予算委員会公聴会
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会
会議録情報#0
平成八年二月二十三日(金曜日)
午前十時開議
出席委員
委員長 上原 康助君
理事 桜井 新君 理事 近岡理一郎君
理事 深谷 隆司君 理事 保利 耕輔君
理事 今津 寛君 理事 草川 昭三君
理事 野田 毅君 理事 三野 優美君
理事 五十嵐ふみひこ君
相沢 英之君 伊藤 公介君
江藤 隆美君 小澤 潔君
越智 伊平君 越智 通雄君
菊池福治郎君 栗原 博久君
後藤田正晴君 志賀 節君
高鳥 修君 谷川 和穗君
村山 達雄君 谷津 義男君
若林 正俊君 安倍 基雄君
愛野興一郎君 伊藤 達也君
石井 啓一君 石田 勝之君
上田 清司君 太田 昭宏君
川島 實君 左藤 恵君
谷口 隆義君 西 博義君
平田 米男君 前田 武志君
松岡滿壽男君 山口那津男君
山田 宏君 今村 修君
佐々木秀典君 坂上 富男君
田中 昭一君 細川 律夫君
錦織 淳君 松本 善明君
矢島 恒夫君 吉井 英勝君
海江田万里君
出席公述人
慶應義塾大学経
済学部教授 池尾 和人君
株式会社野村総
合研究所政策研
究センター長 富田 俊基君
法政大学経営学
部教授 野田 正穂君
東京大学経済学
部教授 植田 和男君
経済評論家
有限会社経済政
策総合研究所
ハーベイロー
ド・ジャパン代
表 財部 誠一君
筑波大学教授 宮尾 尊弘君
出席政府委員
内閣官房副長官 渡辺 嘉藏君
総務政務次官 赤城 徳彦君
防衛政務次官 中島洋次郎君
環境政務次官 中島 章夫君
国土政務次官 御法川英文君
法務政務次官 河村 建夫君
外務政務次官 小川 元君
大蔵政務次官 鉢呂 吉雄君
大蔵省主計局次
長 林 正和君
厚生政務次官 住 博司君
農林水産政務
次官 小平 忠正君
通商産業政務次
官 遠藤 登君
運輸政務次官 北沢 清功君
郵政政務次官 山口 俊一君
労働政務次官 坂井 隆憲君
建設政務次官 沢藤礼次郎君
自治政務次官 山本 有二君
委員外の出席者
予算委員会調査
室長 堀口 一郎君
―――――――――――――
委員の異動
二月二十三日
辞任 補欠選任
村岡 兼造君 栗原 博久君
石井 啓一君 西 博義君
谷口 隆義君 太田 昭宏君
松本 善明君 吉井 英勝君
同日
辞任 補欠選任
栗原 博久君 村岡 兼造君
太田 昭宏君 上田 清司君
西 博義君 石井 啓一君
吉井 英勝君 松本 善明君
同日
辞任 補欠選任
上田 清司君 谷口 隆義君
―――――――――――――
本日の公聴会で意見を聞いた案件
平成八年度一般会計予算
平成八年度特別会計予算
平成八年度政府関係機関予算
――――◇―――――
この発言だけを見る →午前十時開議
出席委員
委員長 上原 康助君
理事 桜井 新君 理事 近岡理一郎君
理事 深谷 隆司君 理事 保利 耕輔君
理事 今津 寛君 理事 草川 昭三君
理事 野田 毅君 理事 三野 優美君
理事 五十嵐ふみひこ君
相沢 英之君 伊藤 公介君
江藤 隆美君 小澤 潔君
越智 伊平君 越智 通雄君
菊池福治郎君 栗原 博久君
後藤田正晴君 志賀 節君
高鳥 修君 谷川 和穗君
村山 達雄君 谷津 義男君
若林 正俊君 安倍 基雄君
愛野興一郎君 伊藤 達也君
石井 啓一君 石田 勝之君
上田 清司君 太田 昭宏君
川島 實君 左藤 恵君
谷口 隆義君 西 博義君
平田 米男君 前田 武志君
松岡滿壽男君 山口那津男君
山田 宏君 今村 修君
佐々木秀典君 坂上 富男君
田中 昭一君 細川 律夫君
錦織 淳君 松本 善明君
矢島 恒夫君 吉井 英勝君
海江田万里君
出席公述人
慶應義塾大学経
済学部教授 池尾 和人君
株式会社野村総
合研究所政策研
究センター長 富田 俊基君
法政大学経営学
部教授 野田 正穂君
東京大学経済学
部教授 植田 和男君
経済評論家
有限会社経済政
策総合研究所
ハーベイロー
ド・ジャパン代
表 財部 誠一君
筑波大学教授 宮尾 尊弘君
出席政府委員
内閣官房副長官 渡辺 嘉藏君
総務政務次官 赤城 徳彦君
防衛政務次官 中島洋次郎君
環境政務次官 中島 章夫君
国土政務次官 御法川英文君
法務政務次官 河村 建夫君
外務政務次官 小川 元君
大蔵政務次官 鉢呂 吉雄君
大蔵省主計局次
長 林 正和君
厚生政務次官 住 博司君
農林水産政務
次官 小平 忠正君
通商産業政務次
官 遠藤 登君
運輸政務次官 北沢 清功君
郵政政務次官 山口 俊一君
労働政務次官 坂井 隆憲君
建設政務次官 沢藤礼次郎君
自治政務次官 山本 有二君
委員外の出席者
予算委員会調査
室長 堀口 一郎君
―――――――――――――
委員の異動
二月二十三日
辞任 補欠選任
村岡 兼造君 栗原 博久君
石井 啓一君 西 博義君
谷口 隆義君 太田 昭宏君
松本 善明君 吉井 英勝君
同日
辞任 補欠選任
栗原 博久君 村岡 兼造君
太田 昭宏君 上田 清司君
西 博義君 石井 啓一君
吉井 英勝君 松本 善明君
同日
辞任 補欠選任
上田 清司君 谷口 隆義君
―――――――――――――
本日の公聴会で意見を聞いた案件
平成八年度一般会計予算
平成八年度特別会計予算
平成八年度政府関係機関予算
――――◇―――――
上
上原康助#1
○上原委員長 これより会議を開きます。
平成八年度一般会計予算、平成八年度特別会計予算、平成八年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。
この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成八年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。
御意見を承る順序といたしましては、まず池尾公述人、次に富田公述人、続いて野田公述人の順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
それでは、池尾公述人にお願いいたします。
この発言だけを見る →平成八年度一般会計予算、平成八年度特別会計予算、平成八年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。
この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成八年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。
御意見を承る順序といたしましては、まず池尾公述人、次に富田公述人、続いて野田公述人の順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
それでは、池尾公述人にお願いいたします。
池
池尾和人#2
○池尾公述人 慶應義塾大学の池尾と申します。きょうはよろしくお願いします。
私は、平成八年度予算の一般会計歳出のうち、いわゆる住専処理に関連します緊急金融安定化資金六千八百五十億円の支出に関連して専ら意見を述べさせていただきたいというふうに思います。
本日、私が申し上げたいことをあらかじめ一言で要約しますと、本当に抜本的な対策をとっていただきたいということであります。
今回の住専処理案に関しまして政府の説明を伺っていますと、放置するわけにはいかない、だから決断したんだというふうな説明が行われているわけですが、それに関しまして、私は、本来なら三年前にそう言っていただきたかったというふうに思いますと同時に、今回の案に関しましても、実のところ、決断に値するのかどうかといった点に関して疑問を持っております。
すなわち、今回の処理案も、ある意味では新たな先送り策でしかなく、びほう策でしかないのではないかという疑念を抱いております。言いかえますと、そうした疑問を禁じ得ないほど、日本の不良債権問題は深刻で根深いものではないかというふうに考えております。
これは、昨日、別の公述人の方も御指摘になった点かというふうに伺っておりますが、国会議員の皆様にまずお願いしたいことは、日本の不良債権問題の全体としての規模を明確にする、そうした努力をしていただきたいということをお願いしたいと思います。
すなわち、大蔵省から公表されております不良債権の総額は四十兆円程度ということになっておりますが、ある米国の調査機関による調べでは百四十兆円といった数字も出されているわけであります。いずれの数字が正しいかによって住専問題の相対的な比重が全く異なってくるわけであります。
一般論として言いましても、問題の規模によって当然対策のあり方は違ってくるはずです。しかるに、住専問題の相対的な規模がどのようなものであるかを見きわめないままに処理をめぐる議論が進められているような気がいたします。これは決して好ましいことではありません。
したがって、繰り返しますが、まず第一に、個別住専問題を超えて、日本の不良債権問題の全体像を確認するということを審議の中で徹底して行っていただきたいというふうに思います。
次に、仮に最も控え目と思われます大蔵省の発表の数字をとりましても、住専問題は日本の不良債権問題全体の中の三分の一を占める問題にすぎません。言いかえますと、住専問題がたとえ解消されましても、少なくともまだ三分の二の問題が残されることになります。
しかるに、今回の処理案に関連した説明では、公的資金の投入は今回限りで、今後のノンバンク処理には財政資金は使わないといったことが表明されております。しかし、本当に、今後は公的資金を使わないということで日本の不良債権問題のすべてを解決して、日本の金融システムの健全化を達成することが可能なのか。
住専に関しましては責任関係が複雑なので公的資金の投入も仕方がないけれども、他のノンバンクは責任関係がはっきりしている、したがって責任者に負担させるんだというふうな説明がされておりますが、たとえ責任関係が明確でありましても、その主体が残りの不良債権を処理できる能力があるということには直ちにはならないわけでありまして、徹底した不良債権の処理を進めれば、当然破綻する金融機関が出現するおそれもありますし、破綻しないまでも多くの金融機関が極めて脆弱な状態に陥ると見られます。
そうした状態をどのようにするのか。単に放置すればよいということでないとすれば、どのような対策を今後とっていくのかというふうな全体的なビジョンを含まない形で住専に対する処理を考えるということは、極めて不十分な態度であるというふうに思います。すなわち、日本の不良債権問題を全体として解決することにつながるような内容を持った提案でなければ、真の意味での政治的決断とは言えないと思いますし、抜本的な対策であるとは言えないというふうに考えます。
今回の住専処理案は、当面のつじつま合わせをしただけの先送り策に終わってしまうおそれが非常に大きいというふうに懸念しております。例えば、今回の処理案では救済されることになります農林系統の金融機関を今後どうするのかといった点は不明確なまま置かれております。こうした点の展望抜きに財政資金を用いることは、非常に非効率な、いわばむだ金になりかねない懸念があるという点で反対の感を持っております。
ただし、誤解をされないようにお願いしたいのですが、私は公的資金を投入すること自体に反対しているというのではなくて、展望を持たないままに使うこと、つまりきちっとした原則にのっとったような形の支出をすべきであるというのが私の真意でありまして、日本の不良債権問題を全体として解決するためには、今回の処理案を上回る額の財政資金の投入が不可避であろうというふうに私は考えております。
そうであるがゆえに、膨大な国民負担を国民に納得していただかなければいけないわけでありまして、そのための最低限の必要条件として、財政資金の投入に当たっては原則をかたくなに堅持するということが必要であると思います。その場しのぎで原則を曲げた対応をとっておりますと、国民の反発を招く結果となり、たとえ経済合理的な対策であっても、今後は痛みを伴うものは実施できないというふうな非常に困難な状況に陥る可能性があり、財政資金の投入が今後必要と見込まれるがゆえに、投入に当たっては原則をかたくなに堅持するということが必要であると思います。
それでは、財政資金の投入に当たっての原則とは何かという点でありますが、その点は既に金融制度調査会の報告書の中でも確認されております。すなわち、破綻した金融機関は存続させない、救済の対象とは決してしない、ただし破綻に伴う損失を預金者に及ぼすことはできないわけでありますから、預金者保護に必要な限りで公的資金の使用はあり得るというのが金融機関の破綻処理にかかわる公的資金の導入の原則であります。
住専をこの原則の例外としなければならない理由は私には理解できないわけでありまして、この原則からすると、住専には預金者はいないわけですから、一般の事業会社の場合と同様に法的に処理を行うのが当然であるということになります。その上で、住専の処理に伴う損失を吸収できずに破綻する金融機関が出現したときに初めて、預金者保護に限って財政資金を投入するというのがこれまでの原則に従った対応ということになると思います。
もっとも住専の場合、破産申請に伴う当初の損失配分と、破産裁判の結果として最終的に得られる損失配分とは、かなり異なる可能性があるというふうに予想されます。私も、いわゆる母体行の責任は、単なる貸し手責任よりも重いと思っております。そこで、当初の損失配分の重い農林系金融機関に対して一定の財政支援を行い、破産裁判の結果が確定した時点でその返済を求めるといった政策的配慮を行うことは十分に考えられるというふうに思っております。
しかしながら、住専本体の処理に関しては法的に行うというのが正しい態度ではないかというふうに考えております。といいますのは、重要なのは、だれにどれだけの責任があるのかという点は、法治国家である以上、最終的には司法が判断すべき点であるということからそう考えるわけであります。
司法的判断を求めることを忌避したまま、特定の主体に責任があるというふうに決めつけて事態の処理を進めるというのは、法治国家の自己否定にほかなりません。今回の住専処理案を正当化しようとする説明の中には、残念ながら、こうした法治国家の自己否定につながるような説明がしばしば見かけられ、非常に残念に思っております。
私は、住専は法的処理をすべきであると言いましたが、そうすることに何の実務的な困難もないとか、リスクが伴わないというふうに楽観しているわけでは決してありません。むしろ困難は非常に大きいというふうに考えますが、住専問題の先にある問題を考えますと、困難を回避しているわけにはいかないというのが私の真意でありまして、今必要なことは、困難を回避することではなくて、困難を克服するための準備を行うということだと思っております。
我が国では、戦後一貫して、金融機関はつぶれないし、つぶさないんだという金融行政がとられてきたために、金融機関の破綻を社会的混乱を招くことなく処理するための体制や組織、破綻処理のための体制や組織がほとんど準備されていないという現状があります。したがって、確かに破綻処理の体制がないところで金融機関の破綻が起これば、それは混乱を招くおそれがあるわけです。しかしながら、だから金融機関の破綻を避けなければならないというふうに言うのであれば、それはこれまでどおりの問題先送り策を繰り返すことにほかならないわけであります。
今必要であるのは、破綻処理の体制や組織の整備を行うということだと考えます。単なる住専処理のためだけの機構づくりでは決して十分ではなくて、かなり規模の大きな金融機関の破綻、あるいは多数の金融機関が同時に破綻するケースにも対処できるような体制づくりが求められているというふうに考えております。
私自身も参加しましたが、昨年秋から金融制度調査会のもとに金融システム安定化委員会というのが設けられて、そこでそうした破綻処理の体制づくりについての議論を行ってきたわけですが、結果として、信用組合に関する破綻処理体制の青写真をかいたところで昨年末に議論は時間切れになってしまったというのが実情でありまして、信用組合を超える規模の業態の金融機関の破綻に対する処理体制をどうするのかということは、全く十分な検討さえいまだ行われていないという状態にあるわけであります。
金融機関の破綻処理体制のあり方をどうするかということは、行政にゆだねておけばよい日常業務の範囲に含まれるような課題ではなくて、まさに政治が基本方針を示すべきレベルの課題であるというふうに考えております。現在議論され始めております金融行政の見直しという点に関しましても、金融機関の破綻処理の体制をどうするかということを抜きにして語ることはできないのではないかというふうに思っております。
繰り返しになりますが、住専問題を孤立的な問題のように議論するということは正しくなく、あくまでも日本の不良債権問題の全体像の中に正しく位置づけて、その上で解決のあり方を議論する必要があるというふうに考えております。そうした場合に、かなりの負担と犠牲が避けられないということが予想されますが、そうであるとしても、不良債権問題の全体としての徹底した解決を目指す必要があるというふうに思っております。
なお、その際に我々が自覚しておかなければならない点があると思います。それはどうした点かと申しますと、プラザ合意後十年といいますか、不良債権を積み上げ、そしてその処理に手間取っているこの十年の間に、我が国の金融制度が国際的な基準から見ると極めて時代おくれなものに既になってしまっており、他の先進国の経済制度に比べて日本の金融制度が極めて立ちおくれたものに既になってしまっているということを忘れてはいけないと思うのです。つまり、一九八〇年代から世界的に金融変革の動きが進行しておりまして、金融業のあり方そのものが大きく変容しております。ところが、日本の金融業は、そうした国際的な金融の変化に対して十分な適応を怠ったまま十年間を過ごしてきたという現実があるわけです。
したがって、ここでさらに長い時間をかけて不良債権問題の処理を行って、それが実現できたとしても、そのときに、日本の金融制度がもはや博物館にでも入れた方がいいような古臭いものになっていたり、日本には全く脆弱な、国際競争力の全くない金融機関しか残っていないというふうな状況になっていれば、これは国民経済的に見て大変困ったことになるわけだというふうに思います。
したがって、こういう意味で、将来の日本の金融業を効率的で頑健なものにしていく、そのためのはっきりとした方針を持って不良債権の処理にも取り組む必要があるというふうに考えております。
こうした観点から申しますと、とりわけ陥りやすい誤りとして、不良債権の処理が済むまで大変だろうから金融自由化を少しおくらせようとか、制度改革を少し先延ばしにしようというふうな議論が行われがちであると思いますが、そうした誤りは厳として避けるべきであるというふうに考えております。
というのは、我が国が立ちどまっている間にも他の先進諸国はどんどんと前に進んでいるわけでありまして、米国及び欧州の金融機関が、日本の金融機関が苦しい状況にあるからちょっと待っていてやろうというふうなことは絶対にあり得ないわけでありますから、不良債権問題を口実に制度改革及び金融自由化をおくらせるというふうな姿勢をとっておりますと、どんどんと格差がつき、我が国の金融制度がどんどんと立ちおくれたものになってしまうという点があるかと思います。
したがって、日本の金融制度を現代的なものにするための改革はどしどし進めるという姿勢が必要で、そうした改革についてこれない金融機関に関しましては、財政資金を投入しても積極的に整理を行うというのが真の意味での抜本的な対策ではないかというふうに考えております。
最後にもう一度繰り返しますが、日本の金融システムの将来を考えた上で、今回の提案のようなびほう的な対策ではなくて、本当に抜本的な対策をとっていただきますように重ねて要望したいというふうに思います。
