堀勝洋の発言 (国民生活に関する調査会)

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○参考人(堀勝洋君) ただいま御紹介いただきました上智大学法学部の堀でございます。よろしくお願いいたします。
 それでは、座って説明させていただきます。
 私が意見を述べよというふうに言われましたのは、社会保障の理念と法的な諸問題ということでございます。時間が限られておりますので、その問題について、レジュメにありますように一応三点に絞ってございます。
 一つは、社会保障の理念ということでございます。それから二つ目は、レジュメの二ページにありますように社会保障に係る基本法制のあり方でございます。それから三点目は、三ページにありますように社会福祉法の権利にかかわる諸問題ということでございます。
 早速御説明したいと思います。
 最初に、社会保障の理念ということでございます。
 ここのレジュメにありますように、我々が生活を送る上でさまざまな困難、生活上の困難に直面することがあるわけでございます。病気とかけがとか障害、死亡あるいは失業、そういったときに国家が国民に対して生活の保障をするというものが社会保障であるというふうに私は理解しております。
 かつては、社会保障というのは貧困の救済とかあるいは貧困の予防というところにその目的があるというふうに言われておりましたけれども、今日では、健やかで安定した生活を保障するということが社会保障の目的ではないかというふうに言われております。これが直接的な社会保障の目的だというふうに考えておりますけれども、これは国民の福祉の向上という、より高次の目的を達成するための手段でもあるというふうに考えております。
 国民の福祉の向上というのは、単に社会保障によって達成されるだけではなくて、公共事業だとか教育だとかあるいは公害の防止、そういったふうな施策によっても達成されるという意味で、国民の福祉の向上という目的を達成するために健やかで安定した生活を国民に保障する、それが社会保障である、こういうふうにとらえております。そういった国民の福祉の向上は、国民によって国政を負託された国家、これは私は国と地方公共団体というふうに考えておりますけれども、国家によって行われるというふうにとらえることができるのではないかと思います。
 それから、レジュメの1の②のところでございますが、このように国家が国民の生活保障のため。に社会保障の給付を行うといっても、その財源は国民が拠出しました租税とか保険料でございますので、結局、社会保障というのは国民の共同連帯によって国民の生活を保障するものであるというふうに言うことができるのではないかというふうに思います。この社会連帯の考え方が社会保障を支える原理の一つであるというふうに考えております。
 それから、レジュメの(3)でございますが、社会保障はこのように社会連帯ということを基礎とするわけですけれども、それともう一つ、人間に値する最低限度の生活を保障することによって人間の尊厳を守るという目的も有しているのではないかというふうに思います。
 この人間に値する最低限度の生活というのは、我が国の憲法上、二十五条の一項に、健康で文化的な最低限度の生活というものを保障するという規定があります。したがって、憲法に規定された基本的人権としての人間的最低生活権もその社会保障を支える原理の一つであるということが言えるのではないかと思います。
 ちなみに、憲法二十五条一項は一般的には生存権というふうに言われておりますが、生存権というのはその言葉からして生きるか死ぬかというぎりぎりの生活水準というふうなニュアンスでとらえられる。ところが憲法二十五条一項が規定しているのは、健康で文化的な最低限度の生活。これは、ぎりぎりの生活水準ではなくて、それより高い水準ではないかということで、私はこれを、人間的最低生活権、こういうふうに呼んでおります。こういうふうに、人間的最低生活権も社会保障を支える原理の一つであるというふうに考えております。
 ただし、憲法二十五条一項はこのように最低限度の生活を保障するということですけれども、現在の社会保障はこういった最低限度の生活水準を超える給付も行うことがあるわけです。例えば、ことしの年金改正で、厚生年金の標準年金は夫婦二人で月額二十三万円というふうになっております。ところが、生活保護の水準は老夫婦二人で十五・五万円ほどですから、最低限度の生活を上回る給付も行っているということです。これは憲法二十五条の二項が、こういった最低限度の生活を上回る生活水準、私は生活向上権と言っていますけれども、これを規定しておる、そこから来ているというふうに考えられるわけです。
