塩崎恭久の発言 (行財政改革・税制等に関する特別委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○塩崎恭久君 自由民主党の塩崎恭久でございます。
きょう、金融監督庁を新しくつくるということで御質問させていただくわけでございますが、冒頭申し上げておきますが、この法案には当然賛成をいたすつもりでございます。しかしながら、将来に向かっていろいろとまだ改善をしていかなきゃいけない点もあるなという気持ちを持ちながら質問をさせていただきたいと思うわけでございます。
去年の二月に金融行政を初めとする大蔵省改革プロジェクトチームというのができて、私自身もそのメンバーに加えていただいていろいろな議論をさせていただきました。その結果として日銀法の改正とこの金融監督庁の法案が出てきたわけでございまして、そういう意味で大変感慨が深いわけでございます。
ちょうど今、野村証券の問題、そしてまた第一勧銀の問題とゆゆしき事態が起きて、我々としてもこれから新しい金融をつくり上げようというやさきにこういう問題が起きてくるのは大変残念であるわけでございます。
もともとビッグバンをやろうと橋本総理が考えられたのも、今の東京市場あるいは日本の金融機関の国際競争力が低下しているということに思いをいたしてあのような案を出してきているわけでございまして、私も昨年ヨーロッパに参りまして、ロンドンで日本のトップバンクの一つの責任者にお話を聞きました。
いろいろ海外で競争している彼らの発言を聞いて、つくづく今までの金融監督というものの性格というか、実態というものの本質を見たような、聞いたような気がするわけでございますが、もちろん自分たちの努力不足というのも銀行側にもあつたと思うわけでございますが、その一方で、やはり新しい商品をつくったときには大蔵省にお伺いを立てて、大体まだかまだかと言って半年ぐらいたって、いいよと言われたときにはもう既に外国の銀行が新しい商品を、似たようなものをつくっちゃっているというようなことをしばしば経験したというお話も聞きました。そういうことを繰り返しているうちに、だんだん新商品開発能力というものが邦銀に欠けてきたというか、そういうことを聞いて実は愕然としたわけでございます。
そもそも日本人というのは金融面において革新的ではなかったかということを考えてみると、歴史をひもといてみますと、例えば享保十五年、一七三〇年でございますが、大阪の堂島というのが今でもございますが、あそこに世界で最初の証券と先物の取引所、堂島米会所というのが実は一七三〇年にもう既に世界に先駆けてできているわけでございます。
そういう意味で、日本人の金融に対するイノベーティブな考え方というのは決してもともとなかったわけでもないわけであって、むしろ日本は世界に先駆けてそういうものをつくったという意味では、本来はあったんだろうと思います。それが今こういうことになって、ビッグバンをやっても日本の金融機関で世界に勝てるところはないんじゃないかなんて外国から言われているという状況にまでなっているわけでございまして、そういう意味でこれからの金融監督というのは本当に生まれ変わらなきゃならないというふうに思うわけでございます。
前置きはこのぐらいにいたしまして、早速でございますが、これは金融監督庁の法律には直接は関係ありませんけれども、この野村証券、それから第一勧銀の一連の不祥事、それから住専の問題、去年随分議論をいたしました。
こういった問題、これだけじゃありませんけれども、監督責任というものを大蔵省としてどう考えておられるのか、この辺についてまずお伺いをし、そして今後の検査監督方法の具体的改善方針をどう考えているんだ。罰則を強化するとかいう話を聞いているわけでございますけれども、今の時点でどういうふうに考えておられるのかということを、特に監督責任の問題でお話を承りたいと思います。