中北徹の発言 (予算委員会公聴会)
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○中北公述人 東洋大学の中北でございます。よろしくお願いいたします。
最初に結論を申し上げたいと思っております。
きょう申し上げたいことは、市場の時代、ボーダーレスの時代、このような選別の時代において、私は、政府が大変古い発想に立って、わざわざ市場規律に反することを行っているという印象を禁じ得ません。構造改革、行政改革をちゅうちょしている。これでは、経済がますます悪化するのは不思議ではないと私は思っております。そこで、三点に絞ってお話しさせていただきます。
最初に、財政のお話でございます。
きょうこちらで審議が行われます本予算が承認されますと、十兆円の補正予算がすぐ議論が開始されると私は聞いております。しかし、単に目先の景気浮揚のことばかりを考えるのではなく、経済の構造を積極的に、根本的に転換させる政策こそ必要である、財政はそのために強く結びつけた設計、運営が必要であるというふうに私は思っております。
累次の財政投入、あのバブルの崩壊以降、もう六年、七年、八年近くが経過しておりますが、財政支出の拡大が思ったほどの景気浮揚の効果をもたらしていないと私は認識しております。つまり、短期的にも、かつてほどの景気浮揚の効果をもたらしていない。ここへ来てさらに財政出動、歳出の増加というのは、結局は財政赤字を残すのみではないかということを私は危惧しております。
他方におきまして、そのような財政出動、もし公共事業の支援に代表されるような旧来型の歳出であれば、私は日本経済の将来を大変憂うものであります。やはり財政の中身、歳出の中身、根本的にメスを入れて、中身を入れかえていただくことがどうしても必要であるというふうに考えております。
さて、このような中で、昨今関心を集めております公的資金投入の問題、とりわけ優先株等の話について言及させていただきます。
公的資金は、あくまでも預金者保護が鉄則である。優先株などは、やはりモラルハザード、つまり経営規律の弛緩をもたらすので、私は断固反対でございます。しかし実際、今回の申請結果を見てみますと、いかがでしょうか。上位十三行がそろって申請していると報道されておりましたが、その反面で、私はむしろ横並びが崩れたと観察しております。
すなわち、名前こそ挙げませんが、海外で自力で優先株を発行し、国の介入を唯々諾々として受け入れることに反発する意思を示した有力行が数行いるのに対し、自力で市場で資金調達できない銀行が優先株を申請するといったように、銀行間の二極分解が鮮明になっております。
政府が反対を押し切って公的資金を入れても、今や市場の力は押しとどめがたく、選別の傾向はますます拍車がかかっていくのではないかというふうに私は考えております。
このように、今政府の資金をあのような形で投入することは、つまり優先株といった形で投入することは、金融機関のリストラの方向に反する。そして金融機関、とりわけ銀行は膨大な資産を抱え込んでいる。それを腐らせ、その重みで今や沈み込もうとしている。そこへどうしてわざわざ公的資金を投入せざるを得ないのか、極めて疑問であります。
これは恐らく、悪循環の構造をますます根深くし、競争力、収益性をますます悪化させ、紙のように薄い収益しかもうもたらせないのではないかと、私はかなり悲観的に見ております。つまり、もうこの政策は、旧来型の構造を温存する方向で、先送りにすぎないというふうに私は考えております。
貸し渋り、クレジットクランチ、これは公的資金、優先株を購入するという議論の大前提になっているわけでありますが、誤解を恐れず今申し上げますと、この貸し渋り、むしろ新しい経済へ向かって選別が起こることであり、むしろプラスの面も同時に重視しなければならないと私は思っております。頭取を呼びつけて要請云々という報道がございましたが、市場の論理に反する大変野蛮な行為ではないかと私は思っております。
