村上清の発言 (厚生委員会)
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○参考人(村上清君) おはようございます。村上でございます。
きょうは、三つの点について意見を申し上げたいと思います。
まず、第一は給付の面でございます。
今回、特に六十五歳問題が論議の焦点になりました。ちょうどここに一年前の雑誌の記事がございます。読んでみますと、当時のプロジェクトチームが「六十歳から六十五歳までの対応策のパターン八通り(年金評論家 村上清氏の私案)」を参考にして検討したと書いてございます。年金評論家村上清というのは私のことのようでございます。どうも大変光栄でございますし、当時のプロジェクトチームの方にはありがとうございますと申し上げます。
出てきた案を見ますと、私の書いた八通りの中に入っておりました。別に優先順位はつけておりませんからなんでございますけれども、しかし私が書いたものの中に出ている以上だめだと言うわけにまいりませんので、結構でございます、賛成でございますと給付の面については申し上げます。ただ、若干のコメントをしたいと思うんです。
今回の改正では、六十から六十五歳の問は定額部分はなくなる、ただし六十五歳からの年金を繰り上げて六十からもらうこともできる。減額率は今は五八%ですが、将来は合理的な率に見直すというふうに言われておりました。その合理的な率というのは私の計算では七〇%でございますし、国際的にもこれがまあ妥当な水準だとされております。
仮に定額と比例部分を五対五といたします。そこで、定額部分を六十歳から繰り上げてもらいますと、六十からの年金は一〇〇が八五になる。つまり一五%のダウンになるわけですね。従来から厚生省の説明では、年金の水準は男子の月給の六九%と言われておりました。現役にはいろんな諸控除があります。社会保険料だけでも一二%ぐらいが引かれておりますね。税金を五%といたしますと手取りは八三%でございます。一方、年金はほぼ手取りでございます。現役にはほかにボーナスがありますが、これは住宅ローンとか教育費に消えてしまうものだと思います。
そこで、ネットの収入、つまり手取りで比較いたしますと、現役とそれから年金は八三対六九。これはわかりにくい数字ですので、同じことを別の率で言いますと一〇〇村八三、あるいは年金を一〇〇にすると現役は二一〇、または五五対四五という率に直しても同じことだと思います。
以前の世の中は家族内扶養でございまして、仮に私が五十万円の月給を稼いでいた、そのうち二十万円をおやじとおふくろに仕送りをいたしまして私の家族は三十万円で暮らしたとすると、多分あいつは親孝行だと言ってくれると思うんです。これは六〇対四〇でございます。今の率は五五対四五なんですね。どっちがきついでしょうか。若い人がそれだけ身を削っているということになるんじゃないでしょうか。今度、六十からもらった場合一五%ダウンだと申し上げました。一五%ダウンにしますと大体三対二ぐらいになるんです。つまり、親孝行の数字になるわけなんです。これが妥当な水準じゃないでしょうか。
日本は自由社会でございます。老後の準備を全部国に頼るというのはおかしな話でございまして、これは連合さんがおつくりになった資料でも、一階、二階、三階、つまり国の年金、退職金、個人貯蓄、この三つを積み上げるんだと書いてあるわけでございますから、基礎的な部分を保障するわけでございますね。とすると、今度の改正は、六十五歳にしたというよりも給付の水準を社会保障としてあるべき妥当な姿にした、そう考えた方がわかりやすいんじゃないかと思うんです。
そうすると、確かに国の年金だけで豊かな暮らしというのができるわけはございませんから多少の努力をするのは当たり前のことでございますけれども、それをするならば六十歳で引退ができる。六十歳から六十五歳はそれぞれの人が自分の選択で働きたい人は働いていただく。あるいはもっと別の、収入はなくても社会のために役立つことをしたい人もいるし、あるいは自分のやりたい趣味、たった一度の人生てだった一人の自分でございますから、やりたいことをやって、そして自分は幸せだったなと思えるそういう生涯を送ることができるようにしていいんじゃないだろうか。