以上で私の公述を終わらせていただきます。拍手
この発言だけを見る →私は、平成八年度予算の一般会計歳出のうち、いわゆる住専処理に関連します緊急金融安定化資金六千八百五十億円の支出に関連して専ら意見を述べさせていただきたいというふうに思います。
本日、私が申し上げたいことをあらかじめ一言で要約しますと、本当に抜本的な対策をとっていただきたいということであります。
今回の住専処理案に関しまして政府の説明を伺っていますと、放置するわけにはいかない、だから決断したんだというふうな説明が行われているわけですが、それに関しまして、私は、本来なら三年前にそう言っていただきたかったというふうに思いますと同時に、今回の案に関しましても、実のところ、決断に値するのかどうかといった点に関して疑問を持っております。
すなわち、今回の処理案も、ある意味では新たな先送り策でしかなく、びほう策でしかないのではないかという疑念を抱いております。言いかえますと、そうした疑問を禁じ得ないほど、日本の不良債権問題は深刻で根深いものではないかというふうに考えております。
これは、昨日、別の公述人の方も御指摘になった点かというふうに伺っておりますが、国会議員の皆様にまずお願いしたいことは、日本の不良債権問題の全体としての規模を明確にする、そうした努力をしていただきたいということをお願いしたいと思います。
すなわち、大蔵省から公表されております不良債権の総額は四十兆円程度ということになっておりますが、ある米国の調査機関による調べでは百四十兆円といった数字も出されているわけであります。いずれの数字が正しいかによって住専問題の相対的な比重が全く異なってくるわけであります。
一般論として言いましても、問題の規模によって当然対策のあり方は違ってくるはずです。しかるに、住専問題の相対的な規模がどのようなものであるかを見きわめないままに処理をめぐる議論が進められているような気がいたします。これは決して好ましいことではありません。
したがって、繰り返しますが、まず第一に、個別住専問題を超えて、日本の不良債権問題の全体像を確認するということを審議の中で徹底して行っていただきたいというふうに思います。
次に、仮に最も控え目と思われます大蔵省の発表の数字をとりましても、住専問題は日本の不良債権問題全体の中の三分の一を占める問題にすぎません。言いかえますと、住専問題がたとえ解消されましても、少なくともまだ三分の二の問題が残されることになります。
しかるに、今回の処理案に関連した説明では、公的資金の投入は今回限りで、今後のノンバンク処理には財政資金は使わないといったことが表明されております。しかし、本当に、今後は公的資金を使わないということで日本の不良債権問題のすべてを解決して、日本の金融システムの健全化を達成することが可能なのか。
住専に関しましては責任関係が複雑なので公的資金の投入も仕方がないけれども、他のノンバンクは責任関係がはっきりしている、したがって責任者に負担させるんだというふうな説明がされておりますが、たとえ責任関係が明確でありましても、その主体が残りの不良債権を処理できる能力があるということには直ちにはならないわけでありまして、徹底した不良債権の処理を進めれば、当然破綻する金融機関が出現するおそれもありますし、破綻しないまでも多くの金融機関が極めて脆弱な状態に陥ると見られます。
そうした状態をどのようにするのか。単に放置すればよいということでないとすれば、どのような対策を今後とっていくのかというふうな全体的なビジョンを含まない形で住専に対する処理を考えるということは、極めて不十分な態度であるというふうに思います。すなわち、日本の不良債権問題を全体として解決することにつながるような内容を持った提案でなければ、真の意味での政治的決断とは言えないと思いますし、抜本的な対策であるとは言えないというふうに考えます。
今回の住専処理案は、当面のつじつま合わせをしただけの先送り策に終わってしまうおそれが非常に大きいというふうに懸念しております。例えば、今回の処理案では救済されることになります農林系統の金融機関を今後どうするのかといった点は不明確なまま置かれております。こうした点の展望抜きに財政資金を用いることは、非常に非効率な、いわばむだ金になりかねない懸念があるという点で反対の感を持っております。
ただし、誤解をされないようにお願いしたいのですが、私は公的資金を投入すること自体に反対しているというのではなくて、展望を持たないままに使うこと、つまりきちっとした原則にのっとったような形の支出をすべきであるというのが私の真意でありまして、日本の不良債権問題を全体として解決するためには、今回の処理案を上回る額の財政資金の投入が不可避であろうというふうに私は考えております。
そうであるがゆえに、膨大な国民負担を国民に納得していただかなければいけないわけでありまして、そのための最低限の必要条件として、財政資金の投入に当たっては原則をかたくなに堅持するということが必要であると思います。その場しのぎで原則を曲げた対応をとっておりますと、国民の反発を招く結果となり、たとえ経済合理的な対策であっても、今後は痛みを伴うものは実施できないというふうな非常に困難な状況に陥る可能性があり、財政資金の投入が今後必要と見込まれるがゆえに、投入に当たっては原則をかたくなに堅持するということが必要であると思います。
それでは、財政資金の投入に当たっての原則とは何かという点でありますが、その点は既に金融制度調査会の報告書の中でも確認されております。すなわち、破綻した金融機関は存続させない、救済の対象とは決してしない、ただし破綻に伴う損失を預金者に及ぼすことはできないわけでありますから、預金者保護に必要な限りで公的資金の使用はあり得るというのが金融機関の破綻処理にかかわる公的資金の導入の原則であります。
住専をこの原則の例外としなければならない理由は私には理解できないわけでありまして、この原則からすると、住専には預金者はいないわけですから、一般の事業会社の場合と同様に法的に処理を行うのが当然であるということになります。その上で、住専の処理に伴う損失を吸収できずに破綻する金融機関が出現したときに初めて、預金者保護に限って財政資金を投入するというのがこれまでの原則に従った対応ということになると思います。
もっとも住専の場合、破産申請に伴う当初の損失配分と、破産裁判の結果として最終的に得られる損失配分とは、かなり異なる可能性があるというふうに予想されます。私も、いわゆる母体行の責任は、単なる貸し手責任よりも重いと思っております。そこで、当初の損失配分の重い農林系金融機関に対して一定の財政支援を行い、破産裁判の結果が確定した時点でその返済を求めるといった政策的配慮を行うことは十分に考えられるというふうに思っております。
しかしながら、住専本体の処理に関しては法的に行うというのが正しい態度ではないかというふうに考えております。といいますのは、重要なのは、だれにどれだけの責任があるのかという点は、法治国家である以上、最終的には司法が判断すべき点であるということからそう考えるわけであります。
司法的判断を求めることを忌避したまま、特定の主体に責任があるというふうに決めつけて事態の処理を進めるというのは、法治国家の自己否定にほかなりません。今回の住専処理案を正当化しようとする説明の中には、残念ながら、こうした法治国家の自己否定につながるような説明がしばしば見かけられ、非常に残念に思っております。
私は、住専は法的処理をすべきであると言いましたが、そうすることに何の実務的な困難もないとか、リスクが伴わないというふうに楽観しているわけでは決してありません。むしろ困難は非常に大きいというふうに考えますが、住専問題の先にある問題を考えますと、困難を回避しているわけにはいかないというのが私の真意でありまして、今必要なことは、困難を回避することではなくて、困難を克服するための準備を行うということだと思っております。
我が国では、戦後一貫して、金融機関はつぶれないし、つぶさないんだという金融行政がとられてきたために、金融機関の破綻を社会的混乱を招くことなく処理するための体制や組織、破綻処理のための体制や組織がほとんど準備されていないという現状があります。したがって、確かに破綻処理の体制がないところで金融機関の破綻が起これば、それは混乱を招くおそれがあるわけです。しかしながら、だから金融機関の破綻を避けなければならないというふうに言うのであれば、それはこれまでどおりの問題先送り策を繰り返すことにほかならないわけであります。
今必要であるのは、破綻処理の体制や組織の整備を行うということだと考えます。単なる住専処理のためだけの機構づくりでは決して十分ではなくて、かなり規模の大きな金融機関の破綻、あるいは多数の金融機関が同時に破綻するケースにも対処できるような体制づくりが求められているというふうに考えております。
私自身も参加しましたが、昨年秋から金融制度調査会のもとに金融システム安定化委員会というのが設けられて、そこでそうした破綻処理の体制づくりについての議論を行ってきたわけですが、結果として、信用組合に関する破綻処理体制の青写真をかいたところで昨年末に議論は時間切れになってしまったというのが実情でありまして、信用組合を超える規模の業態の金融機関の破綻に対する処理体制をどうするのかということは、全く十分な検討さえいまだ行われていないという状態にあるわけであります。
金融機関の破綻処理体制のあり方をどうするかということは、行政にゆだねておけばよい日常業務の範囲に含まれるような課題ではなくて、まさに政治が基本方針を示すべきレベルの課題であるというふうに考えております。現在議論され始めております金融行政の見直しという点に関しましても、金融機関の破綻処理の体制をどうするかということを抜きにして語ることはできないのではないかというふうに思っております。
繰り返しになりますが、住専問題を孤立的な問題のように議論するということは正しくなく、あくまでも日本の不良債権問題の全体像の中に正しく位置づけて、その上で解決のあり方を議論する必要があるというふうに考えております。そうした場合に、かなりの負担と犠牲が避けられないということが予想されますが、そうであるとしても、不良債権問題の全体としての徹底した解決を目指す必要があるというふうに思っております。
なお、その際に我々が自覚しておかなければならない点があると思います。それはどうした点かと申しますと、プラザ合意後十年といいますか、不良債権を積み上げ、そしてその処理に手間取っているこの十年の間に、我が国の金融制度が国際的な基準から見ると極めて時代おくれなものに既になってしまっており、他の先進国の経済制度に比べて日本の金融制度が極めて立ちおくれたものに既になってしまっているということを忘れてはいけないと思うのです。つまり、一九八〇年代から世界的に金融変革の動きが進行しておりまして、金融業のあり方そのものが大きく変容しております。ところが、日本の金融業は、そうした国際的な金融の変化に対して十分な適応を怠ったまま十年間を過ごしてきたという現実があるわけです。
したがって、ここでさらに長い時間をかけて不良債権問題の処理を行って、それが実現できたとしても、そのときに、日本の金融制度がもはや博物館にでも入れた方がいいような古臭いものになっていたり、日本には全く脆弱な、国際競争力の全くない金融機関しか残っていないというふうな状況になっていれば、これは国民経済的に見て大変困ったことになるわけだというふうに思います。
したがって、こういう意味で、将来の日本の金融業を効率的で頑健なものにしていく、そのためのはっきりとした方針を持って不良債権の処理にも取り組む必要があるというふうに考えております。
こうした観点から申しますと、とりわけ陥りやすい誤りとして、不良債権の処理が済むまで大変だろうから金融自由化を少しおくらせようとか、制度改革を少し先延ばしにしようというふうな議論が行われがちであると思いますが、そうした誤りは厳として避けるべきであるというふうに考えております。
というのは、我が国が立ちどまっている間にも他の先進諸国はどんどんと前に進んでいるわけでありまして、米国及び欧州の金融機関が、日本の金融機関が苦しい状況にあるからちょっと待っていてやろうというふうなことは絶対にあり得ないわけでありますから、不良債権問題を口実に制度改革及び金融自由化をおくらせるというふうな姿勢をとっておりますと、どんどんと格差がつき、我が国の金融制度がどんどんと立ちおくれたものになってしまうという点があるかと思います。
したがって、日本の金融制度を現代的なものにするための改革はどしどし進めるという姿勢が必要で、そうした改革についてこれない金融機関に関しましては、財政資金を投入しても積極的に整理を行うというのが真の意味での抜本的な対策ではないかというふうに考えております。
最後にもう一度繰り返しますが、日本の金融システムの将来を考えた上で、今回の提案のようなびほう的な対策ではなくて、本当に抜本的な対策をとっていただきますように重ねて要望したいというふうに思います。
以上で私の公述を終わらせていただきます。拍手
上
富
富田俊基#4
○富田公述人 御指名をいただきました富田俊基でございます。
「平成八年度の総予算について」という表題のもとに、日本経済と財政運営のあり方について意見を申し述べさせていただきます。お手元の資料も御参照ください。
バブル崩壊後にさまざまな問題が発生しまして、それに国民の耳目が集中している間に、世界経済は大きな構造変化を遂げてまいりました。そのきっかけとなったのは冷戦の終えんです。
冷戦の終えんは、東西の壁を崩壊させ、同時に南北の壁をも消滅させました。計画経済のもとにあった国々は、市場経済への移行を進め、二十数億人もの人々が世界経済に参加し始めたからであります。これによって、労働集約的な財の生産が世界で急拡大しており、世界は歴史的な構造変化を遂げようとしております。特に東アジアでは、中国経済の改革・開放、その加速を中心としてアジアの全域で急速な生産力の拡大が起こり、日本を含むこの地域の産業構造は大きな変貌を遂げつつあります。
この世界的な構造変化が、我が国では景気の低迷となってあらわれてきたと思います。
図の一にごらんいただきますように、輸入の増大が顕著です。景気のボトムであった九三年十-十二月期から九五年七-九月の間に、実質ベースで内需が二%の増加であったのに対しまして、輸入はその十倍ものテンポで拡大を遂げてまいりました。この結果、実質国内総生産、GDPはこの二十一カ月で一・三%の拡大にとどまりました。
また、図の二に見ますように、景気の回復局面、過去と比較しましても、今回の輸入拡大のテンポは極めて顕著で、GDPに対する輸入の比率が急速に高まっております。
製造業の生産について見ますと、景気のボトムから昨年十-十二月期までの二年間で、全体で七・四%の増加であるが、図の三に見るように、アジアと競合する耐久消費財の生産は一・七%減少しております。この一方、技術集約的な資本財の生産は二八・七%も拡大しております。このように、冷戦後の新しい国際分業に向けて、日本でも産業構造の転換が進みつつあります。
これらの財政政策へのインプリケーションについて述べてみたいと思います。資料の二ページ目をごらんいただきたい。
第一は、景気判断が悲観的に偏りがちだということであります。
これまで合計六回、事業規模にして六十四兆円に上る景気対策が発動されました。これは、景気低迷の要因として、バブル崩壊という需要サイドの問題を強調するが余り、冷戦後の世界経済の構造変化という供給サイドの問題が見過ごされがちであったことにも原因があります。
また、日本が他国に対して比較優位を持っております資本・技術集約的な産業で生産が拡大する一方、エマージングエコノミーズから激しい追い上げを受ける産業では生産が減少します。このため、すべての産業で全般的に日本経済が回復するというのは起こりにくいということでございます。このため、とかく悲観論が台頭いたしまして、財政政策を絶えず絶えず拡張的なものにしてきたのではないかと思います。
第二は、国際資本移動の活発化、そして先ほど述べました輸入の増大によりまして、公共投資と減税の波及効果が従来よりも一層低下してきたことであります。
過去六回の大規模な景気対策は、景気の底割れは防いだとしても、波及効果は著しく乏しかったわけでございます。さらに、財政による需要刺激策は、現在の我が国が直面する供給サイドの問題、これに非力であるばかりか、古い産業構造を温存しかねないという問題を持っております。
第三は、貿易黒字、貯蓄超過というこれまでの日本経済の体質が急速に変化を始めたということであります。
表の一にごらんのように、アジアからの輸入急増が著しゅうございます。過去三年間、輸入と輸出の伸びは、ドルベースで見てそれぞれ年率で一三・三%、九・三%でありました。このテンポが続くという機械計算を行いますと、昨年の一千七十億ドルもの貿易黒字は、七年後の二〇〇三年には赤字化いたします。過去二年、つまり九四、五年のテンポが続くとなりますと、さらに目前の二〇〇〇年に貿易収支は赤字に転落いたします。
こうした対外黒字の縮小傾向は、高齢化に伴います家計貯蓄率の低下と表裏一体をなした動きでございます。六十歳以上の世帯の貯蓄率は、壮年層に比べて低いわけでございますけれども、今後の高齢化に伴いまして日本全体の家計貯蓄率が低下するという傾向は不可避でございます。
総務庁の家計調査報告を見ますと、八〇年から九四年までの十五年間の平均で見まして、三十歳から五十歳代の家計の黒字率、これが二三・九%であったのに対しまして、六十歳以上の世帯の貯蓄率は一七・二%でありました。このため、今後の急速な高齢化、特に団塊の世代と言われるベビーブーマーズが第一線から退き始める二〇〇五年前後から、貯蓄率は急速に低下する可能性があります。
このように、我々がいつも前提としておりました貯蓄超過というのは、過去の幻影のように消え去ろうとしております。したがって、現在経常収支が大幅黒字であるといって大規模な景気対策が必要だという考えは、妥当性を失いつつあります。
日本にとって必要なことは、冷戦後の新しい国際分業の中に我が国経済を位置づけ、結果として成長率が高まることであります。冷戦の時代に形成されたキャッチアップ型の経済システムの成功神話に固執し、公共投資と減税の継続によって成長率の数字を何が何でも人為的に高めるということにどれだけの意味があるのか、私には疑問であります。
また、景気が全般的に回復した時点で財政支出の抑制を始めればよいという旧思考、古い考えにこだわっておりますと、国債が火だるまのように累積し、国債の負担の重圧によって、日本経済は長期衰退の道を歩んでしまうかもしれません。
資料の三ページにお移りください。
国債の負担がもたらす第一の問題は、国債費の増加です。国債費は、他の予算費目とは異なりまして削減の対象とはなり得ない唯一例外の費目であります。
今から三十年前の昭和四十年度の予算ではほとんどゼロであった国債費が、その後の国債発行によって拡大を続け、平成八年度予算では税収の三二%も占めております。その結果、財政の自由度を著しく束縛しております。この経緯は、国債の増発が景気拡大に功を奏さず、税収もその結果伸びなかったことを示しております。特に、利子率が成長率を上回る状況は、事態を深刻なものにいたします。
国債の負担がもたらします第二の問題は、世代間の不公、平をもたらすことです。
国債は税金に比べて負担がないという錯覚に陥りまして、例えば、景気対策という名をかりて、国債増発により現世代がメリットを享受しようという傾向に傾きがちであります。この財政錯覚は、歳出拡大に対します歯どめを失わせます。この結果、現在選挙権を持たない人々は、みずからの意思とは無関係に、国債の元利償還のために税金を支払うという不条理な状況に置かれることになります。
