神野直彦の発言 (地方行政委員会,大蔵委員会連合審査会公聴会)
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○公述人(神野直彦君) 東京大学の神野でございます。
私は、歴史を専攻しております上に、網膜剥離を思っておりまして目が不自由なものですから、現在の出来事に関して十分な知識を入手する能力がございません。そのため、皆様にお役に立つような多くの言葉を語ることができないということをまずお許しいただきたいと存じます。
私のように租税の歴史を学んでいる者から見ますと、この税制改革案は、税制史上一つの時代の始まりを告げる、そういう税制改革案ではないかと申し上げてよいと存じます。もちろん、この税制改革案は、短期的には深刻な不況からの景気回復をもたらすということを重要な課題としておりますけれども、同時に、長期的には活力ある福朴社会というふうにシンボル化されている将来の経済社会を支えていく税制の道筋を示すことをも課題にしているというふうに存じます。租税史の観点から見ますと、こうした長期的な課題への方向づけが重要な評価のポイントとなってまいります。
このような観点からしますと、この税制改革窒は二つの点で高く評価できると存じます。
一つは、地方消費税を創設して地方税の改革に真正面から取り組んでいるということでございます。第二次世界大戦前には、ほぼ十年に一度の割合で国税と地方税を通じる抜本的な税制改革が行われてまいりました。ところが、第二次大戦後は、国税改革の影響を遮断するという程度の地方税の改革に終始していたというふうに言ってよいだろうと思います。こうしたことを考えますと、この税制改革案が地方税改革を真正面から取り上げた意義は画期的に極めて大きな意義を持っているというふうに言わなければならないと思います。
もう一つは、消費税の税率の引き上げを可能な限り抑制しようとしたという点にあると思います。
シャウプ勧告に基づく税制改革が行われて以降これまで、昭和三十年代の後半を除きますと、戦後の税制改革は直間比率の是正を目指して、一貫して間接税の増税を追求してまいりました。この税制改革案は、中期答申、そしてこの六月の税制改革答申が推し進めようとしてまいりました間接税増税路線を、少なくとも明確に抑制しようという方針を打ち出したという点で画期的だと言うことができると存じます。地方消費税の創設も、六月の税制改革の答申では政策的判断にゆだねておりましたので、この二点は現内閣の勇気ある決断の結果だというふうに申し上げてよいだろうと存じます。しかも、この二つの方針は、将来の経済社会を支える税制の歩むべき道筋としても評価できると存じます。
これからの経済社会に望まれる公共サービスは、これまでのようなナショナルミニマムの充足を目指す画一的な公共サービスではありません。これまで家族とか地域社会とかそうしたところで相互扶助や共同で行われていた作業によって供給されていたサービス、つまりナショナルミニマムを超えるような多様な公共サービスが求められていると思います。そうした多様な公共サービスは、住民に身近な地方政府が住民志向でニーズをつかまえて、自分の責任で自分で決定して供給していくしかないだろうというふうに考えております。だからこそ、現在、地方分権の声が高まり、地域福祉の充実を要求する声が強まっているのだというふうに思います。
ところが、これまでの日本の財政システムは、地方政府が極めて多くの公共サービスを分散的に供給しておりますけれども、中央政府が財源をコントロールすることによって地方財政の決定権を事実上拘束してしまうような集権的分散システムだっただろうというふうに思います。しかし、住民志向で多様な公共サービスを供給するには、地方政府に財布の自治を与えて、集権的分散システムを分権的分散システムに転換していく必要があるだろうと考えます。
地方消費税の創設は、そうした改革への道しるべになるかと存じます。それは消費譲与税を地方消費税に振りかえることによって、分権には一般財源の拡充ではなくて、自主財源を拡充して地方政府に財布の自治を回復させることこそ必要だということを教えているからです。地方消費税の創設は、分与税という、つまり中央政府が課税権を持っていて、その一部ないしは全部を地方政府に与える分与税という税収形態から、中央政府と地方政府が共同で課税権を持つという、いわば日本型の共同税に移したものだというふうに評価できるだろうと思います。
もちろん、自主財源を強化する必要があるというふうに申しましても、ナショナルミニマムは達成されたとしても、そのナショナルミニマムを保障していくためには、中央政府はいつも繰り返しそのナショナルミニマムを確保するための財源を地方政府に保障していく責任は生じます。したがって、これからはそうした中央政府による財源保障責任に補完された自主財源主義を目指していくべきだろうというふうに考えております。
