予算委員会公聴会
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会
会議録情報#0
平成十年三月十一日(水曜日)
午前十時開議
出席委員
委員長 越智 通雄君
理事 伊藤 公介君 理事 石川 要三君
理事 中山 利生君 理事 深谷 隆司君
理事 山本 有二君 理事 五島 正規君
理事 高木 義明君 理事 北側 一雄君
理事 加藤 六月君
相沢 英之君 甘利 明君
遠藤 利明君 小澤 潔君
小野寺五典君 大野 松茂君
栗原 博久君 阪上 善秀君
桜井 新君 関谷 勝嗣君
滝 実君 津島 雄二君
葉梨 信行君 萩野 浩基君
桧田 仁君 増田 敏男君
村田 吉隆君 村山 達雄君
綿貫 民輔君 岩國 哲人君
生方 幸夫君 岡田 克也君
海江田万里君 小林 守君
原口 一博君 松沢 成文君
山花 貞夫君 草川 昭三君
斉藤 鉄夫君 西川 知雄君
鈴木 淑夫君 中井 洽君
西川太一郎君 西村 眞悟君
木島日出夫君 中路 雅弘君
春名 直章君 矢島 恒夫君
上原 康助君 北沢 清功君
出席公述人
株式会社東海総
合研究所代表取
締役社長 水谷 研治君
東洋大学経済学
部教授・同経済
研究所長 中北 徹君
立教大学社会学
部産業関係学科
教授 斎藤精一郎君
大阪大学経済学
部教授 本間 正明君
富士総合研究所
理事・研究主幹 高木 勝君
全国商工会連合
会会長 近藤英一郎君
出席政府委員
総務政務次官 熊代 昭彦君
北海道開発政務
次官 吉川 貴盛君
経済企画政務次
官 栗本慎一郎君
環境政務次官 山本 公一君
沖縄開発政務次
官 嘉数 知賢君
大蔵政務次官 中村正三郎君
大蔵省主計局次
長 藤井 秀人君
農林水産政務次
官 岸本 光造君
運輸政務次官 江口 一雄君
郵政政務次官 中谷 元君
労働政務次官 柳本 卓治君
建設政務次官 蓮実 進君
委員外の出席者
予算委員会専門
員 大西 勉君
—————————————
委員の異動
三月十一日
辞任 補欠選任
遠藤 利明君 大野 松茂君
大原 一三君 滝 実君
栗原 博久君 阪上 善秀君
西村 眞悟君 西川太一郎君
志位 和夫君 春名 直章君
不破 哲三君 矢島 恒夫君
同日
辞任 補欠選任
大野 松茂君 小野寺五典君
阪上 善秀君 栗原 博久君
滝 実君 桧田 仁君
西川太一郎君 西村 眞悟君
春名 直章君 志位 和夫君
矢島 恒夫君 中路 雅弘君
同日
辞任 補欠選任
小野寺五典君 遠藤 利明君
桧田 仁君 大原 一三君
中路 雅弘君 不破 哲三君
—————————————
本日の公聴会で意見を聞いた案件
平成十年度一般会計予算
平成十年度特別会計予算
平成十年度政府関係機関予算
————◇—————
この発言だけを見る →午前十時開議
出席委員
委員長 越智 通雄君
理事 伊藤 公介君 理事 石川 要三君
理事 中山 利生君 理事 深谷 隆司君
理事 山本 有二君 理事 五島 正規君
理事 高木 義明君 理事 北側 一雄君
理事 加藤 六月君
相沢 英之君 甘利 明君
遠藤 利明君 小澤 潔君
小野寺五典君 大野 松茂君
栗原 博久君 阪上 善秀君
桜井 新君 関谷 勝嗣君
滝 実君 津島 雄二君
葉梨 信行君 萩野 浩基君
桧田 仁君 増田 敏男君
村田 吉隆君 村山 達雄君
綿貫 民輔君 岩國 哲人君
生方 幸夫君 岡田 克也君
海江田万里君 小林 守君
原口 一博君 松沢 成文君
山花 貞夫君 草川 昭三君
斉藤 鉄夫君 西川 知雄君
鈴木 淑夫君 中井 洽君
西川太一郎君 西村 眞悟君
木島日出夫君 中路 雅弘君
春名 直章君 矢島 恒夫君
上原 康助君 北沢 清功君
出席公述人
株式会社東海総
合研究所代表取
締役社長 水谷 研治君
東洋大学経済学
部教授・同経済
研究所長 中北 徹君
立教大学社会学
部産業関係学科
教授 斎藤精一郎君
大阪大学経済学
部教授 本間 正明君
富士総合研究所
理事・研究主幹 高木 勝君
全国商工会連合
会会長 近藤英一郎君
出席政府委員
総務政務次官 熊代 昭彦君
北海道開発政務
次官 吉川 貴盛君
経済企画政務次
官 栗本慎一郎君
環境政務次官 山本 公一君
沖縄開発政務次
官 嘉数 知賢君
大蔵政務次官 中村正三郎君
大蔵省主計局次
長 藤井 秀人君
農林水産政務次
官 岸本 光造君
運輸政務次官 江口 一雄君
郵政政務次官 中谷 元君
労働政務次官 柳本 卓治君
建設政務次官 蓮実 進君
委員外の出席者
予算委員会専門
員 大西 勉君
—————————————
委員の異動
三月十一日
辞任 補欠選任
遠藤 利明君 大野 松茂君
大原 一三君 滝 実君
栗原 博久君 阪上 善秀君
西村 眞悟君 西川太一郎君
志位 和夫君 春名 直章君
不破 哲三君 矢島 恒夫君
同日
辞任 補欠選任
大野 松茂君 小野寺五典君
阪上 善秀君 栗原 博久君
滝 実君 桧田 仁君
西川太一郎君 西村 眞悟君
春名 直章君 志位 和夫君
矢島 恒夫君 中路 雅弘君
同日
辞任 補欠選任
小野寺五典君 遠藤 利明君
桧田 仁君 大原 一三君
中路 雅弘君 不破 哲三君
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本日の公聴会で意見を聞いた案件
平成十年度一般会計予算
平成十年度特別会計予算
平成十年度政府関係機関予算
————◇—————
越
越智通雄#1
○越智委員長 これより会議を開きます。
平成十年度一般会計予算、平成十年度特別会計予算、平成十年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。
この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成十年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。
御意見を承る順序といたしましては、まず水谷公述人、次に中北公述人、続いて斎藤公述人の順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
それでは、水谷公述人にお願いいたします。
この発言だけを見る →平成十年度一般会計予算、平成十年度特別会計予算、平成十年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。
この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成十年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。
御意見を承る順序といたしましては、まず水谷公述人、次に中北公述人、続いて斎藤公述人の順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
それでは、水谷公述人にお願いいたします。
水
水谷研治#2
○水谷公述人 このように意見を言わせていただきます機会をいただきまして、大変ありがとうございます。私は、東海総合研究所社長の水谷研治でございます。
予算はそもそも収支相償わなければならないものだと私は考えております。その意味におきまして、赤字予算というものが是認できるかどうか、大変な問題であると私は思っております。それじゃ本予算について反対なのかと申し上げますと、今この予算を反対してもし成立しなかったらどういうことになるかという現実問題を考えますと、なかなかそうもいかないということなんであります。といたしますれば、私は、特に条件をつける、赤字を早急に是正するという条件づきで通過させるべきではないかというぐあいに思っております。
私がこのように赤字というものについて特に重要だと思う点につきましては、予算の赤字そのものに大変魅力がございまして、ともすれば赤字予算のわなにかかりやすい。そして、一たんこのわなにかかりますとなかなか逃げられない、こういうことがあろうかと思うからであります。
赤字予算と申しますと、収入よりも支出が大きいわけであります。収入が少ないということは、国の収入のもとは国民の税金であります。国民にとりまして、税金は少ない方が望ましいのであります。収入が少なければ少ないだけ、国民の人気は高まります。
一方、支出は、どんな支出にしろ国民の懐へ入ってまいります。例えば社会保障費、これが支払われるということは、それだけ国民の生活が楽になる、豊かになるのであります。喜ぶべきことであります。公共投資。公共投資を行いますと、関係者のところへお金が回ります。と同時に、それだけではなくて、そのお金が回り回って皆さん方にプラスになるのであります。例えば、道路ができて怒る人はいませんし、橋もかけていただきたい、こういう要望に沿うことができるのであります。
しかも、こういった赤字によりまして景気がよくなります。減税によりまして、皆さん方が懐が暖かくなる。暖かくなればお使いになるのであります。お使いになれば物が売れるのであります。物が売れれば景気がよくなるということでありますし、どんな支出にしろ、政府が支出をすればそれだけだれかの懐に入ってプラスになります。景気に対してプラスになるのであります。あるいは、公共事業をやりますと、それに伴っていろいろな仕事が出てまいります。もちろん、これが景気にプラスになるわけであります。したがって、赤字は大きければ大きいほど、目先的には好ましいのであります。
一般的に、いいことがありますと、その反面悪いことがあるはずなんであります。
では、赤字予算の場合どういう悪い点があるかと申しますと、原則としてインフレという懸念が出てまいります。では、現実にインフレになっているかと申しますと、なっておりません。その気配すらないのであります。といたしますと、いいことだけありまして悪いことが少なければ、どうしても赤字予算の方がいいということになりがちであります。
なぜインフレにならないかと申しますと、これは我が国の経済の特殊性だと私は思っております。物が満ちあふれているからであります。物があり余っておりますので、赤字予算を組んで余分に買いましても物が不足しないからであります。もちろん、皆さんが買えばそれだけ物がなくなります。なくなったらつくればいいのであります。つくる力が大変旺盛なのであります。幾らでもつくれるのであります。しかし、つくれるだけつくるわけにはまいりません。そんなにつくったら、売れ残って置く場所にも困るからであります。
では、現実にどこまでつくっているかといいますと、売れる分しかつくっておりません。したがって、売る力がたくさんございますので、もっと買っていただければもっとつくれる、まだまだつくれる。したがって、たくさん買っていただければ買っていただくほどつくることができて、人を雇うこともできて、企業ももうかるし、国民も潤うわけであります。
そこで、皆さんに買っていただくのにどうするかといいますと、国民の皆さん方、買ってくださいだけではなくて、政府みずからが買う。これがいろいろな公共投資を初めとする支出であります。もちろん、国民の皆さんが買っていただくのがいいのでありまして、国民の皆様方が懐が寂しければ懐を暖かくしてやる。そのための減税というものがきく。すなわち、減税をすればするほど、あるいは支出をふやせばふやすほど景気がよくなるということであります。
なぜ、そうなってもインフレにならないか。大きな供給過剰があると申しました。これは我が国の特殊性でありまして、ほかの国とは随分違う面であります。
ところで、この赤字によりまして我々は何を願うかと申しますと、景気の持続的な拡大を願っているはずであります。減税をやることによりまして、国民が買う。買えば売れる。売れればつくらなければならない。つくるために人を雇う。雇った人に給料を払う。払われた給料で人々が消費財を買う。消費財をつくらなければならない。つくるために人を雇う。そして、雇われた人々に賃金が払われる。人々はそれをもとにして買う。つくらなければならない。人を雇うだけでなくて、機械も買う必要がある。機械が売れる。機械をつくるために人を雇う。その機械を設置するための工場も要る。工場をつくるための建築も出てくるということで、持続的な経済の拡大につながることを願って財政政策を利用するのであります。
現実にそのような動きになっているかと申しますと、なっておりません。
確かに、赤字財政によって景気を引き上げることができます。しかし、それが呼び水となって景気の上昇に弾みをつけることにはなっておりません。それは先ほど申し上げました、余りにも物余りが激しいからであります。これだけ物が余っておりますと、余分に買っていただけるから、余分に売れるからといってすぐに人を雇うということはございません。
どの企業でも、ほとんどの企業では人手が余っております。新たに人を雇う必要はないのであります。多くの企業では機械が余っているのであります。余分につくるのは簡単です。新たに機械を買う必要はございません。したがって、機械の注文に結びつかないのであります。工場建設も同じであります。これだけ過剰生産圧力がある場合には、財政政策そのものが弾みをつけることにならない。一時的に景気をよくすることはできます。しかし、それでおしまいなのであります。
その政策をやめたらどうなるかと申しますと、もとへ戻ります。一たん上昇した経済水準は低下すると私は考えております。
それでいいのかと申しますと、多くの国民は不満になるのであります。したがって、一たん増加させた財政赤字を維持せざるを得ない。そうしますと、維持することによって景気は横ばいになるだけでありまして、引き上げることにならないのであります。本当に引き上げようと思いますと、さらに赤字をふやしていかなければならない、こういったことになってまいります。
現実はそこまでできませんので、どうなっているかと申しますと、一たん引き上げた赤字をそのままにします。すなわち、赤字の分だけ資金が不足いたします。不足する資金は借りなければなりません。主として国債でございます。そこで、赤字の分だけ毎年国債がふえてまいります。そして、現在どのような国債の残高になっているかは、御承知のとおり莫大であります。
国債の残高がふえますと、大変困ることが出てまいります。それは金利の支払いがふえるということであります。現在の金利の支払いが莫大な金額となっておりまして、予算の中に占める比重も大きゅうございます。もはや金利をまともに支払うことは難しくなっております。そこで、金利を支払うためにもまた資金を借りなければならないという事態に追い込まれております。その意味では、国の借金は引き続き増加するでありましょう。そして、それに伴って金利がふえるはずであります。
現在の金利負担が大変大きいと申し上げました。これだけの金利負担と申しますけれども、御承知のように、現在は極めて低い低金利時代なのであります。低い金利ですらこれだけの負担でありまして、将来的にもし金利水準が上がった場合の負担ということを考えますと、大変であります。この金利負担は永遠に国民が担いでいかなければなりません。そのもとになります借金がある限り続くわけであります。
現在、我々は国の借金を減らしておりません。毎年積み上げております。増加の一途をたどっております。そして、これからも、このままでいきますと増加してしまうということを考えますと、今後の国民の負担は大変なものであります。
このような状況になりましても、赤字そのものが目先的に大きなマイナスになっていないという現実がございます。それは、我が国において大きな供給過剰があるからだと申し上げました。もしこれが永遠に続くならば、この赤字財政も一つの方法かもしれません。しかし、私は、将来的にこういう物余りがいつまで続くかということにつきまして、懸念を持っております。
我が国におきまして、これほどまで物余りが出てまいりましたのは、せいぜいこの三十年間であります。四十年前、五十年前を振り返ってみますと、物は足らなかったのであります。百年前もそうです。恐らく千年前もそうでしょう。例外的な物余りが生じたにすぎない、こういうぐあいに考えております。
一体いつまでこれが続くか、いろいろなお考えがおありでございましょうが、私は、海外への生産拠点の移転など、国内産業の空洞化の問題がそのあらわれの一つだと思っておるのであります。生産能力は下がっていくだろうと考えております。それは、私どもの先輩の国の例からも言えるのではないかと思っております。
アメリカは、しばらく前まで物余りの代表的な国だったのであります。莫大な物余りの中で、永遠に物余りが続くかと私は思っておりました。そのアメリカが急速に変わっていったのであります。そして、物が不足し、海外から物を輸入しなければやっていけないというところへいきました。そのアメリカは、かなり復活したのであります。しかし、今でもなおかつ膨大な貿易の赤字を抱えております。恐らく、アメリカの前にはイギリスという国があって、同じような経過をたどったのでありましょう。
アメリカの転換は早かったと思います。しかし、我が国の転換はそれよりもさらに早いのではないでしょうか。我が国には諸外国とは違った要因がつけ加わります。少子化であります。高齢化も加わります。その結果といたしまして、現在のような物余りは一体いつまで続くかという懸念になるわけであります。その段階で、すなわち物余りがなくなった段階でインフレ要因が頭をもたげます。そして、財政赤字が大きな負担になってくるのであります。その段階で財政赤字を圧縮する方がいいのであります。
では、どのように圧縮するかと申しますと、これは支出を下げるということと、収入を上げるということしかないのであります。
支出の圧縮は、例えば社会保障費の削減、これは国民生活に直接影響を及ぼします。マイナスになるわけであります。公共投資の削減、それは大いに必要でありましょう。しかし、莫大となりました公共施設の維持管理のための費用まで削るとなりますと、公共施設の使い勝手が悪くなるのであります。そこまでいかなければならない。しかも、それだけやってもなおかつ不足する分は、相当な増税が待っているのであります。
増税を負担するのは国民であります。その段階におきまして、少子化が響いてまいります。実態として、働ける人の数が減りまして、その人たちの負担が相当重くなるということは明らかなことなのであります。それを目の前にして、私どもは財政赤字を続けていいものだろうかということを懸念するわけであります。
当然赤字を圧縮すべきです。財政の改革をやるべきであります。これは支出の圧縮と収入の増加以外にありません。支出を徹底的に圧縮する、その上収入をふやす。これは増税であります。その結果赤字をなくす、これが第一段階です。黒字にして、我々がつくった借金を返す必要があると私は思っております。
黒字にするために相当の支出をカットし、さらに大きく税金を上げまして黒字になったつもりになりましても、現実にはなかなかそうはまいりません。景気が悪くなるからです。財政改革をやれば、景気にマイナスになるのであります。支出の圧縮にしろ増税にしろ、景気は悪くなります。悪くなるからやめるのか、いや、悪くなるのは覚悟の上で財政を改革するのか、これは重大な問題であります。私は、当然に景気は悪くなると考えております。
