八城政基の発言 (税制問題等に関する特別委員会)
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○八城参考人 お招きにあずかりまして大変ありがとうございます。
私は、三つの点について申し上げたいと思います。第一は企業経営の、特に銀行を含めた世界のグローバリゼーションについてのコメント、第二は経営に対するチェック機能としてのコーポレートガバナンス、第三はビッグバンについて、この三つについて意見を申し上げたいと思います。
知識集約型産業であり情報産業でもある金融業こそ、二十一世紀に向かって高い成長率が期待される成長産業であります。しかしながら、我が国の金融機関は、九〇年代の初めから長年にわたって不良資産問題を抱え、数年後に迫っている日本版ビッグバンに向かっても積極的な対策を出せないでいるのが現状であります。世界の金融機関はグローバリゼーションの道をまっしぐらに進んでいます。特に欧米の有力銀行は、ますます高度化する金融商品を武器に、グローバル化する企業さらには個人の絶え間なく変化する金融ニーズにこたえつつあります。
行政の介入の程度の高い産業ほど国際的競争力に欠けることは否定できません。銀行は、サービス産業のうちでも行政によって最も強く規制されてきた業界です。自動車、エレクトロニクスなどの先端技術を駆使して発展してきた産業は、いずれも規制の少ない、したがって政府による保護が少なかった産業であります。
規制のない業界では、自由な競争が行われる結果、市場参加者である企業間の格差がつきやすく、生産コストが安く品質のすぐれた製品をつくることによって、企業は大きくなり、利益を上げることができます。自由な競争の行われている業界は、当然のことながら海外においても十分競争できる体質を持っています。米国のビッグスリーに対して常に脅威を与えてきた日本の自動車産業、また世界の市場をほとんど支配するようになった家電メーカーなど、そのよい例と言えましょう。国際的競争力を持つこうした企業は、グローバルな企業として、国内経済の不況などをしり目に着実に業績を高めています。それに比べて、産業の性格がドメスティックであり、外からの競争にさらされることの少なかった業界は、国際的な競争力もなく、業績面でも低迷を続けています。
政府の規制、保護のために真の競争が行われてこなかった業界では、規模が大きく市場の占有度が高ければ、みずから業界のリーダーとなることはできます。しかし、業界での市場占有度と業績とは必ずしも同じものではありません。日本の大手銀行が世界の十大銀行のうち七行までを占めていても、外国人に映る邦銀のイメージは、残念ながら、内輪の論理と、海外で安値を提供することによってひたすら規模の拡大に努めてきた集団だと思われています。
日本企業のグローバリゼーションは、企業の行動を日本的な内輪の論理からグローバルなスタンダードに転換することから始めなければなりません。このことを強く実感として持っているのは、日本に進出している外国企業であります。最近でこそ業界の閉鎖性は海外からの圧力もあって多少変化しつつありますが、本質はほとんど変わっていません。米国に次ぐ世界第二位の国民総生産を誇る国でありながら、海外から日本への直接投資額は、この数年来、平均して年間十億ドルにも達していません。この額は先進工業国の中でも最も低く、台湾よりも低いものです。一方、米国への外国からの直接投資は年間五百億ドルから六百億ドルに達しており、また英国でも二百億ドルを超えています。いずれも日本の二十倍から五十倍の水準にあります。
かつては、日本への外資による直接投資を抑えることは、ビジネスの機会を日本の企業にとどめることになり、したがって日本の国益に資することになるといった誤った考えすらありました。消費者が求めている質のよい商品・サービスを安い価格で提供すれば、消費需要が伸び、経済が活性化され、新しい雇用機会が生み出せるといった発想はほとんどありませんでした。
法律や行政の裁量による規制が張りめぐらされた社会では、消費者のニーズを満足させるような本当の意味での競争が行われていません。日本では、一見激しそうに見える国内の業者間の競争を過当競争と呼ぶことがありますが、その実は内輪の競争であり、そうした業界では真に消費者のニーズにこたえるような競争が行われてきませんでした。
東京市場がニューヨークやロンドンとともに、世界の三大金融センターの一つとならなかった理由を幾つか挙げることは可能です。しかしながら、この数年来の経験から、私たちは、日本的な論理が金融という最も国際的な市場では通用しないことを知りました。法律上の規制、監督官庁と企業との緊密な関係、行政の下請的な業界団体の存在、そうした業界団体による民民規制など、これらはすべて、日本の企業が内輪の論理のもとに消費者や利用者の立場よりも業者の利益を優先してきた環境的背景であります。市場で成功するか失敗するかは、最終的には消費者によって決定されることを忘れていたのではないでしょうか。
