規制緩和に関する特別委員会
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会
会議録情報#0
平成八年六月五日(水曜日)
午前十時開議
出席委員
委員長 石破 茂君
理事 岸本 光造君 理事 橘 康太郎君
理事 松下 忠洋君 理事 西川太一郎君
理事 野田 佳彦君 理事 福島 豊君
理事 永井 哲男君 理事 枝野 幸男君
安倍 晋三君 栗本慎一郎君
小杉 隆君 福田 康夫君
宮路 和明君 渡瀬 憲明君
伊藤 達也君 上田 清司君
河合 正智君 秋葉 忠利君
輿石 東君 吉井 英勝君
委員外の出席者
参 考 人
(慶應義塾大学
法学部教授) 金子 晃君
参 考 人
(日本新聞協会
理事・再販対策
特別委員長)
(読売新聞社代
表取締役社長) 渡邉 恒雄君
特別委員会第三
調査室長 金山 博泰君
—————————————
六月五日
理事枝野幸男君五月二十二日委員辞任につき、
その補欠として枝野幸男君が理事に当選した。
—————————————
本日の会議に付した案件
理事の補欠選任
参考人出頭要求に関する件
規制緩和に関する件(著作物の再販制度)
————◇—————
この発言だけを見る →午前十時開議
出席委員
委員長 石破 茂君
理事 岸本 光造君 理事 橘 康太郎君
理事 松下 忠洋君 理事 西川太一郎君
理事 野田 佳彦君 理事 福島 豊君
理事 永井 哲男君 理事 枝野 幸男君
安倍 晋三君 栗本慎一郎君
小杉 隆君 福田 康夫君
宮路 和明君 渡瀬 憲明君
伊藤 達也君 上田 清司君
河合 正智君 秋葉 忠利君
輿石 東君 吉井 英勝君
委員外の出席者
参 考 人
(慶應義塾大学
法学部教授) 金子 晃君
参 考 人
(日本新聞協会
理事・再販対策
特別委員長)
(読売新聞社代
表取締役社長) 渡邉 恒雄君
特別委員会第三
調査室長 金山 博泰君
—————————————
六月五日
理事枝野幸男君五月二十二日委員辞任につき、
その補欠として枝野幸男君が理事に当選した。
—————————————
本日の会議に付した案件
理事の補欠選任
参考人出頭要求に関する件
規制緩和に関する件(著作物の再販制度)
————◇—————
石
石破茂#1
○石破委員長 これより会議を開きます。
まず、理事の補欠選任についてお諮りいたします。
委員の異動に伴い、現在理事が一名欠員となっております。その補欠選任につきましては、先例によりまして、委員長において指名するに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →まず、理事の補欠選任についてお諮りいたします。
委員の異動に伴い、現在理事が一名欠員となっております。その補欠選任につきましては、先例によりまして、委員長において指名するに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
石
石
石破茂#3
○石破委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。
規制緩和に関する件調査のため、来る十二日水曜日、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、その人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →規制緩和に関する件調査のため、来る十二日水曜日、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、その人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
石
石
石破茂#5
○石破委員長 次に、規制緩和に関する件について調査を進めます。
本日は、本件調査のため、理事会の協議に基づき、著作物の再販制度について、参考人から意見を聴取し、質疑を行うことといたします。
ただいま御出席いただいております参考人は、慶應義塾大学法学部教授金子晃君、日本新聞協会理事・再販対策特別委員長、読売新聞社代表取締役社長渡邉恒雄君であります。
この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位には、著作物の再販制度につきまして、忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
なお、議事の順序についてでございますが、参考人にそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただき、次に、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。
それでは、まず金子参考人にお願いいたします。
この発言だけを見る →本日は、本件調査のため、理事会の協議に基づき、著作物の再販制度について、参考人から意見を聴取し、質疑を行うことといたします。
ただいま御出席いただいております参考人は、慶應義塾大学法学部教授金子晃君、日本新聞協会理事・再販対策特別委員長、読売新聞社代表取締役社長渡邉恒雄君であります。
この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位には、著作物の再販制度につきまして、忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
なお、議事の順序についてでございますが、参考人にそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただき、次に、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。
それでは、まず金子参考人にお願いいたします。
金
金子晃#6
○金子参考人 慶應大学の金子でございます。
時間が限られておりますので、議員の方々のお手元に資料が配られていると思いますが、資料に基づいて意見を述べさせていただきたいと思います。
まず、再販制度見直しの基本的視点ということでございますけれども、再販売価格維持制度というのは独占禁止法上原則違法として取り扱われております。ここに、一枚目に書かれておりますように、再販売価格維持行為は流通段階における価格競争を減少、消滅させる効果を持ちます。また、ほかのいろいろな条件と重なり合う場合には、市場全体における価格競争をさらに減少させるという効果も持つことになります。価格についての競争制限だけではなくて、価格以外にも競争制限的な弊害がもたらされるということになるわけです。こういったことから、独占禁止法上、再販売価格維持行為は原則違法という取り扱いがなされております。
二枚目をおめくりいただきたいと思います。
原則禁止に対して、現行法上、適用除外制度、例外制度が設けられております。この例外についての考え方でございますけれども、再販売価格維持行為は、先ほど申しましたように、価格についての競争を制限、消滅させる、さらに、価格以外の面においても競争上弊害をもたらすということですから、それを適用除外するに当たっては、明確かつ具体的な理由の存在が必要ということになります。このような理由があれば適用を除外するということになるわけです。
それでは、明確かつ具体的な理由というのはどういう形でとらえられる必要があるかということで、次に五つほど挙げておきます。
一つは、適用が除外される当該商品に固有の理由があること。
ほかの商品についても共通する理由であれば、当該商品についてだけ再販売価格維持行為が認められるということはおかしいわけですから、当該商品に固有の理由がなければならないということになります。
二番目は、その理由に基づいて達成すべき目的が明確であること。
理由と目的とを分けたわけですけれども、理由と目的が別であるという場合がありますので、一応ここでは分けてみました。
例えば、ブランド商品について考えてみた場合に、ブランドイメージを保護するという立場に立ちますと、ブランドイメージを損なうような安売りというものは規制の対象にする必要がある。そうなりますと、再販売価格維持ということによって安売りを防止する。これによってブランドイメージを高めるということがあり得るわけです。
このように、理由があった場合でも、なおかつさらに具体的にいかなる目的を実現するのか、その目的を実現するための手段として再販売価格維持行為というものが考えられるということになるわけです。
三番目は、今申し上げました理由、目的に対し
て、手段、再販売価格維持行為というのが合目的的である必要がある。
目的、理由を実現するためにさまざまな手段が考えられるわけですけれども、その中で最も合理的な手段が選ばれなければいけない、こういう合理的な手段たり得るかどうかということが検証されなければいけないということになるわけです。
四番目に、再販売価格維持行為によって達成される利益と、それから再販売価格維持行為によってもたらされる弊害との比較考量が必要であるということで、下に書いておきましたけれども、得られる利益が失われる利益より大きくなければいけない。これは原則禁止の態度をとっているわけですから、このように考える必要がある。
それから五番目に、より競争制限的でない手段があるならばそれが優先されるべきであって、そういう手段がないということが明らかにされる必要があるということになるわけです。こういうような点が明らかにされるということが必要だ。
次に、四ページをおめくりいただきたいと思います。
現在、再販が認められている商品があるわけで、著作物もその一つになっております。この再販が認められる要件としまして二つ挙げておきました。
一つは、当該商品について自由な競争が行われていること。
これは、ある特定の商品について流通段階における価格が制限されることになるわけですから、商品間に競争があるということであれば、特定の商品についての競争がなくなっても弊害はより少なくなるであろうということで、自由な競争が存在するということが要件とされているわけです。
それから二番目として、消費者の利益を不当に害さないこと。
この二つの要件が認められた場合に適用の除外が認められるということになっておるわけです。
下の方に、化粧品、医薬品のところにバツ印がつけてありますけれども、今回医薬品、化粧品について見直しが行われ、両業界とも寡占的であり、競争が必ずしも十分に行われていないおそれがあるということで、これらについての縮小、そして将来的には全廃という方向が打ち出されているわけです。
それでは五枚目をおめくりいただきたいと思います。
新聞の再販。きょうは著作物のうち新聞について取り扱うということで、新聞についてのみ資料をつくってまいりました。
まず最初に、新聞について再販を認める明確かつ具体的な理由及び目的が存在するのかどうか。
一般に言われていることとして、公共性、それから表現の自由の確保、それからそれらと関係があると思いますけれども、戸別配達システムの維持ということが挙げられているわけです。こうした理由あるいは目的が再販を認める明確かつ具体的な特別な理由、目的ということになるのかどうかということについて検証してみる必要がある。
一番目のところで、理由は明確かつ具体的で新聞に固有の理由でなければいけない、こういう点から考えた場合に、現在言われている公共性というものが他の商品にない、なおかつ明確かつ具体的な理由であるのかどうか、この点について疑問なしとしないということであるわけです。
それから二番目。公共性、表現の自由ということをもし取り上げたとした場合に、一体それによって何を実現しようとするのか、その目的は何か。表現の自由ということで、再販によって具体的に何を実現するのかという点が明らかにされる必要がある。戸別配達ということになるのかどうか、その点について検討する必要があるだろう。この点は必ずしも明確にされていないのではないかと思います。
三番目に、このような理由、目的のために再販売価格維持行為という手段が合理的な手段であるかどうかということになるわけです。公共性あるいは表現の自由というものが再販売価格維持行為によって達成されるものなのかどうか、合理的な手段たり得るかどうかという点について検討をする必要があるということです。
四番目に、再販売価格維持によって得られる利益が、競争が制限されることによって失われる我々の利益より大きいかどうかという点が検討される必要があるであろう。私はこの点について疑問に思っております。
五番目に、目的を達成するための手段について、より競争制限的でない手段というものがないのかどうか。ここで法人税の減免ということを挙げておきましたが、例えば販売店がつぶれるという議論がありますけれども、表現の自由とか公共性ということを主張するのであれば、こういった手段も考えられないことはないであろうということで、一つ例として挙げておきました。
それから二番目に、再販が認められる条件というものが満たされているのかどうか。自由な競争の存在、二番目に消費者利益の侵害、この点について検討をしてみました。
発行市場、新聞発行者側の市場においてどういうことが問題になっているかというと、寡占的である、これは疑いないと思います。現在、同調的価格引き上げの対象商品として取り上げられている。これは高度寡占的な市場が取り上げられているわけですから、新聞発行本社の市場が寡占的であるということは間違いない。それから、価格の下方硬直性が見られるということが指摘できます。三番目に、同調的に価格が引き上げられる。
これは資料をおつけしておきましたのでごらんいただきたいと思いますが、過去約十年間のところをとって、同調的価格引き上げということで公正取引委員会から理由を聴取されたものを挙げておきました。一番最後から二番目のところ、「平成五年度七品目」ということで、一番下に一般日刊全国新聞紙が挙がっておりますが、黒丸になっております。これは、下を見ていただくと、四回。黒丸がついておりますのはその下にあるビールということで、過去十年間に四回にわたって同調的な価格引き上げが行われている。
いい悪いという問題ではなくて、発行市場という点を見ると、競争が十分に行われていない状況があるということを指摘しておきたいと思います。
それでは、販売市場の点についてはどうかといいますと、販売店においては厳格なテリトリー制がしかれております。販売店同士での競争というものは存在しない。それから、価格に差がつくことが禁止されているといいますか、禁止という考え方があって、これもありません。三番目に、禁止されております景品つき販売が行われているということが言えます。それから、長期購読者、大量購入者に対する割引というものが行われていない。逆に新規購読者に対しては利益が供与されるということで、本来の市場ですと、長期顧客に対して利益を供与するというのは当たり前のことですけれども、新聞業界においては、長期の購読者に対して利益供与はほとんどない。逆に新規に入る者について景品等が配られるという形になっておるわけです。
