田勢康弘の発言 (決算行政監視委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○田勢参考人 田勢康弘でございます。
 昨年まで、アメリカの大学で研究生活をしておりました。そのときに、私の研究仲間にアメリカの軍の幹部が三人おりました。陸軍、海軍、空軍の軍人であります。彼らと一緒に、大学の代表団で世界各地を回りました。いずれも招待を受けて回りましたけれども、どういうわけか、この三人の軍人は、招待はビジネスクラスで受けておりますけれども、常に彼らはエコノミークラスにしか乗りませんでした。
 私は、非常に不思議に思って、何か軍のルールがあるのかと尋ねたことがございます。彼らの答えは、いや、ルールなどというものはない、しかし、自分たちは国民の税金で国民を守る仕事をしている、したがってプライベートでも自分たちはいつもこのクラスしか乗ったことはない、こういう話でございました。
 仕事柄、世界をあちこち行っておりますけれども、日本の若い官僚がファーストクラスに乗っている姿をしばしば見かけます。それを非難するつもりは全くございませんけれども、しかしながら、本来、このアメリカの軍人が私に言った自分たちの生き方の問題、これは日本人がアメリカ人に胸を張って言うべきことであったのではないかというふうに思うわけでございます。
 昨今の公務員批判、詰まるところ問題は、現在の公務員の制度にあるのではなくて、国家の運営に携わる者としての覚悟の欠如、これに尽きるのではないかというふうに私は思っております。
 古い話ですけれども、西郷隆盛が残した言葉の中にこういう言葉がございます。今も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に負えぬものなり、しかし、この始末に負えぬ人ならでは、報難をともにして国家の大業をなし得ることは不可能であるということを、西郷は南洲遺訓で残しております。
 私は、政治家を含めた国家運営に携わる者としての覚悟は、全くこの一言に尽きるだろう、これがないというところが、今日本が抱えている最大の問題ではないかというふうに思っております。
 マックス・ウェーバーは官僚システムを論理的に説明をした偉大な社会学者であろうと思っておりますが、そのマックス・ウェーバーは、官職は天職であると言っております。まさに私は、今の公務員に、とりわけ幹部候補生たる公務員に、この官職は天職であるという言葉の意味をかみしめていただきたい、何ゆえに国家運営に携わる者としての覚悟というものがなくなってしまったかと。
 日本の歴史を振り返って見ますと、やはり明治以降、一刻も早く近代国家の礎を築こうということで非常に急いで官僚制度ができました。いかにすれば有能な官僚を輩出できるかということで、東京帝国大学法学部の前身がつくられたわけでございます。自来、今日に至るまで、有能な人材というのは、特定の優秀だと言われている大学を優秀な成績で卒業して、かつては高文、今は公務員試験を優秀な成績で入った人たちが有能な人材というふうに言われてまいったわけであります。
 しかしながら、よく考えてみますと、こういう人たちはある意味でぺーパーテストの天才ではありましょうけれども、しかしながら、人間トータルとしての能力、つまり、創造力を持っているか、人徳はどうか、そういうようなことを総合的に考えますと、ぺーパーテストの天才――つまり、ぺーパーテストというのはいついかなるときも必ず正しい答えがあるわけであります。この正しい答えがある問題を解く能力、こういうものに秀でた人たちが本当に国家運営、つまり、国家運営に当たっては恐らく解答のないような問題ばかり発生するわけでありますが、そのときには全く機能しないというのが、今の日本のこの国家の意思決定システムではなかろうかなと思っております。
 かつて、全国から優秀な人材は皆、陸軍へ入りました。その結果、満州国をつくったあたりから、日本の官僚の力と政治の力が逆転してしまったというふうに私は思っております。石原莞爾を初め陸軍の幹部が、満州国をつくり、外圧によって国内を改革しようとしたというのが、その後十五年に及ぶ日中戦争から太平洋戦争へ渡る道筋であったわけであります。政治が本来の機能、つまり国家の意思決定を政治がきちんとするという仕組みになっていれば、これほどの官僚ばっこという事態にはならなかったであろうということを考えますと、現在も同じようなことが相当言えるのではないかというふうに思うわけでございます。
