国民生活に関する調査会
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会
会議録情報#0
平成六年十一月十八日(金曜日)
午後一時一分開会
―――――――――――――
委員の異動
十一月十七日
辞任 補欠選任
吉岡 吉典君 西山登紀子君
―――――――――――――
出席者は左のとおり。
会 長 鈴木 省吾君
理 事
清水嘉与子君
竹山 裕君
直嶋 正行君
中川 嘉美君
委 員
石井 道子君
岩崎 純三君
遠藤 要君
太田 豊秋君
加藤 紀文君
服部三男雄君
溝手 顕正君
青木 薪次君
菅野 壽君
日下部禧代子君
栗原 君子君
堀 利和君
釘宮 磐君
武田 節子君
西山登紀子君
下村 泰君
事務局側
第二特別調査室
長 林 五津夫君
参考人
上智大学法学部
教授 堀 勝洋君
聖学院大学政治
経済学部教授 城戸 喜子君
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
○国民生活に関する調査
(本格的高齢社会への対応に関する件)
―――――――――――――
この発言だけを見る →午後一時一分開会
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委員の異動
十一月十七日
辞任 補欠選任
吉岡 吉典君 西山登紀子君
―――――――――――――
出席者は左のとおり。
会 長 鈴木 省吾君
理 事
清水嘉与子君
竹山 裕君
直嶋 正行君
中川 嘉美君
委 員
石井 道子君
岩崎 純三君
遠藤 要君
太田 豊秋君
加藤 紀文君
服部三男雄君
溝手 顕正君
青木 薪次君
菅野 壽君
日下部禧代子君
栗原 君子君
堀 利和君
釘宮 磐君
武田 節子君
西山登紀子君
下村 泰君
事務局側
第二特別調査室
長 林 五津夫君
参考人
上智大学法学部
教授 堀 勝洋君
聖学院大学政治
経済学部教授 城戸 喜子君
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本日の会議に付した案件
○国民生活に関する調査
(本格的高齢社会への対応に関する件)
―――――――――――――
鈴
鈴木省吾#1
○会長(鈴木省吾君) ただいまから国民生活に関する調査会を開会いたします。
まず、委員の異動について御報告いたします。
昨十七日、吉岡吉典君が委員を辞任され、その補欠として西山登紀子君が選任されました。
この発言だけを見る →まず、委員の異動について御報告いたします。
昨十七日、吉岡吉典君が委員を辞任され、その補欠として西山登紀子君が選任されました。
鈴
鈴木省吾#2
○会長(鈴木省吾君) 国民生活に関する調査を議題とし、本格的高齢社会への対応に関する件について参考人から意見を聴取いたします。
本日は、お手元に配付の参考人の名簿のとおり、上智大学法学部教授堀勝洋君及び聖学院大学政治経済学部教授城戸喜子君のお二人に御出席をいただき、順次御意見を承ることになっております。
この際、堀参考人に一言ごあいさつ申し上げます。
本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。
本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
議事の進め方でございますが、まず、参考人から四十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めさせていただきたいと思います。
それでは、堀参考人どうぞよろしくお願いいたします。
この発言だけを見る →本日は、お手元に配付の参考人の名簿のとおり、上智大学法学部教授堀勝洋君及び聖学院大学政治経済学部教授城戸喜子君のお二人に御出席をいただき、順次御意見を承ることになっております。
この際、堀参考人に一言ごあいさつ申し上げます。
本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。
本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
議事の進め方でございますが、まず、参考人から四十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めさせていただきたいと思います。
それでは、堀参考人どうぞよろしくお願いいたします。
堀
堀勝洋#3
○参考人(堀勝洋君) ただいま御紹介いただきました上智大学法学部の堀でございます。よろしくお願いいたします。
それでは、座って説明させていただきます。
私が意見を述べよというふうに言われましたのは、社会保障の理念と法的な諸問題ということでございます。時間が限られておりますので、その問題について、レジュメにありますように一応三点に絞ってございます。
一つは、社会保障の理念ということでございます。それから二つ目は、レジュメの二ページにありますように社会保障に係る基本法制のあり方でございます。それから三点目は、三ページにありますように社会福祉法の権利にかかわる諸問題ということでございます。
早速御説明したいと思います。
最初に、社会保障の理念ということでございます。
ここのレジュメにありますように、我々が生活を送る上でさまざまな困難、生活上の困難に直面することがあるわけでございます。病気とかけがとか障害、死亡あるいは失業、そういったときに国家が国民に対して生活の保障をするというものが社会保障であるというふうに私は理解しております。
かつては、社会保障というのは貧困の救済とかあるいは貧困の予防というところにその目的があるというふうに言われておりましたけれども、今日では、健やかで安定した生活を保障するということが社会保障の目的ではないかというふうに言われております。これが直接的な社会保障の目的だというふうに考えておりますけれども、これは国民の福祉の向上という、より高次の目的を達成するための手段でもあるというふうに考えております。
国民の福祉の向上というのは、単に社会保障によって達成されるだけではなくて、公共事業だとか教育だとかあるいは公害の防止、そういったふうな施策によっても達成されるという意味で、国民の福祉の向上という目的を達成するために健やかで安定した生活を国民に保障する、それが社会保障である、こういうふうにとらえております。そういった国民の福祉の向上は、国民によって国政を負託された国家、これは私は国と地方公共団体というふうに考えておりますけれども、国家によって行われるというふうにとらえることができるのではないかと思います。
それから、レジュメの1の②のところでございますが、このように国家が国民の生活保障のため。に社会保障の給付を行うといっても、その財源は国民が拠出しました租税とか保険料でございますので、結局、社会保障というのは国民の共同連帯によって国民の生活を保障するものであるというふうに言うことができるのではないかというふうに思います。この社会連帯の考え方が社会保障を支える原理の一つであるというふうに考えております。
それから、レジュメの(3)でございますが、社会保障はこのように社会連帯ということを基礎とするわけですけれども、それともう一つ、人間に値する最低限度の生活を保障することによって人間の尊厳を守るという目的も有しているのではないかというふうに思います。
この人間に値する最低限度の生活というのは、我が国の憲法上、二十五条の一項に、健康で文化的な最低限度の生活というものを保障するという規定があります。したがって、憲法に規定された基本的人権としての人間的最低生活権もその社会保障を支える原理の一つであるということが言えるのではないかと思います。
ちなみに、憲法二十五条一項は一般的には生存権というふうに言われておりますが、生存権というのはその言葉からして生きるか死ぬかというぎりぎりの生活水準というふうなニュアンスでとらえられる。ところが憲法二十五条一項が規定しているのは、健康で文化的な最低限度の生活。これは、ぎりぎりの生活水準ではなくて、それより高い水準ではないかということで、私はこれを、人間的最低生活権、こういうふうに呼んでおります。こういうふうに、人間的最低生活権も社会保障を支える原理の一つであるというふうに考えております。
ただし、憲法二十五条一項はこのように最低限度の生活を保障するということですけれども、現在の社会保障はこういった最低限度の生活水準を超える給付も行うことがあるわけです。例えば、ことしの年金改正で、厚生年金の標準年金は夫婦二人で月額二十三万円というふうになっております。ところが、生活保護の水準は老夫婦二人で十五・五万円ほどですから、最低限度の生活を上回る給付も行っているということです。これは憲法二十五条の二項が、こういった最低限度の生活を上回る生活水準、私は生活向上権と言っていますけれども、これを規定しておる、そこから来ているというふうに考えられるわけです。
それから、レジュメの(4)ですが、以上述べましたように、国民の生活を保障する上で社会保障の果たす役割は大きいわけですが、国家がすべて国民の生活を維持するというのではなくて、みずからの生活の維持向上はみずからの努力によって行うべきであるという、生活自己責任あるいは自助の原理も依然として重要であるということを認識する必要があるのではないかというふうに思います。また、家族による扶養とか地域社会における助け合い、あるいは民間の福祉事業、企業福祉といったものも国民の生活保障に一定の役割を果たしておるということで、こういった自助、互助及び公助が相まって国民の生活が保たれると言うことができるのではないか。
こういった自助、互助、公助の役割分担であるとか、あるいはその連携のあり方については、国民の意識とかあるいは財政事情その他の社会経済の状況によって異なってくるということになりますけれども、これらを総合的に勘案して社会保障制度を構築していくのが立法府及び行政府の役割ではないかというふうに思っております。
レジュメの(5)ですけれども、こういった社会保障の基本的な考え方に立って社会保障の政策が推進される必要があるというふうに考えるわけですけれども、その推進に当たっては、昨年二月、社会保障制度審議会の将来像委員会の第一次報告が立てた五原則というものがありますけれども、こういったものが参考にされる必要があるんではないかというふうに思います。その五原則というのは、レジュメに書いてありますように、国民があまねく社会保障の給付を受けられる普遍性、それから公平性、有効性、総合性、権利性。このほかには、例えば自立とか参加とか、そういった原則をもこういった社会保障政策の推進に当たって考慮される必要があるんではないかというふうに思います。
なお、お手元に第一次報告の写しが配付されていると思いますけれども、ここには社会保障の理念あるいは公私の役割あるいは原則等について詳しく検討してございますので、参考にしていただければというふうに思います。
以上が社会保障の基本的理念でございます。
次に、社会保障に係る法的諸問題というところに移りたいと思います。
社会保障の法的諸問題ということでございますが、社会保障の具体的な制度、政策についても、これは基本的に法律に規定するということで、あらゆることが法的諸問題ということになるわけですけれども、ここで法的諸問題と私が取り上げましたのは、レジュメの二番目の社会保障に係る基本法制のあり方の問題と、それからレジュメの三番目の社会福祉法の権利義務に関する問題でございます。この二点については、従来余り政策論あるいは制度論として論じられていない、しかも法律的に極めて重要な問題を含むものである、そういう認識から取り上げたということでございます。
レジュメの二番目の社会保障に係る基本法制のあり方でございますけれども、これについても三つに分けて論じたいというふうに思います。
一つは、社会保障基本法の制定に係る問題ということでございます。それから二点目は社会保障法の法典化に係る問題、それから三点目は保健、福祉等の計画法制定に係る問題、この三つに分けて報告したいというふうに思います。
まず最初に、社会保障基本法の制定に係る問題ということでございます。
この調査会は高齢者に関する調査会ということでございますが、社会保障の基本法ということだけではなくて高齢者に対する基本法ということも考えられるということですけれども、以下で述べることは、高齢者に関する基本法制についてもほぼ同じようなことが言えるんではないかというふうに思っております。
我が国に基本法としてどのようなものがあるかということでございますが、そこには障害者基本法とか環境基本法というのを掲げてありますが、それ以外にも教育基本法とか原子力基本法とか、私の調べたところでは全体として十二の基本法があるというふうに理解しております。
障害者基本法とか環境基本法の例を見てみますと、どういったことが規定されているかというと、レジュメにありますように、目的とか基本理念とか、それから国とか地方公共団体の責務あるいは国民の責務とか関係事業者の責務というようなこと、それから、いろいろな計画を立てる、年次報告をする、それから具体的な各種施策の目標とか、あるいはその関係する審議会について規定するということが基本的なパターンではないかというふうに思います。
どういう基本法を制定するかについてはいろんな考え方があると思いますけれども、その基本理念を明らかにするというような方法、あるいは国が国民に対して一定の施策を約束するという形のもの、あるいは国民に対する呼びかけといったような基本法、いろんな形の基本法があり得るんではないかというふうに思っております。
それでは、社会保障あるいは高齢者に関する基本法制をつくる場合にどういった点を考慮していく必要があるのかという点で、メリットとデメリットに分けてそこに書いてございます。
基本法を制定する意義でございますが、基本的には、基本法を制定するに当たって社会保障の理念等について議論をするということになりますけれども、その議論をすること自体が意義があるのかということになると思います。
それ以外について、レジュメの①ですけれども、基本理念とか、基本原則、政策目標を明確にする、そういった明確にされた基本理念等に従って具体的な施策を行うことができる、そういうメリットもある。それから②ですが、社会保障についての国民の理解が深まるようになるんではないかと思います。それから③でございますが、関係各省庁による施策の総合的、計画的推進ということです。これは、基本法では、ある程度基本的な目標、基本原則というものを立てることによって各省庁の施策が調整がとれるということが期待されるわけですが、必ずしもそれが期待どおりにならないという可能性もあるということに注意する必要があります。
次に、制定するとした場合の問題点、デメリットということになると思いますが、一つは、①に書いてありますように、制定することにどういうふうな意義があるのか、あるいはその実効性があるのかという問題があります。
一般的に、基本法から具体的な権利義務が生ずるということは、もちろんその規定の仕方によると思いますけれども、ないということですね。しかも、基本法というのは個別の法と同じく法律という形ですから、基本法も個別の法も同じ効力を持つ。しかも、法律の一般原則として前法は後法を拘束しない、前に通った法律というのは後に通った法律を拘束しない、そういう原則があるわけですけれども、果たしてこういう基本法をつくっても実効性があるのかどうかということが問題になるんではないかというふうに思います。
それから②ですけれども、社会保障の定義とか範囲というのは非常に不明確でありまして、基本法を制定する場合にはそういったものを明確にしていく必要があると思うんですが、そこが可能かどうかということになります。お手元の社会保障制度審議会の将来像委員会の第一次報告ではその辺のところをある程度明らかにしておりますけれども、それでもなお、例えば住宅とか雇用とか、あるいは税制とかあるいはシルバーサービスといったものを、社会保障制度あるいは社会保障基本法の中に位置づけるのか位置づけないのか、どういうふうに位置づけるのか、そういった問題があろうかと思います。
それから③でございますが、個別社会保障法との関係ということでございます。個別の社会保障法にも理念とか原則とか、そういったものが規定されているものもございます。そういったものとの関係をどうするのかという問題があろうかと思います。
それから④ですけれども、制定の機運ということで、こういった基本法についてはそれを制定するだけの政治的な機運というのか、あるいはそれを後押しする団体というのがあるのかどうかという問題があるのではないか。社会保障の基本法という一般的な形についてそれをプロモートするような勢いがあるのかどうか、そういう問題があろうかと思います。
次に、(2)の社会保障法の法典化に係る問題ということでございます。
法典化というのはどういうものかということですけれども、社会保障については個別に、例えば老人福祉法とか国民年金法とか、あるいは生活保護法といういろんな法律があります。そういった社会保障に関する法律をまとめるということです。我が国というのは余り法典というのはないんですが、例えば民法典というのは債権債務、契約に関するものと親族相続、これは一応別なものですけれども、一応民事に関する法典ということで一つにまとめてある、そういうふうな例もございます。
諸外国では、レジュメにありますように、ドイツの社会法典、アメリカの社会保障法、フランスの社会保障法典といったものが例としてはございます。
ドイツは二十年ほどかけて徐々に法典化するという作業をしております。まだ完全には法典化の作業を終わっておりません。現在、法典化が終わっているのは、第一編の総則、第四編の社会保険法の通則、第五編の疾病保険、第六編の年金保険、第八編の児童・青少年扶助、第十編の行政手続、データ保護といったものがようやく法典化されております。それから、ことし例の介護保険法が社会法典の第十一編ということで法典化されております。
それから、アメリカの社会保障法も全部で二十編から成る法律でございますが、そこには年金に関するOASDI、それから高齢者の医療保険に関するメディケア、それから生活保護の医療扶助に該当するメディケード、あるいは失業保険、あるいは福祉サービス等が同一の社会保障法という中に盛り込まれております。
こういった社会保障に関して法典をつくるという場合のメリット・デメリットということでございます。
まずはメリットの方ですが、法典化の意義とあるところですね。これは基本法と同じようなメリットが、それは法典化の総則に基本理念等を置く章あるいは置く編を設ければ、基本法で述べたと同じようなメリットがあるというふうに思います。そのほかのメリットとしては、①にありますように、社会保障施策の整合化、同一の法典に盛り込むわけですから、そこである程度整合化が図られるということです。
それから二番目としては、分立した社会保障制度の一元化の契機になるんではないか。ただ、これも非常に難しいと思います。