今のところは、市場における競争が制限されている問題と、それから弊害が両方入っているような形になっておりますが、改めて消費者利益の侵害の点を考えてみますと、販売店選択の自由が消費者に、読者に認められていないという形になります。それから、購読新聞紙以外の新聞を購入しようとしても極めて困難である。駅に行きませんと購入できないという状況になっている。それから、購読条件が一方的に設定されて、それが押しつけられるという形になります。それから、勧誘方法が非常に不適切であるということで、しばしば問題を起こしております。
これも最後に資料をつけておきましたけれども、国民生活センターのPIO−NETにインプットされた消費者相談の中で、新聞のデータがございます。これを見ますと、毎年トラブルが増加しているという形になっている。そして、新聞は上位にランクされるという形になっているわけです。これらは、競争がないために勢いこういう形
での勧誘方法になるというふうにも考えられるわけです。
最後に、私の意見を書いたものをお配りしてありますので、詳しくはそちらの方をお読みいただければと思います。
以上でございます。拍手
この発言だけを見る →時間が限られておりますので、議員の方々のお手元に資料が配られていると思いますが、資料に基づいて意見を述べさせていただきたいと思います。
まず、再販制度見直しの基本的視点ということでございますけれども、再販売価格維持制度というのは独占禁止法上原則違法として取り扱われております。ここに、一枚目に書かれておりますように、再販売価格維持行為は流通段階における価格競争を減少、消滅させる効果を持ちます。また、ほかのいろいろな条件と重なり合う場合には、市場全体における価格競争をさらに減少させるという効果も持つことになります。価格についての競争制限だけではなくて、価格以外にも競争制限的な弊害がもたらされるということになるわけです。こういったことから、独占禁止法上、再販売価格維持行為は原則違法という取り扱いがなされております。
二枚目をおめくりいただきたいと思います。
原則禁止に対して、現行法上、適用除外制度、例外制度が設けられております。この例外についての考え方でございますけれども、再販売価格維持行為は、先ほど申しましたように、価格についての競争を制限、消滅させる、さらに、価格以外の面においても競争上弊害をもたらすということですから、それを適用除外するに当たっては、明確かつ具体的な理由の存在が必要ということになります。このような理由があれば適用を除外するということになるわけです。
それでは、明確かつ具体的な理由というのはどういう形でとらえられる必要があるかということで、次に五つほど挙げておきます。
一つは、適用が除外される当該商品に固有の理由があること。
ほかの商品についても共通する理由であれば、当該商品についてだけ再販売価格維持行為が認められるということはおかしいわけですから、当該商品に固有の理由がなければならないということになります。
二番目は、その理由に基づいて達成すべき目的が明確であること。
理由と目的とを分けたわけですけれども、理由と目的が別であるという場合がありますので、一応ここでは分けてみました。
例えば、ブランド商品について考えてみた場合に、ブランドイメージを保護するという立場に立ちますと、ブランドイメージを損なうような安売りというものは規制の対象にする必要がある。そうなりますと、再販売価格維持ということによって安売りを防止する。これによってブランドイメージを高めるということがあり得るわけです。
このように、理由があった場合でも、なおかつさらに具体的にいかなる目的を実現するのか、その目的を実現するための手段として再販売価格維持行為というものが考えられるということになるわけです。
三番目は、今申し上げました理由、目的に対し
て、手段、再販売価格維持行為というのが合目的的である必要がある。
目的、理由を実現するためにさまざまな手段が考えられるわけですけれども、その中で最も合理的な手段が選ばれなければいけない、こういう合理的な手段たり得るかどうかということが検証されなければいけないということになるわけです。
四番目に、再販売価格維持行為によって達成される利益と、それから再販売価格維持行為によってもたらされる弊害との比較考量が必要であるということで、下に書いておきましたけれども、得られる利益が失われる利益より大きくなければいけない。これは原則禁止の態度をとっているわけですから、このように考える必要がある。
それから五番目に、より競争制限的でない手段があるならばそれが優先されるべきであって、そういう手段がないということが明らかにされる必要があるということになるわけです。こういうような点が明らかにされるということが必要だ。
次に、四ページをおめくりいただきたいと思います。
現在、再販が認められている商品があるわけで、著作物もその一つになっております。この再販が認められる要件としまして二つ挙げておきました。
一つは、当該商品について自由な競争が行われていること。
これは、ある特定の商品について流通段階における価格が制限されることになるわけですから、商品間に競争があるということであれば、特定の商品についての競争がなくなっても弊害はより少なくなるであろうということで、自由な競争が存在するということが要件とされているわけです。
それから二番目として、消費者の利益を不当に害さないこと。
この二つの要件が認められた場合に適用の除外が認められるということになっておるわけです。
下の方に、化粧品、医薬品のところにバツ印がつけてありますけれども、今回医薬品、化粧品について見直しが行われ、両業界とも寡占的であり、競争が必ずしも十分に行われていないおそれがあるということで、これらについての縮小、そして将来的には全廃という方向が打ち出されているわけです。
それでは五枚目をおめくりいただきたいと思います。
新聞の再販。きょうは著作物のうち新聞について取り扱うということで、新聞についてのみ資料をつくってまいりました。
まず最初に、新聞について再販を認める明確かつ具体的な理由及び目的が存在するのかどうか。
一般に言われていることとして、公共性、それから表現の自由の確保、それからそれらと関係があると思いますけれども、戸別配達システムの維持ということが挙げられているわけです。こうした理由あるいは目的が再販を認める明確かつ具体的な特別な理由、目的ということになるのかどうかということについて検証してみる必要がある。
一番目のところで、理由は明確かつ具体的で新聞に固有の理由でなければいけない、こういう点から考えた場合に、現在言われている公共性というものが他の商品にない、なおかつ明確かつ具体的な理由であるのかどうか、この点について疑問なしとしないということであるわけです。
それから二番目。公共性、表現の自由ということをもし取り上げたとした場合に、一体それによって何を実現しようとするのか、その目的は何か。表現の自由ということで、再販によって具体的に何を実現するのかという点が明らかにされる必要がある。戸別配達ということになるのかどうか、その点について検討する必要があるだろう。この点は必ずしも明確にされていないのではないかと思います。
三番目に、このような理由、目的のために再販売価格維持行為という手段が合理的な手段であるかどうかということになるわけです。公共性あるいは表現の自由というものが再販売価格維持行為によって達成されるものなのかどうか、合理的な手段たり得るかどうかという点について検討をする必要があるということです。
四番目に、再販売価格維持によって得られる利益が、競争が制限されることによって失われる我々の利益より大きいかどうかという点が検討される必要があるであろう。私はこの点について疑問に思っております。
五番目に、目的を達成するための手段について、より競争制限的でない手段というものがないのかどうか。ここで法人税の減免ということを挙げておきましたが、例えば販売店がつぶれるという議論がありますけれども、表現の自由とか公共性ということを主張するのであれば、こういった手段も考えられないことはないであろうということで、一つ例として挙げておきました。
それから二番目に、再販が認められる条件というものが満たされているのかどうか。自由な競争の存在、二番目に消費者利益の侵害、この点について検討をしてみました。
発行市場、新聞発行者側の市場においてどういうことが問題になっているかというと、寡占的である、これは疑いないと思います。現在、同調的価格引き上げの対象商品として取り上げられている。これは高度寡占的な市場が取り上げられているわけですから、新聞発行本社の市場が寡占的であるということは間違いない。それから、価格の下方硬直性が見られるということが指摘できます。三番目に、同調的に価格が引き上げられる。
これは資料をおつけしておきましたのでごらんいただきたいと思いますが、過去約十年間のところをとって、同調的価格引き上げということで公正取引委員会から理由を聴取されたものを挙げておきました。一番最後から二番目のところ、「平成五年度七品目」ということで、一番下に一般日刊全国新聞紙が挙がっておりますが、黒丸になっております。これは、下を見ていただくと、四回。黒丸がついておりますのはその下にあるビールということで、過去十年間に四回にわたって同調的な価格引き上げが行われている。
いい悪いという問題ではなくて、発行市場という点を見ると、競争が十分に行われていない状況があるということを指摘しておきたいと思います。
それでは、販売市場の点についてはどうかといいますと、販売店においては厳格なテリトリー制がしかれております。販売店同士での競争というものは存在しない。それから、価格に差がつくことが禁止されているといいますか、禁止という考え方があって、これもありません。三番目に、禁止されております景品つき販売が行われているということが言えます。それから、長期購読者、大量購入者に対する割引というものが行われていない。逆に新規購読者に対しては利益が供与されるということで、本来の市場ですと、長期顧客に対して利益を供与するというのは当たり前のことですけれども、新聞業界においては、長期の購読者に対して利益供与はほとんどない。逆に新規に入る者について景品等が配られるという形になっておるわけです。
今のところは、市場における競争が制限されている問題と、それから弊害が両方入っているような形になっておりますが、改めて消費者利益の侵害の点を考えてみますと、販売店選択の自由が消費者に、読者に認められていないという形になります。それから、購読新聞紙以外の新聞を購入しようとしても極めて困難である。駅に行きませんと購入できないという状況になっている。それから、購読条件が一方的に設定されて、それが押しつけられるという形になります。それから、勧誘方法が非常に不適切であるということで、しばしば問題を起こしております。
これも最後に資料をつけておきましたけれども、国民生活センターのPIO−NETにインプットされた消費者相談の中で、新聞のデータがございます。これを見ますと、毎年トラブルが増加しているという形になっている。そして、新聞は上位にランクされるという形になっているわけです。これらは、競争がないために勢いこういう形
での勧誘方法になるというふうにも考えられるわけです。
最後に、私の意見を書いたものをお配りしてありますので、詳しくはそちらの方をお読みいただければと思います。
以上でございます。拍手
石
渡
渡邉恒雄#8
○渡邉参考人 読売新聞の社長の渡邉でございます。
新聞協会の再販対策特別委員長をしている関係から、新聞協会を代表して参上いたしました。
本日は、このような機会を与えられたことを、委員長及び委員の皆様に厚くお礼申し上げます。
私は、何十年間か記者席で専ら取材する側でありまして、委員会席で発言するのは生まれて初めてでありますので、大変光栄に存じている次第であります。
ただいま金子教授から、新聞再販をつぶしてしまえという理論についてるる御説明がありましたけれども、私は全面的に反対であります。
まず、原則違法ということを盛んに強調されると、新聞の再販があたかも違法であるかのごとく思われますけれども、独禁法という法律によって、法定再販という名のもとに著作物というものは入っておるのでありまして、法定で再販されているものが何で違法であるか。
それから、当該商品に固有な理由がないようなことを言われておりますけれども、固有な理由もあり、目的もあります。
再販によって得られる利益は競争制限により失われる利益よりはるかに大きいものであります。当該商品、新聞について自由な競争が行われていないようなことを牽強付会で言われておりますけれども、新聞ほど競争激烈な商品はないことは、国会議員の皆様の方が一番御存じだろうと思います。紙面作成面、特だねを、あるいはいい企画をとか、あらゆる方法で日夜物すごい競争をしております。販売面その他でもしかりであります。
価格が硬直的であると。私は上方硬直性が強いと思うくらいでありますが、現在東京にある六つの新聞、大新聞でありますが、そのうち、六つの新聞について四つの価格があります。これは朝夕刊セット価格でありますが、高いものは日経新聞の四千三百円。それから、朝日、毎日、読売が三千八百五十円であります。産経新聞は三千六百円であります。東京新聞は三千円であります。上下の格差が千三百円あります。高い商品の方がいいと思われる方は日経をおとりになればいいし、安い新聞をとりたいと思われる方があれば東京新聞、三千円という価格があります。六つの商品について四つの価格があれば十分ではありませんか。
それから、一般日刊全国紙が同調的値上げが多かったとかいろいろ批判されておりますけれども、一般日刊全国紙というカテゴリーは、公取委員会がある日突如一片の告示で新聞五社に対してなされたものでありまして、地域によっては、例えば七〇%から九〇%、県単位で普及率を持つ有力な県紙があり、そういうところでは、いわゆる全国紙というものは五%とか三%しかシェアがないのです。
全国的に——言論というものは、ある一定の地域で寡占状態があるということは望ましくない、独占状態があるということは望ましくない。いかなる場所でも四種、五種、六種という新聞の購読可能性があるということが大事なのです。そういう面から見ると、全国紙五種だけが特殊な商品であるようにくくった公取の告示に対して私は反対であります。当時から反対してまいりました。
