小野晋也の発言 (科学技術委員会)
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○小野委員 この議論は、まだ随分いろんな検討をしていかなきゃならない議論であろうと思いますけれども、科学技術庁で単なる機械的な技術、また電気の流れを追いかけるような技術ということのみならず、先ほど来長官が言ってこられましたような心を含んだ技術のあり方というようなものに取り組む中に、何らかの、私自身も研究を続けていきたいと思いますが、検討をいただきながら、ともに論じ合っていければと思っている次第でございます。
いよいよ時間がもう残りなくなりましたので、最後のことになりますけれども、実は昨年六月、私、この科学技術委員会に出席をさせていただきまして、一つ提言をさせていただいたものがございます。
それは何かと申しますと、若者の科学技術離れ問題に関連いたしまして、科学技術庁を初めといたしまして、文部省ですとか通産省ですとかいろんな分野で取り組みが進められているけれども、どうもインパクトが子供たちの目から見ると薄いような気持ちがしてならなかったわけでございます。
それを見るにつけまして、かつてアメリカにおいては、ケネディ大統領が一九六〇年代に人類を月に送るというふうに高らかに宣言をして、それを一九六九年の夏、アポロ十一号で達成いたしました。そのプロセスにおけるアメリカにおける科学技術フィーバーというのは大変なものであったということをお伺いするにつけましても、何かシンボル的な取り組みがなければならないんではなかろうかということを考えまして提唱いたしましたのが、その当時は名前をつけてなかったんですけれども、皆さんのお手元に配付させていただきましたこのロボリンピックということでございます。
これも造語でございますけれども、ロボットオリンピックということでございまして、一八九六年、クーベルタン男爵がアテネの地において第一回のオリンピックを始めて、当時ヨーロッパがさまざまな民族紛争等に揺れている中で、古代ギリシャにおいては、オリンポスの神殿の前で競技を行っているときにはその争いをやめて、平和にスポーツで競い合ったという伝説に基づいて、民族融和の祭典をやろうというのがオリンピックであったということでございます。
この流儀に倣えば、今の国際社会も決して平穏な国際社会ではございません。そして、二十一世紀の我々に求められるものは何かということを考えてまいりますと、技術と人間というものがどう融和し合いながら生きていけるのかという時代になってくることを考えますと、まさにこのオリンピックが当初持っていた思いと同じような考え方で、人間、技術が一体になって競い合う場をつくってみたらどうだろうというのがこのロボリンピックの発想でございます。
現実に日本社会の中においても、高専の生徒におきますロボットコンテスト、これはNHKで放映されていますから皆さんも御承知だろうと思います。ほかにも、昨年の暮れにロボットの相撲大会というのも拝見させていただいたりもしたんですが、いろいろな形で技術者の皆さん方を集めながら、取り組みが進められてきております。そのときの子供たちの顔を見ていると、喜びにあふれ、その戦いに集中し、観客みんなが興奮の渦の中に巻き込まれながらその争いを見ているわけです。
この姿を見まして、やはりこういう晴れ舞台を技術を志向する子供たちにぜひ与えてやりたい。与える以上は、これは日本の国だけの問題ではなくて、世界じゅうが同じような時代の中に生きているわけでございますから、世界じゅうの人にこの興奮を与えてあげたいというふうに考えまして、ロボットのオリンピックを行ったらどうだろうということを提唱させていただいた次第でございます。
細かいことはこの中に書いていますから、委員の皆さん、また理事者の皆さん、ごらんいただきたいと思うわけでございますけれども、この点につきましてのお考えをお聞かせをいただければ幸いでございます。