野村二郎の発言 (法務委員会)

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○野村参考人 野村でございます。
 私、朝日新聞で司法記者をやっておりまして、定年で退職した後も引き続き検察庁の取材をしております。その経験の上に立って申し上げたいと思います。私、大体趣旨を書いておきましたので、それに従って申し上げたいと思います。
 検察の暴力事件が相次ぎまして、一連の事件につきまして、検察は、組織的なものではない、個人の資質の問題だというふうに終始説明されています。そのとおりだと思います。検察が暴力事件を見逃すほどいいかげんな機関ではないと思いますし、それほど乱暴な組織ではないというふうに思います。
 ただしかし、組織の運用という点を見ますと、手抜かりとか、あるいは欠陥があったというふうに思います。これは昔の検察、昔と言いましても二十年ぐらい前になりますけれども、当時の検察と現在の検察とを比較すれば比較的明らかになるのではないかと思います。
 私が司法記者として取材しておりましたときは、元大臣とか経済界の人が逮捕されたというふうなことがありましたけれども、釈放されて、その人たちに取り調べの内容はどうであったかということを聞きますと、極めて紳士的であったというふうな答えが返ってきました。釈放されているわけですから、そういう人たちは検察に別にお世辞を言う必要はないわけです。にもかかわらず、そういうふうな話を記者団の前で話すということは、かなり公正な捜査、取り調べが行われていたのではないかというふうに私は思いました。この点は弁護士から裏づけの取材をしてもそのとおりであって、その当時は極めてフェアな取り調べが行われたというふうな感じを持ったことがあります。
 なぜ、そういうふうな紳士的な取り調べが行われたのかと申しますと、戦後の数々の経済事件、それから政界の汚職事件、公安事件を含めてですけれども、無罪になった事件がたくさんあります。そういう無罪になった事件に対して、私が取材していたころの検事たちは、検察の恥だというふうな考え、私たちは決して、私たち、検事自身ですけれども、私たちは決してそういうふうな誤りは犯してはいけない、きちんとした手順を踏んで、きちんとした事件を起訴し、起訴するからには有罪認定を受ける、そういうふうな捜査をするべきだというふうに自覚していたからだと思います。
 当時、確かに一部の人で大声を上げて取り調べる検事がいました。これはいましたということがわかるのは、その当時、私は検事たちの取り調べ室に、出入りは禁止されていましたけれども、取り調べが始まる前とか夜になってからひそかに入って雑談をする機会があるわけです。雑談をしていると、ほかの検事が大声を上げているというふうなことを何回か聞いたことがあります。そういうふうなことがありましたけれども、第一線の検事たちはあの人には困ったなというふうな話をしておりました。そのうちに、その検事はどこかに配置がえになっていなくなったというふうなことがあります。
 当時の検察庁の指揮官クラスの人には、自白をとらないとかなりひどい調子で検事にハッパをかけるというふうな雰囲気があったことは事実であります。しかし、そうではあっても、一線の検事たちはやはりきちんとした取り調べをするというふうな雰囲気があったと思います。そういうふうな雰囲気があったことで、被疑者や参考人から尊敬あるいは信頼されるというふうな雰囲気ができて、それがその後の有罪に結びつく綿密な捜査をすることに連動したのではないかというふうに思います。
 そういうふうな過去があるわけですけれども、では、なぜ、今回一連の事件が起きたのか、一連の暴力事件が相次いだのかということを、これは私の推測と、それから断片的な事実を総合して申し上げたいと思いますけれども、これは本来は法務・検察当局が当然調査しなければならない課題でありますけれども、あえて私は申し上げれば、一つは検事の経験不足があったのではないかというふうに思います。経験不足というのは、事件の摘発に波があったということであります。
 日通事件からロッキード事件というのがありました。日本通運事件からロッキード事件を摘発するまで、約八年間のブランクがあります。それから、ロッキード事件からその後の撚糸工連事件までも、これは十年間のブランクがあります。その後、リクルート事件というふうな事件が摘発されておりますけれども、これはすべて検察が独自に捜査したものではなく、マスコミが先行して、捜査を開始したという経過があります。こういうふうな捜査のブランク、つまり検事の取り調べの経験というものが不足した結果、取り調べに自信が持てないのではないか、焦りがあったのではないかというふうな気が私はしております。
