太田誠一の発言 (法務委員会)

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○太田(誠)委員 そういうことなのですよ。
 結局、共産主義の世界は、要は、先ほど言いましたように、自分の子供を自分で育てる、あるいはそこのきずなというものを否定するというか、あるいは子供を所有しているというふうな考え方を否定するという考え方です。社会的にすべての子供たちは育てなければいけないという考え方でありますから。子供がそうであれば、婚姻の意義というのは大幅になくなるわけでございますし、事実婚でいいではないかというのは、論理的、整合的な帰結になるわけでございます。
 これは家族のきずなを否定するとか、あるいは夫婦ばらばらとか親子ばらばらというのは、結局のところ、こういう考え方を是とする者は、やはりどこかで共産主義というものと共通の、その人たちが全部共産主義の信者であるということは言わないけれども、共通の理念を持っておるというふうに私は思うのでございます。
 だから、さっきの、法制審議会に対してやや疑念を私は持っておりますのは、例の、我々議員提案で、きょうの皆さんと同じように、ストックオプション等自社株の取得一規制緩和の法律を提案いたしましたときに、この衆議院の法務委員会で、ついこの間でございますけれども、正森委員から辛らつな御批判を浴びだし、それから参議院に行きますと、また共産党の議員から辛らつな御批判を受けたわけでございます。そのときに、我々が経済界の手先であるようなことを言われたわけでございます。
 なぜそうなのかというと、結局、我々が言っておることと経済界が言っていることの主張がどこかで共通の考え方であるから、これは、おまえは向こうの手先だ、こう言われるのでしょうけれども、そういうことで言うならば、法制審議会が言っていることと、あるいは日本共産党が言っていることが同じことがあれば、それは共通の理念で言っておるということになるわけでございまして、その辺はよくよく注意をしなければならないというふうに私は思うのでございます。
 そこで、もう一つの話、親子の話でございます。
 私は数年前に、踏切で子供が遊んでいるところに列車が走ってきて、そしてその母親が、子供が危ない、電車にはね飛ばされてしまうのを見て、その母親が踏切を乗り越えて線路に入ってきて、そして自分の子供を外に放り出して、自分はその電車にひかれて死んでしまったという記事を読んだわけでございます。世代がだんだんと変わってまいりますと、そういう親子のきずなというか、あるいは子供のために母が犠牲になるというふうなことはもうなくなったのではないかというふうに心配をしておりましたら、そういう親子の情、母と子のきずなというのはまことに自然な感情であって、みずからの命を犠牲にしても子供を救おうという崇高な気持ちというものは、世代が変わろうと時代が変わろうと、これは少しも変わらないのだということを見て、大変感動をいたしたわけでございます。
 それとこの話はどういうふうに結びついていくかということでございますが、テレビのコマーシャルで、今もやっているかどうかわからないけれども、よく私が見たのは、食堂か何かに行って家族が食事をしておる。そのときに、突然お父さんが、自分の息子だったと思いますけれども、お父さんとお母さんのどっちが好き、こう聞くわけでございます。そのときに、子供は一瞬戸惑って、困ったような顔をして、そして、私は何々が好きと言って、そのコマーシャルの商品名を言ってちょんになるわけでございます。
 最初にそれを見たときに、私は、一瞬、こういう質問を子供にする父親は本当に嫌な父親だな、配慮がないな、子供のことを思っていないなと思って聞いていて、最後に商品名をぽんと言ったから、思わずほっとしたわけでございます。
 お父さんとお母さんのどっちをとるかというような質問ほど、子供にとって残酷なものはないわけでございます。子供が自分の意思で姓を、父親の姓をとるのか母親の姓をとるのかは、幾つですかね。(「十五です」と呼ぶ者あり)十五歳になったときに、子供たちは、おまえはお父さんの姓を名乗るか、それともお母さんの姓を名乗るか、どっちにするということを聞かれるわけでございます。この選択は、子供にとってまことに残酷なものだと私は思います。これは、これからお父さんとお母さんは離婚するのだけれども、おまえはお父さんと暮らすか、お母さんと暮らすかというふうに聞くのと、ほとんど同じ残酷さを持っているわけでございます。
 私は別に生物学のことを言うわけではありませんけれども、母と父と両方があって、その生命は誕生しているわけでありますから、どちらか一つをとれというのはみずからの存在を否定することになるわけでございまして、こんなに悲しい、自分自身の存在を半ば否定してしまわなければいけないような選択を迫るというのは、これ以上残酷な話はないわけでございます。
 夫婦別氏制度になりますと、この悲しい、残酷な選択を子供に迫らなければいけない。どうしてそんなことをしなければならないのか。それは、お父さんが我慢をして、お母さんと同じ姓になるということになれば、子供はそんな残酷な選択をしなくても済むわけであります。お母さんがお父さんと同じ姓でもいいと言えば、そんな残酷な選択を子供に強いなくてもいいわけであります。
 これは要するに、我々日本人だけではなくて、あるいは人類と言わず、生物はすべて子孫のためにみずからを犠牲にするというのが本能であろう、種族維持本能というものはそういうものであろう、子供を犠牲にして、親が自分の満足に浸るというのは、これは種族維持の本能に逆らうことである、自然でないと思うわけでございます。
 お父さんかお母さんか、どちらかが我慢をして、相手の姓になれば済むことを、そこで、私はどうしても旧姓でなくてはいけないということを言い募って、そのことによって子供につらい思いをさせるということになるわけでございます。
 先ほどの、共産主義革命の直後に世の中が混乱をした、事実婚でもいいということにして混乱をした。事実婚の世界と夫婦別氏の世界は紙一重だと私は思います。
 入っているのは戸籍だけであります。戸籍だけということは、何でそこで戸籍にこだわるのかといえば、それは私はよくわかりませんけれども、法的にそこに戸籍が入っているか入っていないかというのは、財産の分配のようなところに出てくる話であって、財産の分配についてのみは、これは法的な一体性を求め、しかし、事実として、世間に対しては、あたかもそれは別々の家族で、別々の個人であって、一体性はないのだということを主張するというのは、まことに不自然なことであろう。そしてまたそれは、そのことを今ここで認めれば、ロシア革命直後のソ連のような混乱に陥るであろうということを私は申し上げたいわけでございます。
 申し上げたいことは山ほどあるわけでございますけれども、時間が参ったようなので、これだけは最後に申し上げておきますけれども、この民法の一部を改正する法律案は、主としてこれは法務省に責任があると私は思うし、法務省の法制審議会の構成に大いに問題がある、イデオロギー的に問題があるというふうに私は思っておりますし、この法律は、全体として申し上げれば、簡単に一言で言えば、これは離婚促進法と言うべきなんだ、離婚促進法。離婚にかかわる規制を緩和するという法律でありますから、離婚促進法だと言わざるを得ないわけでございます。それは、そういう夫婦のきずなを簡単に切る、あるいは家族のきずなを切るということは、切ってみて、混乱をして初めてそこで後悔が出てくるわけでありまして、私は、このような問題提起、このような提案に対しては、我々は国民の代表として、六割が反対をしておる国民の代表としては、この法案については慎重な態度で臨むべきであるということを申し上げて、質問を終わらせていただきます。

発言情報

speech_id: 114005206X01019970611_015

発言者: 太田誠一

speaker_id: 11263

日付: 1997-06-11

院: 衆議院

会議名: 法務委員会