それから三点目ですけれども、総則中に受給権の保護であるとか各種手続、不服申し立て、時効等についての共通規則を設定することによってこういった規定を整理統合する。例えば時効の規定は、現在は公的扶助法、生活保護法だとか国民年金法あるいは健康保険法、すべての規定にあるわけですが、各法の解釈が必ずしも同じではないんですね。それを総則規定に盛り込むことよって統一的な解釈とかそういうことが可能になるんではないかというふうに思います。
次にデメリットの問題ですけれども、ここでも法典化することの意義が問われるわけですね。単に現在ある法律を寄せ集めてつくるという形も可能であるわけですが、そういうことで果たしてメリットがあるのかどうかという問題。
それから二番目としては、法典化に要する時間、作業量とその効果を考えると、果たして意義があるのかどうかという問題です。
それから三番目としては、その後の大幅改正の可能性ということです。社会保障法は近年、毎年のように大幅に改正されておりまして、たとえ法典化してもそれがぐちゃぐちゃになる可能性があるわけです。例えばドイツの社会法典は、当初は十編から成るというふうに計画していたわけですが、先ほど申し上げましたように公的介護保険というものがつけ加わって十一編ということになっているわけです。
それから四番目としては、こういった統合化とか一元化するとすると、関係する省庁とか利害関係団体の合意がどれくらい得られるか、そういった問題があろうかと思います。
それから、(3)の保健、福祉等の計画法制定に係る問題のところに移りたいと思います。
現在、保健、福祉等に関する計画としては、そこに掲げてありますように、ゴールドプランだとか地方公共団体の老人保健福祉計画、それから老人保健法のヘルスサービスを行う保健事業第三次計画とか、あるいは医療法に基づく医療計画とか、あるいは今回改正されました障害者基本法に基づく計画とか、そういったものがございます。こういったものは、すべてが法律の根拠に基づいているわけではなくて、ゴールドプランのように三大臣の合意といったものに基づいているものもあるわけです。
これについて、我が国の法制上は計画法という一つの分野があるわけです。例えば、住宅建設計画法であるとかあるいは廃棄物処理施設整備緊急措置法であるとか道路整備緊急措置法、こういった法律によって五カ年計画を立ててそれを繰り返していくという形で施設整備を図っていく、そういうジャンルの法律があります。そういったものを保健、福祉についても制定するかどうか、こういう問題がございます。これについても、メリット・デメリットがあるというふうに思います。
計画法制定の意義のところですが、一つは保健・福祉施設等の計画的な整備が図られるのではないかということです。
それから二つ目としては、関係省庁による一体的、総合的な取り組みがこの計画法をつくることによって達成できるのではないか。
それから三番目としては、国の計画だけではなくて、地方に計画を立てさせるということで、計画作成の義務づけによる誘導が可能になるのではないか。これは地方自治との絡みもあって、これが望ましいかどうかというのはまた別の問題であります。
それから、一番のメリットというのは、こういう法律を制定することによって計画を作成する、それによって一定の財政資金が確保できるとすれば、それもメリットの一つに数えることができるのではないか。
それから、計画法制定の問題ということですが、やはりこれについても、制定することの意義があるのかどうか。ほかの計画法を見てみますと、計画策定の義務づけ程度でございまして、実際上の計画は閣議決定によるということですね。そうすると、必ずしも法律を制定するのではなくて、閣議決定で具体的な計画を立てれば足りるのではないか、こういう問題もございます。
それから、②にありますように、そもそも法律制定事項かどうか。基本的には、法律で制定するというのは、これは国民の権利義務に関することを法律に規定すると考えると、計画というのは必ずしも直接国民の権利義務に関係しないということで、こういった問題がある。しかも、近年では計画だけの法律というのは必ずしも制定することが認められない、そういう方向にあるようでございます。
それから三番目の、社会経済の変化への即応性。保健、福祉というのは近年非常に流動化しておりまして、それを法律に制定することによって固定化するという面があるとすれば、それがデメリットの一つに数えられるのではないかというふうに思います。
それから最後に、新ゴールドプランに係る基盤整備法ということですが、新ゴールドプランがどういう形になるかわかりませんけれども、少なくとも保健、福祉に関する施設整備を充実する、それからマンパワーの確保、こういったことについて現在よりも例えば税制上、財政上、金融上の特例措置というものが設けられるのなら、そこを法律に規定するということもあるいは可能なのかなという感じがします。
最後に、社会福祉法の権利にかかわる諸問題というところでございます。
どうして社会福祉法だけを取り上げたかと申しますと、他の社会保険法だとか社会手当法については国民の権利ということが割とはっきりしている。申請手続もはっきりしています。ところが、社会福祉に関してはそれが非常に不明確であります。
どういうふうに不明確かというと、基本的には社会福祉法は地方自治体の長、地方公共団体の長が職権でもって福祉サービスを行う、こういう仕方です。これを福祉の措置という。その措置というのは、地方公共団体の長が行政処分でもって福祉サービスを行う、職権で施設に入所させる、こういうことをいっているわけです。したがって、国民の側から申請することができるのかどうか、請求権があるのかどうか、そこら辺がよくわかっていない。職権措置が原則ですから、申請に関する手続規定が極めて不備、不備というよりもないに等しい。したがって、申請権とかあるいは請求権がないというふうに行政解釈はとっております。
またその判例も、申請権はない、職権措置に伴う反射的利益しかない、そういうのが判例でございます。
これは、ことしですか去年ですか、神奈川県で養護老人ホームに入っているお年寄りが、ここは四人部屋だから一人部屋に入れてほしいという訴訟を起こしました。これはもう最高裁まで行って判決が確定しているんですが、特に高裁判決、東京高裁の平成四年十一月三十日の判決では、行政解釈をとりまして、これは職権措置に伴う反射的利益しかなくて請求権はないという形で棄却しております。そういうことで、国民の権利という面から見ると非常に不十分であるということでございます。
それからもう一つ、職権措置と利用者の選択とあります。
これは、今述べましたように、地方公共団体の長が職権で措置するというシステムでございますから、利用者が選択する、あるいは利用者の選択が尊重されるというような仕組みではない、利用看が自己決定できるというような仕組みではないわけです。これについては極めて強く問題点が指摘されておりまして、今後はそういった利用者の選択権が尊重されるような方向で見直される必要があるのではないか。措置という形ではなくて、多様な福祉サービスの供給主体から利用者が望むものを選択するというような契約的な仕組みを導入する必要があるのではないか、そういうことが議論されております。
それから次の、通知、要綱等に基づく福祉サービスの法定化でございますが、福祉サービスは、法律に規定されているものだけではなくて予算措置によって非常に多くの福祉サービスが行われております。この予算措置というのは通知あるいは要綱に基づくものですから、法律に基づくものではないということで、それを受ける権利というのが非常に不明確です。支給をしないという決定を受けてもそれが訴訟に提起できない、通知に基づくものは提起できないというのが通説でございます。
したがって、ナショナルミニマムあるいは全国的に施行する、実施することが望ましい福祉サービスについては、通知、要綱という形ではなくて法律に規定していく必要があるのではないか。ただし、地方自治ということがありますから、地方が自主的に行うことが望ましいものについては、法律に規定するのではなくて通知なり要綱なりでも構わないのではないかと思います。
それから最後ですけれども、説明と広報ということです。
福祉サービスというのは非常に数多くあるということで、実際にそれを受けるためには、どういうサービスがあってどこに行けば受けられるかということが周知される必要があるわけです。それが周知されないと実際上サービスを受けられないという事態が生ずるわけです。
これについても実際上裁判で争われた例がございます。それは、児童扶養手当という制度で、これは一般に離別した母子家庭に支給される手当ですが、これは、支給要件に該当するに至った日から支給されるというのではなくて、請求した日から支給される。そうすると、児童扶養手当の制度があることを知らない人は請求したときからしか支給されない。
そこで、京都であった訴訟ですけれども、請求したときからではなくて、請求する前に支給要性が発生したときから児童扶養手当を支給してほしい、そういう訴訟がありました。これに対しては、第一審判決は、京都地裁の平成三年二月五円の判決ですけれども、広報の義務というのがあって、それは法的義務である、その広報の義務本怠ったために請求する前の児童扶養手当の受給権を失った、受給できなかったということで損害賠償請求が認められました。ところが第二審、控訴審の大阪高裁の平成五年十月五日の判決では、広報というのは法的義務ではないということで、結局一審判決を覆して損害賠償請求を認めなかったということでございます。
社会福祉、社会保障というのは非常に複雑でございますから、それを広く国民に周知するという義務を行政庁に課する、その反面として、国民はそういった情報を受け取る権利を有する、そういったこともひとつ検討する必要があるのではないかというふうに思います。
それから、(2)の福祉サービスの内容にかかわる権利でございます。
福祉サービスは、これは特に社会福祉施設に入所している場合には、憲法二十五条一項が定める健康で文化的な最低限度の生活を保障する必要があるわけですが、それを保障しているのは、現在では施設の設備とかあるいは運営に関する最低基準というものが定められております。しかし、この最低基準については非常に問題が多いというふうに指摘されております。
何かというと、まず第一にその最低基準の定める水準というのは極めて低い。これは戦後余り改正されていなくて、現在のように豊かな社会になっているにもかかわらず非常に水準が低い、そういう問題が指摘されております。
それから二点目としては、最低基準については施設の種別間でいろいろ差があるということでございます。もちろん、施設の種類によって差が設けられるのは当然であるというものがありますけれども、できる限りそれを統一していく必要があるのではないかというふうに思います。
それから三点目としては、最低基準というのは施設の設備面が中心で、そこで行われるサービスについての最低基準というのは必ずしも定められていない。特に在宅福祉サービスについては最低基準が定められていない、そういう問題が指摘されております。
それから第四番目に、最低基準は厚生省令で定められているものがありますけれども、通知とか要綱で定められているものもあります。通知とか要綱というのは、これは法的拘束力はないわけです。その最低基準に違反しても必ずしも違反を問えないということでございますから、法的拘束力のあるような形態、法規の形で制定する必要があるのではないかというふうに思います。
それから、今後、社会福祉については民間のサービスがふえていく、特に民間営利のサービスがふえてくるとなると、そういった質について確保をしていく必要がある、それはやはり法規の形で定める必要があるのではないかと思います。
ちなみに、ドイツではホーム法という法律をつくりまして、これで施設設備あるいはその内容等について規制をする、そういうことをとっております。
ただ、これも規制緩和が課題となっているときに、それとのバランスというものを考える必要があるのではないかというふうに思います。
それから、(3)の福祉サービスの手続にかかわる権利でございます。
先ほど申し上げましたように、社会福祉法は基本的に行政庁の職権で福祉サービスを提供するということでございますから、申請手続が規定されていない。ことしの十月から行政手続法が施行されまして、申請に対する処分について、レジュメにありますように、審査基準の設定、公表だとか標準処理期間の設定、公表というものが規定されております。これは、基本的には法令に定める申請だけに限るわけです。ところが社会福祉法については、法令に申請にかかわる手続が規定されていないということで、行政手続法の規定が適用されないわけです。したがって、老人福祉法なんかについて、老人ホームに入りたいというふうに申請をした場合には、その申請がほっておかれる可能性がある、あるいはその審査基準が不明確で次意的に入れられる、そういった可能性もあるわけですから、その申請について法令上きちんと定法る必要があるのではないかということが課題ふなっております。
それから(4)です。福祉サービスにかかわる権利の救済ということで、権利が侵害された場合には現在は行政不服審査法とか行政事件訴訟法によって救済の措置があるわけですが、例えば福祉施設に入所している人の待遇が悪かった、虐待されたというような場合には、これは行政処分ではないんです。単なる事実行為ですから、行政事件訴訟法の対象にもならないし、行政不服審査法の対象にもならない。
そうすると、そういったサービスが悪い、あるいはそういったものについての苦情処理手続が全くないということで、諸外国ではオンブズマンの制度、例えば、アメリカのナーシングホームにおいては処遇について不服がある場合にはオンブズマンが調査をする、あるいは中野区では日本のオンブズマン制度を設けております。こういった簡易迂遠な苦情処理手続というものが今後課題にたるのではないかというふうに思います。
それから五番目の、福祉サービス受給者の人権擁護の問題です。
特に施設入所者は、生活の相当部分をそこで過ごして管理されるというような面があるわけですから、そこで人権侵害がなされることに対して何らかの措置を講ずる必要がある。これについて現在の生活保護法では、施設入所者の平等待遇であるとかあるいは信教の自由を保障するという規定があります。ところが、ほかの施設についてはそういう規定がございません。それから、児童福祉法では、施設に入所させる場合には入所者の意思に反して入所させてはならない、こういう規定がありますけれども、ほかの社会福祉法にはそういう規定がありません。そういったものをほかの施設についても規定する必要があるのではないか。
それから、レジュメに書きましたように、プライバシーの保護とか身体的拘束の原則的禁止、自己決定や参加の保障等の規定も必要ではないか。特に、身体的拘束の原則的禁止というのは、これは、例えば病院とか老人ホームで痴呆なんかであるとベッドに縛ったりするわけです。これは人身の自由の侵害ということですから、それに関する要件とかその手続を決めておく必要があるのではないかというふうに思います。
それから最後ですが、意思能力の低下した者等の人権擁護と福祉サービスということでございます。
老人の虐待、例えば暴行を加える、痴呆性老人なんかについて虐待を加えるとか、あるいは食事を与えないとか、あるいは老人の財産を勝手に子供が処分するとか、そういったふうな場合の措置というものは極めて不備であるわけです。現在、我が国のこういった意思能力が欠けた者に対する制度としては禁治産と準禁治産の制度があるわけですが、これは非常に問題があるというふうに指摘されております。
どういうふうに問題があるかというと、例えば禁治産、準禁治産というのは、心神の喪失あるいは心神耗弱者ということで、寝たきり老人のように身体的な機能低下というのは必ずしも含まない、そういう問題がある。それから、こういう禁治産の制度というのは、基本的には取引の安全ということが重要視されて、その要保護者の保護ということが必ずしも十分ではないというようなこと。それから、禁治産、準禁治産という言葉自体が問題であるというようなこと。それから、禁治産となると法律行為をする能力が全部剥奪される、そういうふうな問題が指摘されておりまして、この制度はもう現在では見直しをする必要がある。
これは民法の改正ということで法制審議会の方で検討されているようでございまして、基本的には法制審議会における成年後見制度の見直しというところにまたざるを得ないと思いますけれども、それに至るまで社会福祉法の方で何らかの措置をとる必要があるのではないかというふうに黒います。
この問題について参考になるのは、児童福祉法で、虐待されている児童を保護するような手続が定められております。例えば、そういう虐待されている児童を発見した者は児童相談所に通告するとか、あるいは親権者が虐待している場合には後見人を選任するとか、そういった手続がとられております。ところが、精神薄弱者であるとか、あるいは痴呆性老人についての、成人についてのそういう仕組みは全くございません。
そういうことで、例えばの話でございますが、虐待されている老人等を発見した場合には福祉事務所に通報する、福祉事務所はそういった老人を一時保護するとか、あるいは施設に入所させるとか、それから、現在では後見者の選任というのは親族と検察官にしか認められておりませんけれども、そういったものを福祉事務所長に認めるとか、そういったふうな改正が必要ではないか。
それから、痴呆性の高齢者とか精神薄弱者の財産管理の問題でございますが、これも、痴呆性で財産が管理できなくなったというような場合には何らかの措置が必要であります。これは地方公共団体によっては財産管理サービスというのをやっておるところもあります。例えば、年金の収入で日用品を買うとか、あるいは老人の財産が詐欺に遣わないようにその財産を管理するとか、そういったふうなサービスをやっそおるところがあります。あるいは相続の場合、相続がきちんと精神薄弱者に行われるかどうか、そういう問題。それから、末期医療の場合に、意思能力を喪失した者に対しての医療の同意権というのか、末期医療を行うことの同意権とか、そういった問題も生じてくるわけでございまして、これについても何らかの措置を講ずる必要があるのではないか。
諸外国では成年後見制度が見直されておりまして、基本的には、全面的に権利能力を剥奪するというようなことはやめにする、それに対して、世話人であるとか、あるいは代理権、代理人を選ぶとかそういったふうな改正がなされてきておりまして、我が国でもそういう成年後見制度を今後見直していくべき必要があるのではないか、そういうふうに思っております。
ちょっと時間が超過しましたけれども、私の意見をこれで終わらせていただきます。
この発言だけを見る →それでは、座って説明させていただきます。
私が意見を述べよというふうに言われましたのは、社会保障の理念と法的な諸問題ということでございます。時間が限られておりますので、その問題について、レジュメにありますように一応三点に絞ってございます。
