庭田範秋の発言 (厚生委員会)
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○参考人(庭田範秋君) 慶応大学をつい最近定年退職いたしました庭田と申します。きょうは、諸先生がいろいろ具体的な問題に深く介入されるようでございますので、私はむしろその考え方といったような点から皆さんにお聞きいただきたい、そのようにお願いをいたします。
今回の年金改正というのは給付と負担の公平ということが一つのねらいになっております。と同時に、財政健全化ということもねらいになっておりまして、この両方を同時に追求していくといったようなものではないかと思います。したがいまして、一万だけ追求する、一方だけ上手に解決したというのでは年金改正の本当の成功とは言えないのではないか、このようにまず私は考えます。
今回の年金改正に際しまして、私も学生諸君や主婦の皆さんと接触する機会がございますが、相当厳しい表現をとって言われるときがあります。つまり、内容を見ますと我々勤労者にとってまたは国民にとってろくなことはない、どうもいいことは何もないじゃないですか、こういうような言われ方をいたします。私はその際は、いいことはない、ろくなことはない、本当にそうですよとはっきりと申します。
ただ、年金というのはお金の操作の制度でございまして、生産活動をするというものではありません。どちらかというと分配論の領域に関する一つの制度でございます。そして、いいことがないというのは、出し分が少なくてたくさん年金が来るということを大体頭に置いておるんだろうと思いますが、それは私は間違いであると説明をいたします。
いいことというのは、既にもう我々は先取りいたしております。日本国民が全国民的な規模で長寿化し、そして長生きをして、その割に結構健康という点でも痛めつけられることなく生活をいたしております。ですから、長寿化といういいことを我々は既に先取りをいたしまして、その金銭的、財政的帳じりを合わすのが年金改正である。したがいまして、長寿化はするわ、年金はまた飛躍的によくなるわ、あるいは悪くなることは一切認めない、これは私は大変虫のいい話ではないかと思うわけであります。
仮に、日本国民が長寿化することがなければ年金改正の必要は毛頭ないわけでありますから、やはり我々は長寿化した、そして老後というものを昔に比べてより長く楽しむことができる、あるいはその中で自分のしたいこともできる、こういういいことを先取りしたのでありますから、これに対するお金の帳じり合わせでは少し厳しくなることはこれはもう覚悟せざるを得ないであろう、このように私はよく説明をいたします。
結局、年金はお金の操作でありまして、生産活動そのものではありません。したがって、年金改正を緩くしたりあるいはずらしたりという過程で問題は具体的あるいは最終的には変わるものではありません。結局、我々はいつかは帳じり合わせをしなければならないのである、こうまず頭の中に置くべきだろうと思います。
そして、年金改正に対しまして、各項目にわたり各種の緩和措置というものが行われております。それはそれで大変結構でありがたいことだと思います。とにかく、当面の痛みというものを和らげまして、例えて言えば苦い薬にオブラートをかけるとかお砂糖をまぶすとか、そうやって飲みやすくする、そして徐々に年金改正を行うということで、例えばソフトランディングなんという言葉が使われますが、その間に経済体制も極力立て直す、そして個人としても心の中で準備をする、そういう時間を持つということは大変よろしいことであろうと私は思います。
しかしながら、そのことを是認すると同時に、どうしても私たちは認めなければならないことがございます。それは結局、年金改正を緩和するあるいは先送りするということは、要するに後代に負担を回すということであります。借金をせがれに残す、孫に残すということとほとんど事情は同じであります。しかも、それを残される後代は今よりももっと実は高齢化の厳しい時代であります。ですから、後代の人たちは自分たちのより厳しくなる負担というものを負い、同時に、仮に先送りされたのならその負担も負わなければならない、二重苦になるわけであります。
したがいまして、改正すべきものはやはりこの際後代の立場も考えてあげて改正すべきではないか。私は、余りに緩和そのものをもってすべてであるというような、温情というような姿勢で経済問題に真正面から取り組むのは少しどうかと、こう思います。