そもそも規制緩和というのは、一九八九年末よりの日米構造協議によってアメリカ側の圧力で日本の市場の閉鎖性に対して開放を求めてきた、それが動機で始まったと一応言えると思います。アメリカ側の要求はカルテルとか入札談合とかいわゆる系列問題でありました。
また、もう一つの、規制緩和が現在必要とされている、我々もこれを支持している理由は、バブル経済崩壊後の不況打開策としての日本経済の活性化の手段としてであります。そういう意味で規制緩和は大いにやらなければならないと思います。
ただ、新聞、出版という活字商品は、日本語の特殊性からして何らの意味でも貿易商品ではありません。全く貿易商品ではないのです。したがって、日米構造協議の際も、アメリカの通商代表部の高官も日本の新聞の再販問題なんかには何の興味はない、規制緩和に関連して、市場開放問題に関して何ら興味はないということを言っております。
それからまた、金子さんの理想とされるように新聞の再販をなくす、その結果、新聞の宅配は崩壊し、新聞の発行部数というものは現在朝夕刊合わせて七千二百万部ありますけれども、これは世界最高の数字でありますが、半分とか三分の一とかにどんどん減っていく、これが一体経済の活性化に何の役に立つのか。
つまり、規制緩和を論ずる際に新聞というものは何らいい例にならないのですね。ならないのに、公正取引委員会が設けている私的研究機関である研究会の下部機構である再販問題小委員会、その座長をここにおられる金子さんがやっておられるわけでありますが、もっぱら新聞いじめをやっておる。まあ、政治的感覚のないのが象牙の塔にこもっておる学者の通弊であります。
それから、この学者たちは、新聞の持つ文化的な価値、公共性というものを真っ向から否定してかかっているわけであります。
文化というものは、物質文明、人類の技術の進歩等で発展していくシビリゼーションというものと、精神的文化に深くかかわるカルチャーというものがある。著作物とは、人間の道徳、社会的規範、政治思想、文学、芸術、思想一般を伝達する手段であって、民主主義を維持するために不可欠なものでありまして、これは著作権法によりましてこの著作物とは何かというのは非常に具体的、詳細に書かれておるのでありますけれども、私は、きょうは新聞と出版に関してのみ申し上げたいと思うのですが、そういう意味での著作物は文化的な価値を持っております。
また、公共性を主張する理由でありますけれども、国会は、昭和二十六年だったと思いますけれども、日刊新聞紙の株式の譲渡を制限する法律というものをつくりました。言論の自由、独立を守るためにやたらに乗っ取りをされないように株式の譲渡を制限するという法律であります。これも新聞の公共性を認めたからでありましょう。
それから、郵便法二十三条三項三号、これは第三種郵便物を低価格で販売することの規定でありますが、この法律の中に、「政治、経済、文化その他公共的な事項を報道し、又は論議することを目的とし、あまねく発売されるものであること。」という規定があります。ここでも新聞の公共性について法律が述べておるということでございます。
それから、今金子さんが法人税の軽減の問題を取り上げられましたけれども、実は明治四十三年の営業税以来、新聞に対しては事業税、当時は営業税と呼んだ、その後事業税と言われましたが、これは全く非課税であったわけであります。昭和六十年に半額課税になり、数年前、三、四年前から全面課税に移行しようとしておりますけれども、これは新聞の持つ公共性に対して税制上優遇措置をとってきたものであります。
また、経済企画庁が発行している物価レポートの中に、経済企画庁は新聞購読料値上げのたびに各新聞社に対して事情聴取をしているのでありますが、その理由として、このレポートで、「新聞は国民の日常生活に必要不可欠な社会の公器であるから」事情聴取をするのだということが書かれております。社会の公器だということを言っております。
それから、公正取引委員会の事務局が編集しました「新聞業における特殊指定」と題する解説書の中で次のように書いてあります。ちょっと面映ゆいのでありますが、「新聞のような文化的に崇高な使命を有する一流の商品はあらゆる市場におい
て、すべて単一の価格をもって販売されるべきもので、その定価を「値引」して販売すべきものでは断じてないということが今日の常識であるとされている。この特殊指定の公聴会においても、値引絶対反対の意見が圧倒的であったこともまことに理由のあること」だ。新聞は「社会の公器としての新聞の使命の達成のため、」云々というようなことが書かれておりまして、今金子さんの委員会と一緒になって公取の事務局は新聞の再販を撤廃しようとしているのでありますけれども、その公取の事務局がかつてはこういう表現をしていたということもひとつお忘れないようにしていただきたい。それは昔の話だと言われても、独禁法というのは非常に若い法律でありまして、戦後GHQの圧力でできて、二十八年に、独立直後改正されて、そのときに法定再販としてこの新聞、出版物等が取り上げられたわけであります。
また、今公取委員会の金子さんの属しておられる委員会というものは、非常に偏見に満ち、新聞を何とかつぶしてやりたいと思っておられるとしか思われない。三人のイデオローグがおりまして、ここの金子さんを初めとして、親委員会の鶴田という委員長と三輪という東大の教授と三人がおりますが、それが、まあ、きょうもおまきになったかどうか知らぬが、「三田評論」その他を使って、ミニコミを使って新聞に対するあらゆる悪罵を続けているわけであります。これはミニコミとは言えないかもしれませんが経団連の「経済広報」という雑誌に、三輪東大教授、これは金子小委員会のメンバーでありますが、そこにこう書いてあります。「新聞にも伝える内容の選択は許されるが、業界団体として一斉に、しかも、雑誌・書籍両協会と同調して行動した点は」——行動したというのは再販廃止反対について行動した点は「きわめて凶悪である。場合によっては刑事罰の対象になる価格カルテルに劣らぬ反社会的行為である」と書いております。これは、まあブラックジャーナリズムに書く文章としては適当であるかもしれませんが、一流大学の学者が、極めて凶悪で刑事罰の対象になる反社会的行為である、我々新聞の報道をそう批判しているわけであります。これは大変な侮辱でありまして、何らかの手段で抗議したいと思います。このような発言は、三輪、鶴田、金子、三氏によって相次いで発言されております。
そうして、この小委員会には、新聞の再販に賛成する著明なる独禁法学者、例えば舟田正之さん、これは立教大学の教授でありますが、あるいは伊従寛さん、元公取委員で、中央大学の教授でありますが、こういう人たちは全然入れられておらない。
それから、新聞が購読を制限されておる、購読手段が制限されておるというお話が今ございましたけれども、宅配というのは、全国津々浦々、至るところでも同一価格で、早朝、都市部においては夕刊がありますから夕刻、定時に配達する。これは、郵便料金が、普通郵便が八十円、はがきが五十円という価格に比べますと、一日百円強という価格はかなり安い。そこに記事内容として印刷されている活字の数は、大体新書版一冊もしくは二冊に該当するだけの量があるわけであります。それだけの情報を定時に配るのでありますが、これをコンビニで売らないのがけしからぬということをこの小委員会の方々が盛んに言っておられる。
コンビニで売った場合、一体どういうふうになるか。
現に売っているんです、大阪とか名古屋とか。首都圏で売ってないのがけしからぬということを言っておりますが、首都圏でも私どもは実験的にやっております。
それで、既に至るところでコンビニで売られているスポーツ新聞を見てみましても、駅売りが大体五割が返品であります。それからコンビニでは八割ぐらいが返品になります。現在、我々が春日部とか各地でコンビニに試験的に新聞を置いて販売しているのでありますが、十部置いて売れるのが二部というのが平均値であります。八部は返品になるのです。八割の返品ということは恐ろしい数字でございます。
それからまた、朝夕刊七千二百万部印刷されて毎日発行されているこの新聞を、コンビニの新聞売り場及び駅売りのスタンドに一体置き切れるか。七千二百万部、到底置き切れるものじゃないのです。七百二十万部置くこともできないのです。七、八十万部が限度でありましょう。すると、新聞は宅配をやめたら一体どこに置いておけばいいのかということになるわけであります。
だから、日本は宅配が発達しておるので世界で最高の発行部数を持っているわけでございます。各国の発行部数、一人当たりの部数等、もし御必要があれば、もう時間がないので申し上げませんが、後ほど申し上げます。その他いろいろ申し上げたいことがありますが、あと、諸先生の御質問に応じて追加発言させていただきたいと存じます。
ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →新聞協会の再販対策特別委員長をしている関係から、新聞協会を代表して参上いたしました。
本日は、このような機会を与えられたことを、委員長及び委員の皆様に厚くお礼申し上げます。
私は、何十年間か記者席で専ら取材する側でありまして、委員会席で発言するのは生まれて初めてでありますので、大変光栄に存じている次第であります。
ただいま金子教授から、新聞再販をつぶしてしまえという理論についてるる御説明がありましたけれども、私は全面的に反対であります。
まず、原則違法ということを盛んに強調されると、新聞の再販があたかも違法であるかのごとく思われますけれども、独禁法という法律によって、法定再販という名のもとに著作物というものは入っておるのでありまして、法定で再販されているものが何で違法であるか。
それから、当該商品に固有な理由がないようなことを言われておりますけれども、固有な理由もあり、目的もあります。
再販によって得られる利益は競争制限により失われる利益よりはるかに大きいものであります。当該商品、新聞について自由な競争が行われていないようなことを牽強付会で言われておりますけれども、新聞ほど競争激烈な商品はないことは、国会議員の皆様の方が一番御存じだろうと思います。紙面作成面、特だねを、あるいはいい企画をとか、あらゆる方法で日夜物すごい競争をしております。販売面その他でもしかりであります。
価格が硬直的であると。私は上方硬直性が強いと思うくらいでありますが、現在東京にある六つの新聞、大新聞でありますが、そのうち、六つの新聞について四つの価格があります。これは朝夕刊セット価格でありますが、高いものは日経新聞の四千三百円。それから、朝日、毎日、読売が三千八百五十円であります。産経新聞は三千六百円であります。東京新聞は三千円であります。上下の格差が千三百円あります。高い商品の方がいいと思われる方は日経をおとりになればいいし、安い新聞をとりたいと思われる方があれば東京新聞、三千円という価格があります。六つの商品について四つの価格があれば十分ではありませんか。
それから、一般日刊全国紙が同調的値上げが多かったとかいろいろ批判されておりますけれども、一般日刊全国紙というカテゴリーは、公取委員会がある日突如一片の告示で新聞五社に対してなされたものでありまして、地域によっては、例えば七〇%から九〇%、県単位で普及率を持つ有力な県紙があり、そういうところでは、いわゆる全国紙というものは五%とか三%しかシェアがないのです。
全国的に——言論というものは、ある一定の地域で寡占状態があるということは望ましくない、独占状態があるということは望ましくない。いかなる場所でも四種、五種、六種という新聞の購読可能性があるということが大事なのです。そういう面から見ると、全国紙五種だけが特殊な商品であるようにくくった公取の告示に対して私は反対であります。当時から反対してまいりました。
そもそも規制緩和というのは、一九八九年末よりの日米構造協議によってアメリカ側の圧力で日本の市場の閉鎖性に対して開放を求めてきた、それが動機で始まったと一応言えると思います。アメリカ側の要求はカルテルとか入札談合とかいわゆる系列問題でありました。
また、もう一つの、規制緩和が現在必要とされている、我々もこれを支持している理由は、バブル経済崩壊後の不況打開策としての日本経済の活性化の手段としてであります。そういう意味で規制緩和は大いにやらなければならないと思います。
ただ、新聞、出版という活字商品は、日本語の特殊性からして何らの意味でも貿易商品ではありません。全く貿易商品ではないのです。したがって、日米構造協議の際も、アメリカの通商代表部の高官も日本の新聞の再販問題なんかには何の興味はない、規制緩和に関連して、市場開放問題に関して何ら興味はないということを言っております。
それからまた、金子さんの理想とされるように新聞の再販をなくす、その結果、新聞の宅配は崩壊し、新聞の発行部数というものは現在朝夕刊合わせて七千二百万部ありますけれども、これは世界最高の数字でありますが、半分とか三分の一とかにどんどん減っていく、これが一体経済の活性化に何の役に立つのか。
つまり、規制緩和を論ずる際に新聞というものは何らいい例にならないのですね。ならないのに、公正取引委員会が設けている私的研究機関である研究会の下部機構である再販問題小委員会、その座長をここにおられる金子さんがやっておられるわけでありますが、もっぱら新聞いじめをやっておる。まあ、政治的感覚のないのが象牙の塔にこもっておる学者の通弊であります。
それから、この学者たちは、新聞の持つ文化的な価値、公共性というものを真っ向から否定してかかっているわけであります。
文化というものは、物質文明、人類の技術の進歩等で発展していくシビリゼーションというものと、精神的文化に深くかかわるカルチャーというものがある。著作物とは、人間の道徳、社会的規範、政治思想、文学、芸術、思想一般を伝達する手段であって、民主主義を維持するために不可欠なものでありまして、これは著作権法によりましてこの著作物とは何かというのは非常に具体的、詳細に書かれておるのでありますけれども、私は、きょうは新聞と出版に関してのみ申し上げたいと思うのですが、そういう意味での著作物は文化的な価値を持っております。
また、公共性を主張する理由でありますけれども、国会は、昭和二十六年だったと思いますけれども、日刊新聞紙の株式の譲渡を制限する法律というものをつくりました。言論の自由、独立を守るためにやたらに乗っ取りをされないように株式の譲渡を制限するという法律であります。これも新聞の公共性を認めたからでありましょう。
それから、郵便法二十三条三項三号、これは第三種郵便物を低価格で販売することの規定でありますが、この法律の中に、「政治、経済、文化その他公共的な事項を報道し、又は論議することを目的とし、あまねく発売されるものであること。」という規定があります。ここでも新聞の公共性について法律が述べておるということでございます。
