山下泰裕の発言 (文教委員会)

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○参考人(山下泰裕君) ただいま御紹介いただきました東海大学の山下でございます。
 国政に携わっておられます先生方を前にしまして、若輩の身で身が引き締まるような思いでございます。非常に緊張しております。
 きょうは、スポーツ振興全般につきまして、私自身の体験を踏まえまして素直に話をさせていただきたい、こう思っております。
 まず、私は小学校四年生で柔道を始めたんですけれども、小学校に入りましたときからもう人並み外れて体が大きく、しかも非常に元気がありました。元気があり余っていました。このあり余ったエネルギーをうまく発散させることができなくて、教室で暴れたり、物を壊したり、仲間をいじめたりして周りじゅうに迷惑をかけていたわけです。小学校四年生になりましたときには、何とクラスメートの中に、山下君が怖くて学校に行けないと登校拒否を起こす者も出てきました。
 そういう中で、私の両親が、このままではうちの息子は大変なことになる、将来、人様から後ろ指を指されるような人間になってしまうんじゃないかと私の将来を心配しまして、柔道でもやらせたら少しは人に迷惑をかけないような人間になってくれるんじゃないかと、こういう母の勧めで柔道を始めました。
 私は、柔道を通しましてすばらしい恩師とも出会いまして、柔道の道、人間としての生き方、また人間形成、これが柔道を通して少しずつでき上がってきて今日に至っているのではないかなと、こう思います。
 私は、いろんなところで、主としてお子さんが柔道をやっている関係のお母さん方から、先生、どうしたら先生みたいに強くなれますか、こういうふうな質問を受けます。
 私の答えはいつも決まっています。柔道を通して、あるいはスポーツを通して丈夫な体、強い心、礼儀、それから相手をいたわったり思いやったりする心、我慢すること、忍耐することの大切さ、力を合わせること、こういうことを学べば十分じゃないですか、お母さんこれ以上何を望みますかと、そういうふうな言い方をするんですけれども、なかなかお母さん方には理解していただけないようです。
 でも、これが私はスポーツのすばらしさではないかなと、こう思っております。そして、これは現在の学校教育の中の勉強では身につけることができないことじゃないかな、しかし世の中に出ていったときには非常に大切な部分じゃないかなと、こういうふうに思っております。
 実は、私が小学校一年生のときに東京オリンピックがありました。今、正面に座っておられます小野先生も出られまして活躍されましたけれども、このオリンピックは私にとりまして非常に強烈な印象がありました。
 私は、中学校二年生のときの国語の時間に「将来の夢」という作文を書かされまして、その中で、ぼくは柔道が好きだ、一生懸命頑張ってオリンピックに出られるような選手になりたい、私の夢はオリンピックに出場してメーンポールに日の丸を仰ぎ見ながら金メダルをもらうことです、そして現役を終わった後は、柔道のすばらしさを世界の人々に広げられるような、そんな仕事がしたいということを書いておりました。
 一言お断りしますと、私の日の丸、君が代には思想的なものは全くありません。多分、私が小学校一年生のときに、日本代表の選手が活躍してメーンポールに日の丸が上がって君が代が流れた、これが非常に強烈に心に残ったからじゃないかなと、こう思います。
 自分の小さいころからの夢を実現できて、そして現在もその夢の中を歩んでいける自分自身を、私は本当に幸せ者であると、こう思っております。
 もちろん、私はこの目標を達成するために、夢を実現するために全力を傾け、この目標を目指し、努力し、工夫し、また試合においては命をかけるつもりで戦ってきました。そして、すばらしい指導者ともめぐり会いました。また、東海大学という本当に恵まれた理解ある環境の中で学べ、働くこともできました。
 私の経験からいいまして、世界をねらうには本人の素質、努力だけでは無理です。すばらしい指導者との出会い、そして恵まれた環境、思い切りそのスポーツに打ち込める環境が不可欠です。そういう意味で私は非常に幸運だったと、こう思います。
 しかし、今日本は、すばらしい世界に通用するような指導者の育成、それから選手が思い切ってその競技に打ち込めるような環境づくりの面で言いますと、外国と比べて非常におくれている、これは私だけの思いではないと思います。今は現場の指導者の情熱に任せるばかりで、また一部の恵まれたスポーツでは違いますけれども、それ以外ですと、選手が安心してその競技に打ち込める環境はないと思います。
