平野貞夫の発言 (法務委員会)
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○平野貞夫君 商法の改正でございますので余りこのことを取り上げるわけにもいきませんですが、率直に言いまして、やっぱり政治改革に消極的な政治家もたくさんいらっしゃいます。
そこで、今なぜ政治改革が必要かということについては今さらここで論じるつもりはございませんが、余り論議されていない点について、これも御所見いただければ大変ありがたいと思います。
第一は、歴史の教訓でございます。
平成の現在が昭和の初期に非常によく似ていると言われております。昭和の初め、御承知のように政党や政治家の不祥事が続発して議会政治が国民の信頼を失いました。ちょうど不況、農村の困窮、それから国際情勢の緊迫、昭和六年には満州事変が起こるわけでございます。
このとき議会、政党側は何もしていなかったかといいますとそうではございませんで、一生懸命やっぱり国民の不信を払拭して、それに対応して信頼を回復するために努力が続けられたわけでございます。
このときの中心人物は衆議院の秋田清議長さん、徳島県出身の政治家でございます。大変高潔な裁判官で、戦前も戦後も徳島県から出られておる政治家の方が非常に政治改革に御熱心だということは私は非常に歴史の因果を感じるんですが、この秋田清議長が中心になって議会振粛委員会というのをつくったわけです。そして議会振粛要綱というのを決めまして、議長の地位、権限の向上とか、会期の確保とか、常置委員会の設置とか、議会の近代化、効率化、地位の向上をやろうとするわけです。あわせて、衆議院議員選挙法の改正案を昭和八年にまとめます。この内容は、自書式単記総合比例代表制というものの導入だったそうでございます。そして選挙の公営や連座制、罰則の強化、こういったことで政友会と民政党の話がつくわけでございます。普通選挙法が大正十四年にできまして、もう二度ぐらいの選挙で中選挙区制の限界、欠陥がわかっていたわけでございます。
こういう政治改革をやろうとしたわけでございますが、何と今日の情勢、内容とそっくりでございます。政党側は大変努力したようでございますが、議会改革は貴族院がつぶしたそうでございます。それから選挙制度の改革は、内務省も非常にこれに協力して原案をつくって、法制審議会も通ったそうでございますが、枢密院が昭和九年につぶしたそうでございます。昭和初期の政治改革はこういうふうにして失敗しました。そして、昭和十年に入りまして議会は戦時体制に組み込まれて、政党政治は崩壊していくわけでございます。
この昭和の初期にやろうとした政治改革がもし成功していたならば、我が国はあのような悲劇を回避できたかもしれません。平成の今やろうとしている抜本的政治改革がもしこの国会で実現できなかったとすれば、我が国は再びいつか来た道へ返る可能性もあると思います。
今日、手練手管で政治改革を引き延ばし、つぶそうとしているのは貴族院でも枢密院でもないわけです。報道の伝えるところによれば、功成り名を遂げた一部の指導的立場の政党人だということです。仮にそうだとすれば、私はこの人たちの歴史観と国家社会観を疑います。自民党をつくり育て、社会党をつくり育て、今日の日本を築いた方たち、私は草葉の陰で嘆いていると思います。
戦前の軍事国家で大変御苦労された体験を持つ後藤田副総理、この歴史の教訓をどのようにお考えになるか、お聞かせいただければありがたいなと思います。