1997-04-09
衆議院
田久保忠衛
日米安全保障条約の実施に伴う土地使用等に関する特別委員会
田久保忠衛の発言 (日米安全保障条約の実施に伴う土地使用等に関する特別委員会)
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○田久保参考人 田久保でございます。
ただいま委員長から、忌憚のない意見をというお言葉でございましたので、遠慮なく忌憚のない意見を述べさせていただきたいと存じます。
沖縄問題についての私の所見でございますけれども、問題点を幾つか申し上げたいと思うのでございます。
まず、この問題は初動が非常にまずかった、村山内閣でございますけれども、非常にまずかった。一昨年の九月五日のあの事件でございますけれども、その一週間あるいは八日後に大田知事が上京されて、日米地位協定の問題をお取り上げになった。そのとき、外務省あるいは官邸でございますか、この対応は、日米地位協定は円滑に運営されている、問題ないのだ、沖縄は先走りし過ぎているというような御発言があった。国民に優しい政治としては大変厳しい言葉だったわけでございます。
その後、大田知事がお帰りになって、宜野湾で大変な、島ぐるみの大会がございました。この後、政府は何をしたかというと、今度は平グモのように謝った。これで、何でもできるようなことを次から次へとおっしゃったわけでございます。私は、見ていて、これはえらいことになるなというふうに思ったわけでございます。これは、今でも私は基本的な姿勢は続いていると思うのでございます。
途中で、宝珠山防衛施設庁長官が、今政府は沖縄に対して感情で物を言うべきではない、今こそ理性で物を言うべきである、感情で物を言って、あたかも大きな基地が次から次へと返ってくるようなことを、これは大変なことになるということを言われた。ついうっかり、村山さんは頭が悪いと言ってしまったので首になったのだろうと思うのですけれども、私は、宝珠山さんが言っているのは、正しいことをおっしゃったな、私に言わせれば、むしろ宝珠山さんは村山首相を褒め過ぎではないかなというふうに思うのでございます。
実は、私も、上原先生が全軍労の書記長または委員長をやっておられたころ、時事通信の那覇の支局長をやっておりまして、当時革新というよりも保守系の方々と私は非常に親しくしていた。沖縄の方々は、自分たちをウチナーンチュ、本土の人たちをヤマトンチュというふうに分けておられた。今沖縄の重みがどうのこうのと言うのですが、そうではないだろう、むしろ歴史的な重みがあるのではないか。これは三回にわたる、沖縄語でユガワイというのですが、世がわり、これをヤマトンチュに強制された。
第一回が、一六〇九年、慶長の役の余波でございますけれども、薩摩藩の琉球侵攻があった。これは大変過酷なものでございました。しかし、当時の常識でいえば、ヤマトンチュの側からすれば、これはある程度仕方がなかったということでございましょう。何しろ十七世紀の初頭のことでございます。
二番目は、廃藩置県でございますね。これは一八七一年から八年、一八七九年でございますね。これも大変強制的なものでございました。まあ、これもやマトンチュの方のアングルから言わせますと、明治の政府は国境の画定を急がなければいけなかった。これは、北は樺太、西は朝鮮半島、南は琉球、それから東の方は小笠原諸島でございます。これはきちっと国境を画定しておかないと、危ない時代であった。ただし、沖縄にとっては大変過酷な処置であったということでございます。これは第二のユガワイでございますね。
三回目は、第二次世界大戦の激戦地になってしまったというお考えであります。私は、それプラス戦後の大変過酷な犠牲を強いたということがございますので、四つぐらいのユガワイだろうと思うのでございます。
ただ、冒頭申し上げましたように、初動の悪さが次から次へと問題を拡大させてしまったということでございましょう。地位協定の改定がどうなったかというと、基地整理縮小、それから大田知事の代理署名拒否の問題、それから沖縄の普天間の返還の問題ですね、移転先がどうなるかまだ不明である。それから海兵隊の撤兵の問題、あるいは沖縄の経済的繁栄をどう図るかというような問題、次から次へと広がってまいりまして、まだどれ一つとして解決のめどがついていない。今度の特措法の改正は、五月十四日に期限が切れるその後をどうするかという、あくまでもびほう策でありまして、とりあえずこれで切り抜けるということにすぎないのではないかと思うのでございます。