 ちなみに、私の尊敬しております故松前重義前東海大学総長は、柔道をこよなく愛しておりましたけれども、私に一度も試合で勝ってくれと言われたことはありませんでした。いつもいつも私に言われたのは、柔道を通して、スポーツを通して世界の平和に貢献できる人間になってくれと、このことをいつも何度も何度も言われました。
 私は、幸運にもロサンゼルス・オリンピックで自分の夢を実現できました。しかし、実は私は、不本意にも二回戦で軸足のふくらはぎを肉離れするというアクシデントを起こしてしまいました。非常に勝負師としては情けない、恥ずかしいことです。
 準決勝を勝ち上がりまして、決勝まで上がりました。決勝を控えて控室におりましたら、私が二回戦を戦った相手の旧西ドイツの選手が私の控室に入ってきました。彼は申しわけなさそうな顔をして、山下、おまえが足をけがしたのはおれのせいか、おれが何か変なことをしたからおまえは足をけがしたのかと、こう尋ねてきました。私は正直に、いや違う、このけがはおまえと何も関係ない、これはすべておれが悪いんだ、心配しないでくれ、そう言いましたら、彼はちょっとほっとしたような顔をして、そして、ああそうか、もう一試合だから決勝頑張ってくれよと、こう言い残して私の控室を去っていきました。
 決勝が終わって、自分の夢を実現できて表彰式に臨んだとき、私の足のけがを心配して、表彰台に登ろうとする私、表彰台からおりようとする私、この私に手を差し伸べてくれたのは決勝を争ったエジプトの選手でした。
 我々は、オリンピック、世界選手権、こういった大会では、それぞれの国の代表として、その誇りと名誉を胸に戦います。徹底的に戦います。戦って戦って戦い抜きます。しかし、一たび試合が終わりますと、あるいは試合場を離れますと、同じような目標に向かって頑張っているからこそお互いのことが理解できる、お互いのことが尊敬できるんですね。
 スポーツに国境はありません。宗教も人種も思想も関係ありません。私は柔道というスポーツを通して世界じゅうにすばらしい友達をたくさんつくることができました。もし信頼とか人間関係とかこういったものを財産として見ることができるのであれば、私はスポーツを通して非常に大きな財産を、宝を手に入れることができたんじゃないかなと、こう思います。
 私は現役を引退した後、一九八六年に日本オリンピック委員会から派遣で、これは在外研究員制度というすばらしい制度です、費用は文部省から出ております、これで一年間イギリスに留学しました。そして、ヨーロッパの柔道について勉強する機会を与えていただきました。
 先生方ももう既に御存じと思いますけれども、ヨーロッパでは至るところで、小さな子供からかなり年配の方々までが気軽に、楽しく、身近にスポーツを行える環境がありました。その雰囲気を見ておりまして、ヨーロッパの人々の生活にとってスポーツは不可欠なものだなということを私はヨーロッパの至るところで強く感じました。
 日本でも青少年の健全育成、高齢化社会、健康で生き生きとした社会づくり等を考えますとスポーツの振興は必要不可欠でありまして、まだまだ日本はスポーツ後進国であると、こう感じました。そして、現在もそのための環境整備の必要性を強く感じております。我々大人にとりまして大切なことは、次の時代の子供たちに何を残してやれるかということじゃないかなと、そう思っております。
 また、我々、強化に携わっている人間が直接関係しておりますナショナルトレーニングセンターの建設に関しましても、私が回ったほとんどの国々ですばらしい、国立にふさわしい立派なものができております。外国の友人の中には、こんなにお金持ちの日本でなぜナショナルトレーニングセンターの一つもできないのと、こういうふうに驚く者もおります。
 話は変わりますけれども、実は私にはオリンピックに出場できそうなチャンスが三度ありました。一回目は一九七六年のモントリオール・オリンピック。残念ながらいま一歩力が及ばず、私は補欠で終わりました。二度目は一九八〇年のモスクワのオリンピック。このとき、我々選手は参加することができませんでした。日本はこのモスクワ・オリンピックをボイコットしました。三度目がロスのオリンピックです。
 モスクワ・オリンピックには柔道から私を含め七人の代表が選ばれました。七人全員が初出場でした。しかし、この七名の中で四年後のロスのオリンピックに出場できたのは私だけです。オリンピックは四年に一度開かれます。見る側にとっては四年に一度です。しかし、大半の選手にとっては一生に一回のチャンスです。私以外の柔道の六名の選手、それから多くのモスクワ・オリンピック代表選手は一生に一度のこのチャンスを奪われました。
