五十嵐ふみひこの発言 (文教委員会)
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○五十嵐(ふ)委員 さきがけの五十嵐ふみひこでございます。
最近、いじめ、自殺問題が大変深刻になってまいりました。私は私なりにこの問題を考えておりますけれども、どうも最近は、幼いころから競争の世界へ投げ込まれていってしまう、そして丸ごとの自我を受け入れられないという不安が幼い心の中にももう既にかなり広がっているのではないか。そして、その自我の保存のためには、心理学で学びましたけれども、逃避的機制というのと攻撃的機制というのがございます。キセイのキは「機械」の「機」で「制度」の「制」、いわゆる我々が言う規制緩和の規制とは違う機制ですけれども、その逃避的機制というのは不登校というような形であらわれてくるのではないか。攻撃的機制がいじめと自殺という形で、自殺も私は攻撃的な機制だと思っているわけです。自殺というのは自己破壊衝動であり、またその報復を秘めた自殺ということが最近は置き手紙という形であるわけですから、これも攻撃的な機制だ。
もう一つ典型的な攻撃的機制がいじめである。これは、競争社会の中で落ちこぼれの範疇にならないためにみずから落ちこぼれをつくる、いわゆる不合格者をつくることによって合格者になろうとする、そういう本能的な気持ちが働いていることだろうと私は思うわけですね。そうすると、この社会全体のゆがみというものを直していかないと、なかなか対症療法的にはこの問題は直らないのではないか。小さい子供たちをむしばんでいるのは社会全体であるということを考えなければならないと思うのです。
とはいえ、これを一つ一つ直していくことが政治でありますから、どこから手をつけるかということになってくると思います。親を直さなければいけないというのと、昔は競争社会の頂点は大学だから大学を直せばだんだん下が直ってくるんだというふうに思っていたわけですけれども、必ずしもそうではないのではないかな、これは小さいころから考え方を直していかなければいけないのではないかなというふうに私は思い始めております。
学力だけが人間の尺度をはかる唯一の絶対の基準であるかのように、どうも間違えている大人や親が多い。学力は人間の価値のほんの一部であって、総合的な人間力といいますか、人格の力という方がむしろ評価されるべきだということをもっと小さいころから教えていく必要があるのではないかな、私はそう思っております。
そして、それをすべて学校に押しつけるというのも無理があるかな。一面では、先ほど大臣の御答弁でも、そのすべてを教師に押しつけるのはどうかという趣旨の御発言があったかと思います。私もそう思います。そうした教育を社会全体でもしていかなければいけない、そういう意味で、社
会教育というものも、大変力をお入れになっているわけですけれども、必要になってくる。
特に多様性の尊重、人と自分は違うんだ、人はみんな違うんだということを、だからこそすばらしいんだ、いいんだということを教えていく必要がある。あるいはその中には、生物そのものもいろいろ違っているからいいんだという、生物の多様性を教えるような環境教育だとか、あるいは国もばらばら、人種もばらばらで、それぞれがそれぞれの特色を生かした生き方、そうした存在だということを教える開発教育といったものも必要になってくるかと思います。
こうした観点からの新しい教育というものの必要性について、大臣の御所見をちょうだいをいたしたいと思います。