私は、結論から申しますとこういうことでございます。けじめをはっきりつけるべきだったのじゃないか。私が外務大臣なり官房長官であれば、大田知事に対して、あなた方には、三回、四回大変過酷な、歴史あるいは現状、こういうところでヤマトの側から大変な犠牲を強いている、申しわけない、地位協定の改定、これはあなたの球を承って、預かってワシントンに投げてみましょう、これは当然やるべきだったと思う。その後で、沖縄が乗っている日本丸、この日本丸の命綱は日米安保条約である、この日米安保条約に傷をつけることは御勘弁願いたい、あなた方も日本丸の一員です、ここのけじめをつけて、その範囲内でできるだけのことをやる、初めからそういう方針を打ち出していれば、今日のようなみっともない事態にはならなかったのではないかなというふうに思うのでございます。これが、冒頭に申し上げたかったきょうの発言のエッセンスでございます。
次に、沖縄の声に耳を傾ける、これをいろいろな方がおっしゃる。沖縄の声というのは一体何だろうか。大田さんなのだろうか。大田知事は、私も尊敬している方でございますけれども、今度アメリカに行かれて、一部報道によりますとヤンキーゴーホームの演説をなさるという。これは一体、日米安保条約をどう考えておられるのか。ここにおられる先生方は、社民党を含めて日米安保条約の堅持にコミットされた方であります。ここでヤンキーゴーホームというのを無条件で、何らの前提条件なしでこういうことを叫ばれる、どういうことかなというふうに私は心外でございます。
大田さんの著作をほとんど私読んでみましたけれども、謝花昇、この人は明治の民権運動の先駆者でありまして、四十四歳のときに神戸に行くときに狂死する、頭が狂ってしまうという大変悲劇的な人物でございます。大田さんはこの謝花昇を大変詳細に研究しておられまして、これは本土に立ち向かった沖縄の英雄であるというふうに位置づけておられる。こういう考え方が根底にあると、これはなかなかこれからも解決は難しいんじゃないか。この大田さんが沖縄の声であろうか、これが私の疑問なんでございます。
それから、ついでながら申し上げますけれども、大田さんと非常に親しい、大田さんの助手みたいなことをやっておられた比屋根照夫先生、琉大の教授でございます。昨年の法律時報四月号に、代理署名の思想史的背景という論文をお書きになった。ここで比屋根先生は、廃藩置県のときに清国に赴いた林世功、彼が清国に援軍を求めに行くわけでございます。ところが、清はこれに首を縦に振らない。これは日清戦争の前でございますから、とてもそういう状況じゃなかったんだろうと思うのでございます。そこで、林世功が自殺するのですね。ここで比屋根さんは、沖縄の気持ちというのはこういうことである、大和への同化への志向かあるいは自立への志向、同化されちゃうか自立するか、二つに一つであるという大変な論文をお書きになっておる。
私も、沖縄の方々の心底深いところでこういうお考えがあるのかなというふうに思ったわけでございますが、これは大田知事のお考えとも一致するのではないか。こういうお考えをおやめいただく、そのために本土側も一生懸命努力するということでなければいけないんじゃないか、こういうことでございます。
それから二番目は、一坪地主、一坪反戦地主が沖縄の声なのか。私がこういうことを申し上げますと、そんな証拠がどこにあるということでございますが、私、琉球新報、沖縄タイムス、ずっと読んでおります、毎日読んでおります。そこで、こういう印象を強く持っているわけでございますが、特に、四月三日に特別措置法の一部改正案が閣議決定されて国会へ出された、その日の現地二紙の夕刊でございますよ。これは沖縄の反響、全部一坪地主あるいはその団体の代表者の発言ばかりであしらっている。あたかも沖縄の声は一坪地主に代表されているのか、こういうことでございます。
