土肥隆一の発言 (厚生委員会)
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○土肥委員 きょうは四人の方々、わさわざ私どものために時間を割いていただきまして、心からお礼を申し上げます。
私は社会党に所属しておりますが、複雑な思いで皆さんの前に立っております。社会党の被爆者基本法に関する運動というのはもう既に二十年にわたる歴史がございまして、参議院で二回通過させる、しかし衆議院で廃案になる、前回は衆議院まで法案を持ち込んだのでありますけれども廃案になりました。そして、村山連立政権ができまして、今回のこの法律の制定に向けて、本当に何と表現したらいいのでしょうか、通常、政治家は苦渋の選択と言うのですけれども、これで今後の日本の運命が決まるのではないかと思うような思いもしながら現在の時点まで歩んでまいりました。
ちょうど来年は戦後五十年、そして戦後五十年問題プロジェクトというのもつくられておりまして、やはりこれは一つのけじめでありますから、あるいはけじめというよりは区切りでありますから、いい仕事をしたい。この戦後五十年間平和を享受し得た日本、近代国家で五十年平和を保つというのは非常に難しいわけでございますけれども、そしてその平和を支えた大きな一つの柱は、やはり広島、長崎の皆さんの忍耐強い、そして熱心な非核の運動、そして平和の運動があったからだ、私はそれは本当にそのとおりだと思うわけでございます。もし皆さんの運動がなかったら、本当にこの五十年間平和に暮らせたかどうかということがわかりません。
さて、それでは今後五十年どうするか。私は、今後の五十年も平和でありたい、このように思うわけであります。そうした中で、五十年問題プロジェクトがつくられ、そこでいろいろな議論がされておりますけれども、そのちょうど一年前、この被爆者援護法の取り扱いが問題になってきたわけです。
社会党は、一貫して国家補償の見地、国家補償の精神に基づきということを言い続けてきたわけでありますから、これは今回の法案の生命線に当たるわけですね。何で変心したんだと言われますと、いろいろ言いわけはもうしたくございません。最初は、昭和四十四年の葬祭料の法律ができて以来のことも考え、その以前の皆さんにどう葬祭料をお渡しできるか、弔慰金と言ってもいいのですけれども、私は葬祭料というふうに呼んでおりますが、葬祭料をお渡しできるかということが最大の関心で始まりました。しかし、法案をどんどん練り上げてまいりますと、これはただならぬ法案を我々は今つくっているんだということになりまして、今日、与野党は今もこれをどうまとめるかということで悩んでおります。
私どもは、自社さの政権の中でこの法案を通したいという決意をいたしました。したがいまして、三党の合意を得なければいけませんので、もうこれはやめてしまえ、こんな国家補償が入らないような法案はやめた方がいい、後に引き延ばしたらどうだという意見もございましたけれども、私どもはここで、どんなおしかりを受けても区切りをつけたいという決意でこの法案を提出した次第でございます。
そこで、私の関心は、もう一度四人の皆さんに、こういうことを言うのも失礼かと思いますが、この法案は、先ほど伊藤さんはこんな内容だったら飛ばしてくれという話でございますが、それじゃ伊藤さん以外の三人の方に、どうでしょうか、これから一日半ぐらいしかないのですが、詰めていかなければなりませんが、国の責任、国家補償、これは絶対的な条件というふうに受け取ってようございますでしょうか。重松陳述人の方からお願いいたします。