それから、今金子さんが法人税の軽減の問題を取り上げられましたけれども、実は明治四十三年の営業税以来、新聞に対しては事業税、当時は営業税と呼んだ、その後事業税と言われましたが、これは全く非課税であったわけであります。昭和六十年に半額課税になり、数年前、三、四年前から全面課税に移行しようとしておりますけれども、これは新聞の持つ公共性に対して税制上優遇措置をとってきたものであります。
また、経済企画庁が発行している物価レポートの中に、経済企画庁は新聞購読料値上げのたびに各新聞社に対して事情聴取をしているのでありますが、その理由として、このレポートで、「新聞は国民の日常生活に必要不可欠な社会の公器であるから」事情聴取をするのだということが書かれております。社会の公器だということを言っております。
それから、公正取引委員会の事務局が編集しました「新聞業における特殊指定」と題する解説書の中で次のように書いてあります。ちょっと面映ゆいのでありますが、「新聞のような文化的に崇高な使命を有する一流の商品はあらゆる市場におい
て、すべて単一の価格をもって販売されるべきもので、その定価を「値引」して販売すべきものでは断じてないということが今日の常識であるとされている。この特殊指定の公聴会においても、値引絶対反対の意見が圧倒的であったこともまことに理由のあること」だ。新聞は「社会の公器としての新聞の使命の達成のため、」云々というようなことが書かれておりまして、今金子さんの委員会と一緒になって公取の事務局は新聞の再販を撤廃しようとしているのでありますけれども、その公取の事務局がかつてはこういう表現をしていたということもひとつお忘れないようにしていただきたい。それは昔の話だと言われても、独禁法というのは非常に若い法律でありまして、戦後GHQの圧力でできて、二十八年に、独立直後改正されて、そのときに法定再販としてこの新聞、出版物等が取り上げられたわけであります。
また、今公取委員会の金子さんの属しておられる委員会というものは、非常に偏見に満ち、新聞を何とかつぶしてやりたいと思っておられるとしか思われない。三人のイデオローグがおりまして、ここの金子さんを初めとして、親委員会の鶴田という委員長と三輪という東大の教授と三人がおりますが、それが、まあ、きょうもおまきになったかどうか知らぬが、「三田評論」その他を使って、ミニコミを使って新聞に対するあらゆる悪罵を続けているわけであります。これはミニコミとは言えないかもしれませんが経団連の「経済広報」という雑誌に、三輪東大教授、これは金子小委員会のメンバーでありますが、そこにこう書いてあります。「新聞にも伝える内容の選択は許されるが、業界団体として一斉に、しかも、雑誌・書籍両協会と同調して行動した点は」——行動したというのは再販廃止反対について行動した点は「きわめて凶悪である。場合によっては刑事罰の対象になる価格カルテルに劣らぬ反社会的行為である」と書いております。これは、まあブラックジャーナリズムに書く文章としては適当であるかもしれませんが、一流大学の学者が、極めて凶悪で刑事罰の対象になる反社会的行為である、我々新聞の報道をそう批判しているわけであります。これは大変な侮辱でありまして、何らかの手段で抗議したいと思います。このような発言は、三輪、鶴田、金子、三氏によって相次いで発言されております。
そうして、この小委員会には、新聞の再販に賛成する著明なる独禁法学者、例えば舟田正之さん、これは立教大学の教授でありますが、あるいは伊従寛さん、元公取委員で、中央大学の教授でありますが、こういう人たちは全然入れられておらない。
それから、新聞が購読を制限されておる、購読手段が制限されておるというお話が今ございましたけれども、宅配というのは、全国津々浦々、至るところでも同一価格で、早朝、都市部においては夕刊がありますから夕刻、定時に配達する。これは、郵便料金が、普通郵便が八十円、はがきが五十円という価格に比べますと、一日百円強という価格はかなり安い。そこに記事内容として印刷されている活字の数は、大体新書版一冊もしくは二冊に該当するだけの量があるわけであります。それだけの情報を定時に配るのでありますが、これをコンビニで売らないのがけしからぬということをこの小委員会の方々が盛んに言っておられる。
コンビニで売った場合、一体どういうふうになるか。
現に売っているんです、大阪とか名古屋とか。首都圏で売ってないのがけしからぬということを言っておりますが、首都圏でも私どもは実験的にやっております。
それで、既に至るところでコンビニで売られているスポーツ新聞を見てみましても、駅売りが大体五割が返品であります。それからコンビニでは八割ぐらいが返品になります。現在、我々が春日部とか各地でコンビニに試験的に新聞を置いて販売しているのでありますが、十部置いて売れるのが二部というのが平均値であります。八部は返品になるのです。八割の返品ということは恐ろしい数字でございます。
それからまた、朝夕刊七千二百万部印刷されて毎日発行されているこの新聞を、コンビニの新聞売り場及び駅売りのスタンドに一体置き切れるか。七千二百万部、到底置き切れるものじゃないのです。七百二十万部置くこともできないのです。七、八十万部が限度でありましょう。すると、新聞は宅配をやめたら一体どこに置いておけばいいのかということになるわけであります。
だから、日本は宅配が発達しておるので世界で最高の発行部数を持っているわけでございます。各国の発行部数、一人当たりの部数等、もし御必要があれば、もう時間がないので申し上げませんが、後ほど申し上げます。その他いろいろ申し上げたいことがありますが、あと、諸先生の御質問に応じて追加発言させていただきたいと存じます。
ありがとうございました。拍手
石
石
石破茂#10
○石破委員長 これより参考人に対する質疑に入るのでありますが、本日の参考人に対する質疑は、理事会での協議により、最初にあらかじめ申し出のありました質疑を行い、その後は参考人に対して自由に質疑を行うことといたします。
質疑の申し出がありますので、順次これを許します。永井哲男君。
この発言だけを見る →質疑の申し出がありますので、順次これを許します。永井哲男君。
永
永井哲男#11
○永井(哲)委員 社会民主党の永井哲男でございます。
まず、本日は、両参考人、お忙しいところ当委員会にお越しいただきまして、貴重な御意見を開陳いただいたことを厚く御礼を申し上げたいというふうに思います。
私の再販に対する考えは、民主主義ということで最も重要な知る権利という点から考えた場合に、再販というのは、これは維持すべきではないかというふうに考えているところであります。ただ、制度でありますから、現行の制度が丸ごと全部肯定されるべきかどうか、これはいろいろと議論があるところだと思います。それについては真摯にその反省をして、改善すべきものはしっかりと改善しなければならない、このように考えているところであります。
この金子先生のまとめられた中間報告、大変な力作である、そういうふうに私は思っているところでありますが、しかしその中で、まず第一にこれは理論的な誤り、いかがかなと思うところがあるのではないかというふうに思っております。
というのは、最初に先生は、これについて原則違法である、そしてその違法なものが肯定されるにはかような明白かつ具体的な理由がなければならない、理由、目的のために合理的な手段かどうかという点、そしてより制限的でない他の選択し得る手段というような理論的な枠組みをつくられております。
しかし、私の理解するところ、この理論的な枠組み、立法の規制のあり方というのは、もともと表現の自由、その自由に対する規制の政府のあり方としてつくられてきたというのがこの理論の発端ではなかったのか。特にこれを、この独禁法に乗って、これだけですべてを割り切ろうとするということは、これは自由競争というものが絶対的な価値として、他のあらゆるいろいろな自由というものはその下位に置かれるということと同じ結果をもたらすのではないかというふうに思います。さまざまな立法の中ではいろいろな自由というものが対立するわけであります。そういった他の自由というものをどのように考慮すべきか。自由競争を守らなければならないというのも経済的な自由の中で認められる一つの価値でありまして、それが絶対的なものでなければならないという理由はないのではないか。
そもそも、憲法では優越的な自由というふうに言われております。それは表現の自由を基本とするそういった自由を、他の自由権に比べてこれを優越的に扱わなければならない。なぜかという
と、現在では民主主義の社会でありまして、その民主主義というものは、これはいろいろな意見があるということによって担保される、もし誤ったとしても、民主主義が正常に機能していればその民主主義の過程で改善される、民主主義そのものが誤った場合には改善される余地がない、そういうことで生まれてきた議論であります。
したがって、経済的な自由というのは、それは、優越的な自由、他の自由、とりわけ政治的な意見の表明の自由というものを基本とするそのものに比べては下位に置かれるというのが憲法の理論ではなかったか、そういうふうに思うわけであります。
そういう点で、これに特別な理由があるのか、その理由を積極的に主張しなければならないということを、理論を立てて、何ら検証なくこの理論を前提として立てて、そういった負担というものを他に課すとすれば、それは他の自由というものを規定することと同じことではないかというふうに思うわけであります。
最後にある「文化通信」のそのところを見ましても、先生はこのようにお述べになっております。「自分たちの説明不足を棚に上げ、小委員会を非難するのは筋違いである。」「書籍が文化的財であるというだけでは再販制度を維持する根拠にはならない。」「中間報告は、出版物・新聞の文化的財としての性格を否定しているのではなく、こうした特別の理由を見いだすことが困難であると述べているのである。」「単なる文化論ではなく、具体的な主張を関係業界に期待したい。」このような形で述べております。
特別な理由がなければ自由競争というものが優先するのだということをこれは暗に言っていることと全く同じことではないかというふうに私は考えるのでありますが、先生はその点、どのようにお考えでしょうか。
この発言だけを見る →まず、本日は、両参考人、お忙しいところ当委員会にお越しいただきまして、貴重な御意見を開陳いただいたことを厚く御礼を申し上げたいというふうに思います。
私の再販に対する考えは、民主主義ということで最も重要な知る権利という点から考えた場合に、再販というのは、これは維持すべきではないかというふうに考えているところであります。ただ、制度でありますから、現行の制度が丸ごと全部肯定されるべきかどうか、これはいろいろと議論があるところだと思います。それについては真摯にその反省をして、改善すべきものはしっかりと改善しなければならない、このように考えているところであります。
この金子先生のまとめられた中間報告、大変な力作である、そういうふうに私は思っているところでありますが、しかしその中で、まず第一にこれは理論的な誤り、いかがかなと思うところがあるのではないかというふうに思っております。
というのは、最初に先生は、これについて原則違法である、そしてその違法なものが肯定されるにはかような明白かつ具体的な理由がなければならない、理由、目的のために合理的な手段かどうかという点、そしてより制限的でない他の選択し得る手段というような理論的な枠組みをつくられております。
しかし、私の理解するところ、この理論的な枠組み、立法の規制のあり方というのは、もともと表現の自由、その自由に対する規制の政府のあり方としてつくられてきたというのがこの理論の発端ではなかったのか。特にこれを、この独禁法に乗って、これだけですべてを割り切ろうとするということは、これは自由競争というものが絶対的な価値として、他のあらゆるいろいろな自由というものはその下位に置かれるということと同じ結果をもたらすのではないかというふうに思います。さまざまな立法の中ではいろいろな自由というものが対立するわけであります。そういった他の自由というものをどのように考慮すべきか。自由競争を守らなければならないというのも経済的な自由の中で認められる一つの価値でありまして、それが絶対的なものでなければならないという理由はないのではないか。
そもそも、憲法では優越的な自由というふうに言われております。それは表現の自由を基本とするそういった自由を、他の自由権に比べてこれを優越的に扱わなければならない。なぜかという
と、現在では民主主義の社会でありまして、その民主主義というものは、これはいろいろな意見があるということによって担保される、もし誤ったとしても、民主主義が正常に機能していればその民主主義の過程で改善される、民主主義そのものが誤った場合には改善される余地がない、そういうことで生まれてきた議論であります。
したがって、経済的な自由というのは、それは、優越的な自由、他の自由、とりわけ政治的な意見の表明の自由というものを基本とするそのものに比べては下位に置かれるというのが憲法の理論ではなかったか、そういうふうに思うわけであります。
そういう点で、これに特別な理由があるのか、その理由を積極的に主張しなければならないということを、理論を立てて、何ら検証なくこの理論を前提として立てて、そういった負担というものを他に課すとすれば、それは他の自由というものを規定することと同じことではないかというふうに思うわけであります。
最後にある「文化通信」のそのところを見ましても、先生はこのようにお述べになっております。「自分たちの説明不足を棚に上げ、小委員会を非難するのは筋違いである。」「書籍が文化的財であるというだけでは再販制度を維持する根拠にはならない。」「中間報告は、出版物・新聞の文化的財としての性格を否定しているのではなく、こうした特別の理由を見いだすことが困難であると述べているのである。」「単なる文化論ではなく、具体的な主張を関係業界に期待したい。」このような形で述べております。
特別な理由がなければ自由競争というものが優先するのだということをこれは暗に言っていることと全く同じことではないかというふうに私は考えるのでありますが、先生はその点、どのようにお考えでしょうか。
金
金子晃#12
○金子参考人 今、議員の方から御質問がありましたけれども、経済的自由と知る権利あるいは表現の自由との関係でございますけれども、私は、経済的自由というものが常に知る権利とか表現の自由というものの下位に置かれるという関係にあるのではないだろうというふうに思います。そして、経済的自由、それから知る権利、表現の自由というのはいろいろな形でかかわり合いを持つのだろう、ほかの考え方からいえば、経済的な自由というものが下位にあって、そしてその上に政治的あるいは表現の自由、知る権利というものが確保されるのだというような理解の仕方もできるわけです。