厚生省の案ですと、六十から六十五の問は就労プラス年金となっております。それ以前は就労で、六十五以後は年金と。私は、政府が国民の生活をパターン化するというのは好きじゃないんです。つまり、選択とか自由とか独立というのがあるのが自由社会の原則だと思います。これは今、世界共通の傾向です。大体、リタイアの年齢は六十あるいはもうちょっと上ぐらいのあたりで一人一人が自由な選択をする、それが当然の姿でございます。アメリカを例にとれば、定年制は違法なんですから自分が選ぶよりしょうがないわけでございます。そういう意味では、給付の面につきまして私なりの解釈も加えまして、今回の改正は大変結構なことだと思っております。
それから、二番目は負担の側面でございます。
物事は両面がございますから、給付と負担の両方を議論しなきゃ意味がないわけでございます。ただ私、これをしゃべろうと思って考えておりましたならば、たまたま衆議院の公聴会で高山憲之先生が述べられた内容が載っておりました。これを見ましたら、私が言いたいことと全く同じことを既にしゃべられておりますので、重複することは時間もむだでございますし、きょうは時間が限られておりますからごく簡単にいたします。
ポイントだけ申し上げますと、厚生年金の財政計画では原則として五年に一回二・五%ずつ引き上げる。それを、五年に一度二・五%ずつ引き上げるのにかえまして、その五分の一ずつ、〇・五%でいいわけですね、そのかわり毎年、そういうふうにする方がいいんじゃなかろうかというふうに思います。その方が負担もしやすい。現に国民年金の引き上げは毎年やっているわけでございますからへできないことはないだろうと思うんです。
それから、年金制度というのはもう膨大なお金が動くわけです。GNPの何割にも相当するお金にかかわる問題でございます。したがって、その運営あるいはその財政というものは国民経済に大きな影響を及ぼすものでございます。経済にとってプラスかマイナスか、結局のところ年金制度を支えるのは経済でございます。経済が豊かになればどんな財政をとろうといい年金が払えるし、それから経済が落ち込んでしまったら、財政計画がどうであろうと要するに年金も給料も粗末になってしまうと、そういうことでございます。
これは、各国でもやはり国民経済と年金というものは大変大きな関係がございますので、例えば、それが貯蓄なりあるいは消費に及ぼす効果はどうかというふうなことまで考えた上で議論していただけるとよろしいんじゃないか。今回も二・五%ではなくてとりあえず二%、積み残しはまた二年後ということでございますので、若干の配慮がされていることは評価いたしたいと思いますが、将来はできればもっときめ細かな配慮もあってよろしいんじゃないかというふうに思うわけでございます。
それから、三番目が国庫負担の問題でございます。
新聞で見ましたところでは、衆議院の段階で国庫負担のことで何かもめてしまって徹夜したとか、一日延びたとかそんな話を聞いておりますのでも、どうもその国庫負担の議論が私たちにはぴんとこないんです。私は基本的には国庫負担というのは好きではございません。
例えば、アメリカは国庫負担ゼロでございます。労使が払う折半負担の社会保障税だけで、給付もそれから事務費も全部賄っております。彼らの言葉で言うとセルフサポートと言うんですか、自分の足で立つ、財政的に独立していく、そういうことによって内容が透明になり、そして過剰な給付も制度の合理化もあるいは事務の効率化も厳しくやれるわけでございます。ただし、アメリカの場合には対象は働き手でございます。日本のような皆年金ではないわけです。適用の範囲を働き手以外に拡大する、つまり日本のような皆年金にしてしまうと国庫負担なしては済まないよというのは、これは外国の専門家に聞いてもみんな言うところでございます。日本も基礎年金というものをつくりまして、これは皆年金、だれにでも出すんだということにしたわけです。
諸外国の基礎年金はどうなっているか。約十カ国でやっておりますけれども、概して税方式でございます。保険料の支払いもございませんし、三号の届け出のようなものもございません。要件は居住、例えばその国に四十年住んでいるということだけを条件にいたしまして、六十五歳になったら五万円を支給するとかというふうにだれにでもくれる。国際的な用語ではユニバーサルペンションとかユニバーサルベネフィット、日本語にすればもう本当の意味の皆年金なんですね。この基礎年金は大部分が税方式でございます。一般税収の場合もございますし、一部目的税の場合もございますけれども、要するに税金を払う。それで条件は居住、つまりその国にいたということだけなんです。そのかわり税率は高いです。御案内のように間接税はみんな二けたでございます。それだけの税金を取らなきゃ払えないのは当然でございます。
