伊藤大一の発言 (決算行政監視委員会)

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○伊藤参考人 伊藤でございます。
 この一、二年、公務員制度の改革論議が活発になってまいりました。政府サイドでは、昨年、公務員制度調査会が活動を再開されましたし、人事院でも、独自の研究会を組織して問題の検討に着手されたというふうに伺っております。国会サイドでも、公務員倫理法を制定しようとする動きが急になっていると伺っております。こうした流れを受けまして、本日、当決算行政監視委員会としてもこの問題を取り上げられたのだろうと承知しております。
 なぜ公務員制度の改革が改めて議論されるようになったのかを考えてみますと、一つの大きなきっかけとして、公務員による不祥事の多発ということがあると存じます。そこで、ではなぜ不祥事が多発するのか、その理由は何かといった角度からこの問題を取り上げてみたいと思います。
 お手元に簡単なレジュメをお配りしておきましたのでごらんいただきたいと思います。このレジュメに即して意見を申し述べさせていただきます。
 公務員の不祥事が多発する理由、これが同時に、公務員制度の改革に当たり考慮すべき問題点ということになりますけれども、二つの理由あるいは問題があると思います。一つは、公務員の個人、本人に関する問題であります。これが職業倫理上の理由、問題。二番目は、組織もしくは制度、構造のレベルの問題であります。これが行政構造上の理由、問題というふうにお書きしたものであります。これにつきまして、順次考えを申し述べさせていただきます。
 第一に、職業倫理上の理由、問題でありますけれども、これにつきましては、三つの点を指摘することができるかと存じます。
 一つは、バブル経済の影響であります。
 バブル経済の影響を受けまして、これはもう国民一般が金銭感覚を麻痺させてしまった、失調を来したということが言えると思いますが、公務員についても同じことが言えると思います。
 それに加えまして、このバブル期を通じまして、官民の間の所得格差が拡大したのではないかという感じを私は持っております。これは、民と言いましてもいろいろな民がございますけれども、特にサービス産業あるいは金融部門における所得と公務員の所得との間に格差がある、その格差が拡大したのではないかという印象を持っております。
 この場合の所得と申しますのは、月給だけではございませんで、年金の問題とか退職金の問題等も含めて考えております。
 退職金につきましては、一部のマスコミなどで、次官が、こちらにお見えになっております増島さんは次官の経験者でいらっしゃいますからよく御存じかと思いますけれども、巨額の退職金を得ているというようなことが報道されまして、民間との間にアンバランスがあるということが言われておりますけれども、私は、比較の仕方がちょっと不正確であると。
 民間の場合、例えば次官と比較すべきものは取締役、会社の役員だろうと思うのですけれども、役員の場合はどういう所得構造になっているかと申しますと、企業の内部で出世をされて部長ぐらいまでなられる、そこで一たん退職をされるわけであります。退職金を取られまして、その後で改めて取締役に就任されるということになりますから、実質的にはかなりの所得を得ておられるだろうと思いますが、公務員の場合には、そういう二段階の構造になっておりませんで、一度限りであります。そういうことも考えますと、次官といえどもそれほど大きな退職金は得ておられないだろうと思います。
 加えまして、いわゆるフリンジベネフィットみたいなものがございまして、公務員の場合には特別なフリンジベネフィットはございませんけれども、一部の民間部門、特に金融部門などでは、有利な住宅ローンが使える。そこで現役中に自分の家を持つというケースがふえたと思いますが、公務員の場合にはそういうことはございません。大体が公務員宿舎におられまして、退職と同時に初めて自分の家を持つということが普通だろうと思います。そういうことで、バブル期を通じて持ち家率にも変化があったのではないか。そういったようなことが、公務員の側の金銭感覚を麻痺させる一つの原因になっているのではないかというふうに思います。
    〔委員長退席、原田(昇)委員長代理着席〕
 二番目は、目的意識と申しますか、あるいは使命感が希薄化したのではないかということであります。