現に、独占禁止法が制定された当初において主張されたことは、政治的な自由というもの、あるいは民主主義を我が国に定着させるためには経済的な自由というものが実現されなければいけない。我が国が独占禁止法を制定するかどうかということは、我が国が政治的自由というものを求めているかどうか、経済的自由というものを実現することによって政治的な自由というものを求めているのかどうかということがわかるのだというようなことが言われたこともあるわけです。したがって、経済的自由と表現の自由あるいは知る権利、政治的な自由あるいは民主主義というものの関係というのは画一的なものではなくて、私は多面的な見方ができるのだろうというふうに思います。
それから、独占禁止法というのは、ある一つの側面からとらえているのであって、知る権利、表現の自由というものを守るために、適切ないろいろな法制度、手段というものがとられるということは、これは当然のことであろう、独占禁止法が再販売価格を新聞について認めないからといって、知る権利、表現の自由というものがなくなってしまうというものではないというふうに私は思います。表現の自由あるいは知る権利というものは、もっと直接的なほかの手段によって守られていくべきものであろうというふうに思います。
議員の発言の中で、種々の意見があることが民主主義の基礎になるのだというお話がありましたけれども、私は、そこのところは一つのポイントになるだろう、種々の意見というものを守るということが大切である。もし、種々の意見を守るということを目的に設定した場合に、再販売価格を維持するということが種々の意見を守るということとどういう関連性を持つのか、その点を明らかにしていく必要があるだろう。
私は、先ほど述べました中で、目的と手段との間の関係というものを指摘しました。種々の意見が存在する、そういうものを守っていくという手段として再販売価格維持行為というものがいかなる役割を果たすのか、どういう効果をもたらすのかというあたりを明らかにされる、そういうことが必要ではないだろうかというふうに思います。
この発言だけを見る →現に、独占禁止法が制定された当初において主張されたことは、政治的な自由というもの、あるいは民主主義を我が国に定着させるためには経済的な自由というものが実現されなければいけない。我が国が独占禁止法を制定するかどうかということは、我が国が政治的自由というものを求めているかどうか、経済的自由というものを実現することによって政治的な自由というものを求めているのかどうかということがわかるのだというようなことが言われたこともあるわけです。したがって、経済的自由と表現の自由あるいは知る権利、政治的な自由あるいは民主主義というものの関係というのは画一的なものではなくて、私は多面的な見方ができるのだろうというふうに思います。
それから、独占禁止法というのは、ある一つの側面からとらえているのであって、知る権利、表現の自由というものを守るために、適切ないろいろな法制度、手段というものがとられるということは、これは当然のことであろう、独占禁止法が再販売価格を新聞について認めないからといって、知る権利、表現の自由というものがなくなってしまうというものではないというふうに私は思います。表現の自由あるいは知る権利というものは、もっと直接的なほかの手段によって守られていくべきものであろうというふうに思います。
議員の発言の中で、種々の意見があることが民主主義の基礎になるのだというお話がありましたけれども、私は、そこのところは一つのポイントになるだろう、種々の意見というものを守るということが大切である。もし、種々の意見を守るということを目的に設定した場合に、再販売価格を維持するということが種々の意見を守るということとどういう関連性を持つのか、その点を明らかにしていく必要があるだろう。
私は、先ほど述べました中で、目的と手段との間の関係というものを指摘しました。種々の意見が存在する、そういうものを守っていくという手段として再販売価格維持行為というものがいかなる役割を果たすのか、どういう効果をもたらすのかというあたりを明らかにされる、そういうことが必要ではないだろうかというふうに思います。
永
永井哲男#13
○永井(哲)委員 これも中間報告を読んで感じたところでありますが、やはり現状認識というものを素直にやっていただきたいという感も深くしたところであります。
今も言われましたが、再販がそれとどのような関係にあるのかというふうにおっしゃいましたが、再販制度というものがあって現実というものがあるわけでありまして、現状、どうなのかということを素直に見れば、再販制度というものがどのような機能を果たしているのかということが現実に示されている、そういうふうに私は考えます。
再販制度をなくして、ではこれがどういうふうになるのかということは、むしろ変更を主張する立場の方で、再販制度をなくすとこういうふうな形が生まれますよということを積極的にむしろ主張し、それを明確にしていく、いわば主張責任といいますか、そういったものがあるのではないかと思います。
今の回答の中で、経済的な自由と表現の自由ということで先生独特の考えをお述べになりましたが、それは現在の憲法学界の通説とはやや異なった立場にあるのではないかというふうに私は感じておりますが、それも一つの見解であるというふうに思いますので、そのこと自体について異論を差し挟むということは差し控えたいと思います。
いずれにしろ、今現在この再販制度というものがどういうものなのか、どういう機能を果たしているのかということをやはりしっかりと見ていただきたいと思います。今の時代、表現というものを保障するだけでは、これは国民に広く知れるところにはならないわけでありまして、それが伝達手段を通して国民に受け取られる、それによって初めていろいろな意味での民主主義的な機能というものを果たすわけであります。
したがって、今は、表現の自由というよりは、むしろ受け取る側からの知る権利というような側でいろいろなものをとらえていこうというような動きになってきているのではないか。そういう中で、例えば宅配制度というものは、これはどういうものなのか、知る権利、そういうものにとっていいのか悪いのか、そういうこともやはり考えていただきたいと思うのであります。
そこで、大きな違いというのは、多様性というもの、いろいろなものがあるということをどう考えるのか、これに深く関係していると思います。
先生の考え、これは「ジュリスト」の三月中旬号でありましたか、そこで見ると、先生のこのような言及の部分があります。「地方のほうへ行くと、ブロック紙なり県紙のほうが強いのです。むしろ、全国紙が全国津々浦々販売されなければならないと考えること自体がおかしいので、」云々というふうに続いておりまして、「コストが高くなって、高い購読料を払っても読みたい人は読めばいいので、地域のブロック紙なり県紙が伸びることのほうが、むしろ望ましいのではないかと思います。」その後に、紙面が明らかにいろいろ違うというようなことに対して、「共同通信社配信の重要な記事は、ほとんど載っています。」このような言及もあるわけであります。
これを見ますと、手近なところから一紙読めば知る権利として十分に満たされているのではないか、そのような前提に立った考えのように見受けられますが、しかし、事実というのは、主観にとって切り取られて初めて意味を持つものでありま
して、一通信社の報道だけで十分にそういった報道の機能が全うされているかどうか、これは非常に問題があるところだと私は思います。だからこそ、多様性というものがあるということそれ自体に価値を認める、そういうものが必要ではないか、そういうふうに思っております。
そういう中で、今果たしている再販の機能というのが、全国紙、全国津々浦々同じ価格で読めるという、そういう機会を設定しているということに役立っていることは確かでありまして、そういう機能を素直に認めて、そういった多様性というもの、そしてもう一方で自由競争というものを促進した場合、これがどのように改善されるのか、こういったものをよりはっきりさせる、むしろこの再販を廃止したらどうなるのかということをしっかりと具体的にシミュレーションして、こうだということをむしろそちらの方で、変更を主張する方が言わなければならないとも思うのでありますが、どのようにお考えでしょうか。
この発言だけを見る →今も言われましたが、再販がそれとどのような関係にあるのかというふうにおっしゃいましたが、再販制度というものがあって現実というものがあるわけでありまして、現状、どうなのかということを素直に見れば、再販制度というものがどのような機能を果たしているのかということが現実に示されている、そういうふうに私は考えます。
再販制度をなくして、ではこれがどういうふうになるのかということは、むしろ変更を主張する立場の方で、再販制度をなくすとこういうふうな形が生まれますよということを積極的にむしろ主張し、それを明確にしていく、いわば主張責任といいますか、そういったものがあるのではないかと思います。
今の回答の中で、経済的な自由と表現の自由ということで先生独特の考えをお述べになりましたが、それは現在の憲法学界の通説とはやや異なった立場にあるのではないかというふうに私は感じておりますが、それも一つの見解であるというふうに思いますので、そのこと自体について異論を差し挟むということは差し控えたいと思います。
いずれにしろ、今現在この再販制度というものがどういうものなのか、どういう機能を果たしているのかということをやはりしっかりと見ていただきたいと思います。今の時代、表現というものを保障するだけでは、これは国民に広く知れるところにはならないわけでありまして、それが伝達手段を通して国民に受け取られる、それによって初めていろいろな意味での民主主義的な機能というものを果たすわけであります。
したがって、今は、表現の自由というよりは、むしろ受け取る側からの知る権利というような側でいろいろなものをとらえていこうというような動きになってきているのではないか。そういう中で、例えば宅配制度というものは、これはどういうものなのか、知る権利、そういうものにとっていいのか悪いのか、そういうこともやはり考えていただきたいと思うのであります。
そこで、大きな違いというのは、多様性というもの、いろいろなものがあるということをどう考えるのか、これに深く関係していると思います。
先生の考え、これは「ジュリスト」の三月中旬号でありましたか、そこで見ると、先生のこのような言及の部分があります。「地方のほうへ行くと、ブロック紙なり県紙のほうが強いのです。むしろ、全国紙が全国津々浦々販売されなければならないと考えること自体がおかしいので、」云々というふうに続いておりまして、「コストが高くなって、高い購読料を払っても読みたい人は読めばいいので、地域のブロック紙なり県紙が伸びることのほうが、むしろ望ましいのではないかと思います。」その後に、紙面が明らかにいろいろ違うというようなことに対して、「共同通信社配信の重要な記事は、ほとんど載っています。」このような言及もあるわけであります。
これを見ますと、手近なところから一紙読めば知る権利として十分に満たされているのではないか、そのような前提に立った考えのように見受けられますが、しかし、事実というのは、主観にとって切り取られて初めて意味を持つものでありま
して、一通信社の報道だけで十分にそういった報道の機能が全うされているかどうか、これは非常に問題があるところだと私は思います。だからこそ、多様性というものがあるということそれ自体に価値を認める、そういうものが必要ではないか、そういうふうに思っております。
そういう中で、今果たしている再販の機能というのが、全国紙、全国津々浦々同じ価格で読めるという、そういう機会を設定しているということに役立っていることは確かでありまして、そういう機能を素直に認めて、そういった多様性というもの、そしてもう一方で自由競争というものを促進した場合、これがどのように改善されるのか、こういったものをよりはっきりさせる、むしろこの再販を廃止したらどうなるのかということをしっかりと具体的にシミュレーションして、こうだということをむしろそちらの方で、変更を主張する方が言わなければならないとも思うのでありますが、どのようにお考えでしょうか。
金
金子晃#14
○金子参考人 永井議員の御質問ですけれども、再販の現実に果たしている機能、また再販が果たすべき機能について中間報告は触れていない、あるいは私がその点について触れていないというお話がありましたけれども、中間報告におきましては十八ページのところでその点に触れております。そして、理論的な面で考えて、再販というものが戸別配達と理論的に結びつくのかどうか。それから、再販がなくなれば戸別配達が現実になくなるのかどうかということについては詳細に議論をしておりますので、そこのところは中間報告をお読みいただければというふうに思います。
それから、後半部分について、私が「文化通信」に書いたものを取り上げられました。それから、「ジュリスト」に発言した点も取り上げられましたけれども、私は、情報の平等な享受という観点で申し上げて、全国一律に同じ価格でなければ情報の平等な享受がなされないという意見に対して述べたものであって、一紙だけが読めればそれでいいということを申し上げているわけではありません。
私は、例えばある地域で、輸送費の関係であるとかその他の関係で価格が高いものになるということがあったとしても、ほかに読むべき新聞があり、また他に情報を獲得する手段があれば、そういう多少高いものがあってもぜひそれを読みたいといえばそのコストを払って読めばいいのであって、価格差があるということが情報の平等な享受を妨げているんだという議論は成り立たないであろうということを申し上げたわけであって、一紙だけ読めばいいとか多様性がなくていいというふうに申し上げているわけではありません。
それから、念のために、価格が高くなるかどうか、この点については、他のいろいろな物資について地域間格差というものが現在の運送システムの中で生じているのかどうか、そういう点も考慮して、価格が全国で違って、新聞が購読できないほどの高い価格差が生ずるということが起こるのか、再販を外した場合にそうなるのかどうかということについては、さらに検討してみる必要があるだろう。私は、そうはならないだろうというふうに思っております。
以上です。
この発言だけを見る →それから、後半部分について、私が「文化通信」に書いたものを取り上げられました。それから、「ジュリスト」に発言した点も取り上げられましたけれども、私は、情報の平等な享受という観点で申し上げて、全国一律に同じ価格でなければ情報の平等な享受がなされないという意見に対して述べたものであって、一紙だけが読めればそれでいいということを申し上げているわけではありません。