一つは、社会保障の理念ということでございます。それから二つ目は、レジュメの二ページにありますように社会保障に係る基本法制のあり方でございます。それから三点目は、三ページにありますように社会福祉法の権利にかかわる諸問題ということでございます。
早速御説明したいと思います。
最初に、社会保障の理念ということでございます。
ここのレジュメにありますように、我々が生活を送る上でさまざまな困難、生活上の困難に直面することがあるわけでございます。病気とかけがとか障害、死亡あるいは失業、そういったときに国家が国民に対して生活の保障をするというものが社会保障であるというふうに私は理解しております。
かつては、社会保障というのは貧困の救済とかあるいは貧困の予防というところにその目的があるというふうに言われておりましたけれども、今日では、健やかで安定した生活を保障するということが社会保障の目的ではないかというふうに言われております。これが直接的な社会保障の目的だというふうに考えておりますけれども、これは国民の福祉の向上という、より高次の目的を達成するための手段でもあるというふうに考えております。
国民の福祉の向上というのは、単に社会保障によって達成されるだけではなくて、公共事業だとか教育だとかあるいは公害の防止、そういったふうな施策によっても達成されるという意味で、国民の福祉の向上という目的を達成するために健やかで安定した生活を国民に保障する、それが社会保障である、こういうふうにとらえております。そういった国民の福祉の向上は、国民によって国政を負託された国家、これは私は国と地方公共団体というふうに考えておりますけれども、国家によって行われるというふうにとらえることができるのではないかと思います。
それから、レジュメの1の②のところでございますが、このように国家が国民の生活保障のため。に社会保障の給付を行うといっても、その財源は国民が拠出しました租税とか保険料でございますので、結局、社会保障というのは国民の共同連帯によって国民の生活を保障するものであるというふうに言うことができるのではないかというふうに思います。この社会連帯の考え方が社会保障を支える原理の一つであるというふうに考えております。
それから、レジュメの(3)でございますが、社会保障はこのように社会連帯ということを基礎とするわけですけれども、それともう一つ、人間に値する最低限度の生活を保障することによって人間の尊厳を守るという目的も有しているのではないかというふうに思います。
この人間に値する最低限度の生活というのは、我が国の憲法上、二十五条の一項に、健康で文化的な最低限度の生活というものを保障するという規定があります。したがって、憲法に規定された基本的人権としての人間的最低生活権もその社会保障を支える原理の一つであるということが言えるのではないかと思います。
ちなみに、憲法二十五条一項は一般的には生存権というふうに言われておりますが、生存権というのはその言葉からして生きるか死ぬかというぎりぎりの生活水準というふうなニュアンスでとらえられる。ところが憲法二十五条一項が規定しているのは、健康で文化的な最低限度の生活。これは、ぎりぎりの生活水準ではなくて、それより高い水準ではないかということで、私はこれを、人間的最低生活権、こういうふうに呼んでおります。こういうふうに、人間的最低生活権も社会保障を支える原理の一つであるというふうに考えております。
ただし、憲法二十五条一項はこのように最低限度の生活を保障するということですけれども、現在の社会保障はこういった最低限度の生活水準を超える給付も行うことがあるわけです。例えば、ことしの年金改正で、厚生年金の標準年金は夫婦二人で月額二十三万円というふうになっております。ところが、生活保護の水準は老夫婦二人で十五・五万円ほどですから、最低限度の生活を上回る給付も行っているということです。これは憲法二十五条の二項が、こういった最低限度の生活を上回る生活水準、私は生活向上権と言っていますけれども、これを規定しておる、そこから来ているというふうに考えられるわけです。
それから、レジュメの(4)ですが、以上述べましたように、国民の生活を保障する上で社会保障の果たす役割は大きいわけですが、国家がすべて国民の生活を維持するというのではなくて、みずからの生活の維持向上はみずからの努力によって行うべきであるという、生活自己責任あるいは自助の原理も依然として重要であるということを認識する必要があるのではないかというふうに思います。また、家族による扶養とか地域社会における助け合い、あるいは民間の福祉事業、企業福祉といったものも国民の生活保障に一定の役割を果たしておるということで、こういった自助、互助及び公助が相まって国民の生活が保たれると言うことができるのではないか。
こういった自助、互助、公助の役割分担であるとか、あるいはその連携のあり方については、国民の意識とかあるいは財政事情その他の社会経済の状況によって異なってくるということになりますけれども、これらを総合的に勘案して社会保障制度を構築していくのが立法府及び行政府の役割ではないかというふうに思っております。
レジュメの(5)ですけれども、こういった社会保障の基本的な考え方に立って社会保障の政策が推進される必要があるというふうに考えるわけですけれども、その推進に当たっては、昨年二月、社会保障制度審議会の将来像委員会の第一次報告が立てた五原則というものがありますけれども、こういったものが参考にされる必要があるんではないかというふうに思います。その五原則というのは、レジュメに書いてありますように、国民があまねく社会保障の給付を受けられる普遍性、それから公平性、有効性、総合性、権利性。このほかには、例えば自立とか参加とか、そういった原則をもこういった社会保障政策の推進に当たって考慮される必要があるんではないかというふうに思います。
なお、お手元に第一次報告の写しが配付されていると思いますけれども、ここには社会保障の理念あるいは公私の役割あるいは原則等について詳しく検討してございますので、参考にしていただければというふうに思います。
以上が社会保障の基本的理念でございます。
次に、社会保障に係る法的諸問題というところに移りたいと思います。
社会保障の法的諸問題ということでございますが、社会保障の具体的な制度、政策についても、これは基本的に法律に規定するということで、あらゆることが法的諸問題ということになるわけですけれども、ここで法的諸問題と私が取り上げましたのは、レジュメの二番目の社会保障に係る基本法制のあり方の問題と、それからレジュメの三番目の社会福祉法の権利義務に関する問題でございます。この二点については、従来余り政策論あるいは制度論として論じられていない、しかも法律的に極めて重要な問題を含むものである、そういう認識から取り上げたということでございます。
レジュメの二番目の社会保障に係る基本法制のあり方でございますけれども、これについても三つに分けて論じたいというふうに思います。
一つは、社会保障基本法の制定に係る問題ということでございます。それから二点目は社会保障法の法典化に係る問題、それから三点目は保健、福祉等の計画法制定に係る問題、この三つに分けて報告したいというふうに思います。
まず最初に、社会保障基本法の制定に係る問題ということでございます。
この調査会は高齢者に関する調査会ということでございますが、社会保障の基本法ということだけではなくて高齢者に対する基本法ということも考えられるということですけれども、以下で述べることは、高齢者に関する基本法制についてもほぼ同じようなことが言えるんではないかというふうに思っております。
我が国に基本法としてどのようなものがあるかということでございますが、そこには障害者基本法とか環境基本法というのを掲げてありますが、それ以外にも教育基本法とか原子力基本法とか、私の調べたところでは全体として十二の基本法があるというふうに理解しております。
障害者基本法とか環境基本法の例を見てみますと、どういったことが規定されているかというと、レジュメにありますように、目的とか基本理念とか、それから国とか地方公共団体の責務あるいは国民の責務とか関係事業者の責務というようなこと、それから、いろいろな計画を立てる、年次報告をする、それから具体的な各種施策の目標とか、あるいはその関係する審議会について規定するということが基本的なパターンではないかというふうに思います。
どういう基本法を制定するかについてはいろんな考え方があると思いますけれども、その基本理念を明らかにするというような方法、あるいは国が国民に対して一定の施策を約束するという形のもの、あるいは国民に対する呼びかけといったような基本法、いろんな形の基本法があり得るんではないかというふうに思っております。
それでは、社会保障あるいは高齢者に関する基本法制をつくる場合にどういった点を考慮していく必要があるのかという点で、メリットとデメリットに分けてそこに書いてございます。
基本法を制定する意義でございますが、基本的には、基本法を制定するに当たって社会保障の理念等について議論をするということになりますけれども、その議論をすること自体が意義があるのかということになると思います。
それ以外について、レジュメの①ですけれども、基本理念とか、基本原則、政策目標を明確にする、そういった明確にされた基本理念等に従って具体的な施策を行うことができる、そういうメリットもある。それから②ですが、社会保障についての国民の理解が深まるようになるんではないかと思います。それから③でございますが、関係各省庁による施策の総合的、計画的推進ということです。これは、基本法では、ある程度基本的な目標、基本原則というものを立てることによって各省庁の施策が調整がとれるということが期待されるわけですが、必ずしもそれが期待どおりにならないという可能性もあるということに注意する必要があります。
次に、制定するとした場合の問題点、デメリットということになると思いますが、一つは、①に書いてありますように、制定することにどういうふうな意義があるのか、あるいはその実効性があるのかという問題があります。
一般的に、基本法から具体的な権利義務が生ずるということは、もちろんその規定の仕方によると思いますけれども、ないということですね。しかも、基本法というのは個別の法と同じく法律という形ですから、基本法も個別の法も同じ効力を持つ。しかも、法律の一般原則として前法は後法を拘束しない、前に通った法律というのは後に通った法律を拘束しない、そういう原則があるわけですけれども、果たしてこういう基本法をつくっても実効性があるのかどうかということが問題になるんではないかというふうに思います。
それから②ですけれども、社会保障の定義とか範囲というのは非常に不明確でありまして、基本法を制定する場合にはそういったものを明確にしていく必要があると思うんですが、そこが可能かどうかということになります。お手元の社会保障制度審議会の将来像委員会の第一次報告ではその辺のところをある程度明らかにしておりますけれども、それでもなお、例えば住宅とか雇用とか、あるいは税制とかあるいはシルバーサービスといったものを、社会保障制度あるいは社会保障基本法の中に位置づけるのか位置づけないのか、どういうふうに位置づけるのか、そういった問題があろうかと思います。
それから③でございますが、個別社会保障法との関係ということでございます。個別の社会保障法にも理念とか原則とか、そういったものが規定されているものもございます。そういったものとの関係をどうするのかという問題があろうかと思います。
それから④ですけれども、制定の機運ということで、こういった基本法についてはそれを制定するだけの政治的な機運というのか、あるいはそれを後押しする団体というのがあるのかどうかという問題があるのではないか。社会保障の基本法という一般的な形についてそれをプロモートするような勢いがあるのかどうか、そういう問題があろうかと思います。
次に、(2)の社会保障法の法典化に係る問題ということでございます。
法典化というのはどういうものかということですけれども、社会保障については個別に、例えば老人福祉法とか国民年金法とか、あるいは生活保護法といういろんな法律があります。そういった社会保障に関する法律をまとめるということです。我が国というのは余り法典というのはないんですが、例えば民法典というのは債権債務、契約に関するものと親族相続、これは一応別なものですけれども、一応民事に関する法典ということで一つにまとめてある、そういうふうな例もございます。
諸外国では、レジュメにありますように、ドイツの社会法典、アメリカの社会保障法、フランスの社会保障法典といったものが例としてはございます。
ドイツは二十年ほどかけて徐々に法典化するという作業をしております。まだ完全には法典化の作業を終わっておりません。現在、法典化が終わっているのは、第一編の総則、第四編の社会保険法の通則、第五編の疾病保険、第六編の年金保険、第八編の児童・青少年扶助、第十編の行政手続、データ保護といったものがようやく法典化されております。それから、ことし例の介護保険法が社会法典の第十一編ということで法典化されております。
それから、アメリカの社会保障法も全部で二十編から成る法律でございますが、そこには年金に関するOASDI、それから高齢者の医療保険に関するメディケア、それから生活保護の医療扶助に該当するメディケード、あるいは失業保険、あるいは福祉サービス等が同一の社会保障法という中に盛り込まれております。
こういった社会保障に関して法典をつくるという場合のメリット・デメリットということでございます。
まずはメリットの方ですが、法典化の意義とあるところですね。これは基本法と同じようなメリットが、それは法典化の総則に基本理念等を置く章あるいは置く編を設ければ、基本法で述べたと同じようなメリットがあるというふうに思います。そのほかのメリットとしては、①にありますように、社会保障施策の整合化、同一の法典に盛り込むわけですから、そこである程度整合化が図られるということです。
それから二番目としては、分立した社会保障制度の一元化の契機になるんではないか。ただ、これも非常に難しいと思います。
それから三点目ですけれども、総則中に受給権の保護であるとか各種手続、不服申し立て、時効等についての共通規則を設定することによってこういった規定を整理統合する。例えば時効の規定は、現在は公的扶助法、生活保護法だとか国民年金法あるいは健康保険法、すべての規定にあるわけですが、各法の解釈が必ずしも同じではないんですね。それを総則規定に盛り込むことよって統一的な解釈とかそういうことが可能になるんではないかというふうに思います。
次にデメリットの問題ですけれども、ここでも法典化することの意義が問われるわけですね。単に現在ある法律を寄せ集めてつくるという形も可能であるわけですが、そういうことで果たしてメリットがあるのかどうかという問題。
それから二番目としては、法典化に要する時間、作業量とその効果を考えると、果たして意義があるのかどうかという問題です。
それから三番目としては、その後の大幅改正の可能性ということです。社会保障法は近年、毎年のように大幅に改正されておりまして、たとえ法典化してもそれがぐちゃぐちゃになる可能性があるわけです。例えばドイツの社会法典は、当初は十編から成るというふうに計画していたわけですが、先ほど申し上げましたように公的介護保険というものがつけ加わって十一編ということになっているわけです。
それから四番目としては、こういった統合化とか一元化するとすると、関係する省庁とか利害関係団体の合意がどれくらい得られるか、そういった問題があろうかと思います。
それから、(3)の保健、福祉等の計画法制定に係る問題のところに移りたいと思います。
現在、保健、福祉等に関する計画としては、そこに掲げてありますように、ゴールドプランだとか地方公共団体の老人保健福祉計画、それから老人保健法のヘルスサービスを行う保健事業第三次計画とか、あるいは医療法に基づく医療計画とか、あるいは今回改正されました障害者基本法に基づく計画とか、そういったものがございます。こういったものは、すべてが法律の根拠に基づいているわけではなくて、ゴールドプランのように三大臣の合意といったものに基づいているものもあるわけです。
これについて、我が国の法制上は計画法という一つの分野があるわけです。例えば、住宅建設計画法であるとかあるいは廃棄物処理施設整備緊急措置法であるとか道路整備緊急措置法、こういった法律によって五カ年計画を立ててそれを繰り返していくという形で施設整備を図っていく、そういうジャンルの法律があります。そういったものを保健、福祉についても制定するかどうか、こういう問題がございます。これについても、メリット・デメリットがあるというふうに思います。
計画法制定の意義のところですが、一つは保健・福祉施設等の計画的な整備が図られるのではないかということです。
それから二つ目としては、関係省庁による一体的、総合的な取り組みがこの計画法をつくることによって達成できるのではないか。
それから三番目としては、国の計画だけではなくて、地方に計画を立てさせるということで、計画作成の義務づけによる誘導が可能になるのではないか。これは地方自治との絡みもあって、これが望ましいかどうかというのはまた別の問題であります。
それから、一番のメリットというのは、こういう法律を制定することによって計画を作成する、それによって一定の財政資金が確保できるとすれば、それもメリットの一つに数えることができるのではないか。
それから、計画法制定の問題ということですが、やはりこれについても、制定することの意義があるのかどうか。ほかの計画法を見てみますと、計画策定の義務づけ程度でございまして、実際上の計画は閣議決定によるということですね。そうすると、必ずしも法律を制定するのではなくて、閣議決定で具体的な計画を立てれば足りるのではないか、こういう問題もございます。
それから、②にありますように、そもそも法律制定事項かどうか。基本的には、法律で制定するというのは、これは国民の権利義務に関することを法律に規定すると考えると、計画というのは必ずしも直接国民の権利義務に関係しないということで、こういった問題がある。しかも、近年では計画だけの法律というのは必ずしも制定することが認められない、そういう方向にあるようでございます。
それから三番目の、社会経済の変化への即応性。保健、福祉というのは近年非常に流動化しておりまして、それを法律に制定することによって固定化するという面があるとすれば、それがデメリットの一つに数えられるのではないかというふうに思います。
それから最後に、新ゴールドプランに係る基盤整備法ということですが、新ゴールドプランがどういう形になるかわかりませんけれども、少なくとも保健、福祉に関する施設整備を充実する、それからマンパワーの確保、こういったことについて現在よりも例えば税制上、財政上、金融上の特例措置というものが設けられるのなら、そこを法律に規定するということもあるいは可能なのかなという感じがします。
最後に、社会福祉法の権利にかかわる諸問題というところでございます。