 それから、レジュメの(4)ですが、以上述べましたように、国民の生活を保障する上で社会保障の果たす役割は大きいわけですが、国家がすべて国民の生活を維持するというのではなくて、みずからの生活の維持向上はみずからの努力によって行うべきであるという、生活自己責任あるいは自助の原理も依然として重要であるということを認識する必要があるのではないかというふうに思います。また、家族による扶養とか地域社会における助け合い、あるいは民間の福祉事業、企業福祉といったものも国民の生活保障に一定の役割を果たしておるということで、こういった自助、互助及び公助が相まって国民の生活が保たれると言うことができるのではないか。
 こういった自助、互助、公助の役割分担であるとか、あるいはその連携のあり方については、国民の意識とかあるいは財政事情その他の社会経済の状況によって異なってくるということになりますけれども、これらを総合的に勘案して社会保障制度を構築していくのが立法府及び行政府の役割ではないかというふうに思っております。
 レジュメの(5)ですけれども、こういった社会保障の基本的な考え方に立って社会保障の政策が推進される必要があるというふうに考えるわけですけれども、その推進に当たっては、昨年二月、社会保障制度審議会の将来像委員会の第一次報告が立てた五原則というものがありますけれども、こういったものが参考にされる必要があるんではないかというふうに思います。その五原則というのは、レジュメに書いてありますように、国民があまねく社会保障の給付を受けられる普遍性、それから公平性、有効性、総合性、権利性。このほかには、例えば自立とか参加とか、そういった原則をもこういった社会保障政策の推進に当たって考慮される必要があるんではないかというふうに思います。
 なお、お手元に第一次報告の写しが配付されていると思いますけれども、ここには社会保障の理念あるいは公私の役割あるいは原則等について詳しく検討してございますので、参考にしていただければというふうに思います。
 以上が社会保障の基本的理念でございます。
 次に、社会保障に係る法的諸問題というところに移りたいと思います。
 社会保障の法的諸問題ということでございますが、社会保障の具体的な制度、政策についても、これは基本的に法律に規定するということで、あらゆることが法的諸問題ということになるわけですけれども、ここで法的諸問題と私が取り上げましたのは、レジュメの二番目の社会保障に係る基本法制のあり方の問題と、それからレジュメの三番目の社会福祉法の権利義務に関する問題でございます。この二点については、従来余り政策論あるいは制度論として論じられていない、しかも法律的に極めて重要な問題を含むものである、そういう認識から取り上げたということでございます。
 レジュメの二番目の社会保障に係る基本法制のあり方でございますけれども、これについても三つに分けて論じたいというふうに思います。
 一つは、社会保障基本法の制定に係る問題ということでございます。それから二点目は社会保障法の法典化に係る問題、それから三点目は保健、福祉等の計画法制定に係る問題、この三つに分けて報告したいというふうに思います。
 まず最初に、社会保障基本法の制定に係る問題ということでございます。
 この調査会は高齢者に関する調査会ということでございますが、社会保障の基本法ということだけではなくて高齢者に対する基本法ということも考えられるということですけれども、以下で述べることは、高齢者に関する基本法制についてもほぼ同じようなことが言えるんではないかというふうに思っております。
 我が国に基本法としてどのようなものがあるかということでございますが、そこには障害者基本法とか環境基本法というのを掲げてありますが、それ以外にも教育基本法とか原子力基本法とか、私の調べたところでは全体として十二の基本法があるというふうに理解しております。
 障害者基本法とか環境基本法の例を見てみますと、どういったことが規定されているかというと、レジュメにありますように、目的とか基本理念とか、それから国とか地方公共団体の責務あるいは国民の責務とか関係事業者の責務というようなこと、それから、いろいろな計画を立てる、年次報告をする、それから具体的な各種施策の目標とか、あるいはその関係する審議会について規定するということが基本的なパターンではないかというふうに思います。
 どういう基本法を制定するかについてはいろんな考え方があると思いますけれども、その基本理念を明らかにするというような方法、あるいは国が国民に対して一定の施策を約束するという形のもの、あるいは国民に対する呼びかけといったような基本法、いろんな形の基本法があり得るんではないかというふうに思っております。
 それでは、社会保障あるいは高齢者に関する基本法制をつくる場合にどういった点を考慮していく必要があるのかという点で、メリットとデメリットに分けてそこに書いてございます。
 基本法を制定する意義でございますが、基本的には、基本法を制定するに当たって社会保障の理念等について議論をするということになりますけれども、その議論をすること自体が意義があるのかということになると思います。