私は、例えばある地域で、輸送費の関係であるとかその他の関係で価格が高いものになるということがあったとしても、ほかに読むべき新聞があり、また他に情報を獲得する手段があれば、そういう多少高いものがあってもぜひそれを読みたいといえばそのコストを払って読めばいいのであって、価格差があるということが情報の平等な享受を妨げているんだという議論は成り立たないであろうということを申し上げたわけであって、一紙だけ読めばいいとか多様性がなくていいというふうに申し上げているわけではありません。
それから、念のために、価格が高くなるかどうか、この点については、他のいろいろな物資について地域間格差というものが現在の運送システムの中で生じているのかどうか、そういう点も考慮して、価格が全国で違って、新聞が購読できないほどの高い価格差が生ずるということが起こるのか、再販を外した場合にそうなるのかどうかということについては、さらに検討してみる必要があるだろう。私は、そうはならないだろうというふうに思っております。
以上です。
永
永井哲男#15
○永井(哲)委員 私は、価格自体が高くなる安くなるという形では質問はしておりませんが、そのことだけつけ加えておきます。
いずれにしろ、この再販をどうするかということについては、知る権利、文化といった点も非常に大きな点だというふうに思います。
各国ではそのために、例えばスウェーデンでは、良質の本を保護するために国が補助金を出している、また、一紙独占を防ぐために二位の社に国が補助金を出している、そういうような制度もある。アメリカでは、初版本なりなんなりについて、良質本を大学図書館なりそういったものが約三千部ぐらい買い上げることによってそういった部分の保護をする機能を果たしている。
そういうような幅広いものを見ないで、再販制度だけの中で、そういうものを廃止するのはどうかということだけで議論するとすれば、そういった文化的な面がどう残るのかということに対する全く責任のない議論になっていくのではないか、そういう面も幅広く検討しなければならない、そのように思います。
情報の格差、地方分権、そういった中で、地方に住む人たちに対するアクセスなり、それがどう保証されるのかということも、この再販をなくせばどうなるのかということの中で同時に検討されなければならないと思います。
世論調査で言えば、読売新聞の十月の世論調査では、再販制度の支持が八七・三%、また出版文化産業振興財団の読者調査では、書籍、雑誌の再販制の支持が七三・八%というような形で国民に幅広く支持をされている。
そういう現況の中でどう考えるのかということが広く求められている。そういう点で幅広い検討をしっかりとしていただきたいということを要望しておきたいと思います。
最後に、もう時間もなくなりましたが、この公取委の中間報告の中で指摘する点、さまざまあります。不当な面もありますが、正当に現在の新聞の販売の実態、あり方についての苦言を呈している点もあると思います。
そういう点で、これは渡邉参考人にお聞きしたいのですが、新聞協会ないしは渡邉さんの方としては、そういった指摘をどのように受けとめ、そしてどのように改善していこうと現在お考えになられているか、その点をお聞きしたいと思います。
この発言だけを見る →いずれにしろ、この再販をどうするかということについては、知る権利、文化といった点も非常に大きな点だというふうに思います。
各国ではそのために、例えばスウェーデンでは、良質の本を保護するために国が補助金を出している、また、一紙独占を防ぐために二位の社に国が補助金を出している、そういうような制度もある。アメリカでは、初版本なりなんなりについて、良質本を大学図書館なりそういったものが約三千部ぐらい買い上げることによってそういった部分の保護をする機能を果たしている。
そういうような幅広いものを見ないで、再販制度だけの中で、そういうものを廃止するのはどうかということだけで議論するとすれば、そういった文化的な面がどう残るのかということに対する全く責任のない議論になっていくのではないか、そういう面も幅広く検討しなければならない、そのように思います。
情報の格差、地方分権、そういった中で、地方に住む人たちに対するアクセスなり、それがどう保証されるのかということも、この再販をなくせばどうなるのかということの中で同時に検討されなければならないと思います。
世論調査で言えば、読売新聞の十月の世論調査では、再販制度の支持が八七・三%、また出版文化産業振興財団の読者調査では、書籍、雑誌の再販制の支持が七三・八%というような形で国民に幅広く支持をされている。
そういう現況の中でどう考えるのかということが広く求められている。そういう点で幅広い検討をしっかりとしていただきたいということを要望しておきたいと思います。
最後に、もう時間もなくなりましたが、この公取委の中間報告の中で指摘する点、さまざまあります。不当な面もありますが、正当に現在の新聞の販売の実態、あり方についての苦言を呈している点もあると思います。
そういう点で、これは渡邉参考人にお聞きしたいのですが、新聞協会ないしは渡邉さんの方としては、そういった指摘をどのように受けとめ、そしてどのように改善していこうと現在お考えになられているか、その点をお聞きしたいと思います。
渡
渡邉恒雄#16
○渡邉参考人 お答えいたします。
新聞の編集それ自体よりも、新聞の販売方法について各方面からいろいろな批判がございます。
そこで、現在新聞協会では、朝日新聞の社長が販売正常化委員長というのをやっておりますけれども、新聞協会を中心にして、まず、いわゆる拡張員ですね、つまり勧誘して歩く人間、この人たちの態度を改めさせなければならない。制服を着用させるとか、あるいはネームプレートをつけさせる、それから言葉遣い、強引な勧誘をしてはならない等々、それを最重点に置いて目下教育中でございます。
それから、拡材、いわゆる景品等の問題でございますが、それについても、読売新聞だけで八千八百軒の販売店を持っておりまして、そこで十万人の従業員が動いております。それに対して、販売店を歩いて販売の指導をしているいわゆる販売担当員というのは百五十人ぐらいしかおらないわけであります。そこで、非常に時間がかかってまことに申しわけないと思っておりますけれども、今全力を挙げてこれをやる。
そこで、各地域にモニターを設置いたしまして、そのモニターの報告を聞く。新聞協会では、主婦連の代表の方も含めて我々にいろいろ小言を言ってくださる審議会を設置いたしまして、頻繁に我々は聞いております。
それから、現在では特に九州、山口地域でかなり販売競争が激化して弊害が生じておるという報告がありましたので、朝日、毎日、読売、西日本、中国新聞と五社の社長会議を開いてそこで申し合わせをいたしまして、各社長から販売局長に命令して、そのような行為を慎むように、厳に慎めという措置をして、その経過を今観察中であります。
また、東京二十三区でも、とにかく厳重に、何も使わずとにかくきれいにやろうじゃないかという申し合わせをいたしまして、現に実行中でございます。
その他、今永井先生のおっしゃったように、新聞にとって多少不当と思われるような販売行為がある。これについては、最大の関心を持って、現在、協会長は毎日新聞の社長の小池君でありますが、小池会長、それから朝日新聞の社長の中江君の販売正常化委員長を中心に、我々理事連中も非常に協力してこれを徹底して、皆さんにお小言をいただかないように努力を続けているつもりでございます。
そのような御指摘、ありがとうございました。
この発言だけを見る →新聞の編集それ自体よりも、新聞の販売方法について各方面からいろいろな批判がございます。
そこで、現在新聞協会では、朝日新聞の社長が販売正常化委員長というのをやっておりますけれども、新聞協会を中心にして、まず、いわゆる拡張員ですね、つまり勧誘して歩く人間、この人たちの態度を改めさせなければならない。制服を着用させるとか、あるいはネームプレートをつけさせる、それから言葉遣い、強引な勧誘をしてはならない等々、それを最重点に置いて目下教育中でございます。
それから、拡材、いわゆる景品等の問題でございますが、それについても、読売新聞だけで八千八百軒の販売店を持っておりまして、そこで十万人の従業員が動いております。それに対して、販売店を歩いて販売の指導をしているいわゆる販売担当員というのは百五十人ぐらいしかおらないわけであります。そこで、非常に時間がかかってまことに申しわけないと思っておりますけれども、今全力を挙げてこれをやる。
そこで、各地域にモニターを設置いたしまして、そのモニターの報告を聞く。新聞協会では、主婦連の代表の方も含めて我々にいろいろ小言を言ってくださる審議会を設置いたしまして、頻繁に我々は聞いております。
それから、現在では特に九州、山口地域でかなり販売競争が激化して弊害が生じておるという報告がありましたので、朝日、毎日、読売、西日本、中国新聞と五社の社長会議を開いてそこで申し合わせをいたしまして、各社長から販売局長に命令して、そのような行為を慎むように、厳に慎めという措置をして、その経過を今観察中であります。
また、東京二十三区でも、とにかく厳重に、何も使わずとにかくきれいにやろうじゃないかという申し合わせをいたしまして、現に実行中でございます。
その他、今永井先生のおっしゃったように、新聞にとって多少不当と思われるような販売行為がある。これについては、最大の関心を持って、現在、協会長は毎日新聞の社長の小池君でありますが、小池会長、それから朝日新聞の社長の中江君の販売正常化委員長を中心に、我々理事連中も非常に協力してこれを徹底して、皆さんにお小言をいただかないように努力を続けているつもりでございます。
そのような御指摘、ありがとうございました。
永
石
枝
枝野幸男#19
○枝野委員 さきがけの枝野幸男でございます。
参考人のお二人の皆様には、きょうはありがとうございます。
まず結論から申し上げますが、私自身は個人的には著作物の再販売価格制度は維持すべきであるというふうに考えておりますけれども、先ほど来のお話を伺っておりますと、若干議論がかみ合っていないかなと思っておりますし、率直に申し上げて、渡邉さんのおっしゃった理由と私の考えでおります理由がちょっと違っております。その点について、私の意見を挟みながら御意見をちょっと伺いたいのです。
私は、再販売価格維持制度を著作物について認めてきた理由と、そしてこれからも認めていかなければならない理由というものを考えるときに、現象面、あるいは消費者サイドからの見方ということに余りこだわり過ぎると、ほかの商品とどう違うのかということに最終的にはなってしまうだろう。消費者の立場から見たときという知る権利の立場とか、それも大事なことでありますが、その話を出しできますと、安全のために化粧品はあるいは薬はとかという話がいろいろ出てきてしまいます。
では、なぜ著作物という定義で、カテゴリーで例外規定にしてあるのかといえば、私はまさに著作権を守るためではないのかというふうに個人的には思っています。例えば金子先生がお示しになった例外を認める要件に照らして考えてみましたときに、私は、そもそも著作権というもの、これは守られなければならない権利というのは異論がないと思いますが、著作権を守るというのが理由であって、その理由を達成するための目的というのは、私は、著作権者に、著作権を持っている者にその著作物についての価格のコントロール権を与えるという目的を持っているんだというふうに思っています。
なぜならば、他の商品と違いまして著作物については、一種の情報でありますので、ある意味では市場に出た瞬間に価値はゼロに近くなる。出すときにどういった価格で設定するのかということが非常に大きな意味を持つ。さらにまた、残念ながら今の日本社会では、著作物に代表される、物になっていない価値について対価を支払うということについての文化がまだ根づいていない。そういったことを考えると、著作をした著作権者が自分の著作物についてどれぐらい価値があるのかということを自分の判断で価格を設定して、後は、それじゃ高すぎるといって買わなきゃ買わないでいいわけですから、そこに任せる。ただ、そこを流通に任せるというようなことが現状の著作権に対する日本の概念や流通の仕組みの中ではちょっと困難だ。したがって、著作権を守るためには著作物についての価格のコントロール権を著作権者に認めるというのが、私は独禁法の例外をつくった出発点ではないかと個人的には思っています。
そして、これは私が見る限りでは、理由、目的に対して再販売価格維持制度というのは合目的であると思いますし、四番の、それによって達成される利益と弊害の比較、これはいろいろな意見があるのかもしれませんが、ほかに著作権というものを、著作権者の権利というものを守る手段として何かふさわしいものがあるかといえば、なかなか見つからない。価格のコントロール権を与えるというのが一番じゃないかというふうに私は思っておりますが、この辺、金子先生どういうふうにお考えになりますか。
この発言だけを見る →参考人のお二人の皆様には、きょうはありがとうございます。
まず結論から申し上げますが、私自身は個人的には著作物の再販売価格制度は維持すべきであるというふうに考えておりますけれども、先ほど来のお話を伺っておりますと、若干議論がかみ合っていないかなと思っておりますし、率直に申し上げて、渡邉さんのおっしゃった理由と私の考えでおります理由がちょっと違っております。その点について、私の意見を挟みながら御意見をちょっと伺いたいのです。
私は、再販売価格維持制度を著作物について認めてきた理由と、そしてこれからも認めていかなければならない理由というものを考えるときに、現象面、あるいは消費者サイドからの見方ということに余りこだわり過ぎると、ほかの商品とどう違うのかということに最終的にはなってしまうだろう。消費者の立場から見たときという知る権利の立場とか、それも大事なことでありますが、その話を出しできますと、安全のために化粧品はあるいは薬はとかという話がいろいろ出てきてしまいます。
では、なぜ著作物という定義で、カテゴリーで例外規定にしてあるのかといえば、私はまさに著作権を守るためではないのかというふうに個人的には思っています。例えば金子先生がお示しになった例外を認める要件に照らして考えてみましたときに、私は、そもそも著作権というもの、これは守られなければならない権利というのは異論がないと思いますが、著作権を守るというのが理由であって、その理由を達成するための目的というのは、私は、著作権者に、著作権を持っている者にその著作物についての価格のコントロール権を与えるという目的を持っているんだというふうに思っています。