経済学の中にはいろいろことわざがありまして、ウオーム・ハート・クール・ヘッドということわざがあります。経済学をやる者は心に温かいものを持たなければならないが、頭はぜひともクールでなければならない、こういう言葉が経済学の泰斗であるマーシャルという人が書物の中で書いておりますが、我々も時と場合によっては年金改正にクールな分析をすべきではないか、このように思うわけでございます。
いわゆる六十五歳問題、これが大変論議の的になりましたけれども、長い時間をかけているうちに、何もあすから六十五歳にするんではなく徐々になっていく、そういうことを我々は忘れてはいけないと思います。そのほか、六十歳代前半の年金にたとえ不足であり不満であろうかもしれませんが、別個の給付、すなわち報酬比例部分が出るということにもなりましたし、在職老齢年金は明らかに過去よりは改正されておる、このように私は思います。しかも、賃金と年金の合計額が二十万を超えたらこうこうこのような措置をとるというのも、今回皆さんの御努力によりまして二十二万になりそうだと、こういう点も六十五歳問題の痛みをある程度は緩和するのではないかと思います。
そのほかいろいろございまして、何にも増して我々が忘れてはならないのは、六十五歳問題が最終保険料率に対して大体五%ほどの引き下げ効果がある。そして、あとの改正は全部ひっくるめてもこれに及ばない程度の財政効果しか生みません。したがって、この六十五歳問題を見送るということは心臓部分を除去してしまうということで、年金改正の意味はほとんど薄れてなくなるのではないか、このように思います。
なおかつ、企業年金に対しましても複数保険料率というようなものを導入し、自家運用、自主運用も積極的に認めよう、こういうところも言われておりまして、企業年金の普及ということも今後は期待できる。しかして、これは六十歳から六十五歳のつなぎ機能という点に重点が置かれそうである。そういうことを考えますと、そんなに心配するべき問題でもないであろう。
まして、高年齢雇用継続給付というようなものも創設されまして、年金と賃金と高年齢雇用継続給付、この三者も重なるわけでありますから、もろもろの改正措置を総合いたしますと、大部分あるいは相当程度に六十歳が六十五歳になることの痛みは緩和されるのではないか。しかも、これなくして年金改正の真の目的は達せられない、財政健全化が期待できない、保険料をなるべく内輪に引き上げるという期待もこれも流れてしまう。こうなりますと、私は年金改正における六十五歳問題はぜひ通すべき問題である、こう思うわけでございます。
なお、厚生年金の保険料率の引き上げ、これも具体的に言いますと大変痛い話でございます。何のことはない、給料が減るのと同じようなことになるのではないかと思います。しかしながら、この上げ率が大分きつくなったということの原因の一つは、年金改正をその都度先送りしながら今日に来たからである、こういうことが言えます。したがいまして、年金改正を優柔不断のままあるいはなまぬるいままで先送りいたしますと、この二・五%という保険料率の引き上げがさらに後代に大きな数字となってのしかかる、こういうことでございます。過去の経緯は将来への警告を意味しておる、こう考えてよろしいのではないかと思います。
そのほか、年金改正にはいろいろの問題がございますが、一つは可処分所得、別名ネット所得あるいは実質的な賃金スライド、こういうことになっております、恐らく、学術的には可処分所得スライドというのが一番正しいのではないかと思いますが、これは当面はさしたる効果は上げないかもしれませんが、将来に向けて相当大きな財政的効果を生むと思います。同時に、これは年金受給者にも現役世代と少しは痛みの分け合いをする、こういうような意味合いもありますのでこれも妥当な措置ではないか、こう思うわけでございます。
また、雇用保険の失業給付と年金給付の併給調整というような問題も出ております。これはほとんど反対するお方がなかったように私は記憶いたしておりますが、どうしてかといいますと、やはり一つの筋が通っているからではないか。失業給付をもらいながら年金給付をもらうというのは、一方において定年退職して働けないから年金をもらう、片一方には働こうと思うんだけれどもその機会がないから当分失業給付というわけで、論理の使い分けがなされているのではないか。こういうふうに考えますと、この雇用保険の失業給付と年金給付の併給調整においてはやはり筋を通されておるという意味におきまして私は賛成でございます。