 それ以外について、レジュメの①ですけれども、基本理念とか、基本原則、政策目標を明確にする、そういった明確にされた基本理念等に従って具体的な施策を行うことができる、そういうメリットもある。それから②ですが、社会保障についての国民の理解が深まるようになるんではないかと思います。それから③でございますが、関係各省庁による施策の総合的、計画的推進ということです。これは、基本法では、ある程度基本的な目標、基本原則というものを立てることによって各省庁の施策が調整がとれるということが期待されるわけですが、必ずしもそれが期待どおりにならないという可能性もあるということに注意する必要があります。
 次に、制定するとした場合の問題点、デメリットということになると思いますが、一つは、①に書いてありますように、制定することにどういうふうな意義があるのか、あるいはその実効性があるのかという問題があります。
 一般的に、基本法から具体的な権利義務が生ずるということは、もちろんその規定の仕方によると思いますけれども、ないということですね。しかも、基本法というのは個別の法と同じく法律という形ですから、基本法も個別の法も同じ効力を持つ。しかも、法律の一般原則として前法は後法を拘束しない、前に通った法律というのは後に通った法律を拘束しない、そういう原則があるわけですけれども、果たしてこういう基本法をつくっても実効性があるのかどうかということが問題になるんではないかというふうに思います。
 それから②ですけれども、社会保障の定義とか範囲というのは非常に不明確でありまして、基本法を制定する場合にはそういったものを明確にしていく必要があると思うんですが、そこが可能かどうかということになります。お手元の社会保障制度審議会の将来像委員会の第一次報告ではその辺のところをある程度明らかにしておりますけれども、それでもなお、例えば住宅とか雇用とか、あるいは税制とかあるいはシルバーサービスといったものを、社会保障制度あるいは社会保障基本法の中に位置づけるのか位置づけないのか、どういうふうに位置づけるのか、そういった問題があろうかと思います。
 それから③でございますが、個別社会保障法との関係ということでございます。個別の社会保障法にも理念とか原則とか、そういったものが規定されているものもございます。そういったものとの関係をどうするのかという問題があろうかと思います。
 それから④ですけれども、制定の機運ということで、こういった基本法についてはそれを制定するだけの政治的な機運というのか、あるいはそれを後押しする団体というのがあるのかどうかという問題があるのではないか。社会保障の基本法という一般的な形についてそれをプロモートするような勢いがあるのかどうか、そういう問題があろうかと思います。
 次に、(2)の社会保障法の法典化に係る問題ということでございます。
 法典化というのはどういうものかということですけれども、社会保障については個別に、例えば老人福祉法とか国民年金法とか、あるいは生活保護法といういろんな法律があります。そういった社会保障に関する法律をまとめるということです。我が国というのは余り法典というのはないんですが、例えば民法典というのは債権債務、契約に関するものと親族相続、これは一応別なものですけれども、一応民事に関する法典ということで一つにまとめてある、そういうふうな例もございます。
 諸外国では、レジュメにありますように、ドイツの社会法典、アメリカの社会保障法、フランスの社会保障法典といったものが例としてはございます。
 ドイツは二十年ほどかけて徐々に法典化するという作業をしております。まだ完全には法典化の作業を終わっておりません。現在、法典化が終わっているのは、第一編の総則、第四編の社会保険法の通則、第五編の疾病保険、第六編の年金保険、第八編の児童・青少年扶助、第十編の行政手続、データ保護といったものがようやく法典化されております。それから、ことし例の介護保険法が社会法典の第十一編ということで法典化されております。
 それから、アメリカの社会保障法も全部で二十編から成る法律でございますが、そこには年金に関するOASDI、それから高齢者の医療保険に関するメディケア、それから生活保護の医療扶助に該当するメディケード、あるいは失業保険、あるいは福祉サービス等が同一の社会保障法という中に盛り込まれております。
 こういった社会保障に関して法典をつくるという場合のメリット・デメリットということでございます。
 まずはメリットの方ですが、法典化の意義とあるところですね。これは基本法と同じようなメリットが、それは法典化の総則に基本理念等を置く章あるいは置く編を設ければ、基本法で述べたと同じようなメリットがあるというふうに思います。そのほかのメリットとしては、①にありますように、社会保障施策の整合化、同一の法典に盛り込むわけですから、そこである程度整合化が図られるということです。
