庭田範秋の発言 (厚生委員会)
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○参考人(庭田範秋君) お答えをいたします。
国庫負担の問題は、多々ますます弁ず、多く国が年金に出してくれればくれるほど国民は喜ぶ、こういうふうな話に持っていきやすい問題であります。ただ、先ほど村上先生が国庫負担という言葉をやめてむしろ税負担としろと言われたんですけれども、この辺に問題の本質があるんじゃないかと思います。
私は、いろいろ経済を、資本主義初期から中期を経て後期になって、今は資本主義なんて余り言わないで福祉国家諭とかというようなもので代弁をいたしますが、必ずしもそれが妥当とは思っておりません。経済関係の思想の中には、よく働く者はよき報酬を得る、よき報酬を得た者はよい生活ができると。ここに年金を入れれば、よき報酬の人はそれなりに比較的高目の負担をいたすでありましょう。それを一つの条件にいたしましてよき老後があると。この原則を完全に否定いたしてしまいますと、じゃ何のために働くんだ、何のために努力するんだと、こういうことになりまして、じわじわと国の生産性は落ち勤労意欲は低下をいたしてしまう、こういうような事態になるんではないかと思います。
したがいまして、いろいろの手段を利用して税をたくさん上げて、そして国庫負担で基礎年金のところをただどんどん厚くしていく。それはそれで福祉国家論というような物の見方で見ると大変よろしいんですが、しかし世界的な傾向でいきますと、どうもそれだけではなかなか現代の自由社会というのは持ちこたえられない。
あの福祉国家の先進国で我々の手本としていたスウェーデンでも、今や福祉の後退と、はっきりそういう言葉が書いてありますが、福祉の後退を考えると。それから、何はさておきアメリカでも、医療保険に関しましても、いかにクリントン政権が頑張りましてもこれが国の経済発展にどうも余りいい影響を及ぼさないと、そのような見方から否定をされそうな状態にあります。
したがいまして、我々は当面国庫負担を増額して、そして年金の負担を軽くしたりあるいは年金給付の抑制を少し緩めると、これはまことに結構なんでございますし、私らはそれで本当はもうよろしいわけであります。後、どういうふうに事態がなろうと多分私がいないところですから知ったこっちゃないと、こういうことになるんですが、それを言ったらおしまいだ、こういうことになるわけであります。
日本の一つの特徴というのは、社会保障も随分よろしいんですが、やはり国民は貯蓄ということに対して相当な関心を払い努力をいたします。その理由を調査いたしますと、第一位が何と国の政策だけでは不安心だ、安心できない、早く言えば余り信用できない、こういうような物の言い方になっております。
したがいまして、税にしろ何にしろ国庫負担を増すんだからたくさん取る、こう言ってもやはり国民はその割に喜ばないんじゃないか、どうもお金ばっかり持っていかれて、今後の年金のあり方には不安がいずれ残るんじゃないかと。そして、自分はこれだけ出した、したがってこれだけの年金が来ると、給付と反対給付をいつでも突き合わせて考える。この均衡をいつでも頭の中に入れて、その均衡が大幅に破られない限りにおいて国政に積極的に参加をする、こういう傾向が日本では強いわけであります。この国民の性情を考えましても、給付と負担というものを分断いたしまして関係を非常に薄くして、そして税方式とかあるいは国庫負担でもって年金財政を賄うといいますと、年金に対する各人の責任感も薄れますし、また年金制度の運営における合理化といったような要求もどうも後退しがちになります。
そういう意味で私は、自由社会である限り、基礎年金というものはただ多ければ多いほどよろしいとも思っておりません。同時に、給付と反対給付を分断させて、そして給付が厚くなるんだからよろしいじゃないかと言っても、それではなかなか理性的に納得できないであろう。こういうことを考えますと、私は国庫負担の強化というのは、もう少し時間をかけてもう少し国民の精神構造に変化が出たときに初めて考えるべきではないかと。軽々にこういうことを導入して、一時の人気につながると言ったら大変申しわけないんですが、やや人気につながるようなそういう政策はこの不況のさなかにおいて余り私は歓迎できない、このように思っております。