 もう一つ、私も若い官僚に友人、知人がたくさんおります。彼らから感じますのは、強烈なまでの使命感であります。しかしながら、この使命感が正しく育っていかないと、ある時点で、自分たちは国家を動かしているという意識がいつの間にか民間をさげすむ意識につながっている、そういう気配を感じることが間々あります。
 一方で、日本の官僚システムが持っている非常に強大な権限、また裁量行政という名で呼ばれる不透明な部分、それに社会全体を覆っている、自分だけが得をしよう、自分だけがうまいことをしようということが、やはり一刻も早く官が握っている行政の情報をとろうということにつながっていくのだろうというふうに思います。私どもマスメディアを含めて、日本の官僚システムを等身大以上に非常に持ち上げて、実態以上に大きな存在にしてしまったというのが今日の姿であろうと思うわけでございます。一つには、官僚だけの問題ではなくて、日本社会全体の問題であろうというふうに思います。
 下から上へ物事を上げていって決めるボトムアップの方式、これには大変時間がかかります。前例があるかないかということがまた問題になります。予算として計上されているかどうか。この三つの条件が見事に当てはまれば、日本の官僚は実に堅実な仕事をするわけでありますけれども、申し上げるまでもなく、現在のような状況は、前例もなければ時間もない、瞬時にして物事を決めなければならない。そういうときに、何度も申し上げますけれども、政治がきちんと意思表明をする、国家の意思を決めるということをおやりになれば、決して今のような官僚主導という言葉がはびこることにはならないのではないかというふうに思うわけでございます。
 政治家のことを英語ではローメーカーというわけでありますけれども、ぜひこのローメーカー本来の姿に――つまり、現在の日本は正しい意味での三権分立にはなっていない。立法府の相当部分まで行政府が入り込んできております。相当のことを行政府、官僚たちが決めております。これをなるべく理想的な三権分立の姿に戻すことが、公務員制度そのものに手をつけるよりもはるかに効果的であろうというふうに私は思います。
 社会全体のことを考えますと、日本は世界有数の交際費天国、交際費社会でございます。私は、アメリカに駐在しておりますときに、自分で車を運転してホワイトハウスへ入るジム・ベーカー国務長官を何度も見かけました。それがすべていいというようなことを申し上げるつもりはございませんけれども、しかしながら、東京近郊の非常に有名なゴルフ場に朝から夕方までとまっております黒塗りのハイヤーの数を見ますと、ほとんど目まいがする思いがいたします。これがやがて海外から必ず指摘をされて、日本の交際費というものが問題になるときが来るだろうというふうな予感もしております。問題は、公務員だけではなくて、民間を含めた社会全体にあるというふうに思うわけであります。
 最後に一言申し上げたいのは、私どもマスコミの最近の公務員批判というのは、私自身もかなり、度を越す部分もあるというふうに思っております。大事なことは、国家というものの存在を認める限り、つまり国家の存在を前提とする限り、その運営に携わる人間にいかに有能な人たちを集めるかということは、国として非常に大事なことであります。これが正しい意味でのエリーティズム、つまりエリート主義であります。
 しかしながら、エリートには二つの側面があろうかと思います。一つは身分としてのエリート、二つ目は機能としてのエリート。我々が守らなければならないのはこの機能としてのエリートでありますけれども、肝心の官僚の人たちが身分としてのエリートと錯覚をして、自分たちは偉いのだと思ってしまったところが、今のような非常にもうあきれるほどの行儀の悪さにつながってきたのではないかというふうに思っております。
 以上でございます。(拍手)

発言情報

speech_id: 114204127X00519980325_006

発言者: 田勢康弘

speaker_id: 8255

日付: 1998-03-25

院: 衆議院

会議名: 決算行政監視委員会