なぜならば、他の商品と違いまして著作物については、一種の情報でありますので、ある意味では市場に出た瞬間に価値はゼロに近くなる。出すときにどういった価格で設定するのかということが非常に大きな意味を持つ。さらにまた、残念ながら今の日本社会では、著作物に代表される、物になっていない価値について対価を支払うということについての文化がまだ根づいていない。そういったことを考えると、著作をした著作権者が自分の著作物についてどれぐらい価値があるのかということを自分の判断で価格を設定して、後は、それじゃ高すぎるといって買わなきゃ買わないでいいわけですから、そこに任せる。ただ、そこを流通に任せるというようなことが現状の著作権に対する日本の概念や流通の仕組みの中ではちょっと困難だ。したがって、著作権を守るためには著作物についての価格のコントロール権を著作権者に認めるというのが、私は独禁法の例外をつくった出発点ではないかと個人的には思っています。
そして、これは私が見る限りでは、理由、目的に対して再販売価格維持制度というのは合目的であると思いますし、四番の、それによって達成される利益と弊害の比較、これはいろいろな意見があるのかもしれませんが、ほかに著作権というものを、著作権者の権利というものを守る手段として何かふさわしいものがあるかといえば、なかなか見つからない。価格のコントロール権を与えるというのが一番じゃないかというふうに私は思っておりますが、この辺、金子先生どういうふうにお考えになりますか。
金
金子晃#20
○金子参考人 ただいま、著作権を守るため、著作権を守るということで著作者に価格コントロールを与えるという形で再販売価格維持行為というのが認められているのではないかというお話ですけれども、各国の著作権法を見ても、また著作権に対する保護ということを見ても、著作権者に対して価格コントロールの権限を与えているという法制というのはないと思います。私はその点で、著作権というのはまさにアメリカ流に言えばコピーライトであるわけですね。我が国は若干違って、オーサーズライツというふうに言っていいのかもわかりません。その点ではアメリカよりもより強い形で著作権者の保護がなされているというふうに言っていいだろうと思います。
しかし、その場合であっても、著作権者に対して価格コントロールというものを認めるということが必要なのかどうか。この点についてはいろいろな議論があるだろうし、また慎重に考えていかないといけない。これは独禁法の問題ではなくて、著作権法上著作権をどのようなものとして見、また著作権をどういうふうに保護していくかという問題になってくるのだろうというふうに思います。
したがって、私は、現在の独禁法で著作物について再販売価格を認めているということは、そのことが直ちに著作者に対して価格コントロールというものを認めている制度であるというふうには見られないだろうと思います。もしそうであるとすれば、出版物について、著作権者というのは著者であるわけですね、著者に対して自分が出す本についての価格設定の権利を認めているかというとそうではなくて、出版社があるいは流通業者が再販売価格を決定することが認められているわけであって、決して著者の価格コントロールというものを認めているわけではありませんので、その点で現行の法制度と先生のおっしゃることとは私は一致しないのだろうというふうに思います。その点は著作権法の中で考えてみるべき問題ではないかというふうに思います。
この発言だけを見る →しかし、その場合であっても、著作権者に対して価格コントロールというものを認めるということが必要なのかどうか。この点についてはいろいろな議論があるだろうし、また慎重に考えていかないといけない。これは独禁法の問題ではなくて、著作権法上著作権をどのようなものとして見、また著作権をどういうふうに保護していくかという問題になってくるのだろうというふうに思います。
したがって、私は、現在の独禁法で著作物について再販売価格を認めているということは、そのことが直ちに著作者に対して価格コントロールというものを認めている制度であるというふうには見られないだろうと思います。もしそうであるとすれば、出版物について、著作権者というのは著者であるわけですね、著者に対して自分が出す本についての価格設定の権利を認めているかというとそうではなくて、出版社があるいは流通業者が再販売価格を決定することが認められているわけであって、決して著者の価格コントロールというものを認めているわけではありませんので、その点で現行の法制度と先生のおっしゃることとは私は一致しないのだろうというふうに思います。その点は著作権法の中で考えてみるべき問題ではないかというふうに思います。
枝
枝野幸男#21
○枝野委員 ここで余り議論をする時間はありませんが、諸外国の法制という御指摘については、そもそも著作権に対する概念が国際的にまだ未成熟の状況でありまして、日本も欧米各国に比べれば相当おくれておりますが、さらにおくれている国もたくさんある中で、著作権という概念をできるだけしっかりさせていこうという流れの中にある。特に我が国で考えなければならない、そして歴史的にも現実であるのは、形のないものに対してお金を払わないということについての意識が非常に強い、欧米諸国に比べても非常に強い。
そうした中では、価格についてある程度、著作権者という言い方は正確に言えば若干違うかもしれませんが、に与えてきたということが非常に意味を持っていたと思っておりますし、これは立法の経緯その他いろいろございますので、断定的にこういったことを言えませんが、しかし、著作物という概念で実は独禁法の例外はつくっております。さまざまな、いろいろな理由をその制定当時からいろいろされていますが、突き詰めていくと、なぜ著作物だけが違うのかということになると、その部分に行き着かざるを得ないのじゃないか。
それから、最後におっしゃられました、正確には、厳密には著作権者が価格を設定しているのではないと言っておりますが、そこは私も、だからコントロールという言い方をさせていただいたので、著作権者が例えば出版社と契約をするというような過程の中で、これはそんなに安いのだったら出さないよとか、そういったことが事実上コントロールできるわけでありますし、厳密なことを言ったら、新聞だって記事を書いている記者ではなくて新聞社が価格を決めているわけですけれども、そこはコントロールという意味では及んでいる。そこは出版をするサイドのところに今決定権が再販価格維持制度という形であるわけで、それによって著作者の最低限の権利というものが僕は維持されるというふうな思いを持っているわけであります。
これ以上お話をしても水かけ論になりますので、むしろ渡邉社長にお尋ねをしたいのですが、今のような観点からむしろ再販価格維持制度というのを議論を詰めていけば、著作権法などのこともいろいろ御検討いただいて、していただければ、私は、十分説得力を持つのではないか。残念ながら、先ほど社長がおっしゃられた理由をるる述べていかれますと、例えば我々規制緩和を進めていこうという立場からいたしますと、その理由
では今度、薬とか化粧品とか何やかんやという話と一緒になってしまうなと。それは安全なのか知る権利なのかという違いだけであって、なかなか難しい。ぜひそういった観点からの御検討、御議論を。
そして、新聞が特別なんだという言い方、新聞をおやりの立場からよくわかりますが、新聞だけではなくて、一般的に著作というものについて保護をすべきなんだ、まさに知的労働であって、情報は出てしまった瞬間に価値がゼロになるという意味では、新聞だけが意味があるのではなくて、ある意味では、私は低俗とは思いませんが、世間的には低俗と言われるものであっても、それはつくった者の権利というのを守らなければならないという意味では、例えば今は音楽CDまででありますが、何で落語はだめなのだとか、そういった話までむしろ広げる、著作権という範囲で仲間を広げるというふうな方向でやっていただいた方が私は説得力を持つのじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
この発言だけを見る →そうした中では、価格についてある程度、著作権者という言い方は正確に言えば若干違うかもしれませんが、に与えてきたということが非常に意味を持っていたと思っておりますし、これは立法の経緯その他いろいろございますので、断定的にこういったことを言えませんが、しかし、著作物という概念で実は独禁法の例外はつくっております。さまざまな、いろいろな理由をその制定当時からいろいろされていますが、突き詰めていくと、なぜ著作物だけが違うのかということになると、その部分に行き着かざるを得ないのじゃないか。
それから、最後におっしゃられました、正確には、厳密には著作権者が価格を設定しているのではないと言っておりますが、そこは私も、だからコントロールという言い方をさせていただいたので、著作権者が例えば出版社と契約をするというような過程の中で、これはそんなに安いのだったら出さないよとか、そういったことが事実上コントロールできるわけでありますし、厳密なことを言ったら、新聞だって記事を書いている記者ではなくて新聞社が価格を決めているわけですけれども、そこはコントロールという意味では及んでいる。そこは出版をするサイドのところに今決定権が再販価格維持制度という形であるわけで、それによって著作者の最低限の権利というものが僕は維持されるというふうな思いを持っているわけであります。
これ以上お話をしても水かけ論になりますので、むしろ渡邉社長にお尋ねをしたいのですが、今のような観点からむしろ再販価格維持制度というのを議論を詰めていけば、著作権法などのこともいろいろ御検討いただいて、していただければ、私は、十分説得力を持つのではないか。残念ながら、先ほど社長がおっしゃられた理由をるる述べていかれますと、例えば我々規制緩和を進めていこうという立場からいたしますと、その理由
では今度、薬とか化粧品とか何やかんやという話と一緒になってしまうなと。それは安全なのか知る権利なのかという違いだけであって、なかなか難しい。ぜひそういった観点からの御検討、御議論を。
そして、新聞が特別なんだという言い方、新聞をおやりの立場からよくわかりますが、新聞だけではなくて、一般的に著作というものについて保護をすべきなんだ、まさに知的労働であって、情報は出てしまった瞬間に価値がゼロになるという意味では、新聞だけが意味があるのではなくて、ある意味では、私は低俗とは思いませんが、世間的には低俗と言われるものであっても、それはつくった者の権利というのを守らなければならないという意味では、例えば今は音楽CDまででありますが、何で落語はだめなのだとか、そういった話までむしろ広げる、著作権という範囲で仲間を広げるというふうな方向でやっていただいた方が私は説得力を持つのじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
渡
渡邉恒雄#22
○渡邉参考人 ただいまの枝野委員の御説には全面的に賛成でございます。
そもそも、著作物が法定再販になっている。金子さんが専ら新聞の話をされたので、私は反論するために新聞についてのみお話ししたのですが、本日は、新聞及び出版、書籍、雑誌等について、その業界を代表して参っておる次第でございます。私は、現在の独禁法が法定再販として著作物という概念を挙げておる、著作物という概念は法律上は著作権法にしかないわけでございます。著作権法は文化庁の所管でありまして、現在、マルチメディア化時代にいろいろな意味の著作物、コンピューターソフトとかいろいろなものが出てきましたので、多少混乱しております。その範囲を明確にすることは必要だと存じます。そして、今枝野委員がおっしゃったような意味で著作権というものを厳重に保護していかなければならない。私どもも、新聞社でありますが、出版局を持っております。著者の価格コントロール権というものは実際にはある。例えば、何万部出すか、どの程度の宣伝費をかけるか等は、著者との相対のネゴシエーションで行われるわけでありまして、その際に著者の要求を聞かなければほかの出版社に出されてしまうわけであります、いい著者の場合でございますけれども。そういう意味では価格コントロール権は著者にあります。
それから、中間報告は、二十八年の改正独禁法で著作物を法定再販にしたことについて、立法の趣旨が具体的に明らかにされていたわけではないと書いてございますが、そうではございません。たしか二十四年でしたか、二年でしたか忘れましたが、最初の独禁法が導入され、独立と同時に、昭和二十八年に改正独禁法ができたときに著作物を法定再販とした際、公取委員会の事務局長がドイツに参りましてドイツの独禁法を十分研究し、その中でこの著作物というものを入れたわけでございます。
それで、ドイツの当時の考え方はどういうことかというと、これは簡単に申し上げますが、ドイツの立法の趣旨は明らかでございます。例えば、ドイツの独禁法の代表的な法学者で国際的にも著名なフィッケンシャーというミュンヘン大学の教授がおります。また、ドイツの独禁委員長をやっておられたイメンガというゲッチンゲン大学の教授がおられます。この二人の言葉を、簡単でございますので申し上げると、当時の、二十八年の独禁法改正の際の著作物というものを法定再販にした理由、それからドイツ法が一体どういう考えであったかということがわかります。
フィッケンシャー教授は、ドイツで新聞、書籍等が再販禁止の例外扱いとなっているのは、我々ドイツ人が効率性を超えて文化の多様性を守りたいからだ。文化の多様性ということを非常に強調しております。これは、先ほどの永井委員からもるるお話がございました、言論、表現の自由権は経済権に優越しているという思想であります。
それから、イメンガ教授は、新聞を含む出版物の再販制度は効率的な流通システムの基盤になっている、出版物は全国的に普及させるべきであり、同時に質の高さが維持されなければならない、これこそ民主主義国家にとって一定の文化水準を保持する重要な要素である。こういう意味で、著作物というものは文化的な価値のために法定再販となったのであります。文化的な価値というものは、やはり著作者の持つ権利、著作者の値打ちでございます。
以上です。
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この発言だけを見る →そもそも、著作物が法定再販になっている。金子さんが専ら新聞の話をされたので、私は反論するために新聞についてのみお話ししたのですが、本日は、新聞及び出版、書籍、雑誌等について、その業界を代表して参っておる次第でございます。私は、現在の独禁法が法定再販として著作物という概念を挙げておる、著作物という概念は法律上は著作権法にしかないわけでございます。著作権法は文化庁の所管でありまして、現在、マルチメディア化時代にいろいろな意味の著作物、コンピューターソフトとかいろいろなものが出てきましたので、多少混乱しております。その範囲を明確にすることは必要だと存じます。そして、今枝野委員がおっしゃったような意味で著作権というものを厳重に保護していかなければならない。私どもも、新聞社でありますが、出版局を持っております。著者の価格コントロール権というものは実際にはある。例えば、何万部出すか、どの程度の宣伝費をかけるか等は、著者との相対のネゴシエーションで行われるわけでありまして、その際に著者の要求を聞かなければほかの出版社に出されてしまうわけであります、いい著者の場合でございますけれども。そういう意味では価格コントロール権は著者にあります。
