森英樹の発言 (予算委員会公聴会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○森公述人 名古屋大学法学部で憲法を担当しております森と申します。
私は、専門の憲法学の立場から、今、国会の焦点になっております憲法問題、とりわけ自衛隊法百条の五に基づく特例政令によって自衛隊機を中東地域に派遣するという問題と、いわゆる多国籍軍への財政支援、この二つの問題について私の意見を若干述べさせていただきます。
本論に入ります前に若干申し述べたいことがあります。
その第一は、立憲主義、法治主義の原則からしまして、公権力の行使というのは厳格に憲法または憲法適合法律、これによって拘束されているということであり、事の緊急性や重大性や、ましてや諸般の事情なるものを理由としましてこの拘束を解除することはできないという点です。目下の湾岸危機は、あるいは湾岸戦争は、もとよりイラクの不法なクウェート侵略に端を発しておりますし、イラクが国際的に非難をされておりますのは、独善的な正義を振りかざし無法を重ねているからでありますが、だからといってそれへの対応をする側が、対応する国内において自国の法治主義をいいかげんにしてよいということにはなりません。
第二は、国際紛争に対する日本の憲法上とるべきスタンスはどうなっているかという規範論であります。それは簡単に言いますと、国際紛争にはあくまでも平和的、非軍事的に対応するというその一言に尽きます。すなわち、国際紛争が生起すればそれを平和的に解決するよう努力する、あるいは不幸にしてそれが軍事的紛争に至っても、それに軍事的にコミットはせず、和平に向けて平和的、非軍事的に努力するということであります。
第三は、したがいまして、憲法のこの原則からしますと、自衛隊及び関連諸法の存在が、あれこれの論理を用意しようとも、違憲の嫌疑を晴らせられないという点が問題の出発点であろうかと思います。なお、この点は日本の憲法学界の今もなお通説たり続けておりまして、同様のことを恐らく午後から公述されます星野安三郎先生も述べられるかと思います。
さて、以上を踏まえまして本論の第一に入ります。
一月二十九日に政府は、自衛隊法百条の五に基づく特例政令を公布、施行いたしました。問題は多々ありますが、ここでは主にその法的整合性の欠如と法治主義違反について申し述べます。
自衛隊法百条の五は、なるほど輸送対象を「国賓、内閣総理大臣」と並べて「その他政令で定める者」と記しております。したがいまして、ここに「その他の」ではなく「その他」という文言を使っている以上、国賓、内閣総理大臣が規範的には例示にならないということは法形式論としては言えるでありましょう。しかし、政令に委任された事項の内容は、国権の最高機関にして唯一の立法機関である国会が制定した法律の趣旨、目的の枠内で、かっこの法律を執行するに必要なものでなければならないという原則がございます。
自衛隊法百条の五が制定されたときの立法趣旨は、当時の議事録を読ませていただきましても、国賓等を国内の近距離で輸送することが想定されておりましたし、一九八六年十二月四日参議院内閣委員会における政府答弁によりますと、国賓、内閣総理大臣という例示、列挙されたものとおよそかけ離れたものは予定していないというふうに答弁がございます。「その他」という規定の内容を定めたのが自衛隊法施行令百二十六条の十六でありますが、その十六は、その限りでは、中身を見ますと、かけ離れていないというよりも、百条の五を代表列挙といたしまして、それに準じて定めたものというふうに言えると思います。しかも、この施行令の改正は自衛隊法百条の五の公布と同時になされておりますので、その施行令に列挙された者から対象範囲が論理的に特定されますので、そうした範囲に対象が限定されているものとして、「その他」というのは国賓等を内容上限定して列挙していたというふうに考えていいかと思います。
こうして見ますと、問題になっております当該輸送というのは、立法趣旨において、例えば成田─羽田間のVIP輸送のごとく、輸送の地理的範囲におきましても、それから輸送の対象におきましても限定されておりました。したがいまして、当然のことながら、八六年十月二十八日の衆議院内閣委員会でも政府は「在外邦人の救出とか緊急援助隊、こういったものについては含まれない」と明確に答弁しておられます。ところが、このたびの特例政令は、この「その他」に湾岸危機に伴い生じた避難民というのをカテゴリー的に加えるというのでありますから、いかにかけ離れた政令であるかは一目瞭然であります。当該授権の範囲を超えており、法治主義ないしは法律による行政、これに明瞭に反すると言わざるを得ません。
この法的整合性の欠如を補うために提出されましたのが二月八日の政府見解でありますが、ここで示されました論理は極めて危険な内容というものを持っておるように思われます。この見解によりますと、「その他」の授権範囲につき、授権根拠法に代表列挙されたものから「かけ離れているか否かは、高位高官であるか否かという社会的地位にのみ着眼して判断すべきものではなく、その者の置かれた状況、国による輸送の必要性その他」、またも「その他」と出てくるわけですが、「諸般の事情を総合して評価すべきである。」ということであります。「その者の置かれた状況」というのは客観的要件、「国による輸送の必要性」というのはいわば主観的要件と思われますが、それが設定されてはおりますけれども、ともに極めて漠然としており、かつ広範であり、のみならず「その他」の文言を使って一たんここで切断しておいて、究極のところで「諸般の事情」を持ち出すわけでありますから、この論理からいたしますと、要するに政府は、法律上委任された範囲を自由にかけ離れて、自衛隊機による輸送は、今後政令さえ公布すれば随時可能となるわけであります。