それは、言い方を変えますと、今現在の日本の景気は随分大きな力で押し上げられているということの裏返しでもございます。本来、予算は均衡していなければいけないのであります。大きな赤字の分だけ、我々は日本経済を押し上げております。本来使わなければならない支出については、国民が負担しなければならないのであります。負担すべき資金を負担していないから、現在の日本の国民は、我々の生活は実に豊かであると考えられるのであります。
それだけに、我々は物を余分に買い、余分に売れ、そして景気が押し上げられている。これは、今まで二十年以上続いておりますけれども、一体これからも続けられるのであろうか、続けた方がいいのだろうか、こういう疑問であります。
もはや時代は変わっております。先を見なければなりません。すなわち、少子化に対応しなければなりません。といたしますと、私どものつくった借金は我々が返していく、当たり前の話であります。そのために大増税をし、あるいは支出をカットしますと、それに伴いまして企業は倒産し、失業がふえ、失業者が所得税を払えませんので、所得税は減ります。法人税も減ります。税収は減るのであります。したがって、その分も見込んで増税あるいは支出のカットをやらないと、財政の改革はできないのであります。
財政改革には相当な決意が要ります。しかし、それは必要であると私は思います。国民に対して説得しなければならない。今のままやっていきますと私どもの子供や孫にどれくらいの負担になるかということを考えますと、我々が経済水準を下げてこの問題を解決する、当然の話ではないかというところから、赤字につきましては早急に解消すべきである、私はこのように考えるわけであります。
ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →予算はそもそも収支相償わなければならないものだと私は考えております。その意味におきまして、赤字予算というものが是認できるかどうか、大変な問題であると私は思っております。それじゃ本予算について反対なのかと申し上げますと、今この予算を反対してもし成立しなかったらどういうことになるかという現実問題を考えますと、なかなかそうもいかないということなんであります。といたしますれば、私は、特に条件をつける、赤字を早急に是正するという条件づきで通過させるべきではないかというぐあいに思っております。
私がこのように赤字というものについて特に重要だと思う点につきましては、予算の赤字そのものに大変魅力がございまして、ともすれば赤字予算のわなにかかりやすい。そして、一たんこのわなにかかりますとなかなか逃げられない、こういうことがあろうかと思うからであります。
赤字予算と申しますと、収入よりも支出が大きいわけであります。収入が少ないということは、国の収入のもとは国民の税金であります。国民にとりまして、税金は少ない方が望ましいのであります。収入が少なければ少ないだけ、国民の人気は高まります。
一方、支出は、どんな支出にしろ国民の懐へ入ってまいります。例えば社会保障費、これが支払われるということは、それだけ国民の生活が楽になる、豊かになるのであります。喜ぶべきことであります。公共投資。公共投資を行いますと、関係者のところへお金が回ります。と同時に、それだけではなくて、そのお金が回り回って皆さん方にプラスになるのであります。例えば、道路ができて怒る人はいませんし、橋もかけていただきたい、こういう要望に沿うことができるのであります。
しかも、こういった赤字によりまして景気がよくなります。減税によりまして、皆さん方が懐が暖かくなる。暖かくなればお使いになるのであります。お使いになれば物が売れるのであります。物が売れれば景気がよくなるということでありますし、どんな支出にしろ、政府が支出をすればそれだけだれかの懐に入ってプラスになります。景気に対してプラスになるのであります。あるいは、公共事業をやりますと、それに伴っていろいろな仕事が出てまいります。もちろん、これが景気にプラスになるわけであります。したがって、赤字は大きければ大きいほど、目先的には好ましいのであります。
一般的に、いいことがありますと、その反面悪いことがあるはずなんであります。
では、赤字予算の場合どういう悪い点があるかと申しますと、原則としてインフレという懸念が出てまいります。では、現実にインフレになっているかと申しますと、なっておりません。その気配すらないのであります。といたしますと、いいことだけありまして悪いことが少なければ、どうしても赤字予算の方がいいということになりがちであります。
なぜインフレにならないかと申しますと、これは我が国の経済の特殊性だと私は思っております。物が満ちあふれているからであります。物があり余っておりますので、赤字予算を組んで余分に買いましても物が不足しないからであります。もちろん、皆さんが買えばそれだけ物がなくなります。なくなったらつくればいいのであります。つくる力が大変旺盛なのであります。幾らでもつくれるのであります。しかし、つくれるだけつくるわけにはまいりません。そんなにつくったら、売れ残って置く場所にも困るからであります。
では、現実にどこまでつくっているかといいますと、売れる分しかつくっておりません。したがって、売る力がたくさんございますので、もっと買っていただければもっとつくれる、まだまだつくれる。したがって、たくさん買っていただければ買っていただくほどつくることができて、人を雇うこともできて、企業ももうかるし、国民も潤うわけであります。
そこで、皆さんに買っていただくのにどうするかといいますと、国民の皆さん方、買ってくださいだけではなくて、政府みずからが買う。これがいろいろな公共投資を初めとする支出であります。もちろん、国民の皆さんが買っていただくのがいいのでありまして、国民の皆様方が懐が寂しければ懐を暖かくしてやる。そのための減税というものがきく。すなわち、減税をすればするほど、あるいは支出をふやせばふやすほど景気がよくなるということであります。
なぜ、そうなってもインフレにならないか。大きな供給過剰があると申しました。これは我が国の特殊性でありまして、ほかの国とは随分違う面であります。
ところで、この赤字によりまして我々は何を願うかと申しますと、景気の持続的な拡大を願っているはずであります。減税をやることによりまして、国民が買う。買えば売れる。売れればつくらなければならない。つくるために人を雇う。雇った人に給料を払う。払われた給料で人々が消費財を買う。消費財をつくらなければならない。つくるために人を雇う。そして、雇われた人々に賃金が払われる。人々はそれをもとにして買う。つくらなければならない。人を雇うだけでなくて、機械も買う必要がある。機械が売れる。機械をつくるために人を雇う。その機械を設置するための工場も要る。工場をつくるための建築も出てくるということで、持続的な経済の拡大につながることを願って財政政策を利用するのであります。
現実にそのような動きになっているかと申しますと、なっておりません。
確かに、赤字財政によって景気を引き上げることができます。しかし、それが呼び水となって景気の上昇に弾みをつけることにはなっておりません。それは先ほど申し上げました、余りにも物余りが激しいからであります。これだけ物が余っておりますと、余分に買っていただけるから、余分に売れるからといってすぐに人を雇うということはございません。
どの企業でも、ほとんどの企業では人手が余っております。新たに人を雇う必要はないのであります。多くの企業では機械が余っているのであります。余分につくるのは簡単です。新たに機械を買う必要はございません。したがって、機械の注文に結びつかないのであります。工場建設も同じであります。これだけ過剰生産圧力がある場合には、財政政策そのものが弾みをつけることにならない。一時的に景気をよくすることはできます。しかし、それでおしまいなのであります。
その政策をやめたらどうなるかと申しますと、もとへ戻ります。一たん上昇した経済水準は低下すると私は考えております。
それでいいのかと申しますと、多くの国民は不満になるのであります。したがって、一たん増加させた財政赤字を維持せざるを得ない。そうしますと、維持することによって景気は横ばいになるだけでありまして、引き上げることにならないのであります。本当に引き上げようと思いますと、さらに赤字をふやしていかなければならない、こういったことになってまいります。
現実はそこまでできませんので、どうなっているかと申しますと、一たん引き上げた赤字をそのままにします。すなわち、赤字の分だけ資金が不足いたします。不足する資金は借りなければなりません。主として国債でございます。そこで、赤字の分だけ毎年国債がふえてまいります。そして、現在どのような国債の残高になっているかは、御承知のとおり莫大であります。
国債の残高がふえますと、大変困ることが出てまいります。それは金利の支払いがふえるということであります。現在の金利の支払いが莫大な金額となっておりまして、予算の中に占める比重も大きゅうございます。もはや金利をまともに支払うことは難しくなっております。そこで、金利を支払うためにもまた資金を借りなければならないという事態に追い込まれております。その意味では、国の借金は引き続き増加するでありましょう。そして、それに伴って金利がふえるはずであります。
現在の金利負担が大変大きいと申し上げました。これだけの金利負担と申しますけれども、御承知のように、現在は極めて低い低金利時代なのであります。低い金利ですらこれだけの負担でありまして、将来的にもし金利水準が上がった場合の負担ということを考えますと、大変であります。この金利負担は永遠に国民が担いでいかなければなりません。そのもとになります借金がある限り続くわけであります。
現在、我々は国の借金を減らしておりません。毎年積み上げております。増加の一途をたどっております。そして、これからも、このままでいきますと増加してしまうということを考えますと、今後の国民の負担は大変なものであります。
このような状況になりましても、赤字そのものが目先的に大きなマイナスになっていないという現実がございます。それは、我が国において大きな供給過剰があるからだと申し上げました。もしこれが永遠に続くならば、この赤字財政も一つの方法かもしれません。しかし、私は、将来的にこういう物余りがいつまで続くかということにつきまして、懸念を持っております。
我が国におきまして、これほどまで物余りが出てまいりましたのは、せいぜいこの三十年間であります。四十年前、五十年前を振り返ってみますと、物は足らなかったのであります。百年前もそうです。恐らく千年前もそうでしょう。例外的な物余りが生じたにすぎない、こういうぐあいに考えております。
一体いつまでこれが続くか、いろいろなお考えがおありでございましょうが、私は、海外への生産拠点の移転など、国内産業の空洞化の問題がそのあらわれの一つだと思っておるのであります。生産能力は下がっていくだろうと考えております。それは、私どもの先輩の国の例からも言えるのではないかと思っております。
アメリカは、しばらく前まで物余りの代表的な国だったのであります。莫大な物余りの中で、永遠に物余りが続くかと私は思っておりました。そのアメリカが急速に変わっていったのであります。そして、物が不足し、海外から物を輸入しなければやっていけないというところへいきました。そのアメリカは、かなり復活したのであります。しかし、今でもなおかつ膨大な貿易の赤字を抱えております。恐らく、アメリカの前にはイギリスという国があって、同じような経過をたどったのでありましょう。
アメリカの転換は早かったと思います。しかし、我が国の転換はそれよりもさらに早いのではないでしょうか。我が国には諸外国とは違った要因がつけ加わります。少子化であります。高齢化も加わります。その結果といたしまして、現在のような物余りは一体いつまで続くかという懸念になるわけであります。その段階で、すなわち物余りがなくなった段階でインフレ要因が頭をもたげます。そして、財政赤字が大きな負担になってくるのであります。その段階で財政赤字を圧縮する方がいいのであります。
では、どのように圧縮するかと申しますと、これは支出を下げるということと、収入を上げるということしかないのであります。
支出の圧縮は、例えば社会保障費の削減、これは国民生活に直接影響を及ぼします。マイナスになるわけであります。公共投資の削減、それは大いに必要でありましょう。しかし、莫大となりました公共施設の維持管理のための費用まで削るとなりますと、公共施設の使い勝手が悪くなるのであります。そこまでいかなければならない。しかも、それだけやってもなおかつ不足する分は、相当な増税が待っているのであります。
増税を負担するのは国民であります。その段階におきまして、少子化が響いてまいります。実態として、働ける人の数が減りまして、その人たちの負担が相当重くなるということは明らかなことなのであります。それを目の前にして、私どもは財政赤字を続けていいものだろうかということを懸念するわけであります。
当然赤字を圧縮すべきです。財政の改革をやるべきであります。これは支出の圧縮と収入の増加以外にありません。支出を徹底的に圧縮する、その上収入をふやす。これは増税であります。その結果赤字をなくす、これが第一段階です。黒字にして、我々がつくった借金を返す必要があると私は思っております。
黒字にするために相当の支出をカットし、さらに大きく税金を上げまして黒字になったつもりになりましても、現実にはなかなかそうはまいりません。景気が悪くなるからです。財政改革をやれば、景気にマイナスになるのであります。支出の圧縮にしろ増税にしろ、景気は悪くなります。悪くなるからやめるのか、いや、悪くなるのは覚悟の上で財政を改革するのか、これは重大な問題であります。私は、当然に景気は悪くなると考えております。
それは、言い方を変えますと、今現在の日本の景気は随分大きな力で押し上げられているということの裏返しでもございます。本来、予算は均衡していなければいけないのであります。大きな赤字の分だけ、我々は日本経済を押し上げております。本来使わなければならない支出については、国民が負担しなければならないのであります。負担すべき資金を負担していないから、現在の日本の国民は、我々の生活は実に豊かであると考えられるのであります。
それだけに、我々は物を余分に買い、余分に売れ、そして景気が押し上げられている。これは、今まで二十年以上続いておりますけれども、一体これからも続けられるのであろうか、続けた方がいいのだろうか、こういう疑問であります。
もはや時代は変わっております。先を見なければなりません。すなわち、少子化に対応しなければなりません。といたしますと、私どものつくった借金は我々が返していく、当たり前の話であります。そのために大増税をし、あるいは支出をカットしますと、それに伴いまして企業は倒産し、失業がふえ、失業者が所得税を払えませんので、所得税は減ります。法人税も減ります。税収は減るのであります。したがって、その分も見込んで増税あるいは支出のカットをやらないと、財政の改革はできないのであります。
財政改革には相当な決意が要ります。しかし、それは必要であると私は思います。国民に対して説得しなければならない。今のままやっていきますと私どもの子供や孫にどれくらいの負担になるかということを考えますと、我々が経済水準を下げてこの問題を解決する、当然の話ではないかというところから、赤字につきましては早急に解消すべきである、私はこのように考えるわけであります。
ありがとうございました。拍手
越
中
中北徹#4
○中北公述人 東洋大学の中北でございます。よろしくお願いいたします。
最初に結論を申し上げたいと思っております。
きょう申し上げたいことは、市場の時代、ボーダーレスの時代、このような選別の時代において、私は、政府が大変古い発想に立って、わざわざ市場規律に反することを行っているという印象を禁じ得ません。構造改革、行政改革をちゅうちょしている。これでは、経済がますます悪化するのは不思議ではないと私は思っております。そこで、三点に絞ってお話しさせていただきます。
最初に、財政のお話でございます。
きょうこちらで審議が行われます本予算が承認されますと、十兆円の補正予算がすぐ議論が開始されると私は聞いております。しかし、単に目先の景気浮揚のことばかりを考えるのではなく、経済の構造を積極的に、根本的に転換させる政策こそ必要である、財政はそのために強く結びつけた設計、運営が必要であるというふうに私は思っております。
累次の財政投入、あのバブルの崩壊以降、もう六年、七年、八年近くが経過しておりますが、財政支出の拡大が思ったほどの景気浮揚の効果をもたらしていないと私は認識しております。つまり、短期的にも、かつてほどの景気浮揚の効果をもたらしていない。ここへ来てさらに財政出動、歳出の増加というのは、結局は財政赤字を残すのみではないかということを私は危惧しております。
他方におきまして、そのような財政出動、もし公共事業の支援に代表されるような旧来型の歳出であれば、私は日本経済の将来を大変憂うものであります。やはり財政の中身、歳出の中身、根本的にメスを入れて、中身を入れかえていただくことがどうしても必要であるというふうに考えております。
さて、このような中で、昨今関心を集めております公的資金投入の問題、とりわけ優先株等の話について言及させていただきます。
公的資金は、あくまでも預金者保護が鉄則である。優先株などは、やはりモラルハザード、つまり経営規律の弛緩をもたらすので、私は断固反対でございます。しかし実際、今回の申請結果を見てみますと、いかがでしょうか。上位十三行がそろって申請していると報道されておりましたが、その反面で、私はむしろ横並びが崩れたと観察しております。
すなわち、名前こそ挙げませんが、海外で自力で優先株を発行し、国の介入を唯々諾々として受け入れることに反発する意思を示した有力行が数行いるのに対し、自力で市場で資金調達できない銀行が優先株を申請するといったように、銀行間の二極分解が鮮明になっております。
政府が反対を押し切って公的資金を入れても、今や市場の力は押しとどめがたく、選別の傾向はますます拍車がかかっていくのではないかというふうに私は考えております。
このように、今政府の資金をあのような形で投入することは、つまり優先株といった形で投入することは、金融機関のリストラの方向に反する。そして金融機関、とりわけ銀行は膨大な資産を抱え込んでいる。それを腐らせ、その重みで今や沈み込もうとしている。そこへどうしてわざわざ公的資金を投入せざるを得ないのか、極めて疑問であります。