それから、中間報告は、二十八年の改正独禁法で著作物を法定再販にしたことについて、立法の趣旨が具体的に明らかにされていたわけではないと書いてございますが、そうではございません。たしか二十四年でしたか、二年でしたか忘れましたが、最初の独禁法が導入され、独立と同時に、昭和二十八年に改正独禁法ができたときに著作物を法定再販とした際、公取委員会の事務局長がドイツに参りましてドイツの独禁法を十分研究し、その中でこの著作物というものを入れたわけでございます。
それで、ドイツの当時の考え方はどういうことかというと、これは簡単に申し上げますが、ドイツの立法の趣旨は明らかでございます。例えば、ドイツの独禁法の代表的な法学者で国際的にも著名なフィッケンシャーというミュンヘン大学の教授がおります。また、ドイツの独禁委員長をやっておられたイメンガというゲッチンゲン大学の教授がおられます。この二人の言葉を、簡単でございますので申し上げると、当時の、二十八年の独禁法改正の際の著作物というものを法定再販にした理由、それからドイツ法が一体どういう考えであったかということがわかります。
フィッケンシャー教授は、ドイツで新聞、書籍等が再販禁止の例外扱いとなっているのは、我々ドイツ人が効率性を超えて文化の多様性を守りたいからだ。文化の多様性ということを非常に強調しております。これは、先ほどの永井委員からもるるお話がございました、言論、表現の自由権は経済権に優越しているという思想であります。
それから、イメンガ教授は、新聞を含む出版物の再販制度は効率的な流通システムの基盤になっている、出版物は全国的に普及させるべきであり、同時に質の高さが維持されなければならない、これこそ民主主義国家にとって一定の文化水準を保持する重要な要素である。こういう意味で、著作物というものは文化的な価値のために法定再販となったのであります。文化的な価値というものは、やはり著作者の持つ権利、著作者の値打ちでございます。
以上です。
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石
石破茂#23
○石破委員長 議事の途中ではございますが、ただいまグヴォズデヴァ・スヴェトラーナ・ニコラエヴナ・ロシア連邦議会議員御一行が当委員会の傍聴にお見えになりました。御紹介申し上げます。
〔拍手〕
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この発言だけを見る →〔拍手〕
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石
枝
枝野幸男#25
○枝野委員 ありがとうございます。
私の申し上げた説というのは決してまだ一般的なものではないと思っておりますが、単にその文化的な価値とかというだけではなかなか再販制度に結びつかないというところをつなげる背景の部分として、価格に対するコントロールの話というのは、議論をすればするほど説得力を持ってくると私は思っておりますので、ぜひ御検討をいただきたいと思っております。
せっかく私の意見に賛同していただいた後にお尋ねするのはなんなのでございますが、やはり新聞の販売拡張の部分のところについて指摘を受けざるを得ないところはあるだろう。実際に私も新聞の販売店の方に強く勧誘をされて困ったという経験も何度もございますので、そうした中で、一点ぜひ御検討をお願いをしたいと思いますのは、新聞販売店の方の、特に販売員、拡張員の方の労働環境かなと思っております。
私、弁護士として小さな額の詐欺とか横領とかというような事件の中に、何件か実は販売店の方、要するに非常に経済的な困窮をしている中で、新聞販売店だと住み込みで生活が安定する、そういった方が何らかのきっかけでお金に困ってしまったという事件、たまたまだと思うのですが、何件かやったことがございまして、販売店の方の生活環境はなかなか厳しい。価格との兼ね合いもある。その環境をよくすればそれだけ価格に響くわけでございますから、そういった難しさはあるとは思うのですけれども、これは現状をきちんと知らせて、なおかつ、今のような、ある意味では現場の販売店では過酷とも言えるかもしれない販売競争があるという現状が改善をされるということであるならば、例えば若干価格に反映をしても、それほど大きな抵抗はないのだろう。そういったことをぜひ新聞協会など、販売店の販売員の皆さんの労働環境をよくすることによって過当な競争を少なくしていこう、若干価格が上がるということについては十分説得をしようというようなお考えはございませんでしょうか。
この発言だけを見る →私の申し上げた説というのは決してまだ一般的なものではないと思っておりますが、単にその文化的な価値とかというだけではなかなか再販制度に結びつかないというところをつなげる背景の部分として、価格に対するコントロールの話というのは、議論をすればするほど説得力を持ってくると私は思っておりますので、ぜひ御検討をいただきたいと思っております。
せっかく私の意見に賛同していただいた後にお尋ねするのはなんなのでございますが、やはり新聞の販売拡張の部分のところについて指摘を受けざるを得ないところはあるだろう。実際に私も新聞の販売店の方に強く勧誘をされて困ったという経験も何度もございますので、そうした中で、一点ぜひ御検討をお願いをしたいと思いますのは、新聞販売店の方の、特に販売員、拡張員の方の労働環境かなと思っております。
私、弁護士として小さな額の詐欺とか横領とかというような事件の中に、何件か実は販売店の方、要するに非常に経済的な困窮をしている中で、新聞販売店だと住み込みで生活が安定する、そういった方が何らかのきっかけでお金に困ってしまったという事件、たまたまだと思うのですが、何件かやったことがございまして、販売店の方の生活環境はなかなか厳しい。価格との兼ね合いもある。その環境をよくすればそれだけ価格に響くわけでございますから、そういった難しさはあるとは思うのですけれども、これは現状をきちんと知らせて、なおかつ、今のような、ある意味では現場の販売店では過酷とも言えるかもしれない販売競争があるという現状が改善をされるということであるならば、例えば若干価格に反映をしても、それほど大きな抵抗はないのだろう。そういったことをぜひ新聞協会など、販売店の販売員の皆さんの労働環境をよくすることによって過当な競争を少なくしていこう、若干価格が上がるということについては十分説得をしようというようなお考えはございませんでしょうか。
渡
渡邉恒雄#26
○渡邉参考人 先ほども永井委員から御指摘があった点とも関連いたしますが、まさにそのとおりでございます。先ほども申し上げましたように、読売新聞だけでも十万人の配達従業員、販売店の従業員を抱えております。全国では四十数万人おります。労働環境は非常に劣悪であります。昔は、例えば八畳一間に数人の従業員を寝かせておったというようなことがございます。最近まで、戦後も、木賃アパートに住まわしておった。しかし、最近はだんだん向上してまいりまして、ワンルームマンションでなければ新聞配達をやらないよというような人も出てきております。そこで、例えば我が社でも、販売店にはそんなワンルームマンションを建てる力がございませんので、新聞社として余力のある限り、八階建てぐらいのワンルームマンションを建てて、そこに三店舗ぐらいの従業員をみんな集めてきて住んでもらうというようなこともしております。
販売店の従業員のビヘービアというものは、その待遇によるのです。待遇が悪ければ悪いほど従
業員のビヘービアは悪くなる。そこで、先ほど永井委員からも指摘があったような点につきまして、どう改善するかということは、何としても販売店の従業員の待遇の改善が最高である。これはまた、販売店の店主というものがあります。店主はなるべく安く従業員を雇いたい、こう考えるのは当然であります。そこで、店主に対して、なるべく高くと言うと語弊がありますが、とにかく適正な賃金を支払って、働きやすい環境をつくれ。それから週休制も、日曜日も休まずに新聞は配りますから、全く休みのない、一年じゅう休みのないような生活をしている。これは、店主の場合はどうにもしようがない。旅行も何もできない。夫婦で、非常にかわいそうなんです。そういうこともございます。
二、三度前の値上げのときに、三百円値上げいたしました。そのときに当時の我が社の会長でありました務台という人がおりますが、これは販売の神様とこの世界では言われているのですが、その務台さんが、三百円の値上げ、これは大体販売店と本社で半分ずつ分けるものでありますが、全部店にやれと。私は、当時副社長でありましたが、三百円全部取られちゃって、せっかく値上げしたけれども本社には全然入ってこない、こんなばかなことはあるかと思ったのでありますが、極めて独裁的な会長さんであったので、服従いたしました。しかし、後で考えてみると、その三百円は週休対策費として使うという条件をつけて販売店にやったのです。これは、新聞記者の諸君もおられるようなので、どうも私の口から言うとまことにまずいのでございますが、読売新聞が一千万部になったのは、あのときの三百円というものを全部従業員の週休対策費に充てた、そしてとにかく待遇改善を徐々にやった。まあ三百円といったって、それは一千万部ありますと月に三十億、年に三百六十億になるわけでありますから、それを全部週休対策費に充てた。そういうようなことをして待遇を改善して、従業員のビヘービアを向上させるように努力していくつもりでございます。鋭意やっております。
ありがとうございます。
この発言だけを見る →販売店の従業員のビヘービアというものは、その待遇によるのです。待遇が悪ければ悪いほど従
業員のビヘービアは悪くなる。そこで、先ほど永井委員からも指摘があったような点につきまして、どう改善するかということは、何としても販売店の従業員の待遇の改善が最高である。これはまた、販売店の店主というものがあります。店主はなるべく安く従業員を雇いたい、こう考えるのは当然であります。そこで、店主に対して、なるべく高くと言うと語弊がありますが、とにかく適正な賃金を支払って、働きやすい環境をつくれ。それから週休制も、日曜日も休まずに新聞は配りますから、全く休みのない、一年じゅう休みのないような生活をしている。これは、店主の場合はどうにもしようがない。旅行も何もできない。夫婦で、非常にかわいそうなんです。そういうこともございます。
二、三度前の値上げのときに、三百円値上げいたしました。そのときに当時の我が社の会長でありました務台という人がおりますが、これは販売の神様とこの世界では言われているのですが、その務台さんが、三百円の値上げ、これは大体販売店と本社で半分ずつ分けるものでありますが、全部店にやれと。私は、当時副社長でありましたが、三百円全部取られちゃって、せっかく値上げしたけれども本社には全然入ってこない、こんなばかなことはあるかと思ったのでありますが、極めて独裁的な会長さんであったので、服従いたしました。しかし、後で考えてみると、その三百円は週休対策費として使うという条件をつけて販売店にやったのです。これは、新聞記者の諸君もおられるようなので、どうも私の口から言うとまことにまずいのでございますが、読売新聞が一千万部になったのは、あのときの三百円というものを全部従業員の週休対策費に充てた、そしてとにかく待遇改善を徐々にやった。まあ三百円といったって、それは一千万部ありますと月に三十億、年に三百六十億になるわけでありますから、それを全部週休対策費に充てた。そういうようなことをして待遇を改善して、従業員のビヘービアを向上させるように努力していくつもりでございます。鋭意やっております。
ありがとうございます。
枝
石
野
野田佳彦#29
○野田(佳)委員 本日は、両参考人におかれましては、大変お忙しい中を御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
私は、特に自分の特定の立場から質問をするという形ではなくて、まさに白紙の状態で、再販の問題について深い議論を今後するためのまさに素朴な質問を両参考人にさせていただきたいというふうに思います。
まず、金子参考人にお伺いをいたしますけれども、昨年七月の中間報告、これについてですけれども、これに基づいて国民各層においてこの問題についての活発な議論が行われることを期待しこれを公表するものであるという形の、その公表目的、活発な議論が行われることを期待をするという形で出ておりました。この中間報告が出た後、果たしてこの議論が深まっているのかどうか、活発になってきているのかどうか。
先ほどの永井委員のお話にもございましたとおり、再販を見直そう、あるいは廃止をしようとする世論というのは割とない、低調である。もちろん読者として今の書籍業界であるとか新聞業界にいろいろな要望、注文があるかもしれませんけれども、再販問題についての世論というのが高まっているとは残念ながら私は思わないのでありますけれども、この点についての御意見をまずお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →私は、特に自分の特定の立場から質問をするという形ではなくて、まさに白紙の状態で、再販の問題について深い議論を今後するためのまさに素朴な質問を両参考人にさせていただきたいというふうに思います。
まず、金子参考人にお伺いをいたしますけれども、昨年七月の中間報告、これについてですけれども、これに基づいて国民各層においてこの問題についての活発な議論が行われることを期待しこれを公表するものであるという形の、その公表目的、活発な議論が行われることを期待をするという形で出ておりました。この中間報告が出た後、果たしてこの議論が深まっているのかどうか、活発になってきているのかどうか。
先ほどの永井委員のお話にもございましたとおり、再販を見直そう、あるいは廃止をしようとする世論というのは割とない、低調である。もちろん読者として今の書籍業界であるとか新聞業界にいろいろな要望、注文があるかもしれませんけれども、再販問題についての世論というのが高まっているとは残念ながら私は思わないのでありますけれども、この点についての御意見をまずお伺いしたいと思います。