果たせるかな二月十二日、この予算委員会において工藤法制局長官は、在外邦人救出も、特殊緊急事態の場合は、臨時応急の措置として全く許されないものではないとの見解を表明しました。このでんでいきますと、緊急事態を根拠に、その者の置かれた状況によっては、あるいは国による輸送の必要性があると判断された場合は、一片の政令を発しさえすれば、極端な話ですが在外アメリカ軍人の輸送すら可能になってまいります。仮に、そういったものは含まないのだというふうに答弁をいたされましても、特例政令の授権根拠法である自衛隊法百条の五を制定するその際に政府は、在外邦人救出は含まれないとしておりましたのですから、今度それは含まないというふうに先ほどの事例を答弁されましても、もはやだれも信じないでありましょう。事は緊急事態に限定されるという説明もありますけれども、在外邦人の救出ということを要する事態は、一般に緊急事態として生起するものであります。
このような特例政令の公布とその導出の論理というのは、端的に言ってて法治主義の破壊でありまして、やや比喩的に言いますと、よみがえった緊急勅令というふうに言えるかと思います。緊急の必要を理由として議会閉会中に天皇が法律にかわるべき勅令を発し得た戦前の悪名高い制度のことでありますが、その緊急勅令ですら、次の議会における承諾を得られなければその効力を失うものと明治憲法八条でされておりました。政府が緊急の必要を理由として自由に特例政令を連発することができ、しかもそれが国会の同意を要しない政令である以上、このような手法は戦前よりもひどい議会制民主主義破壊にほかならないと言わざるを得ません。
現行憲法は緊急時の法的対処もまた国会の両院によることを原則としておりまして、衆議院解散に伴う閉会時に限って参議院の緊急集会による措置を認めていますが、それとて臨時のものであって、次の国会開会の後わずか十日以内に衆議院の同意を必要としております。これは憲法五十四条であります。こうした国会の理念からいたしますと、委任範囲をこれほど明確に逸脱して制定された特例政令は、国会がこれを無効と議決する措置も不可能ではないというふうに私は考えております。
政令の憲法適合性を判断するのは裁判所だけであるという議論があるようでありますが、周知のとおり、日本の裁判所は事件性を要件とする付随的違憲審査制をとっておりますので、抽象的違憲審査は行いませんから、この種の政令の合憲性、合法性をそれ自体として審査する道はありません。また、仮に裁判所が無効と判断いたしましても、それを廃止するのは制定者である政府でありまして、これは、違憲、無効と判断された例えば尊属殺規定の刑法二百条、これがいまだに立法権者である国会によって廃止されていないため、条文としては残っていることを思い起こしていただければ明瞭な論理であります。つまり、授権者、国会は、政令が授権範囲を明確に逸脱している場合には、その無効を議決してその逸脱を正すことが権限として留保されているというふうに考えられると思っております。
この点では、議院内閣制をとる国で一般に議会による政令統制がむしろ制度的に用意されておるという点を参照すべきかと思います。日本と同様に国会を国権の最高機関とするイギリスでは、スタチュトリー・インストルメント・アクトという一九四七年の法のもとで、政令のようないわゆる委任立法につき、第一に公布後議会に単に提示するもの、これをベア・レイイング・プロシーデュアといいますが、公布後議会に提出され四十日以内に議会が取り消しを決議できるもの、これをネガティブ・プロシーデュアといいます。それから、議会が積極的に承認しない限り効力を失うもの、これをアファーマティブ・プロシーデュアといいます。といったような類型があって、政令等を議会で審査するための特別委員会、これをセレクト・コミッティーといいますが、これを常設しているという事例がございます。いずれにしましても、議会の統制を制度的に確保し担保しているというこの種の例は、参照されてよいように思われます。
なお、在外邦人救出がにわかに叫ばれ始めました最近の議論を見ておりますと、批判の多い特例政令を無理やり公布して自衛隊機を海外に出そうとする別の真意といいますか、そういうものが見え隠れするような気がいたします。果たせるかな政府は、今秋導入予定の政府専用機を在外邦人救出にも活用するため、自衛隊法に新たな任務規定を追加する方針を固めたという報道を見ました。一国民としても大変憂慮あるいは心配を深めているところであります。
さて、次に第二に、いわゆる多国籍軍への九十億ドルの財政支援が憲法上容認されるかどうかという第二の論点に移ります。
