岡利定の発言 (決算委員会)
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○岡利定君 現行法のお立場でお答えになるとそういうことになると思いますが、いずれにしましても行政監察との関係なんかもやはりあると思いますが、会計検査院の検査そのもののあり方が、もっと国民の期待するような面にも及んでいいんじゃないかと思いますので、どこまで検査院が、そんな全部万能になって行政をチェックするというような立場に立つのもいかがと思いますけれども、応用問題としてやっているということだけじゃなくて、やはり基本的には予算のむだ遣いではないかとか、あるいはもう意味がないんではないかというのを検査の中でいろいろ感じられている人が多いんではないかと思いますので、そういうものをずばっと出せるような法的な根拠を与えてあげた方がいいのかなというようなことも思います。
いずれにしましても、これは五十年に一回ぐらいはせめて見直したらどうかという一つの提案でございますので、採用に値するとすればまた御検討いただけたらと思います。
平成六年度の決算の関係、時間がございませんが、ざっとお聞きしたいと思います。
平成六年度というのを見てみますと、本当に内外ともに大変な年だったんだなと思います。特に日本の状況というのは異常といいますか、尋常でないような事件、事態、災害なんというのがいっぱい起こりました。
政治の面でも、もう皆様御存じのとおり内閣だけでも三つかわっておりまして、細川内閣、羽田内閣、村山内閣というようにかわっております。また、景気の方も、経済企画庁の月例報告におきまして、一たん緩やかながら回復の方向に向かっておるというような事実上の景気回復宣言を行いましたけれども、年度後半に入って設備投資の低迷とか急速な円高の進行で景気が減速し、株価が下がる、また土地も一段と安くなるといったようなことで、世の中にはリストラ、価格破壊、経済の空洞化といったような言葉が飛び回っております。日本経済の変質と発展の限界を感じるというような意見も、いっぱいこの当時出ておりました。
自然の面でも、平成五年は大変な冷夏で、米がないといって平成六年の二月ごろには大騒ぎがありましたが、一転して夏には猛暑ということで、西日本を中心としてもう大変な水不足の事態が出るとかというような極端な変化がございました。さらに、戦後最大の惨事をもたらした阪神・淡路大震災が一月十七日に起こっております。
社会的な事件におきましても、いじめによる自殺事件というのがいろいろと明らかになってくるような年でありましたし、また、銃による殺人というのが、単に暴力団の抗争だけじゃなくて市民社会の中でも発生するというような治安の問題も発生してきております。そのきわめつきなのは、いわゆる松本サリン事件あるいは地下鉄サリン事件ということに代表される、もう想像もできなかったようなオウム事件でございます。これも六年度に起こっております。
これら一つ一つを見てみましても、決して偶発的とか一過性のものというよりは、むしろ今までの日本が歩んできた道の中でたまってきたうみが一挙に噴き出したというようなものとか、あるいは制度疲労的なものがあらわれて現状に合わなくなった、あるいは大きな流れが変わってきて日本にも大きな影響を与えてきておるというような、そういうことの中であらわれた現象ではないか。そして、それらの現象というのは、今日なおその状態がずっと引き続いて起こっておるということだろうと思います。
そういう意味で、この平成六年度のいろんな起こったことを反省するといいますか分析する、あるいはそれと予算がどのように使われてどういう効果があったのかということは、単にこうしてあったらこうなったであろうというような、たら話的なものだけじゃなくて、今後の大変大事な教訓を含んでおるんじゃないかなと思っております。そういう意味から、毎年度の決算審査というのは大変重要でありますけれども、特に平成六年度のこの審査というのは、本当に今日、これから将来のいろんな政策に反映すべき教訓を持っておる年度の審査であるということを強く自覚しながら行わなければならないかなと思っておるところでございます。
そういう意味から見まして、まず、平成六年度の財政運営についての全体的な評価について大蔵大臣にお伺いいたしたいと思います。
平成六年度予算というのは、これもまたそういうものを反映しまして大変変則的な形でつくられたんだなと思います。何しろ、十二月には予算編成より政治改革が大事だということで予算編成自体が年越えをしてしまいました。そして、二月の下旬になってやっと政府原案がつくられる。そして、それまでは細川内閣でやられたわけでありますけれども、予算審議はその次の羽田内閣で行われて、執行は村山内閣でやられるというようなことで、三代の内閣がそれぞれ分担してやったようなつくり方になっております。しかも、その予算が成立したのは六月下旬ということで、大変おくれております。さらに、平成七年二月に補正予算が一次、二次と組まれましたが、いわばそういう面でも大変異常な年であったんじゃないかなと思います。
平成六年度の財政運営について、まず大蔵大臣から全体的な評価をお伺いいたしたいと思います。