 それから、検事の不正に対する認識の度合いがあると思います。検事たちは、私が現場で取材していましたころは、やはり我々は正義のため事件を摘発するのだということを言っておりましたけれども、そうした中で適正な手順を踏むのだという意識があったわけですけれども、先ほどお話ししましたような大声を上げるような検事を直ちに配置がえするというふうなことが行われていたわけです。そういうふうなことが行われれば、暴力検事などが出るはずがないと思います。しかし、にもかかわらず、暴力検事が出たということは、我々は正義のために事件を摘発するのだ、部内の多少の気まずいことは余り口に出すのはよそう、そういうふうな雰囲気があったのではないかというふうに思います。
 暴力を振るうというふうなことは、わからないはずはないと思います。検事の世界というのは案外情報の世界で、だれが何をやり、だれがどういうふうな考えを持っているのかということは、大体検事同士がわかっているような雰囲気があります。そういうふうなところで暴力検事が出るということは、暴力を振るうような事態になれば大声は出るでしょうし、物音がするはずです。そういうふうなことが検察部内でわからないはずはないと思います。わからないはずがないにもかかわらず、そうしたことが放置され、相次いで三件も暴力事件が起きたということは、そういうものに対して、検事のいわば仲間意識、先ほど申し上げましたように、多少都合の悪いことはもう目をつぶってしまおう、見て見ぬふりをしよう、そういうふうな雰囲気があったからではないかというふうに私は考えております。
 それからもう一つは、これは検事の舞い上がりというか、思い上がりというか、そういうふうなものがあったのではないかというふうな感じがいたします。確かに、検事たちは正義のため、政界の腐敗を摘発するという仕事をしているわけです。しかも捜査というのは、これは検事の話ですけれども、とにかく真剣勝負であるというふうなことがあります。そうした中で、捜査が進展しますと、それこそマスコミも全世論もすべてが検事の応援団化するような傾向があります。そういうふうな雰囲気になってきますと、高揚した気分になるのではないかというふうに思います。
 高揚した一つの例を申し上げますと、新聞記者との記者会見がありますけれども、その記者会見で、おまえ呼ばわりをしながら新聞記者たちと会見するというふうなことが伝えられております。おまえ呼ばわりというのは、極めて仲のいい間柄ならばいいわけで、別に問題にすることはありませんけれども、そうしたおまえ呼ばわりをするような、それが極めて公式的な会見の席上でそういうふうな非礼かつ思い上がった言い方をするというふうな雰囲気が検察内部に充満していたのではないかというふうに思います。こういうふうなことから考えますと、やはり正義というものと、正義に対する認識、それから使命感、そういうものに対する認識にやや誤りがあったのではないかというふうに私は考えております。
 そういうふうなことを踏まえて、さらに批判的な意見を申し述べたいと思いますけれども、汚職事件を摘発するということは大変重要なことであります。しかし、摘発に意義があるのではなくて、裁判で有罪を獲得するというのが法律家である検事の務めであります。最近は、撚糸工連事件で二審で無罪判決が出ております。それから、リクルート事件では一審で無罪判決が出ております。派生的事件で無罪が出るということは往々にしてあり得ることですけれども、中心的な事件で無罪が出るということは、検事にとって極めてゆゆしき事態だと受けとめるべきだと思います。
 戦後の非常に乱暴な取り調べをして、乱暴と言うとちょっと語弊がありますけれども、かなりずさんな捜査をしていた戦後の時代と違いまして、綿密な捜査、特に人権を考えながら捜査を完結するということが検察の使命である現在で無罪判決が出るということは、検察にとって大変な痛手であるに違いないと思いますし、そういうふうなことに対して、厳しくみずからを見詰める必要があるのではないかというふうに思います。もちろん、この二つの事件は上級審で係争中でありますから、最終的に結論が出ておりません。あるいは、逆転して有罪になるということもあり得ると思います。けれども、一たんは裁判所、裁判官を説得することができなかった、捜査の結果が失敗したという事実が示されているわけです。
 そういうふうなことを考えますと、検察は今ここで自分たちのあり方というものに対して真剣に見詰め直す必要があるのではないかと思います。検察の存在感というのは、威信と国民間の信頼にあると思います。検察の威信、信頼というものは、ただ事件を摘発するということではなく、きちんとした適正な手続に従って法律家としての職分を全うすることだというふうに思います。(拍手)

発言情報

speech_id: 113105206X00419941129_006

発言者: 野村二郎

speaker_id: 14762

日付: 1994-11-29

院: 衆議院

会議名: 法務委員会