 公務員は権限を持っているわけでありますが、この権限の悪用もしくは誤用に対する最も有効な歯どめは、目的意識あるいは使命感に根差す緊張感だろうと思うのです。これは例えば、少し前に日本経済新聞の「経済教室」にイギリスの有名な日本研究者でありますロナルド・ドーア教授が書いておられましたけれども、公務員の腐敗を防止する一番有効な方法は公務員に使命感、誇りを持たせることであるというふうに言っておられました。
 私は全く同意見でございますが、この使命感あるいは誇りが、昭和三十年代、四十年代のいわゆる追いつき型の近代化の時代には非常に高かったと思うのです。国民が生活に苦しんでいる、何とかして欧米並みの生活に到達したい、そういう国民の希望を受けまして公務員が一生懸命頑張ってこられた、そういう使命感といいますか、目的意識が非常にはっきりしておられたと思うのでありますが、昭和五十年代、六十年代に入りまして、追いつき型近代化を達成してしまった後、目的意識が少しぼけてきてしまったのではないかという感じがいたします。そのことが公務員の使命感と申しますか、緊張に弛緩を来したのではないかという印象を持っているわけであります。
 これが二番目の問題でありますが、これは単に公務員個々人の問題ではございませんで、日本国家全体の問題でもあろうかと思います。
 それから三番目は、職業倫理の実効性を担保するメカニズムが弱いのではないかということが考えられます。
 ここに国家公務員法八十四条ということをお書きしておきましたけれども、この八十四条の一項ではへ懲戒処分というものがございます。不幸にして不祥事を起こした公務員に対して懲戒処分をする、この懲戒処分は任命権者、つまり大臣が行うということになっておりますけれども、実際には、恐らく秘書課あたりでそういう事務を担当されるのだろうと思います。そうなりますと、実際には、自分の省庁の職員、身内でありますから、身内に対してはどうしても厳しさが欠けてくるのではないかという問題が一つございます。それからもう一つは、局長とか次官といった上位者には、遠慮があったりいたしまして手を及ぼせないのではないか、そういうこともございます。
 そういうこともあろうかということで、公務員法の八十四条は二項で、任命権者だけではなしに、注の一にお書きしておきましたけれども、人事院が任命権者にかわって懲戒手続を進めることができるという規定を置いているわけでございますが、私の承知しております範囲では、この規定はほとんど使われたことがないというふうに感じております。その辺が、職業倫理に実効性を持たせるメカニズムが少し弱いという一つのポイントーになるかと思います。
 なお、最近、倫理法の問題に絡みまして、アメリカの政府倫理法、エシックス・イン・ガバメント・アクツでございますが、このことがしばしば参照されますけれども、これについて一つだけ御注意いただきたい点がございます。
 それは、アメリカの政府倫理法は、主として政治的な任命職を念頭に置いてつくられたものであります。大体三千名ぐらいの者が大統領の任命になっている政治的任命でありますが、この方々は、公務員になられる前は大多数の方が民間の企業の役員をしておられたわけであります。公務員になられたときに、民間企業におられたときよりもより厳しい倫理基準を守っていただかなければいけないということで、主としてそういう方を念頭に置きまして倫理法が制定されている。
 例えばその中を見ますと、自分のオフィスを使って民間企業の人といろいろ自分の再就職のことを交渉してはいけない。これは、大統領の任期が終わりに近づきますと、またもう一度民間に戻らなければいけない、そのときの自分の再就職先のことを心配し出すわけであります、浮き足立ってくるわけであります。そのときに、自分のオフィスに民間の人を呼んでいろいろ再就職の交渉をしたりする、そういうことのために自分のオフィスを使ってはならぬといったようなことまで書いてあるわけでありまして、これは明らかに、そういう政治的な任命職の方を主たる対象としてつくられた法律だろうと思いますので、その点をちょっと御留意いただきたいと思います。
 以上が、お役人個人の職業倫理に関する問題であります。
 二番目は、行政構造上の問題があると思います。
 これも三つの点が指摘できると思いますが、第一は、日本の行政の場合、いわゆる裁量行政の範囲が広過ぎるということがございます。
