貴志八郎の発言 (建設委員会)
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○貴志委員 けさからちょっと勉強会がありまして東海大学の先生のお話を聞きまして、技術開発という面からアメリカと日本とのいろいろなやり方というふうなことをお話を聞きまして、なるほどと思って感心したのですが、アメリカの場合はトップダウン、要するに一つの問題、アイデアがあればこれでホームランを打つというふうなことを考える。日本の場合はそんな大きなことを考えずに、目の前の、じゃ、このマイクをどうすれば、その技術を利用すればどんなにいいものができるかという手近な問題から片づけていく。そういうふうなことで、オリンピックの当時に千八百万円かかったカメラが今十六万円でできる、日本で。その技術が今日の日本の経済発展をもたらしているんだというふうな意味のお話を聞きました。
いわばアメリカの場合は、アメリカと はしませんが、外国の場合、一つの問題、物をつくる場合に、注文をする。そうすると、メーカーはそれをつくるわけですが、動かない。そうすると、メーカーは設計者が悪いんだということで責任をなすり合って裁判に持ち込む場合がある、多い。日本の場合は、動かなかったら、何とかして、どれだけ損をしてでも受けた方のメーカーが動くようにする。そういうやり方は、外国の場合はいわばトップダウン方式であるし、日本の場合はボトムアップで、末端でいろいろ研究して目の前の使いやすい品物をたくさんつくってみて、コストを下げて、それから高いところの、ハイテクのいろいろなものをつくり出していく。いわゆるボトムアップだ。そんな話を聞きながら、日本の場合は経済はいわばボトムアップで成り立ってきたし、繁栄してきた。
政治の方は、その経済を引き上げてくるために一極集中で中央集権でやってきて、ある場面では非常に効果を発揮したということを私も認めます。しかし、交差をした以上は、そこからそれを抜け出た以上は、いつまでたってもトップダウンという方式にこだわらずに、ボトムアップに切りかえていくことができるかできないかというのが、近代国家に、これからの未来国家として脱皮できるかどうかというふうなことの境目ではないか、私はそんなふうな思いをするだけに、今申し上げたような、多少失礼に当たると思いながらでも、強く、そういった形骸化されてはならない地方分権というものに対するある意味では警鐘を打っておきたいということで、私は今の質問を申し上げたわけでございます。
さて、やや具体的なことになるわけでございますが、市町村で基本計画を立てるというふうな作業が、あるいは連合で策定をするという作業が行われるわけですが、そういったときに、その計画の情報の公開、それからそれを策定する、決定する段階において、住民の意思としての議会の議決、そういったものは、この法律の中でどのような形で予測をしておるのか、具体的にその問題についてぜひ確かめておいてもらいたいという注文も私の方に寄せられておる向きもありますので、この点については具体的にひとつお答えをいただきたいと思います。