中山太郎の発言 (外務委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○中山国務大臣 日米関係をいわゆる安定した状況で確保していくということは、日本外交の基本的な姿勢でございます。そういう中で、ソ連の政治体制、経済体制が大変な大混乱に陥っているという中で、アメリカの国民は、この新しい国際社会を構築する中でアメリカの強いリーダーシップというものが新しい世紀を開く、自分たちの大きな努力が功を奏したという誇りを持っていると私は思います。特に、湾岸戦争における一方的なイラクのサダム・フセイン大統領の敗北というものが、国連軍が、国連が中心となった機能であったとはいえ、このアメリカの貢献というものは相当大きなアメリカ人に対する自信と誇りを持たせたと私は認識をしております。
そういう中で、ソ連が経済的にも軍事的にも非常に難しい状態にこれから変化していくという中で日本とアメリカの関係はどうなっていくのかということについて、私は、率直に申し上げて、一昨日の夜もクオモ・ニューヨーク州知事とゆっくり懇談をさせて。いただきました。
私はその席ではっきり申し上げた。我々は四十五年前にアメリカに戦争で敗北したんだ。そして、何もない国家、しかし我々に残されていたものは、七千万人の生き残った日本人が戦前に受けた教育の大きな影響があったと私は思っている。私は、はっきり申し上げて、クオモ知事に、百二十年前になりますか、明治維新当時に日本が新しい鎖国の窓を開くといったときに、明治天皇の政治というものが、日本の全国に義務教育制度で学校をつくり、国民に等しく教育を受けさせる、そして全国に鉄道を国が敷く、そういって日本の新しい体制というものを築き上げる貢献をされてきたということが、いわゆる敗戦に至るまでの日本の国民の教育水準を上げるために非常に大きな効果があったと私は考えておるということを申しました。
そして、その残った日本人がアメリカに指導された中で民主主義、自由主義経済というものを身につけて、アメリカがいろいろと技術を移転してきた。あるいは資金的にも支援をした。そういう中で日本人の自助努力で今日の経済大国になってきたと思う。私は、アメリカが持っていたかつてのすばらしいアメリカ、あるいは宗教に敬けんなアメリカ人、あるいは教育に熱心なアメリカというものがどこにいったのかということを大変憂慮をしている人間の一人だ。
これに対してクオモ知事がはっきり言われたことは、我々はみずからの努力でアメリカのすばらしい失ったものを取り返すことが必要だということを言っておられました。
私は、やはりこれからアメリカとの話し合いの中で、非常に日本とアメリカは入り込んだ、経済的にも関係が深くなっている。そういう中で、新しいグローバルパートナーシップとしてどのようにこの新しい世紀のために地球社会に貢献をしていくかということを両国が真剣に考えていく必要がある。それは、はっきり申し上げて、麻薬もアメリカにとっては大きな問題じゃないか。日本は麻薬問題でそんなに大きな悩みを持っていない。子供たちの問題も、いろいろな問題をアメリカは抱えている。そういった問題を私は率直に話し合いましたけれども、私は、太平洋戦争を開始した十二月八日というのはことしで五十年の記念すべき年を迎えているわけでありますが、それをいかに日米の双方が、新しい日米関係を未来に向かってつくり上げていく盟約関係をつくり上げるかということが大切である。
こういうことで私は、大統領の訪日の機会に、グローバルパートナーシップとしての日米関係を、世界に向かって、新しい世紀のために、地球社会のために、共同で宣言を発出するという機会であり、日米憲章の発出をすべき時期であるということをベーカー国務長官に申しまして、ベーカー長官も、全く異議はない、こういうことで、大統領の訪日される機会に新しい日米憲章を発出して世界に宣言をいたすべきであるというふうに考えております。