第三は、金利上昇による民間投資の締め出し、クラウディングアウトであります。
これまでの日本は貯蓄超過であったこと、また財政拡大と同時にパッケージとして公定歩合が引き下げられてきたことによって、この問題は余り顕在化しませんでした。しかし、先述しましたように、他の先進国と同様に、財政赤字の弊害が顕在化する危険が高まってきております。
昨年、IMFは、先進工業国全体の国債残高がGDP比で一%ふえると、世界の実質金利が約〇・二%も上昇し、中期的に世界の経済成長を阻害するという研究レポートを発表いたしました。これは、一九七〇年代後半のいわゆる機関車論が百八十度間違っていたことを示唆しております。この観点から、冷戦後世界での国際協調は、財政の健全化を前提としたものでなければなりません。既に、EU、ヨーロッパ連合諸国及び米国では、財政の健全化が進められております。
平成八年度の予算は、これらの観点から検討されねばならないと思います。
国債発行額は、八年度予算で二十一兆円に拡大いたしました。このうち赤字国債は、構造赤字が一挙に表面化し、十二兆円に達しました。十五年もかけてやっと赤字国債から脱却できた平成二年度の決算と比べますと、国債は十四兆円の増発です。この最大の要因は、税収の減少です。平成二年度の六十兆円から九兆円ほども減少いたしました。この半分は、先行減税によるものであります。また、平成二年度との比較で歳出を見ますと、全体で五兆八千億円増加しました。うち、国債費が二二兆円、一般歳出は五兆四千億円増加しております。一般歳出のうち、社会保障費が二・七兆円、公共投資が二・六兆円、文教科学振興費が〇・七兆円増加しております。なお、この間に恩給関係費、食糧関係費などは減少しております。
このように、過去六年間に赤字が拡大した要因は、景気後退によります税収の落ち込み約四兆五千億円、国債費と社会保障費の増加四兆九千億円、そして景気対策によります増加、これには公共投資の拡大と先行減税、これによりまして七兆円分赤字が拡大しております。
さらに過去にさかのぼりますと、歳出が傾向的に拡大してきたにもかかわらず、たびたびの減税実施の結果、租税負担率がほとんど上昇していないことがわかります。平成八年度の国民所得に対する一般会計税収の負担率は、昭和四十九年度あるいは昭和五十五年度という二十年前後も前の水準とほぼ同じであります。また、ついに平成七年度には、厚生年金などの社会保険料が一般会計の税収を上回っております。
平成八年度予算が置かれた状況は、その姿を将来に投影することによって浮き彫りにすることもできます。一月二十六日に発表されました「財政の中期試算」で示されましたように、七年後に赤字国債の発行をゼロにするには、国債と地方交付税を除いた一般歳出を向こう七年間にわたって少なくとも横ばいにしなければならないということであります。
七年後の平成十五年とは、さきに述べましたように、過去三年間の輸出入の伸びが継続するという機械計算によって、貿易収支が赤字化し、日本に超過貯蓄がなくなるという年であります。という意味で、財政再建の目安になる年として、一応の合理性はあるように思います。
しかし、一般歳出を七年間も横ばいにすることは可能でありましょうか。過去、七年間で一般歳出は九兆円も拡大しました。今後は、高齢化の進展によって、さらに財政需要は増大するでありましょう。このため、「財政の中期展望」が我々国民に選択肢の一つとして示した一般歳出を七年間も横ばいにすることは、ほとんど実行不可能かと考えられます。
また、四ページにごらんのように、中期展望の検討に際しては、これまで毎年試算されてきた
「財政の中期展望」には、税収の過大見積もりというバイアスがあったことに留意すべきです。
表の二にありますように、例えば三年前の中期展望では、この平成八年度の税収を七十一・四兆円と展望しておりました。八年度予算では、それよりも二十兆円も少ない五十一兆三千億円の見積もりとなっております。また、歳出も、当初予算で抑制されても、補正予算で大幅な追加が繰り返され、結果として、中期展望の歳出には過小見積もりというバイアスがありました。つまり、中期展望には、歳出、税収の両面に財政赤字を過小に見積もるという傾向がありました。
五ページにお移りいただきたく思います。
税収の過大見積もりの原因は、成長率の過大な見通しにありました。それを避けるには、冷戦後の世界経済の構造変化という現実を踏まえる必要があります。労働、資本、技術進歩という中期的な成長要因を検討いたしますと、日本も他の先進工業国と同様な環境に置かれるようになったということを認識しなければなりません。
経済企画庁の新しい経済計画には、二〇〇〇年までの年平均成長率一・七五%というケースがあります。それは、規制緩和、構造改革が進まないケースと呼ばれています。それを前提にして延長しますと、たとえ二〇〇三年まで一般歳出を横ばいに保つとしましても、年々一兆円から三兆円もの増収策を実施しないと、二〇〇三年に赤字国債をゼロにすることはできないということになります。
また、平成八年度予算の制度、施策を前提とした一般歳出が年率三・八%増で拡大する場合には、図の四にごらんのように、十年後の二〇〇六年の国債発行額はGDPの八・三%相当の四十九兆円、国債残高は同九二%相当の五百四十兆円にも達してしまう。その時点で財政再建、財政構造改革を叫んでも手おくれであります。数年後に何かをするから当面は減税といった議論が現在も見られます。しかし、将来世代に負担を先送りする、旧思考の先楽後憂の議論はもう許されません。
現段階では埋めようがない巨額の歳出入のギャップが存在することを考えますと、平成八年度予算は、補正予算を組まないということを前提に成立することを期待します。
構造的な財政赤字は、八年度予算で巨額の赤字国債として表面化しました。それが今後、安易な歳出拡大につながらないように、そして、選挙権を持たない人々とまだ誕生していない将来世代に巨大な国債の負担として先送りされて、新世紀を担う国民の選択と行動の自由を奪うことにならないように、財政健全化への取り組みを着実に進めていかねばならないと思います。
御清聴ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →「平成八年度の総予算について」という表題のもとに、日本経済と財政運営のあり方について意見を申し述べさせていただきます。お手元の資料も御参照ください。
バブル崩壊後にさまざまな問題が発生しまして、それに国民の耳目が集中している間に、世界経済は大きな構造変化を遂げてまいりました。そのきっかけとなったのは冷戦の終えんです。
冷戦の終えんは、東西の壁を崩壊させ、同時に南北の壁をも消滅させました。計画経済のもとにあった国々は、市場経済への移行を進め、二十数億人もの人々が世界経済に参加し始めたからであります。これによって、労働集約的な財の生産が世界で急拡大しており、世界は歴史的な構造変化を遂げようとしております。特に東アジアでは、中国経済の改革・開放、その加速を中心としてアジアの全域で急速な生産力の拡大が起こり、日本を含むこの地域の産業構造は大きな変貌を遂げつつあります。
この世界的な構造変化が、我が国では景気の低迷となってあらわれてきたと思います。
図の一にごらんいただきますように、輸入の増大が顕著です。景気のボトムであった九三年十-十二月期から九五年七-九月の間に、実質ベースで内需が二%の増加であったのに対しまして、輸入はその十倍ものテンポで拡大を遂げてまいりました。この結果、実質国内総生産、GDPはこの二十一カ月で一・三%の拡大にとどまりました。
また、図の二に見ますように、景気の回復局面、過去と比較しましても、今回の輸入拡大のテンポは極めて顕著で、GDPに対する輸入の比率が急速に高まっております。
製造業の生産について見ますと、景気のボトムから昨年十-十二月期までの二年間で、全体で七・四%の増加であるが、図の三に見るように、アジアと競合する耐久消費財の生産は一・七%減少しております。この一方、技術集約的な資本財の生産は二八・七%も拡大しております。このように、冷戦後の新しい国際分業に向けて、日本でも産業構造の転換が進みつつあります。
これらの財政政策へのインプリケーションについて述べてみたいと思います。資料の二ページ目をごらんいただきたい。
第一は、景気判断が悲観的に偏りがちだということであります。
これまで合計六回、事業規模にして六十四兆円に上る景気対策が発動されました。これは、景気低迷の要因として、バブル崩壊という需要サイドの問題を強調するが余り、冷戦後の世界経済の構造変化という供給サイドの問題が見過ごされがちであったことにも原因があります。
また、日本が他国に対して比較優位を持っております資本・技術集約的な産業で生産が拡大する一方、エマージングエコノミーズから激しい追い上げを受ける産業では生産が減少します。このため、すべての産業で全般的に日本経済が回復するというのは起こりにくいということでございます。このため、とかく悲観論が台頭いたしまして、財政政策を絶えず絶えず拡張的なものにしてきたのではないかと思います。
第二は、国際資本移動の活発化、そして先ほど述べました輸入の増大によりまして、公共投資と減税の波及効果が従来よりも一層低下してきたことであります。
過去六回の大規模な景気対策は、景気の底割れは防いだとしても、波及効果は著しく乏しかったわけでございます。さらに、財政による需要刺激策は、現在の我が国が直面する供給サイドの問題、これに非力であるばかりか、古い産業構造を温存しかねないという問題を持っております。
第三は、貿易黒字、貯蓄超過というこれまでの日本経済の体質が急速に変化を始めたということであります。
表の一にごらんのように、アジアからの輸入急増が著しゅうございます。過去三年間、輸入と輸出の伸びは、ドルベースで見てそれぞれ年率で一三・三%、九・三%でありました。このテンポが続くという機械計算を行いますと、昨年の一千七十億ドルもの貿易黒字は、七年後の二〇〇三年には赤字化いたします。過去二年、つまり九四、五年のテンポが続くとなりますと、さらに目前の二〇〇〇年に貿易収支は赤字に転落いたします。
こうした対外黒字の縮小傾向は、高齢化に伴います家計貯蓄率の低下と表裏一体をなした動きでございます。六十歳以上の世帯の貯蓄率は、壮年層に比べて低いわけでございますけれども、今後の高齢化に伴いまして日本全体の家計貯蓄率が低下するという傾向は不可避でございます。
総務庁の家計調査報告を見ますと、八〇年から九四年までの十五年間の平均で見まして、三十歳から五十歳代の家計の黒字率、これが二三・九%であったのに対しまして、六十歳以上の世帯の貯蓄率は一七・二%でありました。このため、今後の急速な高齢化、特に団塊の世代と言われるベビーブーマーズが第一線から退き始める二〇〇五年前後から、貯蓄率は急速に低下する可能性があります。
このように、我々がいつも前提としておりました貯蓄超過というのは、過去の幻影のように消え去ろうとしております。したがって、現在経常収支が大幅黒字であるといって大規模な景気対策が必要だという考えは、妥当性を失いつつあります。
日本にとって必要なことは、冷戦後の新しい国際分業の中に我が国経済を位置づけ、結果として成長率が高まることであります。冷戦の時代に形成されたキャッチアップ型の経済システムの成功神話に固執し、公共投資と減税の継続によって成長率の数字を何が何でも人為的に高めるということにどれだけの意味があるのか、私には疑問であります。
また、景気が全般的に回復した時点で財政支出の抑制を始めればよいという旧思考、古い考えにこだわっておりますと、国債が火だるまのように累積し、国債の負担の重圧によって、日本経済は長期衰退の道を歩んでしまうかもしれません。
資料の三ページにお移りください。
国債の負担がもたらす第一の問題は、国債費の増加です。国債費は、他の予算費目とは異なりまして削減の対象とはなり得ない唯一例外の費目であります。
今から三十年前の昭和四十年度の予算ではほとんどゼロであった国債費が、その後の国債発行によって拡大を続け、平成八年度予算では税収の三二%も占めております。その結果、財政の自由度を著しく束縛しております。この経緯は、国債の増発が景気拡大に功を奏さず、税収もその結果伸びなかったことを示しております。特に、利子率が成長率を上回る状況は、事態を深刻なものにいたします。
国債の負担がもたらします第二の問題は、世代間の不公、平をもたらすことです。
国債は税金に比べて負担がないという錯覚に陥りまして、例えば、景気対策という名をかりて、国債増発により現世代がメリットを享受しようという傾向に傾きがちであります。この財政錯覚は、歳出拡大に対します歯どめを失わせます。この結果、現在選挙権を持たない人々は、みずからの意思とは無関係に、国債の元利償還のために税金を支払うという不条理な状況に置かれることになります。
第三は、金利上昇による民間投資の締め出し、クラウディングアウトであります。
これまでの日本は貯蓄超過であったこと、また財政拡大と同時にパッケージとして公定歩合が引き下げられてきたことによって、この問題は余り顕在化しませんでした。しかし、先述しましたように、他の先進国と同様に、財政赤字の弊害が顕在化する危険が高まってきております。
昨年、IMFは、先進工業国全体の国債残高がGDP比で一%ふえると、世界の実質金利が約〇・二%も上昇し、中期的に世界の経済成長を阻害するという研究レポートを発表いたしました。これは、一九七〇年代後半のいわゆる機関車論が百八十度間違っていたことを示唆しております。この観点から、冷戦後世界での国際協調は、財政の健全化を前提としたものでなければなりません。既に、EU、ヨーロッパ連合諸国及び米国では、財政の健全化が進められております。
平成八年度の予算は、これらの観点から検討されねばならないと思います。
国債発行額は、八年度予算で二十一兆円に拡大いたしました。このうち赤字国債は、構造赤字が一挙に表面化し、十二兆円に達しました。十五年もかけてやっと赤字国債から脱却できた平成二年度の決算と比べますと、国債は十四兆円の増発です。この最大の要因は、税収の減少です。平成二年度の六十兆円から九兆円ほども減少いたしました。この半分は、先行減税によるものであります。また、平成二年度との比較で歳出を見ますと、全体で五兆八千億円増加しました。うち、国債費が二二兆円、一般歳出は五兆四千億円増加しております。一般歳出のうち、社会保障費が二・七兆円、公共投資が二・六兆円、文教科学振興費が〇・七兆円増加しております。なお、この間に恩給関係費、食糧関係費などは減少しております。
このように、過去六年間に赤字が拡大した要因は、景気後退によります税収の落ち込み約四兆五千億円、国債費と社会保障費の増加四兆九千億円、そして景気対策によります増加、これには公共投資の拡大と先行減税、これによりまして七兆円分赤字が拡大しております。
さらに過去にさかのぼりますと、歳出が傾向的に拡大してきたにもかかわらず、たびたびの減税実施の結果、租税負担率がほとんど上昇していないことがわかります。平成八年度の国民所得に対する一般会計税収の負担率は、昭和四十九年度あるいは昭和五十五年度という二十年前後も前の水準とほぼ同じであります。また、ついに平成七年度には、厚生年金などの社会保険料が一般会計の税収を上回っております。
平成八年度予算が置かれた状況は、その姿を将来に投影することによって浮き彫りにすることもできます。一月二十六日に発表されました「財政の中期試算」で示されましたように、七年後に赤字国債の発行をゼロにするには、国債と地方交付税を除いた一般歳出を向こう七年間にわたって少なくとも横ばいにしなければならないということであります。
七年後の平成十五年とは、さきに述べましたように、過去三年間の輸出入の伸びが継続するという機械計算によって、貿易収支が赤字化し、日本に超過貯蓄がなくなるという年であります。という意味で、財政再建の目安になる年として、一応の合理性はあるように思います。
しかし、一般歳出を七年間も横ばいにすることは可能でありましょうか。過去、七年間で一般歳出は九兆円も拡大しました。今後は、高齢化の進展によって、さらに財政需要は増大するでありましょう。このため、「財政の中期展望」が我々国民に選択肢の一つとして示した一般歳出を七年間も横ばいにすることは、ほとんど実行不可能かと考えられます。
また、四ページにごらんのように、中期展望の検討に際しては、これまで毎年試算されてきた
「財政の中期展望」には、税収の過大見積もりというバイアスがあったことに留意すべきです。
表の二にありますように、例えば三年前の中期展望では、この平成八年度の税収を七十一・四兆円と展望しておりました。八年度予算では、それよりも二十兆円も少ない五十一兆三千億円の見積もりとなっております。また、歳出も、当初予算で抑制されても、補正予算で大幅な追加が繰り返され、結果として、中期展望の歳出には過小見積もりというバイアスがありました。つまり、中期展望には、歳出、税収の両面に財政赤字を過小に見積もるという傾向がありました。
五ページにお移りいただきたく思います。
税収の過大見積もりの原因は、成長率の過大な見通しにありました。それを避けるには、冷戦後の世界経済の構造変化という現実を踏まえる必要があります。労働、資本、技術進歩という中期的な成長要因を検討いたしますと、日本も他の先進工業国と同様な環境に置かれるようになったということを認識しなければなりません。
経済企画庁の新しい経済計画には、二〇〇〇年までの年平均成長率一・七五%というケースがあります。それは、規制緩和、構造改革が進まないケースと呼ばれています。それを前提にして延長しますと、たとえ二〇〇三年まで一般歳出を横ばいに保つとしましても、年々一兆円から三兆円もの増収策を実施しないと、二〇〇三年に赤字国債をゼロにすることはできないということになります。
また、平成八年度予算の制度、施策を前提とした一般歳出が年率三・八%増で拡大する場合には、図の四にごらんのように、十年後の二〇〇六年の国債発行額はGDPの八・三%相当の四十九兆円、国債残高は同九二%相当の五百四十兆円にも達してしまう。その時点で財政再建、財政構造改革を叫んでも手おくれであります。数年後に何かをするから当面は減税といった議論が現在も見られます。しかし、将来世代に負担を先送りする、旧思考の先楽後憂の議論はもう許されません。
現段階では埋めようがない巨額の歳出入のギャップが存在することを考えますと、平成八年度予算は、補正予算を組まないということを前提に成立することを期待します。
構造的な財政赤字は、八年度予算で巨額の赤字国債として表面化しました。それが今後、安易な歳出拡大につながらないように、そして、選挙権を持たない人々とまだ誕生していない将来世代に巨大な国債の負担として先送りされて、新世紀を担う国民の選択と行動の自由を奪うことにならないように、財政健全化への取り組みを着実に進めていかねばならないと思います。
御清聴ありがとうございました。拍手
上
野
野田正穂#6
○野田公述人 法政大学の野田正穂でございます。
私は、平成八年度予算、その中でも、特にいわゆる住専破綻の処理に関する六千八百五十億円の財政支出について述べさせていただきたいと思います。
まず、破綻した住専の処理につきましては、その破綻の原因及び責任を徹底的に究明し、筋の通る、道理にかなった処理をすることが、金融秩序に対する国民の信頼を回復する上で絶対不可欠であるというふうに考えております。
特に、この住専は民間の企業でありますから、当然自己責任の原則、後で述べますように、住専は母体行の子会社でありますから、住専の自己責任の原則は同時に母体行の自己責任の原則、いわゆる母体行責任の原則に立って処理が図られるべきであるというふうに考えております。