どうして社会福祉法だけを取り上げたかと申しますと、他の社会保険法だとか社会手当法については国民の権利ということが割とはっきりしている。申請手続もはっきりしています。ところが、社会福祉に関してはそれが非常に不明確であります。
どういうふうに不明確かというと、基本的には社会福祉法は地方自治体の長、地方公共団体の長が職権でもって福祉サービスを行う、こういう仕方です。これを福祉の措置という。その措置というのは、地方公共団体の長が行政処分でもって福祉サービスを行う、職権で施設に入所させる、こういうことをいっているわけです。したがって、国民の側から申請することができるのかどうか、請求権があるのかどうか、そこら辺がよくわかっていない。職権措置が原則ですから、申請に関する手続規定が極めて不備、不備というよりもないに等しい。したがって、申請権とかあるいは請求権がないというふうに行政解釈はとっております。
またその判例も、申請権はない、職権措置に伴う反射的利益しかない、そういうのが判例でございます。
これは、ことしですか去年ですか、神奈川県で養護老人ホームに入っているお年寄りが、ここは四人部屋だから一人部屋に入れてほしいという訴訟を起こしました。これはもう最高裁まで行って判決が確定しているんですが、特に高裁判決、東京高裁の平成四年十一月三十日の判決では、行政解釈をとりまして、これは職権措置に伴う反射的利益しかなくて請求権はないという形で棄却しております。そういうことで、国民の権利という面から見ると非常に不十分であるということでございます。
それからもう一つ、職権措置と利用者の選択とあります。
これは、今述べましたように、地方公共団体の長が職権で措置するというシステムでございますから、利用者が選択する、あるいは利用者の選択が尊重されるというような仕組みではない、利用看が自己決定できるというような仕組みではないわけです。これについては極めて強く問題点が指摘されておりまして、今後はそういった利用者の選択権が尊重されるような方向で見直される必要があるのではないか。措置という形ではなくて、多様な福祉サービスの供給主体から利用者が望むものを選択するというような契約的な仕組みを導入する必要があるのではないか、そういうことが議論されております。
それから次の、通知、要綱等に基づく福祉サービスの法定化でございますが、福祉サービスは、法律に規定されているものだけではなくて予算措置によって非常に多くの福祉サービスが行われております。この予算措置というのは通知あるいは要綱に基づくものですから、法律に基づくものではないということで、それを受ける権利というのが非常に不明確です。支給をしないという決定を受けてもそれが訴訟に提起できない、通知に基づくものは提起できないというのが通説でございます。
したがって、ナショナルミニマムあるいは全国的に施行する、実施することが望ましい福祉サービスについては、通知、要綱という形ではなくて法律に規定していく必要があるのではないか。ただし、地方自治ということがありますから、地方が自主的に行うことが望ましいものについては、法律に規定するのではなくて通知なり要綱なりでも構わないのではないかと思います。
それから最後ですけれども、説明と広報ということです。
福祉サービスというのは非常に数多くあるということで、実際にそれを受けるためには、どういうサービスがあってどこに行けば受けられるかということが周知される必要があるわけです。それが周知されないと実際上サービスを受けられないという事態が生ずるわけです。
これについても実際上裁判で争われた例がございます。それは、児童扶養手当という制度で、これは一般に離別した母子家庭に支給される手当ですが、これは、支給要件に該当するに至った日から支給されるというのではなくて、請求した日から支給される。そうすると、児童扶養手当の制度があることを知らない人は請求したときからしか支給されない。
そこで、京都であった訴訟ですけれども、請求したときからではなくて、請求する前に支給要性が発生したときから児童扶養手当を支給してほしい、そういう訴訟がありました。これに対しては、第一審判決は、京都地裁の平成三年二月五円の判決ですけれども、広報の義務というのがあって、それは法的義務である、その広報の義務本怠ったために請求する前の児童扶養手当の受給権を失った、受給できなかったということで損害賠償請求が認められました。ところが第二審、控訴審の大阪高裁の平成五年十月五日の判決では、広報というのは法的義務ではないということで、結局一審判決を覆して損害賠償請求を認めなかったということでございます。
社会福祉、社会保障というのは非常に複雑でございますから、それを広く国民に周知するという義務を行政庁に課する、その反面として、国民はそういった情報を受け取る権利を有する、そういったこともひとつ検討する必要があるのではないかというふうに思います。
それから、(2)の福祉サービスの内容にかかわる権利でございます。
福祉サービスは、これは特に社会福祉施設に入所している場合には、憲法二十五条一項が定める健康で文化的な最低限度の生活を保障する必要があるわけですが、それを保障しているのは、現在では施設の設備とかあるいは運営に関する最低基準というものが定められております。しかし、この最低基準については非常に問題が多いというふうに指摘されております。
何かというと、まず第一にその最低基準の定める水準というのは極めて低い。これは戦後余り改正されていなくて、現在のように豊かな社会になっているにもかかわらず非常に水準が低い、そういう問題が指摘されております。
それから二点目としては、最低基準については施設の種別間でいろいろ差があるということでございます。もちろん、施設の種類によって差が設けられるのは当然であるというものがありますけれども、できる限りそれを統一していく必要があるのではないかというふうに思います。
それから三点目としては、最低基準というのは施設の設備面が中心で、そこで行われるサービスについての最低基準というのは必ずしも定められていない。特に在宅福祉サービスについては最低基準が定められていない、そういう問題が指摘されております。
それから第四番目に、最低基準は厚生省令で定められているものがありますけれども、通知とか要綱で定められているものもあります。通知とか要綱というのは、これは法的拘束力はないわけです。その最低基準に違反しても必ずしも違反を問えないということでございますから、法的拘束力のあるような形態、法規の形で制定する必要があるのではないかというふうに思います。
それから、今後、社会福祉については民間のサービスがふえていく、特に民間営利のサービスがふえてくるとなると、そういった質について確保をしていく必要がある、それはやはり法規の形で定める必要があるのではないかと思います。
ちなみに、ドイツではホーム法という法律をつくりまして、これで施設設備あるいはその内容等について規制をする、そういうことをとっております。
ただ、これも規制緩和が課題となっているときに、それとのバランスというものを考える必要があるのではないかというふうに思います。
それから、(3)の福祉サービスの手続にかかわる権利でございます。
先ほど申し上げましたように、社会福祉法は基本的に行政庁の職権で福祉サービスを提供するということでございますから、申請手続が規定されていない。ことしの十月から行政手続法が施行されまして、申請に対する処分について、レジュメにありますように、審査基準の設定、公表だとか標準処理期間の設定、公表というものが規定されております。これは、基本的には法令に定める申請だけに限るわけです。ところが社会福祉法については、法令に申請にかかわる手続が規定されていないということで、行政手続法の規定が適用されないわけです。したがって、老人福祉法なんかについて、老人ホームに入りたいというふうに申請をした場合には、その申請がほっておかれる可能性がある、あるいはその審査基準が不明確で次意的に入れられる、そういった可能性もあるわけですから、その申請について法令上きちんと定法る必要があるのではないかということが課題ふなっております。
それから(4)です。福祉サービスにかかわる権利の救済ということで、権利が侵害された場合には現在は行政不服審査法とか行政事件訴訟法によって救済の措置があるわけですが、例えば福祉施設に入所している人の待遇が悪かった、虐待されたというような場合には、これは行政処分ではないんです。単なる事実行為ですから、行政事件訴訟法の対象にもならないし、行政不服審査法の対象にもならない。
そうすると、そういったサービスが悪い、あるいはそういったものについての苦情処理手続が全くないということで、諸外国ではオンブズマンの制度、例えば、アメリカのナーシングホームにおいては処遇について不服がある場合にはオンブズマンが調査をする、あるいは中野区では日本のオンブズマン制度を設けております。こういった簡易迂遠な苦情処理手続というものが今後課題にたるのではないかというふうに思います。
それから五番目の、福祉サービス受給者の人権擁護の問題です。
特に施設入所者は、生活の相当部分をそこで過ごして管理されるというような面があるわけですから、そこで人権侵害がなされることに対して何らかの措置を講ずる必要がある。これについて現在の生活保護法では、施設入所者の平等待遇であるとかあるいは信教の自由を保障するという規定があります。ところが、ほかの施設についてはそういう規定がございません。それから、児童福祉法では、施設に入所させる場合には入所者の意思に反して入所させてはならない、こういう規定がありますけれども、ほかの社会福祉法にはそういう規定がありません。そういったものをほかの施設についても規定する必要があるのではないか。
それから、レジュメに書きましたように、プライバシーの保護とか身体的拘束の原則的禁止、自己決定や参加の保障等の規定も必要ではないか。特に、身体的拘束の原則的禁止というのは、これは、例えば病院とか老人ホームで痴呆なんかであるとベッドに縛ったりするわけです。これは人身の自由の侵害ということですから、それに関する要件とかその手続を決めておく必要があるのではないかというふうに思います。
それから最後ですが、意思能力の低下した者等の人権擁護と福祉サービスということでございます。
老人の虐待、例えば暴行を加える、痴呆性老人なんかについて虐待を加えるとか、あるいは食事を与えないとか、あるいは老人の財産を勝手に子供が処分するとか、そういったふうな場合の措置というものは極めて不備であるわけです。現在、我が国のこういった意思能力が欠けた者に対する制度としては禁治産と準禁治産の制度があるわけですが、これは非常に問題があるというふうに指摘されております。
どういうふうに問題があるかというと、例えば禁治産、準禁治産というのは、心神の喪失あるいは心神耗弱者ということで、寝たきり老人のように身体的な機能低下というのは必ずしも含まない、そういう問題がある。それから、こういう禁治産の制度というのは、基本的には取引の安全ということが重要視されて、その要保護者の保護ということが必ずしも十分ではないというようなこと。それから、禁治産、準禁治産という言葉自体が問題であるというようなこと。それから、禁治産となると法律行為をする能力が全部剥奪される、そういうふうな問題が指摘されておりまして、この制度はもう現在では見直しをする必要がある。
これは民法の改正ということで法制審議会の方で検討されているようでございまして、基本的には法制審議会における成年後見制度の見直しというところにまたざるを得ないと思いますけれども、それに至るまで社会福祉法の方で何らかの措置をとる必要があるのではないかというふうに黒います。
この問題について参考になるのは、児童福祉法で、虐待されている児童を保護するような手続が定められております。例えば、そういう虐待されている児童を発見した者は児童相談所に通告するとか、あるいは親権者が虐待している場合には後見人を選任するとか、そういった手続がとられております。ところが、精神薄弱者であるとか、あるいは痴呆性老人についての、成人についてのそういう仕組みは全くございません。
そういうことで、例えばの話でございますが、虐待されている老人等を発見した場合には福祉事務所に通報する、福祉事務所はそういった老人を一時保護するとか、あるいは施設に入所させるとか、それから、現在では後見者の選任というのは親族と検察官にしか認められておりませんけれども、そういったものを福祉事務所長に認めるとか、そういったふうな改正が必要ではないか。
それから、痴呆性の高齢者とか精神薄弱者の財産管理の問題でございますが、これも、痴呆性で財産が管理できなくなったというような場合には何らかの措置が必要であります。これは地方公共団体によっては財産管理サービスというのをやっておるところもあります。例えば、年金の収入で日用品を買うとか、あるいは老人の財産が詐欺に遣わないようにその財産を管理するとか、そういったふうなサービスをやっそおるところがあります。あるいは相続の場合、相続がきちんと精神薄弱者に行われるかどうか、そういう問題。それから、末期医療の場合に、意思能力を喪失した者に対しての医療の同意権というのか、末期医療を行うことの同意権とか、そういった問題も生じてくるわけでございまして、これについても何らかの措置を講ずる必要があるのではないか。
諸外国では成年後見制度が見直されておりまして、基本的には、全面的に権利能力を剥奪するというようなことはやめにする、それに対して、世話人であるとか、あるいは代理権、代理人を選ぶとかそういったふうな改正がなされてきておりまして、我が国でもそういう成年後見制度を今後見直していくべき必要があるのではないか、そういうふうに思っております。
ちょっと時間が超過しましたけれども、私の意見をこれで終わらせていただきます。
鈴
鈴木省吾#4
○会長(鈴木省吾君) ありがとうございました。
以上で堀参考人の御意見の陳述は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
質疑のある方は順次御発言願います。
この発言だけを見る →以上で堀参考人の御意見の陳述は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
質疑のある方は順次御発言願います。
服
服部三男雄#5
○服部三男雄君 私の方から少しお尋ねさせていただきたいんですが、当調査会で今までいろんな講師の先生がお越しいただきまして、来る迫りくる高齢化社会の対応について諸問題を研究させていただきました。その多くの先生方の話は、今後こういう社会福祉制度であるべきだとか、こういう措置を国としてとるべきだというような御説明が多かったわけでございますが、きょうの堀先生のは、今の法的な側面からどうあるべきかという、また違った視点での説明を受けまして、特にこれから二十一世紀に大量の社会福祉のサービスを要する人が激増するだろうと、そういった事態になったときにどのように法的に事前に整備しておかなければいかぬかという、非常に貴重な教示を受けたように思います。
例えてみますと、今政府がやろうとしているいろんなことは、昭和二十年代から三十年代の日本の住宅政策のようなものでありまして、量的な問題ばかりに触れているような気がしておったわけでありますが、その点、先生の特に「社会福祉法の権利にかかわる諸問題」のところで、そういった大量の福祉サービスの処理において、画一的になりかねない行政の欠陥を事前に立法政策で防止しておこうという観点から、非常に参考になったと思っております。大いに勉強させていただきました。
そこで、少し視点を変えまして、これから地方分権になると言われております。大いに国の権限、財源を地方に回そうというのが国民的合意であり、特に村山内閣ではそれが重要政策課題になってきておりまして、その動きは今後ますます加速するだろうと思うんですが、そうしますと、先生がおっしゃっている、例えば法典化の問題とか、これと分権とはどういうふうにかかわってくるのか。
私が考えますのは、地方にいろんなことをお任せするわけですから、むしろある程度基本的なことは法典化しておいた方がいいのかなという気もするんです。もっとも、分権化といってもまだ雲をつかむような話でありまして、社会福祉に関する財源をどのように移譲し、どのようにしていくかということが何もわかっていないんですけれども、一般論的な分権という観念で少し御説明いただけたらありがたいんです。
この発言だけを見る →例えてみますと、今政府がやろうとしているいろんなことは、昭和二十年代から三十年代の日本の住宅政策のようなものでありまして、量的な問題ばかりに触れているような気がしておったわけでありますが、その点、先生の特に「社会福祉法の権利にかかわる諸問題」のところで、そういった大量の福祉サービスの処理において、画一的になりかねない行政の欠陥を事前に立法政策で防止しておこうという観点から、非常に参考になったと思っております。大いに勉強させていただきました。
そこで、少し視点を変えまして、これから地方分権になると言われております。大いに国の権限、財源を地方に回そうというのが国民的合意であり、特に村山内閣ではそれが重要政策課題になってきておりまして、その動きは今後ますます加速するだろうと思うんですが、そうしますと、先生がおっしゃっている、例えば法典化の問題とか、これと分権とはどういうふうにかかわってくるのか。
私が考えますのは、地方にいろんなことをお任せするわけですから、むしろある程度基本的なことは法典化しておいた方がいいのかなという気もするんです。もっとも、分権化といってもまだ雲をつかむような話でありまして、社会福祉に関する財源をどのように移譲し、どのようにしていくかということが何もわかっていないんですけれども、一般論的な分権という観念で少し御説明いただけたらありがたいんです。
堀
堀勝洋#6
○参考人(堀勝洋君) 地方分権の御質問でございますが、これは社会保障の分野によって違うと思います。
年金保険とか社会保険、社会保険なんかでも国民健康保険とはちょっと違うと思いますが、社会保険については分権というよりもむしろ国の役割の方が多いんだろうというふうに思います。
問題は、やっぱり社会福祉とかあるいは保健サービス、この分野については分権化の方向を進めるべきである。地方分権化も、都道府県と市町村との役割分担の問題もございますし、これについては御承知のように近年、例えばその措置権を都道府県から市町村へ移譲するとか、あるいは機関委任事務を地方に移譲するとか、そういう分権化の方向があると思います。こういった方向は、私は基本的に進められるべきであるというふうに思います。問題はその財源でございますので、私は地方財政の問題は詳しくないんですけれども、ことし何か消費税について地方消費税が認められた、そういった方向はやっぱり望ましいのではないかというふうに思います。
法典化との絡みですけれども、そういった地方分権の基本的考えを法典に盛り込むということは有意義なことではないかというふうに思っております。そういうことでお答えになったでしょうか。
この発言だけを見る →年金保険とか社会保険、社会保険なんかでも国民健康保険とはちょっと違うと思いますが、社会保険については分権というよりもむしろ国の役割の方が多いんだろうというふうに思います。