 私の友人で、金融行政のことを専門に研究しております者から話を聞きましたが、例えば銀行法という法律は、三十数条であります。でありますから、法律の規定としては非常に簡単であります。実際にその法律に定められた権限を行使する、どういう基準で行使するか、その基準につきましては通達等々で決められている。その通達の数が約一千あるのだそうでありますが、そのくらい、行政の判断あるいは行政官の担当者の判断によって物事が決まるというケースが多いわけであります。
 そういうことになりますと、企業としてはなるべく自分に有利な判断をしてもらおう、さじかげんをしてもらおうということで、どうしても公務員に対して誘惑の手を差しのべるということになってしまいます。そういうことで、裁量行政というのはどうしても腐敗の温床になりやすい。
 先週でございましたけれども、通産省の研究所で「政府と市場」というセミナーがございまして、世界銀行のスティグリッツさんという副総裁の方がお見えになりまして基調講演をしておられましたけれども、そのときに政策レソトという言葉を使っておられました。このレソトというのは、もともとは地代という意味のレソトでありますが、不労所得のことであります。汗水流さないで所得を稼ぐ、これをレソトというふうに申しておりますけれども、裁量行政の範囲が広いということは、裏から返しますと、そういうレソトの幅が大きい、レソトの余地が大きい。企業としては、裁量を自分のために有利に行使してもらって、そして労せずして収益を上げようというふうにどうしても考えてしまうということでありますが、日本の場合には、そういうことで裁量行政の範囲が広過ぎる、裁量レソトが大き過ぎるということでございます。
 これにつきましては、今月の初めの朝日新聞に、官房副長官の古川さんがそういうことをはっきりインタビューのときにおっしゃっておられました。大変印象的でございました。
 二番目は、この裁量行政の裏側になるわけでありますけれども、ルール型の行政に切りかえていかなければいけない。
 ルール型の行政と申しますのは、例えば公正取引委員会がやっておられるような行政でありますけれども、これがいわゆる規制緩和と言われているものだろうと思います。規制緩和と申しますのは、規制をなくしてしまうというのではなくて、規制のあり方を変える、ルール型の規制を設定するということなのだろうと思いますが、私が一つ懸念しておりますのは、全体としてはこういう方向、裁量行政からルール型の行政に移りつつあると思うのですけれども、分野によってはむしろそれに逆行するような現象が見られる。
 例えば金融行政などで、一方で金融の緩和が進む、銀行と証券の壁が取り払われる。そういたしますと、新しいタイプの金融会社が設立されます。その設立に当たって、大蔵省が事実上の承認を与えるといったようなことが行われている。法律にはそういうことは書いてないわけでありまして、むしろ通達によってそういう承認が行われる、事実上の許認可が行われているというようなことがあるやに聞いております。
 これは先生方にお調べいただきたいわけでありますけれども、そういうことで、どうも裁量行政というものの幅が思ったほど縮まっていかないというのが現状だろうと思います。これが二番目の構造上の理由、問題の第一点であります。
 二番目に、専門知識の低下という問題がございます。これは公務員の専門知識、特に民間企業の専門家に比べた場合に、公務員の専門知識がだんだん低下してきているのではないかということであります。
 これにつきましては、注の三にお書きしておきましたけれども、元水産庁長官をなさいました佐竹五六さんとおっしゃる方が最近本をお出しになりました。その中で、これは非常に心配をして書いておられましたけれども、日本の公務員はエキスパートである、テクノクラートであると言われるけれども、一体何のテクノクラートかと申しますと、これは結局、人間関係調整技術、わかりやすく申しますと、根回しの技術のエキスパートである、しかし、それ以外のエキスパートではない。例えば、金融行政を担当しておられるお役人が金融行政、金融活動のことをよく知っているかというとそうではないと、余り御存じないということを書いておられました。農業行政についても同じであるということを佐竹さんは書いておられました。