 それから二番目としては、分立した社会保障制度の一元化の契機になるんではないか。ただ、これも非常に難しいと思います。
 それから三点目ですけれども、総則中に受給権の保護であるとか各種手続、不服申し立て、時効等についての共通規則を設定することによってこういった規定を整理統合する。例えば時効の規定は、現在は公的扶助法、生活保護法だとか国民年金法あるいは健康保険法、すべての規定にあるわけですが、各法の解釈が必ずしも同じではないんですね。それを総則規定に盛り込むことよって統一的な解釈とかそういうことが可能になるんではないかというふうに思います。
 次にデメリットの問題ですけれども、ここでも法典化することの意義が問われるわけですね。単に現在ある法律を寄せ集めてつくるという形も可能であるわけですが、そういうことで果たしてメリットがあるのかどうかという問題。
 それから二番目としては、法典化に要する時間、作業量とその効果を考えると、果たして意義があるのかどうかという問題です。
 それから三番目としては、その後の大幅改正の可能性ということです。社会保障法は近年、毎年のように大幅に改正されておりまして、たとえ法典化してもそれがぐちゃぐちゃになる可能性があるわけです。例えばドイツの社会法典は、当初は十編から成るというふうに計画していたわけですが、先ほど申し上げましたように公的介護保険というものがつけ加わって十一編ということになっているわけです。
 それから四番目としては、こういった統合化とか一元化するとすると、関係する省庁とか利害関係団体の合意がどれくらい得られるか、そういった問題があろうかと思います。
 それから、(3)の保健、福祉等の計画法制定に係る問題のところに移りたいと思います。
 現在、保健、福祉等に関する計画としては、そこに掲げてありますように、ゴールドプランだとか地方公共団体の老人保健福祉計画、それから老人保健法のヘルスサービスを行う保健事業第三次計画とか、あるいは医療法に基づく医療計画とか、あるいは今回改正されました障害者基本法に基づく計画とか、そういったものがございます。こういったものは、すべてが法律の根拠に基づいているわけではなくて、ゴールドプランのように三大臣の合意といったものに基づいているものもあるわけです。
 これについて、我が国の法制上は計画法という一つの分野があるわけです。例えば、住宅建設計画法であるとかあるいは廃棄物処理施設整備緊急措置法であるとか道路整備緊急措置法、こういった法律によって五カ年計画を立ててそれを繰り返していくという形で施設整備を図っていく、そういうジャンルの法律があります。そういったものを保健、福祉についても制定するかどうか、こういう問題がございます。これについても、メリット・デメリットがあるというふうに思います。
 計画法制定の意義のところですが、一つは保健・福祉施設等の計画的な整備が図られるのではないかということです。
 それから二つ目としては、関係省庁による一体的、総合的な取り組みがこの計画法をつくることによって達成できるのではないか。
 それから三番目としては、国の計画だけではなくて、地方に計画を立てさせるということで、計画作成の義務づけによる誘導が可能になるのではないか。これは地方自治との絡みもあって、これが望ましいかどうかというのはまた別の問題であります。
 それから、一番のメリットというのは、こういう法律を制定することによって計画を作成する、それによって一定の財政資金が確保できるとすれば、それもメリットの一つに数えることができるのではないか。
 それから、計画法制定の問題ということですが、やはりこれについても、制定することの意義があるのかどうか。ほかの計画法を見てみますと、計画策定の義務づけ程度でございまして、実際上の計画は閣議決定によるということですね。そうすると、必ずしも法律を制定するのではなくて、閣議決定で具体的な計画を立てれば足りるのではないか、こういう問題もございます。
 それから、②にありますように、そもそも法律制定事項かどうか。基本的には、法律で制定するというのは、これは国民の権利義務に関することを法律に規定すると考えると、計画というのは必ずしも直接国民の権利義務に関係しないということで、こういった問題がある。しかも、近年では計画だけの法律というのは必ずしも制定することが認められない、そういう方向にあるようでございます。
 それから三番目の、社会経済の変化への即応性。保健、福祉というのは近年非常に流動化しておりまして、それを法律に制定することによって固定化するという面があるとすれば、それがデメリットの一つに数えられるのではないかというふうに思います。