問題は、やっぱり社会福祉とかあるいは保健サービス、この分野については分権化の方向を進めるべきである。地方分権化も、都道府県と市町村との役割分担の問題もございますし、これについては御承知のように近年、例えばその措置権を都道府県から市町村へ移譲するとか、あるいは機関委任事務を地方に移譲するとか、そういう分権化の方向があると思います。こういった方向は、私は基本的に進められるべきであるというふうに思います。問題はその財源でございますので、私は地方財政の問題は詳しくないんですけれども、ことし何か消費税について地方消費税が認められた、そういった方向はやっぱり望ましいのではないかというふうに思います。
法典化との絡みですけれども、そういった地方分権の基本的考えを法典に盛り込むということは有意義なことではないかというふうに思っております。そういうことでお答えになったでしょうか。
服
服部三男雄#7
○服部三男雄君 もう一点お尋ねさせていただきたいんです。
先生の論旨は、社会福祉のサービスについて、今よりもむしろやや強めの、請求権に近いものにしていったらどうだという論旨のようにうかがえるわけですが、その中で、ページ三の(4)、(5)、(6)あたりの問題になるんですけれども、御案内のとおり、特に痴呆性の方とか身体が自由にならない方、こういう方の介護というのはマンパワーの問題になるんですけれども、なかなかそれだけの人手が確保できないというときに、今後ますますそれが、特に日本の場合は爆発的にふえるわけですね、あと十数年で。世界のトレンドから見ますと、激増するという言葉がぴったりだろうと思うんですけれども、急速に高齢化が進むときに、マンパワーがなかなか追いつかない。そうすると、画一的な処理がどうしても多くなるだろうと容易に推測できるわけですね。画一的処理といったらおかしいですが、処遇が。そういう場合に、法制化するのはこれは私ども立法府でできるし、しなければならぬことなんですけれども、具体的にそれが伴ってできるかどうか。なだらかな増加であればある程度はできると思うんですよ。でも、十数年後に急激にぼこっと膨らみますからね、それにどういうふうに対応していくか。法制と実務との乖離という問題ですね。
こういったことについて、何かヨーロッパとか、それはオンブズマン制度もいいに決まっていますし、あるいはそのための特別機関をつくっても大いにいいんですけれども、具体的に何かアメリカとかヨーロッパの参考例でもあるのかなと思って、もしあればお聞きしたいんですけれども。
この発言だけを見る →先生の論旨は、社会福祉のサービスについて、今よりもむしろやや強めの、請求権に近いものにしていったらどうだという論旨のようにうかがえるわけですが、その中で、ページ三の(4)、(5)、(6)あたりの問題になるんですけれども、御案内のとおり、特に痴呆性の方とか身体が自由にならない方、こういう方の介護というのはマンパワーの問題になるんですけれども、なかなかそれだけの人手が確保できないというときに、今後ますますそれが、特に日本の場合は爆発的にふえるわけですね、あと十数年で。世界のトレンドから見ますと、激増するという言葉がぴったりだろうと思うんですけれども、急速に高齢化が進むときに、マンパワーがなかなか追いつかない。そうすると、画一的な処理がどうしても多くなるだろうと容易に推測できるわけですね。画一的処理といったらおかしいですが、処遇が。そういう場合に、法制化するのはこれは私ども立法府でできるし、しなければならぬことなんですけれども、具体的にそれが伴ってできるかどうか。なだらかな増加であればある程度はできると思うんですよ。でも、十数年後に急激にぼこっと膨らみますからね、それにどういうふうに対応していくか。法制と実務との乖離という問題ですね。
こういったことについて、何かヨーロッパとか、それはオンブズマン制度もいいに決まっていますし、あるいはそのための特別機関をつくっても大いにいいんですけれども、具体的に何かアメリカとかヨーロッパの参考例でもあるのかなと思って、もしあればお聞きしたいんですけれども。
堀
堀勝洋#8
○参考人(堀勝洋君) 介護にかかわる福祉サービスが今後ふえていく、それに伴ってマンパワーがふえるということであります。
諸外国では失業率が高いわけですね、一〇%前後ということで。余りそういう面では諸外国は苦労はない、むしろ財源の面で苦労していると思います。我が国は、失業率は三%程度で低いということ、それから今後高齢化社会へ向けては若年労働力が減るというようなことから考えると、おっしゃるとおりマンパワーの問題というのは非常に大きな問題になるんではないかと思います。
今後の我が国の経済がどういうふうになるかともかかわるわけですが、やはり高齢者の介護というのはどうしても必要不可欠ですから、マンパワーの確保のためにいろんな施策を講じる必要がある。そのためには、私はやっぱり基本的には待遇を改善していく必要があるんだろうというふうに思います。待遇というのはいろんな意味で、単に給与だけではなくて勤務環境とか、あるいは夜勤の問題とか、そういった問題。これは、請求権というふうにさっきおっしゃいましたけれども、今の措置のシステムではなくて、例えば介護について介護保険を設けると、これは保険料を納めた見返りとして請求する権利が生じるということになりますので、そういう請求権を与えてもその介護マンパワーが追いつくかどうか、そういうふうな御指摘だと思うんですけれども、そこはやっぱり、計画的に待遇とかそういったものを上げていって対処していくほかないんではないか。具体的な解決策というのは今すぐには答えられませんけれども。
この発言だけを見る →諸外国では失業率が高いわけですね、一〇%前後ということで。余りそういう面では諸外国は苦労はない、むしろ財源の面で苦労していると思います。我が国は、失業率は三%程度で低いということ、それから今後高齢化社会へ向けては若年労働力が減るというようなことから考えると、おっしゃるとおりマンパワーの問題というのは非常に大きな問題になるんではないかと思います。
今後の我が国の経済がどういうふうになるかともかかわるわけですが、やはり高齢者の介護というのはどうしても必要不可欠ですから、マンパワーの確保のためにいろんな施策を講じる必要がある。そのためには、私はやっぱり基本的には待遇を改善していく必要があるんだろうというふうに思います。待遇というのはいろんな意味で、単に給与だけではなくて勤務環境とか、あるいは夜勤の問題とか、そういった問題。これは、請求権というふうにさっきおっしゃいましたけれども、今の措置のシステムではなくて、例えば介護について介護保険を設けると、これは保険料を納めた見返りとして請求する権利が生じるということになりますので、そういう請求権を与えてもその介護マンパワーが追いつくかどうか、そういうふうな御指摘だと思うんですけれども、そこはやっぱり、計画的に待遇とかそういったものを上げていって対処していくほかないんではないか。具体的な解決策というのは今すぐには答えられませんけれども。
服
日
日下部禧代子#10
○日下部禧代子君 先生どうもきょうはありがとうございます。社会保障制度ではいつもよく勉強させていただいておりまして、ありがとうございます。
きょうは、基本的な社会保障の理念ということ、そしてまた、それが成り立つための法的な問題という、そういう視点からお話をいただきまして、非常に基本的な問題、そしてこれからの日本の社会の抱えている問題ということについての御示唆をいただいて、非常に勉強させていただきましてありがとうございました。
ところで、二、三質問をさせていただきたいというふうに存じます。
まず最初に、これはかなり一般的な問題ではございますが、いわゆる福祉国家論と福祉社会論というのがございますね。日本の場合でございますと、一九七三年がいわゆるこれ福祉元年と言われたわけでございますが、その年がちょうど石油ショックということで、福祉元年イコール福祉見直し元年という形になったという事実がございます。
やはり西欧の先進国の場合ですと、福祉国家という問題点がかなり出てきた。つまり、大きな政府であり過ぎるとか官僚制の肥大化だとか硬直化だとか、そういう福祉国家体制のもとにおけるさまざまな問題点が出されて、そこから福祉社会へというふうな移行をしていった歴史的な経過がございますけれども、我が国の場合ですと、いわゆる福祉国家というような、そういうところは通過しないで、急に福祉社会への移行という、いわゆる新保守主義的な思想というものがその当時ヘゲモニーを握ったというふうな形になったわけでございますが、日本とそれから他の先進国とのそういった違いを含めながら、福祉国家論と福祉社会論ということについての先生のお考えをまず承りたいと存じます。
この発言だけを見る →きょうは、基本的な社会保障の理念ということ、そしてまた、それが成り立つための法的な問題という、そういう視点からお話をいただきまして、非常に基本的な問題、そしてこれからの日本の社会の抱えている問題ということについての御示唆をいただいて、非常に勉強させていただきましてありがとうございました。
ところで、二、三質問をさせていただきたいというふうに存じます。
まず最初に、これはかなり一般的な問題ではございますが、いわゆる福祉国家論と福祉社会論というのがございますね。日本の場合でございますと、一九七三年がいわゆるこれ福祉元年と言われたわけでございますが、その年がちょうど石油ショックということで、福祉元年イコール福祉見直し元年という形になったという事実がございます。
やはり西欧の先進国の場合ですと、福祉国家という問題点がかなり出てきた。つまり、大きな政府であり過ぎるとか官僚制の肥大化だとか硬直化だとか、そういう福祉国家体制のもとにおけるさまざまな問題点が出されて、そこから福祉社会へというふうな移行をしていった歴史的な経過がございますけれども、我が国の場合ですと、いわゆる福祉国家というような、そういうところは通過しないで、急に福祉社会への移行という、いわゆる新保守主義的な思想というものがその当時ヘゲモニーを握ったというふうな形になったわけでございますが、日本とそれから他の先進国とのそういった違いを含めながら、福祉国家論と福祉社会論ということについての先生のお考えをまず承りたいと存じます。
堀
堀勝洋#11
○参考人(堀勝洋君) 福祉国家と福祉社会との関係についての考えでございますが、今先生がおっしゃったとおりに考えております。
従来、福祉国家というのは、国家が基本的に社会保障の給付を行う。いろんな考え方がありましで、すべてを国家がやるというふうな考え方が、一時戦後そういう考え方が風廃したことがありますけれども、次第にそれが見直される。むしろ、ロブソンが言うように、福祉社会があってこそ福祉国家が成り立つんだと。要するに、福祉社会というのは、やはり、私のレジュメで書いてありますように、家族による扶養とか地域社会における助け合いとか、あるいは民間の福祉事業あるいは企業福祉、こういったものと国家による社会保障とが相連携してやっていくというのが望ましいということではないか。そういう意味では、私は、福祉国家から福祉社会というのは正しい見方ではないかと思います。
先生が今おっしゃったように、日本は福祉国家を経ることなくして福祉社会ということですけれども、今言ったような、国家のみが社会保障をやるという考えの福祉国家という形でその福祉国家をとらえるとすれば、私は、それを経ない形でいくというのは望ましくはないんではないか、要するに、そういう形もあり得るんではないかというふうに思います。
ただし、それが先生がおっしゃったような新保守主義的な考え方からそうなったのかということについては少し異論がございまして、私のとらえ方は、一九八〇年代以降社会保障改革がいろんな形で行われました。これは年金でもそうですし、医療でもそうですし、それから福祉でもそうですけれども、これは基本的には、そういう思想、新保守主義とかレーガノミックスあるいはサッチャリズム、そういうことではなくて、基本的には国家財政が赤字を抱えて歳入が足りない、ゼロシーリング、マイナスシーリング、それに対応するために福祉改革をやらざるを得なかった。社会保障経費というのは、これは高齢者がふえるということで自然増経費が非常にふえるわけですね。そういった状況の中でゼロシーリング、マイナスシーリングに一気に対応するためにはやはり何らかの制度改革をやらざるを得ないということで、これは社会保障給付費の統計をとってみますと明らかなんですね。国庫負担というのはずっと比率としては下がってきているんです。
だから、そこについては、国が社会保障に対してどれだけ財源を配分するかということは、こういった全般的な税負担あるいは保険料負担とそういうサービスを受けることに関する国民の合意がどこにあるか。要するに、もう負担したくないということであれば社会保障というのはある程度の水準でとどまらざるを得ない、社会保障の水準を上げてほしいということであれば説とか社会保険料をもっと負担していただく、そこら辺を国民がどういうふうに考えるかということによると思います。基本的には、やはり一九八〇年代の社会保障改革というのは、もう国民は税負担はしたくない、行政改革でやってくれと。その行政改革の中の社会保障改革が国庫負担を削減するような方向でなされた。それを福祉国家か福祉社会という考え方でとらえるのかどうか。むしろ、そういう税負担と福祉サービスのあり方に関する国民の考え方であろうというふうに私も理解しております。
この発言だけを見る →従来、福祉国家というのは、国家が基本的に社会保障の給付を行う。いろんな考え方がありましで、すべてを国家がやるというふうな考え方が、一時戦後そういう考え方が風廃したことがありますけれども、次第にそれが見直される。むしろ、ロブソンが言うように、福祉社会があってこそ福祉国家が成り立つんだと。要するに、福祉社会というのは、やはり、私のレジュメで書いてありますように、家族による扶養とか地域社会における助け合いとか、あるいは民間の福祉事業あるいは企業福祉、こういったものと国家による社会保障とが相連携してやっていくというのが望ましいということではないか。そういう意味では、私は、福祉国家から福祉社会というのは正しい見方ではないかと思います。
先生が今おっしゃったように、日本は福祉国家を経ることなくして福祉社会ということですけれども、今言ったような、国家のみが社会保障をやるという考えの福祉国家という形でその福祉国家をとらえるとすれば、私は、それを経ない形でいくというのは望ましくはないんではないか、要するに、そういう形もあり得るんではないかというふうに思います。
ただし、それが先生がおっしゃったような新保守主義的な考え方からそうなったのかということについては少し異論がございまして、私のとらえ方は、一九八〇年代以降社会保障改革がいろんな形で行われました。これは年金でもそうですし、医療でもそうですし、それから福祉でもそうですけれども、これは基本的には、そういう思想、新保守主義とかレーガノミックスあるいはサッチャリズム、そういうことではなくて、基本的には国家財政が赤字を抱えて歳入が足りない、ゼロシーリング、マイナスシーリング、それに対応するために福祉改革をやらざるを得なかった。社会保障経費というのは、これは高齢者がふえるということで自然増経費が非常にふえるわけですね。そういった状況の中でゼロシーリング、マイナスシーリングに一気に対応するためにはやはり何らかの制度改革をやらざるを得ないということで、これは社会保障給付費の統計をとってみますと明らかなんですね。国庫負担というのはずっと比率としては下がってきているんです。
だから、そこについては、国が社会保障に対してどれだけ財源を配分するかということは、こういった全般的な税負担あるいは保険料負担とそういうサービスを受けることに関する国民の合意がどこにあるか。要するに、もう負担したくないということであれば社会保障というのはある程度の水準でとどまらざるを得ない、社会保障の水準を上げてほしいということであれば説とか社会保険料をもっと負担していただく、そこら辺を国民がどういうふうに考えるかということによると思います。基本的には、やはり一九八〇年代の社会保障改革というのは、もう国民は税負担はしたくない、行政改革でやってくれと。その行政改革の中の社会保障改革が国庫負担を削減するような方向でなされた。それを福祉国家か福祉社会という考え方でとらえるのかどうか。むしろ、そういう税負担と福祉サービスのあり方に関する国民の考え方であろうというふうに私も理解しております。
日
日下部禧代子#12
○日下部禧代子君 ありがとうございました。
それでは次に、権利の問題でございますけれども、私はたびたび外国の例を出させていただいて恐縮ではございますが、昨年イギリスのケント州に参りまして、これはイギリスの中でも非常に精神障害者の社会復帰を進めている地域でございますが、そこで社会復帰計画の、法律ではございません、計画、プランでございますね、それを見ますと、もうどのページを開いてもというぐらいに個人の権利、それから個人のディグニティー、個人のプライバシーを尊重するとか、そういうふうな言葉の羅列のような私は印象を受けたわけでございます。そして、その対象となる方々のことは、クライアントとも患者とも呼ばないで、コンシューマーという言葉で呼ばれていたわけでございます。
実際に、私はたまたまその方のおうちを訪問するのに少し交通事情でおくれて参りました。二十分ぐらいだったと思うんですけれども、私は日本的な感覚でもってそれでもすぐもう行けるのかと思いましたら、市当局の方が、いや二十分おくれたから、彼女があなたとのアポイントメントの時間を別の方とのアポイントにしているかもわからないからちゃんと確かめますというふうに言われまして、私はがんと頭を殴られたような感じがしてしまった記憶がございます。この方はもう一牛をほとんど病院、施設で過ごした方で、やっと人生の最後においてひとりで家に住むという、その家は市の衛生局が提供しているというふうな、そういう生活の方でございましたので、私はもう自分が視察、見学、さっと行って、もうアポイントもとってあるのだから当たり前だというふうな感覚。ところが彼女のプライバシーということをいかに尊重していなかったかという大反省をさせていただいたんですが、そういうイギリスなんかの現状がございます。
日本の場合に、例えば老人ホームの入所者の問題でございますが、養護だとか特養の場合とそれから軽費老人ホームの場合と、これはその成立のプロセス、歴史的な背景が違うということから、法律の性格が違うわけでございますね。特養、養護の場合ですと、これはいわゆる行政権による措置でございます。したがって、入所者の利用権、選択権というものが狭められております。一方、今度は軽費の場合ですと、これは個人契約でございますから、自分の選択権というものが確保される、このような今の状況。つまり、老人ホームの仕組みというものが並立されていて、どこに入所するか、そしてお金を少し持っているか持っていないかというふうなことで入所者の権利というものが束縛されていく、拘束されていくという、これは措置制度の問題とも関連することでございますが、これはどのように先生はお考えになっていらっしゃるでしょうか。
