池尾和人の発言 (予算委員会公聴会)
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○池尾公述人 慶應義塾大学の池尾と申します。きょうはよろしくお願いします。
私は、平成八年度予算の一般会計歳出のうち、いわゆる住専処理に関連します緊急金融安定化資金六千八百五十億円の支出に関連して専ら意見を述べさせていただきたいというふうに思います。
本日、私が申し上げたいことをあらかじめ一言で要約しますと、本当に抜本的な対策をとっていただきたいということであります。
今回の住専処理案に関しまして政府の説明を伺っていますと、放置するわけにはいかない、だから決断したんだというふうな説明が行われているわけですが、それに関しまして、私は、本来なら三年前にそう言っていただきたかったというふうに思いますと同時に、今回の案に関しましても、実のところ、決断に値するのかどうかといった点に関して疑問を持っております。
すなわち、今回の処理案も、ある意味では新たな先送り策でしかなく、びほう策でしかないのではないかという疑念を抱いております。言いかえますと、そうした疑問を禁じ得ないほど、日本の不良債権問題は深刻で根深いものではないかというふうに考えております。
これは、昨日、別の公述人の方も御指摘になった点かというふうに伺っておりますが、国会議員の皆様にまずお願いしたいことは、日本の不良債権問題の全体としての規模を明確にする、そうした努力をしていただきたいということをお願いしたいと思います。
すなわち、大蔵省から公表されております不良債権の総額は四十兆円程度ということになっておりますが、ある米国の調査機関による調べでは百四十兆円といった数字も出されているわけであります。いずれの数字が正しいかによって住専問題の相対的な比重が全く異なってくるわけであります。
一般論として言いましても、問題の規模によって当然対策のあり方は違ってくるはずです。しかるに、住専問題の相対的な規模がどのようなものであるかを見きわめないままに処理をめぐる議論が進められているような気がいたします。これは決して好ましいことではありません。
したがって、繰り返しますが、まず第一に、個別住専問題を超えて、日本の不良債権問題の全体像を確認するということを審議の中で徹底して行っていただきたいというふうに思います。
次に、仮に最も控え目と思われます大蔵省の発表の数字をとりましても、住専問題は日本の不良債権問題全体の中の三分の一を占める問題にすぎません。言いかえますと、住専問題がたとえ解消されましても、少なくともまだ三分の二の問題が残されることになります。
しかるに、今回の処理案に関連した説明では、公的資金の投入は今回限りで、今後のノンバンク処理には財政資金は使わないといったことが表明されております。しかし、本当に、今後は公的資金を使わないということで日本の不良債権問題のすべてを解決して、日本の金融システムの健全化を達成することが可能なのか。
住専に関しましては責任関係が複雑なので公的資金の投入も仕方がないけれども、他のノンバンクは責任関係がはっきりしている、したがって責任者に負担させるんだというふうな説明がされておりますが、たとえ責任関係が明確でありましても、その主体が残りの不良債権を処理できる能力があるということには直ちにはならないわけでありまして、徹底した不良債権の処理を進めれば、当然破綻する金融機関が出現するおそれもありますし、破綻しないまでも多くの金融機関が極めて脆弱な状態に陥ると見られます。
そうした状態をどのようにするのか。単に放置すればよいということでないとすれば、どのような対策を今後とっていくのかというふうな全体的なビジョンを含まない形で住専に対する処理を考えるということは、極めて不十分な態度であるというふうに思います。すなわち、日本の不良債権問題を全体として解決することにつながるような内容を持った提案でなければ、真の意味での政治的決断とは言えないと思いますし、抜本的な対策であるとは言えないというふうに考えます。
今回の住専処理案は、当面のつじつま合わせをしただけの先送り策に終わってしまうおそれが非常に大きいというふうに懸念しております。例えば、今回の処理案では救済されることになります農林系統の金融機関を今後どうするのかといった点は不明確なまま置かれております。こうした点の展望抜きに財政資金を用いることは、非常に非効率な、いわばむだ金になりかねない懸念があるという点で反対の感を持っております。
