の置かれた状況」というのは客観的要件、「国による輸送の必要性」というのはいわば主観的要件と思われますが、それが設定されてはおりますけれども、ともに極めて漠然としており、かつ広範であり、のみならず「その他」の文言を使って一たんここで切断しておいて、究極のところで「諸般の事情」を持ち出すわけでありますから、この論理からいたしますと、要するに政府は、法律上委任された範囲を自由にかけ離れて、自衛隊機による輸送は、今後政令さえ公布すれば随時可能となるわけであります。
 果たせるかな二月十二日、この予算委員会において工藤法制局長官は、在外邦人救出も、特殊緊急事態の場合は、臨時応急の措置として全く許されないものではないとの見解を表明しました。このでんでいきますと、緊急事態を根拠に、その者の置かれた状況によっては、あるいは国による輸送の必要性があると判断された場合は、一片の政令を発しさえすれば、極端な話ですが在外アメリカ軍人の輸送すら可能になってまいります。仮に、そういったものは含まないのだというふうに答弁をいたされましても、特例政令の授権根拠法である自衛隊法百条の五を制定するその際に政府は、在外邦人救出は含まれないとしておりましたのですから、今度それは含まないというふうに先ほどの事例を答弁されましても、もはやだれも信じないでありましょう。事は緊急事態に限定されるという説明もありますけれども、在外邦人の救出ということを要する事態は、一般に緊急事態として生起するものであります。
 このような特例政令の公布とその導出の論理というのは、端的に言ってて法治主義の破壊でありまして、やや比喩的に言いますと、よみがえった緊急勅令というふうに言えるかと思います。緊急の必要を理由として議会閉会中に天皇が法律にかわるべき勅令を発し得た戦前の悪名高い制度のことでありますが、その緊急勅令ですら、次の議会における承諾を得られなければその効力を失うものと明治憲法八条でされておりました。政府が緊急の必要を理由として自由に特例政令を連発することができ、しかもそれが国会の同意を要しない政令である以上、このような手法は戦前よりもひどい議会制民主主義破壊にほかならないと言わざるを得ません。
 現行憲法は緊急時の法的対処もまた国会の両院によることを原則としておりまして、衆議院解散に伴う閉会時に限って参議院の緊急集会による措置を認めていますが、それとて臨時のものであって、次の国会開会の後わずか十日以内に衆議院の同意を必要としております。これは憲法五十四条であります。こうした国会の理念からいたしますと、委任範囲をこれほど明確に逸脱して制定された特例政令は、国会がこれを無効と議決する措置も不可能ではないというふうに私は考えております。
 政令の憲法適合性を判断するのは裁判所だけであるという議論があるようでありますが、周知のとおり、日本の裁判所は事件性を要件とする付随的違憲審査制をとっておりますので、抽象的違憲審査は行いませんから、この種の政令の合憲性、合法性をそれ自体として審査する道はありません。また、仮に裁判所が無効と判断いたしましても、それを廃止するのは制定者である政府でありまして、これは、違憲、無効と判断された例えば尊属殺規定の刑法二百条、これがいまだに立法権者である国会によって廃止されていないため、条文としては残っていることを思い起こしていただければ明瞭な論理であります。つまり、授権者、国会は、政令が授権範囲を明確に逸脱している場合には、その無効を議決してその逸脱を正すことが権限として留保されているというふうに考えられると思っております。
 この点では、議院内閣制をとる国で一般に議会による政令統制がむしろ制度的に用意されておるという点を参照すべきかと思います。日本と同様に国会を国権の最高機関とするイギリスでは、スタチュトリー・インストルメント・アクトという一九四七年の法のもとで、政令のようないわゆる委任立法につき、第一に公布後議会に単に提示するもの、これをベア・レイイング・プロシーデュアといいますが、公布後議会に提出され四十日以内に議会が取り消しを決議できるもの、これをネガティブ・プロシーデュアといいます。それから、議会が積極的に承認しない限り効力を失うもの、これをアファーマティブ・プロシーデュアといいます。といったような類型があって、政令等を議会で審査するための特別委員会、これをセレクト・コミッティーといいますが、これを常設しているという事例がございます。いずれにしましても、議会の統制を制度的に確保し担保しているというこの種の例は、参照されてよいように思われます。
 なお、在外邦人救出がにわかに叫ばれ始めました最近の議論を見ておりますと、批判の多い特例政令を無理やり公布して自衛隊機を海外に出そうとする別の真意といいますか、そういうものが見え隠れするような気がいたします。果たせるかな政府は、今秋導入予定の政府専用機を在外邦人救出にも活用するため、自衛隊法に新たな任務規定を追加する方針を固めたという報道を見ました。一国民としても大変憂慮あるいは心配を深めているところであります。
 さて、次に第二に、いわゆる多国籍軍への九十億ドルの財政支援が憲法上容認されるかどうかという第二の論点に移ります。
 憲法は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求するがゆえに、戦争のみならず武力の行使、武力による威嚇をも永久に放棄するという立場をとり、そのために一切の戦力の不保持を命じております。ところで、この「陸海空軍その他の戦力」というのは、英語文の正文によりますと、ランドシーアンドエアフォーシズアズウエルアズアザーウオーポテンシャルというふうに記しています。すなわち、ここでの戦力とはウオーポテンシャル、つまり直訳いたしますと、戦争遂行を可能にする力能、あるいは法的用法でいわば翻訳しますと、戦争の用に供するものという含意が内在しているという点であります。もちろん、憲法の文言解釈の問題としては、例えば航空機、船舶、食糧等々といったものが戦争の用に転用し得るからといって、その保持が一般的に禁じられているというふうにここから読むのは荒唐無稽な議論であります。