それから、ボーナス保険料の導入、こういうわけでございますが、これもどちらかというとやはり痛いことは痛いです。たとえ何でも保険料を取られるんですから、サラリーマンにはやはり痛みを伴う措置だろう、こう思います。しかしながら、もしこのボーナスの問題を横に置いておきますと、どちらかというと好景気の会社あるいは大企業あるいは時流に乗った産業というところはこれからボーナスに相当逃げるんじゃなかろうか、そして年金掛金は取られないで済む、こういうことになるんじゃなかろうか。同時に、賃金と年金の調整をするときに、給料を少なくしておけば年金がたくさん来るという意味でそこでもうまいことをする、そういう表現が果たしていいかどうかわかりませんが、わかりやすく言えばそういうようなことがはやるんではないか。こう考えますと、どうもボーナスにも少し制約といいますか、制肘を加えるというような意味でボーナス保険料の導入というのは公平、公正の原理に合うのではなかろうか。
と同時に、これから国際化の時代が参ります。そうしますと、雇用問題、雇用条件というようなものもだんだん国際化しなければなりません。国際的には余りボーナスといったようなことははやっておりません。こういうことを考えますと、やはり給料というものに中心を置いてサラリーマンは生きていくという国際慣行に近づくいいチャンスではなかろうか。同時に、総報酬制とか年俸給制などという新しい動きにも対応する条件を整備していく、そういったようなことも言えるのではなかろうかと考えるわけであります。
また、先ほどから村上先生を初め国庫負担の問題ということが出ております。私聞いておりますと、それぞれまことに妥当でなかなか反発のしようもないような気がいたしますけれども、ただ、私は国庫負担の問題ということは少し時間をかけなければいけないんじゃなかろうか、どうしてもそう思います。
まず、何はさておき財源の問題を考えなければなりません。そして、この財源の問題を考えるときには、税負担の不公正ということもあるかもしれません。それから、税金を取るとか年金を出すとかというときに、ミーンズテストとかインカムテストとかということを、どうしてもこれは国庫負担を導入し税方式になるには許容をしなければならないのでありますが、こういうことに対しましてなかなか社会には抵抗が強いわけであります。この抵抗を取り除かないと、何のことはないサラリーマンが税金の相当部分を負うように、また一段ときつくなるようになってしまうんではないかと思います。
なおまた、それでは消費税ということでございますが、今軽々に消費税率をここまで上げると、恐らく五、六%上げないと三分の一から二分の一にならないんじゃないかと思いますけれども、そのようなことを、ようやく少し景気が上向いてきたときに公言することが、政府が率先してそういう方針を打ち出すことがどういうものだろうか。年金は、一方においては国民生産性、国家の成長力を無視してはあり得ないと同時に、やはりそれほど社会環境に影響されるのであれば、せっかくよくなりつつあるのに悪い形の景気刺激を生みそうな税金問題を余り軽率にいじくるのはどういうものだろうか、こういうことを思うわけであります。
一番最後に、やはり一元化といったような問題が出てこようかと思います。一元化なくしては、結局日本の公的年金全般の安定と維持、永続ということはなかなか期待しがたいと思います。一つの年金団体、小さな年金団体が倒産でもいたしますと、もうその影響は一遍に広がります。それでなくても若者の中には年金不信感というようなものもあるわけでございますから、まして、どの年金団体であれ倒産とか崩壊とかということになれば年金不信は一挙に広がるんではなかろうかと思います。そのような中で高齢化に対応するほどの年金が果たしてうまく組み上げられるであろうかというと、なかなかきついと思います。したがいまして、一元化というのも公的年金の永続、安定のためにはどうしても必要なんじゃなかろうか、こう考えるわけであります。
そのためにも、まず前提条件として年金改正が行われていなければ、とても年金の一元化などということは合理的になし得るという見込みはございません。年金改正の成功がなくては年金の一元化はないでありましょう。年金の一元化なくして年金の国家的安定、永続はないでありましょう。そして、年金の国家的安定、永続なくして豊かで安心のできる高齢化社会というものは生み出せないのではないか。
こう考えますと、一元化の問題をにらんでも、なおかつ年金改正はある程度の痛みはどうにもやむを得ない。もともと長寿化といういい点があるわけなんですから、それの代償としての痛みと、このようにお考えをいただきまして、ぜひ年金改正を成功させていただき、そして長期永続的な年金の安定を図り、我々一般国民の老後というものをひとつ確保していただきたい、このようにお願いするわけでございます。