金敬得の発言 (法務委員会)
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○金参考人 金敬得でございます。
きょう、実は午前中、私は、自分の子供の入学式があったものでちょっとその入学式に少し顔を出してきて、午前の傍聴は見られませんでした。
私の子供、八王子市立の小学校に入ることになったわけですが、つらつら考えてみますに、私の父親は一九〇八年に生まれまして、当時は韓国の慶尚北道の片田舎の普通学校という日本の植民地支配下制度の、今流に言えば小学校ですが、その小学校で日本人教師から日本語によって日本教育を受けた。その父親が一九二七年に大阪に来まして、戦後私が生まれ、私はこれまた小学校から大学まで日本の教育、日本の学校で教育を受けました。それで、今回私の子供がこれまた同じく日本の学校で教育を受けるということになったわけでございます。
今回外国人登録ということで参考人としてお呼びいただいたわけですが、法律自体が外国人登録法となっておりますけれども、どうもこれは、私のように日本で生まれ育った人間にとっては、外国人ということ自体が私にとってはそれほど実感のあるものではないのですね。先ほどロバート・リケットさんが外国人というのは国に害を及ぼす人か、そういうふうにおっしゃいましたが、私自身は国に害を及ぼす人としての外国人としての実感がないというわけです。それは当然でございますけれども、日本の国に害を及ぼすなどという気はさらさらありませんので、それはもっともながら、この言葉そのものの国の外の人という意識が私にはそれほどないのですね。
というのは、私は日本で生まれ日本に育ち、要するに日本の国の中にあった、生まれたときから現在に至るまであった人間であるということ。それから、私の父親は韓国から来ておりますけれども、それはかつて日本国民であることを強要されて日本国民として日本の社会に来たという歴史的経緯を持っておる。そういう私が生まれ育った社会的実態と私の父あるいは母が韓国から来るに至った歴史的経緯から見まして、私が国の外の人という意識がどうも実感としてはない。
にもかかわらず、私どもは外国人登録という形で登録をされてきたわけですが、私などは、外国人登録というのは結局のところは朝鮮人登録である、韓国人登録である、そういう意識で育ってまいりました。これは、外国人登録が朝鮮人登録であるということが、外国人登録法の発足当時はまさに実態がそうであったわけでございますね。日本の外国人の登録対象者の九〇%以上が朝鮮人であった、実態自体もそうであった。そういう形で朝鮮人登録をされたのですが、私などは、登録をしておるころに、なぜこういう日本人と違った、日本人は住民基本台帳ですが、朝鮮人が朝鮮人登録をしなければいけないのかということについて、子供のころですから余り深く考える知恵もありませんので、幼少のころそれほど深く考えませんでしたが、私ども直観的に感じておりましたのは、これは朝鮮人であるから仕方がない、朝鮮人は差別されているのだからもうしようないじゃないかというあきらめに近い境地で、私は十四歳のときに指紋を押しましたが、私が指紋を押したときの境地もそういう境地でありました。
朝鮮人であるがゆえに差別されて仕方がないというのは、なぜこういうことになるかということでございますけれども、これを話しすれば非常に長うございますので一言言わせていただきますと、私がきょう子供の入学式にちょこっと顔を出したのも、最近問題になっております君が代・日の丸、それが入学と同時になされる。これは日本の学校の日本の教育でしょうから、日本の文部省がそう考えて指導要領でなさることですから私はつべこべ言おうという気はございませんが、しかし私が受けた教育は君が代・日の丸に始まって、小学校のときに例えば豊臣秀吉の朝鮮侵略、これは最近の教科書では朝鮮出兵ぐらいのところでとどまっておりますけれども、当時は朝鮮征伐というふうに書かれておったのですね。