 しかし、戦力とは、武器弾薬といった物的標識ではなく、外敵との戦争、戦闘を目的とした人的物的手段の組織体のことですから、例えば同じテントやプレハブ建築でも、一般市民のものは戦力ではありませんが、軍が持てば組織体の一部として戦力になり得ます。かつて恵庭事件のときに検察庁は、被告人により切断された自衛隊の通信線が、自衛隊法百二十一条の保護対象とされていた「武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物」の「その他」に該当するとして起訴したわけでありますが、これは、どこにでもある通信線も、自衛隊が所有ないし使用すれば「防衛の用に供する物」たり得るということの一つの事例ではないでありましょうか。
 自国で戦力の保持が禁止され、自国で武力の行使を国際紛争の解決のために充てることを永久に放棄するとした憲法を持つ国が、他国が武力の行使をするためその国の戦力に該当する部分を調達することないしは調達資金を供与することは、論理的にも違憲となりますし、もともと憲法が全く予定していない事柄でなかろうかと思われます。
 憲法が明文で予定していない公権力の行使は、それだけで違憲となります。それが多国籍軍という現に交戦中の一方の当事者に向けてのものであればなおのことでありまして、多国籍軍の行動が国連安保理決議を受けてなされているがゆえに加盟国日本にも協力義務があるという理解もあるようでありますが、多国籍軍は国連自体ではありませんから、この戦争は国際法上はあくまでイラク対多国籍軍構成国の間のものでありまして、この点は多くの国際法学者が指摘するとおりであります。したがいまして、日本は、国際法上はこの戦争につき第三国として中立の立場が求められることになりはしないかと思われますし、百歩譲って国連安保理決議を勘案いたしましても、日本は逆に、国内の憲法上、軍事的関係においては中立でなければならないという命題が引き出されてくるように思われます。
 国会の議論は、問題の資金供与が武器弾薬以外に限定されるか否かが一つの争点のようでありますが、仮にそれを物的標識としての武器弾薬以外に限定するといたしましても、協力法案の議論で既に明確になりましたように、後方支援が前線と一体のものであることはもう多言を要しません。また、仮に輸送、医療、食糧、生活、事務関連の五分野に使途を限定するといたしましても、それを検証するシステムが定かでない以上、武器弾薬に充当しない保障にはなりません。
 湾岸協力会議に設けられた湾岸平和基金に拠出される資金は、GCC理事会事務局長と在サウジアラビア日本大使の両名で構成される運営委員会で運用されるようでありますが、その機関に対しどれほどの検証、追跡が日本の主体的な立場として可能なのか、制度的にどう保障されているのかという問題であります。もしも武器弾薬に充当されれば違憲であるという立場をとるならば、充当されないことの手続的保障が不十分ないしは欠如する拠出は、それだけで手続的に違憲となるという論理があろうかと思います。
 以上、二点に限って申し述べてきたことは、あくまでも憲法上の規制からする、このたびの自衛隊機派遣、財政支援の手続、内容両面にわたる違憲の疑いについてでありますが、こうした指摘や主張をしますと、必ず、あるいは時に、一国平和主義で時代おくれというそしりを受けているものでもあります。しかし、和平のための外交努力よりも自衛隊機をいかに飛ばすか、あるいは事実上の戦費をいかに拠出するかといった軍事的関心に軸足を置いた政治のあり方は、少なくも憲法の命ずる平和主義に沿ったやり方とは私には思えません。
 また、国際的枠組みが急変してきているがゆえにその新時代に即応した日本の対応が求められているとき、こうした憲法的規制のままで日本の国際的責任が果たせるのかという批判もございます。しかし、自国のことのみに専念して他国を無視したがゆえにさきの大戦で世界の孤児になった日本が、それを反省して憲法の平和主義を選択したときも国際的枠組みが変容したときでありました。冷戦構造が生まれたのは憲法制定より後のことであります。世界の諸国民が平和を愛する諸国民であり、国際社会が平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めているがゆえに、日本はその歴史的反省も込めて、徹底した平和主義を当時選択いたしました。こうした憲法制定時の、憲法からする国際社会へのいわば思いというのは、イラクの侵略に直面した今日にこそむしろ妥当するところがありはしないかと思います。だといたしますと、日本がとるべき名誉ある地位は、軍事的コミットを排し、和平のためのイニシアチブに邁進することではなかろうかと私は考えております。
 どうも御清聴ありがとうございました。拍手
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渡部恒三#9
○渡部委員長 ありがとうございました。
    ─────────────
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渡部恒三#10
○渡部委員長 これより公述人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中谷元君。
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中谷元#11
○中谷委員 市川、岸本、森先生におかれましては、本日は、委員会におきましてそれぞれ大変御示唆に富んだ御意見を拝聴させていただきまして、まことにありがとうございました。
 自民党を代表して、公述人の皆様方に二、三質問をさせていただきます。
 まず、市川公述人につきましてお伺いします。
 先ほど地球環境問題につきまして、この問題は人類の英知であり、ほかの動物と区別される人間にとって必要なものとしてとらえるべきだ、特にこれは非常に気づきにくい、わかりにくい問題であるので、それが目に見えて、体に異常が発生したときではもう遅い問題で、やはり人類の英知というのは、そういうほどを知るという崇高な英知であるというふうな御意見に同調をさせていただきます。
 そこで、我が国は、大いにこれから先進国としてまた経済大国として、人類のそういった環境問題に取り組んでいかなければなりません。特に緊要な問題として温暖化現象もございますけれども、中東紛争の方も収拾の糸口も見え始めてきたという段階で、せんだって起きましたイラクの原油流出事件について、何らかの形で日本が貢献できるんじゃないかというふうなことを私なりにも考えております。