二十一世紀に向かって我が国の金融機関が日本の経済力にふさわしい役割を果たすためには、みずからのリスク管理能力を格段に改善しなければなりません。世界で活躍する日本の企業を含むグローバルな企業の金融ニーズを満たすためには、金融機関同士の膨大な額に及ぶ決済業務、単純な為替取引、さらには金融派生商品を含む革新的な仕組み商品など、顧客の必要とする商品・サービスを積極的に提供する必要があります。
この数年来、金融機関や事業会社が引き起こした巨額損失事件は、結局、リスク管理の失敗が原因と言わなければなりません。リスク管理は、「将来再びこうした事件を起こさないよう経営陣が一丸となって努力します」といった決意表明では解決できるものではありません。まず、リスクの存在とその程度について検証しなければなりません。それぞれの取引について、貸し出しであれ、為替の取引であれ、銀行にとって受け入れ可能なリスクの程度がどのくらいのものであるかをまず確定し、リスクをその範囲内にとどめるためのモニタリングの方法を設ける必要があります。例えば銀行からの融資については、それぞれの産業と特定顧客の信用リスクの程度を査定し、その限度を超えないようなチェックシステムを設け、常にモニタリングをすることになります。日ごとに複雑になる金融取引ばかりでなく、経営者はあらゆる種類のリスクにさらされています。人を信用するとかしないとかいった問題ではなく、リスクをいかに管理するか、そのために必要なシステムを持っているか、経営トップがシステムを十分活用しているかが問題であります。
次に、経営に対するチェック機能としてのコーポレートガバナンスについて申し上げます。
日本ではコーポレートガバナンスが何であるかほとんど理解されていません。日本の経営者の頭には、会社はいわゆるステークホルダー、つまり利害関係者のものだとする考えが強いようです。この考えを突き詰めますと、会社の経営を担っている者はつまり日々の経営に当たっている経営陣である、経営陣がステークホルダーの利益を代表しているという主張になります。経営者は会社経営の責任を持たない他の利害関係者を無視し、自分たち以外の者からの経営への介入を嫌うことになります。事業会社が銀行からの借り入れに依存していた時代には、銀行が事業会社へのチェック機能を果たしてきたと言われています。しかし最近では、企業の主たる資金ソースが間接金融から直接金融に移ったこと、銀行自体の業績が悪化したことなどから銀行の影響力は落ち、銀行によるチェック機能が働かなくなっています。
本来なら、経営の失敗は、株式市場で大量の売りを浴びせられて株価の暴落という結果になるはずでありますが、日本では必ずしもそうではありません。株式市場によるチェックも十分とは言えません。また経営の失敗の結果株価が長い間低迷していても、経営者が経営責任を問われることはまれであります。理由の一つは、企業がお互いに株を持ち合っているため経営者の失敗を批判しにくいためであるかと思われます。
最近の一連の不祥事件では、経営者の責任が厳しく問われており、経営トップが引責辞任に追い込まれるケースが多いようです。何十年間かのサラリーマン生活の結果やっとたどり着いたトップの地位を、いとも簡単に失ってしまうわけです。我が社に限ってそんな不祥事件が起きるはずがないと思うことは最も危険であります。組織の上で会社経営に対するチェック機能がきちんと働くようにすることが、経営者自身の身を守ることになります。
コーポレートガバナンスが機能するためには、株主、取締役会、会社経営幹部の三つの主体が会社の経営管理に重要なかかわり合いを持ち、三者の間に緊張関係が保たれることが必要であります。この十年来、米国の企業の取締役会の構成や役割が大きく変わっています。取締役会の構成は、三分の二以上が非常勤取締役で占められている会社がふえております。また取締役会の役割は、日々の経営についての審議機関ではなく、実際の経営に当たっている上級役員とははっきり区別されています。上級役員の経営のあり方について評価し、取締役会の承認、決裁を要する事項を取り上げています。取締役会の主たる役割は、会社経営陣、特に米国で言うCEOの業績を評価し監督することにあります。
大きく分けて取締役会の役割には、第一に、CEOの業績を評価し年俸、ボーナスを含めた報酬を決定することです。CEOの後継者計画を検討し助言する。そしてCEOがその役割を十分に果たしておらず、さらにCEOとしてその地位にとどめておくことが株主の利益に反すると判断される場合には更迭することになります。