私が小学校のときに受けた教育は、朝鮮侵略の話の前に必ず桃太郎の鬼退治の話が出るわけです。小学生に非常にわかりやすく先生が説明するつもりでそれは善意でやったことかもしれませんが、桃太郎が犬、猿、キジを連れて悪い鬼を退治に鬼ケ島に行って宝物をどっさり持って帰ってきた、豊臣秀吉が加藤清正を連れて朝鮮の悪いトラを退治し、悪い朝鮮人を退治してどっさり宝物を持って帰ってきた、こういう教え方ですね。それから、戦後解放されて朝鮮人の独立ということで非常に喜んだ、そういう戦後の混乱期に、朝鮮人はかって日本国民として我々は平等待遇をしてやったのに日本がアメリカに敗戦した途端に非常に威張りやがって、電車の中では座らしてもくれなかった、朝鮮人というのは本当に恩知らずだ、そういうことをとうとうと教室の中でやられた記憶があるわけです。日常茶飯事、学校では多勢に無勢でいじめられておるわけですから、これはどうも学校の先生は、形の上では人間皆平等だ、福沢諭吉の天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず、そういうことを言いながらみんな平等だと言うのですが、しかし日常殴られておる朝鮮人差別については一言も言及がないわけですね。それどころか、桃太郎の鬼退治それから朝鮮人は恩知らずだという話をとうとうとやられているわけですから、我々は肉体的に仲間から殴られるだけじゃなくて精神的に非常にこれは、我々儒教国で育った、そういう教育を家庭で受けておりますから、先生の言うことは絶対である、絶対に聞きなさい、その先生がそういうことを言うわけですから、ああ、これは朝鮮人は劣等が、これは差別されてしょうがないじゃないか、そういう意識で外国人登録をずっと甘受してきておった、こういう経緯があるわけです。
これは私自身、私個人のそういう体験じゃありませんでして、例えば私が八五年に指紋押捺拒否という形で弁護させていただいた李相鎬さんという方も指紋の押捺について法廷でこういう陳述をしているわけです。「「指紋を押させられるのはしかたがない」「お役所のやることには何があってもさからえないのだ」、そんな感じだったのです。まさに、あきらめきっているのです。私もそんな気持ちで指紋を押したのでした。怒りや屈辱感というよりも、敗北感、あきらめといった気持ちの方が強かったのです。」私と同世代にあるような指紋押捺拒否者が法廷で大体こういう趣旨の陳述をしております。
まさにそういう状態で、非常に腹にわだかまるものはあるけれども、それを言ったところで日本の社会、しょせん受け入れてくれるはずはないし、これは仕方ない、みずからがあきらめるしかない。差別する者とされる者の関係において、より非難されるべきは差別する側であるべきはずですが、事朝鮮人差別に関していえば、差別される側の朝鮮人が全部我慢してきた、こういう構造にあるわけですね。
こういう差別という形があるわけですが、では一体外国人登録法のどこが差別なんだということがいろいろ問題になろうかと思いますが、これはやはり大きく言って三つだと私は思います。
一つは、やはりこの指紋押捺に象徴されますようなプライバシーの侵害。例えば我々外国人については、職業あるいは勤務所、こういうものも登録事項の対象になっておって、こういうものを変更した場合に二週間以内に届け出ないと一年以下の懲役もしくは禁錮または二十万円以下の罰金、こういう刑罰法規に科せられておるわけですね。
それから、その外国人登録証は常時携帯しなければいかぬという形で、この常時携帯ということに関していえば、私は実は司法修習生のころ、東京都内のデパートを片っ端から歩き回った記憶があるのです。それは、外国人登録証というのは常時携帯義務がありますものですから、当時は手帳でございましたので、かなり大きな財布でなければこれは入らない。それで、胸のポケットに入れる財布であれば外国人登録証が入る大きさの財布は十分あったのですが、それだと夏、上着を脱いでいくとどうしたってこれは忘れていくということですね。そうしますとこれはまずいので、やはりズボンのポケットに入れられるようなものでなければいかぬ。そうしますと、あの外国人登録証という手帳が入る財布というのはそうなかったのです。私は東京都かの百貨店を探し回った記憶があります。その財布を今でも持っておりますが、そういうことに代表されるような常時携帯ですね。
それから、常時携帯や指紋押捺や、先ほど言いました変更登録等に違反した場合に科せられる制裁ですね、重罰規定。これは非常にやはり差別的といいますか日本の住民基本台帳法あるいは戸籍法と比べて、戸籍法や住民基本台帳法はいずれもこれは三万円以下だとか五千円とかの過料で、行政の過料で終わっているわけですが、それと比べて非常に均衡を失しておるということですね。ですから、私どもはこの外国人登録法は、これは第一条の目的が「外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資することを目的とする。」こうなっておりますが、言ってみれば民事行政法的な立法目的がある、私どもはこう読むわけですが、私どもの実感は、これは刑事警察的立法である、要するに刑事警察的立法の対象になる存在としての我々である、それが実感でございました。