 報道によりますと、流出した油は海水とまざって帯状に分かれて湾内を移動しておりまして、アメリカ政府が派遣した顧問団を率いる沿岸警備隊の調査によりますと、現在の技術では流出原油の一〇%から一五%を除去するのが精いっぱいで、これが時間がたちますと多くの生態系に異常が起きるというふうな指摘もございます。
 そこで、我が国政府として、この環境問題について大いに国際社会に貢献していかなければなりませんが、環境的な見地で我が国がこの中東の原油流出事故にとり得る役割それからその手段について、先生の御見識から御意見を拝聴したいと思っております。
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市川惇信#12
○市川公述人 お答えいたします。
 我が国の環境研究あるいは対処の技術といいますものは、各方面において世界の第一級の水準にございます。しかしながら、原油流出ということに関して申し上げますと、我が国の経験は極めて少ないものでございます。御案内のとおり、瀬戸内海水島コンビナートにおきまして原油タンクからの流出事故がございましたが、我が国のこの点に関連する研究者あるいは技術者が触れた唯一の例である、こう考えてよろしいかと思います。したがいまして、御案内の、例えばアラスカのル・バルディス号、二十六万バレルといったような流出事故その他、大変多くの体験を持った世界のこの面での技術者の持っておりますノーハウに比べまして、我が国のこの面でのノーハウというのは残念ながら少ないと言わざるを得ないと思います。私は、あえて言いますが、これは少ないノーハウであればあるほどいいのであって、もしこれが我が国の周辺で非常に技術水準が高くなっているようでございますと、これは大変なことでございます。
 さて、そういたしますと、我が国がこの問題に対して対処できる範囲というのはかなり限定されてまいります。ただ、具体的にどういうことができるかということを考えてみますと、それについて何か言えるだけの情報は、少なくとも私ども研究者のところまでは届いておりません。
 まず、流出原油量につきましても、少なくとも私どもの耳に入るところでは諸説紛々でございまして、五十万バレルから、大きい方は千百万バレルでございますから、一体そのどの辺にあるのか、あるいは流出油が漂っている面積等についてはいろいろデータがあるようでございますが、一体それがどれだけの深さのものであるかというようなことについても、どうも一致した観測値はないようでございます。
 加えまして、それがどういうふうに挙動していくかということを考えるといたしますと、少なくともあの付近における潮流、ペルシャ湾というのは、御案内のとおり奥行きが八百キロか九百キロぐらいでございますか、幅が二、三百キロ、狭いホルムズ海峡で数十キロというところかと思いますが、海の干満といいましょうか潮汐によって流れを生じておりますし、それから一番奥には例のチグリス、ユーフラテスが合体した川が注いでおるというようなそういう地理的条件でございますのですが、そこでの潮汐流といいましょうか潮の流れ、この辺のデータが必要でございますし、それからまた風の方向等もかなり詳細なデータが必要になるわけでございます。そのようなところを完全に我々が把握できる状況にございません。
 これは妙な言い方でございますが、我が国がああいう地点においてそういう研究といいますか調査をある権限を持って実施できるような状況にこれまでなかったというところにあるわけでございまして、決して怠慢であるということではございませんのですが、そういうものが十分そろっておりません。したがいまして、そういうものがそろいますと何かのことが言えるのでございますが、現在のところ、何ができるかあるいはどういう結果になるかということについては何も言えないというのが一番間違いのない答えだと思います。
 ただ、そう申しますと、例えば市川、ここに何のために立っているんだということになるかと思いますので、やや冒険でございますが、私として踏み込んだ意見をお差し支えなければ申し上げさせていただきたいと思います。これは、しかしながら、私が申し上げましたからそのとおりになるとか外れたとかということが問題になるようなことではございませんでして、私のこれまでの環境に関連いたしましての知識というものからできるだけ概要をつかみたいということで申し上げるわけでございます。
 まず、全貌を私なりにつかんでいきたい、こう考えますと、流出量は最悪の場合で約千万バレル。御存じのとおり、我が国の一日の原油の処理量というのは三百七十万バレルでございます。したがいまして、我が国の消費量からすれば三日分。もちろん、かつて体験した最大の原油流出が二十六万ですから、それをはるかに超えた大きなものであることは間違いございませんが、少なくとも量自体を日本の消費量を升としてはかってみますと三杯分ということでございます。
 そうしますと、環境負荷として問題になります、例えばでございますが二酸化炭素の出てくる量ということを考えますと、これは日本の三日分に相当するわけでございますので、それが直ちに温暖化に寄与するというようなことは、これは考えにくい話になるわけでございます。今は全部燃えたというお話でございますが、もちろんそれが全部燃えるわけではございませんので、その部分が燃えるわけでございますけれども、仮に全部燃えたとして大気に対してはそういう負荷がかかる。
 さらに、当然御心配があるかと思いますけれども、硫黄酸化物あるいは窒素酸化物を考えてみます。硫黄酸化物は、これは燃えますとそれなりに出てまいりますが、窒素酸化物の場合には御案内のように燃焼温度が高いと大量に発生いたしますが、ああいう状況で仮に火がついたということを考えますと、それほど高い燃焼温度にならないとしますと、窒素酸化物等は余り、もちろん出るわけでございますけれども、そんなに多くはないというふうに考えられる。そういたしますと、あれが燃えたという状況を考えてみまして、日本の三日分に対応するものが燃えて、確かに脱硫操作あるいは脱硝操作がないわけで、裸で燃しているわけでございますから、その影響というのはあるのでございますが、世界のいろいろな国を見まして、あれぐらいの量を脱硫、脱硝がそれほど十分でなしに燃している国というのはございまして、したがいましてあれが硫黄酸化物、窒素酸化物を出したとしても直ちにどうこうという量には達しないのではないかという気がいたします。
