堀勝洋の発言 (国民生活に関する調査会)

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○参考人(堀勝洋君) 福祉国家と福祉社会との関係についての考えでございますが、今先生がおっしゃったとおりに考えております。
 従来、福祉国家というのは、国家が基本的に社会保障の給付を行う。いろんな考え方がありましで、すべてを国家がやるというふうな考え方が、一時戦後そういう考え方が風廃したことがありますけれども、次第にそれが見直される。むしろ、ロブソンが言うように、福祉社会があってこそ福祉国家が成り立つんだと。要するに、福祉社会というのは、やはり、私のレジュメで書いてありますように、家族による扶養とか地域社会における助け合いとか、あるいは民間の福祉事業あるいは企業福祉、こういったものと国家による社会保障とが相連携してやっていくというのが望ましいということではないか。そういう意味では、私は、福祉国家から福祉社会というのは正しい見方ではないかと思います。
 先生が今おっしゃったように、日本は福祉国家を経ることなくして福祉社会ということですけれども、今言ったような、国家のみが社会保障をやるという考えの福祉国家という形でその福祉国家をとらえるとすれば、私は、それを経ない形でいくというのは望ましくはないんではないか、要するに、そういう形もあり得るんではないかというふうに思います。
 ただし、それが先生がおっしゃったような新保守主義的な考え方からそうなったのかということについては少し異論がございまして、私のとらえ方は、一九八〇年代以降社会保障改革がいろんな形で行われました。これは年金でもそうですし、医療でもそうですし、それから福祉でもそうですけれども、これは基本的には、そういう思想、新保守主義とかレーガノミックスあるいはサッチャリズム、そういうことではなくて、基本的には国家財政が赤字を抱えて歳入が足りない、ゼロシーリング、マイナスシーリング、それに対応するために福祉改革をやらざるを得なかった。社会保障経費というのは、これは高齢者がふえるということで自然増経費が非常にふえるわけですね。そういった状況の中でゼロシーリング、マイナスシーリングに一気に対応するためにはやはり何らかの制度改革をやらざるを得ないということで、これは社会保障給付費の統計をとってみますと明らかなんですね。国庫負担というのはずっと比率としては下がってきているんです。
 だから、そこについては、国が社会保障に対してどれだけ財源を配分するかということは、こういった全般的な税負担あるいは保険料負担とそういうサービスを受けることに関する国民の合意がどこにあるか。要するに、もう負担したくないということであれば社会保障というのはある程度の水準でとどまらざるを得ない、社会保障の水準を上げてほしいということであれば説とか社会保険料をもっと負担していただく、そこら辺を国民がどういうふうに考えるかということによると思います。基本的には、やはり一九八〇年代の社会保障改革というのは、もう国民は税負担はしたくない、行政改革でやってくれと。その行政改革の中の社会保障改革が国庫負担を削減するような方向でなされた。それを福祉国家か福祉社会という考え方でとらえるのかどうか。むしろ、そういう税負担と福祉サービスのあり方に関する国民の考え方であろうというふうに私も理解しております。

発言情報

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発言者: 堀勝洋

speaker_id: 20343

日付: 1994-11-18

院: 参議院

会議名: 国民生活に関する調査会