中北徹の発言 (行政改革に関する特別委員会)

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○中北参考人 本日、このような高いお席にお招きいただきまして、大変光栄かつ感謝をする次第であります。
 金融監督庁の権限及び機能、組織形態について論議いたしますことは、今般の行政改革の方向について論ずることと等しいわけでありますが、それにもとどまらず、首相らが提唱する二〇〇一年ビッグバンのインフラについても論ずることになるかと思います。
 戦後五十年、奇跡とも言える戦後の復興、高度成長を裏方として支えてきた行政のそのまた中心の役割を果たしてきた役所が大蔵省であったということは、だれもが認めることだと思います。財政と金融は一体とする主張は、高度成長期に大蔵省が、一国の経済政策は全体として調和している必要があり、そのためには単一の主体、すなわち大蔵大臣が財政・金融政策の両方を決めた方がよいと一貫して述べてきたことから生じております。
 確かに、大蔵省が財政投融資を含む予算と金利決定権を、右手と左手を同時に持つことにより、予算の大盤振る舞いが可能であったし、また、低金利政策により、それが景気を刺激し、経済を浮揚させ、拡大させることも可能であったわけであります。財政政策と金融政策の調和は、いわゆるポリシーミックスとして機能し、経済を持続的に発展させることにあずかったと言えます。
 しかし、資金過剰の局面に入った一九七〇年代末期から、既に日本は、それまでの高度成長型経済の手法から市場メカニズムに即した先進国型経済への移行を求められておりました。集中豪雨のごとき輸出が主導する経済成長の結果、累積した巨大な貿易黒字が皮肉にも日本の市場開放を促したのであります。
 八五年のプラザ合意以降、日本は円高を容認し、閉ざされていた日本市場をあけ、規制緩和による内需主導の経済へと転換しました。それは当然のことでありましたが、急激な円高のあおりを受けた輸出企業を中心に円高不況対策の声が強まり、その対応が超低金利政策となり、長期にわたる緩和はバブルを生んだのであります。
 同時並行的に進めていた金融の自由化は質的な転換を求められていたはずでありましたが、従来からの業界の利害の調整と大蔵省による金融業界への大幅な介入による我が国金融市場の不透明とにより、自由化は不徹底にならざるを得ず、バブルの崩壊後には、銀行業の質的転換ではなくして、土地、株式に貸し付けた債務が膨大な不良債権の山を築くことになったのであります。
 この反省が、金融と財政政策の分離であり、日銀法改正による日銀の行政府からの独立となり、金融政策を担う必要のなくなった大蔵省から金融行政を引き離し、かねて業者行政を行い裁量行政の温床ともなったと思われる金融機関への検査を独立させ、引き離す今回の政策へとつながっていったのであります。
 以上の反省を忘れて大蔵省の改革及び金融監督庁について議論をしたのでは何のためにもなりません。何の改革でありましょうか。
 世界の趨勢は、金融政策と財政政策を切り離すことにより財政自身の規律を確保する方向にあります。財政のファイナンスも市場を通じて行うことにより、市場メカニズムの規律を受けるわけであります。
 日銀法改正に関連して一言申し述べれば、日銀の政府からの独立は、政府の銀行としての機能を一部放棄しようとするものであります。なぜならば、政府の銀行と発券銀行としての日銀、すなわち通貨量を決め、金融政策の主体としての中央銀行、これら二つの機能は利害相反する業務であり、分離する方が理にかなっているからでございます。歴史的にこの二つの機能が共存して中央銀行にあったのは、単にその方が便利であったからにすぎません。本来は、国債管理政策の企画部門だけを財政当局が行い、実際のオペレーション、すなわち入札、決済などは民間の機構にアウトソーシングすれば済むはずのものでございます。そして、この金融市場は開かれた、かつ公正なルールにより運営されることが今や求められております。
 中央銀行の業務の中にあって利益相反を生みかねない業務は、中央銀行の本分に照らして見直し、政府に返還するのがよいのであります。FBなど政府短期証券の引き受けは言わずもがな、現在の大蔵省の下請として行っている国債の入札事務、発行された国債の決済業務、国庫収入の出納業務、政府資金繰りの管理などはすべて大蔵省に大政奉還し、大蔵省はこれらの業務を民間に委託すればよい。ビジネスとすれば透明度も高め、国債入札時にあの儀式張った集まりなど持つ必要もなくなるわけであります。
 財政と金融の分離に関して述べれば、さらに注意を促したいことが一点ございます。
 財政と金融の分離といった場合、当然、財政政策と金融政策、すなわちマネタリーポリシーの分離を通常意味します。しかし、金融はイコール金融政策ではございません。金融政策の分離は、金融政策に対して大蔵省が口出しをし、それをほしいままにするということができないことは今や明らかでありますが、財政当局が金融行政、すなわちフィナンシャルレギュレーションを行う必然性がないこともまた明らかにしなければなりません。
 既に申し述べましたとおり、財政と金融が一体であったのは、歴史的に、一国の財政運営上、利害相反という概念が生じないほど未分化のまま有効に機能してきたからであります。しかし、今日のように財政赤字が膨れ上がっている状況のもとで、そして他方、金融市場が厚みを増している中にあって、さらに金融と財政が癒着を深めることは国家基盤をさえ危うくするものであります。財政当局である大蔵省は財政運営のみに力を注ぐべきであって、財政運営もまた市場の原理に従うという意味において金融市場を分析する部署が万が一必要だというのであれば理解できるわけでありますが、それが業者である金融機関の監督や規制に短絡するというのでは筋が通らない話であります。