それで私は、母体行の責任を、住専の破綻はバブルに関係があるわけですが、このバブルを引き起こした社会的責任と住専を経営破綻に導いた経営責任との二つに分けて、これから述べさせていただきたいと思います。
一九八〇年代後半の株式や土地、いわゆる資産価格の異常な高騰がバブルであったことは、今では万人の認めるところとなっております。土地について申し上げますと、八七年一年間だけでも実に三〇%という値上がりが起こったのであります。当初、学者の間でもバブル説と非バブル説がございましたけれども、その場合のバブルとは、理論価格から実勢価格が著しく乖離し、その開きが主として投機取引によるものである場合を指しておりますが、今ではバブル説が万人の共有するところとなっているというふうに思います。
一九八〇年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカのローレンス・クラインは、資本主義の構造的な不安定をもたらしている要因といたしまして投機活動を挙げ、日本のバブルにも触れて、八〇年代以降、投機活動が経済の撹乱要因になっている場合が多い、このように指摘しているのであります。
問題は、土地の投機取引は、株式やその他の投機取引と異なりまして、株式の場合の先物取引のように空売り、空買いができないということであります。すなわち、俗に土地転がしと言われている土地の投機取引は、取引の規模に見合った資金を必要としている。そして、それは主として土地を担保とした金融機関からの融資によって賄われているのであります。このことは、国土庁が九〇年に発表されました土地白書からも明らかであります。
事実、八〇年代後半のバブルを通じて、金融機関の不動産関連の融資は、一般の融資の伸びを大幅に上回って増加しております。金融機関の不動産会社や建設会社に対する融資を見ますと、九一年末の残高は約五十八兆円という巨額に上っております。このような不動産関連の融資の拡大が投機的な土地取引を支えたことは明らかでありまして、この点で、住専の母体行を初め金融機関の社会的責任は大きく、また、不動産関連融資のいわゆる迂回融資のルートとなったノンバンク、特に住専も、同様の社会的責任を免れることはできないと考えます。
なお、地価のバブルの結果として、国民、中でも中堅勤労者の住宅取得、マイホームの夢の実現が困難となっただけではなく、土地を持つ者と持たない者との間の資産格差が大きく拡大するといった、国民経済あるいは国民生活にも大きな被害をもたらしたことを一言つけ加えておきます。
ところで、不良債権の増大と金融機関の破綻はバブルの崩壊に原因がある、バブルの崩壊がなければ不良債権の問題は起こらなかったという説もございますけれども、バブルは永遠に続くことはないのでありまして、必ず破裂する、バブルはバブルなるがゆえに崩壊する、これがバブルの自律的な運動であります。
八〇年代後半の資産価格の異常な高騰がバブルであることが明らかになった九〇年ごろ、高騰した価格がどこまで低落するかについてさまざまな予測がなされました。五〇%、つまり半分に値下がりするであろうという予測もあり、三菱銀行系の調査機関は、五〇%に下落した場合の国民経済に対する影響についてのレポートを発表しております。当時、三重野日銀総裁は、二〇%の低落が許容限度であると述べましたが、その後の経過は、二〇%をはるかに超える低落が起こり、不動産関連の融資を拡大した住専その他の金融機関に四十兆円あるいは五十兆円と言われる巨額の不良債権が発生した、これが現実であります。
以上のように、八〇年代後半のバブルは、公定歩合が二・五%という歴史的な低金利、金余りと言われた金融緩和を背景に、住専を含む金融機関が不動産関連の融資を大幅に拡大したことの結果であります。
本来、金融機関は、その公共的性格からいいまして、高いモラルと節度が要求されているのでありますが、銀行がサウンドバンキングの原則、資産の安全性、流動性を図るという健全経営の原則から逸脱し、土地の投機取引に深く関与したことは重大であります。また、これを許した金融当局の責任も重大であると考えております。
次に、子会社である住専の経営に対する母体行の責任について述べたいと思います。
簡単に住専の歴史を振り返ってみますと、一九七〇年代、銀行などが住宅ローン専門のノンバンクの設立に乗り出した当初、日本長期信用銀行のように、単独で住専を設立する、これは東京住宅ローンという会社でありますが、そういう銀行もございましたけれども、多数の住専の設立による過当競争を排除し、住専の経営の安定化を図ることを理由に、複数の同種金融機関による共同設立を原則とするという大蔵省の強い指導によりまして、住専の設立は八社に集約されたのでありますが、その結果、住専八社の信用力は著しく高まり、規模も大きく拡大することになりました。他方、このことが大蔵省からの役員の受け入れ、いわゆる天下りを容易にしたと言われていることも見逃すことはできません。
住専は、もちろん母体行とは法人格を異にしておりますけれども、以上のような設立の経緯、資本関係、役員の構成、資金の調達、経営方針の策定、あらゆる点から見まして、母体行とは一体の子会社であり、また、今回、法人税法基本通達の無税償却が母体行に認められたことからも、住専が子会社であることは明らかであります。
また、住専は、行政上、大蔵大臣の直轄会社の指定を受け、その監督下に置かれる一方、銀行だけに認められていた住宅抵当証書の発行も認められるなど、銀行並みの扱いを受けてきたことも周知の事実であります。そして住専は、母体行や大蔵省から金融業務に精通した専門家を役員として受け入れただけではなく、母体行の信用力、その広大な店舗網を利用して業務を順調に拡大し、八〇年代初めまで大きな利益を上げてきたのであります。
もっとも、住専の住宅ローンにつきましては、金利は銀行よりも二%以上高く、また期限前の返済に違約金を徴収するなど、利用者の間の不満も少なくなく、七七年二月、この委員会におきまして住専問題が取り上げられたことは御存じのとおりだと思います。
その後、八〇年代半ばになりますと、折からの企業の銀行離れ、金余りの中で、銀行などは住宅ローンを初めとする個人向けの融資や中小企業向けの融資の拡大に乗り出し、住宅ローンの借りかえ競争が起こったのであります。銀行などからねらわれたのは、もちろん金利の高い住専の特に優良な顧客でありまして、逆に、問題のあるリスクの大きい顧客を住専に紹介することが始まりました。
このような融資の紹介は、住専が不動産関連の融資へと傾斜を強める中で、個人の住宅ローンから不動産会社などへの融資に持ち込まれ、特に九〇年三月の総量規制以降、問題の多い紹介融資が大幅に増加することになりました。大蔵省の調査によりますと、昨年六月末で一兆七千二百八十七億円、実にその九一%が不良債権となったのであります。
以上、住専の歴史を簡単に振り返ってみたのでありますが、一言で申し上げますと、当初は長期プライムレートを基準とした金利での住専向けの資金供給で安定した収益を上げた母体行は、八〇年代後半以降は、住専の顧客を横取りするだけではなく、母体行が当然負担すべきリスクを転嫁する、あるいは新たなリスクを持ち込む、いわゆる俗に言うごみ箱としてこれを利用し、住専を破綻に導いたのでありまして、この点で、住専と一体となった母体行の責任、その経営責任も重大であると言わざるを得ません。
この間、金融の常識からは想像を絶する放漫融資、過剰融資、乱脈経営が行われたのでありますが、このバブル期の金融機関の過剰融資は、何も一〇〇%という担保掛け目に象徴される不動産向けだけではなく、個人に対しても、節税対策のリースマンションの建設など、返済能力を超える過剰融資が行われ、バブルが破綻した後、返済不能に陥った個人から過酷な取り立てを行い、生活破壊、中には自殺にまで追い込むなど、現在、消費者の金融被害、銀行の貸し手責任の問題として裁判に持ち込まれるなど社会的にも問題になっていることを一言つけ加えておきます。
次に、ノンバンクの破綻の処理につきましては、従来母体行責任の原則がとられてきましたし、また現にそれがとられていることを指摘しなければなりません。金融機関以外では、子会社の破綻に対して親会社が有限責任の限度を超えて子会社の損失を負担することは当然のこととされており、法人税法基本通達でもその損失負担を無税扱いとしております。
金融機関の場合、母体行責任の原則が行政上も明確にされたのは九一年十月のことでありまして、当時、静岡信用金庫の子会社である静信リースの破綻に関連しまして、大蔵省は、銀行系ノンバンクについては、最終的に親銀行がその経営に責任を持ち最悪の事態を防ぐ必要があるとしたこと、この点からも明らかであります。
ところが、昨年三月、大阪、福徳、阪和の関西系三行がそれぞれの系列ノンバンク合計十一社を整理した際、母体行以外の金融機関にも負担を求める残高母体行責任、いわゆる修正母体行責任の方式が導入されたのであります。当時大蔵省は、これはあくまでも銀行の自主的な経営判断によるものといたしましたが、三行はいずれも日銀と大蔵省から役員を受け入れており、また三行が期せずして足並みをそろえたことからも、大蔵省の強い指導があったことは疑う余地がありません。この方式の導入が住専処理に向けた金融当局の布石というのが金融界の常識となっております。
しかし、この修正母体行責任は、従来からの母体行責任方式による損失の負担が母体行の負担能力を超え、母体行自体が破綻することが客観的に明らかな場合の例外措置でありまして、その後も、銀行系ノンバンクの不良債権処理につきましては、従来どおり母体行責任が踏襲されております。
私は、以上の三点、住専が破綻に至った経過の中での母体行の社会的責任と経営責任、そして銀行系ノンバンクの破綻に対する母体行責任の三点から、住専についても母体行責任による処理が当然かつ合理的であると考えます。
政府が策定した処理スキームは、財政資金を投入し、農林系の元本を保証するという点で、修正母体行責任のさらなる修正というふうに見ることができますが、当面、このスキームを前提にした上で母体行責任の原則に立つとすれば、財政資金六千八百五十億円は母体行の負担とすることとして、予算から削除することを求めたいと思います。
既に九二年以降、金融機関の不良債権処理のため、さまざまな形態での公的支援や公的資金の投入がなされており、特に金利の低目誘導による低金利がもたらした巨額の業務純益の増大、雑誌「東洋経済」は、九五年度の大手二十一行の業務純益は史上最高の四兆四千四百六十五億円に上るであろうと予測しております。また、郵便貯金や簡易保険など公的資金による株価のてこ入れ、いわゆるPKOは既に八兆円を超えておりますが、これによる含み益の増大も見逃すことができません。その他、巨額の内部留保もございます。
以上勘案いたしますと、母体行には十分な負担能力があるというふうに考えております。もちろん、母体行といっても、住宅ローンサービスのように都市銀行七行が母体行となっている場合と、地銀生保住宅ローンのように地銀六十四行と生保二十五社が母体行となっている場合がありまして、住専を同列に扱うことには問題があるとは思いますが、全体としては、六千八百五十億円を案分して負担することは決して不可能ではなく、十分可能であると考えます。
なお、国会の御審議によりまして乱脈経営の実態などがかなり明らかになりましたが、住専破綻の原因と責任を究明するという点では、なお多くの点が残されております。
例えば、暴力団が関与したと言われる実態もほとんど明らかにされておりませんし、また特に重要なのは、住専破綻以降の母体行と住専との間の資金の流れ、大変不透明でありますが、この資金の流れも明らかにされておりません。一部地銀による資金回収の例が報道されておりますが、ほかにそのような例がなかったかどうか、ぜひともこの国会におきまして徹底的に究明されるようにお願いしたいと思います。
最後に、平成八年度予算の全体について一言申し上げたいと思います。
一方で住専処理のために六千八百五十億円の財政資金が計上される反面、中小企業対策費は四年連続の減少でわずか千八百五十五億円、私が所属しております私立大学に対する経常費補助は、私学振興助成法成立の際の二分の一助成という参議院の附帯決議の水準をはるかに下回る二千八百七十五億円、また、高齢者対策の新ゴールドプランも六千九百九十六億円ではありますが、甚だ不十分であります。
国債残高が今年度末で二百四十兆円に上るという財政危機を打開するため、国民生活の向上、福祉と教育の充実、内需拡大による景気の回復、そして当面、阪神大地震の被災者の皆さんに対する救援を主眼にして、本年度予算の抜本的な組み替え、特に五兆円近い軍事費の削減を初め抜本的な組み替えを強くお願いいたしまして、私の公述を終わらせていただきます。
御清聴ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →私は、平成八年度予算、その中でも、特にいわゆる住専破綻の処理に関する六千八百五十億円の財政支出について述べさせていただきたいと思います。
まず、破綻した住専の処理につきましては、その破綻の原因及び責任を徹底的に究明し、筋の通る、道理にかなった処理をすることが、金融秩序に対する国民の信頼を回復する上で絶対不可欠であるというふうに考えております。
特に、この住専は民間の企業でありますから、当然自己責任の原則、後で述べますように、住専は母体行の子会社でありますから、住専の自己責任の原則は同時に母体行の自己責任の原則、いわゆる母体行責任の原則に立って処理が図られるべきであるというふうに考えております。
それで私は、母体行の責任を、住専の破綻はバブルに関係があるわけですが、このバブルを引き起こした社会的責任と住専を経営破綻に導いた経営責任との二つに分けて、これから述べさせていただきたいと思います。
一九八〇年代後半の株式や土地、いわゆる資産価格の異常な高騰がバブルであったことは、今では万人の認めるところとなっております。土地について申し上げますと、八七年一年間だけでも実に三〇%という値上がりが起こったのであります。当初、学者の間でもバブル説と非バブル説がございましたけれども、その場合のバブルとは、理論価格から実勢価格が著しく乖離し、その開きが主として投機取引によるものである場合を指しておりますが、今ではバブル説が万人の共有するところとなっているというふうに思います。
一九八〇年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカのローレンス・クラインは、資本主義の構造的な不安定をもたらしている要因といたしまして投機活動を挙げ、日本のバブルにも触れて、八〇年代以降、投機活動が経済の撹乱要因になっている場合が多い、このように指摘しているのであります。
問題は、土地の投機取引は、株式やその他の投機取引と異なりまして、株式の場合の先物取引のように空売り、空買いができないということであります。すなわち、俗に土地転がしと言われている土地の投機取引は、取引の規模に見合った資金を必要としている。そして、それは主として土地を担保とした金融機関からの融資によって賄われているのであります。このことは、国土庁が九〇年に発表されました土地白書からも明らかであります。
事実、八〇年代後半のバブルを通じて、金融機関の不動産関連の融資は、一般の融資の伸びを大幅に上回って増加しております。金融機関の不動産会社や建設会社に対する融資を見ますと、九一年末の残高は約五十八兆円という巨額に上っております。このような不動産関連の融資の拡大が投機的な土地取引を支えたことは明らかでありまして、この点で、住専の母体行を初め金融機関の社会的責任は大きく、また、不動産関連融資のいわゆる迂回融資のルートとなったノンバンク、特に住専も、同様の社会的責任を免れることはできないと考えます。
なお、地価のバブルの結果として、国民、中でも中堅勤労者の住宅取得、マイホームの夢の実現が困難となっただけではなく、土地を持つ者と持たない者との間の資産格差が大きく拡大するといった、国民経済あるいは国民生活にも大きな被害をもたらしたことを一言つけ加えておきます。
ところで、不良債権の増大と金融機関の破綻はバブルの崩壊に原因がある、バブルの崩壊がなければ不良債権の問題は起こらなかったという説もございますけれども、バブルは永遠に続くことはないのでありまして、必ず破裂する、バブルはバブルなるがゆえに崩壊する、これがバブルの自律的な運動であります。
八〇年代後半の資産価格の異常な高騰がバブルであることが明らかになった九〇年ごろ、高騰した価格がどこまで低落するかについてさまざまな予測がなされました。五〇%、つまり半分に値下がりするであろうという予測もあり、三菱銀行系の調査機関は、五〇%に下落した場合の国民経済に対する影響についてのレポートを発表しております。当時、三重野日銀総裁は、二〇%の低落が許容限度であると述べましたが、その後の経過は、二〇%をはるかに超える低落が起こり、不動産関連の融資を拡大した住専その他の金融機関に四十兆円あるいは五十兆円と言われる巨額の不良債権が発生した、これが現実であります。
以上のように、八〇年代後半のバブルは、公定歩合が二・五%という歴史的な低金利、金余りと言われた金融緩和を背景に、住専を含む金融機関が不動産関連の融資を大幅に拡大したことの結果であります。
本来、金融機関は、その公共的性格からいいまして、高いモラルと節度が要求されているのでありますが、銀行がサウンドバンキングの原則、資産の安全性、流動性を図るという健全経営の原則から逸脱し、土地の投機取引に深く関与したことは重大であります。また、これを許した金融当局の責任も重大であると考えております。
次に、子会社である住専の経営に対する母体行の責任について述べたいと思います。
簡単に住専の歴史を振り返ってみますと、一九七〇年代、銀行などが住宅ローン専門のノンバンクの設立に乗り出した当初、日本長期信用銀行のように、単独で住専を設立する、これは東京住宅ローンという会社でありますが、そういう銀行もございましたけれども、多数の住専の設立による過当競争を排除し、住専の経営の安定化を図ることを理由に、複数の同種金融機関による共同設立を原則とするという大蔵省の強い指導によりまして、住専の設立は八社に集約されたのでありますが、その結果、住専八社の信用力は著しく高まり、規模も大きく拡大することになりました。他方、このことが大蔵省からの役員の受け入れ、いわゆる天下りを容易にしたと言われていることも見逃すことはできません。
住専は、もちろん母体行とは法人格を異にしておりますけれども、以上のような設立の経緯、資本関係、役員の構成、資金の調達、経営方針の策定、あらゆる点から見まして、母体行とは一体の子会社であり、また、今回、法人税法基本通達の無税償却が母体行に認められたことからも、住専が子会社であることは明らかであります。
また、住専は、行政上、大蔵大臣の直轄会社の指定を受け、その監督下に置かれる一方、銀行だけに認められていた住宅抵当証書の発行も認められるなど、銀行並みの扱いを受けてきたことも周知の事実であります。そして住専は、母体行や大蔵省から金融業務に精通した専門家を役員として受け入れただけではなく、母体行の信用力、その広大な店舗網を利用して業務を順調に拡大し、八〇年代初めまで大きな利益を上げてきたのであります。
もっとも、住専の住宅ローンにつきましては、金利は銀行よりも二%以上高く、また期限前の返済に違約金を徴収するなど、利用者の間の不満も少なくなく、七七年二月、この委員会におきまして住専問題が取り上げられたことは御存じのとおりだと思います。
その後、八〇年代半ばになりますと、折からの企業の銀行離れ、金余りの中で、銀行などは住宅ローンを初めとする個人向けの融資や中小企業向けの融資の拡大に乗り出し、住宅ローンの借りかえ競争が起こったのであります。銀行などからねらわれたのは、もちろん金利の高い住専の特に優良な顧客でありまして、逆に、問題のあるリスクの大きい顧客を住専に紹介することが始まりました。