もう亡くなりましたが、私の父親の口癖は、とにかく警察が怖い、警察が怖い、何かすると、おまえ、悪いことすると警察に行くぞ、こう言うわけですね、それは戦前の植民地支配の特高警察の思いがあるからでしょうが、必ずしも戦後もその意識が消えておらなかったというのは、やはり日常絶えず外国人登録法という形で監視されておったという意識がどうしても父親の方から抜け切らなかった、そういうことが私はあったと思うのです。
また、私にとってはその警察だけが怖いのではなくて、市役所というものが私にとっては非常に怖い存在でした。これは今から考えれば、市役所というのは行政サービスの窓口ですから市役所を怖がるなんということはちょっと常識では考えられないのですが、私なんかは市役所に行くというのは大体外国人登録に行くということですから、私が十四歳、中学二年のときに指紋押捺しておりますけれども、その当時は外国人が市役所に行く必要はないわけですね。というのは、国民健康保険の対象になっているわけではないし、住民行政サービスとしての市役所という役割は外国人にとっては必要なかったのですね。行くとすれば外国人登録のために行く。その外国人登録のために行くと、指紋をとられる。当時の役所の方々も非常に横柄だったですね。指紋を押すときに、とにかく黒々とした墨を塗られまして、終わった後あごでこっちをこうやるのですね、あごでこういう形を。何のことかよくわからないのですが、その隅を見るとわら半紙を切って置いてある。それで指をふけという意味なんですね。それなら口で言ってくれればいいのに、こうやるものだからさっぱりわからない。そういうような一事が万事の扱いで、市役所というものが非常に怖かったのです。
また、その怖いというのが、何も私の主観的な意図だけじゃなくて、当時やはり市役所と警察というのが、これは八〇年代の指紋押捺裁判で明らかになったことですが、絶えず警察は登録原票を市役所に行って自由に閲覧しておるという実態があったわけですから、これはやはり市役所と警察がつながっておった、そういう背景があったればこそ私どもはそれを非常に怖がったんだ、こういうことです。
そういう外国人登録法に対して、八〇年代に入りまして指紋押捺拒否という形で、朝鮮人の方がこれはおかしいじゃないかということをやっと声を上げるようになった。これはもちろん二世、三世の、もうこれ以上こういう屈辱的なものを我慢できないじゃないかという人権意識の高まりということも否定はできませんが、やはり我々がそういう声を上げれば日本社会がある程度聞き入れてくれるのじゃなかろうかという、日本の社会がその程度の範囲においては開かれたということと、国際社会自体がやはり日本のそういう閉鎖的な制度を許さないという、そういう三拍子がそろったといいますか、非常に象徴的ですが、国際人権規約が七九年に批准され、八一年に難民条約が批准されておりますが、そういうときと軌を一にして指紋押捺拒否という形で運動が盛り上がってくる、こういうことでございます。
それで十年、我々こういう指紋押捺制度をなくすのになぜ十年もかかるのか。その指紋押捺拒否ということが起こって、日本の社会、日本の方々は何で朝鮮人ががたがたやるのか、そういうお気持ちをお持ちになったかもしれませんが、十数年間指紋押捺拒否だなんだといって裁判をするしない、そういうことで非常にこうむった負担というものも、これは日本人の方々が朝鮮人は騒ぎ過ぎると言うこと以上に、我々騒いでいる方がもっとしんどいのですよ。そこのところを御理解いただきたいのですね。これは何も我々間違った闘いをしているわけではないのであって、誤った制度、日本の国際化のために合わない制度をなくそうとして我々やっているわけであって、我々は褒められこそすれ余り非難されることはないと思うのですが、やはり日本の方々と話をすると、もう少し静かにしていればいいのにとかなんとか、意識は進んではおるのですが、日本の国際社会の経済力あるいはそういう地位から見て非常におくれた意識があるのではないかというふうに私は思っております。しかし、やっと指紋押捺は廃止という、これは非常に不十分でございますけれども、一応永住者については廃止ということになったわけです。今回そういうふうな法案が出ておるわけですが、私は今回の改正案につきましてやはり若干問題点を指摘せざるを得ないわけです。
