野中広務の発言 (予算委員会)
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○野中委員 細川新政権が自民党にかわる政権として発足いたしたわけでございますから、温かく見守ってやれ、一生懸命努力しているじゃないか、こういう中から、自民党はいたずらにあげつらうことなく、そういう意地悪な態度や質問をするな、こういう意見を聞くわけでありますけれども、そもそも土井議長が選出をされました際のあの本会議場の状況などから考えてみますと、現在の連立与党の一部が野党の際に行ってこられた本会議場の態度から見ますと、全く、マスコミは殊さら自民党を悪役に仕立て上げるような、そういう舞台づくりでスタートしてきたと思うのであります。
今日、政治の舞台がそのまま茶の間に入り、そしてメディアを通じて政治が残念ながらドラマ化して国民に報道をされておる昨今でありますから、可憐な少女のようにひたむきに努力をしておられる細川さんに対して、年寄りの私どもが寄ってたかって意地悪な質問をするように受け取られるかもわかりませんけれども、外交、防衛あるいはエネルギー等の基本政策はもちろんでありますけれども、牛歩戦術をやってみたり、あるいはやめもしないのに議員辞職を提出してみたりしたそういう政党が、政治改革の看板のもとに、まあ一夜にして政権を取ってかわると、ころっと態度が変わるというような状況でございますので、私どもとしても、国家の運命に関する問題でございますからやや厳しい質問になろうと考えますが、あらかじめよろしくお願いをしておきたいと存じます。
さて、総理、連日しつこいようでありますけれども、総理の侵略戦争発言について、私は戦中戦後を生きてきた一人の人間として、怒りを込めて質問をしたいと思うのであります。
戦争は確かに悪であります。人間が人間を殺し合うことは、どんな理由をつけても正当化することができません。
私はこの間、若い人と話をしておりまして、実は愕然としました。戦争の話をしておったら、若い世代の人は、あの五十年前の戦争を考えるのじゃなしに、湾岸戦争を考えているのです。そして万博の話をしておったら、あの大阪・千里で開かれた昭和四十五年の万国博覧会を語るのじゃなしに、数年前大阪で開かれた花と緑の博覧会を語るわけであります。そこに私どもにはもう大変な段差があるということを知って、愕然としました。
そういう歴史的な段差、これは逆に言うと、歴史の重みを感ずるわけでございますし、歴史の検証を怠ってはならないというそういう気持ちを私はひたむきに感じたのであります。
すなわち、私もあと一カ月か二カ月戦争が続いておったら、恐らくこの場所に立っておることはなかったと思います。そう思いますと、一国の総理であるあなたの発言というのはまことに重大な意味を持っておるのでありまして、総理は橋本龍太郎委員の侵略戦争の質問に対しまして、一つは、どこで線を引くか、あるいはお互いよく胸に手を当ててみればわかると思う、あるいは今の政治家がみずからの言葉で言うべきである、以上のような答弁を聞いたのでありますが、一人の政治家の発言なら、それも一つの考えでありましょう。先ほど、何か自衛隊の違憲問題について、一人の政治家という表現があったように思うのでございますけれども、私は、一人の人間が生きていく上で、その父や祖父やあるいは兄弟縁者等がどんな生き方をしていこうと、その人には関係のないことであります。しかし、あなたは日本国の総理であります。そして、あなたの発言が国家の運命を左右するわけであります。それだけに、総理の場合は私は別だと思うのであります。
今さら極東裁判を問い、あるいは私は、その他今まで論議をされた側面を聞こうとは思いません。ただ、歴史は多面体であります。したがいまして、あらゆる角度からの検証が必要であり、しかも、先ほども私は若い人との話を例として引きましたように、五十年、六十年前のあの異常な事態の、異常な時代における異常な出来事を、今日半世紀もたった後において、平和な今日、その困難な時代に生きた人間が少なくなっていき、そして、戦争を知らない世代が非常に大多数になったとき、あなたの発言は、その若い人たち、戦争を知らない世代にはさわやかに、かっこよく聞こえるかもわかりません。
そして、世界の、またそれぞれいらだちを持っておった人たち、あるいは日本の今日の繁栄に少なからず多くの問題やまたいらだちを持っておった人にはかっこよくさわやかに聞けるかもわかりませんけれども、先ほど申し上げたように、もう一カ月か二カ月戦争が延びておったら死んでいっただろう、すなわち、我々は戦争で死ぬために生まれてきた世代であります。私は、総理に「きけわだつみのこえ」をもう一度読み直してほしいと思うのであります。
そして、多くの将来優秀なあの青年たちが一銭五厘のはがきで戦地に引っ張られていきました。そして、その人たちは自分が侵略戦争にかかわっているなど考えもしなかったのであります。この人たちを送り出した父母や兄弟や、そして妻や子供たちは悲壮な思いで送り出していったのであります。そして、彼らは、祖国のためにあるいは大東亜共栄圏のために自分は働くんだ、死ぬんだ、そういうひたむきな心であの戦いに散華していったのであります。
私は、そう思いますときに、先日来総理は再々、特定できない多くの国の多くの人々に御迷惑をかけたという表現を使われました。しかし、それと同時に、一体日本ではだれが総理の言う侵略戦争のこの道を歩む手だてをしたのか、だれがこの道を歩ませたのか。そして、今申し上げましたように、一銭五厘のはがきであたら有為な若人たちが外地に行き、何百万人の人が外地で辛苦をなめ、三百万人の多くの人たちが戦死をしていきました。国内においても、恐るべきあの原子爆弾が広島、長崎に落ち、そして空襲で生命財産を失った人たちは何百万、何千万に匹敵すると思うし、その傷跡は今も残っておるのでございます。この人たちの犠牲は一体何だったんですか。私はそこへ思いを至らせ、戦争への恐ろしい道を歩ませた歴史の検証をしていただきたいと思うのであります。
そうした場合、甚だ失礼でありますけれども、あなたの祖父近衛文麿氏のほか、限定された日本の軍部を中心とする指導者たちの行為によって、二・二六事件以後、一九三七年六月、軍部を抑えることの最後の切り札として、あなたの祖父近衛文麿氏は第一次近衛内閣を組織をされたのであります。そしてその翌月、七月七日、北京郊外における盧溝橋の一発は、ついに悲惨な戦争へと発展をしていったのであります。
この経過を考えますときに、私は、もう一度あなたに歴史の検証をしていただきたい。そして、国家総動員体制は第一次近衛内閣のもとで行われ、一九四〇年、第二次近衛内閣のもとでは、九月には仏領インドシナに進駐をし、そして十月にはすべての政党を解体して、今の連合政権じゃありませんけれども、大政翼賛会が発足して、近衛文麿氏は総裁に就任をされたのであります。さらに四一年、第三次近衛内閣が発足し、三カ月後に東條内閣が発足をして、十二月八日、御承知のように太平洋戦争へとその道を歩み、破綻の道を歩んだのであります。
侵略戦争であったと言われるならば、息子を失った父母は今ほとんど亡くなっていきました。今、父の顔を知らない戦争遺児や戦災で家族を失った孤児たちも五十歳を数える年齢になってまいりました。あるいは、柱とも頼む夫を失った未亡人も八十歳前後となってまいりした。どうぞ、あなたはこの人たちにみずから謝罪をされるべきであります。
まず、総理に、その私の申し上げた歴史観について、この人たちに謝罪をされるべきであるということについてお伺いをしたいと思います。