このような融資の紹介は、住専が不動産関連の融資へと傾斜を強める中で、個人の住宅ローンから不動産会社などへの融資に持ち込まれ、特に九〇年三月の総量規制以降、問題の多い紹介融資が大幅に増加することになりました。大蔵省の調査によりますと、昨年六月末で一兆七千二百八十七億円、実にその九一%が不良債権となったのであります。
以上、住専の歴史を簡単に振り返ってみたのでありますが、一言で申し上げますと、当初は長期プライムレートを基準とした金利での住専向けの資金供給で安定した収益を上げた母体行は、八〇年代後半以降は、住専の顧客を横取りするだけではなく、母体行が当然負担すべきリスクを転嫁する、あるいは新たなリスクを持ち込む、いわゆる俗に言うごみ箱としてこれを利用し、住専を破綻に導いたのでありまして、この点で、住専と一体となった母体行の責任、その経営責任も重大であると言わざるを得ません。
この間、金融の常識からは想像を絶する放漫融資、過剰融資、乱脈経営が行われたのでありますが、このバブル期の金融機関の過剰融資は、何も一〇〇%という担保掛け目に象徴される不動産向けだけではなく、個人に対しても、節税対策のリースマンションの建設など、返済能力を超える過剰融資が行われ、バブルが破綻した後、返済不能に陥った個人から過酷な取り立てを行い、生活破壊、中には自殺にまで追い込むなど、現在、消費者の金融被害、銀行の貸し手責任の問題として裁判に持ち込まれるなど社会的にも問題になっていることを一言つけ加えておきます。
次に、ノンバンクの破綻の処理につきましては、従来母体行責任の原則がとられてきましたし、また現にそれがとられていることを指摘しなければなりません。金融機関以外では、子会社の破綻に対して親会社が有限責任の限度を超えて子会社の損失を負担することは当然のこととされており、法人税法基本通達でもその損失負担を無税扱いとしております。
金融機関の場合、母体行責任の原則が行政上も明確にされたのは九一年十月のことでありまして、当時、静岡信用金庫の子会社である静信リースの破綻に関連しまして、大蔵省は、銀行系ノンバンクについては、最終的に親銀行がその経営に責任を持ち最悪の事態を防ぐ必要があるとしたこと、この点からも明らかであります。
ところが、昨年三月、大阪、福徳、阪和の関西系三行がそれぞれの系列ノンバンク合計十一社を整理した際、母体行以外の金融機関にも負担を求める残高母体行責任、いわゆる修正母体行責任の方式が導入されたのであります。当時大蔵省は、これはあくまでも銀行の自主的な経営判断によるものといたしましたが、三行はいずれも日銀と大蔵省から役員を受け入れており、また三行が期せずして足並みをそろえたことからも、大蔵省の強い指導があったことは疑う余地がありません。この方式の導入が住専処理に向けた金融当局の布石というのが金融界の常識となっております。
しかし、この修正母体行責任は、従来からの母体行責任方式による損失の負担が母体行の負担能力を超え、母体行自体が破綻することが客観的に明らかな場合の例外措置でありまして、その後も、銀行系ノンバンクの不良債権処理につきましては、従来どおり母体行責任が踏襲されております。
私は、以上の三点、住専が破綻に至った経過の中での母体行の社会的責任と経営責任、そして銀行系ノンバンクの破綻に対する母体行責任の三点から、住専についても母体行責任による処理が当然かつ合理的であると考えます。
政府が策定した処理スキームは、財政資金を投入し、農林系の元本を保証するという点で、修正母体行責任のさらなる修正というふうに見ることができますが、当面、このスキームを前提にした上で母体行責任の原則に立つとすれば、財政資金六千八百五十億円は母体行の負担とすることとして、予算から削除することを求めたいと思います。
既に九二年以降、金融機関の不良債権処理のため、さまざまな形態での公的支援や公的資金の投入がなされており、特に金利の低目誘導による低金利がもたらした巨額の業務純益の増大、雑誌「東洋経済」は、九五年度の大手二十一行の業務純益は史上最高の四兆四千四百六十五億円に上るであろうと予測しております。また、郵便貯金や簡易保険など公的資金による株価のてこ入れ、いわゆるPKOは既に八兆円を超えておりますが、これによる含み益の増大も見逃すことができません。その他、巨額の内部留保もございます。
以上勘案いたしますと、母体行には十分な負担能力があるというふうに考えております。もちろん、母体行といっても、住宅ローンサービスのように都市銀行七行が母体行となっている場合と、地銀生保住宅ローンのように地銀六十四行と生保二十五社が母体行となっている場合がありまして、住専を同列に扱うことには問題があるとは思いますが、全体としては、六千八百五十億円を案分して負担することは決して不可能ではなく、十分可能であると考えます。
なお、国会の御審議によりまして乱脈経営の実態などがかなり明らかになりましたが、住専破綻の原因と責任を究明するという点では、なお多くの点が残されております。
例えば、暴力団が関与したと言われる実態もほとんど明らかにされておりませんし、また特に重要なのは、住専破綻以降の母体行と住専との間の資金の流れ、大変不透明でありますが、この資金の流れも明らかにされておりません。一部地銀による資金回収の例が報道されておりますが、ほかにそのような例がなかったかどうか、ぜひともこの国会におきまして徹底的に究明されるようにお願いしたいと思います。
最後に、平成八年度予算の全体について一言申し上げたいと思います。
一方で住専処理のために六千八百五十億円の財政資金が計上される反面、中小企業対策費は四年連続の減少でわずか千八百五十五億円、私が所属しております私立大学に対する経常費補助は、私学振興助成法成立の際の二分の一助成という参議院の附帯決議の水準をはるかに下回る二千八百七十五億円、また、高齢者対策の新ゴールドプランも六千九百九十六億円ではありますが、甚だ不十分であります。
国債残高が今年度末で二百四十兆円に上るという財政危機を打開するため、国民生活の向上、福祉と教育の充実、内需拡大による景気の回復、そして当面、阪神大地震の被災者の皆さんに対する救援を主眼にして、本年度予算の抜本的な組み替え、特に五兆円近い軍事費の削減を初め抜本的な組み替えを強くお願いいたしまして、私の公述を終わらせていただきます。
御清聴ありがとうございました。拍手
上
上
栗
栗原博久#9
○栗原(博)委員 ただいま各公述人の先生方のお話を承りまして、本当にもっともであるというふうに実は思うわけでございます。
それで、各先生にお話をお聞きする前に、若干私の考えを述べながらお聞きしたいと思います。
本委員会におきましてもずっと住専問題が論議され、そしてまた我が党におきましても、やはり国際社会におきます金融の秩序を守るためにもということで苦渋の選択をしておるわけでありますが、しかし、その中にもやはり住専の責任の解明、そしてこれに至る事実の解明というものがどうしても必要と私は思います。
我が党は、六千八百五十億のこの公的資金の導入につきまして、それなりの責任を母体行に求めておるわけでありますし、また、この審議を通じまして紹介融資等の巨額な融資が出てまいった以上、私個人の考えでもございますが、さらなる責任を母体行に求めねばならないと思っておるわけであります。
野党の方々のお話を承りますと、破産宣告をやるとか、あるいはまた会社の更生手続にのっとってやるとか、あるいはまた我が党と同じようなお考えを持っている方もおられるようですし、あるいはまた感傷的に淡路大震災をとらえながら、農家に対する甘えがあるというようなことを言う方もおられるようでありますが、私もその点を聞きますと、やはり地方出身の国会議員として大変残念でならないわけであります。
さて、全国津々浦々に、住専に対して税金を使うなという反対があるというようなことを言っておりますが、私はそれよりも、さらにもっとそのほかに見えないものがある。それは、高いときに住宅ローンで土地の資金を借りまして、そして返せなくて困っている。ですから、裁判所に参りますと、融資を受けて返せなくて競売にかかっているのがたくさんあるわけですね。そういう方は、必死になって返したんだけれども、どうもだめだった。なぜ住専が、あるいはまた金融機関だけが生き残れるんだ、そういう偽らざる気持ちもやはりあると思います。
あるいは、会社を必死になって経営している方々。手形決済が迫ってくる。それはもう夜眠れなくて、脂汗を流しながら翌日の決済、三時に間に合わなくて翌日の九時に決済する方もおられる。そういう方から見ましたら、この委員会における中身は実は全く異様に映っているのじゃなかろうかと思うのであります。
こういう中で、そういう方々がやはり納得されるような形で本委員会でその結末をつけねばならない。それには、景気をよくして安定的な我が国の、先ほど各先生からもお話ありましたが、特に池尾先生からも国家財政の問題についていろいろ話があったわけでありますが、あるいはまた富田先生からも国債についても厳しく将来の不安感をお述べになりましたが、まずこれを問わねばならぬ。景気を回復するために万全を期して、前向きの予算の審議を進めねばならないと私は思います。
ただその中で、こういう責任を、そしてまた事実関係を解明するということについて、これからもやはり多くその任を我々国会議員も果たさねばならぬと思うのでありますが、しかし最大の責任は、私は政治にあると思います。政治家が官僚をリードしていなかった、官僚を制することができなかったということを私どもは率直に認めながら、今後再びそういうことが起きないように対処することがどうしても必要でなかろうかと思っております。
ただ、第一次再建計画の平成二年から第二次再建計画の平成五年三月までの間に、母体行がその紹介で一兆五千億近い金、あるいはまた平成五年から昨年の九月までに至る間に約二兆円近い紹介をして、住専が貸し付けして不良債権が起きている。この前の参考人のお話を聞きますと、実に九〇%近くも、紹介したものが全部パアになったということを聞くと、本当に私はびっくりしたわけであります。
例えば、普通民間においても、紹介する、ひとつこれを何とかこの会社に融資をしてくれとお願いした場合は、当然お願いされる側は、では、あなた裏書きをやってくれ、紹介する以上はやはり裏書きをする。例えば手形でありますが、手形に裏書きをして、この人は間違いないからひとつ金を貸してやってくれ、これが実体経済の実情であります。
そして、全くそれをしないで、口一言で金を出すということは、まさしく住専は母体行の子会社以外の何物でもない。保証してくれる者が金を貸せと言うのだから、もうこれはそこに民法上の契約が成り立っているわけでありますから、そういう中で私は、やはり母体行というものの責任は本当に大きいものであるというふうに実は思っておるのであります。
私は、自分事で大変お恥ずかしい話でありますが、私の関係者、支援者が、名前を言って大変恐縮ですが、住宅ローンサービスから昭和五十三年に千三十万の金を借りました。これは窮余の一策に借りたのでありますが、ずっと返してきた。ところが、半年返せなかったら、保証会社であります東京海上にそのまま債権を移した。五十三年ですから、もう約十七年近く返しているのですが、それでも四百万の金が残っておりました、ずっと利息を払ったわけですから。それが東京海上に債権が移された。すぐ東京海上はそのものに対して競売に出てしまった。
当然、住宅ローンを返せないということはいろいろ事情があるわけで、私は実は東京海上に行きまして、何とか競売を解除してほしいと。東京海上はこう言いました、では、あなたが保証人になってください。私は保証人を受け継ぎまして、毎月今五十万ずつ返しておりますが、こういうふうに、口でも言った以上これは責任をとらねばならない。これを見ても、これは私のみならず、一般の住宅ローンの住専から借りた方々の保証人は、その義務を遂行しているわけであります。ですから、私はこの母体行の責任は極めて大きいということを思っている。
あるいは、こういう中で会社を守るために、私も実は当選するまで十六年かかってこの場所に来ておるわけでありますが、多くの方と知り合ってまいりました。私も、自分の支援者が会社の給料を払えない、そして本社社屋を売らねばならない、しかしながら営々と築いたものは売ってはならない。これは病気になったと思うのですが、何人かの人が自殺を見ております。一人は入水自殺、一人は首を切って亡くなっている。そういう方々の遺族は、この実情を見ていますと、自分たちの夫はそこまでしても借金を返したんだ、自分の命を絶っても。私の周りには六人ほどおります。
そういう方が今のこの国会審議を通じて、特にこの前の参考人陳述の中で、各参考人が参りまして、いろいろまるで他人事のような、私はもう二十年前から社長になっている、しかし彼は、名前を言いませんが、大蔵省の職員であったからこそ社長になれたわけであります。それを全く他人事のようなことを言っておる。借りた側も、それは経済政策の失敗だ。しかし、そうだけれども、少なくとも他人様の金を借りた以上は、どんなことをしても返さねばならぬ。これが経営者の当然の姿である。そして、国民の血税で賄うためには、当然その責任を問わねばならない。
私は、そういうことで、ぜひ本委員会におきましても、やはりこの責任と事実の解明をさらにしていただいて、ひとつこの予算を執行していただきたいと思うのであります。
それについて、各先生方から大変御高説を賜りましたが、先生方から、この住専について、責任問題、事実解明をどのようにお考えになっているかお聞きしたいと思いますが、まず池尾公述人からお願いいたします。
この発言だけを見る →それで、各先生にお話をお聞きする前に、若干私の考えを述べながらお聞きしたいと思います。
本委員会におきましてもずっと住専問題が論議され、そしてまた我が党におきましても、やはり国際社会におきます金融の秩序を守るためにもということで苦渋の選択をしておるわけでありますが、しかし、その中にもやはり住専の責任の解明、そしてこれに至る事実の解明というものがどうしても必要と私は思います。
我が党は、六千八百五十億のこの公的資金の導入につきまして、それなりの責任を母体行に求めておるわけでありますし、また、この審議を通じまして紹介融資等の巨額な融資が出てまいった以上、私個人の考えでもございますが、さらなる責任を母体行に求めねばならないと思っておるわけであります。
野党の方々のお話を承りますと、破産宣告をやるとか、あるいはまた会社の更生手続にのっとってやるとか、あるいはまた我が党と同じようなお考えを持っている方もおられるようですし、あるいはまた感傷的に淡路大震災をとらえながら、農家に対する甘えがあるというようなことを言う方もおられるようでありますが、私もその点を聞きますと、やはり地方出身の国会議員として大変残念でならないわけであります。
さて、全国津々浦々に、住専に対して税金を使うなという反対があるというようなことを言っておりますが、私はそれよりも、さらにもっとそのほかに見えないものがある。それは、高いときに住宅ローンで土地の資金を借りまして、そして返せなくて困っている。ですから、裁判所に参りますと、融資を受けて返せなくて競売にかかっているのがたくさんあるわけですね。そういう方は、必死になって返したんだけれども、どうもだめだった。なぜ住専が、あるいはまた金融機関だけが生き残れるんだ、そういう偽らざる気持ちもやはりあると思います。
あるいは、会社を必死になって経営している方々。手形決済が迫ってくる。それはもう夜眠れなくて、脂汗を流しながら翌日の決済、三時に間に合わなくて翌日の九時に決済する方もおられる。そういう方から見ましたら、この委員会における中身は実は全く異様に映っているのじゃなかろうかと思うのであります。
こういう中で、そういう方々がやはり納得されるような形で本委員会でその結末をつけねばならない。それには、景気をよくして安定的な我が国の、先ほど各先生からもお話ありましたが、特に池尾先生からも国家財政の問題についていろいろ話があったわけでありますが、あるいはまた富田先生からも国債についても厳しく将来の不安感をお述べになりましたが、まずこれを問わねばならぬ。景気を回復するために万全を期して、前向きの予算の審議を進めねばならないと私は思います。
ただその中で、こういう責任を、そしてまた事実関係を解明するということについて、これからもやはり多くその任を我々国会議員も果たさねばならぬと思うのでありますが、しかし最大の責任は、私は政治にあると思います。政治家が官僚をリードしていなかった、官僚を制することができなかったということを私どもは率直に認めながら、今後再びそういうことが起きないように対処することがどうしても必要でなかろうかと思っております。
ただ、第一次再建計画の平成二年から第二次再建計画の平成五年三月までの間に、母体行がその紹介で一兆五千億近い金、あるいはまた平成五年から昨年の九月までに至る間に約二兆円近い紹介をして、住専が貸し付けして不良債権が起きている。この前の参考人のお話を聞きますと、実に九〇%近くも、紹介したものが全部パアになったということを聞くと、本当に私はびっくりしたわけであります。
例えば、普通民間においても、紹介する、ひとつこれを何とかこの会社に融資をしてくれとお願いした場合は、当然お願いされる側は、では、あなた裏書きをやってくれ、紹介する以上はやはり裏書きをする。例えば手形でありますが、手形に裏書きをして、この人は間違いないからひとつ金を貸してやってくれ、これが実体経済の実情であります。
そして、全くそれをしないで、口一言で金を出すということは、まさしく住専は母体行の子会社以外の何物でもない。保証してくれる者が金を貸せと言うのだから、もうこれはそこに民法上の契約が成り立っているわけでありますから、そういう中で私は、やはり母体行というものの責任は本当に大きいものであるというふうに実は思っておるのであります。
私は、自分事で大変お恥ずかしい話でありますが、私の関係者、支援者が、名前を言って大変恐縮ですが、住宅ローンサービスから昭和五十三年に千三十万の金を借りました。これは窮余の一策に借りたのでありますが、ずっと返してきた。ところが、半年返せなかったら、保証会社であります東京海上にそのまま債権を移した。五十三年ですから、もう約十七年近く返しているのですが、それでも四百万の金が残っておりました、ずっと利息を払ったわけですから。それが東京海上に債権が移された。すぐ東京海上はそのものに対して競売に出てしまった。
当然、住宅ローンを返せないということはいろいろ事情があるわけで、私は実は東京海上に行きまして、何とか競売を解除してほしいと。東京海上はこう言いました、では、あなたが保証人になってください。私は保証人を受け継ぎまして、毎月今五十万ずつ返しておりますが、こういうふうに、口でも言った以上これは責任をとらねばならない。これを見ても、これは私のみならず、一般の住宅ローンの住専から借りた方々の保証人は、その義務を遂行しているわけであります。ですから、私はこの母体行の責任は極めて大きいということを思っている。
あるいは、こういう中で会社を守るために、私も実は当選するまで十六年かかってこの場所に来ておるわけでありますが、多くの方と知り合ってまいりました。私も、自分の支援者が会社の給料を払えない、そして本社社屋を売らねばならない、しかしながら営々と築いたものは売ってはならない。これは病気になったと思うのですが、何人かの人が自殺を見ております。一人は入水自殺、一人は首を切って亡くなっている。そういう方々の遺族は、この実情を見ていますと、自分たちの夫はそこまでしても借金を返したんだ、自分の命を絶っても。私の周りには六人ほどおります。