それから、例外的にイギリスとオランダは社会保険方式でございますが、掛金は所得基準です。そして、その費用は所得税にプラスして税務署が徴収しておりますから、取られる方から見れば税金が少し余計に取られるというふうな感じだと思います。
消費税を引き上げる問題、これは批判が大変多うございます。一つは逆進的だということなんです。これはもう世界共通の理屈でございますからそのとおりなんでございますけれども、もしあれが逆進的だといたしますと、お金持ちも貧乏人もみんなから定額の一万円を取り上げるという国民年金は逆進的じゃないんでしょうか。税の言葉で言えば人頭税です。最悪の税だと言われております。税も社会保険料も取られる方からすればもう同じなんです、公租公課の一部なのでございます。私の知っている限りでは、定額掛金で失敗した例はございます。かつてのイギリスです。成功した例はございません。
難点が三つあります。一つは、日本の国民年金の場合は掛金が定額ですから、負担能力に一切関係ないということです。これじゃついていけない人がふえるのは当たり前でございます。
それから二番目は、強制徴収できない。強制徴収できない社会保険というのは成り立たないです。どの国でも強制的だということになっているんです。アメリカの例がございました。クリントンが大統領になったときに司法長官になりかけた人が、メイドさんの社会保障税を払わなかったために首になったというのがございます。そのくらい厳しいものでございます。
それから三番目に、管理のために大変多額の人手と経費がかかっております。つまり、もうテレビの受信料のように一軒一軒訪ねていっては、払ってください、おばあちゃん、と言ってやっているわけです。それじゃ手間暇かかるのは当たり前なんです。
私の考えでは、将来の姿はやっぱり税方式しかないんじゃないか。こうすれば皆年金になるわけです。日本では基礎年金にしたいという理念を持っているんですから、そうなれば必要な金は決まっているわけです。例えば、お年寄りの数掛ける五万円なら五万円というその総額を何かの形で現役が負担しなきゃならない。その負担の方法を直接税、まあクロヨンがございますけれども、直接税でやるのかあるいは間接税、消費税でやるのか、これも益税なんてあっては困るわけでございますけれども、それとも人頭税式の定額でやるのか。それから、できることならば管理費を少なくしたい。つまり管理費は消えてしまう金なんですから、それを少なくすればそれだけ国民の負担は少なくて済むわけでございます。そういう内容、金の流れ、効果、そういうことを全部透明にして見せたら結論というのはおのずから出るんじゃないでしょうか。
今回の国庫負担の問題につきましては二分の一にしようとかいうふうな話も聞いておりますけれども、それにしたって大した影響はないです。今の状態はそう変わらないです。要するに、ピークの掛金がやや低くなるというだけのことでございまして、今はまだ五合目なんです。五合目でも数百万人脱落しているんです。外国の人から、なぜそういうことになるんだという疑問の手紙がたくさん参ります。
ただ実際には、先生方苦労していらっしゃるように、消費税の引き上げというのは容易じゃないです。もうあれをやったら選挙でみんな落っこっちゃうかもしれないと、そういう話でございますね。ですから、やっぱり時間をかけてやらなきゃならない。でも、先生方とそれから役所とマスコミが全部して大きな声で言えば、そんなのは国民にわかるんです。
そのわからせる第一弾といたしまして、国庫負担という言葉はやめていただきたいんです。税負担という言葉にしませんか。同じことでしょう。国庫負担というと、何か大きな蔵があって、先生方が行って頑張ってそこから分捕ってこられるという感じなんですけれども、結局全部国民がしょっているんですね。だから、税負担をする覚悟がなきゃ年金は払えないですよ。覚悟してもらうんですね。そのかわり、税金を払う対価として年金、特に基礎年金ですね、これは必ずだれにでも出るんだ、無年金者は一人も起こらないんだと。本当にお年寄りを見ていると、年金があるのとないんじゃもう天と地の違いでございます。
今の日本の基礎年金は、国際的に見て異常な姿でございます。国民年金が発足したあのときに苦労なされた小山進次郎さんという方の本を見ましても、定額の保険料ではいずれは行き詰まる、だから負担能力に応じたものに将来は改めるべきだと、もうつくった御本人が書いていらっしゃるんです。あれから三十年以上たちました。もうこの時点で抜本的に議論して、基礎年金は将来どうあるべきか、それをひとつ、今回は間に合いませんけれども、その次にぜひ御議論いただきたいと思うわけでございます。
どうもありがとうございました。