むしろ、本来でありますと、新しい社会をつくり出す担い手に資金を積極的に回していくべきである。つまり、直接金融市場を育成強化し、そのためのインフラの整備に注力することこそ政府の役割ではないかと思います。これはまさに、アメリカが九〇年代初めのあのクレジットクランチ、貸し渋りにおいてたどった道であり、そして現在、隆々とアメリカの金融が繁栄している礎ではないかというふうに思うわけであります。
二点目は、産業としての金融ということを一言申し上げたいと思います。
私は、金融業はもはや社会の公器ではないと思っております。高度成長時代は、既にもう七〇年代の末に終えんしております。すなわち、大企業は資金が潤沢で自己資金も豊富、つまり銀行のローンというものを必ずしも必要としない、競争力をつけた産業というのがもう確立していたわけであります。その後、二十数年経過し、現在に至っておるわけでありますが、このビッグバンを間近に控えた今、金融業、銀行も証券も保険も本質的にサービス産業として自律していくべきであり、もう護送船団のくびきから解いて自律を促していくべきだと思うわけであります。銀行業は、国家が管理するものではなく、市場で鍛え上げられるべきものであると思います。
この意味で、私は、橋本総理が提唱されたビッグバンは大変画期的であると思っております。これは、従来型の審議会、つまり金融制度調査会に代表されます積み上げ方式では、到底実現できないことであったと思います。
タイムリミットを設定し、もうすべてそこに合わせて事実関係をつくり上げていく。つまり、従来の方式であればできなくても、しかしそれはやるのだ、もうそれはひとりでに回っていくのだということで、事実の先行型で市場を形成していく、つまり、デファクトスタンダードであります。
現実に起きていることを承認し、そして、もし万が一弊害があればその都度チェックしていく、そういうシステムに大転換していく契機にぜひなってほしいというふうに私は念願しております。つまり、事前に行政が裁量権を行使しすべてをきめ細かく仕切るのではなく、事後の規制へと転換していく大きな契機であるというふうに思うわけであります。
最後に、三点目でありますが、このビッグバンを成功させるための担保、つまりインフラの整備ということの重要性について、少し具体的にお話しさせていただきたいというふうに思います。
現在、日本では、金融機関の破綻に加え、金融不祥事が相次いでおります。そして、今や財政の破綻もあらわになってきているわけでありますが、こうした中で高齢化社会が進行しております。それは、社会保障の担い手である国家の財政、国家からの手厚い保護、福祉というものがもはや期待できなくなってきたということではないか。つまり、国民一人一人が老後の生活を自分で面倒を見なければならない、もういや応なく自己責任の原則に移っていかざるを得ないということであると思います。
このような厳しい状況の中で、どうしてまたそこにビッグバンを行うのかという疑問を呈する向きもあるかと思いますが、私は、今このビッグバンを推進するからこそ、金融機関のうみが、六年、七年を経過してようやく出てきたのだというふうに認識しております。このような自己責任の増大という要請は、ビッグバンを推進することによって、信頼性のある、透明性の高い、効率的な金融システムを形成し、そして国民が金融の問題を解く形で、自分自身の生活を設計し、自分の将来を責任を持って設計していくという意味でつながっていく、ビッグバンは国民の一人一人に対してそのような意味でつながっていくのだというふうに私は思っております。
つまり、ビッグバンを成功させる条件というのは、消費者が本当にイニシアチブをとって、金融機関に対して本当に厳しい注文をつけ、精いっぱい勉強をし、そのような切磋琢磨から、本当に生き残るに値する金融機関そして金融システムを形成していくことが重要ではないかというふうに思います。
そして、もし消費者が今後自己責任というものを重視しなければならないのだとしますと、最も大事な前提条件は何か。それは情報開示の徹底、ディスクロージャーの徹底と、これを担保する検査監督体制の整備ではないかと私は思います。すなわち、自己責任を貫くためには、すべてを透明化し、市場インフラの整備が必要であります。つまり、規制緩和を推進する、それに劣らずインフラの整備を重視していくことが最も重要であるというふうに考えるわけであります。