さて、家族や地域社会が相互扶助や共同作業によって供給していたサービスはこれから公共のサービスによって提供されていくということになるわけですから、相互扶助や共同作業に費やされていたそういう私的な負担というのは減少していきますけれども、公的な負担、つまり租税負担は今後上昇せざるを得ません。
租税には、まるでオーダーメードの注文服をあつらえるように、その人の経済力に合わせて寸法をはかって課税するあつらえ税という税金ですね、その人の家族はどのぐらいいるのか、その家族に病人はいないのか、それから泥棒や災害に遭ったことがないのか、さまざまな事情を考慮して、あつらえ税という形で課税できる、能力原則に基づくあつらえ説と、それから生産物とか土地とか労働とか資本とかというような、市場で取引されるものに注目をして課税する市場税とか物税とかというような、利益原則で課税される税金とがございます。
これから家族や地域社会がこれまで相互扶助や共同作業によって供給していた公共サービス、老人の世話とか子供の養育とかというようなそういう公共サービスが増大していくわけですから、必ずしも能力原則に基づく所得税のようなあつらえ税でその負担を調達する必要はないというふうに考えられます。そのため、この税制改革案でも消費税の増税が意図されています。ところが、この税制改革案は、消費税の増税を極力抑制し、裏からいえば所得税の減税をできるだけ小規模に抑えようとしています。
この税制改革案の姿勢は、これからの経済社会が要請する租税負担の増加の道筋として、経済的な力に応じたあつらえ税も重視していく必要があるのだという方向を示しているのだというふうに考えていいだろうと思います。つまり、世代間の負担の平準化を根拠にした広く薄い負担を求めるという論理に変わって、広く公平な負担を求めるという論理に転換しようとしているというふうに評価できるだろうと思います。
世代間の負担の平準化を目指す論理は、世代間の内部における負担の公平を無視しています。つまり、貧しい高齢者にも豊かな高齢者にも一律に負担を強いるということになるわけです。これに対してこの税制改革案は世代間内部の負担の公平も重視する必要があるのだということを認めているのだと思います。
神はそれぞれの世代にそれぞれの試練をお与えになります。戦争とか大災害とか、そういう同じ苦難を同じ世代は同じように体験して、そしてそれをともに克服しようとして生きてきたわけであります。しかし、そうした苦難を経験していない世代に対して、そういう負担を分かち合えということを要求するでしょうか。そうした苦難を分かち合うという公平よりも、同じ苦難を乗り越える同世代の内部での公平性の方が社会の統合にとって重要なのではないでしょうか。
今この時代を生きている老いも若きもそれぞれが経済的な力に応じて共同の困難に立ち向かっていく、そういう税制改革の方針こそ基本にすべきだということをこの税制改革は論理として掲げているのだろうというふうに思います。豊かな高齢者には当然担税力があるわけですから負担を強いても構いませんけれども、貧しい老齢者にまで負担を強いる必要はないだろうというふうに思います。
特に現在の改革の問題点は、石先生が繰り返し強調されましたように、資産所得への課税ベースを所得税で拡大しなかったために給与所得の負担感が増大して、それを税率調整によって和らげる、その税率調整によって和らげるための財源を消費税の増税によって賄おうとする循環が繰り返されるわけですね。そうではなくて、資産所得の総合課税化、それから、これもあつらえ税であるような純資産税ですね、資産を合算して行うような純資産税、そういう純資産税などの調整や、それから資産所得への総合課税化などによってあつらえ税を充実して、そして所得税の税率を下げて税率調整を行っていく、そうして消費税の増税は可能な限り抑えていく、これがこの税制改革案の示しているこれからの税制改革の道筋だろうというふうに考えられるわけであります。
その背景にある理念は、効率のよいものが効率のよいものとして生きていく、つまり強い者が強い者として生きていく市場経済の論理を、強い者が弱い者をいたわっていくという財政の論理で補完しなければ社会の統合は成り立ち得ないのだということを理念としているからだろうと存じます。
私は、次の瞬間に失明してしまうかもしれません。しかし、それによって生活の糧を失っても強い人々が温かい手を差し伸べてくれるのだと、そう思えばこそ、この今の瞬間にわずかな力でも振り絞って多くの人々のために働いておこうというふうに考えるのではないでしょうか。それが活力ある福祉社会の論理だということを申し上げて、私のつたない言葉を終わらせていただきたいと存じます。