これは恐らく、悪循環の構造をますます根深くし、競争力、収益性をますます悪化させ、紙のように薄い収益しかもうもたらせないのではないかと、私はかなり悲観的に見ております。つまり、もうこの政策は、旧来型の構造を温存する方向で、先送りにすぎないというふうに私は考えております。
貸し渋り、クレジットクランチ、これは公的資金、優先株を購入するという議論の大前提になっているわけでありますが、誤解を恐れず今申し上げますと、この貸し渋り、むしろ新しい経済へ向かって選別が起こることであり、むしろプラスの面も同時に重視しなければならないと私は思っております。頭取を呼びつけて要請云々という報道がございましたが、市場の論理に反する大変野蛮な行為ではないかと私は思っております。
むしろ、本来でありますと、新しい社会をつくり出す担い手に資金を積極的に回していくべきである。つまり、直接金融市場を育成強化し、そのためのインフラの整備に注力することこそ政府の役割ではないかと思います。これはまさに、アメリカが九〇年代初めのあのクレジットクランチ、貸し渋りにおいてたどった道であり、そして現在、隆々とアメリカの金融が繁栄している礎ではないかというふうに思うわけであります。
二点目は、産業としての金融ということを一言申し上げたいと思います。
私は、金融業はもはや社会の公器ではないと思っております。高度成長時代は、既にもう七〇年代の末に終えんしております。すなわち、大企業は資金が潤沢で自己資金も豊富、つまり銀行のローンというものを必ずしも必要としない、競争力をつけた産業というのがもう確立していたわけであります。その後、二十数年経過し、現在に至っておるわけでありますが、このビッグバンを間近に控えた今、金融業、銀行も証券も保険も本質的にサービス産業として自律していくべきであり、もう護送船団のくびきから解いて自律を促していくべきだと思うわけであります。銀行業は、国家が管理するものではなく、市場で鍛え上げられるべきものであると思います。
この意味で、私は、橋本総理が提唱されたビッグバンは大変画期的であると思っております。これは、従来型の審議会、つまり金融制度調査会に代表されます積み上げ方式では、到底実現できないことであったと思います。
タイムリミットを設定し、もうすべてそこに合わせて事実関係をつくり上げていく。つまり、従来の方式であればできなくても、しかしそれはやるのだ、もうそれはひとりでに回っていくのだということで、事実の先行型で市場を形成していく、つまり、デファクトスタンダードであります。
現実に起きていることを承認し、そして、もし万が一弊害があればその都度チェックしていく、そういうシステムに大転換していく契機にぜひなってほしいというふうに私は念願しております。つまり、事前に行政が裁量権を行使しすべてをきめ細かく仕切るのではなく、事後の規制へと転換していく大きな契機であるというふうに思うわけであります。
最後に、三点目でありますが、このビッグバンを成功させるための担保、つまりインフラの整備ということの重要性について、少し具体的にお話しさせていただきたいというふうに思います。
現在、日本では、金融機関の破綻に加え、金融不祥事が相次いでおります。そして、今や財政の破綻もあらわになってきているわけでありますが、こうした中で高齢化社会が進行しております。それは、社会保障の担い手である国家の財政、国家からの手厚い保護、福祉というものがもはや期待できなくなってきたということではないか。つまり、国民一人一人が老後の生活を自分で面倒を見なければならない、もういや応なく自己責任の原則に移っていかざるを得ないということであると思います。
このような厳しい状況の中で、どうしてまたそこにビッグバンを行うのかという疑問を呈する向きもあるかと思いますが、私は、今このビッグバンを推進するからこそ、金融機関のうみが、六年、七年を経過してようやく出てきたのだというふうに認識しております。このような自己責任の増大という要請は、ビッグバンを推進することによって、信頼性のある、透明性の高い、効率的な金融システムを形成し、そして国民が金融の問題を解く形で、自分自身の生活を設計し、自分の将来を責任を持って設計していくという意味でつながっていく、ビッグバンは国民の一人一人に対してそのような意味でつながっていくのだというふうに私は思っております。
つまり、ビッグバンを成功させる条件というのは、消費者が本当にイニシアチブをとって、金融機関に対して本当に厳しい注文をつけ、精いっぱい勉強をし、そのような切磋琢磨から、本当に生き残るに値する金融機関そして金融システムを形成していくことが重要ではないかというふうに思います。
そして、もし消費者が今後自己責任というものを重視しなければならないのだとしますと、最も大事な前提条件は何か。それは情報開示の徹底、ディスクロージャーの徹底と、これを担保する検査監督体制の整備ではないかと私は思います。すなわち、自己責任を貫くためには、すべてを透明化し、市場インフラの整備が必要であります。つまり、規制緩和を推進する、それに劣らずインフラの整備を重視していくことが最も重要であるというふうに考えるわけであります。
そのような意味におきまして、仄聞するところでは、この夏に発足いたします金融監督庁、この金融監督庁の検査機能を強化するため一千人体制が今言われているようでありますが、私は、この検査官の機能の強化、量的にも質的にもうんと高い機能をつくり上げるために、政府は抜本的な措置を考えるべきであるというふうに思います。
私自身、先月アメリカとイギリスへ行ってまいりました。アメリカではSEC、OCC、そしてイギリス・ロンドンでは特にFSA、フィナンシャル・サービシズ・オーソリティー、つまり金融サービス機構であります。これは、あの三百年の歴史を持ったシティー、この器が狭くなったために、新しいシティーをテムズ川の下流のドックランドヤードに今度つくる、そこに換骨奪胎してハイテックの金融監督庁をイギリスはつくろうとしております。
金融ビッグバン、ロンドンの、イギリスのビッグバンといいますと、これは大成功という印象が極めて強いわけでありますが、それは必ずしも正確ではありません。金融監督に関する限りイギリスにおいては大変深い深い反省が行われ、今回このFSA、金融監督庁をつくることになったわけでありますが、ここにおいて注目すべきことは、金融検査に、金融機関からのフィーを取る、検査料を取ります。検査料を取って、これをベースに通常の公務員より高い給料を支払うわけであります。そして、金融検査官というのはすぐれたノウハウが必要でありますから、公務員よりいささか高い給料というものを、これをインセンティブにしてシティーからヘッドハントするわけであります。それぐらいもう各国の金融監督当局は腐心し、金融の規律の強化のためにあらゆる知恵を絞っているわけであります。
あのサッチャーさんが徹底的に行革を行ったわけでありますが、しかし、金融監督に関してはもうこれは単なる行政機関ではない。パブリックな、公的な機関として、市場の中で金融監督機関をつくるというその哲学にのっとって、今、急速な整備をロンドンでは行っております。
私は、そのような状況を目の当たりにして、日本と欧米諸国との格差の大きさに改めて驚愕いたしました。はっきり申し上げて、この国はもう金融の後進国であると言ってしまいたくなるような気持ちで帰ってまいったわけであります。
今後、プロの検査官を育てる、そのためには、研修制度、公的な資格を与える、そうすることによってすぐれた専門家集団をつくり、官と民との間の本質的意味において水平的な労働市場を早急に形成していくこと、これが日本の金融システムを世界標準に押し上げるための最も重要なポイントではないかというふうに私は考えております。
最後になりますが、お配りいたしましたこの表、「ビッグバンと金融行政改革」という概念図をごらんになっていただいて締めくくりたいというふうに思います。
私は、金融ビッグバンが行われますと業種、業態の壁が消滅いたします、消費者がリーダーシップ、決定権を持つ、もう行政ではないということを申し上げました。そうなりますと、これからは、消費者が本当に安心して金融取引をするためには、ユーザーも機関投資家も消費者も守られる、きちっと守ってもらえる法律が必要になってきます。それが金融サービス法であります。これをぜひ早急に整備していただきたい。そして、消費者の観点に立ったものをつくっていただきたいというふうに念願いたします。
そして一方で、この右側におきまして、大蔵省改革、金融と財政の分離の問題がございます。そして、先ほども申しました金融監督庁がこの夏に発足いたしますが、私は、金融監督庁の機能の中身を、今申し上げたようにうんとハイテックにしていただいて、市場重視、インザマーケットになるようにぜひ変えていただきたい、強化していただきたいというふうに強く申し上げるものであります。
そして、この金融監督庁の基本法こそ金融サービス法であり、その上に立って、市場重視の、そして消費者重視の金融行政をやっていただけるよう念願するものであります。
これは、あたかも公正取引委員会があり、その基本法として独禁法があるのと全く同じであります。私は、基本的には、独立性を持った行政委員会、つまり三条委員会であることが将来的に望ましいというふうに思っております。
以上、私の卑見を申し述べました。ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →最初に結論を申し上げたいと思っております。
きょう申し上げたいことは、市場の時代、ボーダーレスの時代、このような選別の時代において、私は、政府が大変古い発想に立って、わざわざ市場規律に反することを行っているという印象を禁じ得ません。構造改革、行政改革をちゅうちょしている。これでは、経済がますます悪化するのは不思議ではないと私は思っております。そこで、三点に絞ってお話しさせていただきます。
最初に、財政のお話でございます。
きょうこちらで審議が行われます本予算が承認されますと、十兆円の補正予算がすぐ議論が開始されると私は聞いております。しかし、単に目先の景気浮揚のことばかりを考えるのではなく、経済の構造を積極的に、根本的に転換させる政策こそ必要である、財政はそのために強く結びつけた設計、運営が必要であるというふうに私は思っております。
累次の財政投入、あのバブルの崩壊以降、もう六年、七年、八年近くが経過しておりますが、財政支出の拡大が思ったほどの景気浮揚の効果をもたらしていないと私は認識しております。つまり、短期的にも、かつてほどの景気浮揚の効果をもたらしていない。ここへ来てさらに財政出動、歳出の増加というのは、結局は財政赤字を残すのみではないかということを私は危惧しております。
他方におきまして、そのような財政出動、もし公共事業の支援に代表されるような旧来型の歳出であれば、私は日本経済の将来を大変憂うものであります。やはり財政の中身、歳出の中身、根本的にメスを入れて、中身を入れかえていただくことがどうしても必要であるというふうに考えております。
さて、このような中で、昨今関心を集めております公的資金投入の問題、とりわけ優先株等の話について言及させていただきます。
公的資金は、あくまでも預金者保護が鉄則である。優先株などは、やはりモラルハザード、つまり経営規律の弛緩をもたらすので、私は断固反対でございます。しかし実際、今回の申請結果を見てみますと、いかがでしょうか。上位十三行がそろって申請していると報道されておりましたが、その反面で、私はむしろ横並びが崩れたと観察しております。
すなわち、名前こそ挙げませんが、海外で自力で優先株を発行し、国の介入を唯々諾々として受け入れることに反発する意思を示した有力行が数行いるのに対し、自力で市場で資金調達できない銀行が優先株を申請するといったように、銀行間の二極分解が鮮明になっております。
政府が反対を押し切って公的資金を入れても、今や市場の力は押しとどめがたく、選別の傾向はますます拍車がかかっていくのではないかというふうに私は考えております。
このように、今政府の資金をあのような形で投入することは、つまり優先株といった形で投入することは、金融機関のリストラの方向に反する。そして金融機関、とりわけ銀行は膨大な資産を抱え込んでいる。それを腐らせ、その重みで今や沈み込もうとしている。そこへどうしてわざわざ公的資金を投入せざるを得ないのか、極めて疑問であります。
これは恐らく、悪循環の構造をますます根深くし、競争力、収益性をますます悪化させ、紙のように薄い収益しかもうもたらせないのではないかと、私はかなり悲観的に見ております。つまり、もうこの政策は、旧来型の構造を温存する方向で、先送りにすぎないというふうに私は考えております。
貸し渋り、クレジットクランチ、これは公的資金、優先株を購入するという議論の大前提になっているわけでありますが、誤解を恐れず今申し上げますと、この貸し渋り、むしろ新しい経済へ向かって選別が起こることであり、むしろプラスの面も同時に重視しなければならないと私は思っております。頭取を呼びつけて要請云々という報道がございましたが、市場の論理に反する大変野蛮な行為ではないかと私は思っております。
むしろ、本来でありますと、新しい社会をつくり出す担い手に資金を積極的に回していくべきである。つまり、直接金融市場を育成強化し、そのためのインフラの整備に注力することこそ政府の役割ではないかと思います。これはまさに、アメリカが九〇年代初めのあのクレジットクランチ、貸し渋りにおいてたどった道であり、そして現在、隆々とアメリカの金融が繁栄している礎ではないかというふうに思うわけであります。
二点目は、産業としての金融ということを一言申し上げたいと思います。
私は、金融業はもはや社会の公器ではないと思っております。高度成長時代は、既にもう七〇年代の末に終えんしております。すなわち、大企業は資金が潤沢で自己資金も豊富、つまり銀行のローンというものを必ずしも必要としない、競争力をつけた産業というのがもう確立していたわけであります。その後、二十数年経過し、現在に至っておるわけでありますが、このビッグバンを間近に控えた今、金融業、銀行も証券も保険も本質的にサービス産業として自律していくべきであり、もう護送船団のくびきから解いて自律を促していくべきだと思うわけであります。銀行業は、国家が管理するものではなく、市場で鍛え上げられるべきものであると思います。
この意味で、私は、橋本総理が提唱されたビッグバンは大変画期的であると思っております。これは、従来型の審議会、つまり金融制度調査会に代表されます積み上げ方式では、到底実現できないことであったと思います。
タイムリミットを設定し、もうすべてそこに合わせて事実関係をつくり上げていく。つまり、従来の方式であればできなくても、しかしそれはやるのだ、もうそれはひとりでに回っていくのだということで、事実の先行型で市場を形成していく、つまり、デファクトスタンダードであります。
現実に起きていることを承認し、そして、もし万が一弊害があればその都度チェックしていく、そういうシステムに大転換していく契機にぜひなってほしいというふうに私は念願しております。つまり、事前に行政が裁量権を行使しすべてをきめ細かく仕切るのではなく、事後の規制へと転換していく大きな契機であるというふうに思うわけであります。
最後に、三点目でありますが、このビッグバンを成功させるための担保、つまりインフラの整備ということの重要性について、少し具体的にお話しさせていただきたいというふうに思います。
現在、日本では、金融機関の破綻に加え、金融不祥事が相次いでおります。そして、今や財政の破綻もあらわになってきているわけでありますが、こうした中で高齢化社会が進行しております。それは、社会保障の担い手である国家の財政、国家からの手厚い保護、福祉というものがもはや期待できなくなってきたということではないか。つまり、国民一人一人が老後の生活を自分で面倒を見なければならない、もういや応なく自己責任の原則に移っていかざるを得ないということであると思います。
このような厳しい状況の中で、どうしてまたそこにビッグバンを行うのかという疑問を呈する向きもあるかと思いますが、私は、今このビッグバンを推進するからこそ、金融機関のうみが、六年、七年を経過してようやく出てきたのだというふうに認識しております。このような自己責任の増大という要請は、ビッグバンを推進することによって、信頼性のある、透明性の高い、効率的な金融システムを形成し、そして国民が金融の問題を解く形で、自分自身の生活を設計し、自分の将来を責任を持って設計していくという意味でつながっていく、ビッグバンは国民の一人一人に対してそのような意味でつながっていくのだというふうに私は思っております。
つまり、ビッグバンを成功させる条件というのは、消費者が本当にイニシアチブをとって、金融機関に対して本当に厳しい注文をつけ、精いっぱい勉強をし、そのような切磋琢磨から、本当に生き残るに値する金融機関そして金融システムを形成していくことが重要ではないかというふうに思います。
そして、もし消費者が今後自己責任というものを重視しなければならないのだとしますと、最も大事な前提条件は何か。それは情報開示の徹底、ディスクロージャーの徹底と、これを担保する検査監督体制の整備ではないかと私は思います。すなわち、自己責任を貫くためには、すべてを透明化し、市場インフラの整備が必要であります。つまり、規制緩和を推進する、それに劣らずインフラの整備を重視していくことが最も重要であるというふうに考えるわけであります。
そのような意味におきまして、仄聞するところでは、この夏に発足いたします金融監督庁、この金融監督庁の検査機能を強化するため一千人体制が今言われているようでありますが、私は、この検査官の機能の強化、量的にも質的にもうんと高い機能をつくり上げるために、政府は抜本的な措置を考えるべきであるというふうに思います。
私自身、先月アメリカとイギリスへ行ってまいりました。アメリカではSEC、OCC、そしてイギリス・ロンドンでは特にFSA、フィナンシャル・サービシズ・オーソリティー、つまり金融サービス機構であります。これは、あの三百年の歴史を持ったシティー、この器が狭くなったために、新しいシティーをテムズ川の下流のドックランドヤードに今度つくる、そこに換骨奪胎してハイテックの金融監督庁をイギリスはつくろうとしております。
金融ビッグバン、ロンドンの、イギリスのビッグバンといいますと、これは大成功という印象が極めて強いわけでありますが、それは必ずしも正確ではありません。金融監督に関する限りイギリスにおいては大変深い深い反省が行われ、今回このFSA、金融監督庁をつくることになったわけでありますが、ここにおいて注目すべきことは、金融検査に、金融機関からのフィーを取る、検査料を取ります。検査料を取って、これをベースに通常の公務員より高い給料を支払うわけであります。そして、金融検査官というのはすぐれたノウハウが必要でありますから、公務員よりいささか高い給料というものを、これをインセンティブにしてシティーからヘッドハントするわけであります。それぐらいもう各国の金融監督当局は腐心し、金融の規律の強化のためにあらゆる知恵を絞っているわけであります。