全体の地主三万人のうち、これは細かい数字を申し上げてもいいのですが、防衛施設庁あたりから詳しい正確な数字はお聞き取り願いたいのでございますが、約一割が反戦地主である。半分が本土に住んでいる、半分が沖縄に住んでいる。その中にどういう人物がいるか、これは大変なことでございますね。
御参考までに、これは先生方全部御存じだと思うのでございますけれども、本土、沖縄その他、国立大学の教授あり、それから市会議員、県会議員、国会議員もいらっしゃいます。それから、沖縄の県庁ですね、これは局長、部長、課長、こういう方までいらっしゃる。それから、地方団体の方々もずらっと並んでいらっしゃいます。国立の琉球大学の教授が、助教授含めて十一名、こういうことでございます。それから、私立大学、これもたくさんいらっしゃるということでございます。
それから問題は、二つの新聞、これは私も新聞に三十年関係してきたわけでございまして、報道のあり方というのは大変強い関心を今でも持っております。特に私は、沖縄だけではなくて、ハンブルクの特派員をやりまして、それからワシントンの支局長を四年やりまして、それから外信部長を六年半やっていたものですから、ハウツーリポート、どういう報道をするかというのは大変関心を持っているわけでございます。この二つの新聞は、はっきり言いますと普通の新聞ではないということでございます。これをきちっと批判すべき、言論の自由のあるところであればこれを批判しなければいけない。それが批判されないで、あの島で温存されている、大変なことだと思うのでございます。
そこで申し上げますけれども、琉球新報の編集局長、編集担当の取締役、一坪地主でございます。琉球新報の論説委員、琉球新報浦添支局長、一坪地主でございますね。沖縄タイムスの社長、タイムスの相談役、それから相談役兼琉球放送監査役、こういう方々が一坪地主である。御先祖から自動的にいただいた土地でこうなっておるんだとか、信念からこうやっておるんだ、これは私は非難すべきではないと思うのでございますが、公正な報道に携わる者がけじめをつけないで、こういうことでいいだろうか。李下に冠を正さず、瓜田にくつを入れず、こういうことからいえば、この新聞が偏向しておると言われてもいたし方ない、弁解の余地がないのではないかというふうに私は思うのでございます。
民主主義社会でございますから言論の自由が許されている、これは沖縄でも言論の自由を許すべきではないかな。二つの新聞は、全くうり二つでございまして、題字を入れかえてもどっちがどっちだかわからない、一致団結して同じアングルで報道をしているということでございます。これが一体沖縄の声か、こういうことを私は申し上げたかったということでございます。
それから次に、海兵隊の撤兵論でございますが、こちらにいらっしゃる森本参考人と私は非常に親しい関係でございますが、森本さんの海兵隊撤兵論はいろいろな条件つきでございます。私、森本さんを非難するのではなくて、条件のない海兵隊の撤兵論というのはいかがなものか。
日米安保条約、これは日本も努力するけれども、一国だけで自国を守れないのでアメリカに半ばお願いしている。主たる役割は日米安保条約でございますね、米軍でございます。従たる役割が日本、自衛隊である。これは、冷戦の前、後で若干変わりましたけれども、基本的な構造は、構図というのは変わっていないと思うのでございます。要は、こちらから守ってくれと言っているのに、例えば安全保障会社に、この部屋を守れ、それをピストル外してこいとかなんとかと要求できるのか。あるいは、軍事情勢全体がわからないで、軍は秘密が多うございます、これがわからないで、アンパイア面よろしく、あっちも、おまえのところは引き下がれ、こういうことは評論家面よろしく言うのはおかしいだろうというふうに私は思っております。
具体的に申しますと、第一点は、四月十七日に橋本・クリントン会談で、十万の軍隊をこの周辺に置く、これは数字の約束でございますね。一年たたないうちに日本の方から、二万何千人かの沖縄の駐留米軍は引き揚げろとか海兵隊は要らないとか、こういうことは国際上の条約の通念になじまない、非常な不信感を相手に与えるだろうというふうに私は思うのでございます。