 他方で、どんどん技術革新が進んでまいります。例えば、アメリカでは金融産業というものもハイテク産業の一つに数えられている。そのぐらい技術革新が著しいところであります。民間の部門では、そういったような新しい技術を取得した人がどんどん出てきている。ところが、お役所の方ではそういう技術を持った人が育っていかない。そこに、大きな技術格差が生じてしまっているということであります。その結果どういうことになるかと申しますと、ここにお書きしておきましたように、裁量行政のもとにおける専門知識の民間依存、わからないことが起きたときには結局民間に聞く、民間に問い合わせるということになってしまうわけであります。
 先日来新聞をにぎわしております、例えばMOF担、大蔵省担当の方が、大蔵省のお役人にかわって実は通達の原案を書いていたといったようなことも報道されておりました。
 数年前でありましたけれども、公正取引委員会がいわゆる業界団体、正式には事業者団体と申しますけれども、業界団体についての実態調査をなさったことがございます。その報告書を拝見いたしましたけれども、日本の業界団体はどういうことをしているか。かなりの業界団体が、二十数%でありましたけれども、お役所にかわって政策あるいは施策の原案をつくっているというようなところもございました。
 これは、業界団体の方が専門知識を持っている、新しい法律なり計画なりをつくるのに必要な情報、知識を持っているということでありまして、そこで、お役所にかわってそういうことをなさっているということが報告書に出ておりました。私もちょっとびっくりいたしましたけれども、そのぐらい技術の点で民間に依存するという傾向が出てきてしまっている。やはりこのことが、公務員の不祥事、腐敗を招く一つの温床になっているのではないかというふうに考えます。
 今後、ルール型の行政になった場合に、それじゃ一体どういうことになるか。私は、専門知識はますます必要になると思うのですね。ルール型の行政と申しますのは、一方でますルールを設定する、その後で今度はそのルールが実際に守られているかどうかを監視する、そういう基準の設定と監視、これはかなり高度な専門技術を必要といたします。それは、例えば今度発足いたします金融監督庁についても同じでありますが、それだけの、民間部門に対抗できるだけの専門知識、専門技術というものを役所の側が持っていなければいけない。そうしなければ、ルール型行政というのは順調に期待されたような効果を発揮いたしません。そういうふうに考えますと、専門知識の重要性はますます高まってくるだろうという感じがいたします。
 三番目は、官民関係における制度と実態の乖離ということをちょっとお書きしておきました。
 ちょっとかた苦しい表現ですけれども、私が申し上げたいと思いましたことは、いわゆる行政システム、官僚制というふうに言われておりますけれども、これまでの官僚制は、秩序行政、一番の中心は警察行政をモデルにした官僚制であったわけであります。その場合には、民間と余り接触しない方がいい、むしろ民間と距離を置いた方がいいという隔絶型の官僚システムになっていた。これは、日本が明治時代にドイツから行政組織を取り入れましたときに、もともとのドイツがそういうような仕組みになっていたわけでありますが、今日までそれが続いております。
 ところが、最近ではそういう警察をモデルとする官僚制ではなくて、むしろ経済官僚、経済行政というものがだんだん中心になってくる。この経済行政ということになりますと、特に市場経済、資本主義経済のもとでは、社会と距離を置くのではなくて、むしろ社会と密接に連絡を保つ、情報を交換する、あるいは人事の交流を図るといったようなことが必要になってまいります。
 そこで、同じ行政システムでも、かつての閉鎖系から開放系に移る、構造転換を図る必要があると思うのでありますが、そこのところがスムーズにいっていない。実際は経済界、社会との接触が必要になってきているのに、行政制度そのものはいまだに閉鎖系のままであるということになりまして、どうしてもそこに無理が生ずる。非公式な接触、社会や経済との非公式な接触というものが始まってくる。それが例えば天下りであったり、接待であったりするということが考えられます。
 そこで、これから先は、社会、経済の進展に合わせまして、行政システムそのものを開放系のものに改めていく。経済、社会との間で情報や人事の自由な交流が行われるようにする。しかも、それでいて行政の公正さというものを保つ、そういったようなシステムを考え出していく必要がある。そういう時代に来ているのだろうと思います。
 その点で、注の四に書いておきましたけれども、最近人事院の方で、国と民間企業との間の人事交流を促進するような制度をつくるべきであるというような意見を内閣及び国会に申し出られておりますが、ぜひこういう制度を実現されたらいいのではないか。私といたしましては、先生方がこの申し出に対して積極的に対応されることを期待したいと思っております。