あのサッチャーさんが徹底的に行革を行ったわけでありますが、しかし、金融監督に関してはもうこれは単なる行政機関ではない。パブリックな、公的な機関として、市場の中で金融監督機関をつくるというその哲学にのっとって、今、急速な整備をロンドンでは行っております。
私は、そのような状況を目の当たりにして、日本と欧米諸国との格差の大きさに改めて驚愕いたしました。はっきり申し上げて、この国はもう金融の後進国であると言ってしまいたくなるような気持ちで帰ってまいったわけであります。
今後、プロの検査官を育てる、そのためには、研修制度、公的な資格を与える、そうすることによってすぐれた専門家集団をつくり、官と民との間の本質的意味において水平的な労働市場を早急に形成していくこと、これが日本の金融システムを世界標準に押し上げるための最も重要なポイントではないかというふうに私は考えております。
最後になりますが、お配りいたしましたこの表、「ビッグバンと金融行政改革」という概念図をごらんになっていただいて締めくくりたいというふうに思います。
私は、金融ビッグバンが行われますと業種、業態の壁が消滅いたします、消費者がリーダーシップ、決定権を持つ、もう行政ではないということを申し上げました。そうなりますと、これからは、消費者が本当に安心して金融取引をするためには、ユーザーも機関投資家も消費者も守られる、きちっと守ってもらえる法律が必要になってきます。それが金融サービス法であります。これをぜひ早急に整備していただきたい。そして、消費者の観点に立ったものをつくっていただきたいというふうに念願いたします。
そして一方で、この右側におきまして、大蔵省改革、金融と財政の分離の問題がございます。そして、先ほども申しました金融監督庁がこの夏に発足いたしますが、私は、金融監督庁の機能の中身を、今申し上げたようにうんとハイテックにしていただいて、市場重視、インザマーケットになるようにぜひ変えていただきたい、強化していただきたいというふうに強く申し上げるものであります。
そして、この金融監督庁の基本法こそ金融サービス法であり、その上に立って、市場重視の、そして消費者重視の金融行政をやっていただけるよう念願するものであります。
これは、あたかも公正取引委員会があり、その基本法として独禁法があるのと全く同じであります。私は、基本的には、独立性を持った行政委員会、つまり三条委員会であることが将来的に望ましいというふうに思っております。
以上、私の卑見を申し述べました。ありがとうございました。拍手
越
斎
斎藤精一郎#6
○斎藤公述人 立教大学の斎藤でございます。
お時間を少しおかりしまして、現在の日本の経済状況と、それに対する財政金融がいかにあったらいいか、僣越ですが私の考えていることを一言申し上げたいと存じます。
景気が悪くなったのは、御承知のとおり、一九九一年、平成三年の桜が咲くころ悪くなった。この間ずっと、ちょっと上がったり、だらだらしながら、もう七年を経過しております。
お配りした図表一、GDP成長率にありますように、こういう形で九一年から落ちてきまして、九五、九六、三%前後の、よく一般に言われる正常軌道に戻ったかに見えましたが、御承知のとおり、九七年、これは政府の見通しですと、今年度、この三月に終わる年度、〇・一。恐らくマイナスの〇・五前後になるのではないかと思いますが、こういう形になる。
九一年から九七年までを見ますと、平均しますと、年率にすると一・五%です。先進国としては非常に低い成長率でここずっと来ていたわけであります。長い、一種のだらだら景気といいますか、半煮え景気といいますか、こういう状況に突っ込んできた。
御承知のとおり、時々景気回復宣言も出ておりますし、景気も時々こういうふうによくなったりしますし、あるいは一般に、経済企画庁あるいは一般のエコノミストの景気、経済を見る目というのは、一—三、四—六、七—九という四半期統計で見ていますから、四半期統計で見ると時々でこぼこがあります。これは、子供ではないのですけれども、悪いものはなるたけみんな見たくありませんから、人間の心理あるいは政府としては当然です。下がると目をふさいでしまうのですけれども、上がるとこれで大丈夫だという形です。
そして、これからお話ししますが、政府、日銀は、この間何もやらなかったのではなくて、むしろやり過ぎることをやっていました。
御存じのとおり日本銀行は、九一年七月の、公定歩合六%から九五年の九月〇・五と、恐ろしい勢いで下げてきている。現在〇・五、異常な超低金利、世界的にも類のない超低金利ということですから、日本銀行が何もやらなかったというのはとんでもないことで、当初ちょっともたもたした節はありますが、途中からはもう一気呵成に緩和政策に転じたということですから、よくやったと思います。
それでは、大蔵省が財政再建、再建ということでしぶちんで来たかといいますと、これも御案内のように九二年八月の、大蔵大臣は羽田さんでしたが、羽田さんの総合経済対策、あれは十兆七千億の事業費ベースですが、それを皮切りに毎年追加財政出動、九五年九月の例の十四兆の追加財政措置までで追加だけで総額六十五兆円強、これもまた前代未聞、ケインズが生きていたらびっくりするぐらいの大ケインズ政策をやってきました。
そういう面で、財政金融を大蔵省、日銀はやらなかったではないかという批判が時々あるように、日本でもケインジアンが多いですから言いますが、そうではなくて、やり過ぎるぐらいやったと思います。
しかし、問題は、そんなにやっているのに、景気が時々はよくなりますが、全体として見ると、先ほど言ったように一・五%という低速成長にへばりついちゃった。つまり、行ったり来たり。景気がよくなって青空が広がったなと思うと、途中でまた雲が出てくる。それで雨が降ってくる、小雨が。それで時々どしゃ降りになります。
時々起こる、株式市場一万四千円台に、これまでも三回金融危機が訪れています。みんな冷やっとします、これは大変なことになったのじゃないかと。慌てていろいろ政策が出ますと、またもとに戻ります。そうするとまた曇りになり、そして晴れ間が広がってくる。これで大丈夫かなと思って景気回復宣言などが出ますと、またしばらくすると曇ってくる。そしてまた雨が降り、大雨になって、えっと思うとまたよくなってくる。こういう行ったり来たりで、この七年間、一種の半殺しというか生煮えというか、適切な言葉がございませんが、そういう状態。
どうしてなのか、これだけ一生懸命大蔵省、日銀がやっているのに、なぜなのか、こういう疑問をほとんど今まで持たれてこなかった点がまた実は不思議なわけですけれども。これは、基本的に、九〇年から日本経済が長期的なデフレーション過程に入った。戦後初めてです。世界でも初めてです。
ですから、デフレーションという意味がよくわからないということが一つあるのですが、デフレーションというのは、一般的な、ケインズ的な財政金融政策をフル稼働しても、それだけではどうしても景気が浮揚力を持たない。確かに、マイナスに落ち込むとか失速することは抑えられても、景気に浮揚力を持たない状態がデフレーションです。
これは七十年前の話になりますから、経験がほとんどない。アメリカでも世界でもありませんから、G7に行けば内需拡大とかいう話がすぐ出てきますが、これはデフレーションを知らない人たちが言っていることであって、日本はそういう面で今新しいデフレーション過程に入っている。それは昔の、七十年前の要因とは全然違いますけれども、中長期的なデフレーション過程にある。
では、どうしてそういうふうになっているのか。政府、日銀は、一生懸命カンフル注射、モルヒネ注射を打って、できる限りのことを、あらん限りのことをやっています。しかし、効果が一時的で、一時的なカンフル注射にはなりますが、あるいは一時的な痛みどめにはなりますけれども、景気を浮揚する力がない。今後十兆円を超す財政が出ても、恐らく効果は半年か一年しかないでしょう。一年するとまた力がなくなる。そうするとまた出すということの繰り返しだと思います。
それは、今回、日本経済が九〇年代、九一年から突っ込んできているこの長期的なはっきりしない景気、あいまいな景気の根因、一番の原因がどこかということについての診断、いわゆるカルテができていない。カルテがはっきりしていませんから、処方は間違うのですね。ですから、問題は診断書。的確な診断書を書く。
おなかが痛いといった場合は、単におなかが痛いのだったら、飲み薬あるいは注射あるいはモルヒネ注射で痛みどめをすれば治ります。しかし、中がポリープになっていた、あるいは何かしこりができている、あるいは潰瘍になっているといった場合には、単なるカンフル注射やモルヒネやちょっとした胃薬では治らない。ある種の手術が必要かもしれません。
では、一体根因は何かということなのですが、日本の経済学だけではなくて欧米の経済学、みんなそうなんですが、経済学自体がもともとそうなのですが、御存じのとおり、よくストックとフローと言いますが、ほとんどの経済分析はフローです。流れ。所得だとか賃金だとか、期間でとったフローで見ています。経済学自体がそうやってつくられていますし、四半期統計をベースにする経済学でいきますと、フローだけを見ています。それから一—三月とか毎月の景気動向を見たりしていますから、当然ストックなどというのはそんなに変わりませんから、フローだけを見ていればいいということで、経済学的に物をとらえるツールがフロー重視になっていますから、ストックの変化に気がつかない。
そこで、多くのエコノミストあるいは政府、あらゆるところで見失ったのは、この三枚目の表です。図表三がありますが、ごらんいただきたいと思います。これは経済企画庁が毎年つくっている国民経済計算です。ちゃんとした政府の統計です。
御存じのとおり、九〇年から株が下がりました。それから、九一年の秋から地価が下がってきています。これは、統計が九五年末までの統計しか今使えるものがないのでここまでにしてありますが、この九〇年から九五年の五、六年間、土地と株が下がりまして、ここに点線で書いてあるように、土地は六百十六兆目減りしています。減価しています。資産の減価です。それから、株価はここにあるように四百兆。二つ足すと一千兆のお金が、企業、金融機関あるいは我々個人、家計が持っている資産の目減りが起こっている。
よく日本は千二百兆の個人金融資産があるから大丈夫だということを言う人が非常に多いのですが、確かに、千二百兆、世界一の金持ちです。個人は貯蓄を持っています。しかし、逆に、それにほぼ匹敵する額の資産がなくなっているのですね。この事実を見れば、日本経済はそんなに安心していいかどうかとふと疑問になるのですけれども、多くの人は、片方のこっちの暗い方は見ないのですね。
これは手前勝手で恐縮ですが、私は前々からこの問題が一番大きいのじゃないかと言ってきたのですけれども、ストックということについての経済学的な常識といいますか、ツールがなかなか確立していないこともあって、ほとんど無視されてきました。唯一それを初めて明らかに言った方は、去年の十二月の週刊文春の、例の梶山さんの十兆円交付国債。あのとき梶山さんはこの数字を出しました。私が知っている限り、要人で出したのは梶山さんが初めてだと思います。これだけ大きいから十兆円入れなければいけないという話に梶山さんの論文はなっているわけです。
それで、これだけの資産が目減りするということは何が起こっているのかといいますと、経済学的に言うと当然二つのデフレ圧力、つまり経済に下方圧力がかかっている。
一つは、だれでも考えてわかりますように逆資産効果。
個人で我々が株を持っている、あるいは土地を持っている。これが目減りしてきますと、当然消費行動が地味になってきます。ベンツに乗っていた人は、買いかえが来ていても、もうベンツはちょっときついな、もうちょっと安い物にしよう。あるいは十万円の背広を買っていた人がやはり五万円か六万円にしよう、あるいは一年に三着つくっていた人が二着にしよう。海外旅行は今年はちょっとやめておこう。これがいわゆる逆資産効果で、消費がぐっと縮んでくる。
それから、企業にとってみれば、株式だとか土地資産がなくなりますから、新しい事業をやろうとか、新しい製品を開発しようとか、販売店を強化しようとか、新しい機械を導入しようとか、いわゆる設備投資等に当然慎重になります。金融機関は、もちろん御存じのとおり株式も土地も持っているわけですから、当然内向きの志向になる。これが逆資産効果で、これがデフレ圧力として需要を減らしてしまいます。これはだれでもわかる話だと思うのです。
それからもう一つの話が、いわゆる貸し渋りです。
こういう資産が下がりますと、株も下がり、土地も下がりますと、金融機関が不良債権を抱えるわけですから、そうすると、本来ならば、自分の不良債権を直すために資本を当然減耗する、減少していく。そうすると資本比率が下がる。下がると、情報が開示されている世界では、怖いから取引先企業や一般の顧客、預金者が逃げてしまいます。
アメリカでクレジットクランチが起こったのはまさにそれです。一九九一年、ブッシュさんが例のサダム・フセインをやっつけて、万歳と言って世界一になったとアメリカが喜んだ途端、アメリカはクレジットクランチに襲われて経済がマイナス一%成長に落ち込みます。それは、預金者や取引企業がみんな危ない金融機関から、つまりアメリカも同じように八〇年代の不動産バブルの崩壊で痛手をこうむって、逃げちゃった。預金者が逃げたり取引先が逃げますと、預金が減っちゃって取りつけに遭う。そうなると大変だということで、金融機関としては当然自己資本比率を高めていく。財務内容をよくするために、貸し出しを、分母の資産をぐっと圧縮する。これがいわゆるクレジットクランチ、貸し渋りです。
ところが、日本の場合はこれが出なかったのですね。九二年六月に宮崎義一さんという方が「複合不況」という本を中公新書から出しまして、ベストセラーになりました。宮崎さんの主眼は、クレジットクランチが今こそ起こってきて、日本は大変な不況に陥るということを書いたのです。みんな、えっと思ってびっくりして買ったのですが、貸し渋りは全然起こらなかったです。だからみんな、何だ、あれはうそだと。まあうそだったのですが、実際には。
しかし、それはなぜかというと、日本では情報開示をしていません。金融機関がつぶれるものとはだれも思っていません。つぶれたって最後は金融当局が助けてくれるのではないか、こういうことですから、金融機関も貸し渋りをしたり自己資本を高めようなんという気は余りなかった。そこでこの貸し渋りが起こってこなかったのですね。
そしてあと一つ、先ほど言いましたように、逆資産効果も、実はあったのですが表面化してこなかった。なぜかといいますと、先ほど言った、財政が大盤振る舞い、六十五兆円。何かあるときにどかんどかんと出て、逆資産効果を打ち消していた。あるいは六%から〇・五という異常な超低金利によって下で支えたのですね、モルヒネで。つまり、企業がつぶれないように金融で支えました。ですから、大きな倒産などはほとんど起こらなかった。
御存じのとおり、バブルというのは、一番大きいのは土地バブルの崩壊が大きいわけですから、当然それに関連するディベロッパーや大手のゼネコンの倒産が、これはあった方がいいとかいう話ではなくて、経済論理的にいって、五年間で六百兆の土地資産が減価していれば、我々が目にしているように、東京、大阪を見ますと、あいたビルがたくさんある、あいた土地がたくさんある。地方に行って、特に北海道などへ行きますと惨たんたる状況で、ゴルフ場はもう閑散としている、リゾートホテルは人が入っていない、スキー場は閑古鳥が鳴いている、幾つかのテーマパークも人が来なくなっちゃった。どこへ行ってもうまくいっていないのですね。はっきり言って、そういうところが倒れてもおかしくないわけです。ところが倒れていません。
それはなぜかといいますと、これは支えていたのですね、金融機関が支えていた。モルヒネ注射を打って、金融機関にお金を安く供給しました。したがってそれは支えられていた。そういう面では、社会不安が起こらないところはいいわけですが、そういうことで逆資産、貸し渋りが、ケインズ政策と日本的な、開示がはっきりしていない、あるいは銀行の行動について厳しい規律がない、そういう中であいまいもことしたために、何とか経済は失速しないで、マイナス成長に陥らないで続いていった。
たまたま、九五年と九六年のときには円が急速に戻している。一時八十三、四円になった円が、御存じのとおり百十円前後に戻しました。いわゆるサマーズ・榊原合意という形で、アメリカの支援で戻した。日本の製造業というのは、これは非常にたくましいものですから、非常に為替レートを下げたところで戻りましたから、いわゆる史上最高の利益を上げる。こういうことで、九〇年代のバブルの崩壊という、戦後初めてのことですね。ですから大したことはない。
しかも財政が出て、公定歩合もこれだけ下がってきますと、マイナス成長に陥らないで済んだものですし、カンフル注射を打ちますから、時々景気もよくなりますから逆資産効果が表面化しなかった。それから、ビッグバンという話もないし、情報開示というのもなかなかならないために、金融機関は別につぶれる心配もない。安いお金を供給してもらって、それで利益は、ちょっと前までは史上最高の利益を上げていましたから、担保不動産を、償却を随分積んでいました。
ですから、金融機関にも危機感がなかった。住専という問題はちょっと厄介だけれども、それさえ解決すれば何とか済むと思って、そのうち地価が上がるだろう、そのときに不良債権を処理すればいい、こういうふうにたかをくくっていたわけです。
事態がおかしくなったのは九六年、正式に言うと九七年ですね。これは中北さんも言っているとおり、日本はそろそろビッグバンをしていかないと、日本の金融システムは大変な劣化をしてきますから、どうしても必要です。ですから、橋本総理が九六年の十一月にビッグバンを掲げたこと、これ自体は大変すばらしいことですね。
ただ問題は、一つ間違ったのは、その前に解決すべきうみ、黒い血。住専はもう法律が通って解決のめどがはっきりしたのですが、もう一つ大きな、ゼネコンを中心にした不動産バブルを片づけて、過去を清算してから未来に向かってのレールを敷くべきだったのです。
ところが、未来と過去が一緒くたに来ちゃったものですから、しかも外国の金融機関が千二百兆円をねらってどっと入ってくる、こういうことで、金融機関がもう後戻りができなくなっちゃった。しかも早期是正等が入ってくる。資本比率の問題が出てくる。こういうことになると、今まで貸し渋りなどということを考えたことがなかった金融機関が、自分の資産内容をきれいにしなければいけない。そういう面で資本比率の上昇。
