洗建の発言 (宗教法人等に関する特別委員会)

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○参考人(洗建君) 駒澤大学の洗でございます。
 結論から申し上げますと、今回の改正案というのは大変問題が多く、これは賛同いたしかねるというふうに考えております。
 現行の宗教法人法がしばしばざる法であるなどと言われるのでありますけれども、現行の宗教法人法は、その目的に記されているとおり、既に社会的に存在している宗教団体に法人格を付与するということを唯一の目的とする法律でありまして、宗教法人を管理するための法律ではありません。
 それは決して野放しということであるわけではありませんで、宗教法人の財務に関しては税法に基づいて税務当局が関与することができるわけでありますし、また法令に違反する行為があればそれぞれの法を所管する行政がこれを規制することができるわけでありまして、宗教法人はみずからの責任において自由に行動し、法に触れることがあれば一般の市民と全く同様に規制されるという状態になっているのが現行法の状態であると思われます。
 ところが、今回の改正案におきましては、この法の目的を大幅に逸脱してといいましょうか、所轄庁が宗教法人を管理する、恒常的に監視するというふうな体制を築こうとするものでありまして、これは憲法の政教分離の原則を危うくするものと考えられるわけであります。政教分離の原則のもとでは国家機関と宗教団体との関係は最小でなければならないのでありまして、宗教法人の活動一般に対して包括的な立場からこれに関与するような国家機関というものは置かれるべきではないと、私はそう考えます。
 今回の改正におきましては、所轄庁の移管、財務書類等の報告・質問権の付与などの改正が行われるようでございますが、所轄庁というのは、その権限が認証事務に限定されているのであれば、これはどこであっても同じことでありますから別にどうということはないようでありますけれども、しかしどこであってもよいということであれば別段法改正をして移管する必要もないわけであります。全国的に活動する宗教法人はこれは文部省の所管にすると言うといかにももっともらしく聞こえるのでありますけれども、今回の法改正によりましてはその改正の目的も達成されないのではないかというふうに思われます。
 他の都道府県に宗教施設を持つ宗教法人は文部大臣の所管になるということでありますが、例えば天台宗の総本山であります比叡山延暦寺は、これは京都府と滋賀県にまたがっておりますので、今回の改正によって文部大臣所管に移管することになるかと思いますが、このような法人を文部大臣が所管しなければならないという意味はほとんどないように思われますし、また逆に、霊視商法などというので社会的な問題になっているような本覚寺グループと言われるような宗教団体、これは各地に宗教法人を持って全国的な展開をしておりますが、これを包括する団体というふうなものが法人化しているわけではありませんものですから、これは文部大臣の所管にすることができないのであります。
 そもそも今回の改正の意図とでもいいましょうか、これは今回の改正案では達成されていない。むやみに所轄関係を複雑にするだけであり、また宗教法人に負担をかけることでもあります。従来なら規則変更などに県庁に行けば済んでいた法人がわざわざ文部省まで出てこなければならないというふうなことも起こるわけでありますが、そうした負担に見合うだけの意味のある改正かというと、これは無用な改正をし、やたらと事柄を複雑にしているだけ、全国的に活動する包括法人は文部大臣、個別の単位団体は都道府県知事という現行法の方がはるかにすっきりしているのではないか、私はこのように思います。
 また、財務関係の書類を中心に報告義務を課すということであります。これにつきまして、認証した所轄庁としての責任を果たすために最低限の書類を出してもらうのだという説明がなされておりますが、所轄庁の責任というのは一体何なんでしょうか。所轄庁は宗教法人の活動に対して責任を負うことができるのでしょうか。また、そんなことをすべきなのでしょうか。私は、所轄庁の責任というのは法に定められた認証を確実に行ったか否かということ以上の責任を負えるはずがないと思います。
 報告を出させる、実態を把握するということは、本来ならば実態を把握して何か不都合な点が見出されるならばこれを指導し是正するということとこれは論理的につながっていることなのでありまして、それを指導監督というようなことになりますとこれは憲法に真正面から衝突いたしますので、今回の改正案では報告だけ出させるという点で論理を途中で断ち切っているものでありますが、指導も監督もしないのに何のために報告を出させるのか、全く意味のないことなのではないかというふうに思います。
 十八万四千からある法人から毎年報告書が出るということになりますと、この分量は大変なものであります。その保管だけでも相当な経費がかかるでしょうし、整理のための人員も必要かと思いますが、そのようなところに国民の税金がつぎ込まれるということは国民にとってもほとんどメリットのないことではないか、このように思われるわけであります。
 報告はさせるけれども指導監督はしないという今回の改正案は、ある意味では極めて中途半端であるがゆえに宗教法人法をむしろ欠陥法にする、そういうおそれがあるのではないか、このように考えております。
 また、質問権のことでございますが、これは七十九条、八十条、八十一条、事業の停止命令、認証の取り消し、解散請求に関して限定的に質問権を認めるということでございますが、八十一条は法人格の消滅、剥奪に関する条文ですからもちろん必要なものでありますが、こうした処分に関してはきちんと司法手続を経て裁判所の公正な判断にゆだねるというのが現行法の基本的な考え方でありまして、それに対して行政判断で認証の取り消しができるとした八十条の規定はそれに対する明らかな例外規定であります。認証後一年以内という期間の限定があることもこれが例外規定であることを示しているものと思われますし、また七十九条は一見してわかりにくいのでありますけれども、これも私は例外規定であると考えております。