そういう方が今のこの国会審議を通じて、特にこの前の参考人陳述の中で、各参考人が参りまして、いろいろまるで他人事のような、私はもう二十年前から社長になっている、しかし彼は、名前を言いませんが、大蔵省の職員であったからこそ社長になれたわけであります。それを全く他人事のようなことを言っておる。借りた側も、それは経済政策の失敗だ。しかし、そうだけれども、少なくとも他人様の金を借りた以上は、どんなことをしても返さねばならぬ。これが経営者の当然の姿である。そして、国民の血税で賄うためには、当然その責任を問わねばならない。
私は、そういうことで、ぜひ本委員会におきましても、やはりこの責任と事実の解明をさらにしていただいて、ひとつこの予算を執行していただきたいと思うのであります。
それについて、各先生方から大変御高説を賜りましたが、先生方から、この住専について、責任問題、事実解明をどのようにお考えになっているかお聞きしたいと思いますが、まず池尾公述人からお願いいたします。
池
池尾和人#10
○池尾公述人 今、栗原先生から御指摘がありましたように、個別の住専問題に関しまして、まだまだ解明しなければいけない点というのはたくさん残っておりますし、それは非常に重要な問題でありまして、住専問題についての究明ということは徹底して行っていく必要があるというふうに考えております。
これは、本来なら司法的な処理を通じてその点の解明を行っていくというのが極めて有効であると思いますが、もしそれがかなわない場合には、ある種の専門調査機関を設置して、責任のあるレポートが出るまで究明をするというふうなことが必要であるというふうに思っております。
本日の公述で私が強調したかった点は、個別住専の問題だけがすべてではないということでありまして、個別住専に関して極めて大きな問題があることは確かでありますが、それがすべてではなくて、日本経済はもっと大きな不良債権問題を抱えているのではないかということであります。まさに御指摘がありましたように、財政支出をする限り、例えば景気の回復につながる等の形で国民にそれだけの見返りがなければいけないわけであります。
ところが、住専さえ処理すればそれで日本の金融システムの機能不全がなくなるのであればいいのですけれども、そうした形で楽観することが許されないような状況に現在あるのではないか。日本の不良債権問題全体像の中でどう問題を処理していくのかというふうな展望を同時に持たないことには、個別住専に関しての責任究明は極めて重要でありますが、それだけでは公的資金の導入というふうなことを行う際の十分な国民に対する納得を得るための材料を与えることにはならないのではないか、不良債権問題全体に対する解決策の提示ということが同時に必要ではないかというのが本日の公述で私が強調したかった点であります。
以上です。
この発言だけを見る →これは、本来なら司法的な処理を通じてその点の解明を行っていくというのが極めて有効であると思いますが、もしそれがかなわない場合には、ある種の専門調査機関を設置して、責任のあるレポートが出るまで究明をするというふうなことが必要であるというふうに思っております。
本日の公述で私が強調したかった点は、個別住専の問題だけがすべてではないということでありまして、個別住専に関して極めて大きな問題があることは確かでありますが、それがすべてではなくて、日本経済はもっと大きな不良債権問題を抱えているのではないかということであります。まさに御指摘がありましたように、財政支出をする限り、例えば景気の回復につながる等の形で国民にそれだけの見返りがなければいけないわけであります。
ところが、住専さえ処理すればそれで日本の金融システムの機能不全がなくなるのであればいいのですけれども、そうした形で楽観することが許されないような状況に現在あるのではないか。日本の不良債権問題全体像の中でどう問題を処理していくのかというふうな展望を同時に持たないことには、個別住専に関しての責任究明は極めて重要でありますが、それだけでは公的資金の導入というふうなことを行う際の十分な国民に対する納得を得るための材料を与えることにはならないのではないか、不良債権問題全体に対する解決策の提示ということが同時に必要ではないかというのが本日の公述で私が強調したかった点であります。
以上です。
富
富田俊基#11
○富田公述人 この負担分担のあり方ということの問題、そして事実関係の追及ということは、やはり深く十分にこの民主主義のプロセスで検討する必要があるというふうに私も思います。
ただし、昨年、いわゆるジャパン・プレミアムというのが発生いたしました。これは、日本の金融システムが大きくほころび傷んでいることをマーケット、市場が評価したものであります。何らかの解決を市場は求めていた。住専処理案が発表されまして、それが大きく縮小に向かったということは、マーケットはこうした処理策を評価しているというふうに私は思います。
この問題、非常に個人的には、感情的にはいろいろといらいらすることもあります。ただ、冷静に考えますと、日本経済の動脈であります金融システムが弱いところからほころびる、そしてそれが波及するということは極めて危険であります。という意味で、ウォームハートとクールヘッドではありませんけれども、やはり国民みんなが非常に厳しく、温かいハートに立脚するのか、冷静に判断するのかということを問われているというふうに思います。
この発言だけを見る →ただし、昨年、いわゆるジャパン・プレミアムというのが発生いたしました。これは、日本の金融システムが大きくほころび傷んでいることをマーケット、市場が評価したものであります。何らかの解決を市場は求めていた。住専処理案が発表されまして、それが大きく縮小に向かったということは、マーケットはこうした処理策を評価しているというふうに私は思います。
この問題、非常に個人的には、感情的にはいろいろといらいらすることもあります。ただ、冷静に考えますと、日本経済の動脈であります金融システムが弱いところからほころびる、そしてそれが波及するということは極めて危険であります。という意味で、ウォームハートとクールヘッドではありませんけれども、やはり国民みんなが非常に厳しく、温かいハートに立脚するのか、冷静に判断するのかということを問われているというふうに思います。
野
野田正穂#12
○野田公述人 現在、金融機関の不良債権が四十兆円あるいは五十兆円という巨額に上っておりますので、住専問題だけでこの不良債権問題がすべて解決されるのではもちろんございません。当然、まだまだ解決しなければならない不良債権は残っていると思います。
ただ、その場合に、やはり問題の処理に当たりましては、その原因と責任を徹底的に究明するということが前提でございまして、そして、先ほど申し上げましたように、住専の場合につきましては私は専ら責任の問題を中心にお話をしたわけでございますけれども、現に銀行系のノンバンクの不良債権の処理につきましては、母体行責任の原則に基づいて処理が行われております。
昨年の七月、三菱銀行がダイヤモンド抵当証券その他の不良債権を処理した際もそうでございますし、それから十一月に富士銀行が芙蓉総合リースなど三行の不良債権を処理した際も、いずれも母体行責任の原則に基づいているのであります。
あくまでもその原則に立って、どうしても母体行が負担能力を超えるという場合に、先ほど申し上げました静岡信用金庫の静信リースのような法的な処理も当然考えられますが、あくまでも原則はやはり母体行責任に基づいて処理していくというのが、これは国民から見てもやはり納得のいく方法ではないか、このように考えております。
この発言だけを見る →ただ、その場合に、やはり問題の処理に当たりましては、その原因と責任を徹底的に究明するということが前提でございまして、そして、先ほど申し上げましたように、住専の場合につきましては私は専ら責任の問題を中心にお話をしたわけでございますけれども、現に銀行系のノンバンクの不良債権の処理につきましては、母体行責任の原則に基づいて処理が行われております。
昨年の七月、三菱銀行がダイヤモンド抵当証券その他の不良債権を処理した際もそうでございますし、それから十一月に富士銀行が芙蓉総合リースなど三行の不良債権を処理した際も、いずれも母体行責任の原則に基づいているのであります。
あくまでもその原則に立って、どうしても母体行が負担能力を超えるという場合に、先ほど申し上げました静岡信用金庫の静信リースのような法的な処理も当然考えられますが、あくまでも原則はやはり母体行責任に基づいて処理していくというのが、これは国民から見てもやはり納得のいく方法ではないか、このように考えております。
栗
栗原博久#13
○栗原(博)委員 私は、責任論、それから事実解明、今各先生方のお話を承りまして、同感の至りでありますが、ただ、やはりこの問題は、マクロ経済の中における政策的な失敗もあったと思うのですね。こういう問題も、実は先生方からちょっとお聞きしたがったわけでございますが、また機会がありましたら、後日お聞きしたいと思います。
さて、昨日も、我が党の志賀節委員からも、国際社会における日本の立場、そしてその責任のとり方等におきまして、与党が苦渋の中で六千八百五十億の公的資金の導入ということを実は決めておるわけであります。これについては、先般私、スイス銀行の日本の駐在員の責任者の方とお会いしていろいろお話を承ったのでありますが、彼らが異口同音に申されることは、やはり国際社会において、日本が公的資金の導入に踏み込んだこと自体が評価される、あくまでも日本政府は責任を持ってこの問題に対応するんだと。
話を聞きますと、日本には百五十兆円近い外貨が投資されているというふうに承っておりますが、日本の金融市場がおかしくなりますと、こういう方が一番不安を持っている。だから、ジャパン・プレミアムのように、ああいうふうな高金利を求められて、利息を求められてくると思うのですが、そういう中で、国際社会の秩序における中で、やはり確かに政策的な判断の誤り、あるいはまた住専会社の極めて乱脈といいましょうか、実体経済を無視した中での貸し付け、そしてまた、それを安易に運用しました借り手側の責任等も問われておるわけですが、そこに国民から大変理解しにくい姿が映っている。
しかしまた、それを飛び越えて、私どもやはり、池尾公述人にもちょっとお聞きしたいのでありますが、先生は先ほどリスクの問題で、公的資金は預金者保護でやる、それにのみ使うべきだというようなお話を承りました。
実は先生が「銀行リスクと規制の経済学」とか「金融産業への警告」というような本を発行されておりますが、私も先生に質問するということできのう拝読させていただいたわけであります。その中で先生は、やはり公的資金につきまして、預金者の保護というものも大事だ、あわせて決済システムを守るということ、それも大事なんだというふうにおっしゃった。
私は、決済システムというものは、各金融機関は預金者からお金を預かって、そしてそれを運用する、あるいはまた、それを貸し付けしながら、企業預金、企業との間のやりとりもあるわけであります。あるいはまた、銀行間の行き来もありますが、私は、外国の企業が、外国の国が日本に対して不安を持つのは、先ほど申しました約百五十兆円のお金、あれはやはり企業が、万が一安易に預金者保護という名目で銀行をおかしくした場合、そこに手形決済、いろいろ関連産業がたくさんあるわけですね。その関連産業が実はそれによって倒産の憂き目を見るわけでありますが、先生の特に「金融産業への警告」の中で記されておりましたその一文をとりながら、先ほど先生の御説明で、あくまでも公的資金は預金保護のみに使うという、こことの違いをちょっとお聞きしたいと思うのでございます。
この発言だけを見る →さて、昨日も、我が党の志賀節委員からも、国際社会における日本の立場、そしてその責任のとり方等におきまして、与党が苦渋の中で六千八百五十億の公的資金の導入ということを実は決めておるわけであります。これについては、先般私、スイス銀行の日本の駐在員の責任者の方とお会いしていろいろお話を承ったのでありますが、彼らが異口同音に申されることは、やはり国際社会において、日本が公的資金の導入に踏み込んだこと自体が評価される、あくまでも日本政府は責任を持ってこの問題に対応するんだと。
話を聞きますと、日本には百五十兆円近い外貨が投資されているというふうに承っておりますが、日本の金融市場がおかしくなりますと、こういう方が一番不安を持っている。だから、ジャパン・プレミアムのように、ああいうふうな高金利を求められて、利息を求められてくると思うのですが、そういう中で、国際社会の秩序における中で、やはり確かに政策的な判断の誤り、あるいはまた住専会社の極めて乱脈といいましょうか、実体経済を無視した中での貸し付け、そしてまた、それを安易に運用しました借り手側の責任等も問われておるわけですが、そこに国民から大変理解しにくい姿が映っている。
しかしまた、それを飛び越えて、私どもやはり、池尾公述人にもちょっとお聞きしたいのでありますが、先生は先ほどリスクの問題で、公的資金は預金者保護でやる、それにのみ使うべきだというようなお話を承りました。
実は先生が「銀行リスクと規制の経済学」とか「金融産業への警告」というような本を発行されておりますが、私も先生に質問するということできのう拝読させていただいたわけであります。その中で先生は、やはり公的資金につきまして、預金者の保護というものも大事だ、あわせて決済システムを守るということ、それも大事なんだというふうにおっしゃった。
私は、決済システムというものは、各金融機関は預金者からお金を預かって、そしてそれを運用する、あるいはまた、それを貸し付けしながら、企業預金、企業との間のやりとりもあるわけであります。あるいはまた、銀行間の行き来もありますが、私は、外国の企業が、外国の国が日本に対して不安を持つのは、先ほど申しました約百五十兆円のお金、あれはやはり企業が、万が一安易に預金者保護という名目で銀行をおかしくした場合、そこに手形決済、いろいろ関連産業がたくさんあるわけですね。その関連産業が実はそれによって倒産の憂き目を見るわけでありますが、先生の特に「金融産業への警告」の中で記されておりましたその一文をとりながら、先ほど先生の御説明で、あくまでも公的資金は預金保護のみに使うという、こことの違いをちょっとお聞きしたいと思うのでございます。
池
池尾和人#14
○池尾公述人 従来からも、金融業に対してさまざまな公的な関与が行われる際の、なぜ関与を行うのか、関与するのかということの根拠として、預金者保護と信用秩序の維持ということが言われてきたわけであります。しかしながら、従来は、銀行を守ることを通じて、結果として預金者を保護するという政策をとってきたわけであります。それがいわゆる護送船団行政でありまして、確かに銀行を守れば、結果として預金者は保護されます。しかしながら、そうしたやり方がどういう結果を生んだかということを考えますと、それがまさに現在の状況を招いたということになっておるわけです。
したがって、私が申したかったことは、銀行を救うという、銀行とは限りませんが、金融機関を救うということの結果として預金者を保護するという政策ではなくて、直接預金者を保護するというところに限って財政資金を使うべきであるという主張をしているわけであります。
そして、その決済システム等に関しましても、公述の際にも最後の方で申したわけですが、日本の金融制度は非常に古めかしくなっているわけです。そして、決済に関しての制度等に関しましても、従来の護送船団行政を前提としたような古臭い制度になっているわけです。つまり、銀行、金融機関はつぶれないという建前、前提のもとで、したがって、そうしたリスクに対する対処を全く考慮しないようなシステムになっているわけです。
そうしたシステムのままで金融機関の破綻があり得るということになりますと、全く制度がそういうことを考慮しないような、そういう意味で欠陥のある制度になっているわけですから、参加者、特に海外からの参加者が非常にそれに対して危惧を抱くということは御指摘のとおりだと思うのですね。
その場合に、では、対応のあり方として、そうした欠陥のある、リスクの存在を考慮しない制度をそのままにして、そういう制度のもとだと金融機関がつぶれては困るから金融機関を守るんだという対応をとるのか。それは全く旧来の護送船団行政を続けるということになってしまうことでありまして、私としましては、公述の中でも強調しましたように、まさに制度を現代的なものに改めて、金融機関の経営破綻があったとしても、それが社会的混乱につながらない形できちっと処理できるような体制、組織を整え、決済システムに関しましてもそうした制度整備を行うということこそが、危惧を、懸念を解消させる道ではないかというふうに考えておるわけです。
そして、実際、決済システム、日本の場合、代表的なものとして全国銀行システムというのがありますが、それに関しましても、徐々にではありますが、そうした金融機関の破綻があった場合でも、決済システム全体の混乱につながらないような制度整備が進められているわけです。
そうした動きをさらに強力に推し進めて、たとえ個別金融機関が破綻したとしても、そのことによって預金者に損害が及ばないし、決済システムも揺るがない、そういうふうな頑健な、現代的な制度整備を進めることこそが必要であって、そういう制度整備を怠って、金融機関がつぶれたら困るというふうな議論をするのは転倒しており、旧来の護送船団行政に立ち戻ることになってしまうのではないかというふうに考えておるわけであります。
この発言だけを見る →したがって、私が申したかったことは、銀行を救うという、銀行とは限りませんが、金融機関を救うということの結果として預金者を保護するという政策ではなくて、直接預金者を保護するというところに限って財政資金を使うべきであるという主張をしているわけであります。
そして、その決済システム等に関しましても、公述の際にも最後の方で申したわけですが、日本の金融制度は非常に古めかしくなっているわけです。そして、決済に関しての制度等に関しましても、従来の護送船団行政を前提としたような古臭い制度になっているわけです。つまり、銀行、金融機関はつぶれないという建前、前提のもとで、したがって、そうしたリスクに対する対処を全く考慮しないようなシステムになっているわけです。
そうしたシステムのままで金融機関の破綻があり得るということになりますと、全く制度がそういうことを考慮しないような、そういう意味で欠陥のある制度になっているわけですから、参加者、特に海外からの参加者が非常にそれに対して危惧を抱くということは御指摘のとおりだと思うのですね。
その場合に、では、対応のあり方として、そうした欠陥のある、リスクの存在を考慮しない制度をそのままにして、そういう制度のもとだと金融機関がつぶれては困るから金融機関を守るんだという対応をとるのか。それは全く旧来の護送船団行政を続けるということになってしまうことでありまして、私としましては、公述の中でも強調しましたように、まさに制度を現代的なものに改めて、金融機関の経営破綻があったとしても、それが社会的混乱につながらない形できちっと処理できるような体制、組織を整え、決済システムに関しましてもそうした制度整備を行うということこそが、危惧を、懸念を解消させる道ではないかというふうに考えておるわけです。
そして、実際、決済システム、日本の場合、代表的なものとして全国銀行システムというのがありますが、それに関しましても、徐々にではありますが、そうした金融機関の破綻があった場合でも、決済システム全体の混乱につながらないような制度整備が進められているわけです。
そうした動きをさらに強力に推し進めて、たとえ個別金融機関が破綻したとしても、そのことによって預金者に損害が及ばないし、決済システムも揺るがない、そういうふうな頑健な、現代的な制度整備を進めることこそが必要であって、そういう制度整備を怠って、金融機関がつぶれたら困るというふうな議論をするのは転倒しており、旧来の護送船団行政に立ち戻ることになってしまうのではないかというふうに考えておるわけであります。