それから、九五年以降も下がった担保が、土地が全然上がらない。そうすると、その部分について担保が足りなくなっていますから、金融機関は、自分の経営内容からすると当然貸し出しを回収し始めているのですね。
それから、二十一世紀初頭のビッグバンをねらって財務諸表をよくしなければいけない。そのためには、先ほどちょっと中北さんも言いましたけれども、ある面で長い関係で今まで何となくつき合っていた企業、しかしそういうものも、これからは金融機関の方から多少選別しなければ二十一世紀に生き残れないという危機意識が出てきた。そういうことで貸し渋りが出てきちゃった。
そして、あと一つ問題は、よくエコノミストの皆さんが言っているように、消費税等の九兆円の、九七年の春の特別減税の廃止とか、財政がもうぎりぎりになってしまっている。ある程度回転しなければいけなくなって、引き締めに転じなければいけなかった。しかも、財政改革法ということで中期的な財政を締める方向を出した。
そうすると、先ほど言ったカンフル注射がなくなっちゃったのですね。そうすると、逆資産効果というこの怖い顔が表に出てきちゃった。これが今、九七年から九八年になって出てきて、経済ががたがたっときて、デフレ経済。明らかに経済は資産デフレという顔がもろに出ちゃって、もう金融政策は実弾がない、〇・五で。財政も、今後多少出るとしても、もう出る余地がない。こういうところに来てしまっている。そういう面で、今経済は明らかに失速に入ってきていると思います。
それではどうしたらいいのかというと、問題は、今後財政が出たりしましても一種のカンフル注射に終わる。根っこは何かといいますと、膨大にたまった不良債権を処理しなければいけない。
つまり、それはよどんだ黒い血なんですね。一回あれだけのものがだあんと倒れてしまいましたから、黒い血になったそのものを吐き出さなければいけない。それを今、血が出るのが怖いからばんそうこうを張っていました。この間みたいにガムテープでとめています。しかし、黒い血が中にありますから、よく最近のお医者さんが言う多機能不全状態。だんだんほかのところまでやってきて、元気が出ない。ベンチャー企業は出てこない。
そうすると、もう黒い血を出さざるを得ないのですね。政府が思い切って出して、切開して黒い血を出してしまって元気になるか、あるいはほっておくと、これは市場の爆発です、市場の制裁であります。恐らくそれを世界がみんな怖がっているのだと思います。これがアジアと連動しますと、七十年ぶりの世界恐慌に入るのではないかと言われているのは、僕はそんな悲観論じゃありませんからそういう話をするのは嫌なのですけれども、危険性はなくはないということを十分踏まえておかなければいけないと思います。
ですから、黒い血を早く出してしまわなければいけない。出すのにはどうしたらいいのか。そうすると、今ある不良債権を早く処理することだ。今回の三十兆の問題は確かにある面でのばんそうこうにはなっていますが、黒い血を出す、不良債権の処理にはどれだけ効果があるのかはっきりしません。これが問題だと思います。
ですから、最後に、まずやるべきことは三つだと思います。
まず、政府は、黒い血を二年間のうちに出すような基本的な方針を立てる。かつて、オイルショックの後、国民がみんな不安でした。そのとき福田さんは、全治三年という形で、きちっと明快に国民に、三年間我慢してくれということで抜本的な政策をやりました。これから必要なのは、やはり政府は、二年という限定つきで黒い血を出す、大変なことがあるかもしれませんけれども少し辛抱してくれということが一つ。
それから二つ。そうなりますとデフレ圧力がだあっとかかりますから、そのためにやはり財政をバッファーとして使っていく。バッファーとしては財政政策は効果があると思いますから、そういう面で使う。財政が出れば景気が浮揚力を戻すというのではなくて、黒い血を先に出す、そのために落ち込んだときにはバッファーを出す。しかし、そうなれば、水谷さんも強調なさっていますように、財政自体がもうどうしようもないわけですから、景気が正常に戻り自律したとき、二十一世紀には、その分については徹底的な行革と財政改革でその元を取るということを国民に約束し、また国民の協力を求める。
最後になりますけれども、この最後のペーパーの図、この図は、日本が世界最大の債権国である、対外純資産、アメリカとちょうど逆転しているのですね。日本が八千九百億ドル、アメリカがマイナスの八千七百億ドル。日本は、インドネシア、韓国と違います。IMFやアメリカから首根っこを押さえられないで、こういう改革ぐらいはできるのですね。その力はあります。ですから、今こそそれをやるべきときではないかという気がいたします。
失礼いたしました。これで終わらせていただきます。拍手
この発言だけを見る →お時間を少しおかりしまして、現在の日本の経済状況と、それに対する財政金融がいかにあったらいいか、僣越ですが私の考えていることを一言申し上げたいと存じます。
景気が悪くなったのは、御承知のとおり、一九九一年、平成三年の桜が咲くころ悪くなった。この間ずっと、ちょっと上がったり、だらだらしながら、もう七年を経過しております。
お配りした図表一、GDP成長率にありますように、こういう形で九一年から落ちてきまして、九五、九六、三%前後の、よく一般に言われる正常軌道に戻ったかに見えましたが、御承知のとおり、九七年、これは政府の見通しですと、今年度、この三月に終わる年度、〇・一。恐らくマイナスの〇・五前後になるのではないかと思いますが、こういう形になる。
九一年から九七年までを見ますと、平均しますと、年率にすると一・五%です。先進国としては非常に低い成長率でここずっと来ていたわけであります。長い、一種のだらだら景気といいますか、半煮え景気といいますか、こういう状況に突っ込んできた。
御承知のとおり、時々景気回復宣言も出ておりますし、景気も時々こういうふうによくなったりしますし、あるいは一般に、経済企画庁あるいは一般のエコノミストの景気、経済を見る目というのは、一—三、四—六、七—九という四半期統計で見ていますから、四半期統計で見ると時々でこぼこがあります。これは、子供ではないのですけれども、悪いものはなるたけみんな見たくありませんから、人間の心理あるいは政府としては当然です。下がると目をふさいでしまうのですけれども、上がるとこれで大丈夫だという形です。
そして、これからお話ししますが、政府、日銀は、この間何もやらなかったのではなくて、むしろやり過ぎることをやっていました。
御存じのとおり日本銀行は、九一年七月の、公定歩合六%から九五年の九月〇・五と、恐ろしい勢いで下げてきている。現在〇・五、異常な超低金利、世界的にも類のない超低金利ということですから、日本銀行が何もやらなかったというのはとんでもないことで、当初ちょっともたもたした節はありますが、途中からはもう一気呵成に緩和政策に転じたということですから、よくやったと思います。
それでは、大蔵省が財政再建、再建ということでしぶちんで来たかといいますと、これも御案内のように九二年八月の、大蔵大臣は羽田さんでしたが、羽田さんの総合経済対策、あれは十兆七千億の事業費ベースですが、それを皮切りに毎年追加財政出動、九五年九月の例の十四兆の追加財政措置までで追加だけで総額六十五兆円強、これもまた前代未聞、ケインズが生きていたらびっくりするぐらいの大ケインズ政策をやってきました。
そういう面で、財政金融を大蔵省、日銀はやらなかったではないかという批判が時々あるように、日本でもケインジアンが多いですから言いますが、そうではなくて、やり過ぎるぐらいやったと思います。
しかし、問題は、そんなにやっているのに、景気が時々はよくなりますが、全体として見ると、先ほど言ったように一・五%という低速成長にへばりついちゃった。つまり、行ったり来たり。景気がよくなって青空が広がったなと思うと、途中でまた雲が出てくる。それで雨が降ってくる、小雨が。それで時々どしゃ降りになります。
時々起こる、株式市場一万四千円台に、これまでも三回金融危機が訪れています。みんな冷やっとします、これは大変なことになったのじゃないかと。慌てていろいろ政策が出ますと、またもとに戻ります。そうするとまた曇りになり、そして晴れ間が広がってくる。これで大丈夫かなと思って景気回復宣言などが出ますと、またしばらくすると曇ってくる。そしてまた雨が降り、大雨になって、えっと思うとまたよくなってくる。こういう行ったり来たりで、この七年間、一種の半殺しというか生煮えというか、適切な言葉がございませんが、そういう状態。
どうしてなのか、これだけ一生懸命大蔵省、日銀がやっているのに、なぜなのか、こういう疑問をほとんど今まで持たれてこなかった点がまた実は不思議なわけですけれども。これは、基本的に、九〇年から日本経済が長期的なデフレーション過程に入った。戦後初めてです。世界でも初めてです。
ですから、デフレーションという意味がよくわからないということが一つあるのですが、デフレーションというのは、一般的な、ケインズ的な財政金融政策をフル稼働しても、それだけではどうしても景気が浮揚力を持たない。確かに、マイナスに落ち込むとか失速することは抑えられても、景気に浮揚力を持たない状態がデフレーションです。
これは七十年前の話になりますから、経験がほとんどない。アメリカでも世界でもありませんから、G7に行けば内需拡大とかいう話がすぐ出てきますが、これはデフレーションを知らない人たちが言っていることであって、日本はそういう面で今新しいデフレーション過程に入っている。それは昔の、七十年前の要因とは全然違いますけれども、中長期的なデフレーション過程にある。
では、どうしてそういうふうになっているのか。政府、日銀は、一生懸命カンフル注射、モルヒネ注射を打って、できる限りのことを、あらん限りのことをやっています。しかし、効果が一時的で、一時的なカンフル注射にはなりますが、あるいは一時的な痛みどめにはなりますけれども、景気を浮揚する力がない。今後十兆円を超す財政が出ても、恐らく効果は半年か一年しかないでしょう。一年するとまた力がなくなる。そうするとまた出すということの繰り返しだと思います。
それは、今回、日本経済が九〇年代、九一年から突っ込んできているこの長期的なはっきりしない景気、あいまいな景気の根因、一番の原因がどこかということについての診断、いわゆるカルテができていない。カルテがはっきりしていませんから、処方は間違うのですね。ですから、問題は診断書。的確な診断書を書く。
おなかが痛いといった場合は、単におなかが痛いのだったら、飲み薬あるいは注射あるいはモルヒネ注射で痛みどめをすれば治ります。しかし、中がポリープになっていた、あるいは何かしこりができている、あるいは潰瘍になっているといった場合には、単なるカンフル注射やモルヒネやちょっとした胃薬では治らない。ある種の手術が必要かもしれません。
では、一体根因は何かということなのですが、日本の経済学だけではなくて欧米の経済学、みんなそうなんですが、経済学自体がもともとそうなのですが、御存じのとおり、よくストックとフローと言いますが、ほとんどの経済分析はフローです。流れ。所得だとか賃金だとか、期間でとったフローで見ています。経済学自体がそうやってつくられていますし、四半期統計をベースにする経済学でいきますと、フローだけを見ています。それから一—三月とか毎月の景気動向を見たりしていますから、当然ストックなどというのはそんなに変わりませんから、フローだけを見ていればいいということで、経済学的に物をとらえるツールがフロー重視になっていますから、ストックの変化に気がつかない。
そこで、多くのエコノミストあるいは政府、あらゆるところで見失ったのは、この三枚目の表です。図表三がありますが、ごらんいただきたいと思います。これは経済企画庁が毎年つくっている国民経済計算です。ちゃんとした政府の統計です。
御存じのとおり、九〇年から株が下がりました。それから、九一年の秋から地価が下がってきています。これは、統計が九五年末までの統計しか今使えるものがないのでここまでにしてありますが、この九〇年から九五年の五、六年間、土地と株が下がりまして、ここに点線で書いてあるように、土地は六百十六兆目減りしています。減価しています。資産の減価です。それから、株価はここにあるように四百兆。二つ足すと一千兆のお金が、企業、金融機関あるいは我々個人、家計が持っている資産の目減りが起こっている。
よく日本は千二百兆の個人金融資産があるから大丈夫だということを言う人が非常に多いのですが、確かに、千二百兆、世界一の金持ちです。個人は貯蓄を持っています。しかし、逆に、それにほぼ匹敵する額の資産がなくなっているのですね。この事実を見れば、日本経済はそんなに安心していいかどうかとふと疑問になるのですけれども、多くの人は、片方のこっちの暗い方は見ないのですね。
これは手前勝手で恐縮ですが、私は前々からこの問題が一番大きいのじゃないかと言ってきたのですけれども、ストックということについての経済学的な常識といいますか、ツールがなかなか確立していないこともあって、ほとんど無視されてきました。唯一それを初めて明らかに言った方は、去年の十二月の週刊文春の、例の梶山さんの十兆円交付国債。あのとき梶山さんはこの数字を出しました。私が知っている限り、要人で出したのは梶山さんが初めてだと思います。これだけ大きいから十兆円入れなければいけないという話に梶山さんの論文はなっているわけです。
それで、これだけの資産が目減りするということは何が起こっているのかといいますと、経済学的に言うと当然二つのデフレ圧力、つまり経済に下方圧力がかかっている。
一つは、だれでも考えてわかりますように逆資産効果。
個人で我々が株を持っている、あるいは土地を持っている。これが目減りしてきますと、当然消費行動が地味になってきます。ベンツに乗っていた人は、買いかえが来ていても、もうベンツはちょっときついな、もうちょっと安い物にしよう。あるいは十万円の背広を買っていた人がやはり五万円か六万円にしよう、あるいは一年に三着つくっていた人が二着にしよう。海外旅行は今年はちょっとやめておこう。これがいわゆる逆資産効果で、消費がぐっと縮んでくる。
それから、企業にとってみれば、株式だとか土地資産がなくなりますから、新しい事業をやろうとか、新しい製品を開発しようとか、販売店を強化しようとか、新しい機械を導入しようとか、いわゆる設備投資等に当然慎重になります。金融機関は、もちろん御存じのとおり株式も土地も持っているわけですから、当然内向きの志向になる。これが逆資産効果で、これがデフレ圧力として需要を減らしてしまいます。これはだれでもわかる話だと思うのです。
それからもう一つの話が、いわゆる貸し渋りです。
こういう資産が下がりますと、株も下がり、土地も下がりますと、金融機関が不良債権を抱えるわけですから、そうすると、本来ならば、自分の不良債権を直すために資本を当然減耗する、減少していく。そうすると資本比率が下がる。下がると、情報が開示されている世界では、怖いから取引先企業や一般の顧客、預金者が逃げてしまいます。
アメリカでクレジットクランチが起こったのはまさにそれです。一九九一年、ブッシュさんが例のサダム・フセインをやっつけて、万歳と言って世界一になったとアメリカが喜んだ途端、アメリカはクレジットクランチに襲われて経済がマイナス一%成長に落ち込みます。それは、預金者や取引企業がみんな危ない金融機関から、つまりアメリカも同じように八〇年代の不動産バブルの崩壊で痛手をこうむって、逃げちゃった。預金者が逃げたり取引先が逃げますと、預金が減っちゃって取りつけに遭う。そうなると大変だということで、金融機関としては当然自己資本比率を高めていく。財務内容をよくするために、貸し出しを、分母の資産をぐっと圧縮する。これがいわゆるクレジットクランチ、貸し渋りです。
ところが、日本の場合はこれが出なかったのですね。九二年六月に宮崎義一さんという方が「複合不況」という本を中公新書から出しまして、ベストセラーになりました。宮崎さんの主眼は、クレジットクランチが今こそ起こってきて、日本は大変な不況に陥るということを書いたのです。みんな、えっと思ってびっくりして買ったのですが、貸し渋りは全然起こらなかったです。だからみんな、何だ、あれはうそだと。まあうそだったのですが、実際には。
しかし、それはなぜかというと、日本では情報開示をしていません。金融機関がつぶれるものとはだれも思っていません。つぶれたって最後は金融当局が助けてくれるのではないか、こういうことですから、金融機関も貸し渋りをしたり自己資本を高めようなんという気は余りなかった。そこでこの貸し渋りが起こってこなかったのですね。
そしてあと一つ、先ほど言いましたように、逆資産効果も、実はあったのですが表面化してこなかった。なぜかといいますと、先ほど言った、財政が大盤振る舞い、六十五兆円。何かあるときにどかんどかんと出て、逆資産効果を打ち消していた。あるいは六%から〇・五という異常な超低金利によって下で支えたのですね、モルヒネで。つまり、企業がつぶれないように金融で支えました。ですから、大きな倒産などはほとんど起こらなかった。
御存じのとおり、バブルというのは、一番大きいのは土地バブルの崩壊が大きいわけですから、当然それに関連するディベロッパーや大手のゼネコンの倒産が、これはあった方がいいとかいう話ではなくて、経済論理的にいって、五年間で六百兆の土地資産が減価していれば、我々が目にしているように、東京、大阪を見ますと、あいたビルがたくさんある、あいた土地がたくさんある。地方に行って、特に北海道などへ行きますと惨たんたる状況で、ゴルフ場はもう閑散としている、リゾートホテルは人が入っていない、スキー場は閑古鳥が鳴いている、幾つかのテーマパークも人が来なくなっちゃった。どこへ行ってもうまくいっていないのですね。はっきり言って、そういうところが倒れてもおかしくないわけです。ところが倒れていません。
それはなぜかといいますと、これは支えていたのですね、金融機関が支えていた。モルヒネ注射を打って、金融機関にお金を安く供給しました。したがってそれは支えられていた。そういう面では、社会不安が起こらないところはいいわけですが、そういうことで逆資産、貸し渋りが、ケインズ政策と日本的な、開示がはっきりしていない、あるいは銀行の行動について厳しい規律がない、そういう中であいまいもことしたために、何とか経済は失速しないで、マイナス成長に陥らないで続いていった。
たまたま、九五年と九六年のときには円が急速に戻している。一時八十三、四円になった円が、御存じのとおり百十円前後に戻しました。いわゆるサマーズ・榊原合意という形で、アメリカの支援で戻した。日本の製造業というのは、これは非常にたくましいものですから、非常に為替レートを下げたところで戻りましたから、いわゆる史上最高の利益を上げる。こういうことで、九〇年代のバブルの崩壊という、戦後初めてのことですね。ですから大したことはない。