 もう一つ心配になりますのがブラックスモーク、いわゆるすすでございますけれども、これが非常に高層まで上がりますといろいろ気になることが起こりますが、成層圏に達しないで対流圏にとどまっている、一言で言えば雲の下にいるということでございますといずれ地上に落ちてくるということから、直ちにいわゆる地球規模での温暖化その他の大問題につながる心配はないのではないかというふうに考えられます。
 以上が……
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中谷元#13
○中谷委員 簡潔で結構です。
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市川惇信#14
○市川公述人 今度は海の中でございますと、これは率直に言いましてよくわかりません。と申しますのは、ペルシャ湾と申しますのは生態系が非常に活発であるということが衛星観測なんかで見られておりますので、その生態系の強さがまさってあれを消化するのか、あるいは生態系を超えて、あれが強くてあそこの生態系を破壊するのか、これは今のところでは直ちに結論を出すことは難しいと思います。言えますことは、できるだけよく掃除をするということでございます。
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中谷元#15
○中谷委員 どうもありがとうございました。
 続きまして森先生に対して、九十億ドルの使い道は軍備費に使えないんじゃないかという反論でございますけれども、九条の私なりの解釈によりますと、九条で禁止しておりますのは国権の発動たる戦争であって、国連の決議に基づく武力行使に協力することまでは禁止はしていないと思います。それから、陸海空軍その他の戦力は持たないというのも、芦田修正によりまして、この「前項の目的を達成するため、」すなわち国がやる戦争の目的を達成するための陸海空軍及びその他の戦力でありまして、国連の決議に基づく武力行使に協力するということはこの九条に違反をしてないんじゃないかと思います。
 ここで、国連憲章の第一条によりますと、国連憲章は、自衛行動と国連の強制措置のほかは武力行動はすべて禁止され、その他の侵略国の制裁のためすべての加盟国は協力するということになっておりますし、したがって、国連のもとでは中立ということはあり得ないし、国際連合としては加盟国の中立ということは認めないというのが建前にもなっておりますので、今回は安全保障理事会で拒否権を発動されたわけでもないわけでありまして、明らかに侵略国はイラクと断定をされておりますので、こういう面で国連の決議を尊重するということは日本の憲法には違反しないんじゃないかというふうな見解を持っております。
 それから、あくまでも中立とすべきだというふうなことでありますけれども、もしこの日本が中立をしてみますと、海外における日本の経済行動も、各国との貿易等も非常に中断をしなければならないわけでありまして、第二次世界大戦中、ノルウェーが中立を宣言したわけでありますけれども、ドイツはこの中立違反は実行に訴えるというふうにノルウェーに通告し、これに対してイギリスはノルウェーの鉄鋼がドイツに輸送されたという事実を知ってノルウェーの沿岸に機雷を敷設したことについて、ドイツがノルウェーに空挺部隊を進攻させたというふうな事例もありますので、あくまでも中立をしたいならば、その国の経済は犠牲にし、そして戦争が終わるまで中立を守らなければかえって侵略される危険性も持っておりますけれども、この点について、先生のもう一度の御見解を求めたいと思います。
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森英樹#16
○森公述人 お答えいたします。
 たくさんの問題を出されたので、的確に全部お答えするにはかなり時間がかかろうかと思いますので、ポイントだけをお答えさせていただきます。
 今回の湾岸戦争が国連決議に基づいてなされている多国籍軍の行動である、こういう御理解でありますが、私が申し述べましたことは、国連決議に基づいているかどうかという点についての問題ではなくて、法的な主体の問題として、今戦っている多国籍軍というのは、国際法主体としてはあくまでも国連ではないということを申し述べたにすぎないわけでありまして、その意味で言うならば、今回はこの決議に基づいているというふうに言われておりますが、国連軍が行っているいわゆる制裁戦争ではございませんので、それに協力をするということが規範論理的に直ちに国連加盟国である日本に求められてきている筋合いの問題ではないということがポイントであろうかというふうに思います。
 それから、中立宣言をすると弊害が起こるかどうかという点につきまして、私はその筋の専門家ではありませんのでお答えする能力を持っておりませんで、私が申し述べましたことは、そのような、つまり国連軍が動いているわけではないという前提からしますと、あくまでも国際法的には、これは多国籍軍という主権国家とそれからイラクという主権国家の間のいわば軍事的紛争であるということからすると、日本は第三者に法論理的になるということを申し述べたわけで、そのことを中立という表現で申し述べました。もう一つは、日本の軍事的な中立は憲法上から要請される、こういうことを申し上げたにすぎないのでありまして、それ以上のことは申し述べておりません。
 お答えになりましたかどうか……。
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中谷元#17
○中谷委員 以上で質問を終わります。
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渡部恒三#18
○渡部委員長 次に、野坂浩賢君。
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野坂浩賢#19
○野坂委員 先生方には、御多忙のところ公述をしていただきまして、大変ありがとうございました。
 時間が余りありませんので、ごく簡潔に質問をいたしますので、できるだけ手短に御答弁をいただきたいと思っております。
 岸本先生、それと森先生にお尋ねをいたします。
 まず岸本先生にお尋ねをしたいと思っておりますのは、御案内のように、これからの経済の見通しについてお伺いをしたいと思っております。