 それから最後に、新ゴールドプランに係る基盤整備法ということですが、新ゴールドプランがどういう形になるかわかりませんけれども、少なくとも保健、福祉に関する施設整備を充実する、それからマンパワーの確保、こういったことについて現在よりも例えば税制上、財政上、金融上の特例措置というものが設けられるのなら、そこを法律に規定するということもあるいは可能なのかなという感じがします。
 最後に、社会福祉法の権利にかかわる諸問題というところでございます。
 どうして社会福祉法だけを取り上げたかと申しますと、他の社会保険法だとか社会手当法については国民の権利ということが割とはっきりしている。申請手続もはっきりしています。ところが、社会福祉に関してはそれが非常に不明確であります。
 どういうふうに不明確かというと、基本的には社会福祉法は地方自治体の長、地方公共団体の長が職権でもって福祉サービスを行う、こういう仕方です。これを福祉の措置という。その措置というのは、地方公共団体の長が行政処分でもって福祉サービスを行う、職権で施設に入所させる、こういうことをいっているわけです。したがって、国民の側から申請することができるのかどうか、請求権があるのかどうか、そこら辺がよくわかっていない。職権措置が原則ですから、申請に関する手続規定が極めて不備、不備というよりもないに等しい。したがって、申請権とかあるいは請求権がないというふうに行政解釈はとっております。
 またその判例も、申請権はない、職権措置に伴う反射的利益しかない、そういうのが判例でございます。
 これは、ことしですか去年ですか、神奈川県で養護老人ホームに入っているお年寄りが、ここは四人部屋だから一人部屋に入れてほしいという訴訟を起こしました。これはもう最高裁まで行って判決が確定しているんですが、特に高裁判決、東京高裁の平成四年十一月三十日の判決では、行政解釈をとりまして、これは職権措置に伴う反射的利益しかなくて請求権はないという形で棄却しております。そういうことで、国民の権利という面から見ると非常に不十分であるということでございます。
 それからもう一つ、職権措置と利用者の選択とあります。
 これは、今述べましたように、地方公共団体の長が職権で措置するというシステムでございますから、利用者が選択する、あるいは利用者の選択が尊重されるというような仕組みではない、利用看が自己決定できるというような仕組みではないわけです。これについては極めて強く問題点が指摘されておりまして、今後はそういった利用者の選択権が尊重されるような方向で見直される必要があるのではないか。措置という形ではなくて、多様な福祉サービスの供給主体から利用者が望むものを選択するというような契約的な仕組みを導入する必要があるのではないか、そういうことが議論されております。
 それから次の、通知、要綱等に基づく福祉サービスの法定化でございますが、福祉サービスは、法律に規定されているものだけではなくて予算措置によって非常に多くの福祉サービスが行われております。この予算措置というのは通知あるいは要綱に基づくものですから、法律に基づくものではないということで、それを受ける権利というのが非常に不明確です。支給をしないという決定を受けてもそれが訴訟に提起できない、通知に基づくものは提起できないというのが通説でございます。
 したがって、ナショナルミニマムあるいは全国的に施行する、実施することが望ましい福祉サービスについては、通知、要綱という形ではなくて法律に規定していく必要があるのではないか。ただし、地方自治ということがありますから、地方が自主的に行うことが望ましいものについては、法律に規定するのではなくて通知なり要綱なりでも構わないのではないかと思います。
 それから最後ですけれども、説明と広報ということです。
 福祉サービスというのは非常に数多くあるということで、実際にそれを受けるためには、どういうサービスがあってどこに行けば受けられるかということが周知される必要があるわけです。それが周知されないと実際上サービスを受けられないという事態が生ずるわけです。
 これについても実際上裁判で争われた例がございます。それは、児童扶養手当という制度で、これは一般に離別した母子家庭に支給される手当ですが、これは、支給要件に該当するに至った日から支給されるというのではなくて、請求した日から支給される。そうすると、児童扶養手当の制度があることを知らない人は請求したときからしか支給されない。
 そこで、京都であった訴訟ですけれども、請求したときからではなくて、請求する前に支給要性が発生したときから児童扶養手当を支給してほしい、そういう訴訟がありました。これに対しては、第一審判決は、京都地裁の平成三年二月五円の判決ですけれども、広報の義務というのがあって、それは法的義務である、その広報の義務本怠ったために請求する前の児童扶養手当の受給権を失った、受給できなかったということで損害賠償請求が認められました。ところが第二審、控訴審の大阪高裁の平成五年十月五日の判決では、広報というのは法的義務ではないということで、結局一審判決を覆して損害賠償請求を認めなかったということでございます。