しかも財政が出て、公定歩合もこれだけ下がってきますと、マイナス成長に陥らないで済んだものですし、カンフル注射を打ちますから、時々景気もよくなりますから逆資産効果が表面化しなかった。それから、ビッグバンという話もないし、情報開示というのもなかなかならないために、金融機関は別につぶれる心配もない。安いお金を供給してもらって、それで利益は、ちょっと前までは史上最高の利益を上げていましたから、担保不動産を、償却を随分積んでいました。
ですから、金融機関にも危機感がなかった。住専という問題はちょっと厄介だけれども、それさえ解決すれば何とか済むと思って、そのうち地価が上がるだろう、そのときに不良債権を処理すればいい、こういうふうにたかをくくっていたわけです。
事態がおかしくなったのは九六年、正式に言うと九七年ですね。これは中北さんも言っているとおり、日本はそろそろビッグバンをしていかないと、日本の金融システムは大変な劣化をしてきますから、どうしても必要です。ですから、橋本総理が九六年の十一月にビッグバンを掲げたこと、これ自体は大変すばらしいことですね。
ただ問題は、一つ間違ったのは、その前に解決すべきうみ、黒い血。住専はもう法律が通って解決のめどがはっきりしたのですが、もう一つ大きな、ゼネコンを中心にした不動産バブルを片づけて、過去を清算してから未来に向かってのレールを敷くべきだったのです。
ところが、未来と過去が一緒くたに来ちゃったものですから、しかも外国の金融機関が千二百兆円をねらってどっと入ってくる、こういうことで、金融機関がもう後戻りができなくなっちゃった。しかも早期是正等が入ってくる。資本比率の問題が出てくる。こういうことになると、今まで貸し渋りなどということを考えたことがなかった金融機関が、自分の資産内容をきれいにしなければいけない。そういう面で資本比率の上昇。
それから、九五年以降も下がった担保が、土地が全然上がらない。そうすると、その部分について担保が足りなくなっていますから、金融機関は、自分の経営内容からすると当然貸し出しを回収し始めているのですね。
それから、二十一世紀初頭のビッグバンをねらって財務諸表をよくしなければいけない。そのためには、先ほどちょっと中北さんも言いましたけれども、ある面で長い関係で今まで何となくつき合っていた企業、しかしそういうものも、これからは金融機関の方から多少選別しなければ二十一世紀に生き残れないという危機意識が出てきた。そういうことで貸し渋りが出てきちゃった。
そして、あと一つ問題は、よくエコノミストの皆さんが言っているように、消費税等の九兆円の、九七年の春の特別減税の廃止とか、財政がもうぎりぎりになってしまっている。ある程度回転しなければいけなくなって、引き締めに転じなければいけなかった。しかも、財政改革法ということで中期的な財政を締める方向を出した。
そうすると、先ほど言ったカンフル注射がなくなっちゃったのですね。そうすると、逆資産効果というこの怖い顔が表に出てきちゃった。これが今、九七年から九八年になって出てきて、経済ががたがたっときて、デフレ経済。明らかに経済は資産デフレという顔がもろに出ちゃって、もう金融政策は実弾がない、〇・五で。財政も、今後多少出るとしても、もう出る余地がない。こういうところに来てしまっている。そういう面で、今経済は明らかに失速に入ってきていると思います。
それではどうしたらいいのかというと、問題は、今後財政が出たりしましても一種のカンフル注射に終わる。根っこは何かといいますと、膨大にたまった不良債権を処理しなければいけない。
つまり、それはよどんだ黒い血なんですね。一回あれだけのものがだあんと倒れてしまいましたから、黒い血になったそのものを吐き出さなければいけない。それを今、血が出るのが怖いからばんそうこうを張っていました。この間みたいにガムテープでとめています。しかし、黒い血が中にありますから、よく最近のお医者さんが言う多機能不全状態。だんだんほかのところまでやってきて、元気が出ない。ベンチャー企業は出てこない。
そうすると、もう黒い血を出さざるを得ないのですね。政府が思い切って出して、切開して黒い血を出してしまって元気になるか、あるいはほっておくと、これは市場の爆発です、市場の制裁であります。恐らくそれを世界がみんな怖がっているのだと思います。これがアジアと連動しますと、七十年ぶりの世界恐慌に入るのではないかと言われているのは、僕はそんな悲観論じゃありませんからそういう話をするのは嫌なのですけれども、危険性はなくはないということを十分踏まえておかなければいけないと思います。
ですから、黒い血を早く出してしまわなければいけない。出すのにはどうしたらいいのか。そうすると、今ある不良債権を早く処理することだ。今回の三十兆の問題は確かにある面でのばんそうこうにはなっていますが、黒い血を出す、不良債権の処理にはどれだけ効果があるのかはっきりしません。これが問題だと思います。
ですから、最後に、まずやるべきことは三つだと思います。
まず、政府は、黒い血を二年間のうちに出すような基本的な方針を立てる。かつて、オイルショックの後、国民がみんな不安でした。そのとき福田さんは、全治三年という形で、きちっと明快に国民に、三年間我慢してくれということで抜本的な政策をやりました。これから必要なのは、やはり政府は、二年という限定つきで黒い血を出す、大変なことがあるかもしれませんけれども少し辛抱してくれということが一つ。
それから二つ。そうなりますとデフレ圧力がだあっとかかりますから、そのためにやはり財政をバッファーとして使っていく。バッファーとしては財政政策は効果があると思いますから、そういう面で使う。財政が出れば景気が浮揚力を戻すというのではなくて、黒い血を先に出す、そのために落ち込んだときにはバッファーを出す。しかし、そうなれば、水谷さんも強調なさっていますように、財政自体がもうどうしようもないわけですから、景気が正常に戻り自律したとき、二十一世紀には、その分については徹底的な行革と財政改革でその元を取るということを国民に約束し、また国民の協力を求める。
最後になりますけれども、この最後のペーパーの図、この図は、日本が世界最大の債権国である、対外純資産、アメリカとちょうど逆転しているのですね。日本が八千九百億ドル、アメリカがマイナスの八千七百億ドル。日本は、インドネシア、韓国と違います。IMFやアメリカから首根っこを押さえられないで、こういう改革ぐらいはできるのですね。その力はあります。ですから、今こそそれをやるべきときではないかという気がいたします。
失礼いたしました。これで終わらせていただきます。拍手
越
越
大
大野松茂#9
○大野(松)委員 自由民主党の大野松茂でございます。
公述人のお三方の先生方には、大変お忙しいところを御出席いただきまして、ただいまは大変示唆に富む貴重なお話を賜りました。まことにありがとうございました。
今、我が国の様子といいますと、戦後この方当たり前のように続いた右肩上がりの経済成長が崩れて、それを前提とした社会の仕組みが行き詰まりを見せております。そして、金融の不安、景気の低迷など、困難な事態になっております。それぞれに緊急対策が講じられまして、四次にわたるところの緊急経済対策、二兆円の減税の実施、それにあわせて、平成十年度予算の一刻も早い成立こそ国民の皆さんの大きな期待であろう、こう思っております。
今や、二十一世紀を前にいたしまして、社会の大変革の中にありますが、人生五十年を前提とした社会の仕組みから、世界で一番の長寿国にふさわしい、人生八十年を前提とした社会の仕組みに変えていくことこそ現下の改革であろう、こう思っております。まさに、たくさんの課題に直面をする中で、新しい時代にふさわしい改革が求められていると認識をしております。
そこで、まず、水谷公述人に、数点につきましてお伺いをさせていただきます。
公述人は、もはや右肩上がりの経済成長は望めない、我が国経済は右肩下がりの時代に入っていると指摘をされております。こうした中、我が国が生き残るためにも、改革の断行こそ大事であり、この改革を今行わないと手おくれになるとも終始主張なさっておいででございます。
私も公述人と全く同感でございますが、構造改革は、この時代にぜひやり遂げねばならないものであり、難しいからといって子や孫の時代へのツケ送りをしてはならないものでございます。さもなければ、我々の世代は後世代に対する加害者となりかねない、このようなものであります。そのためにも、たとえ厳しくとも、この六つの改革をなし遂げることをまさに至上命題であると思っております。
平成十年度予算につきましては、財政構造改革法により定められた事項を実施するもの、こうなっております。
そこで、公述人にお聞きいたしますが、世界にたぐいを見ないスピードで進む高齢社会を目前にいたしまして、国民の意識の変革を求めなければならないことがたくさんございます。今、我々がなすべきことは、どのような改革であるのかということをやはり国民にわかりやすくコメントしなければいけない、こう思っているわけでございますけれども、お考えをお示しいただければと思います。
この発言だけを見る →公述人のお三方の先生方には、大変お忙しいところを御出席いただきまして、ただいまは大変示唆に富む貴重なお話を賜りました。まことにありがとうございました。
今、我が国の様子といいますと、戦後この方当たり前のように続いた右肩上がりの経済成長が崩れて、それを前提とした社会の仕組みが行き詰まりを見せております。そして、金融の不安、景気の低迷など、困難な事態になっております。それぞれに緊急対策が講じられまして、四次にわたるところの緊急経済対策、二兆円の減税の実施、それにあわせて、平成十年度予算の一刻も早い成立こそ国民の皆さんの大きな期待であろう、こう思っております。
今や、二十一世紀を前にいたしまして、社会の大変革の中にありますが、人生五十年を前提とした社会の仕組みから、世界で一番の長寿国にふさわしい、人生八十年を前提とした社会の仕組みに変えていくことこそ現下の改革であろう、こう思っております。まさに、たくさんの課題に直面をする中で、新しい時代にふさわしい改革が求められていると認識をしております。
そこで、まず、水谷公述人に、数点につきましてお伺いをさせていただきます。
公述人は、もはや右肩上がりの経済成長は望めない、我が国経済は右肩下がりの時代に入っていると指摘をされております。こうした中、我が国が生き残るためにも、改革の断行こそ大事であり、この改革を今行わないと手おくれになるとも終始主張なさっておいででございます。
私も公述人と全く同感でございますが、構造改革は、この時代にぜひやり遂げねばならないものであり、難しいからといって子や孫の時代へのツケ送りをしてはならないものでございます。さもなければ、我々の世代は後世代に対する加害者となりかねない、このようなものであります。そのためにも、たとえ厳しくとも、この六つの改革をなし遂げることをまさに至上命題であると思っております。
平成十年度予算につきましては、財政構造改革法により定められた事項を実施するもの、こうなっております。
そこで、公述人にお聞きいたしますが、世界にたぐいを見ないスピードで進む高齢社会を目前にいたしまして、国民の意識の変革を求めなければならないことがたくさんございます。今、我々がなすべきことは、どのような改革であるのかということをやはり国民にわかりやすくコメントしなければいけない、こう思っているわけでございますけれども、お考えをお示しいただければと思います。
水
水谷研治#10
○水谷公述人 ただいま先生の方からのお話の中で、右肩上がりはもう終わったというお話が実は出ておりました。この認識がどれぐらいあるかというのが、私は最大の問題ではなかろうかと思うのであります。
戦後、我が国の経済は、明らかに右肩上がり、しかも、それは世界に冠たる奇跡的な発展を続けてきたのであります。私どもの記憶の中では、経済は発展するものだということが身にしみついて考えていると思うのであります。果たして現状がそうなっているかと申しますと、私は、既に右肩下がりになっているというぐあいに思っております。
これがなぜそれほど重要なことなのかと申しますと、右肩上がりであるとすれば、時がたてば水準は上がります。待てばよくなります。これに対しまして、右肩下がりの場合には、待てば水準は下がります。これは大変な大きな違いなのであります。
改革をやれば落ち込むと、私は繰り返して申し上げたつもりであります。落ち込んでは困る、それはそうです。落ち込まない方がいいです。我々は、よりよいものを目指して今までもやってきておりますし、これからもやはり目指していかなければならないわけであります。
しかし、一たん落ち込むとするならば、落ち込んだ場合には大変なことになるのでありまして、もう少し水準を上げてからにしたいという気持ちがございます。今はよくない、したがって、復活してから、水準が上がってからにしたい。そこで、改革を後送りにしたくなるのであります。
改革を後送りするということは、右肩上がりの経済では正しい処方せんであったと私は考えております。待てば体力が出ます。体力ができたところで手術をすべきです。体力の落ちたところで手術をして死んでしまうのは困るのでありますという議論が成り立つからであります。
ところが、待って本当に体力が上がるかといいますと、私は疑問なのであります。財政政策によりまして、いっとき水準を上げることはできます。しかし、持続的に水準を上げることは、もはや我が国では大変難しい、不可能であるというお話をいたしました。その場合に、いっとき上がってまた落ちていく。
一体いつ改革ができるか。待てば待つほど、時がたてばたつほど、体力が衰えて手術のチャンスはなくなるのではないのでしょうか。私は、今がチャンスである、今改革するのが一番耐えられると。我々が耐えればいいわけです。しかし、将来といえば、将来の国民に耐えさせなければならないわけです。それは本当にいいことでしょうか。いや、我々がつくった借金の責めを我々が負う、これは別に威張ったことでもなく、当たり前の話であります。借りた金は借りた人が返す、これをやれと、私どもは住宅金融専門会社のときに盛んに言ったわけであります。
では、我々は、日本の国民は、本当に自分の借りた金を返しているかと申しますと、返していない。それを将来の人に返してもらおうというのは、大変残念な考え方ではないかと私は思うのでありまして、物の本質のところは、実は右肩上がりではもうなくなった、そして、我々が目指しているような拡大均衡は成り立たないということなのであります。
拡大均衡というのは、一たん減税をいたしますと景気がよくなって税収がふえる、一たん出ましたところの赤字が縮小する、場合によったら黒字にまで転換する、これをねらって我々はやってきたはずです。そのとおりになっているでしょうか。なっておりません。確かに、一たん出た赤字は縮小しました。しかし、相当な赤字が残っておるのであります。そして、赤字が残る限りは借金がふえ続ける。
この現象の中で、我々はもう一遍同じことを繰り返すのか。いや、何度繰り返しても本質的な解決にならないではないか。我々は、我々自身がレベルを下げること、生活水準を下げ、経済水準が下がっても、将来の我々の国民のために苦難を忍ばなければならない、これは切々と政治家の皆さん方に、国民に訴えていただきたい、このように考えます。
この発言だけを見る →戦後、我が国の経済は、明らかに右肩上がり、しかも、それは世界に冠たる奇跡的な発展を続けてきたのであります。私どもの記憶の中では、経済は発展するものだということが身にしみついて考えていると思うのであります。果たして現状がそうなっているかと申しますと、私は、既に右肩下がりになっているというぐあいに思っております。
これがなぜそれほど重要なことなのかと申しますと、右肩上がりであるとすれば、時がたてば水準は上がります。待てばよくなります。これに対しまして、右肩下がりの場合には、待てば水準は下がります。これは大変な大きな違いなのであります。
改革をやれば落ち込むと、私は繰り返して申し上げたつもりであります。落ち込んでは困る、それはそうです。落ち込まない方がいいです。我々は、よりよいものを目指して今までもやってきておりますし、これからもやはり目指していかなければならないわけであります。
しかし、一たん落ち込むとするならば、落ち込んだ場合には大変なことになるのでありまして、もう少し水準を上げてからにしたいという気持ちがございます。今はよくない、したがって、復活してから、水準が上がってからにしたい。そこで、改革を後送りにしたくなるのであります。
改革を後送りするということは、右肩上がりの経済では正しい処方せんであったと私は考えております。待てば体力が出ます。体力ができたところで手術をすべきです。体力の落ちたところで手術をして死んでしまうのは困るのでありますという議論が成り立つからであります。
ところが、待って本当に体力が上がるかといいますと、私は疑問なのであります。財政政策によりまして、いっとき水準を上げることはできます。しかし、持続的に水準を上げることは、もはや我が国では大変難しい、不可能であるというお話をいたしました。その場合に、いっとき上がってまた落ちていく。
一体いつ改革ができるか。待てば待つほど、時がたてばたつほど、体力が衰えて手術のチャンスはなくなるのではないのでしょうか。私は、今がチャンスである、今改革するのが一番耐えられると。我々が耐えればいいわけです。しかし、将来といえば、将来の国民に耐えさせなければならないわけです。それは本当にいいことでしょうか。いや、我々がつくった借金の責めを我々が負う、これは別に威張ったことでもなく、当たり前の話であります。借りた金は借りた人が返す、これをやれと、私どもは住宅金融専門会社のときに盛んに言ったわけであります。
では、我々は、日本の国民は、本当に自分の借りた金を返しているかと申しますと、返していない。それを将来の人に返してもらおうというのは、大変残念な考え方ではないかと私は思うのでありまして、物の本質のところは、実は右肩上がりではもうなくなった、そして、我々が目指しているような拡大均衡は成り立たないということなのであります。
拡大均衡というのは、一たん減税をいたしますと景気がよくなって税収がふえる、一たん出ましたところの赤字が縮小する、場合によったら黒字にまで転換する、これをねらって我々はやってきたはずです。そのとおりになっているでしょうか。なっておりません。確かに、一たん出た赤字は縮小しました。しかし、相当な赤字が残っておるのであります。そして、赤字が残る限りは借金がふえ続ける。
この現象の中で、我々はもう一遍同じことを繰り返すのか。いや、何度繰り返しても本質的な解決にならないではないか。我々は、我々自身がレベルを下げること、生活水準を下げ、経済水準が下がっても、将来の我々の国民のために苦難を忍ばなければならない、これは切々と政治家の皆さん方に、国民に訴えていただきたい、このように考えます。
大
大野松茂#11