 今度、湾岸戦争で九十億ドルというものを支出をするというのが国会で議論されております。これが与える経済成長への影響ですね。現在三・八%というのが予算として出されておりますが、経済的にはどういう影響があるだろうか、これが一点。
 それから、G7でいろいろ会議がございましたが、アメリカは公定歩合を〇・五%引き下げた、イギリスもそれをやった、逆にドイツの場合は〇・五%引き上げた、こういう図になっておるわけでありますが、最近、日本でも公定歩合を引き下げるというようなことがテレビニュース等で流れましたけれども、消費者物価は年推定二・四%というふうに政府は関係書類から出しております。
 そういうことと、去年の今ごろから余り消費者物価は上がっていなかったのですが、最近東京等では四%台になっている、卸売物価の指数は二・四%上がってきておるという状況下でございますので、これの金融対策、アメリカ、イギリスとの関連や、日本国内における消費者物価、卸売物価の状況、こういうものを考えて、どのような方策が必要なのかということを一点伺っておきたいと思っております。
 それから、この際ですから御両氏にお願いしたいと思いますが、湾岸戦争問題をめぐりまして、戦費とはいかなるものかということが議論されております。森先生からも今お話があったところでありますが、正面装備、前線で戦うもの、あるいは後方支援、こういうのがあります。これらは一体のものであるから我々は戦費ではないか、こういうふうに規定づけておりますけれども、政府側は、いや、あれは輸送関連、医療関連、食糧、生活関連、そして事務関連と、だから武器弾薬には関係がないから、言うなれば平和回復活動資金だ、こういうことで戦費とは言わないわけでありますが、我々は、前方も後方もあわせてやらなければ戦いにならぬ、戦闘行為にはならぬ、そういう意味で戦費であるというふうな認識をいたしておりますが、大学の先生でありますから、それらの点については理論的に明快にこの際お答えをいただきたい、こういうふうに思います。
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岸本重陳#20
○岸本公述人 三つの御質問があったと思います。
 一つは、湾岸戦争への多国籍軍への協力かアメリカ軍への協力なのか別として、ともかく九十億ドルの追加支出が経済成長にどういう影響を与えるかという点でございました。まずそこから、考えていることを簡単に申し上げたいと存じます。
 最初に、しかしお断りしておきたいのは、九十億ドルの問題を考えるときに、経済成長への影響というものをどういう意味で気にするのか、そこをお互い考えておく必要があるんじゃなかろうか。経済成長に悪い影響を及ぼすからやめた方がいいというふうに考える脈絡をたどりたくてそういうふうに思うのか、それともそれとは一応切り離して九十億ドルの客観的な影響を考えるのか。当然、この問題を考える際には後者の脈絡で考えなければいけないと私は思います。やらなければいかぬことは、経済への影響がどうあろうとやらなければいかぬというふうなものであろうと思います。
 そうお断りしておいて、端的に申し上げれば、九十億ドルがどう影響するかというのは九十億ドルの調達の仕方と密接不可分でありますから、昨夜、自公民三党でもう合意なさったような、ああいうのが決まったことを前提にして申し上げますと、短期国債で補う分がある、それから財政支出の削減で補う分がある、両方あるわけですね。短期国債で補う分というのは、言うまでもなく、国債を発行して一般国民あるいは市中から資金を吸い上げる。それは当然、購買力と申しましょうか日本の市中の需要力をその分減殺するわけであります。一般の場合ですと、国債で吸い上げた資金は、国債で吸い上げなければ市中に滞留していて退蔵されている資金であって、経済的には活性化してないやつ、これを政府が吸い上げて財政支出として活性化して利用するから景気には好影響、成長には貢献する、こんなふうに言えるわけでありますが、今回の場合は、短期国債で吸い上げられた市中資金は単純に海外にその資金額が流出するわけでありますから、購買力の削減効果だけが出てくるということが言えますね。その規模がまあどれくらいになるか、一兆二千億円のうちのどれくらいをそれでやるかによってまた違ってくるわけですが、いずれにしても、例えば総額一兆二千億でいって、日本のGNPに対してそう大きな規模じゃないからこれのデフレ効果は大したことないというふうに見る人もいないわけではないのでありますけれども、私、今回の短期国債による資金調達は二度たたると思います。
 第一回は、短期国債を発行したときに、今言ったような意味で資金流出で購買力削減、そういう効果で一度たたる。そして今度、この短期国債を短期間に償還するために何らかの形で税での補てんをしなければいかぬわけでありますから、償還しなければいかぬわけでありますから、税として集まった財政資金がその分だけ財政資金としての効果を持たないわけですね。したがって、その分、財政活動を不活性化させるという形で、今度は税で償還する段階でもう一度たたる。そういう意味で二度たたると申し上げたいと存じます。
 例えば、全部を短期国債で賄うんじゃなくて、公明党、民社党の要求を入れて、まあ二千億円ほどは防衛庁予算の削減といいましょうか、それの振りかえでやる、そんなふうな要素が合意されたようでございます。防衛庁予算の削減の方は、直接には私は景気に対して大して大きな影響を持つものではないと思いますが、短期国債によらないで、その他の一般歳出の中から歳出減をやる分というのは、やはりそれはそれぞれに大きな影響を持つんじゃないでしょうか。皆さんならよく御承知のとおり、今度の予算案で何億つけた、それはもう一億、二億の規模でも、今度の予算で何億ついたというのが、これがもうのどから手が出るくらい欲しい。そういうお金をこうつけてくれ、つけてくれと十数年にわたって運動したあげく、ようやくにしてそのお金がついて、さてこれで何かやれるぞというふうなぐあいに期待している多くの部分というのが経済の中には至るところにあるわけでありまして、それらが犠牲に供されるということは大変、部分的なようでありながら、金額的にはそう大したことないというふうに見えるかもしれませんけれども、そういった新たに予算がついて動き出す部分というのは、これは経済の中に新しい活動の芽が出ていくわけであります。その芽がもしつぶされるとしたら、長い目で見てそれは相当、金額以上のダメージを経済運営に与えることになりはしないか、そう強調したいと存じます。