ただし、誤解をされないようにお願いしたいのですが、私は公的資金を投入すること自体に反対しているというのではなくて、展望を持たないままに使うこと、つまりきちっとした原則にのっとったような形の支出をすべきであるというのが私の真意でありまして、日本の不良債権問題を全体として解決するためには、今回の処理案を上回る額の財政資金の投入が不可避であろうというふうに私は考えております。
そうであるがゆえに、膨大な国民負担を国民に納得していただかなければいけないわけでありまして、そのための最低限の必要条件として、財政資金の投入に当たっては原則をかたくなに堅持するということが必要であると思います。その場しのぎで原則を曲げた対応をとっておりますと、国民の反発を招く結果となり、たとえ経済合理的な対策であっても、今後は痛みを伴うものは実施できないというふうな非常に困難な状況に陥る可能性があり、財政資金の投入が今後必要と見込まれるがゆえに、投入に当たっては原則をかたくなに堅持するということが必要であると思います。
それでは、財政資金の投入に当たっての原則とは何かという点でありますが、その点は既に金融制度調査会の報告書の中でも確認されております。すなわち、破綻した金融機関は存続させない、救済の対象とは決してしない、ただし破綻に伴う損失を預金者に及ぼすことはできないわけでありますから、預金者保護に必要な限りで公的資金の使用はあり得るというのが金融機関の破綻処理にかかわる公的資金の導入の原則であります。
住専をこの原則の例外としなければならない理由は私には理解できないわけでありまして、この原則からすると、住専には預金者はいないわけですから、一般の事業会社の場合と同様に法的に処理を行うのが当然であるということになります。その上で、住専の処理に伴う損失を吸収できずに破綻する金融機関が出現したときに初めて、預金者保護に限って財政資金を投入するというのがこれまでの原則に従った対応ということになると思います。
もっとも住専の場合、破産申請に伴う当初の損失配分と、破産裁判の結果として最終的に得られる損失配分とは、かなり異なる可能性があるというふうに予想されます。私も、いわゆる母体行の責任は、単なる貸し手責任よりも重いと思っております。そこで、当初の損失配分の重い農林系金融機関に対して一定の財政支援を行い、破産裁判の結果が確定した時点でその返済を求めるといった政策的配慮を行うことは十分に考えられるというふうに思っております。
しかしながら、住専本体の処理に関しては法的に行うというのが正しい態度ではないかというふうに考えております。といいますのは、重要なのは、だれにどれだけの責任があるのかという点は、法治国家である以上、最終的には司法が判断すべき点であるということからそう考えるわけであります。
司法的判断を求めることを忌避したまま、特定の主体に責任があるというふうに決めつけて事態の処理を進めるというのは、法治国家の自己否定にほかなりません。今回の住専処理案を正当化しようとする説明の中には、残念ながら、こうした法治国家の自己否定につながるような説明がしばしば見かけられ、非常に残念に思っております。
私は、住専は法的処理をすべきであると言いましたが、そうすることに何の実務的な困難もないとか、リスクが伴わないというふうに楽観しているわけでは決してありません。むしろ困難は非常に大きいというふうに考えますが、住専問題の先にある問題を考えますと、困難を回避しているわけにはいかないというのが私の真意でありまして、今必要なことは、困難を回避することではなくて、困難を克服するための準備を行うということだと思っております。
我が国では、戦後一貫して、金融機関はつぶれないし、つぶさないんだという金融行政がとられてきたために、金融機関の破綻を社会的混乱を招くことなく処理するための体制や組織、破綻処理のための体制や組織がほとんど準備されていないという現状があります。したがって、確かに破綻処理の体制がないところで金融機関の破綻が起これば、それは混乱を招くおそれがあるわけです。しかしながら、だから金融機関の破綻を避けなければならないというふうに言うのであれば、それはこれまでどおりの問題先送り策を繰り返すことにほかならないわけであります。