○大野(松)委員 現実に見てまいりますと、例えば国の利払いには一人当たり年十万円、一時間に十三億円もの利払いに追われている、こう言われております。十三億円といいますと、実は小学校が一校でき上がる額でございます。地方も実は同様でありまして、公債費負担比率一五%以上の市町村が全体の四五%にも及んでいる。そしてまた、二〇%以上の公債費負担比率の市町村は全体の一四・八%もあると言われております。こういう数字もあるわけでございますが、財政事情の硬直化どころか、もうにっちもさっちもいかなくなる状況にあるわけでございます。
しかも、このことを国民の皆さんに理解されているとは思っておりません。住民に一番身近な市町村においてさえもそうでありますので、国においてはまして理解は難しい。実際に、市町村の行政ならばそこで見えるものでありますけれども、国という立場だけに難しい。私たちも、もちろん大いに説明をし、理解を求めなければならない責任があるわけでございますが、改革を進めるに当たって、いかに理解を求めたらよいかということが実は最大の課題であろうと思っております。
改革に成功した国々もあるわけでございますけれども、そのような国の状況をあわせまして、こうしたことに理解を求めるについてのお考えがございましたら、お示しいただきたいと思います。
この発言だけを見る →しかも、このことを国民の皆さんに理解されているとは思っておりません。住民に一番身近な市町村においてさえもそうでありますので、国においてはまして理解は難しい。実際に、市町村の行政ならばそこで見えるものでありますけれども、国という立場だけに難しい。私たちも、もちろん大いに説明をし、理解を求めなければならない責任があるわけでございますが、改革を進めるに当たって、いかに理解を求めたらよいかということが実は最大の課題であろうと思っております。
改革に成功した国々もあるわけでございますけれども、そのような国の状況をあわせまして、こうしたことに理解を求めるについてのお考えがございましたら、お示しいただきたいと思います。
水
水谷研治#12
○水谷公述人 国民の理解を求める、大変難しゅうございます。しかし、一番重要な点は、私が考えますのに、改革をやれば落ち込むということをはっきり明示することであります。しかも、大改革なのでありますから大きく落ち込む、しかしやらなければいけない、この訴え方の力不足じゃないでしょうか。国民はえてして、改革をやらなければならない、何のためか、よくなるから。よくするために、そのよくするのは後々であるということをはっきりさせなければいけないと思います。目先的には、落ち込むのが最初なのであります。まず相当落ち込む、しかし将来のため、十年、二十年、五十年後のために我々はやらなければならない、これの説得が不足のままに乗り出したという感じがするのであります。
いや、確かに、総理大臣初め、去年いろいろおっしゃいました。しかし、おっしゃいましたけれども、現実に景気が下がってまいりますと、経済界を初めといたしまして、まず目先の景気が大切だ、目先の景気が復活しませんと将来のことは実現しないではないかという声に打ち消されまして、今日もまたその意見が大きいかと思いますけれども、そんなことをやっていますと、一体いつになったら改革はできるのか。そして、改革をちょっとやりますとまた落ち込む、そのたびごとに改革をストップする、本当の改革ができません。
私は、海外の例は詳しくはございませんが、例えば、サッチャーのやったこと、レーガンのやったこと、あるいはニュージーランドでやられたことを考えますと、相当な犠牲を国民に強いております。当然です。相当な犠牲がなかったら改革にならないわけです。我々は、その結果だけ見て、立派であったと褒めそやします。結構です。しかし、その過程で、国民がどれくらい苦難を強いられ、それを我慢したか、我慢させたか。
これは、あるいは政治家の先生方に申し上げるのは無理かもしれません。マスコミの力なのかもしれません。しかし、我々は、一人一人がそういうことをお互いに話し合い、国民に訴え続けなければ改革はでき上がらないのではないか、このように考えております。
この発言だけを見る →いや、確かに、総理大臣初め、去年いろいろおっしゃいました。しかし、おっしゃいましたけれども、現実に景気が下がってまいりますと、経済界を初めといたしまして、まず目先の景気が大切だ、目先の景気が復活しませんと将来のことは実現しないではないかという声に打ち消されまして、今日もまたその意見が大きいかと思いますけれども、そんなことをやっていますと、一体いつになったら改革はできるのか。そして、改革をちょっとやりますとまた落ち込む、そのたびごとに改革をストップする、本当の改革ができません。
私は、海外の例は詳しくはございませんが、例えば、サッチャーのやったこと、レーガンのやったこと、あるいはニュージーランドでやられたことを考えますと、相当な犠牲を国民に強いております。当然です。相当な犠牲がなかったら改革にならないわけです。我々は、その結果だけ見て、立派であったと褒めそやします。結構です。しかし、その過程で、国民がどれくらい苦難を強いられ、それを我慢したか、我慢させたか。
これは、あるいは政治家の先生方に申し上げるのは無理かもしれません。マスコミの力なのかもしれません。しかし、我々は、一人一人がそういうことをお互いに話し合い、国民に訴え続けなければ改革はでき上がらないのではないか、このように考えております。
大
大野松茂#13
○大野(松)委員 今お話がございましたように、この問題を、例えば中長期的な問題としてとらえるという見方、それと、短期的にどうするかという問題が、現実にもう迫っております。
そうした中で、我が国の経済の本当の回復、言うなれば実感を伴うところの景気の回復でありますが、それと、将来世代に安易に負担を転嫁しないためには、苦しい中にありましても徹底した各般の改革をやり遂げる必要がある、これは大事なことだと思っております。そのためには、時には国民にも負担と痛みを分かち合っていただかねばならないものである、こうも思っております。
ただ、まさに経済は生き物でございますので、最近の経済や金融の情勢など、厳しい状況からいたしまして、基本的立場に立ちながらも、中長期的視点からの対応にあわせて短期的視点からの臨機応変の処置を講じていくこともまた、この時代、国民にこうしたことの理解を得る上では大事なことではないかと思うわけでございますが、お考えをお示しいただければと思います。
この発言だけを見る →そうした中で、我が国の経済の本当の回復、言うなれば実感を伴うところの景気の回復でありますが、それと、将来世代に安易に負担を転嫁しないためには、苦しい中にありましても徹底した各般の改革をやり遂げる必要がある、これは大事なことだと思っております。そのためには、時には国民にも負担と痛みを分かち合っていただかねばならないものである、こうも思っております。
ただ、まさに経済は生き物でございますので、最近の経済や金融の情勢など、厳しい状況からいたしまして、基本的立場に立ちながらも、中長期的視点からの対応にあわせて短期的視点からの臨機応変の処置を講じていくこともまた、この時代、国民にこうしたことの理解を得る上では大事なことではないかと思うわけでございますが、お考えをお示しいただければと思います。
水
水谷研治#14
○水谷公述人 政治は生きております。国民生活は毎日送られております。したがって、将来の夢だけで現実を過ごすわけにはまいりません。これは事実であります。しかし、ともすれば我々は、目先だけが重要であって、将来を犠牲にし過ぎるのではないでしょうか。その結果が今日になっておるというぐあいに思うのであります。
日本の経済の成長率を眺めてみますと、先ほど斎藤先生が冒頭の図をお示しになりました。これを先生方、どのようにごらんになったかわかりませんが、日本の経済の成長率は〇・何%というのが続いておるのであります。この間にいっとき、九五年度、九六年度は上がりました、三%ぐらいに。戻ったと考えるべきか、あるいはこれが一時的なものであったと考えるべきかという議論は余りなされません。私は、いっときの特殊要因によって三%ぐらいの成長ができ上がったんだというぐあいに考えております。
それは何かと申しますと、三年前、九五年の出来事であります。一月十七日五時四十六分、阪神大震災、それによりまして大被害が出たのであります。当然、大復興計画が実施されたのであります。その規模は膨大なものであります。十兆円と言われます。それはGDPを二%押し上げます。もしそういうものがなかったら、これだけの成長にならなかった可能性があるのであります。それは翌年にまで影響を及ぼしております。翌年、九六年度であります。九六年度には、翌九七年度に消費税が上がることはもう予定されておりました。ということは、前倒しの需要が出てきております。前倒しの需要があり、その結果として成長率を押し上げて、三%なのであります。
したがって、そういう要因を除いてみますと、日本経済の成長率は〇・何%が続いているとむしろ考えるべきではないでしょうか。しかも、この間において、政府は手をこまねいていたわけではございません。先ほどの御説明がありましたように、手をかえ品をかえ、莫大な景気振興策を打って、なおかつ〇・何%の成長率、これが現状なのであります。
そして、同じことができるか、もはやできないといった場合には、日本の成長率はゼロ以下になる可能性がむしろ強いと思わざるを得ないのではないでしょうか。それを率直に認識した上で対策を立てる、これが必要だと思います。
いや、何とかして三%に押し上げようとすれば、相当な無理があります。無理が、自分の無理だけなら結構です。先生おっしゃいましたように、子供や孫にまで無理を押しつけて、なおかつ我々の成長率は異常な高さにまで持っていきたいのか、いくべきなのか、こういう問題であります。
私は、それは我々の考え違いではないか、我々が五十年、六十年後になって考えた場合、あのときに改革をしておけばということがあり得るのではないか、このように考えております。
〔石川委員長代理退席、伊藤(公)委員長代理着席〕
この発言だけを見る →日本の経済の成長率を眺めてみますと、先ほど斎藤先生が冒頭の図をお示しになりました。これを先生方、どのようにごらんになったかわかりませんが、日本の経済の成長率は〇・何%というのが続いておるのであります。この間にいっとき、九五年度、九六年度は上がりました、三%ぐらいに。戻ったと考えるべきか、あるいはこれが一時的なものであったと考えるべきかという議論は余りなされません。私は、いっときの特殊要因によって三%ぐらいの成長ができ上がったんだというぐあいに考えております。
それは何かと申しますと、三年前、九五年の出来事であります。一月十七日五時四十六分、阪神大震災、それによりまして大被害が出たのであります。当然、大復興計画が実施されたのであります。その規模は膨大なものであります。十兆円と言われます。それはGDPを二%押し上げます。もしそういうものがなかったら、これだけの成長にならなかった可能性があるのであります。それは翌年にまで影響を及ぼしております。翌年、九六年度であります。九六年度には、翌九七年度に消費税が上がることはもう予定されておりました。ということは、前倒しの需要が出てきております。前倒しの需要があり、その結果として成長率を押し上げて、三%なのであります。
したがって、そういう要因を除いてみますと、日本経済の成長率は〇・何%が続いているとむしろ考えるべきではないでしょうか。しかも、この間において、政府は手をこまねいていたわけではございません。先ほどの御説明がありましたように、手をかえ品をかえ、莫大な景気振興策を打って、なおかつ〇・何%の成長率、これが現状なのであります。
そして、同じことができるか、もはやできないといった場合には、日本の成長率はゼロ以下になる可能性がむしろ強いと思わざるを得ないのではないでしょうか。それを率直に認識した上で対策を立てる、これが必要だと思います。
いや、何とかして三%に押し上げようとすれば、相当な無理があります。無理が、自分の無理だけなら結構です。先生おっしゃいましたように、子供や孫にまで無理を押しつけて、なおかつ我々の成長率は異常な高さにまで持っていきたいのか、いくべきなのか、こういう問題であります。
私は、それは我々の考え違いではないか、我々が五十年、六十年後になって考えた場合、あのときに改革をしておけばということがあり得るのではないか、このように考えております。
〔石川委員長代理退席、伊藤(公)委員長代理着席〕
大
大野松茂#15
○大野(松)委員 ありがとうございました。
こうした新しい改革を進める中で、私は、六大改革の中でも、社会保障改革というのがやはり一番大きな問題だろうと思うのです。年金のことあるいはまた医療のこと、福祉のこと、さまざまな対応でありますけれども、それを私たちがどのように理解するかということの中で、また社会保障制度の改革というものも進めなければならないと思っております。
実は、せんだって、レスター・サロー教授の「資本主義の未来」という本を読みましたけれども、あの一番最後のところに書いてあること、非常に私も感銘を覚えたわけでございます。「財政の「敵」が誰なのか、姿が見えてきた。政府にとっても、企業にとっても、「敵」は年老いていく「わたしたち自身」だったのだ。」こういうふうにお書きになっておりますけれども、まさに私たちが、私たち自身がその中にあるんだということをすべての人に認識していただかないとこの改革は進まないのじゃないか、こう思っているところでございます。
実は、お二方の先生にお尋ねする時間があれでございますが、最後に、限られた時間の中でございますが、今金融ビッグバンを前にいたしまして、金利、公定歩合についての議論が大変かまびすしいものがございます。年金生活者や中小企業者のそれぞれのお立場もあるわけでございますが、世界的にもたぐいを見ない年〇・五%の公定歩合について、お三方の先生はどうお考えか、短い時間の中でお示しいただければありがたいと思います。
この発言だけを見る →こうした新しい改革を進める中で、私は、六大改革の中でも、社会保障改革というのがやはり一番大きな問題だろうと思うのです。年金のことあるいはまた医療のこと、福祉のこと、さまざまな対応でありますけれども、それを私たちがどのように理解するかということの中で、また社会保障制度の改革というものも進めなければならないと思っております。
実は、せんだって、レスター・サロー教授の「資本主義の未来」という本を読みましたけれども、あの一番最後のところに書いてあること、非常に私も感銘を覚えたわけでございます。「財政の「敵」が誰なのか、姿が見えてきた。政府にとっても、企業にとっても、「敵」は年老いていく「わたしたち自身」だったのだ。」こういうふうにお書きになっておりますけれども、まさに私たちが、私たち自身がその中にあるんだということをすべての人に認識していただかないとこの改革は進まないのじゃないか、こう思っているところでございます。
実は、お二方の先生にお尋ねする時間があれでございますが、最後に、限られた時間の中でございますが、今金融ビッグバンを前にいたしまして、金利、公定歩合についての議論が大変かまびすしいものがございます。年金生活者や中小企業者のそれぞれのお立場もあるわけでございますが、世界的にもたぐいを見ない年〇・五%の公定歩合について、お三方の先生はどうお考えか、短い時間の中でお示しいただければありがたいと思います。
伊
水
水谷研治#17
○水谷公述人 私は、〇・五%の公定歩合は異常に低いと思います。異常に低い公定歩合というのは、一%でも異常に低いと私は考えております。それの半分です。異常さは是正すべきだ、チャンスを見て是正すべきだ。しかし、今それが是正できるかといいますと、金利を上げることによるプラス、金利を上げることによるマイナスということを考えますと大変難しいのではないか、このように考えております。
この発言だけを見る →中
中北徹#18
○中北公述人 私は、公定歩合は基本的にマーケットで決まるものだというふうに考えております。日銀も今回独立性を強固にしたわけでありますので、国会で何パーセントという議論は余り好ましくないとは思いますが、やはり基本的には公定歩合は低過ぎる。これは、これまで二、三年過去を振り返りまして、もっと公定歩合を上げておくチャンスを見失ったのではないかというふうに、逆に思っております。
この発言だけを見る →斎
斎藤精一郎#19
○斎藤公述人 皆さんと同じで、百万円預けて一年定期が税引きでたった二千円、これじゃもうだれもやるわけないので、最近はやりのようにシャル・ウイ・たんすということらしいですけれども、たんす預金が非常にふえてしまうということだと思います。
これは是正すべきなんですが、ただ、今中北さんが申し上げたように、ちょっともう手おくれなんですね。この際上げたら、恐らくアジアの問題にはね返り、あるいは世界の恐慌の引き金、金融パニックの引き金になる危険性が非常にあると思います。ですから、早く不良債権を処理して、上げる状況を早くつくるということが先決で、ただ、利子所得が少ないから、財源もないし、国民にも少し還元しなきゃという形で今拙速に上げると不測の事態が起こってくる。ゼネコン一、二社が倒れても平気だという覚悟だったら上げてもいいと思いますが、やはりそれは、今こういうデフレ下の中ではちょっと難しいのじゃないか。タイミングをちょっと失してしまった。それよりも、今のうちに早く不良債権を処理して、早く正常の金利に戻す。公定歩合としては二・五から三が普通だと思うのですが、それに戻すようにすべきだと思います。
この発言だけを見る →これは是正すべきなんですが、ただ、今中北さんが申し上げたように、ちょっともう手おくれなんですね。この際上げたら、恐らくアジアの問題にはね返り、あるいは世界の恐慌の引き金、金融パニックの引き金になる危険性が非常にあると思います。ですから、早く不良債権を処理して、上げる状況を早くつくるということが先決で、ただ、利子所得が少ないから、財源もないし、国民にも少し還元しなきゃという形で今拙速に上げると不測の事態が起こってくる。ゼネコン一、二社が倒れても平気だという覚悟だったら上げてもいいと思いますが、やはりそれは、今こういうデフレ下の中ではちょっと難しいのじゃないか。タイミングをちょっと失してしまった。それよりも、今のうちに早く不良債権を処理して、早く正常の金利に戻す。公定歩合としては二・五から三が普通だと思うのですが、それに戻すようにすべきだと思います。
大
伊
小
小林守#22
○小林(守)委員 民友連の小林守でございます。諸先生には大変貴重な御意見をいただきましてありがとうございました。
私は、間近に迫りました金融ビッグバンの問題から、将来にわたって日本のクレジットクランチをどう克服して信用創造の時代を切り開いていくべきなのか、この辺を視点にしてお聞きをしたいなと思っております。