 それから第二の質問は金利の問題でございましたが、日本の公定歩合、去年の八月末に引き上げられて現在まで来ている。もうそろそろ引き下げの時期ではないのかという声が去年の秋の終わりごろからちらほら聞こえ出してきて、特に十月一日、株式市場が二万円を切った、あそこの段階では公定歩合の引き上げが株の足を引っ張ったということで、そういう声が一段と高まるきっかけとなりました。御指摘のように、海外の金利政策がまだらでございますね。上げた国、下げた国と、こうあって、それはどちらも主要国がそうしているのでありますから、日本がそのはざまに立ってどういうスタンスをとるかというのがなかなか難しい状況にあると言わざるを得ないと思います。それから、御指摘の物価状況との関連もなかなか判断が難しい。
 しかし、結論から申しまして、理屈をごちゃごちゃ説明することは一切省きますが、私は公定歩合の引き下げが現在差し迫って必要な段階だとは考えておりません。バブルと言われているものが本当にはじけてあく抜きが済んで、日本経済がバブル抜きでしっかりした体質に変わったか、これはとてもまだそうは言えません。もちろんバブルを抜くのに、高金利をやっていればバブルが抜けるという問題ではないし、バブルを抜くのには、場合によっては金利を下げた方がいいということもあり得る。これは認めますが、しかし公定歩合引き上げに至った日本の経済体質の中から考えてみますと、今引き下げというふうに移るべき時期ではないのではないかと思わざるを得ません。物価に対する影響という点では、もちろん高金利は一面では物価上昇の促進要因になります。それで、そういう場合には下げた方がいいという見方も成り立つわけですが、他面では三重野日銀総裁が物価を非常に警戒して公定歩合引き上げに踏み切られたように、公定歩合を高どまりの水準にキープしておくことが特に資産インフレ的なルートを遮断する、こういう意味では有効でありまして、もちろん地価あるいは住宅の価格動向が去年の秋以来かなりの下落があるではないかという御指摘もあろうかと思いますが、私は、資産インフレの芽というのはまだかなりな程度残っている、だとすると、日銀がなお慎重な姿勢をとっておられることには十分経済学者として理解できる要素がある、こんなふうに申し上げさせていただきたいと存じます。
 それから、第三の戦費という問題でございますが、私は戦費というものを定義するだけの力はございませんけれども、いわゆる湾岸戦争へ、そして多国籍軍側へ、実態はアメリカ軍かもしれないけれども、ともかく多国籍軍側へ支援のお金を出す、これは戦争行為を行っている片側の当事者に対する資金援助であるのだから、広い意味で言って戦費でないわけがない。これはもう明快なことだと思います。もちろん、輸送車両を出すのだから直接にはこれは軍事行動には使われない、そういった説明は幾つか可能ではありましょう。しかし、そういった説明は可能ではあっても無力であります。兵士が乗って、銃を持って砂漠を走り回るのに一番よく使われているのは日本の四輪駆動車だ。日本だったら若者が山野を走り回っているレジャー用の車が実は一番有効な戦闘車両である、こういうふうにも言われている現実がございます。それ自体としては、例えば包丁は料理をするためのものであって武器ではないけれども、しかしこれは凶器にもなり得る。戦争というのは、資金援助をすればその資金援助はすべての戦闘行動の最大限効率的な遂行に向けて使われるのは明らかでありますから、これは後方支援であるから戦争への直接協力ではないなどというのは単なる遁辞でありまして、そういう不誠実な言葉は吐くべきではないと私は断言したいと存じます。
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森英樹#21
○森公述人 お答えいたします。
 私の述べました中でも既に触れたことでもありますが、今の岸本先生のお話をやや法学部的に言い直しますと、刑法に用法上の凶器というのと性質上の凶器という概念が、法学部で勉強された方は御存じのように基礎的な知識としてございまして、先ほどの例ですと、例えば出刃包丁というのは用法上の凶器だけれども、殺人用のジャックナイフというのですか、ジャックナイフがどうかは知りませんが、要するに人を殺すための、殺傷のための道具というのは、これは性質上の凶器というふうに一応概念的に区分されますが、いずれも凶器概念として含まれるというのが刑法上のイロハとしてございます。
 私も申し上げましたように、そのことを念頭に置いてお話ししますと、戦力というのは、それ自体物的標識として武器弾薬が戦力かどうかというような議論をするべき性質の問題ではなく、先ほど岸本先生もおっしゃいましたように、それで私が申し述べた限りでは、これはもうどんな教科書にも憲法では書いてあるわけですが、例えば東京大学の樋口さんが書いておられる「注釈日本国憲法」という中にも書いてありますように、外敵との戦争、戦闘を目的とした人的、物的手段の組織体のことを戦力と呼ぶわけでありまして、それ自体が武器弾薬かそうでないかということの区分をすることが意味のある概念では戦力という概念はございません。したがいまして、さきに例も引きましたように、恵庭事件で通信線が、言ってみればその意味では「防衛の用に供する物」に含まれるがゆえに起訴されてきたといういきさつは参照になるかということで紹介をさしていただきました。その種の意味でそういったものを、したがって外敵との戦争、戦闘を目的とした人的、物的手段の組織体を支えるものはすべて戦費である、こういうふうに言わざるを得ないのが憲法解釈論としては当然のことであろうかと思います。それが自国である我が国においても憲法上禁止されている。
 先ほど中谷先生から、「前項の目的を達するため、」という限定があるんだという御議論がございましたが、それは憲法学界では大変少数説でございまして、それはいわゆる芦田理論というものでありますが、これら政府の有権的解釈でもそういう理解をしておりませんでして、戦力に至らざる云々という形で戦力すべてが禁止されているという立場は、これは政府の立場でもありまして、その中身の標識は私ども憲法学界の通説とは違うというだけのことですが、いずれにしましても、そのように憲法で自国で禁止されている戦力、それを支えるのが戦費、それはしたがって最も広い意味で私の言うウオーポテンシャルに含まれてくる、こういうことになろうかと思います。したがいまして、自国で禁止されているものを他国のためにあてがっていいということにはならない。