それから、あとは、午後は重村智計君が来て北朝鮮の問題を言うのでしょうか、北朝鮮の問題は、私は大変複雑だと思うのでございます。これははっきり言うと、自滅するのか、南にちょっかいをかけるのか、あるいは軟着陸、今やっている四者会談が、アメリカの提案がスムーズに前進するのか、三つに一つである。だれもが第三のオプションを望むことは間違いないわけでございますが、あくまでも希望であって、希望と観測は全く違いますよということを申し上げたいのです。そういう状況で、北に誤ったシグナルを出すのではないか、出さないかどうか。
それから、きのう私はペリー前国防長官とお目にかかる機会があったのですが、去年の橋本・クリントン会談、あのジョイント・セキュリティー・デクラレーション、安保共同宣言、この一カ月前に中国のミサイル実験を初めとする三波にわたる台湾に対する威嚇があった、こういうものを背景にあれができたということを忘れてはいかぬということをおっしゃっている。私は、アメリカは今中国に対して大変柔軟な路線をとろうとしているわけでございますが、これは握手の部分と、やはり構えているパンチの部分、両方あるんだということをわきまえないといけないと思うのでございます。
朝鮮半島はただいま何が起こるかわからない状況である、それから台湾海峡、これは未知の要素があるんだ、そういうところでいきなり沖縄から海兵隊の撤兵、これをやるとどういうサインを与えるのか。
これは正確に申しますと、過去にこういう例があった。アチソン国務長官が、五〇年の一月二十日でございます、ワシントンのナショナルプレスクラブで演説をした。そのときに、アメリカの防衛ライン、ディフェンスライン、これは、アリューシャンから日本、それから琉球列島、それからフィリピンに至るまで弧を示して、朝鮮半島をこの範囲から除外したわけでございます。その六カ月後に北が南に対して攻撃を加えてきた。これは一体どういうことであるか。国際問題専門家の一致した見解は、悪い誤ったシグナルを北に与えたのではないか、こういうことでございますので、軽々しく海兵隊の撤兵論というものを言うことは、口にすることは、私は不見識ではないかなというふうに思います。
時間が切迫してまいりましたので、結論を申し上げたいと思うのでございます。
これは、私が申し上げているように、あくまでも日米安保条約の枠内で沖縄にはできるだけのことをするという、この原則を確立しないととんでもない混乱を招来するのではないか。ましてや、今、海兵隊の撤兵といったときに、どこと合唱しているか。合唱団は北朝鮮じゃございませんか。そのほかに合唱している国がありますか。あるいは中国かもしらぬ。我々が置かれた立場というものをわきまえないで合唱団の一員に進んでなることは、これは控えた方が利口ではないかなというふうに思うのでございます。
私は、申し上げたいのでございますけれども、要するに、かかる混乱が起こってくる根本の原因というのは、国と地方の仕事、このけじめがついていないんじゃないか。例えば、新潟県の巻町の問題もそうでございます。国家が安全保障の最終の責任を担うのであって、巻町の町民が担うのじゃないわけですね。日米安保条約の最終的責任は、沖縄の県民は、これは意見を言うことは自由でございます。それから、安保条約を直したいと思ったら、それは上原先生とか嘉数先生とか、いろいろな沖縄選出の代議士を通じてやるのが民主主義のルールじゃないか。最終的責任を持たない人に判断を仰ぐという、これはだめである。
ただし、地方自治とこれは全く別でございまして、今の沖縄の仕組みというのは、土地収用委員会に裁決権を与えている。この判断いかんによっては日米安保条約がおかしくなる。私は、これはきちっと分けまして、最終的には特別立法で、国の仕事、地方の仕事、地方の仕事に対して国は一切口を出してはいけない、そのかわり国の仕事に対して地方がこれを侵すことも許さない、一応ルールを確立する必要があるのではないか。私は、最終的にはこれが最も必要な措置である。
次善、セカンドベストでございますかね、次善の措置として今回の特別立法、大変結構なことであった。時期が少し遅過ぎた感がございますけれども、これは適当な措置であるというのが私が申し上げたかった点でございます。
以上でございます。(拍手)