 さらに、金融機関の破綻に関して公的資金を導入する意味で、両者は密接な関連を持つがごとき論議がございますが、これこそ財政と金融の利害相反にほかならず、財政を投入するに当たって厳しいチェック機能が働くように守るべきだからこそ、相互に自立し、機関として分離されているべきであります。
 限られた時間の中でもう一言申し述べさせていただきます。
 今回、金融監督庁を総理府のもとに置き、独立した検査監督権限を持つ外局を新設することになったわけであります。財政当局からの金融の分離を実効あらしめるためには、その目的を明確にする必要がございます。単に分離し、場所を変えればよいというのでは全く意味がございません。
 金融監督庁の設立の目的とするところは、日本の金融市場を内外にわたって開かれた透明度の高いものにし、公正なルールを確立することにより、我が国金融市場に対する内外からの信頼をかち得ることにございます。
 多発する金融犯罪及びその萌芽としてのいかがわしき行為が万が一あるのであれば、これに機動的に対処できる査察、告発権限を持つ監視機構をつくることであり、また、不正が生じた場合には迅速かつ厳格な対応をすることでございます。こうしたインフラなくして金融市場のルールや透明性を守ることは不可能であります。ビッグバンの理念であるフリー、フェア、グローバルな市場とは一体何によって担保されるのでございましょうか。
 旧来の財政当局による一元的な、社会政策的な金融行政から市場型規律への移行を実現するためには、何が必要なのだろうか。マーケットの参加者、すなわちプレーヤーの自覚が必要であることは言うまでもありません。プレーヤー、参加者にディスクロージャーの義務があることも当然でございます。しかし、もしや不心得者がいて、マーケットの規律を乱しアンフェアな行為をしたとして、それにだれがどう対処するか、これこそが問題であるわけであります。
 これまでは免許行政で、行政側にその責任の一端があり、何か事が起きれば行政に改善の術と方策とを与え、許認可権を盾に行政が業者を処分し、結果として規制を強めるというやり方であったわけであります。しかし、これぞまさに業者行政であり、そこには裁量が横たわり、不明朗な癒着も起き得るわけであります。それは住専問題や金融機関の破綻によって証明されたところであります。
 行政側は時にディスクロージャーさえ抑制し、マーケットの規律や透明性に反する行為さえ行う。バブル崩壊後、即座に不良債権の処理が進まなかったのは一体なぜか。不良債権の存在さえ明らかにさせなかった行政側に責任の半ばはあると言わざるを得ません。
 では、この教訓を踏まえ、新設される金融監督庁はいかなる任務と目的を持つべきなのか。
 既に申し述べましたとおり、二〇〇一年のビッグバン完了までに、この金融監督庁を実効ある機構として、金融機関の検査、証券取引法に明記される市場参加者、すなわち企業、仲介業者、投資家、これら参加者の違法行為の摘発とそれに対するペナルティーや多様な排除措置などの処分権限を与えること、市場で資金調達を図るものへのディスクローズの義務の徹底、企業ファイナンスの申請の受理、会計基準の見直し等々を行うことであります。
 そのためにも、現在まだ大蔵省に残っている証券局企業財務課の機能をこの金融監督庁に移し、公認会計士や税理士、弁護士などの専門家を多く登用し、民間の専門家集団に委託するなどして、膨大な情報量の解析や分析に充てる。この機能は、検査監視を実効あるものとする上で不可欠の機能でございます。
 長い目で見て、金融監督庁としても、恐らく独自の企画立案部門を持って、日進月歩する金融にかかわる法律や政令などの見直しを不断に行うことが当然求められてくることでございましょう。
 これから最も必要とされる機能で大切なことは、金融市場に新しく登場してくるであろう投信、年金商品、デリバティブズなど多種多様の金融商品を金融監督庁はいかにさばいていくかでございます。玉石混交の金融商品や金融犯罪を選別し、マーケットの破壊を起こさないことでございます。
 消費者である一般の個人投資家からすれば、マーケットで提供される商品の違法性、脱法行為を取り締まる公正なルールの執行者、いわば金融警察の役割を期待するところでございます。こうしたインフラがないところでは安心して参加者にはなり得ないのであります。違法行為を監視する機関があればこそ、社会が機能するゆえんであります。法に対する信頼はこれをもって高まり、司法も機能するのであります。司法が機能しない社会では、情実とやみの権力が徘回するしかありません。
 最後に、金融を開かれたビジネス、普通の産業にするためにも、行政から独立した金融監督庁がぜひ必要であります。ひっきょう、ビッグバンは何を目指すのか。日本の市場を活性化させ、世界に通用するルールで運営される市場とすることをもって、一千二百兆円の金融資産を生かし、消費者により多くの利益を提供することであり、また、このことは翻って我が国の金融市場と金融システムに対する内外からの信頼を高めるゆえんでもあります。この視点の欠落したビッグバンの議論は不毛かと存じる次第であります。
 詳しくは、先生方の御質問の中で誠心誠意お答えさせていただきます。(拍手)

発言情報

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発言者: 中北徹

speaker_id: 34317

日付: 1997-05-28

院: 衆議院

会議名: 行政改革に関する特別委員会