 問題はそうすると、今回の多国籍軍がいわゆる主権国家としての多国であるのか、それとも全く新たに登場してきた、いわゆる国連活動として出されているのかという標識が一つ問題になろうかと思いますが、私はあくまでもこれは、主権国家としてのアメリカを中心とする二十八カ国なら二十八カ国の主権国家が多国籍軍というのを構成し、主権国家連合としてイラクという主権国家と戦闘行為に入っている、国際社会においては、法形式論でいえばあくまでも私的、その意味では私的な、国連を公的としますと私的な戦闘行為である、こういうふうに理解をしております。
 ただ、仮にですが、仮にこれが国連活動であるというふうに措定いたしましたとしても、御存じのように国連に日本が加盟する際、あるいは憲法が制定される際、そしてこの間の協力法の議論の際にも、日本が国連軍なるものが創設された場合にそれに加盟する義務を負うのかどうかという点についてはかなり御議論がございまして、学界の方でも相当議論をしましたが、歴史的な経過等々から、日本は憲法を制定した当初から、国連軍が仮に創設されたとしても我が国はそれに加盟の義務を負う立場にないということ、つまり、仮に義務だとしてもその義務を履行できる立場にないということを内外に宣明し続けてきたといういきさつがございました。そのことを少し念頭に置きますと、仮にこれが国連の活動であると仮定いたしましても、それを支える戦費というものは自国の憲法上の規制から出せない、そういう国なんだいうことを国際社会に憲法は制定当初から訴え続けてきた、そういう立場は憲法の規範からして崩すわけにはいかないということを申し述べた、そういうことです。
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野坂浩賢#22
○野坂委員 ありがとうございました。
 市川先生にお尋ねをしますが、時間がありませんので一言でお答えをいただければありがたいと思います。
 今のペルシャ湾岸の原油流出、千百万バレルと言われておりますね。我が国でもオイルフェンス等を送ってはおるのですけれども、そういう点については早急に対処、対応するというのが我が党の願いでもあるわけですが、先生が今お話しになって、環境の変動を人類は監視しなきゃならぬ、しかしその人類が対応する速度よりも二酸化炭素その他の方の汚染物質がそれを超えていくという場合には重大問題であるというお話があった。例えば西丸震哉先生なんかは、この調子でいくと二〇三五年ごろには寿命が短くなるぞというお話でありますが、今の現状維持をするために対応が完全にできておるのかどうか、できる見通しか。そして、ペルシャ湾岸の百四十キロ、五十キロの幅で流れておる原油を早期に排除をしなければ、人類に与える影響、生体物に与える影響、そういうものはたとえ費用がかかっても積極的に日本は対応しなきゃならぬじゃないか。こういうことについて、あと五分しかありませんので、よろしくお願いいたしたいと思います。
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市川惇信#23
○市川公述人 お答えいたします。
 人類が対応できる速度を超えて環境が変わっていることに対して我々として最大限のことをなすべきである、これは先生の言われるとおりでございまして、我々研究者を含めましてその方向に向かって努力をしているところでございます。
 御存じのとおり、現在人類が出しております二酸化炭素あるいはメタンさらにフロン等々、いろいろな環境負荷の物質が現実に人類が対応できないような速度の環境変化を起こすのか起こさないのかというところがこの研究として一番のポイントでございまして、現在のところ我々が知り得る範囲において早急な結論はまだ出せない、もう少し詰めていかなきゃならないという事情にございます。この辺が、例えば二酸化炭素の排出に関しましても意見の分かれているところでございます。疑わしきは規制するという行き方と、まだその影響によるものかどうかはっきりしていないということで対処しない国と、二つあることは先生も御案内のとおりでございますが、一方が誤りであるという断定を今の時点ではできません。ですから、それを今後とも積み上げていく必要があるわけでございます。
 ただ言えますことは、できます努力は最大限にしていくということが重要なポイントでございますので、先生御指摘のように、ペルシャ湾におきましてあのような原油流出がある、あれはもう間違いなしに環境に負荷を与えます。その大きさは別といたしまして、それが相対的に現在人類が出している総量に対してどういう割合を持つかということは別といたしまして、間違いなしに負荷になります。したがいまして、その負荷を幾分でも軽減するように現在最大限の回収をするということでございます。そして、その影響を分析するということになりますと、その影響は長期にわたりますので、現在よりはむしろ平和が訪れましてから十分な探索をするという面で我が国の貢献ができるというふうに考えております。
 以上でございます。
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野坂浩賢#24
○野坂委員 終わります。
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渡部恒三#25
○渡部委員長 次に、石田祝稔君。
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石田祝稔#26
○石田(祝)委員 公明党・国民会議の石田祝稔でございます。本日は、公述人の皆様におかれましては、御多用中のところわざわざお越しいただきまして貴重な御意見を賜り、本当にありがとうございました。公述人の皆様にそれぞれお伺いしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いをいたしたいと思います。
 まず最初に、森先生にお伺いをしたいと思います。
 我が党は自衛隊機派遣には反対でありまして、その撤回を求めております。さて、先ほどその例政令の無効決議を国会ですればいい、こういうお話がございました。例えばこの決議がなされた場合にどういうふうに行政を拘束するのか、またそれが事実可能であるかということもあわせましてお伺いをしたいと思います。