老人ホームというのは言うまでもなく生活の場であるわけでございますが、果たしてそれが今生活の場であるのかどうかというふうな、こういう問題、かなり私は権利の問題から見るとあるのではないかなというふうに思います。そしてまた、ホームに入っていらっしゃる場合、入院なさいまして三カ月以上ホームにいらっしゃらないということになりますと、退院なさったとしてもそのホームに戻ってくることができないというふうな、そういう現状がございますが、入所者の権利ということ、そしてその法という問題、その二つの点からどのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか。
この発言だけを見る →それでは次に、権利の問題でございますけれども、私はたびたび外国の例を出させていただいて恐縮ではございますが、昨年イギリスのケント州に参りまして、これはイギリスの中でも非常に精神障害者の社会復帰を進めている地域でございますが、そこで社会復帰計画の、法律ではございません、計画、プランでございますね、それを見ますと、もうどのページを開いてもというぐらいに個人の権利、それから個人のディグニティー、個人のプライバシーを尊重するとか、そういうふうな言葉の羅列のような私は印象を受けたわけでございます。そして、その対象となる方々のことは、クライアントとも患者とも呼ばないで、コンシューマーという言葉で呼ばれていたわけでございます。
実際に、私はたまたまその方のおうちを訪問するのに少し交通事情でおくれて参りました。二十分ぐらいだったと思うんですけれども、私は日本的な感覚でもってそれでもすぐもう行けるのかと思いましたら、市当局の方が、いや二十分おくれたから、彼女があなたとのアポイントメントの時間を別の方とのアポイントにしているかもわからないからちゃんと確かめますというふうに言われまして、私はがんと頭を殴られたような感じがしてしまった記憶がございます。この方はもう一牛をほとんど病院、施設で過ごした方で、やっと人生の最後においてひとりで家に住むという、その家は市の衛生局が提供しているというふうな、そういう生活の方でございましたので、私はもう自分が視察、見学、さっと行って、もうアポイントもとってあるのだから当たり前だというふうな感覚。ところが彼女のプライバシーということをいかに尊重していなかったかという大反省をさせていただいたんですが、そういうイギリスなんかの現状がございます。
日本の場合に、例えば老人ホームの入所者の問題でございますが、養護だとか特養の場合とそれから軽費老人ホームの場合と、これはその成立のプロセス、歴史的な背景が違うということから、法律の性格が違うわけでございますね。特養、養護の場合ですと、これはいわゆる行政権による措置でございます。したがって、入所者の利用権、選択権というものが狭められております。一方、今度は軽費の場合ですと、これは個人契約でございますから、自分の選択権というものが確保される、このような今の状況。つまり、老人ホームの仕組みというものが並立されていて、どこに入所するか、そしてお金を少し持っているか持っていないかというふうなことで入所者の権利というものが束縛されていく、拘束されていくという、これは措置制度の問題とも関連することでございますが、これはどのように先生はお考えになっていらっしゃるでしょうか。
老人ホームというのは言うまでもなく生活の場であるわけでございますが、果たしてそれが今生活の場であるのかどうかというふうな、こういう問題、かなり私は権利の問題から見るとあるのではないかなというふうに思います。そしてまた、ホームに入っていらっしゃる場合、入院なさいまして三カ月以上ホームにいらっしゃらないということになりますと、退院なさったとしてもそのホームに戻ってくることができないというふうな、そういう現状がございますが、入所者の権利ということ、そしてその法という問題、その二つの点からどのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか。
堀
堀勝洋#13
○参考人(堀勝洋君) 御指摘のように、養護老人ホーム、特別養護老人ホームはこれは地方公共団体の長による職権、行政処分によって入所をする、軽費老人ホームについてはこれは契約によって入所する、しかも軽費老人ホームは個室であるのに対して養護老人ホームとか特養については個室は極めて少ない、そういう状況にございます。
基本的には、養護老人ホームというのは、戦後社会保障というのが貧困の救済、予防ということで、貧困者に対して公的責任でもって全部面倒を見ますよ、全部面倒を見るというのは、サービスの提供も公的にやります、それから費用負担も全部公的にやる、こういう考え、救貧対策という形でできたわけですね。それがずっと四十年、五十年も引き継がれてきた。救貧対策ですから、行政庁がこれはもうそういう困っている人を助けてあげる、そういう形だと思うんですね。
ところが、戦後四十年、五十年を経て豊かな社会になってきて、高齢者も非常に豊かになってきている。そういった中でこういう上からの決定によって要するにサービスを提供するというようなことが果たして現在の国民の感情、考え方に合うのかどうか。それはかねがね疑問を持っておりまして、実は昭和六十二年に、七、八年前に「福祉改革の戦略的課題」という本を出しまして、その中でも、特に保育所について、もう措置入所から契約入所にしたらどうかということを詳細に論じたものを書いております。たまたまことし保育問題検討会で、契約入所をするか措置入所にするか、そういう両論併記の報告が出ましたけれども、私としては、先ほども言いましたように、やはり利用者の選択とかあるいは自己決定、あるいはサービスの内容、そういったものについて比較しながら選べるというシステムの方がいいんではないかというふうに思っております。
反対する人が論ずるのは、措置をやめると公的責任、国家責任がなくなるのではないかと。今のシステムは地方団体の長が責任を持って措置するという形ですから、確かに措置をやめて契約にすれば公的責任の考えは弱まるわけですが、しかしこれは全くなくなるわけじゃないんですね。要するに、契約にしても必要な人には補助をする、それからそういうサービスをできるだけふやしていく、あるいはサービスの質を確保する、そういった点について公的責任というのは残るので、措置をやめたからといってすべて公的責任がなくなるというわけではないので、そういった利用者の選択、自己決定を尊重しながら公的な関与を強めていくという方法はあるのではないかというふうに私は思っております。
そういう意味からいって、特に介護問題については、今後、介護保険とのかかわりがありますけれども、介護保険にするとこれは現在の医療保険と同じようにサービスの提供者を選択する、そことの契約によってサービスを受けるという形になろうと思いますので、それも一つの突破口になり得るんではないかというふうに私は思っております。
以上です。
この発言だけを見る →基本的には、養護老人ホームというのは、戦後社会保障というのが貧困の救済、予防ということで、貧困者に対して公的責任でもって全部面倒を見ますよ、全部面倒を見るというのは、サービスの提供も公的にやります、それから費用負担も全部公的にやる、こういう考え、救貧対策という形でできたわけですね。それがずっと四十年、五十年も引き継がれてきた。救貧対策ですから、行政庁がこれはもうそういう困っている人を助けてあげる、そういう形だと思うんですね。
ところが、戦後四十年、五十年を経て豊かな社会になってきて、高齢者も非常に豊かになってきている。そういった中でこういう上からの決定によって要するにサービスを提供するというようなことが果たして現在の国民の感情、考え方に合うのかどうか。それはかねがね疑問を持っておりまして、実は昭和六十二年に、七、八年前に「福祉改革の戦略的課題」という本を出しまして、その中でも、特に保育所について、もう措置入所から契約入所にしたらどうかということを詳細に論じたものを書いております。たまたまことし保育問題検討会で、契約入所をするか措置入所にするか、そういう両論併記の報告が出ましたけれども、私としては、先ほども言いましたように、やはり利用者の選択とかあるいは自己決定、あるいはサービスの内容、そういったものについて比較しながら選べるというシステムの方がいいんではないかというふうに思っております。
反対する人が論ずるのは、措置をやめると公的責任、国家責任がなくなるのではないかと。今のシステムは地方団体の長が責任を持って措置するという形ですから、確かに措置をやめて契約にすれば公的責任の考えは弱まるわけですが、しかしこれは全くなくなるわけじゃないんですね。要するに、契約にしても必要な人には補助をする、それからそういうサービスをできるだけふやしていく、あるいはサービスの質を確保する、そういった点について公的責任というのは残るので、措置をやめたからといってすべて公的責任がなくなるというわけではないので、そういった利用者の選択、自己決定を尊重しながら公的な関与を強めていくという方法はあるのではないかというふうに私は思っております。
そういう意味からいって、特に介護問題については、今後、介護保険とのかかわりがありますけれども、介護保険にするとこれは現在の医療保険と同じようにサービスの提供者を選択する、そことの契約によってサービスを受けるという形になろうと思いますので、それも一つの突破口になり得るんではないかというふうに私は思っております。
以上です。
日
日下部禧代子#14
○日下部禧代子君 最後にお尋ねさせていただきたい件がございますが、これは社会サービスの問題でございますが、それぞれのニーズに対応できる、より的確に個人のニーズに対応できるためには、まず私は、一人ずつのケアプランのようなものがどうしても必要なんじゃないかというふうに思います。
例えば病院から退院したときに、地域でどのようなサービスを組み合わせて受け皿があるのかというふうなことと、病院、つまり施設との連携ができるようなそういう一人ずつのケアプランをいかにしてつくるか。そして、それを統合する形で地域の中に地域福祉サービスのネットワークがいかに有機的に総合的にできるのかということになるだろうというふうに思うんですね。
そのところで非常に重要なことは、やはりそれをコーディネートする。さまざまなサービス、これは公的なものであれ民間のものであれ、そのサービスを受ける者にとってはよりよいサービスが選択できることが非常に重要なわけでございまして、その辺の情報というのを個人が持つというのは非常に限りがございます。それを個人のレベルで、そしてまた地域社会、コミュニティーの中で連携していくという、これは法的なものでそれをやっていった方がいいのかどうかという点が一つでございます。
それから、そういったことも含めた形で、これは私よくいろいろな機会をいただいては申し上げてまいりましたことでございますが、いわゆる高齢者というよりも高齢社会という、これは全く人口構造、社会システム、みんな変わっている社会に対応するためには、高齢社会を総合的に見ることができるような法体系というものをやっぱりつくらなきゃならないんじゃないか。
例えば、今申し上げたようなことを全部含んだような形で、先生御承知の、スウェーデンの社会サービス法というのがございますね。その社会サービス法の基本五原則というのがございますが、それはまず、総合的な観点ということからの原則、私はこれをトータルな全人性だというふうな言葉で申しております。それから二番目には、これはどなたもおっしゃっているノーマライゼーションの原則、三番目には継続性の原則、四番目にはフレキシビリティー、つまり柔軟性の原則、五番目には近接性、つまりサービスの供給源というものが近くになくちゃいけないという、この五つの原則が、スウェーデンの社会サービス法の五原則と言われているものでございます。
こういうスウェーデンの社会サービス法、これは当然のことながら地方分権ということが基本になった法律でございます。それからまたデンマークの社会支援法、これもやはり地方分権ということが基本になってつくられた法律でございます。そういうスウェーデンやデンマークの、このような社会サービスをいかに個人が的確に利用することができるか、そしてそのことがまたとりもなおさず社会経費の軽減につながるというふうな観点からこういう法律がつくられ、あるいは法改正がなされてきたというふうに思いますが、その点も含めまして先生の御意見を承って、私の質問を終わらせていただきたいと存じます。
この発言だけを見る →例えば病院から退院したときに、地域でどのようなサービスを組み合わせて受け皿があるのかというふうなことと、病院、つまり施設との連携ができるようなそういう一人ずつのケアプランをいかにしてつくるか。そして、それを統合する形で地域の中に地域福祉サービスのネットワークがいかに有機的に総合的にできるのかということになるだろうというふうに思うんですね。
そのところで非常に重要なことは、やはりそれをコーディネートする。さまざまなサービス、これは公的なものであれ民間のものであれ、そのサービスを受ける者にとってはよりよいサービスが選択できることが非常に重要なわけでございまして、その辺の情報というのを個人が持つというのは非常に限りがございます。それを個人のレベルで、そしてまた地域社会、コミュニティーの中で連携していくという、これは法的なものでそれをやっていった方がいいのかどうかという点が一つでございます。
それから、そういったことも含めた形で、これは私よくいろいろな機会をいただいては申し上げてまいりましたことでございますが、いわゆる高齢者というよりも高齢社会という、これは全く人口構造、社会システム、みんな変わっている社会に対応するためには、高齢社会を総合的に見ることができるような法体系というものをやっぱりつくらなきゃならないんじゃないか。
例えば、今申し上げたようなことを全部含んだような形で、先生御承知の、スウェーデンの社会サービス法というのがございますね。その社会サービス法の基本五原則というのがございますが、それはまず、総合的な観点ということからの原則、私はこれをトータルな全人性だというふうな言葉で申しております。それから二番目には、これはどなたもおっしゃっているノーマライゼーションの原則、三番目には継続性の原則、四番目にはフレキシビリティー、つまり柔軟性の原則、五番目には近接性、つまりサービスの供給源というものが近くになくちゃいけないという、この五つの原則が、スウェーデンの社会サービス法の五原則と言われているものでございます。
こういうスウェーデンの社会サービス法、これは当然のことながら地方分権ということが基本になった法律でございます。それからまたデンマークの社会支援法、これもやはり地方分権ということが基本になってつくられた法律でございます。そういうスウェーデンやデンマークの、このような社会サービスをいかに個人が的確に利用することができるか、そしてそのことがまたとりもなおさず社会経費の軽減につながるというふうな観点からこういう法律がつくられ、あるいは法改正がなされてきたというふうに思いますが、その点も含めまして先生の御意見を承って、私の質問を終わらせていただきたいと存じます。
堀
堀勝洋#15
○参考人(堀勝洋君) 先生のおっしゃることはもう全面的に賛成でございますね。余りコメントすることはございません。
ただ一点だけ、おっしゃったように、ケアプランというのは今後非常に重要になってくると思います。ところが、現在の実施体制は全く不十分です。要するに、国の段階ではサービスのメニューはそろっているんです。しかし、市町村段階でのサービスの量、質は全く不十分ですね。だから、そこを今後ふやしていく。しかも、ケアプランというのは、ある程度の技術が必要でございますから、それに関する養成訓練と申しますか、そういうマンパワーの確保と、そういう訓練というものが今後必要になってくるということだけはつけ加えさせていただいて、あとは全面的に賛成でございます。
この発言だけを見る →ただ一点だけ、おっしゃったように、ケアプランというのは今後非常に重要になってくると思います。ところが、現在の実施体制は全く不十分です。要するに、国の段階ではサービスのメニューはそろっているんです。しかし、市町村段階でのサービスの量、質は全く不十分ですね。だから、そこを今後ふやしていく。しかも、ケアプランというのは、ある程度の技術が必要でございますから、それに関する養成訓練と申しますか、そういうマンパワーの確保と、そういう訓練というものが今後必要になってくるということだけはつけ加えさせていただいて、あとは全面的に賛成でございます。
日
直
直嶋正行#17
○直嶋正行君 本日は大変ありがとうございました。
今の先生のお話に関連をしまして一、二お伺いしたいと思うんですが、レジュメの三ページで御指摘がございますように、福祉サービス、特にサービスということになりますと、目に見えないものが伴いますだけに、なかなか法律で決めるということになると難しい面があると思うんですが、その中で、例えば(2)の福祉サービスの最低基準のところで、日本の場合には設備中心でサービス基準がないという御指摘がございました。その話の中でドイツのホーム法の例なんかもございましたが、福祉サービスについて北欧等で例えばこういう視点から規定をしているよというような御指摘があればお伺いをしたいということがまず一点であります。
〔会長退席、理事情水嘉与子君着席〕
それから二点目は、この(4)で苦情処理手続、例えばオンブズマン制度というような御指摘も、ございますが、私も確かに、福祉サービスというのは人間がやるサービスでありますから、基本的には携わる人とサービスを受ける人との人間関係といったようなことも含めていろんな問題が生じてくるんじゃないかと思うわけでありまして、こういう意味での苦情処理制度というのは非常に重要な指摘だなというふうに思っているわけでございます。私も北欧等ではこのオンブズマン制度というのがあるというふうにお伺いしておりますが、例えばどういう人がそこではオンブズマンに選ばれているのか。特に、例えば日本で見ますと、現在行政相談制度というのがたしかあると思うんですけれども、例えぱこういう制度を活用できるのかどうか、この点も含めて最初に二つお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →今の先生のお話に関連をしまして一、二お伺いしたいと思うんですが、レジュメの三ページで御指摘がございますように、福祉サービス、特にサービスということになりますと、目に見えないものが伴いますだけに、なかなか法律で決めるということになると難しい面があると思うんですが、その中で、例えば(2)の福祉サービスの最低基準のところで、日本の場合には設備中心でサービス基準がないという御指摘がございました。その話の中でドイツのホーム法の例なんかもございましたが、福祉サービスについて北欧等で例えばこういう視点から規定をしているよというような御指摘があればお伺いをしたいということがまず一点であります。