 なお最後に、二枚目になりますが、補論といたしまして、天下り問題について考えておりますことを若干お書きしておきました。
 天下りという言葉は、非常にあいまいな言葉であります。非常に広く解釈いたしますと、一番初めに①に書きましたように、公務員の民間への再就職、これを全部天下りと見ていく。これは非常に広義の天下りであります。この広義の天下りの中には、これは一概に非難すべきではない、むしろ非常にすぐれたお役人がおられる、能力のすぐれた方がおられる、そういう方が個人の能力を生かして社会的に活躍される、それはいいことだろうと思いますので、これは、広義の天下りのメリットの面であります。
 しかし同時に、天下りには官民の癒着を招くというデメリットもやはりございます。そこで、このメリットとデメリットをどう調整していくか、これが難しいところであります。
 最近、人事院の方で就職承認基準を改正されまして、局長以上には厳しく、課長以下には弾力的にというような新しい基準を設定されました。これは、人事院が大変御苦労なさったのだと思いますけれども、一応局長と課長というところで線を引かれたわけでありますが、これでいいのかどうか。もっと別の線の引き方があるのではないかという感じが私にはしております。
 いずれにしても、これは広義の天下りでありまして、これについては一概には悪とは言えないということですね。
 ところが、二番目に書いておきましたように、もう一つの天下りがあります。狭義の天下りですね。これは、権限を背景とする組織的な押しつけのような再就職であります。
 実際には官房の秘書課あたりが中心になりまして、役所のOBを民間に再就職させるというような慣行でありますけれども、これは大変弊害が大きいと思うのですね。そういうことをいたしますと、どうしても役所の側が民間に対して、弱みを見せる、借りをつくってしまいます。そこを逆につけ込まれるということになりますので、これは腐敗の温床になりやすいというふうに感じます。
 それからもう一つ、そういう組織的な天下り、狭義の天下りは、官房の秘書課あたりが中心になってなさいますので、どうしてもセクショナリズムを強めるような効果もあるのではないかというふうに思いますので、これはぜひやめるべきではないか。それにかわって、行政改革会議でも提案されておりましたし、最近では公務員制度調査会でも検討されております、例えば人材バンク方式ですね、求人情報、求職情報を一元化する、そういう人材バンク方式の天下りと申しますか、再就職というものをお考えになるべきではないかというふうに考えております。これが③に書かれていることでございます。
 また、そういうふうにしてある程度お役人が民間に出ていかれる、活躍されるということは、役所全体を若々しくさせる、役所の老化を防ぐという効果もございます。
 イギリスのお役所に行ったことがございますが、イギリスの役所では定年が六十五歳でございまして、次官、局長というような方々は大体六十を過ぎた方であります。どうしても考え方が慎重になり過ぎてしまう。日本のこれまでの公務員制度のいいところは、若々しい方が、五十代の方が局長、次官になっておられた、課長は四十代である。そういう若々しい方がそういうラインのポストについておられますと、当然斬新な、イノベーティブな政策が出てまいります。そういう官僚組織全体としての若々しさを保つ、その意味でも広義の天下りは歓迎していいのではないかと私は思っておりますが、他方で、不祥事の根をいかにして絶つかということが非常に難しい、思案、工夫のしどころだろうと思っております。
 以上、いろいろなことを申しましたけれども、私の結論といたしましては、ここにお書きいたしましたように、公務員の大多数は今でも誠実である、士気も高いというふうに信じております。こういう公務員の方々が後顧の憂いなく職務に専念できるような環境、条件を構築する、あるいは再構築するということが一番大事なことではないかと感じております。
 以上をもつて私の陳述を終わります。(拍手)

発言情報

speech_id: 114204127X00519980325_002

発言者: 伊藤大一

speaker_id: 21278

日付: 1998-03-25

院: 衆議院

会議名: 決算行政監視委員会