堀勝洋の発言 (国民生活に関する調査会)

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○参考人(堀勝洋君) まず、国が例えば憲法二十五条一項、二項でいう責任を果たしているかどうかということでございますが、一項は最低限度の生活ということですから、すべての人が最低限の生活以下に陥った場合には一応生活保護がある。それに陥らないように健康保険法とか、あるいは国民年金法とかいろいろある。
 それから、二項の生活向上権というふうに私言いました。これは権利と義務というのは相反する面があって、こちらに義務があるとすると相手方には権利がある、こういうことでそういうふうに申し上げたのですけれども、国が責任を果たしているかどうかのメルクマールとして国庫負担があるかどうかということでございますが、その辺は私は必ずしも国庫負担というのが本当にそのメルクマールになるのかどうかというふうに感じております。
 国の責任というのはいろんな形で問えるわけで、例えば健康保険制度等を設けるということも一つの国の責任であります。それから、サービスが足りない場合にはそのサービスの供給をするということも国の責任。それから、サービスの質が悪い場合にはそのサービスを引き上げる、あるいはサービスについてその規制を設ける。国庫負担というのは結局は国民が出したものですから、国民が出したものは、国が社会保障に対して国庫負担をするということだけで本当に国の責任なのかなという疑問もあるわけですね。
 例えば、今おっしゃったように、確かに社会福祉施設の運営費、措置費については、従来は国庫負担が八割、それは七割それから五割に減ったわけですけれども、そのかわり国民にとっては、別にそのことだげでは不利になっていないわけですね。地方公共団体がその分を負担している。地方公共団体は地方税、あるいは地方交付税という形でそれを賄っているということになるわけですから、国の責任ということではそうですけれども、地方公共団体の責任を含めた公的責任という形では果たして後退になっているのかどうかということが言えると思います。私は、憲法二十五条にいう国というのは、地方公共団体も含めてその責任を考えておりますので、それは国と地方との間の費用分担の問題にすぎないのではないかなというふうに思っております。
 この点は詳しくは、またちょっとあれになりますけれども、ことし東大出版会から「社会保障法総論」というのを書いたんですが、そこで国家責任のあり方について、今御質問があったような国庫負担をすることが国家責任なのかどうかについて割と詳しく触れておりますので、あれでしたら後でそのコピーを差し上げても結構でございます。
 それから二点目の、社会保障は後退をしているということで、前進している面はないのか、こういう御質問ですけれども、これは私は個別には幾つかあるのではないか。
 特に、一九八〇年代は税収が上がらないために国庫負担を削るというふうな施策をとったわけですが、一九九〇年代に入りまして、バブルの影響、あるいは消費税導入の見返りとしてのゴールドプランによって、高齢者の介護については相当な前進が見られる。それは国庫負担とかそういう面だけではなくて、いろんな制度的な面、例えば在宅福祉サービスが老人福祉法に規定されていなかったのが規定されるようになったとか、それから量的にも非常に拡大しています。それから高齢者の介護以外にでも、例えば退職者医療については医療の給付率が上がっておりますし、それから昭和六十年の年金法の改正では女性の年金権を確立するとか、あるいは障害者の年金水準を高くするとか、そういう個別の制度を見てみますと、必ずしも前進がないわけではないと思います。
 ただ、前から話してますように、基本的に税収というのか、税の引き上げに対する国民の合意が得られないために国庫負担を減らさざるを得ない、そういう面から社会保障改革が行われてきた。その中には給付水準を下げたり、そういった面もあるということは認めざるを得ないというふうに思っております。

発言情報

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発言者: 堀勝洋

speaker_id: 20343

日付: 1994-11-18

院: 参議院

会議名: 国民生活に関する調査会