というのは、やはり一番大きな問題は、今回永住権者からは指紋をとらないことになったわけですが、なぜ一年以上の外国人に対しては指紋を存続しなければいけないのか。前回の八七年の改正のときも、法務省の役人の方々は口を酸っぱくして、指紋押捺制度は永住外国人にこそ必要なんだということを強調して余りあったわけですね。それが今回は永住外国人からは要らなくなったということですね。それで一年以下の在留外国人はこれまた指紋押捺義務はないわけですから、なぜ一年以上の人々だけをとるのかというここのところの説明が、どうも私の聞くところ、この前も傍聴いたしましたけれども、明快な論理が出てこない。これはやはり私は、言ってみれば今に至るもその明快な論理が出てこないというのは、これはもともと一年以上だけを残すという根拠がないのです。それであればぜひ今回の国会ですべての外国人から撤廃というふうにやっていただきたい、そういうふうに思うわけです。
特にこの外国人登録法は、従前我々は、外国人イコール朝鮮人だ、そういう意識で朝鮮人登録法で朝鮮人を敵視し排外し、そういう思想のあらわれじゃないか。そういう日本人の意識、思想、そういうもの自体を変えようじゃないかという形でこういう運動をしてきたわけですが、どうも今回の改正自体は、朝鮮人はそういう対象から一応指紋の範囲では外そう、しかし日本人のそういう外国人に対する敵視・排外思想そのもの自体がまだまだ是正されるに至っていない。だから、本質的なところから変わってない。
といいますのは、今は外国人登録はもう既に、当時、外国人登録の発足時代と違いまして外国人登録の対象者のうちで朝鮮人が占めるのが六三%と非常に低下しておるわけですね。この資料についております。それのみならず、この資料にあります平成二年度の指紋押捺者の総合計が十五万ぐらいありますが、結局今回の法案の改正によって指紋押捺がなくなるのは、この確認申請の二万のうち、恐らく朝鮮人、永住権者の数というのは出生児から見て一万いないと思いますね。そういう人が外されるだけで、言ってみれば、結局パーセンテージからいえば六、七%じゃないか。それが外されて、結局は外国人登録法の指紋制度は厳然として残る。外国人を敵視、排外して指紋で管理していくというその考え自体は相変わらず残っていくということですね。
私は、こういう日本の指紋による同一性の確認と言ってみたところで余り根拠がないのですね。それは同一性の確認のために指紋があればそれほど確実なものはないでしょう。しかし、そういうことで言えば日本人だって同じなんです。日本人と永住外国人を区別する根拠もなければ、永住外国人と一年以上の外国人を区別する根拠もない、一年以下の外国人を区別する根拠もないはずなんですね。それを同一性の確認だという形でずっと持ってくるということ自体が非常に無理がある。こういう論理は恐らく世界に通用しないと私は思いますね。もっとストレートに、例えばこれは警察目的のためにやるんだとかストレートに言ってしまえば別ですが、しかし、日本の外国人登録法というのは、立法目的は刑事警察規制が目的とはなってないわけですから、この外国人登録をもってそういうものに代替していくということは、これはもう私は憲法違反だ、そういうふうに思っておるのですね。
これが警察目的であるということは、一九五一年の五月二十五日にこの衆議院の行政監察特別委員会というところで、当時の古屋警視庁刑事部長がそれは明言しておるわけですね。こういうふうに言っておりますね。「警察側の意見といたしましては、犯罪の防止その他で指紋採取を必要とするという意見でございます。」「制度的に指紋ということはぜひやりたい、そういうことが制度化されれば非常に便利であると思います。」要するに、これは警察目的であったということですね。そういう警察目的であることを、同一性の確認だ云々だという非常に無理な論理を今まで通してきた。その結果が今現在ここにある。なおかつ今後もそういう無理な論理を通していかなきゃいかぬということは、これは私は恐らく国際社会に通用しないと思います。だから、こういうことであれば私は速やかに直す方がいいんじゃないかと、日本に住んでおる一住民として本当に日本のためにそう思っておるのでございます。
