萩野芳夫の発言 (法務委員会)
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○萩野参考人 私は、とりわけ一九七〇年代に入りましてから、いろいろな意味合いにおいて国際化が進んできたと思います。それは、国境の壁がだんだん低くなってきた、そういうふうな表現が可能かと思うのであります。したがいまして、そのことは国民と外国人とがだんだんと区別がなくなってきているという指摘もできる方向にある、そういうふうに認識はしております。
もう一言そのことについてつけ加えたいのは、そのような状況から、ある国の国籍を持つ人が国境の向こうで生活をするという事態が非常に多くなってきていると思います。そうして、何世代もの間、国境の向こうでもともとの国籍を持ち続けながら生活をするというのが、あちらでもこちらでも起こってきております。日本にもそれがあるわけでございますが、さてそのような実態を見てみますと、長年ある国で生活をしてきた外国人というのは、その国の国民と極めて近い立場に立つようになっている、そういう言い方ができるかと思うのであります。
しかしながら、根本的には他国、自分が住んでいる国ではない他国の国籍を選択するということは、他国に対して忠誠を誓うということを意味するわけであります。その辺ですぐ思い出されますのが、例の山崎豊子が書きました「二つの祖国」という、テレビ映画にもなりましたが、二つの祖国の間で、兄弟が戦争の場で撃ち合いをするという小説でございます。あの中に非常に深刻な形であらわれております。兄は日本で勉強をし、日本人だという意識を持つのですけれども、国籍はアメリカを選択しておりましたがためにアメリカの軍人として出陣をして、ついに日本人を撃つ。その撃った相手が自分の弟であったという、そういう出来事でございます。
私は、国籍を選択するというのはそれほどに、やはり国境が低くなったとはいえ非常に重要な問題として残され続けていくであろう、そう考えますと、国民と外国人との間に何がしかの違いがあり続けるということは、これは将来ともにどうも区別はなくならないのではないだろうかと考えます。