〔会長退席、理事情水嘉与子君着席〕
それから二点目は、この(4)で苦情処理手続、例えばオンブズマン制度というような御指摘も、ございますが、私も確かに、福祉サービスというのは人間がやるサービスでありますから、基本的には携わる人とサービスを受ける人との人間関係といったようなことも含めていろんな問題が生じてくるんじゃないかと思うわけでありまして、こういう意味での苦情処理制度というのは非常に重要な指摘だなというふうに思っているわけでございます。私も北欧等ではこのオンブズマン制度というのがあるというふうにお伺いしておりますが、例えばどういう人がそこではオンブズマンに選ばれているのか。特に、例えば日本で見ますと、現在行政相談制度というのがたしかあると思うんですけれども、例えぱこういう制度を活用できるのかどうか、この点も含めて最初に二つお伺いしたいと思います。
堀
堀勝洋#18
○参考人(堀勝洋君) 最初に、福祉サービスの基準でございますが、法律ではなかなか決めがたいということであります。確かにおっしゃるとおりですが、現在例えば老人ホームとか施設についてのサービスというのか、その基準が一応日本でも自主的につくられていまして、例えば夕食の時間は五時とか六時とか、そういうサービスをチェックする、あるいはおむつをかえるのを常時かえるのか、あるいは一日何回かしかかえないのかとか、そういったチェック項目をつくっているものもございます。ですから、そういったものを今後、それは自主的なチェックの項目ですけれども、それは法的拘束力のあるものにどれだけなじむのかどうか、その辺を検討しながらやっていく必要があると思います。
それから参考までに、先ほど北欧と申しましたけれども、アメリカではナーシングホームのそういった基準について、これは連邦政府の規則で定めておりまして、原則ですけれども、十四項目あるんでちょっと全部はあれですけれども、基本的原則としては、プライバシーとか、自己決定とか、デュープロセスとか、危害からの保護とか、本人の意に反する苦役の禁止とか、そういったことが原則で、具体的には例えば入所者として権利と義務を知る権利、ナーシングホームに入った場合ですね。それから二つ目として施設で利用できるサービスとその費用を知る権利、それから三番目として自己の健康状態を知る権利、そして自己の処遇方法の決定過程に参加する権利とか、それから施設内に苦情処理の手続を整備する、あるいは虐待及び拘束からの自由とか、秘密の保持、個人の尊厳の保障とか、こういったことがアメリカのナーシングホームに関する連邦の規則に含まれているようでございます。
それから二点目の、苦情処理手続で、どういったような人がオンブズマンになっているかという御質問でございますが、これは国によってオンブズマンというのはいろんな制度があるようであります。私はこの問題についての専門家じゃないので必ずしも答えられないんですが、例えばイギリスなんかでは議員がオンブズマンになるというようなことがあるようでございます。それから、例えば我が国の中野区でオンブズマン制度を設けている。あるいは川崎市でもあるんですが、中野区の場合は、学識経験者等から成る委員会を設けて、福祉サービス等について苦情がある場合にその委員会にその苦情を回して、そこで判断してもらって、採用するとなれば区役所に言って直してもらう、採用しないとなればその理由を書いて返事をするとか、そういったようないろんな形があり得るんで、それは我が国に合ったような形を今後つくっていけばいいんではないかなというふうに思っております。
この発言だけを見る →それから参考までに、先ほど北欧と申しましたけれども、アメリカではナーシングホームのそういった基準について、これは連邦政府の規則で定めておりまして、原則ですけれども、十四項目あるんでちょっと全部はあれですけれども、基本的原則としては、プライバシーとか、自己決定とか、デュープロセスとか、危害からの保護とか、本人の意に反する苦役の禁止とか、そういったことが原則で、具体的には例えば入所者として権利と義務を知る権利、ナーシングホームに入った場合ですね。それから二つ目として施設で利用できるサービスとその費用を知る権利、それから三番目として自己の健康状態を知る権利、そして自己の処遇方法の決定過程に参加する権利とか、それから施設内に苦情処理の手続を整備する、あるいは虐待及び拘束からの自由とか、秘密の保持、個人の尊厳の保障とか、こういったことがアメリカのナーシングホームに関する連邦の規則に含まれているようでございます。
それから二点目の、苦情処理手続で、どういったような人がオンブズマンになっているかという御質問でございますが、これは国によってオンブズマンというのはいろんな制度があるようであります。私はこの問題についての専門家じゃないので必ずしも答えられないんですが、例えばイギリスなんかでは議員がオンブズマンになるというようなことがあるようでございます。それから、例えば我が国の中野区でオンブズマン制度を設けている。あるいは川崎市でもあるんですが、中野区の場合は、学識経験者等から成る委員会を設けて、福祉サービス等について苦情がある場合にその委員会にその苦情を回して、そこで判断してもらって、採用するとなれば区役所に言って直してもらう、採用しないとなればその理由を書いて返事をするとか、そういったようないろんな形があり得るんで、それは我が国に合ったような形を今後つくっていけばいいんではないかなというふうに思っております。
直
直嶋正行#19
○直嶋正行君 もう一点お伺いしたいんですが、いずれにしてもこれからの福祉需要といいますか、これはますます増大してくると思いますが、そのときにどうしても避けて通れない財源問題でございます。
それで、今たまたま国会で税制改革論議がされているわけでございますけれども、この法案の内容は別にしまして、今の税制改革論議、大変抽象的な聞き方で恐縮なんですが、この議論をごらんになったりお聞きになったりされて、先生の所見といいますか所感があればお伺いをしたいと思うんで、すけれども。
この発言だけを見る →それで、今たまたま国会で税制改革論議がされているわけでございますけれども、この法案の内容は別にしまして、今の税制改革論議、大変抽象的な聞き方で恐縮なんですが、この議論をごらんになったりお聞きになったりされて、先生の所見といいますか所感があればお伺いをしたいと思うんで、すけれども。
堀
堀勝洋#20
○参考人(堀勝洋君) 大変難しい問題でして、私は財政の専門ではないので、素人というふうに考えて受け取っていただきたいんですが、まず全般的な国全体の財政、財源確保のあり方ですけれども、特に社会保障の研究者の立場から見ると、今の税制の一番の問題点は、やっぱり自営業者の所得把握というのか、自営業者とサラリーマンの所得把握に問題がある。そのために社会保障というのは非常に大きな問題を抱えることになっている。
というのは、例えば社会保険でいいますと、国民年金と厚生年金、それから国民健康保険と彼用者の健康保険、それが必ずしもうまく並ばないのは、本当は財政調整をした方が望ましいんでしょうけれども、必ずしも税の把握ができないために、自営業者とサラリーマンとを同じような制度にできないわけですね。そこが我が国の社会保障の二重構造になっていますし、格差も生じている。しかも財源問題が生じている。例えば国民健康保険でございますね。だから、そこを何らかクリアできるような方法ができないかというのが一つ。
それからもう一つは、そこをクリアできるのは消費税ですね。消費税というのは自営業者もサラリーマンも平等に取るということで、そういう財源、消費税という公平な財源をもとに社会保障の財源とするということは一つの考え方であると思いますね。もう一つの財源というのは、社会保障は独自の財源を持っております。これは御承知のように社会保険料ですね。社会保険料の財源と国庫負担あるいは地方負担をどう組み合わせてやっていくかというのは、これは大きな問題でございます。
基本的に私は、今言ったような税制上に問題がある以上、やはり社会保険料を中心とした社会保障を組み立てていくのがベターではないか、これはいろんなメリットがあります。一般的に、税金を上げるというのは国民は反対すると思うんですけれども、例えば介護のために使うとか、あるいは年金のために使うというならばある程度納得してもらえる。
例えば、ことしの改正で年金保険料。が二・五%上がる。当面はあれですけれども。そういう合意が得られやすいので、社会保険料。しかも現在の我が国の社会保障の大半は社会保険料でやっています。ただこれは、総額で申しますと、社会保障給付費は五十三兆か五十四兆ですね。そのうち厚生省の予算というのは、これは十二兆円か十三兆円ですから、地方負担もありますから別ですけれども、いかに社会保険料の役割が大きいかということ。
介護の問題も、お手元に配付した「介護費用の財源政策一という論文の中では、介護についても社会保険化していく必要があるのではないか、そういうことを述べています。
したがって、結論としては、消費税を税の財源とする方向と、それから社会保障については社会保険料を中心とした財源、そこが私の考えでございます。
この発言だけを見る →というのは、例えば社会保険でいいますと、国民年金と厚生年金、それから国民健康保険と彼用者の健康保険、それが必ずしもうまく並ばないのは、本当は財政調整をした方が望ましいんでしょうけれども、必ずしも税の把握ができないために、自営業者とサラリーマンとを同じような制度にできないわけですね。そこが我が国の社会保障の二重構造になっていますし、格差も生じている。しかも財源問題が生じている。例えば国民健康保険でございますね。だから、そこを何らかクリアできるような方法ができないかというのが一つ。
それからもう一つは、そこをクリアできるのは消費税ですね。消費税というのは自営業者もサラリーマンも平等に取るということで、そういう財源、消費税という公平な財源をもとに社会保障の財源とするということは一つの考え方であると思いますね。もう一つの財源というのは、社会保障は独自の財源を持っております。これは御承知のように社会保険料ですね。社会保険料の財源と国庫負担あるいは地方負担をどう組み合わせてやっていくかというのは、これは大きな問題でございます。
基本的に私は、今言ったような税制上に問題がある以上、やはり社会保険料を中心とした社会保障を組み立てていくのがベターではないか、これはいろんなメリットがあります。一般的に、税金を上げるというのは国民は反対すると思うんですけれども、例えば介護のために使うとか、あるいは年金のために使うというならばある程度納得してもらえる。
例えば、ことしの改正で年金保険料。が二・五%上がる。当面はあれですけれども。そういう合意が得られやすいので、社会保険料。しかも現在の我が国の社会保障の大半は社会保険料でやっています。ただこれは、総額で申しますと、社会保障給付費は五十三兆か五十四兆ですね。そのうち厚生省の予算というのは、これは十二兆円か十三兆円ですから、地方負担もありますから別ですけれども、いかに社会保険料の役割が大きいかということ。
介護の問題も、お手元に配付した「介護費用の財源政策一という論文の中では、介護についても社会保険化していく必要があるのではないか、そういうことを述べています。
したがって、結論としては、消費税を税の財源とする方向と、それから社会保障については社会保険料を中心とした財源、そこが私の考えでございます。
直
武
武田節子#22
○武田節子君 公明党の武田でございます。本日は大変ありがとうございました。
参考人は福祉、医療、年金等の社会保障について法律の視点から研究をなされて、多数の本や論文を執筆されて、この分野では有数の専門家と伺っておりますので、二、三、法的問題に関係したものを質問させていただきます。
まず初めに、我が国の高齢化のテンポは、世界に類例のない速さで訪れてまいりました。こうしたことから、この前の年金の改正に見られますように、社会保障制度の改正に追われてきたと言えるのではないかと思うんです。このために高齢社会対策、高齢者対策についてのビジョン、理念、施策の基本方向などについては、例えば福祉ビジョンですと大臣の私的諮問機関の報告にすぎないもので根拠があいまい生言えます。ここを基本法として法制化をする意義、効果、国民の意識に与える影響等を詳しくお聞かせいただきたいと思うんです。これが一点。
それからもう一点は、参考人は社会保障制度と他制度との連携を図る必要性、特に住宅政策については厚生省と建設省と協力し合ってバリアフリー住宅の建設、障害者、高齢者に優しい町づくり等に関しての御提言がございます。最近の厚生省の調査によりますと、六十五歳以上のひとり暮らしは全国で百九十九万人で、一九八〇年よりも百万人も増加いたしているようでございます。今後はさらに急増することは明らかでございますので、したがいまして、高齢者向け住宅はその数量確保は急を要しますけれども、あわせてその質、内容は在宅介護支援に当たっては最も重要だと思うわけでございます。
そこでお尋ねいたしますけれども、地方自治体でバリアフリーの理念を踏まえた福祉の町づくり条例の制定の動きも見られ、福祉の現場である市町村の施策も総合的、全体的になってきております。条例は法律の範囲内においてのみ存在意義を持つものでありますから、基本法の制定は条例にも影響を与えるものと思いますが、そこで基本法と条例の関係についてお教え願いたいと思います。
まずその二点をお尋ねいたします。よろしくお願いいたします。
この発言だけを見る →参考人は福祉、医療、年金等の社会保障について法律の視点から研究をなされて、多数の本や論文を執筆されて、この分野では有数の専門家と伺っておりますので、二、三、法的問題に関係したものを質問させていただきます。
まず初めに、我が国の高齢化のテンポは、世界に類例のない速さで訪れてまいりました。こうしたことから、この前の年金の改正に見られますように、社会保障制度の改正に追われてきたと言えるのではないかと思うんです。このために高齢社会対策、高齢者対策についてのビジョン、理念、施策の基本方向などについては、例えば福祉ビジョンですと大臣の私的諮問機関の報告にすぎないもので根拠があいまい生言えます。ここを基本法として法制化をする意義、効果、国民の意識に与える影響等を詳しくお聞かせいただきたいと思うんです。これが一点。
それからもう一点は、参考人は社会保障制度と他制度との連携を図る必要性、特に住宅政策については厚生省と建設省と協力し合ってバリアフリー住宅の建設、障害者、高齢者に優しい町づくり等に関しての御提言がございます。最近の厚生省の調査によりますと、六十五歳以上のひとり暮らしは全国で百九十九万人で、一九八〇年よりも百万人も増加いたしているようでございます。今後はさらに急増することは明らかでございますので、したがいまして、高齢者向け住宅はその数量確保は急を要しますけれども、あわせてその質、内容は在宅介護支援に当たっては最も重要だと思うわけでございます。
そこでお尋ねいたしますけれども、地方自治体でバリアフリーの理念を踏まえた福祉の町づくり条例の制定の動きも見られ、福祉の現場である市町村の施策も総合的、全体的になってきております。条例は法律の範囲内においてのみ存在意義を持つものでありますから、基本法の制定は条例にも影響を与えるものと思いますが、そこで基本法と条例の関係についてお教え願いたいと思います。
まずその二点をお尋ねいたします。よろしくお願いいたします。
堀
堀勝洋#23
○参考人(堀勝洋君) 高齢者対策に関する基本理念についての法制化のお尋ねだと思うんですが、これについては先ほどレジュメに則しまして社会保障基本法の制定の問題を御説明しましたけれども、これとほぼ同じようなことが言えるんではないかというふうに思っております。
繰り返しますと、メリットとしては、基本理念とか基本原則、そういうものが明確になる、国民の理解、高齢者対策に関する理解が深まる、それから関係省庁の施策を総合化できる、そういうメリットがある。それから、デメリットというか問題点としては、果たして基本法的なものを立てても実効性があるのかどうか。関係各省庁との整合性とかが図られるというけれども、基本法をつくっただけで果たしてそれが図れるのかどうか、そういうことが言えるだろう。
したがって、基本法をつくる際の実際上の効果、そこをよく見きわめて制定するかどうかということを考えていく必要があるんではないかと思います。例えば老人福祉法という法律がございまして、その法律の一条、二条、三条には老人福祉に関する基本的理念が一応書いてございますですね。だから、そこで足りるのか足りないのか、あるいは何かそれに加えるのか、新たにつくるのか、そういった個別の法律との関係もございます。私は、必ずしも基本法だけを制定して意義があるかというと、必ずしもそういう考えには賛成しておりません。
それから、基本法と条例との関係でございますが、これは憲法上、条例というのは法律の範囲内で定めるということでありまして、したがって、基本法を定めて、その基本法に反するような条例というのは、これは無効ということになると思います。しかしながら、一般的に基本法というのは抽象的な定め方をしております用地方に関することについても努力義務とかそういった形なんで、余り条例が基本法に抵触するということはない。むしろ基本法を制定することによって地方の条例に対して方向性を与える。要するに、地方が条例を制定する場合に、高齢者対策についてはこういう理念でやっていくべきという、そういう方向性は与える、そういうことではないか。もちろん基本法にどういうことを書くかは言えると思います。例えば、基本法に地方、都道府県は高齢者に関する計画を立てなさいというふうに書いてあるのに立てないと、それは基本法違反ということになると思います。
この発言だけを見る →繰り返しますと、メリットとしては、基本理念とか基本原則、そういうものが明確になる、国民の理解、高齢者対策に関する理解が深まる、それから関係省庁の施策を総合化できる、そういうメリットがある。それから、デメリットというか問題点としては、果たして基本法的なものを立てても実効性があるのかどうか。関係各省庁との整合性とかが図られるというけれども、基本法をつくっただけで果たしてそれが図れるのかどうか、そういうことが言えるだろう。
したがって、基本法をつくる際の実際上の効果、そこをよく見きわめて制定するかどうかということを考えていく必要があるんではないかと思います。例えば老人福祉法という法律がございまして、その法律の一条、二条、三条には老人福祉に関する基本的理念が一応書いてございますですね。だから、そこで足りるのか足りないのか、あるいは何かそれに加えるのか、新たにつくるのか、そういった個別の法律との関係もございます。私は、必ずしも基本法だけを制定して意義があるかというと、必ずしもそういう考えには賛成しておりません。