栗
栗原博久#15
○栗原(博)委員 では、もう一度池尾公述人にお聞きしたいのでありますが、先生は、この国会がスキャンダルのみに関心を引き寄せられて重大な本質を忘れているのではなかろうか、大変それに対して危惧をしているというようなこともまた申されているようでありますが、その中で特に、危険の存在から目をそらしてはならない、この危機の深刻さをあからさまに国民に示すべきだということもその本の中でお書きになっておられます。
それでは先生にお聞きしたいのですが、特に都市銀行二十一行は自己管理能力の範囲にあるけれども、都市銀行以外の地域あるいは中小の金融機関は、ディスクロージャーもないかもしれないけれども、危機管理能力の範囲外にある懸念もあるというようなことをお話しされておりますね。
今回も、先般、実は昨年八月に兵庫銀行が破綻しました。みどり銀行として一生懸命やっておるわけですが、当時も大蔵省は、確かに六百億前後が実は不良債権だ、ところが、引き継いだら七千九百億近い不良債権があったということであるし、あるいはまた東京コスモも、東京都の最初の審査では二十四億程度のものが最後には二千四百億であった、このようになっているわけであります。
ですから私は、今約三十七、八兆円の我が国の不良債権、損失があると言われておりますが、先生はこの中で、地域の中小、二十一の都市銀行以外において、やはり中身には大変不明朗なそういう損失があるやにこの本の中でお書きになっているふうに私は、私の解釈が間違っているかもわかりませんが、受けるのですが、その点について、この損失分、我が国は三十七、八兆円と言われているけれども、それ以上にあるというふうに先生はお考えでございましょうか。どのように見ているかお聞きしたいと思うのです。
この発言だけを見る →それでは先生にお聞きしたいのですが、特に都市銀行二十一行は自己管理能力の範囲にあるけれども、都市銀行以外の地域あるいは中小の金融機関は、ディスクロージャーもないかもしれないけれども、危機管理能力の範囲外にある懸念もあるというようなことをお話しされておりますね。
今回も、先般、実は昨年八月に兵庫銀行が破綻しました。みどり銀行として一生懸命やっておるわけですが、当時も大蔵省は、確かに六百億前後が実は不良債権だ、ところが、引き継いだら七千九百億近い不良債権があったということであるし、あるいはまた東京コスモも、東京都の最初の審査では二十四億程度のものが最後には二千四百億であった、このようになっているわけであります。
ですから私は、今約三十七、八兆円の我が国の不良債権、損失があると言われておりますが、先生はこの中で、地域の中小、二十一の都市銀行以外において、やはり中身には大変不明朗なそういう損失があるやにこの本の中でお書きになっているふうに私は、私の解釈が間違っているかもわかりませんが、受けるのですが、その点について、この損失分、我が国は三十七、八兆円と言われているけれども、それ以上にあるというふうに先生はお考えでございましょうか。どのように見ているかお聞きしたいと思うのです。
池
池尾和人#16
○池尾公述人 まさにその点が非常に重要な問題であり、住専処理の対策のあり方を考える際にも、最も基本といいますか前提になるべき認識であるというふうに思うわけであります。したがって、公述の中でも最初に申し上げましたように、日本の不良債権問題の全体的規模を明確にするという努力をぜひお願いしたいというふうに思うわけです。
私は一介の大学の教師をしておりますので、その範囲で可能な限り情報を集めたりとか、人から話を聞いたりして、その感触では、日本の金融システムというのは思われている以上にさらにかなり大変な状況にあるのではないかという懸念を個人的には確かに抱いております。
しかしながら、その点に関して最も情報をよく持っているのは、銀行に対して直接立入検査を行っている大蔵省でありますし、考査を行っている日本銀行なわけであります。そうしますと、例えば大蔵省は確かに三十八兆円の不良債権ということを公表しておりますが、それとは別に、大蔵省の大臣官房の金融検査部は定期的に金融機関に対して検査に入っており、金融機関の資産を分類しているわけです。今回の住専に関しても出てきましたように、いわゆる第三分類、第四分類といったような不良債権についての認定を行っているわけです。
そうしますと、個々の金融機関について、第三分類の額が幾らある、第四分類の額が幾らあるというのをディスクローズするというのは信用秩序との関係で問題があると思われますが、しかしながら、銀行検査の結果、検査の対象となっている金融機関に関して、総額として第三分類の不良債権がどれだけあるのか、それから総額として第四分類の不良債権がどれだけあるのかということは公表を求めていい数字だというふうに思います。
それで、これは全く公表されていないのであくまでも風聞といいますかうわさとしてしか言えないわけですが、そうした第三分類、第四分類の額の単純な合計額は三十八兆円をはるかに上回るというふうなことがまことしやかに語られている、それがうわさとして語られているというのは非常におかしな事態だと思うのですね。それはまさにどうなのかという数字を明確にする、それを踏まえて住専というのを位置づける。
例えば、アメリカの調査機関が出しております百四十兆円という数字がもし本当だとしますと、住専はたった十分の一以下の問題でしかないということになってしまうわけです。その場合と、住専が大蔵省の公表の数字で三分の一のウエートを占める問題だというときでは、当然扱いは違ってしかるべきでありますので、国会で処理案を決められる過程で、その処理案の最も基本的な前提認識となる日本の不良債権の全体像ということの確認をぜひ行っていただきたい。私は個人的には非常に危惧しておりますので、ぜひやっていただきたいというのが私の要望であります。
この発言だけを見る →私は一介の大学の教師をしておりますので、その範囲で可能な限り情報を集めたりとか、人から話を聞いたりして、その感触では、日本の金融システムというのは思われている以上にさらにかなり大変な状況にあるのではないかという懸念を個人的には確かに抱いております。
しかしながら、その点に関して最も情報をよく持っているのは、銀行に対して直接立入検査を行っている大蔵省でありますし、考査を行っている日本銀行なわけであります。そうしますと、例えば大蔵省は確かに三十八兆円の不良債権ということを公表しておりますが、それとは別に、大蔵省の大臣官房の金融検査部は定期的に金融機関に対して検査に入っており、金融機関の資産を分類しているわけです。今回の住専に関しても出てきましたように、いわゆる第三分類、第四分類といったような不良債権についての認定を行っているわけです。
そうしますと、個々の金融機関について、第三分類の額が幾らある、第四分類の額が幾らあるというのをディスクローズするというのは信用秩序との関係で問題があると思われますが、しかしながら、銀行検査の結果、検査の対象となっている金融機関に関して、総額として第三分類の不良債権がどれだけあるのか、それから総額として第四分類の不良債権がどれだけあるのかということは公表を求めていい数字だというふうに思います。
それで、これは全く公表されていないのであくまでも風聞といいますかうわさとしてしか言えないわけですが、そうした第三分類、第四分類の額の単純な合計額は三十八兆円をはるかに上回るというふうなことがまことしやかに語られている、それがうわさとして語られているというのは非常におかしな事態だと思うのですね。それはまさにどうなのかという数字を明確にする、それを踏まえて住専というのを位置づける。
例えば、アメリカの調査機関が出しております百四十兆円という数字がもし本当だとしますと、住専はたった十分の一以下の問題でしかないということになってしまうわけです。その場合と、住専が大蔵省の公表の数字で三分の一のウエートを占める問題だというときでは、当然扱いは違ってしかるべきでありますので、国会で処理案を決められる過程で、その処理案の最も基本的な前提認識となる日本の不良債権の全体像ということの確認をぜひ行っていただきたい。私は個人的には非常に危惧しておりますので、ぜひやっていただきたいというのが私の要望であります。
栗
栗原博久#17
○栗原(博)委員 富田公述人にちょっと聞きたいのですが、先ほど冷戦構造の解消によって新しい金融秩序が求められているというようなお話を承りました。特にまた先生は、公的年金制度と貯蓄の問題とか、あるいはまた医療の、高齢者の問題について大変お詳しいと伺っておりますが、先ほどの先生のお話を賜りますと、お年寄りの貯蓄の率が、六十歳以上が一七・二%である、勤労者の、要するに働く世代が二三・九%であるように承りました。
我が国も一九七〇年代の前半には貯蓄率が三八・三%。徐々に落ち込んでまいっておるのですが、こういう中で、特に私どもの田舎に参りますと、郵便貯金とか農協の貯金とかに大変な信頼を寄せておったわけですね。お年寄りが貯金をして老後に備えようという中でこういう住専問題が起きますと、やはり老後に大変な不安も出てくる。特に預貯金の金利が下がっておりますから、公的な年金だけじゃなくてやはり利子収入によって生活していた高齢者の方々が将来に対して極めて不安感を抱いておるわけであります。
先生のいろいろな御高説を承りまして、国債発行によって将来にやはり負のものを残すべきでないというようなお話も承っております。先生はこういう中で健全財政を先ほどもお話で訴えておりますが、その中で、では、将来我が国の高齢社会における年金制度はどうあるべきか。働く者とそれからもらう者、事実今若い方々が、女性が一生のうちに産むのは一・五人でございますから、働く人はこれからどんどん少なくなっていく。それに対して国家財政上どのような政策をとるべきかということをひとつお聞きしたいと思うのであります。
この発言だけを見る →我が国も一九七〇年代の前半には貯蓄率が三八・三%。徐々に落ち込んでまいっておるのですが、こういう中で、特に私どもの田舎に参りますと、郵便貯金とか農協の貯金とかに大変な信頼を寄せておったわけですね。お年寄りが貯金をして老後に備えようという中でこういう住専問題が起きますと、やはり老後に大変な不安も出てくる。特に預貯金の金利が下がっておりますから、公的な年金だけじゃなくてやはり利子収入によって生活していた高齢者の方々が将来に対して極めて不安感を抱いておるわけであります。
先生のいろいろな御高説を承りまして、国債発行によって将来にやはり負のものを残すべきでないというようなお話も承っております。先生はこういう中で健全財政を先ほどもお話で訴えておりますが、その中で、では、将来我が国の高齢社会における年金制度はどうあるべきか。働く者とそれからもらう者、事実今若い方々が、女性が一生のうちに産むのは一・五人でございますから、働く人はこれからどんどん少なくなっていく。それに対して国家財政上どのような政策をとるべきかということをひとつお聞きしたいと思うのであります。
富
富田俊基#18
○富田公述人 今御指摘ございましたように、高齢化いたしますと、家計の貯蓄率は高齢世帯ほど低いわけですので、我が国全体としても貯蓄が減っていく。それで貯蓄率が低下する。そういう中で、今非常に金利が低いことがいろいろ影響を及ぼしているのではないかという御指摘であったかと思います。
まず考えるべきは、物価を一方で見ますと上がっていないという事実でございます。これこそが平和の配当であったかなというふうに私は思います。
先ほど申し上げましたが、冷戦の終えんが世界の産業構造を変えまして、そして安く良質なものをどんどん先進国が買えるようになった。我が国のみならず他の先進国でも物価は非常に下がってきております。これは、我が国がこれから高齢化を迎える上で非常にプラス材料であると私は思います。
問題は低金利だということなんですが、実は金利と物価を比べると、金利の方が三%も高い。長期の国債の金利と物価を比べた場合ですが、これはいわゆる実質金利と言われるものでございます。この実質金利が、国債が大量に出る前と最近を比べますと、最近の方がどこの国も高くなっているわけです。このことがやはり市場経済が送り出す財政膨張に対する危機のシグナルであるというふうに考えております。
そういう意味で、そういう中で年金制度も考えていく必要があるのではないかと思います。これまで保険料が非常に上がってきた。この年金制度、このままの制度を維持いたしますと、将来世代は、現在受益を受けております高齢者に比べまして世帯当たりで一千二百万円台の負担増加になるということを昨年の経済白書で言っております。したがって、これから、これまでどおりの年金制度が維持できるのかどうかということを検討しなければならないというふうに思います。
そういう意味で、冷戦構造の終えんと高齢化といったことが我が国の財政、年金制度のあり方に大きな影響を投げかけている。物価が下がっているわけですので、年金の物価スライドといったことも、十分に検討して実施しないと後年度に非常に大きな負担となって発生するという危険があると私は思います。
この発言だけを見る →まず考えるべきは、物価を一方で見ますと上がっていないという事実でございます。これこそが平和の配当であったかなというふうに私は思います。
先ほど申し上げましたが、冷戦の終えんが世界の産業構造を変えまして、そして安く良質なものをどんどん先進国が買えるようになった。我が国のみならず他の先進国でも物価は非常に下がってきております。これは、我が国がこれから高齢化を迎える上で非常にプラス材料であると私は思います。
問題は低金利だということなんですが、実は金利と物価を比べると、金利の方が三%も高い。長期の国債の金利と物価を比べた場合ですが、これはいわゆる実質金利と言われるものでございます。この実質金利が、国債が大量に出る前と最近を比べますと、最近の方がどこの国も高くなっているわけです。このことがやはり市場経済が送り出す財政膨張に対する危機のシグナルであるというふうに考えております。
そういう意味で、そういう中で年金制度も考えていく必要があるのではないかと思います。これまで保険料が非常に上がってきた。この年金制度、このままの制度を維持いたしますと、将来世代は、現在受益を受けております高齢者に比べまして世帯当たりで一千二百万円台の負担増加になるということを昨年の経済白書で言っております。したがって、これから、これまでどおりの年金制度が維持できるのかどうかということを検討しなければならないというふうに思います。
そういう意味で、冷戦構造の終えんと高齢化といったことが我が国の財政、年金制度のあり方に大きな影響を投げかけている。物価が下がっているわけですので、年金の物価スライドといったことも、十分に検討して実施しないと後年度に非常に大きな負担となって発生するという危険があると私は思います。
栗
上
前
前田武志#21
○前田委員 きょうは、先ほど来、池尾先生、富田先生、野田先生の御高説を拝聴しておりまして、この委員会でずっと審議を続けてきたわけですが、私どもが審議していたことをそれぞれ深い学理に基づいて体系づけて御講義をいただいたような感じがいたします。そういった意味では非常に勉強させていただいたと思うのです。
池尾先生におかれましては、この不良債権問題というのは住専問題だけではとどまらない、もっとこの全体像を明らかにして、そしてその全体像の中で日本の金融システム、不良債権問題をどう解決していくのか、金融システムをどう再構築していくのか。しかし、そのベースには政治の大きな責任があって、将来方向をきっちり指し示し、そしてこの一億二千万の国民の皆様方の、ここまで日本の民族、国家が発展してきたベースにある倫理観といいますか、そういった信頼感というものをどうつないでいくか、それが大きな責任なんだろうというふうに受けとめた次第でございます。
また、富田先生には、「財政の中期展望」等にのっとって、冷戦崩壊後の大きな市場の動き、まあグローバリゼーションと申しますか、それと情報化というものも私は非常に大きいだろうと思うのですが、私も年来これを主張しているわけですが、そういった大きな市場の変化、そういった中でこの住専問題というものも位置づけをしていかにゃいかぬのかなということをつくづく感じた次第でございます。
また、野田先生におかれましては、住専の設立経緯からいかにその母体行がかかわってきたか、そういったことを簡潔にまとめていただいて、今さらながら母体行の責任の重さということを認識した次第であります。
まず、池尾先生にお聞きするわけでございますが、私もこの委員会において何度か質疑をさせていただいて、不良債権問題、その全体像というものを把握したかったわけなんですが、これがなかなか明らかになっておりません。大蔵省に聞いたところ、三十七兆八千億円だったですか、約三十八兆円もの積算が出てきただけでございまして、そのほかいろいろな不良債権というものがあるわけでございまして、先生が御指摘の、アメリカの委員会で指摘された百四十兆、これはまあダブりがあるということらしいので、その間に何かがあるわけでございましょう。実態はどの程度なのか、その辺について先生独自の御見解がおありだろうと思うのですね。その不良債権というものの全体像、一般の金融機関、しかもその先は、実体経済としては、優良な住宅開発をしようとしていたところもあったでしょうし、大きな町の開発をやろうとしていたところもあったでしょう。我々、選挙区に帰ればそういった実例はもう本当に枚挙にいとまがないわけですね。
やっとすばらしい町の整備が始まると思っていたところ、バブルがはじけたというだけでこれがもう塩漬けになってしまって、今やもうこれは無理だということになってしまう。しかし片一方で、我々の地元の方々も一生懸命働いて、世界の一流経済国、経済大国だと言われて、皆さん方も最近はよく海外にいろいろな機会に出ておられますが、日本よりはるかに国民所得の低い国々が、風格のある、落ちついた、それぞれの地域のすばらしいその特徴を持った町で過ごしておられる、それに比べて我々のこの地域は一体どういうことだというふうな矛盾も感じておられるのですね。それはまさしく、私は、せんじ詰めていくと政治の責任であろう、こういうふうにも思うわけでございます。
前置きがいささか長くなったのですが、まずは不良債権の実態、どういうような構造になっているのかということも含めて、量的にはなかなか難しかろうと思いますので、定性的に、そういう構造がどういうふうになっているのか。大体どういうところにどんなぐあいになっているのか、しかもそれが固定的なものであるのか、あるいは経済の動向によってこれがますますふえたり、あるいはうまくいけば意外と減っていくものであるのか、その辺のことも含めて、先生の御見解をお聞きいたします。
この発言だけを見る →池尾先生におかれましては、この不良債権問題というのは住専問題だけではとどまらない、もっとこの全体像を明らかにして、そしてその全体像の中で日本の金融システム、不良債権問題をどう解決していくのか、金融システムをどう再構築していくのか。しかし、そのベースには政治の大きな責任があって、将来方向をきっちり指し示し、そしてこの一億二千万の国民の皆様方の、ここまで日本の民族、国家が発展してきたベースにある倫理観といいますか、そういった信頼感というものをどうつないでいくか、それが大きな責任なんだろうというふうに受けとめた次第でございます。
また、富田先生には、「財政の中期展望」等にのっとって、冷戦崩壊後の大きな市場の動き、まあグローバリゼーションと申しますか、それと情報化というものも私は非常に大きいだろうと思うのですが、私も年来これを主張しているわけですが、そういった大きな市場の変化、そういった中でこの住専問題というものも位置づけをしていかにゃいかぬのかなということをつくづく感じた次第でございます。