今必要であるのは、破綻処理の体制や組織の整備を行うということだと考えます。単なる住専処理のためだけの機構づくりでは決して十分ではなくて、かなり規模の大きな金融機関の破綻、あるいは多数の金融機関が同時に破綻するケースにも対処できるような体制づくりが求められているというふうに考えております。
私自身も参加しましたが、昨年秋から金融制度調査会のもとに金融システム安定化委員会というのが設けられて、そこでそうした破綻処理の体制づくりについての議論を行ってきたわけですが、結果として、信用組合に関する破綻処理体制の青写真をかいたところで昨年末に議論は時間切れになってしまったというのが実情でありまして、信用組合を超える規模の業態の金融機関の破綻に対する処理体制をどうするのかということは、全く十分な検討さえいまだ行われていないという状態にあるわけであります。
金融機関の破綻処理体制のあり方をどうするかということは、行政にゆだねておけばよい日常業務の範囲に含まれるような課題ではなくて、まさに政治が基本方針を示すべきレベルの課題であるというふうに考えております。現在議論され始めております金融行政の見直しという点に関しましても、金融機関の破綻処理の体制をどうするかということを抜きにして語ることはできないのではないかというふうに思っております。
繰り返しになりますが、住専問題を孤立的な問題のように議論するということは正しくなく、あくまでも日本の不良債権問題の全体像の中に正しく位置づけて、その上で解決のあり方を議論する必要があるというふうに考えております。そうした場合に、かなりの負担と犠牲が避けられないということが予想されますが、そうであるとしても、不良債権問題の全体としての徹底した解決を目指す必要があるというふうに思っております。
なお、その際に我々が自覚しておかなければならない点があると思います。それはどうした点かと申しますと、プラザ合意後十年といいますか、不良債権を積み上げ、そしてその処理に手間取っているこの十年の間に、我が国の金融制度が国際的な基準から見ると極めて時代おくれなものに既になってしまっており、他の先進国の経済制度に比べて日本の金融制度が極めて立ちおくれたものに既になってしまっているということを忘れてはいけないと思うのです。つまり、一九八〇年代から世界的に金融変革の動きが進行しておりまして、金融業のあり方そのものが大きく変容しております。ところが、日本の金融業は、そうした国際的な金融の変化に対して十分な適応を怠ったまま十年間を過ごしてきたという現実があるわけです。
したがって、ここでさらに長い時間をかけて不良債権問題の処理を行って、それが実現できたとしても、そのときに、日本の金融制度がもはや博物館にでも入れた方がいいような古臭いものになっていたり、日本には全く脆弱な、国際競争力の全くない金融機関しか残っていないというふうな状況になっていれば、これは国民経済的に見て大変困ったことになるわけだというふうに思います。
したがって、こういう意味で、将来の日本の金融業を効率的で頑健なものにしていく、そのためのはっきりとした方針を持って不良債権の処理にも取り組む必要があるというふうに考えております。
こうした観点から申しますと、とりわけ陥りやすい誤りとして、不良債権の処理が済むまで大変だろうから金融自由化を少しおくらせようとか、制度改革を少し先延ばしにしようというふうな議論が行われがちであると思いますが、そうした誤りは厳として避けるべきであるというふうに考えております。
というのは、我が国が立ちどまっている間にも他の先進諸国はどんどんと前に進んでいるわけでありまして、米国及び欧州の金融機関が、日本の金融機関が苦しい状況にあるからちょっと待っていてやろうというふうなことは絶対にあり得ないわけでありますから、不良債権問題を口実に制度改革及び金融自由化をおくらせるというふうな姿勢をとっておりますと、どんどんと格差がつき、我が国の金融制度がどんどんと立ちおくれたものになってしまうという点があるかと思います。
したがって、日本の金融制度を現代的なものにするための改革はどしどし進めるという姿勢が必要で、そうした改革についてこれない金融機関に関しましては、財政資金を投入しても積極的に整理を行うというのが真の意味での抜本的な対策ではないかというふうに考えております。
最後にもう一度繰り返しますが、日本の金融システムの将来を考えた上で、今回の提案のようなびほう的な対策ではなくて、本当に抜本的な対策をとっていただきますように重ねて要望したいというふうに思います。
以上で私の公述を終わらせていただきます。(拍手)