 このモスクワ・オリンピックに関しまして、非常に残念なことがあります。同じくボイコットしましたアメリカ合衆国の当時大統領でありましたカーターさんは、USAのモスクワ・オリンピック代表のすべての選手と役員をホワイトハウスに招かれました。そして、なぜUSAがこのモスクワ・オリンピックをボイコットしなければいけないのかについて説明されました。そして、USAのために、西側の諸国のために、皆さんには申しわけないけれども私の決定を理解してほしいと訴えられました。そして最後に各テーブルを回られたそうです。私の友人のアメリカのコーチは、このときの写真を大事に自分の家のテレビの上に写真立てに入れて飾っております。日本では、日本オリンピック委員会から一枚の認定書が送られてきただけでした。日本と外国の国政に携わる方々のスポーツに対する認識、理解の大きな違いに非常に寂しい気持ちになったものです。今から十七年前です。
 一九八二年には、当時副総理であられました故江崎眞澄先生が私の祝勝会に来ていただきました。そしてスピーチで、先日フランスでミッテランと会ったんだけれども、いきなり日本おめでとうと言われて戸惑ったよ、君の話から話が始まって、十五分間の会談が四十五分になったよと喜んで話されました。私の結婚式にも来ていただきまして同様の話をされました。実はその前年の一九八一年に、世界選手権、これはオランダで開かれましたけれども、私がここで史上初の二階級制覇をなし遂げました。それでフランス・スポーツアカデミーから一九八一年度のグランプリ、最高賞をいただいたわけですね。ミッテラン大統領が江崎副総理に会ったときに、日本おめでとうとそれで言われたということなんですね。
 先日も、橋本総理がサウジアラビアに行かれましたときに、ファハド国王とワールドカップサッカーの予選の話が持ち上がったということを聞きました。私が見聞きする限り、国政に携わっておられます外国の方々のスポーツに対する関心は非常に高い、私はそう感じております。
 私は、現在、大学教授の傍ら全日本柔道男子監督をしております。柔道は、日本オリンピック委員会からは、他の競技団体と比べますと多額の強化費用をいただいております。しかし、貧乏な団体です。この十月にパリで世界選手権が行われました。この世界選手権を行ったフランスと比較しますと、全日本柔道連盟、全柔連の年間の予算が七億五千六百万、フランス柔道連盟が二十二億、約三倍です。そのほかに、専務理事を含めまして連盟の幹部職員十名と地方連盟の技術指導者七十二名、計八十二名が国家公務員です。日本の全柔連の場合には、もちろん国家公務員はゼロ名です。
 また、七月にイギリスの友人に会いましたら、イギリスの柔道やスポーツはこれから強くなるぞ、新しくナショナルトレーニングセンターもイギリス中央部にできるし、それからまた柔道連盟の予算も十倍ぐらいになるぞと喜んでおりました。イギリスの前首相メージャーさんも、現在の首相のブレアさんもスポーツの強化に対しての関心が高く、昨年のアトランタ・オリンピック惨敗がきっかけで、強化費が最低でも年間約五百億ぐらいは増加すると、彼はこう言っていました。
 貧しい団体ですから、監督の私自身が、全柔連の主催する大会のスポンサーをお願いして各企業を回ったり、それからドクターやトレーナー、マッサー、メンタル、栄養等のスタッフを出していただけるように会社を回ったりしてお願いしております。非常にありがたいことに、私が頭を下げて回りますと、企業の中には、協力してくださるスポンサーもありますし、そういうスタッフを派遣してくださるところもあります。また私自身、ふだんからいろんなことでいろんな方に協力していただいております。
 最近は、私が私自身のために一生懸命頑張ったことが、結果的に多くの方々に感動を与え、そして勇気づけた、そういうことで多くの方々が私に対して協力してくださるのかなと、こう思っております。
 サッカーのワールドカップ出場、引退したテニスの伊達公子さん、大リーグの野茂選手、彼らの活躍は、日本国内のみならず世界じゅうの日本人あるいは日系の方々に明るい話題を提供し、そして我々に感動や夢や勇気、希望、そして誇りを持たせてくれたと思っております。来年二月の長野五輪では多くの日本選手が活躍し、子供たちから年配まで我々日本人に夢や感動を与えてくれる、私はそう信じています。そして、これらの日本選手の活躍は、人々のスポーツに対する関心を高め、興味を持たせ、生涯スポーツの発展にも役立つと確信しております。
 時間がオーバーしましたけれども、どうも御清聴ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 山下泰裕

speaker_id: 33748

日付: 1997-12-11

院: 参議院

会議名: 文教委員会