第二は、事業計画、利益計画並びに重要な事業戦略を審議し承認を与えることであります。配当案を審議し承認を与えることもその一つであります。
第三は、取締役会の議長は、通常、常勤の役員である会長が務めています。そこで取締役会は、議長の取締役会の運営についての評価を行います。また取締役候補者の選択と株主総会への推薦を行います。
第四は、企業内にすべての法律、規則を遵守するシステムが存在し、効果的に機能しているかをチェックすることが役割であります。
コーポレートガバナンスが機能するためには、非常勤取締役によって構成される監査委員会、外部の監査法人、内部の監査部の三つが協力する体制をつくる必要があります。我が国でも、一九九三年の商法改正の際、三人の監査役のうち一人以上を外部監査役とすることが義務づけられましたが、監査役が十分にその役割を果たしているとは一般的に思えません。
私は、日本の企業でも、米国のような非常勤取締役だけで構成される監査委員会を設けるとともに、内部監査部をCEOと監査委員会の指揮命令下に置き、ラインからは独立させる必要があると思っています。取締役会監査委員会は少なくとも四半期に一回の頻度で開かれ、CEOは委員会に出席して委員の質問に答えなければなりません。監査の中心は業務監査であり、内部監査人グループが、リスクの程度に応じて年一回ないしは二、三年に一回行った監査の結果を報告いたしております。また会計監査に関しては外部の監査法人が監査に当たっていますが、監査法人の選択は監査委員会の推薦に基づいて取締役会が決定し、株主総会の承認を得ています。
最後に、ビッグバンについてでありますが、最近まで、金融ビッグバンについての議論は、何のためのビッグバンであるのか目的がはっきりしませんでした。東京市場を世界の三大金融センターの一つにするためとか、大手の銀行を国際的に競争できる強い銀行にするとか、あるいは銀行を欧州のユニバーサルバンクのような総合金融サービス会社に育てるためとか、いろいろな意見が聞かれました。しかし、やっとこの数カ月の間に調査会、審議会での議論が煮詰まって、ビッグバンによって達成すべきものが何であるかコンセンサスができつつあるように思われます。多くの人の意見が、市場に競争原理を導入して、事業会社、消費者がより安いコストで、自分たちが必要とする金融サービス、金融商品を自由に選択できることが目的であるということにまとまりつつあるようであります。
私自身も、数カ月前まではビッグバンの行方について懐疑的でありました。たとえ業態間の垣根を取り外しても、これまでのように規模の大きさとか売上額を中心とした、利用者の利益を忘れた競争では、市場の活性化につながらないばかりでなく、既得権益をかたくなに守ろうとする業界の体質も変わらないのではないかと思っていました。海外からの評価も、日本の金融市場が海外での劇的な変化に比べてこの十年来ほとんど変わっていないことを見て、今回もかけ声だけで終わるのではないかといったものでありました。しかし、最近では、こうした懐疑的な声は余り聞かれません。私も、ビッグバンは画期的な変化を銀行、証券、保険を含むすべての金融サービス業にもたらすものと期待しています。
そう考える理由は、ビッグバン構想で言われていることを実行しなければ、我が国の金融サービス業の地盤沈下はますます進み、事業法人や個人の利用者からそっぽを向かれてしまうことは明らかだという認識が高まってきたためだと思います。来年四月以降、外国為替についての規制が緩和されれば、コストが高く、使い勝手の悪い国内でのサービスを利用する人が少なくなることは言うまでもありません刀それでは東京市場の空洞化に一層の拍車がかかることになります。金融制度改革は、ぜひとも成功させなければなりません。もちろん、東京市場が魅力のある市場に変われば外国金融機関の積極的な参加が予想されます。
これまで行政の規制と保護のもとに置かれてきた産業は、とかく市場の規模を所与のものとして限定して考えてきました。つまり、業界の参加者は決まったサイズのパイを分け合う、あるいは競って取り合うという発想です。どうしても必要な規制は残すとしても、利用者が求めている新しい商品・サービスが安いコストで提供されるならば、市場の規模は飛躍的に大きくなるはずであります。そこに新しい雇用機会が生み出されます。ビッグバンによって、ロンドンの金融機関に勤める人の数が飛躍的にふえました。また世界の金融サービス業が年々生み出す付加価値の伸び率は、この十年来、世界のGDPの成長率の三倍近くになっています。我が国の金融業も、一日も早く過去の負の遺産から決別して成長の道に歩むべきだと考えています。ありがとうございました。(拍手)