 社会福祉、社会保障というのは非常に複雑でございますから、それを広く国民に周知するという義務を行政庁に課する、その反面として、国民はそういった情報を受け取る権利を有する、そういったこともひとつ検討する必要があるのではないかというふうに思います。
 それから、(2)の福祉サービスの内容にかかわる権利でございます。
 福祉サービスは、これは特に社会福祉施設に入所している場合には、憲法二十五条一項が定める健康で文化的な最低限度の生活を保障する必要があるわけですが、それを保障しているのは、現在では施設の設備とかあるいは運営に関する最低基準というものが定められております。しかし、この最低基準については非常に問題が多いというふうに指摘されております。
 何かというと、まず第一にその最低基準の定める水準というのは極めて低い。これは戦後余り改正されていなくて、現在のように豊かな社会になっているにもかかわらず非常に水準が低い、そういう問題が指摘されております。
 それから二点目としては、最低基準については施設の種別間でいろいろ差があるということでございます。もちろん、施設の種類によって差が設けられるのは当然であるというものがありますけれども、できる限りそれを統一していく必要があるのではないかというふうに思います。
 それから三点目としては、最低基準というのは施設の設備面が中心で、そこで行われるサービスについての最低基準というのは必ずしも定められていない。特に在宅福祉サービスについては最低基準が定められていない、そういう問題が指摘されております。
 それから第四番目に、最低基準は厚生省令で定められているものがありますけれども、通知とか要綱で定められているものもあります。通知とか要綱というのは、これは法的拘束力はないわけです。その最低基準に違反しても必ずしも違反を問えないということでございますから、法的拘束力のあるような形態、法規の形で制定する必要があるのではないかというふうに思います。
 それから、今後、社会福祉については民間のサービスがふえていく、特に民間営利のサービスがふえてくるとなると、そういった質について確保をしていく必要がある、それはやはり法規の形で定める必要があるのではないかと思います。
 ちなみに、ドイツではホーム法という法律をつくりまして、これで施設設備あるいはその内容等について規制をする、そういうことをとっております。
 ただ、これも規制緩和が課題となっているときに、それとのバランスというものを考える必要があるのではないかというふうに思います。
 それから、(3)の福祉サービスの手続にかかわる権利でございます。
 先ほど申し上げましたように、社会福祉法は基本的に行政庁の職権で福祉サービスを提供するということでございますから、申請手続が規定されていない。ことしの十月から行政手続法が施行されまして、申請に対する処分について、レジュメにありますように、審査基準の設定、公表だとか標準処理期間の設定、公表というものが規定されております。これは、基本的には法令に定める申請だけに限るわけです。ところが社会福祉法については、法令に申請にかかわる手続が規定されていないということで、行政手続法の規定が適用されないわけです。したがって、老人福祉法なんかについて、老人ホームに入りたいというふうに申請をした場合には、その申請がほっておかれる可能性がある、あるいはその審査基準が不明確で次意的に入れられる、そういった可能性もあるわけですから、その申請について法令上きちんと定法る必要があるのではないかということが課題ふなっております。
 それから(4)です。福祉サービスにかかわる権利の救済ということで、権利が侵害された場合には現在は行政不服審査法とか行政事件訴訟法によって救済の措置があるわけですが、例えば福祉施設に入所している人の待遇が悪かった、虐待されたというような場合には、これは行政処分ではないんです。単なる事実行為ですから、行政事件訴訟法の対象にもならないし、行政不服審査法の対象にもならない。
 そうすると、そういったサービスが悪い、あるいはそういったものについての苦情処理手続が全くないということで、諸外国ではオンブズマンの制度、例えば、アメリカのナーシングホームにおいては処遇について不服がある場合にはオンブズマンが調査をする、あるいは中野区では日本のオンブズマン制度を設けております。こういった簡易迂遠な苦情処理手続というものが今後課題にたるのではないかというふうに思います。
 それから五番目の、福祉サービス受給者の人権擁護の問題です。