それから、基本法と条例との関係でございますが、これは憲法上、条例というのは法律の範囲内で定めるということでありまして、したがって、基本法を定めて、その基本法に反するような条例というのは、これは無効ということになると思います。しかしながら、一般的に基本法というのは抽象的な定め方をしております用地方に関することについても努力義務とかそういった形なんで、余り条例が基本法に抵触するということはない。むしろ基本法を制定することによって地方の条例に対して方向性を与える。要するに、地方が条例を制定する場合に、高齢者対策についてはこういう理念でやっていくべきという、そういう方向性は与える、そういうことではないか。もちろん基本法にどういうことを書くかは言えると思います。例えば、基本法に地方、都道府県は高齢者に関する計画を立てなさいというふうに書いてあるのに立てないと、それは基本法違反ということになると思います。
武
武田節子#24
○武田節子君 最後にもう一点伺いますけれども、高齢者ゴールドプラン、新ゴールドプランは法的根拠がなくて、厚生省、大蔵省、自治省の合意に基づいた数値目標であります。昨年成立しました障害者基本法は国に障害者基本計画の策定を義務づけております。これに基づいて政府は障害者版ゴールドプランを検討していますが、高齢者ゴールドプランとは同じ数値目標でも重みに違いがあると感じられます。実際に違いがあるのかないのか。各省庁合意ではなく、法的根拠となる基本法が必要ではないかと思いますので、この点をお伺いしたいと思います。
これはちょっと余分なことなんですけれども、たまたま昨夜、夫の介護のために職場を解雇された女性から電話がありまして、自分はホームヘルパーの三級の資格を取りたくて自治体の講習会に参加しておりますけれども、そこでの担当福祉課長の話では、在宅介護支援センターは中学校区に一つ、二十四時間体制と、絵はできておりますけれども、人も金もなく全然無理ですよと大勢の前で発表されたので唖然としてしまったというような話が、きのう突然電話があったものですから、特にこの点をお伺いしたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
この発言だけを見る →これはちょっと余分なことなんですけれども、たまたま昨夜、夫の介護のために職場を解雇された女性から電話がありまして、自分はホームヘルパーの三級の資格を取りたくて自治体の講習会に参加しておりますけれども、そこでの担当福祉課長の話では、在宅介護支援センターは中学校区に一つ、二十四時間体制と、絵はできておりますけれども、人も金もなく全然無理ですよと大勢の前で発表されたので唖然としてしまったというような話が、きのう突然電話があったものですから、特にこの点をお伺いしたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
堀
堀勝洋#25
○参考人(堀勝洋君) レジュメの2の(3)に、保健、福祉等に関する計画制定の根拠は一応括弧書きで書いております。ゴールドプランは、おっしゃったように三大臣合意ということで、必ずしも法的な効力があるものではないということになります。法的な効力があるものとしては、そこに掲げてありますように地方老人保健福祉計画とか、そういうものがあります。
ゴールドプランは、もうこれをつくってから五年たちますので、これを法制化するかどうかというのは余り問題にならないと思いますけれども、新ゴールドプランですね、これについて問題になるのではないか。法制化というのは、先ほども言いましたように、計画の内容自体を法律に書くというのは、これは社会経済が変動するとまた法律改正ということになりますので、これはなかなか難しい。したがって、計画策定の根拠をその法律に書いて、計画自体は閣議決定とかそういったフレキシブルな形でやるということになろうかと思いますけれども、それは私はある程度意義がある。閣議決定という形でやると各省の合意、全省庁の合意ということになりますし、そういう意味では拘束力があると思います。ただ、法律自体を制定するかどうかというのは、例えば抽象的な計画法でも、国民の権利義務に関係するわけではございませんので、果たしてそういう計画法をつくる必要があるのかどうか。むしろ今おっしゃいましたような個別のケースは個別の法律、老人福祉法なら老人福祉法に在宅介護支援センターを例えば各市町村に一カ所設置するように義務づけるとか、そういった個別の法律の問題であって、計画法の問題ではないのではないかと思います。したがって、計画法自体は国民の権利義務には余り関係がないとすると、そういうことではなくてむしろ閣議決定とかそういった形で計画自体をやって、具体的な個別施策は各法律に規定する、そういった方向の方が望ましいのではないかというふうに思っております。
この発言だけを見る →ゴールドプランは、もうこれをつくってから五年たちますので、これを法制化するかどうかというのは余り問題にならないと思いますけれども、新ゴールドプランですね、これについて問題になるのではないか。法制化というのは、先ほども言いましたように、計画の内容自体を法律に書くというのは、これは社会経済が変動するとまた法律改正ということになりますので、これはなかなか難しい。したがって、計画策定の根拠をその法律に書いて、計画自体は閣議決定とかそういったフレキシブルな形でやるということになろうかと思いますけれども、それは私はある程度意義がある。閣議決定という形でやると各省の合意、全省庁の合意ということになりますし、そういう意味では拘束力があると思います。ただ、法律自体を制定するかどうかというのは、例えば抽象的な計画法でも、国民の権利義務に関係するわけではございませんので、果たしてそういう計画法をつくる必要があるのかどうか。むしろ今おっしゃいましたような個別のケースは個別の法律、老人福祉法なら老人福祉法に在宅介護支援センターを例えば各市町村に一カ所設置するように義務づけるとか、そういった個別の法律の問題であって、計画法の問題ではないのではないかと思います。したがって、計画法自体は国民の権利義務には余り関係がないとすると、そういうことではなくてむしろ閣議決定とかそういった形で計画自体をやって、具体的な個別施策は各法律に規定する、そういった方向の方が望ましいのではないかというふうに思っております。
武
西
西山登紀子#27
○西山登紀子君 日本共産党の西山でございます、
きょうは、どうも先生いろいろなことを教えていただきましてありがとうございます。
特に私が学びました点は、憲法二十五条、一般的に生存権というふうに言われているわけですけれども、その第一項は人間的最低生活権というふうに先生が名づけていらっしゃるわけですが、同条の第二項ですね、私は従来はこれは国の責務というふうに規定がされているというふうに思っておりました。すべての生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならないという国の責務をここに明記されていると。それは国民の側から見ると、同項は生活向上権というべきものを保障しているんだと。生活向上権という国民の側の権利の規定ということで、先生がここに述べていらっしゃるということ、改めてそういうことが明記されているんだということを学びました。
そこで、私が先生にお聞きいたしたいことは、日本の場合、非常に経済大国と言われる反面、二つの顔を持っている。特に、非常に経済大国と言われている一方で、国民が本当の豊かさを実感できない、あるいは豊かな人間らしい暮らしという点では小さな国というふうな悪評も聞くわけですけれども、この場合に国の責任を果たしているかどうかの物差しというのは一体何だろうかということで、先生のお考えをお伺いしたいわけです。
それで、私が一つ考えていますのは、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない、国が責任を果たしているかどうかということの物差しに、私はやはり国庫負担のあり方があるのではないかと思っています。
先ほど先生、国庫負担が確かに八〇年代以降は減っているというような御指摘もあったわけですけれども、臨調・行革の十年とよく言われますけれども、その中で老人福祉施設なんかに対します国庫負担は非常に激減をしているだとか、保育所を建てる場合にも国庫負担が激減をしているとかというふうなことも、個々の施設をとりましてもあるわけですけれども、この点で国庫負担のあり方というものはその国の社会保障の前進、後退をはかる上での一つの物差しにはならないかという点での御意見をお伺いしたいのと、私この十年見ておりまして、日本の社会保障が後退をする一方で前進をしているというふうになかなか思えないのですけれども、前進をしているというふうに先生が考えられるような面がありましたら教えていただきたい。
この発言だけを見る →きょうは、どうも先生いろいろなことを教えていただきましてありがとうございます。
特に私が学びました点は、憲法二十五条、一般的に生存権というふうに言われているわけですけれども、その第一項は人間的最低生活権というふうに先生が名づけていらっしゃるわけですが、同条の第二項ですね、私は従来はこれは国の責務というふうに規定がされているというふうに思っておりました。すべての生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならないという国の責務をここに明記されていると。それは国民の側から見ると、同項は生活向上権というべきものを保障しているんだと。生活向上権という国民の側の権利の規定ということで、先生がここに述べていらっしゃるということ、改めてそういうことが明記されているんだということを学びました。
そこで、私が先生にお聞きいたしたいことは、日本の場合、非常に経済大国と言われる反面、二つの顔を持っている。特に、非常に経済大国と言われている一方で、国民が本当の豊かさを実感できない、あるいは豊かな人間らしい暮らしという点では小さな国というふうな悪評も聞くわけですけれども、この場合に国の責任を果たしているかどうかの物差しというのは一体何だろうかということで、先生のお考えをお伺いしたいわけです。
それで、私が一つ考えていますのは、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない、国が責任を果たしているかどうかということの物差しに、私はやはり国庫負担のあり方があるのではないかと思っています。
先ほど先生、国庫負担が確かに八〇年代以降は減っているというような御指摘もあったわけですけれども、臨調・行革の十年とよく言われますけれども、その中で老人福祉施設なんかに対します国庫負担は非常に激減をしているだとか、保育所を建てる場合にも国庫負担が激減をしているとかというふうなことも、個々の施設をとりましてもあるわけですけれども、この点で国庫負担のあり方というものはその国の社会保障の前進、後退をはかる上での一つの物差しにはならないかという点での御意見をお伺いしたいのと、私この十年見ておりまして、日本の社会保障が後退をする一方で前進をしているというふうになかなか思えないのですけれども、前進をしているというふうに先生が考えられるような面がありましたら教えていただきたい。
堀
堀勝洋#28
○参考人(堀勝洋君) まず、国が例えば憲法二十五条一項、二項でいう責任を果たしているかどうかということでございますが、一項は最低限度の生活ということですから、すべての人が最低限の生活以下に陥った場合には一応生活保護がある。それに陥らないように健康保険法とか、あるいは国民年金法とかいろいろある。
それから、二項の生活向上権というふうに私言いました。これは権利と義務というのは相反する面があって、こちらに義務があるとすると相手方には権利がある、こういうことでそういうふうに申し上げたのですけれども、国が責任を果たしているかどうかのメルクマールとして国庫負担があるかどうかということでございますが、その辺は私は必ずしも国庫負担というのが本当にそのメルクマールになるのかどうかというふうに感じております。
国の責任というのはいろんな形で問えるわけで、例えば健康保険制度等を設けるということも一つの国の責任であります。それから、サービスが足りない場合にはそのサービスの供給をするということも国の責任。それから、サービスの質が悪い場合にはそのサービスを引き上げる、あるいはサービスについてその規制を設ける。国庫負担というのは結局は国民が出したものですから、国民が出したものは、国が社会保障に対して国庫負担をするということだけで本当に国の責任なのかなという疑問もあるわけですね。
例えば、今おっしゃったように、確かに社会福祉施設の運営費、措置費については、従来は国庫負担が八割、それは七割それから五割に減ったわけですけれども、そのかわり国民にとっては、別にそのことだげでは不利になっていないわけですね。地方公共団体がその分を負担している。地方公共団体は地方税、あるいは地方交付税という形でそれを賄っているということになるわけですから、国の責任ということではそうですけれども、地方公共団体の責任を含めた公的責任という形では果たして後退になっているのかどうかということが言えると思います。私は、憲法二十五条にいう国というのは、地方公共団体も含めてその責任を考えておりますので、それは国と地方との間の費用分担の問題にすぎないのではないかなというふうに思っております。
この点は詳しくは、またちょっとあれになりますけれども、ことし東大出版会から「社会保障法総論」というのを書いたんですが、そこで国家責任のあり方について、今御質問があったような国庫負担をすることが国家責任なのかどうかについて割と詳しく触れておりますので、あれでしたら後でそのコピーを差し上げても結構でございます。
それから二点目の、社会保障は後退をしているということで、前進している面はないのか、こういう御質問ですけれども、これは私は個別には幾つかあるのではないか。
特に、一九八〇年代は税収が上がらないために国庫負担を削るというふうな施策をとったわけですが、一九九〇年代に入りまして、バブルの影響、あるいは消費税導入の見返りとしてのゴールドプランによって、高齢者の介護については相当な前進が見られる。それは国庫負担とかそういう面だけではなくて、いろんな制度的な面、例えば在宅福祉サービスが老人福祉法に規定されていなかったのが規定されるようになったとか、それから量的にも非常に拡大しています。それから高齢者の介護以外にでも、例えば退職者医療については医療の給付率が上がっておりますし、それから昭和六十年の年金法の改正では女性の年金権を確立するとか、あるいは障害者の年金水準を高くするとか、そういう個別の制度を見てみますと、必ずしも前進がないわけではないと思います。
ただ、前から話してますように、基本的に税収というのか、税の引き上げに対する国民の合意が得られないために国庫負担を減らさざるを得ない、そういう面から社会保障改革が行われてきた。その中には給付水準を下げたり、そういった面もあるということは認めざるを得ないというふうに思っております。
この発言だけを見る →それから、二項の生活向上権というふうに私言いました。これは権利と義務というのは相反する面があって、こちらに義務があるとすると相手方には権利がある、こういうことでそういうふうに申し上げたのですけれども、国が責任を果たしているかどうかのメルクマールとして国庫負担があるかどうかということでございますが、その辺は私は必ずしも国庫負担というのが本当にそのメルクマールになるのかどうかというふうに感じております。
国の責任というのはいろんな形で問えるわけで、例えば健康保険制度等を設けるということも一つの国の責任であります。それから、サービスが足りない場合にはそのサービスの供給をするということも国の責任。それから、サービスの質が悪い場合にはそのサービスを引き上げる、あるいはサービスについてその規制を設ける。国庫負担というのは結局は国民が出したものですから、国民が出したものは、国が社会保障に対して国庫負担をするということだけで本当に国の責任なのかなという疑問もあるわけですね。
例えば、今おっしゃったように、確かに社会福祉施設の運営費、措置費については、従来は国庫負担が八割、それは七割それから五割に減ったわけですけれども、そのかわり国民にとっては、別にそのことだげでは不利になっていないわけですね。地方公共団体がその分を負担している。地方公共団体は地方税、あるいは地方交付税という形でそれを賄っているということになるわけですから、国の責任ということではそうですけれども、地方公共団体の責任を含めた公的責任という形では果たして後退になっているのかどうかということが言えると思います。私は、憲法二十五条にいう国というのは、地方公共団体も含めてその責任を考えておりますので、それは国と地方との間の費用分担の問題にすぎないのではないかなというふうに思っております。
この点は詳しくは、またちょっとあれになりますけれども、ことし東大出版会から「社会保障法総論」というのを書いたんですが、そこで国家責任のあり方について、今御質問があったような国庫負担をすることが国家責任なのかどうかについて割と詳しく触れておりますので、あれでしたら後でそのコピーを差し上げても結構でございます。
それから二点目の、社会保障は後退をしているということで、前進している面はないのか、こういう御質問ですけれども、これは私は個別には幾つかあるのではないか。
特に、一九八〇年代は税収が上がらないために国庫負担を削るというふうな施策をとったわけですが、一九九〇年代に入りまして、バブルの影響、あるいは消費税導入の見返りとしてのゴールドプランによって、高齢者の介護については相当な前進が見られる。それは国庫負担とかそういう面だけではなくて、いろんな制度的な面、例えば在宅福祉サービスが老人福祉法に規定されていなかったのが規定されるようになったとか、それから量的にも非常に拡大しています。それから高齢者の介護以外にでも、例えば退職者医療については医療の給付率が上がっておりますし、それから昭和六十年の年金法の改正では女性の年金権を確立するとか、あるいは障害者の年金水準を高くするとか、そういう個別の制度を見てみますと、必ずしも前進がないわけではないと思います。
ただ、前から話してますように、基本的に税収というのか、税の引き上げに対する国民の合意が得られないために国庫負担を減らさざるを得ない、そういう面から社会保障改革が行われてきた。その中には給付水準を下げたり、そういった面もあるということは認めざるを得ないというふうに思っております。
西
西山登紀子#29
○西山登紀子君 あと二分ぐらいしかないのですけれども、世界青年意識調査という調査がありまして、そこに自国に誇れるものを持っているかという設問があって、それに社会福祉を挙げた比率は、スウェーデンの青年が七一・六%、西ドイツが三五・六%に比べて、日本がわずか六・三%というふうな数字だったという青年の意識調査、国際比較の調査があるのですが、自国に誇れるものを社会福祉というふうに挙げているスウェーデン、それから六二・三%しか挙げていない日本の青年の意識、この辺のことについて、先生の御感想で結構ですが、お聞かせください。
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