それから、今回こういう一年以上という形だけで存続する根拠の余りない法案が通過しますと、外国人と日本国民との間の差別だけじゃなくて、今度は外国人の間にも差別を設けるということになってくるわけでございまして、どうも日本という国は身分登録を初めそういうことに対して非常に精密な国で非常にきめが細かい。日本人というのは本当に単一民族か何かあれで非常にきめが細かいのですが、余りきめの細かいのをその刑事刑罰規定からがんじがらめにしていくというのは、そういう余り窮屈な社会の組み立て方というのは、これはもう基本的に考えを変えていただいてよろしいんじゃないかと私は思うのですね。そういう意味でぜひ指紋はこの際全廃していただきたい。これは全廃しないと、恐らく今後は欧米の方々からの外圧でもう遠からずして廃止せざるを得なくなる方向に追い込まれると私は思います。そういうことになるようなことをするのではなくて、みずからが進んで、日本はこれだけの社会になったという形を内外に示すことが日本にとっての本当の利益じゃないか、私は真実そういうふうに思うわけでございます。
それから、もう少し細かな問題に入っていきますと、今回、指紋にかわって署名という制度が出てきたわけですが、従前法務省の方から言われておりましたのは、指紋は同一性の確認だ、署名と家族事項の登録というのは同一性の確認のために代替手段として導入したんだ、そういう論理でございますが、この論理を追求するのであれば、その論理で代替手段としてなさったというのであれば、この署名あるいは家族事項の登録というのは、要するにこれから改正法施行後に指紋を押さなくてもよくなった人々に対してのみ適用すればいいはずであって、例えば私のようにもう既に、指紋を何回押したか記憶にありませんが、随分押してきた人間で同一性確認は指紋によって確定されている人間になぜ署名と家族登録を求めるのか。仮にその論理を一貫すれば、署名と家族登録をかって指紋を押した人間からもとるということであれば、かってとられた指紋はすべて消却、仮にコンピューターに入っているとすればそのコンピューターの磁気も全部消却してしまわないと、署名なり家族登録事項を既に指紋を押して同一性確認がされておる人間からとるということが論理的に説明できないんじゃないか、私はそういうふうに思うわけですね。だから、改正法の中でもそういう問題点はあるということです。
それからもう一つ、今回家族登録という形で家族登録がされるわけですが、ここでどうしても考えていただきたいのは、家族登録をすること自体、そのことよりも、我々本人も外国人登録原票の開示を要求できないシステムになっておるということなんですね。なぜ自分の登録事項を、自分がその原票を確認できないのか。要するに、自分らの身分確認あるいは行政サービスのための根拠として、それは本人自身が見られなければ、間違った登録をされているのかどうかわからないわけですが、しかしそこはさせない。これは要するに刑事警察的規制立法目的、そのための登録であるという考えが如実に出ているわけですね。しかし、これはやはり変えていっていただかないと、例えば家族登録をするのであれば、その家族がどこかにいなくなった、捜したい、捜したいときに家族の住所を教えてくれ、こういうときに、今のシステムではこれは本人が市役所なり法務省に行っても教えてくれないシステムになっているのですよ。
それで、現在実務ではどうしているかといいますと、民間人として唯一できるのは弁護士会長ですね。ですから、我々個人が弁護士会長に照会を求めて、それで法務省に照会を出して、法務省から答えが返ってくる、それでやっと、あなたの御主人は実はここに外国人登録していますよということがわかるというシステムなんですね。これはやはり非常に不便。その根本のところには、外国人登録原票を本人にも見せない、知らせないというそういう秘密主義、要するに刑事警察の目的のために国だけがそれを持っていればいいんだという、あなたがたのためには何ら便宜の用に供しないというそういう考え自体を改めてほしいと思うのですね。家族登録制度を導入するかどうかについてもいろいろ問題点はありますが、少なくとも家族登録制度を導入するのであれば、では、その家族がどこにいるかということを本人が知りたいとなればそれを教えるぐらいの情報開示制度は設けていただきたい、私はそういうふうに思うわけでございます。
ちょっと長くなりましたので、この程度で終わらせていただきます。(拍手)