 六条二項の収益を当該宗教法人のために使わなかった場合というのは、一体具体的にどういう場合が考えられるのか。通常の宗教法人でありましたら収益は当然公益会計の方に算入されていくものでありまして、公益会計からの支出は特に使途に制限がないのでありますから、収益会計からそのまま別の使途に使うということは通常考えられないことであります。唯一考えられるのは、宗教法人令当時にしばしば見られたような商店ですとかあるいは飲食店のたぐいが宗教を装って法人格をとってしまった場合、そういう場合に法人会計をきちんとやらずに売り上げをそのまま生活費に使っちゃったというふうなケースは考えられるのでありますが、今日ではそういう極端な事例というのはほとんどないのであります。
 これは宗教法人令の状況、時代の状況に対抗するために七十九条、八十条というのは挿入されたものと思われますが、こうした例外規定、八十九条から成る法律の中でたった二カ条の例外規定をとらえまして所轄庁にも何か権限が現行法でも与えられているというふうな解釈をするのは、私はそれは正しくはないと思います。
 こうした極端な違反事項というのは、これは質問権というようなものはなくても、だれが見ても明らかだというふうなケースについて適用されるべき条文でありますから、質問権が必要だとは思いませんし、また八十一条に関しましても、これは解散請求ができるのは所轄庁だけではありません。検察も利害関係人もこれを行い得るのでありまして、事実今回のオウム事件に関してもちゃんと解散請求はできているのであります。
 また、消滅しかかった法人についての解散の事例、これも質問権というようなことがなくても十分運用できるのでありまして、現にそうした法人の解散は現在でも行われているわけであります。現行法においてそうした調査権のごときものを与えなかった、これは意図的に与えていないと私は思います。与えなかったというその精神を十分かみしめるべきではないか、このように私は思うのでありまして、質問権は限定されて宗教法人審議会のチェックを受けるんだから乱用されることはないと言いますけれども、しかし法律は一たん制定されましたらひとり歩きするというのは、これは歴史の示しているところであります。
 八十一条の中には「目的を著しく逸脱した行為」というような、法令違反とまでいかないものについてもかなりあいまいな規定も入っているのでありまして、これは解釈次第で拡大されないということはだれにも保証できないことではないかというふうに思います。どうしても必要というわけでもない質問権というふうなものをわざわざ導入するということ、こうしたことは全体としてやはり所轄庁が宗教法人を管理のもとに置こうという思想が持ち込まれているものと思われまして、これは政教分離の原則を著しく危うくするものとして危険な改正であろうかと思います。
 また、信者に帳簿等の閲覧権を認めるということ、これは宗教法人の運営の透明化に役立ち、民主化に役立つと言われております。しかし、もちろん宗教法人の運営が適正に行われるようにするということは大変重要なことでありますし、また今日、国民のかなりの人々が宗教法人の経理に対して不信感を持っているということも、これを何とかしなければならないのは当然のことであります。しかし、こうした問題は、宗教法人の現場を踏まえて改正を考えるのでなくては、お役所の机の上で考えただけでは決してうまくいくものとは思われません。
 実際、信者その他利害関係人という概念は一体どういうことになるのか、これは極めて不明確であります。各宗教法人が決めればよいと、こう言いますけれども、しかし、信者の側といいますかずっと私はおさい銭を上げていたんだという人が、宗教法人側からおまえは信者じゃないと言われて納得するものとも思えないのであります。そういたしますと、今回の改正は宗教法人に無用の混乱、トラブルを起こす、そういう危険がかなり高いと言うべきではなかろうか。
 そもそも献金をした信者であれば知る権利が当然あるというふうな言い方がなされておりますが、宗教団体というのは民主的であればよいというわけでは決してありません。カトリックの「教会法」という著書を書いたルネ・メッツによりますと、カトリック教会というのは決して民主主義ではないということを明言しているのであります。神から権限が授けられた教皇、そして司教という信仰上の組織、これは信仰の問題でありますし、また仏教におきましても、宗教団体への献金ということ、これは宗教的な意味を持っている。仏様の前で喜んで捨てる、喜捨ということであります。こうした喜捨の心を育てるというふうなことは宗教にとって大変重要な問題であります。
 それを世俗の法律が、信者には献金をしたのだから当然閲覧の権利があるというふうなことを世俗の法律が押しづけるとすれば、それは宗教上の事項への介入になりかねない、信教の自由の侵害になりかねないのでありまして、こういう問題は宗教の現場におろして、じっくりと時間をかけて討議される必要があるものと考えます。
 したがいまして、私は、今回の宗教法人法の改正案というのはいずれの点をとっても問題が非常に多い、一度白紙に戻して宗教の現場におろして検討のし直しをすべきではないかこのように考えております。
 以上でございます。

発言情報

speech_id: 113414446X00819951204_005

発言者: 洗建

speaker_id: 13493

日付: 1995-12-04

院: 参議院

会議名: 宗教法人等に関する特別委員会