永井哲男の発言 (規制緩和に関する特別委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○永井(哲)委員 社会民主党の永井哲男でございます。
まず、本日は、両参考人、お忙しいところ当委員会にお越しいただきまして、貴重な御意見を開陳いただいたことを厚く御礼を申し上げたいというふうに思います。
私の再販に対する考えは、民主主義ということで最も重要な知る権利という点から考えた場合に、再販というのは、これは維持すべきではないかというふうに考えているところであります。ただ、制度でありますから、現行の制度が丸ごと全部肯定されるべきかどうか、これはいろいろと議論があるところだと思います。それについては真摯にその反省をして、改善すべきものはしっかりと改善しなければならない、このように考えているところであります。
この金子先生のまとめられた中間報告、大変な力作である、そういうふうに私は思っているところでありますが、しかしその中で、まず第一にこれは理論的な誤り、いかがかなと思うところがあるのではないかというふうに思っております。
というのは、最初に先生は、これについて原則違法である、そしてその違法なものが肯定されるにはかような明白かつ具体的な理由がなければならない、理由、目的のために合理的な手段かどうかという点、そしてより制限的でない他の選択し得る手段というような理論的な枠組みをつくられております。
しかし、私の理解するところ、この理論的な枠組み、立法の規制のあり方というのは、もともと表現の自由、その自由に対する規制の政府のあり方としてつくられてきたというのがこの理論の発端ではなかったのか。特にこれを、この独禁法に乗って、これだけですべてを割り切ろうとするということは、これは自由競争というものが絶対的な価値として、他のあらゆるいろいろな自由というものはその下位に置かれるということと同じ結果をもたらすのではないかというふうに思います。さまざまな立法の中ではいろいろな自由というものが対立するわけであります。そういった他の自由というものをどのように考慮すべきか。自由競争を守らなければならないというのも経済的な自由の中で認められる一つの価値でありまして、それが絶対的なものでなければならないという理由はないのではないか。
そもそも、憲法では優越的な自由というふうに言われております。それは表現の自由を基本とするそういった自由を、他の自由権に比べてこれを優越的に扱わなければならない。なぜかという
と、現在では民主主義の社会でありまして、その民主主義というものは、これはいろいろな意見があるということによって担保される、もし誤ったとしても、民主主義が正常に機能していればその民主主義の過程で改善される、民主主義そのものが誤った場合には改善される余地がない、そういうことで生まれてきた議論であります。
したがって、経済的な自由というのは、それは、優越的な自由、他の自由、とりわけ政治的な意見の表明の自由というものを基本とするそのものに比べては下位に置かれるというのが憲法の理論ではなかったか、そういうふうに思うわけであります。
そういう点で、これに特別な理由があるのか、その理由を積極的に主張しなければならないということを、理論を立てて、何ら検証なくこの理論を前提として立てて、そういった負担というものを他に課すとすれば、それは他の自由というものを規定することと同じことではないかというふうに思うわけであります。
最後にある「文化通信」のそのところを見ましても、先生はこのようにお述べになっております。「自分たちの説明不足を棚に上げ、小委員会を非難するのは筋違いである。」「書籍が文化的財であるというだけでは再販制度を維持する根拠にはならない。」「中間報告は、出版物・新聞の文化的財としての性格を否定しているのではなく、こうした特別の理由を見いだすことが困難であると述べているのである。」「単なる文化論ではなく、具体的な主張を関係業界に期待したい。」このような形で述べております。
特別な理由がなければ自由競争というものが優先するのだということをこれは暗に言っていることと全く同じことではないかというふうに私は考えるのでありますが、先生はその点、どのようにお考えでしょうか。