また、野田先生におかれましては、住専の設立経緯からいかにその母体行がかかわってきたか、そういったことを簡潔にまとめていただいて、今さらながら母体行の責任の重さということを認識した次第であります。
まず、池尾先生にお聞きするわけでございますが、私もこの委員会において何度か質疑をさせていただいて、不良債権問題、その全体像というものを把握したかったわけなんですが、これがなかなか明らかになっておりません。大蔵省に聞いたところ、三十七兆八千億円だったですか、約三十八兆円もの積算が出てきただけでございまして、そのほかいろいろな不良債権というものがあるわけでございまして、先生が御指摘の、アメリカの委員会で指摘された百四十兆、これはまあダブりがあるということらしいので、その間に何かがあるわけでございましょう。実態はどの程度なのか、その辺について先生独自の御見解がおありだろうと思うのですね。その不良債権というものの全体像、一般の金融機関、しかもその先は、実体経済としては、優良な住宅開発をしようとしていたところもあったでしょうし、大きな町の開発をやろうとしていたところもあったでしょう。我々、選挙区に帰ればそういった実例はもう本当に枚挙にいとまがないわけですね。
やっとすばらしい町の整備が始まると思っていたところ、バブルがはじけたというだけでこれがもう塩漬けになってしまって、今やもうこれは無理だということになってしまう。しかし片一方で、我々の地元の方々も一生懸命働いて、世界の一流経済国、経済大国だと言われて、皆さん方も最近はよく海外にいろいろな機会に出ておられますが、日本よりはるかに国民所得の低い国々が、風格のある、落ちついた、それぞれの地域のすばらしいその特徴を持った町で過ごしておられる、それに比べて我々のこの地域は一体どういうことだというふうな矛盾も感じておられるのですね。それはまさしく、私は、せんじ詰めていくと政治の責任であろう、こういうふうにも思うわけでございます。
前置きがいささか長くなったのですが、まずは不良債権の実態、どういうような構造になっているのかということも含めて、量的にはなかなか難しかろうと思いますので、定性的に、そういう構造がどういうふうになっているのか。大体どういうところにどんなぐあいになっているのか、しかもそれが固定的なものであるのか、あるいは経済の動向によってこれがますますふえたり、あるいはうまくいけば意外と減っていくものであるのか、その辺のことも含めて、先生の御見解をお聞きいたします。
池
池尾和人#22
○池尾公述人 今前田先生の御質問の中にもありましたように、数字的なことについては、大学の研究者という立場で誠実に言うとすれば、これはわからないとしか言いようがなく、責任を持った発言はできません。それ以上の特別な数字等が私に入手できるわけではありませんので、数字的には大蔵省が公表している以上の情報を持っているわけではありませんので、それ以上のことは責任を持っては発言できません。
ただし、私は、不良債権問題への取り組みというのは、ある意味で危機管理だというふうに思っておりまして、マクロ的な危機管理政策であるというふうに位置づけるべきだというふうに考えております。
そうしますと、その不良債権問題に対する対策が危機管理であるとしますと、危機管理のABCといいますか、もう改めて言うまでもないことですが、危機管理のその第一の基本原則として、最悪の事態を想定して行動するということが必要だというふうになるかと思います。
危機管理を行うに際して、楽観的な展望に立ってそれを行うというのは最悪の対応であるということでありまして、不良債権問題に関しても、大蔵省が公表している三十八兆円余りの数字をそのまま前提にして対応を考えるというのは、危機管理としてはやはり不十分であろう。危機管理としては、より深刻な事態を想定した上で対策、制度整備を進めるべきではないか。その結果思っていたよりも実際の不良債権問題が深刻でなければ、それは結果としてよかったということであって、最初から良好な事態を予定して、例えば経済動向に関しましても資産価格の動きに関しましても、資産価格は上がるんだとか、景気はこれから絶対によくなるんだとかいうふうな都合のいい経済のシナリオを前提にして対策を考えるということは、危機管理としてはやってはいけないことである。そういう意味で、公表されている数字よりも事態が数倍深刻であったとしても、それに対応できるだけの制度というものをつくっていくということが必要ではないかというふうに私は考えております。
その際に、繰り返しになりますが、日本の金融制度は本当に、グローバルスタンダードから見ますと古臭い、時代おくれの制度になっているということであります。それは、細々としたところから全体の制度の骨格についても共通して言えることでありまして、それを現代的なものに直していくということを不良債権問題の処理とあわせて進めていくのが本当の意味での根本的な対策ではないのだろうかというのが私の考えであります。
この発言だけを見る →ただし、私は、不良債権問題への取り組みというのは、ある意味で危機管理だというふうに思っておりまして、マクロ的な危機管理政策であるというふうに位置づけるべきだというふうに考えております。
そうしますと、その不良債権問題に対する対策が危機管理であるとしますと、危機管理のABCといいますか、もう改めて言うまでもないことですが、危機管理のその第一の基本原則として、最悪の事態を想定して行動するということが必要だというふうになるかと思います。
危機管理を行うに際して、楽観的な展望に立ってそれを行うというのは最悪の対応であるということでありまして、不良債権問題に関しても、大蔵省が公表している三十八兆円余りの数字をそのまま前提にして対応を考えるというのは、危機管理としてはやはり不十分であろう。危機管理としては、より深刻な事態を想定した上で対策、制度整備を進めるべきではないか。その結果思っていたよりも実際の不良債権問題が深刻でなければ、それは結果としてよかったということであって、最初から良好な事態を予定して、例えば経済動向に関しましても資産価格の動きに関しましても、資産価格は上がるんだとか、景気はこれから絶対によくなるんだとかいうふうな都合のいい経済のシナリオを前提にして対策を考えるということは、危機管理としてはやってはいけないことである。そういう意味で、公表されている数字よりも事態が数倍深刻であったとしても、それに対応できるだけの制度というものをつくっていくということが必要ではないかというふうに私は考えております。
その際に、繰り返しになりますが、日本の金融制度は本当に、グローバルスタンダードから見ますと古臭い、時代おくれの制度になっているということであります。それは、細々としたところから全体の制度の骨格についても共通して言えることでありまして、それを現代的なものに直していくということを不良債権問題の処理とあわせて進めていくのが本当の意味での根本的な対策ではないのだろうかというのが私の考えであります。
前
前田武志#23
○前田委員 同様のことなんですが、富田先生は、たしか野村総研ということで、随分といろいろな資料、データを集めておられる立場にあると思うのですが、同じように、不良債権問題の全体像について先生の御見解をお聞きしたいと思います。
この発言だけを見る →富
富田俊基#24
○富田公述人 内部ではさまざまな議論をし、資料を集めたりもしておりますが、それぞれ意見がばらばらであります。
そういう意味におきまして、どれが幾らかということはなかなか特定できないのが現状でございます。
この発言だけを見る →そういう意味におきまして、どれが幾らかということはなかなか特定できないのが現状でございます。
前
野
野田正穂#26
○野田公述人 日本の過去の歴史を振り返ってみますと、非常に多くの銀行が破綻をしております。それぞれ破綻の原因がございますが、現在問題になっている不良債権問題について言いますと、やはり一九八〇年代後半のバブルのときに、金融機関が、本来持つべきモラルと節度から逸脱しまして、投機的な土地取引に深く関与したということがこの不良債権問題の一番根底にあるのではないかというふうに考えております。先ほど別の委員の御質問にありましたように、私は母体行責任を少し強調し過ぎた面もありますが、大蔵省の責任も極めて大きいというふうに思います。
それで、九〇年の十月に行われました金融学会におきましても、「資産価格変動と金融政策」という共通論題のテーマで討論が行われましたけれども、地方銀行と大蔵省と日本銀行、それから上智大学に属する報告者がこの問題について報告しておりますが、大蔵省の銀行局の担当官が、大変私も重要な発言だというふうに思うのですが、実は、大蔵省は早くから金融機関の間で「投機的土地取引の助長等の社会的批判を招かないよう配慮する」、こういう局長通達を出しておりました。これは八六年であります。
その後、九〇年までに三回も同じような局長通達を出しているのですが、九〇年の時点で、この大蔵省の担当官は、「現時点から見てみると、結果的にはこれらの通達が守られていなかったケースもあり、当局としては遺憾に思っている。」三年も四年もたってから、「守られていなかった」。そういうような守られないような通達なら出さない方がいいし、通達を出した以上は守らせるというのが大蔵省の責任ではないかというふうに思います。
特に、大蔵省は、銀行法に基づいて大変強力な、強大な権限を持っております。検査、調査、勧告、命令、場合によっては認可を取り消すとか業務を停止するとか、そういう処分の権限も持っているわけですから、そういう意味で、大蔵省としては当然、通達を出すだけではなくて、それを守らせるような努力をすべきであったというふうに思います。それが結局なされないために、バブルが一層ひどくなり、現在のような不良債権問題を引き起こしたというふうに考えております。銀行の責任ももちろんですが、同時に大蔵省の責任も大きいというふうに考えております。
この発言だけを見る →それで、九〇年の十月に行われました金融学会におきましても、「資産価格変動と金融政策」という共通論題のテーマで討論が行われましたけれども、地方銀行と大蔵省と日本銀行、それから上智大学に属する報告者がこの問題について報告しておりますが、大蔵省の銀行局の担当官が、大変私も重要な発言だというふうに思うのですが、実は、大蔵省は早くから金融機関の間で「投機的土地取引の助長等の社会的批判を招かないよう配慮する」、こういう局長通達を出しておりました。これは八六年であります。
その後、九〇年までに三回も同じような局長通達を出しているのですが、九〇年の時点で、この大蔵省の担当官は、「現時点から見てみると、結果的にはこれらの通達が守られていなかったケースもあり、当局としては遺憾に思っている。」三年も四年もたってから、「守られていなかった」。そういうような守られないような通達なら出さない方がいいし、通達を出した以上は守らせるというのが大蔵省の責任ではないかというふうに思います。
特に、大蔵省は、銀行法に基づいて大変強力な、強大な権限を持っております。検査、調査、勧告、命令、場合によっては認可を取り消すとか業務を停止するとか、そういう処分の権限も持っているわけですから、そういう意味で、大蔵省としては当然、通達を出すだけではなくて、それを守らせるような努力をすべきであったというふうに思います。それが結局なされないために、バブルが一層ひどくなり、現在のような不良債権問題を引き起こしたというふうに考えております。銀行の責任ももちろんですが、同時に大蔵省の責任も大きいというふうに考えております。
前
前田武志#27
○前田委員 今先生方からの御指摘を聞いておりますと、全く大蔵省の公式発言以外はわからないというようなことなんですね。結局は、情報がほとんど開示されてない、そういう実情の中で、全体像をわからぬままにこの国会が議論をしているのですよ。
だから、与党にも責任があるのですけれども、どうも、聞いていると、理事会なんかでなかなか出させない。そういうような中で、国民が本当にこの委員会で議論されていることに透明性と信頼性を持って見てくれているのか、その辺が疑問なんですね。
だから、これは委員長にも、私は、資料提出等については、これはやはりよほど積極的に指導をしていただかなきゃいかぬ、こう思います。
さて、そんなことを前提に考えますと、やはりこれは、大蔵省のスタンスといいますか、行政のそういったことを指導できなかった政治にも大きな責任があるということを痛切に感じるわけなんですが、先ほど富田先生が、きのうの大場公述人の話にもありました、ジャパン・プレミアムがかなり解消されたというようなことを言っていましたが、それはあくまでも日本政府として世界の市場に対し、グローバルになった、一体化した市場、金融市場が中心なんでしょうが、そういったところに対して、断固不退転の決意でこの金融危機の問題は処理するぞというメッセージを出せば、それでよかったんだろうと思うのですね。
私は、一年前の決算委員会の総括質疑でも、ちょうど政府が緊急経済対策を発表する直前だったものですから、質問に立って、実は政府の景気対策等を質疑したのです。要は、政府として断固たる態度で世界に対して、心配するな、日本は持てる総力を結集してこの危機に対して対応するんだというメッセージが届くようにしてくれということを言ったのです。
例えば、例としては金利を下げる、公定歩合を下げる、あるいは、当時この不良債権問題というのは土地の問題が実質経済として全部裏にあるということがわかっていたから、地価税は凍結するだとかということを世界に対して言うだけで大分違いますよということを言ったのですが、政治としてはようやらなかった、時の大蔵大臣も総理大臣も。結局、何を言っているかわからぬような、今までの延長線上の景気対策しか出せなかったということがあるのですね。
そういったことも考えますと、今の公的資金の投入ということについては、何も税金で六千八百五十億をどうこうしなければ世界のマーケットに届かないとかいうことじゃないんだろうと思うのですね。やはり全体像を明らかにして、責任も明らかにして、そして抜本的な対策、池尾先生がおっしゃるような金融機関全体に対する対応策というものをこれから敏速に打っていく。その間もしも資金的にショートするようなところについては、それこそ日銀特融であってもいいし、無利子融資であってもいいし、そういったいわゆる公的なもので、税金ではなしにそういったものできちっと対応するんだ。全体としては、断固これは処理するんだということさえメッセージとして出せば、私はそちらの方がもっと効果があったと思うのですが、富田先生、いかがですか。
この発言だけを見る →だから、与党にも責任があるのですけれども、どうも、聞いていると、理事会なんかでなかなか出させない。そういうような中で、国民が本当にこの委員会で議論されていることに透明性と信頼性を持って見てくれているのか、その辺が疑問なんですね。
だから、これは委員長にも、私は、資料提出等については、これはやはりよほど積極的に指導をしていただかなきゃいかぬ、こう思います。
さて、そんなことを前提に考えますと、やはりこれは、大蔵省のスタンスといいますか、行政のそういったことを指導できなかった政治にも大きな責任があるということを痛切に感じるわけなんですが、先ほど富田先生が、きのうの大場公述人の話にもありました、ジャパン・プレミアムがかなり解消されたというようなことを言っていましたが、それはあくまでも日本政府として世界の市場に対し、グローバルになった、一体化した市場、金融市場が中心なんでしょうが、そういったところに対して、断固不退転の決意でこの金融危機の問題は処理するぞというメッセージを出せば、それでよかったんだろうと思うのですね。
私は、一年前の決算委員会の総括質疑でも、ちょうど政府が緊急経済対策を発表する直前だったものですから、質問に立って、実は政府の景気対策等を質疑したのです。要は、政府として断固たる態度で世界に対して、心配するな、日本は持てる総力を結集してこの危機に対して対応するんだというメッセージが届くようにしてくれということを言ったのです。
例えば、例としては金利を下げる、公定歩合を下げる、あるいは、当時この不良債権問題というのは土地の問題が実質経済として全部裏にあるということがわかっていたから、地価税は凍結するだとかということを世界に対して言うだけで大分違いますよということを言ったのですが、政治としてはようやらなかった、時の大蔵大臣も総理大臣も。結局、何を言っているかわからぬような、今までの延長線上の景気対策しか出せなかったということがあるのですね。
そういったことも考えますと、今の公的資金の投入ということについては、何も税金で六千八百五十億をどうこうしなければ世界のマーケットに届かないとかいうことじゃないんだろうと思うのですね。やはり全体像を明らかにして、責任も明らかにして、そして抜本的な対策、池尾先生がおっしゃるような金融機関全体に対する対応策というものをこれから敏速に打っていく。その間もしも資金的にショートするようなところについては、それこそ日銀特融であってもいいし、無利子融資であってもいいし、そういったいわゆる公的なもので、税金ではなしにそういったものできちっと対応するんだ。全体としては、断固これは処理するんだということさえメッセージとして出せば、私はそちらの方がもっと効果があったと思うのですが、富田先生、いかがですか。
富
富田俊基#28
○富田公述人 先ほど、市場経済の送り出すシグナルということを、私そういう表現で申し上げたのですが、例えば為替市場への介入も、あれは口先介入だけじゃないかというふうなことでありますと、これは効果がないわけです。これだけ世界じゅうの注目を集めているということは、何らかの形でフィックスされた、きちんとした、口先だけじゃなしにフィックスされた形でないと市場は信用しないということがあると思うのです。
その意味で、これ、危機がこれだけで終わるかどうかというのはまた別の問題といたしまして、そう望みたいわけでございますけれども、今回はそれによってジャパン・プレミアムが縮小に向かったということは、市場の評価として受けとめる必要はあるというふうに私は思います。
この発言だけを見る →その意味で、これ、危機がこれだけで終わるかどうかというのはまた別の問題といたしまして、そう望みたいわけでございますけれども、今回はそれによってジャパン・プレミアムが縮小に向かったということは、市場の評価として受けとめる必要はあるというふうに私は思います。
前
前田武志#29
○前田委員 それで、富田先生、今のお答えで、私もそのとおりだと思うのですね。ただ、スキームとして税金でなければならないということはないと思うのですよ。
要するに、公的資金を用意してでも、そして、それは明らかになってくるにつれてどれだけの量になるかというのはまだ確定するようなものではないだろうと思うのですね。だから、政府としては、最終的には公的資金もつぎ込んででも断固対応するのだということでよかったのではないか。要するに、税金でなくても、公的資金で政府がちゃんと始末をするということでよかったのではないか、こうお聞きしているわけです。同じ効果があったのではないのか。
この発言だけを見る →要するに、公的資金を用意してでも、そして、それは明らかになってくるにつれてどれだけの量になるかというのはまだ確定するようなものではないだろうと思うのですね。だから、政府としては、最終的には公的資金もつぎ込んででも断固対応するのだということでよかったのではないか。要するに、税金でなくても、公的資金で政府がちゃんと始末をするということでよかったのではないか、こうお聞きしているわけです。同じ効果があったのではないのか。