憲法は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求するがゆえに、戦争のみならず武力の行使、武力による威嚇をも永久に放棄するという立場をとり、そのために一切の戦力の不保持を命じております。ところで、この「陸海空軍その他の戦力」というのは、英語文の正文によりますと、ランドシーアンドエアフォーシズアズウエルアズアザーウオーポテンシャルというふうに記しています。すなわち、ここでの戦力とはウオーポテンシャル、つまり直訳いたしますと、戦争遂行を可能にする力能、あるいは法的用法でいわば翻訳しますと、戦争の用に供するものという含意が内在しているという点であります。もちろん、憲法の文言解釈の問題としては、例えば航空機、船舶、食糧等々といったものが戦争の用に転用し得るからといって、その保持が一般的に禁じられているというふうにここから読むのは荒唐無稽な議論であります。
しかし、戦力とは、武器弾薬といった物的標識ではなく、外敵との戦争、戦闘を目的とした人的物的手段の組織体のことですから、例えば同じテントやプレハブ建築でも、一般市民のものは戦力ではありませんが、軍が持てば組織体の一部として戦力になり得ます。かつて恵庭事件のときに検察庁は、被告人により切断された自衛隊の通信線が、自衛隊法百二十一条の保護対象とされていた「武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物」の「その他」に該当するとして起訴したわけでありますが、これは、どこにでもある通信線も、自衛隊が所有ないし使用すれば「防衛の用に供する物」たり得るということの一つの事例ではないでありましょうか。
自国で戦力の保持が禁止され、自国で武力の行使を国際紛争の解決のために充てることを永久に放棄するとした憲法を持つ国が、他国が武力の行使をするためその国の戦力に該当する部分を調達することないしは調達資金を供与することは、論理的にも違憲となりますし、もともと憲法が全く予定していない事柄でなかろうかと思われます。
憲法が明文で予定していない公権力の行使は、それだけで違憲となります。それが多国籍軍という現に交戦中の一方の当事者に向けてのものであればなおのことでありまして、多国籍軍の行動が国連安保理決議を受けてなされているがゆえに加盟国日本にも協力義務があるという理解もあるようでありますが、多国籍軍は国連自体ではありませんから、この戦争は国際法上はあくまでイラク対多国籍軍構成国の間のものでありまして、この点は多くの国際法学者が指摘するとおりであります。したがいまして、日本は、国際法上はこの戦争につき第三国として中立の立場が求められることになりはしないかと思われますし、百歩譲って国連安保理決議を勘案いたしましても、日本は逆に、国内の憲法上、軍事的関係においては中立でなければならないという命題が引き出されてくるように思われます。
国会の議論は、問題の資金供与が武器弾薬以外に限定されるか否かが一つの争点のようでありますが、仮にそれを物的標識としての武器弾薬以外に限定するといたしましても、協力法案の議論で既に明確になりましたように、後方支援が前線と一体のものであることはもう多言を要しません。また、仮に輸送、医療、食糧、生活、事務関連の五分野に使途を限定するといたしましても、それを検証するシステムが定かでない以上、武器弾薬に充当しない保障にはなりません。
湾岸協力会議に設けられた湾岸平和基金に拠出される資金は、GCC理事会事務局長と在サウジアラビア日本大使の両名で構成される運営委員会で運用されるようでありますが、その機関に対しどれほどの検証、追跡が日本の主体的な立場として可能なのか、制度的にどう保障されているのかという問題であります。もしも武器弾薬に充当されれば違憲であるという立場をとるならば、充当されないことの手続的保障が不十分ないしは欠如する拠出は、それだけで手続的に違憲となるという論理があろうかと思います。
以上、二点に限って申し述べてきたことは、あくまでも憲法上の規制からする、このたびの自衛隊機派遣、財政支援の手続、内容両面にわたる違憲の疑いについてでありますが、こうした指摘や主張をしますと、必ず、あるいは時に、一国平和主義で時代おくれというそしりを受けているものでもあります。しかし、和平のための外交努力よりも自衛隊機をいかに飛ばすか、あるいは事実上の戦費をいかに拠出するかといった軍事的関心に軸足を置いた政治のあり方は、少なくも憲法の命ずる平和主義に沿ったやり方とは私には思えません。
また、国際的枠組みが急変してきているがゆえにその新時代に即応した日本の対応が求められているとき、こうした憲法的規制のままで日本の国際的責任が果たせるのかという批判もございます。しかし、自国のことのみに専念して他国を無視したがゆえにさきの大戦で世界の孤児になった日本が、それを反省して憲法の平和主義を選択したときも国際的枠組みが変容したときでありました。冷戦構造が生まれたのは憲法制定より後のことであります。世界の諸国民が平和を愛する諸国民であり、国際社会が平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めているがゆえに、日本はその歴史的反省も込めて、徹底した平和主義を当時選択いたしました。こうした憲法制定時の、憲法からする国際社会へのいわば思いというのは、イラクの侵略に直面した今日にこそむしろ妥当するところがありはしないかと思います。だといたしますと、日本がとるべき名誉ある地位は、軍事的コミットを排し、和平のためのイニシアチブに邁進することではなかろうかと私は考えております。
どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)