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森英樹#27
○森公述人 大変難しい質問でございまして、私が例に引きましたイギリスの例というのも、それぞれの実定法、各委任命令を認めているそれぞれの法におきまして、それぞれの法ごとに議会による統制の筋道を、例えば我が国でいいますと災害対策基本法の百九条の四項にございますようなものを設けているということが一つの法的な根拠になっております。
 ただ、私が申し上げましたのは、したがいまして、原理的に議会制民主主義と議院内閣制をとっている我が憲法構造において、議会が委任をした政令がその範囲を逸脱して命令を出してしまった場合に、議会の側にそれを正す何らの根拠もないということは言えないだろう。したがいまして、私が申し上げたのは、正すという妙な言い方をいたしましたが、それが実効的にどのような効果を及ぼすのかということが法的、規則的に言い切れる問題でないこともまた事実であろうかと私は考えております。ちょうどそれは、先ほど例として挙げましたように裁判所による統制というのもございますが、裁判所による統制もまたその意味では同じでありまして、裁判所は一件こっきりでやるわけでありますから、そのような、例えば当該の政令が憲法違反であるということを仮に裁判所が判断をいたしましたとしても、その無効は直ちに発効するのではなくて、当該の政令を発しましたところの広い意味での立法者、今回の場合は内閣ということになりましょうか、そこが取り消さない限りは永遠に残っていくという性質とその意味ではパラレルの問題として考えていいのではないだろうかというふうに申し上げたわけでございます。
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石田祝稔#28
○石田(祝)委員 続きまして、岸本先生にお伺いをしたいと思います。
 私は、真の豊かさということについてお伺いをしたいと思いますが、先ほど先生は、九〇年代の目標として、歳出部門においていわゆる生活基盤を他の先進諸国と同程度の水準にまで引き上げることが大事ではないか、こういうお話がございました。私ども、全くそのとおりであろうと思います。しかしながら、その大きな阻害要因として土地の問題、端的に言えば土地の価格の問題というものが私は大きな阻害要因になるのではないかと思います。先生も、公共投資の四百三十兆円、これの大宗がひょっとしたら土地の価格の方で食われてしまうのじゃないか、その意味のお話もあったと思いますが、豊かさと土地の価格の問題、それと関連づけて今回出ております地価税の問題、これについてちょっと簡単に御意見をお伺いをしたいと思います。
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岸本重陳#29
○岸本公述人 真の豊かさを実現するためには、やはり住居というものが人間的なさまざまな必要を満たせるだけの広さがなきゃいかぬわけですね。例えば近所あるいは友達づき合いを我が家でやる。欧米でしたらパーティーをよく自宅で開きます。しかし日本では、二、三十人集まってパーティーを開けるような住居を持つということはよほどの限られた人でございますね。そういう人間的なさまざまな活動を可能にする住居というのがポイントであって、その住居の下には土地がなきゃいけないから、当然土地の問題が絡んでくるわけでございますが、土地の価格の問題とある意味ではもう切り離して住宅政策を考えていく、こんな必要が生じているのじゃないかと思いますね。土地価格を下げて、普通のサラリーマンが、まじめに働いている人が土地を入手しやすくする、これは口で言うのは簡単だけれども、先ほど言ったように、九倍も開きが出てきたやつをどうやってもう一遍一対一のところまで戻すか、これをどれくらいの期間をかけてやるか、なかなか容易なことではないですね。そうなりますと、土地価格の問題と切り離して住宅供給、快適なしかるべき住宅供給を行う方策、これはやっぱり真剣に考えていく必要がある。これは例えば、それだけでいいとは私申しませんが、公的な賃貸住宅というものの供給を本格的にふやしていくというようなことが必要でしょうね。しかし、公的賃貸住宅が、家賃が二十七万円だ、四十二万円だとなっちゃったら、これはまた入れる人が限られちゃうわけで、そういうときに、例えば傾斜家賃制度なり応能負担の制度なりというのが考えられてもいいのではないかと思います。
 念のために追加させていただきますが、しばしば日本では国土が狭いから土地の値段が高いのはやむを得ないという考え方がございますが、これはやはり根本的に間違っていると言わざるを得ません。なぜならば、現在三十八万平方キロの国土を、一億二千三百四十五万六千七百八十九人、去年日本の人口はこの数字を記録しているわけですが、この人口で割りまして一人当たり国土面積を出せば三千三百平米、千坪。国民一人当たり千坪の国土というのは狭いといえば狭い。しかし、現にその中から二十九坪を住宅地に使っているわけでありまして、したがいまして、標準世帯、四人家族で考えますと、一世帯当たり百十六坪の宅地が現に存在するというわけであります。したがって、地域的な分散あるいは人と人の間での分配よろしきを得れば、日本で現状一世帯当たり百十六坪の宅地は利用可能である。そういうふうに考えますと、住宅問題の、あるいは土地問題の解決は決して絶望ではないはずだというふうに言えると思います。国土の狭さをどこかで口実にして、まあ日本の土地の値段高くても仕方がないやという、そういう認識を持っているとやっぱり対策がぐずぐずになりはしないかというふうに申し上げたいと存じます。
 それと、さらにつけ加えますならば、我々は内外価格差という問題をアメリカからも突きつけられ、かつ日本の国内からも問題状況の自覚として厳しい声が上がっておりますが、言うまでもなく内外価格差の筆頭は土地価格でありまして、内外価格差の解消、土地以外のさまざまな価格面についても内外価格差の解消の必要はあるわけですが、それの大宗はやはり土地価格の内外価格差の解消であらざるを得ないと思います。その意味でも、解決できるという確信の上で対策を御工夫いただきたいと強く申し上げたいと存じます。
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