佐高信の発言 (財政構造改革の推進等に関する特別委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○佐高参考人 英語にウイッシュリストという言葉があるそうです。国民の願望とか願い、それぞれの願いというのをリストにしたものをウイッシュリストというそうですけれども、予算というのは、本当は国民のウイッシュリスト、こうあつてほしいとか、こういうふうなことをしてもらいたいという願い、願望が込められた、実現されたものが予算だと思うのですけれども、果たして今の予算というのはそういうふうになっているか。
 今度の財政構造改革法案の中に公共事業云々という言葉がありますけれども、公共事業というときに、私は公共事業の公共というところにゼネコンとルビを振れと言っているのですけれども、公共事業イコールゼネコン事業みたいな形になって、それを全然疑わない形でいろいろなことが決められている。しかし、公共事業というのは本当にゼネコンだけなのか。ゼネコンイコール公共事業みたいな頭が皆さん方の中にもしみついてしまっているんじゃないか。しかし、本当に公共、パブリックというのは何か。それは、この間の宮城県知事選挙でも、国民の願いとしてやはりおかしい、ゼネコンイコール公共じゃないんだということが非常にストレートな形で突きつけられたのじゃないか。
 いわば、ゼネコンのウイッシュリストにはあるかもしれないけれども国民のウイッシュリストにはないダムとか長良川河口堰とか、そういう要らないものをどんどんつくってしまった、そういうところが今の財政構造の危機みたいなものをもたらしていると言うこともできるわけで、その辺のところを、公共云々ということで法案には書いてあるけれども、その公共の中身というのをこれから本当に具体的に検討していかなきゃならないのだろうという感じがします。
 だから、社会保障とかODAとかそういうふうに別になっていますけれども、では、そういうのは公共ではないのかということですね。法案を読むと、何かやはり、公共事業というときに頭の中にはゼネコンというふうなものしかないのじゃないかという感じがするわけです。公共というのは、行政というのは、当然公平感とか公正感というものを日常の行政の中にどう反映するかということだと思いますけれども、一つ一つ公平とか公正ということが考えられているのかどうか。
 例えば、ちょっと細かい話になりますけれども、この間びっくりしたことがあります。エイズの問題で例の川田龍平さんのお母さんと会って話をしていたら、この七月から新しい薬、七月に承認されたばかりの三種類の薬を飲み始めるということになったんだそうですけれども、その中に、何とミドリ十字が売っている薬が入っている。それを、ミドリ十字によってああいう薬害をこうむった川田君が毎日飲まなきゃならないということですね。
 こんなことを厚生省がやっているというか、厚生省がそれを認めた。川田龍平君のお母さんの川田悦子さんが厚生省の審査管理課というところに電話したら、こちらは薬事法に基づいて安全性と有効性を審査し、承認するだけだ、どこが発売するかは会社と会社の契約であって、こちらは関係ないというふうなことを言っているのですけれども、こういう姿勢がまさに薬害エイズを生んだわけです。そのつくった方のブリストル・マイヤーズ社に尋ねると、ミドリ十字が発売したいと言ってきたというふうに言っているわけですね。
 だから、公平、公正ということを本当に行政府というのはどう考えているのか。まさに、加害者にまたそういうものでもうけさせるみたいなことが通るということは、あの薬害エイズの教訓などというのは全く酌み取られていないということなんじゃないか。だから、こういう財政構造改革という数字的な問題が日々の行政の中でどう生かされるのかということもあわせて考えないと、単に枠組みをつくっただけでそれでいいというふうなことになってしまうのじゃないか。
 防衛費の問題でも、日々のいわば平和への努力というものと絡み合ってその削減が出てくるわけで、こういうふうな日々の平和への努力というふうなものを抜きにして、防衛費が多いとか少ないということをスタティックに論じていいのかという感じもするわけです。
 もう一つ、財政というのは当然金融というものと両輪であるわけで、財政と金融というものを関連させて考えるということは当然必要なことですけれども、その場合に、今まで、いわば金融政策の失敗を財政でしりぬぐいするというふうなことが、特に住専問題では見られたわけですね。だから、私は、財政と金融の分離というのは絶対やらなきゃならないことであって、何か国会議員の中で、かつてはあれほど燃え上がった財政と金融の分離という話が、いわば大蔵省あたりに攻め込まれてどんどん後退していくというふうなことはとんでもないことだというふうに思っていますけれども、そういう財政と金融の分離ということも頭に置いた財政構造改革なのかどうかという指摘も私はしておきたいというふうに思うわけです。
 住専問題では、ある川柳にこんなのがありました。「国民を無理やり連帯保証人」。「国民を無理やり連帯保証人」というのは、まさに住専問題の本質を一言でついている指摘、川柳だろうというふうに思います。あるいは「通帳のシミかと見れば金利なり」というのがあります。「通帳のシミかと見れば金利なり」、そういうことで公平感、公正感が失われて銀行救済とかそういうふうな話になっているわけで、金融政策と財政というものをどう関連させるのか。だから、財政だけ、ある種格好だけ健全にしておいて、全部それを金融にしりを押しつけるというふうなことではおかしいだろう。ゆがんでくるのじゃないか。
 だから、根本にさかのぼって、国民のウイッシュリストというものを、一人一人の議員の皆さんが本当にそれは何なのかということを根本から考えるということがやはり一番必要なんだろう。そうでないと、いわば国家そのものが国民のウイッシュリストから外されるというふうになるのではないかということを申し上げて、私の陳述を終わります。(拍手)

発言情報

speech_id: 114104375X01119971030_006

発言者: 佐高信

speaker_id: 1335

日付: 1997-10-30

院: 衆議院

会議名: 財政構造改革の推進等に関する特別委員会