そのような意味におきまして、仄聞するところでは、この夏に発足いたします金融監督庁、この金融監督庁の検査機能を強化するため一千人体制が今言われているようでありますが、私は、この検査官の機能の強化、量的にも質的にもうんと高い機能をつくり上げるために、政府は抜本的な措置を考えるべきであるというふうに思います。
私自身、先月アメリカとイギリスへ行ってまいりました。アメリカではSEC、OCC、そしてイギリス・ロンドンでは特にFSA、フィナンシャル・サービシズ・オーソリティー、つまり金融サービス機構であります。これは、あの三百年の歴史を持ったシティー、この器が狭くなったために、新しいシティーをテムズ川の下流のドックランドヤードに今度つくる、そこに換骨奪胎してハイテックの金融監督庁をイギリスはつくろうとしております。
金融ビッグバン、ロンドンの、イギリスのビッグバンといいますと、これは大成功という印象が極めて強いわけでありますが、それは必ずしも正確ではありません。金融監督に関する限りイギリスにおいては大変深い深い反省が行われ、今回このFSA、金融監督庁をつくることになったわけでありますが、ここにおいて注目すべきことは、金融検査に、金融機関からのフィーを取る、検査料を取ります。検査料を取って、これをベースに通常の公務員より高い給料を支払うわけであります。そして、金融検査官というのはすぐれたノウハウが必要でありますから、公務員よりいささか高い給料というものを、これをインセンティブにしてシティーからヘッドハントするわけであります。それぐらいもう各国の金融監督当局は腐心し、金融の規律の強化のためにあらゆる知恵を絞っているわけであります。
あのサッチャーさんが徹底的に行革を行ったわけでありますが、しかし、金融監督に関してはもうこれは単なる行政機関ではない。パブリックな、公的な機関として、市場の中で金融監督機関をつくるというその哲学にのっとって、今、急速な整備をロンドンでは行っております。
私は、そのような状況を目の当たりにして、日本と欧米諸国との格差の大きさに改めて驚愕いたしました。はっきり申し上げて、この国はもう金融の後進国であると言ってしまいたくなるような気持ちで帰ってまいったわけであります。
今後、プロの検査官を育てる、そのためには、研修制度、公的な資格を与える、そうすることによってすぐれた専門家集団をつくり、官と民との間の本質的意味において水平的な労働市場を早急に形成していくこと、これが日本の金融システムを世界標準に押し上げるための最も重要なポイントではないかというふうに私は考えております。
最後になりますが、お配りいたしましたこの表、「ビッグバンと金融行政改革」という概念図をごらんになっていただいて締めくくりたいというふうに思います。
私は、金融ビッグバンが行われますと業種、業態の壁が消滅いたします、消費者がリーダーシップ、決定権を持つ、もう行政ではないということを申し上げました。そうなりますと、これからは、消費者が本当に安心して金融取引をするためには、ユーザーも機関投資家も消費者も守られる、きちっと守ってもらえる法律が必要になってきます。それが金融サービス法であります。これをぜひ早急に整備していただきたい。そして、消費者の観点に立ったものをつくっていただきたいというふうに念願いたします。
そして一方で、この右側におきまして、大蔵省改革、金融と財政の分離の問題がございます。そして、先ほども申しました金融監督庁がこの夏に発足いたしますが、私は、金融監督庁の機能の中身を、今申し上げたようにうんとハイテックにしていただいて、市場重視、インザマーケットになるようにぜひ変えていただきたい、強化していただきたいというふうに強く申し上げるものであります。
そして、この金融監督庁の基本法こそ金融サービス法であり、その上に立って、市場重視の、そして消費者重視の金融行政をやっていただけるよう念願するものであります。
これは、あたかも公正取引委員会があり、その基本法として独禁法があるのと全く同じであります。私は、基本的には、独立性を持った行政委員会、つまり三条委員会であることが将来的に望ましいというふうに思っております。
以上、私の卑見を申し述べました。ありがとうございました。(拍手)