 特に施設入所者は、生活の相当部分をそこで過ごして管理されるというような面があるわけですから、そこで人権侵害がなされることに対して何らかの措置を講ずる必要がある。これについて現在の生活保護法では、施設入所者の平等待遇であるとかあるいは信教の自由を保障するという規定があります。ところが、ほかの施設についてはそういう規定がございません。それから、児童福祉法では、施設に入所させる場合には入所者の意思に反して入所させてはならない、こういう規定がありますけれども、ほかの社会福祉法にはそういう規定がありません。そういったものをほかの施設についても規定する必要があるのではないか。
 それから、レジュメに書きましたように、プライバシーの保護とか身体的拘束の原則的禁止、自己決定や参加の保障等の規定も必要ではないか。特に、身体的拘束の原則的禁止というのは、これは、例えば病院とか老人ホームで痴呆なんかであるとベッドに縛ったりするわけです。これは人身の自由の侵害ということですから、それに関する要件とかその手続を決めておく必要があるのではないかというふうに思います。
 それから最後ですが、意思能力の低下した者等の人権擁護と福祉サービスということでございます。
 老人の虐待、例えば暴行を加える、痴呆性老人なんかについて虐待を加えるとか、あるいは食事を与えないとか、あるいは老人の財産を勝手に子供が処分するとか、そういったふうな場合の措置というものは極めて不備であるわけです。現在、我が国のこういった意思能力が欠けた者に対する制度としては禁治産と準禁治産の制度があるわけですが、これは非常に問題があるというふうに指摘されております。
 どういうふうに問題があるかというと、例えば禁治産、準禁治産というのは、心神の喪失あるいは心神耗弱者ということで、寝たきり老人のように身体的な機能低下というのは必ずしも含まない、そういう問題がある。それから、こういう禁治産の制度というのは、基本的には取引の安全ということが重要視されて、その要保護者の保護ということが必ずしも十分ではないというようなこと。それから、禁治産、準禁治産という言葉自体が問題であるというようなこと。それから、禁治産となると法律行為をする能力が全部剥奪される、そういうふうな問題が指摘されておりまして、この制度はもう現在では見直しをする必要がある。
 これは民法の改正ということで法制審議会の方で検討されているようでございまして、基本的には法制審議会における成年後見制度の見直しというところにまたざるを得ないと思いますけれども、それに至るまで社会福祉法の方で何らかの措置をとる必要があるのではないかというふうに黒います。
 この問題について参考になるのは、児童福祉法で、虐待されている児童を保護するような手続が定められております。例えば、そういう虐待されている児童を発見した者は児童相談所に通告するとか、あるいは親権者が虐待している場合には後見人を選任するとか、そういった手続がとられております。ところが、精神薄弱者であるとか、あるいは痴呆性老人についての、成人についてのそういう仕組みは全くございません。
 そういうことで、例えばの話でございますが、虐待されている老人等を発見した場合には福祉事務所に通報する、福祉事務所はそういった老人を一時保護するとか、あるいは施設に入所させるとか、それから、現在では後見者の選任というのは親族と検察官にしか認められておりませんけれども、そういったものを福祉事務所長に認めるとか、そういったふうな改正が必要ではないか。
 それから、痴呆性の高齢者とか精神薄弱者の財産管理の問題でございますが、これも、痴呆性で財産が管理できなくなったというような場合には何らかの措置が必要であります。これは地方公共団体によっては財産管理サービスというのをやっておるところもあります。例えば、年金の収入で日用品を買うとか、あるいは老人の財産が詐欺に遣わないようにその財産を管理するとか、そういったふうなサービスをやっそおるところがあります。あるいは相続の場合、相続がきちんと精神薄弱者に行われるかどうか、そういう問題。それから、末期医療の場合に、意思能力を喪失した者に対しての医療の同意権というのか、末期医療を行うことの同意権とか、そういった問題も生じてくるわけでございまして、これについても何らかの措置を講ずる必要があるのではないか。
 諸外国では成年後見制度が見直されておりまして、基本的には、全面的に権利能力を剥奪するというようなことはやめにする、それに対して、世話人であるとか、あるいは代理権、代理人を選ぶとかそういったふうな改正がなされてきておりまして、我が国でもそういう成年後見制度を今後見直していくべき必要があるのではないか、そういうふうに思っております。
 ちょっと時間が超過しましたけれども、私の意見をこれで終わらせていただきます。

発言情報

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発言者: 堀勝洋

speaker_id: 20343

日付: 1994-11-18

院: 参議院

会議名: 国民生活に関する調査会