本年四月から改正外為法が施行されます。また、BIS基準に基づく早期是正措置も導入されることになっております。しかしながら、今日、個人の金融資産残高が一千二百兆円と言われている我が国でございます。これがいや応なく大競争のビッグバンの時代に入るわけでありまして、そういう点では、市場原理の貫徹によって、戦後続いてきた護送船団の、市場の原理が働かない金融システムが大改革を迫られる、このように考えるわけであります。
先ほど来お話がありましたように、二年半にも及ぶモルヒネの注射とも言われている超低金利〇・五%公定歩合という状況の中で、一千二百兆円の国民金融資産については相当の新たな利用先、運用先を求めた流動化が強力に進むのではないか、またそれがかえっていいことになるのではないかというふうにも思えるわけでありますけれども、一面、日本市場のウィンブルドン化というような言葉でもあらわされているように、日本の大手銀行二十行の中でも数行しか生き残れないというか、伍して国際金融資本との競争に生き残れないのではないか、こんなことも指摘をされているわけであります。
また、このような過程の中で大蔵金融行政の大変なスキャンダル、不祥事が出ておりまして、まさに、日本の金融行政の一つの方向を定めてきた、羅針盤とも言われてきた大蔵省がどうにもならない状況であるということをさらけ出しておるわけであります。そういう点で、うみを出し切るまでの大改革が求められると同時に、やはり国民の信任を得られるようなしっかりとした金融システムの確立というものが求められているのではないか、このように考えているわけであります。
この改革に何とか成功していくことによって、日本が、東京市場が国際的なマーケットとして機能していけるか、それとも、この改革に失敗することによって、まさにアジアのローカルなマーケットに甘んじなければならないか、二十一世紀の日本の経済社会を大きく規定していくような大改革を迎えるのだろうというふうに思うわけであります。
そういう過程の中で、三十兆円に及ぶ公的資金の導入、先ほど中北先生の方からも、原則預金者保護であるべきだというようなお話がございました。しかし、金融システムの安定のために十三兆円に及ぶ公的資金が政府保証もつけた形で導入をされるということでありまして、その中には、一部よくわからないのですけれども、地域経済に重大な影響を与える場合には預金保険機構が金融システム安定化の政策として取り組んでもいいんだ。預金者保護が原則だけれども、そういうシステムの安定と、それから地域経済への決定的な影響を及ぼさないようにというような枠組みの中で、三十兆円の公的資金が導入されたわけであります。
これらについては、今日大手の銀行が、まあ一面では足並みをそろえてまた護送船団方式の先送り、温存ではないかという考え方と、いや、先ほど先生のお話、二極分解は進んでいるよというようなお話もあったわけでありますが、この三十兆円の公的資金導入、日本のビッグバンに向けての自己資本注入というような形で導入されたわけです。本来、市場の原理に基づくならばこんなことはやる必要はないんだというふうにも言えると思うのですが、それらについて、諸先生の方から一言ずつ、この三十兆円の公的資金導入に向けての評価をお聞きしたいなというふうに思います。
この発言だけを見る →私は、間近に迫りました金融ビッグバンの問題から、将来にわたって日本のクレジットクランチをどう克服して信用創造の時代を切り開いていくべきなのか、この辺を視点にしてお聞きをしたいなと思っております。
本年四月から改正外為法が施行されます。また、BIS基準に基づく早期是正措置も導入されることになっております。しかしながら、今日、個人の金融資産残高が一千二百兆円と言われている我が国でございます。これがいや応なく大競争のビッグバンの時代に入るわけでありまして、そういう点では、市場原理の貫徹によって、戦後続いてきた護送船団の、市場の原理が働かない金融システムが大改革を迫られる、このように考えるわけであります。
先ほど来お話がありましたように、二年半にも及ぶモルヒネの注射とも言われている超低金利〇・五%公定歩合という状況の中で、一千二百兆円の国民金融資産については相当の新たな利用先、運用先を求めた流動化が強力に進むのではないか、またそれがかえっていいことになるのではないかというふうにも思えるわけでありますけれども、一面、日本市場のウィンブルドン化というような言葉でもあらわされているように、日本の大手銀行二十行の中でも数行しか生き残れないというか、伍して国際金融資本との競争に生き残れないのではないか、こんなことも指摘をされているわけであります。
また、このような過程の中で大蔵金融行政の大変なスキャンダル、不祥事が出ておりまして、まさに、日本の金融行政の一つの方向を定めてきた、羅針盤とも言われてきた大蔵省がどうにもならない状況であるということをさらけ出しておるわけであります。そういう点で、うみを出し切るまでの大改革が求められると同時に、やはり国民の信任を得られるようなしっかりとした金融システムの確立というものが求められているのではないか、このように考えているわけであります。
この改革に何とか成功していくことによって、日本が、東京市場が国際的なマーケットとして機能していけるか、それとも、この改革に失敗することによって、まさにアジアのローカルなマーケットに甘んじなければならないか、二十一世紀の日本の経済社会を大きく規定していくような大改革を迎えるのだろうというふうに思うわけであります。
そういう過程の中で、三十兆円に及ぶ公的資金の導入、先ほど中北先生の方からも、原則預金者保護であるべきだというようなお話がございました。しかし、金融システムの安定のために十三兆円に及ぶ公的資金が政府保証もつけた形で導入をされるということでありまして、その中には、一部よくわからないのですけれども、地域経済に重大な影響を与える場合には預金保険機構が金融システム安定化の政策として取り組んでもいいんだ。預金者保護が原則だけれども、そういうシステムの安定と、それから地域経済への決定的な影響を及ぼさないようにというような枠組みの中で、三十兆円の公的資金が導入されたわけであります。
これらについては、今日大手の銀行が、まあ一面では足並みをそろえてまた護送船団方式の先送り、温存ではないかという考え方と、いや、先ほど先生のお話、二極分解は進んでいるよというようなお話もあったわけでありますが、この三十兆円の公的資金導入、日本のビッグバンに向けての自己資本注入というような形で導入されたわけです。本来、市場の原理に基づくならばこんなことはやる必要はないんだというふうにも言えると思うのですが、それらについて、諸先生の方から一言ずつ、この三十兆円の公的資金導入に向けての評価をお聞きしたいなというふうに思います。
水
水谷研治#23
○水谷公述人 三十兆円に及ぶ金融特別の措置、これにつきましては、私は原則は外れているのだろうと思います。したがって、原則から外れておりますけれども、当面具体的な対策としてはやむを得ない施策ではなかったのだろうか、このように考えております。
当面といいますのは三月末の話でありまして、ごく短期、目先の問題であります。それは貸し渋りの問題であると同時に、BISの基準クリアの問題でもあります。こういった問題の中には短期的な問題と長期的な問題が含まれていると私は考えております。
長期的な問題といたしましてこの背景に流れますのは、我が国における余りにも膨大な金余りなのであります。金余りの中で金融機関はどういう行動をとってきたかと申しますと、借りていただく方がお客様なのであります。借りていただかなかったら金融業は成り立たないのであります。何とかして貸したい、借りていただきたい。そこで、かなりの悪い条件でも借りていただきました。
本来、金融機関の役割はお金を貸すという役割がございます。しかし、この役割の中には、お金を貸さないという役割もあるはずなのであります。それは何かと申しますと、借りていただいた以上は返していただかなければなりません。そのお金は預金者のものだからであります。すなわち、返せないのではないかと思われるところに貸してはならないのであります。例えばばくちです。ばくちで当たったら返しますというところへは、貸してはいけないのであります。相当な将来性があるとにらんだところだけ貸す。
しかし、そんなことを言っていたらなかなか借りていただける方がなかった、そこで、かなり危ないところへも貸していたという事実があります。その結果がはね返ってきておるのであります。自己責任です。金融機関が悪いのであります。
とはいいましても、現実でありますから、じゃどうするか。そういった貸し出しはよくない、正常化するべきです。これが、実は貸し渋りの根底に流れる一つの問題なのであります。貸し渋りと言われます。従来が正しかったら、今の行動は間違いであるということになります。しかし、もし従来の行動が間違いであったら、是正して正しい方向に向かう、こういうのが実は一つあります。
例えば、国際的な銀行の例を申しますと、どうしても確実に返るというものに貸しましても、貸し倒れは出るのです。その貸し倒れをどうするか。償却します。どうやって償却するか。収益で償却します。ということは、一方におきまして適正なる収益を上げておりませんと償却がなかなかできないのであります。したがって、国際的な銀行は、それぞれ相当の収益を上げるようなものを当然として営業しております。
我が国は違います。そんなことを言ったらだれも借りてくれないからです。仕方がございませんから、かなり安い金利で出している。その結果が、収益で本当に償却できるのだろうか。こういう問題になってくるとすれば、従来どおりの融資の仕方というものは続けられるだろうか、こういう問題があるのであります。この長期的な問題は今後とも続くと思います。
もう一つは、短期的な問題であります。
短期的な問題としては目先の問題、これはもう何とかしなければならない。そこで、こういった措置もやむを得ないかというぐあいに考えております。
この発言だけを見る →当面といいますのは三月末の話でありまして、ごく短期、目先の問題であります。それは貸し渋りの問題であると同時に、BISの基準クリアの問題でもあります。こういった問題の中には短期的な問題と長期的な問題が含まれていると私は考えております。
長期的な問題といたしましてこの背景に流れますのは、我が国における余りにも膨大な金余りなのであります。金余りの中で金融機関はどういう行動をとってきたかと申しますと、借りていただく方がお客様なのであります。借りていただかなかったら金融業は成り立たないのであります。何とかして貸したい、借りていただきたい。そこで、かなりの悪い条件でも借りていただきました。
本来、金融機関の役割はお金を貸すという役割がございます。しかし、この役割の中には、お金を貸さないという役割もあるはずなのであります。それは何かと申しますと、借りていただいた以上は返していただかなければなりません。そのお金は預金者のものだからであります。すなわち、返せないのではないかと思われるところに貸してはならないのであります。例えばばくちです。ばくちで当たったら返しますというところへは、貸してはいけないのであります。相当な将来性があるとにらんだところだけ貸す。
しかし、そんなことを言っていたらなかなか借りていただける方がなかった、そこで、かなり危ないところへも貸していたという事実があります。その結果がはね返ってきておるのであります。自己責任です。金融機関が悪いのであります。
とはいいましても、現実でありますから、じゃどうするか。そういった貸し出しはよくない、正常化するべきです。これが、実は貸し渋りの根底に流れる一つの問題なのであります。貸し渋りと言われます。従来が正しかったら、今の行動は間違いであるということになります。しかし、もし従来の行動が間違いであったら、是正して正しい方向に向かう、こういうのが実は一つあります。
例えば、国際的な銀行の例を申しますと、どうしても確実に返るというものに貸しましても、貸し倒れは出るのです。その貸し倒れをどうするか。償却します。どうやって償却するか。収益で償却します。ということは、一方におきまして適正なる収益を上げておりませんと償却がなかなかできないのであります。したがって、国際的な銀行は、それぞれ相当の収益を上げるようなものを当然として営業しております。
我が国は違います。そんなことを言ったらだれも借りてくれないからです。仕方がございませんから、かなり安い金利で出している。その結果が、収益で本当に償却できるのだろうか。こういう問題になってくるとすれば、従来どおりの融資の仕方というものは続けられるだろうか、こういう問題があるのであります。この長期的な問題は今後とも続くと思います。
もう一つは、短期的な問題であります。
短期的な問題としては目先の問題、これはもう何とかしなければならない。そこで、こういった措置もやむを得ないかというぐあいに考えております。
中
中北徹#24
○中北公述人 私は、二極分解、改革、これを短期間にむしろ加速すべきであるというふうに思います。安定の名において、護送船団の方に引き戻しているというのがむしろ現実ではないか、この十一月以降の日本がたどってきている道ではないか。そのような状態で、今ビッグバンがもう本当に半月先に控えている、ますます段差が大きくなっていく、日本をますます苦しくしているのじゃないかというふうに思うわけであります。
基本的には、私は、これは安定化のためであったとしても、公的資金を預金者保護に限定するというものと安定化の維持ということは矛盾しないというふうに思っています。すなわち、万が一不幸にして倒産する銀行がありますならば、日銀が特融を入れる、その限りにおいて預金者を保護し、そして他方において、その後日銀等が中心になって債権を回収する。どうしても回収できない部分に関しては、その後一般会計で、明瞭な形で、ガラス張りの形で計上し、そしてチェックをするということであれば、極めてシンプルで現実的であるというふうに思います。何もわざわざ預金保険機構の中に数十兆円、それも非常にあいまいな形で入れる必要は全くないというふうに私は思います。預金保険機構こそは大蔵省そのものであるというふうに思っております。
そして、二点目でありますが、私は、貸し渋り、クレジットクランチ、これは先ほど申し上げましたが、誤解を恐れずに申し上げるならば、ある意味で正常化、ノーマライゼーションの過程という側面をもっともっと考えていただきたいというふうに思います。
銀行は、もう沈み込むように資産を持っています、膨大な貸し付けを行っています。その貸し付けの他方において、借り手がまた膨大な資産を持っている。しかし、その両者の関係においては、もう極めて将来性のある産業、次世代産業の育成にきちっとそれがかみ合っているかどうかということを考えますと、大変疑問であるというふうに私は思うわけであります。
そのような意味において、金融当局は、貸し渋りという議論に対してはむしろもっと違った議論をすべきである。そのまま受け入れて、そしてそのまま公的資金の議論に乗っているというような印象を私は否めません。
つまり、日本は、十年前に金融の自由化、リベラライゼーションというのをやったわけでありますが、その後、いかがでしょうか。このインターバンク市場の整備は不徹底であります。つまり、インターバンク市場において、貸し手と借り手という関係を見ますと、もう大手銀行が本当に膨大な借り手、これも担保が必ずしもない形で、一晩で数千億円借りている。一方的な借り手であります。しかし、貸し手はどうでしょうか。もう今や機関投資家であります。したがって、あの十一月にリスクプレミアムが上がれば、これはぐっと締まるのは当然であります。
この膨大な資産を持った巨大な金融機関が非常に特殊なインターバンクに、市場からの資金調達に寄りかかっているということが非常に異常であるというふうに思います。私は、異常なのはインターバンク市場であって、むしろそこの整備をきちっとやることが重要である、これが一点目です。
もう一点目は、私は先ほどお話ししましたように、直接金融市場を何が何でももっと整備していただきたい。私は、政治家の方々の任務は、インフラを整備することであって、市場の中に介入していくことではない。おれが、私が買って出るという話ではなくて、やはりきちっとマーケットが機能するための条件整備、つまり決済システム、それから監視機構、それからある意味での格付、そして会計基準の時価評価、国際化、これをもっと後押ししていただきたい。そうしない限りは、ずるずると改革のタイミングを先送りしていくばかりであります。
私は、ベンチャー企業が今大変苦しんでいるという記事を昨日読みましたけれども、大変憂えております。やはりあの右肩上がりの時代には、経済が多少沈み込んでも、すぐ次の回復のきっかけをつくったのは中小企業でありますが、この方々は大変今苦しんでおります。そこに資金が流れていかない。やはりベンチャー企業その他にリスクキャピタル、危険資本が出ていくような条件整備を何が何でも整備していただきたいというふうに念願しています。
この発言だけを見る →基本的には、私は、これは安定化のためであったとしても、公的資金を預金者保護に限定するというものと安定化の維持ということは矛盾しないというふうに思っています。すなわち、万が一不幸にして倒産する銀行がありますならば、日銀が特融を入れる、その限りにおいて預金者を保護し、そして他方において、その後日銀等が中心になって債権を回収する。どうしても回収できない部分に関しては、その後一般会計で、明瞭な形で、ガラス張りの形で計上し、そしてチェックをするということであれば、極めてシンプルで現実的であるというふうに思います。何もわざわざ預金保険機構の中に数十兆円、それも非常にあいまいな形で入れる必要は全くないというふうに私は思います。預金保険機構こそは大蔵省そのものであるというふうに思っております。
そして、二点目でありますが、私は、貸し渋り、クレジットクランチ、これは先ほど申し上げましたが、誤解を恐れずに申し上げるならば、ある意味で正常化、ノーマライゼーションの過程という側面をもっともっと考えていただきたいというふうに思います。
銀行は、もう沈み込むように資産を持っています、膨大な貸し付けを行っています。その貸し付けの他方において、借り手がまた膨大な資産を持っている。しかし、その両者の関係においては、もう極めて将来性のある産業、次世代産業の育成にきちっとそれがかみ合っているかどうかということを考えますと、大変疑問であるというふうに私は思うわけであります。
そのような意味において、金融当局は、貸し渋りという議論に対してはむしろもっと違った議論をすべきである。そのまま受け入れて、そしてそのまま公的資金の議論に乗っているというような印象を私は否めません。
つまり、日本は、十年前に金融の自由化、リベラライゼーションというのをやったわけでありますが、その後、いかがでしょうか。このインターバンク市場の整備は不徹底であります。つまり、インターバンク市場において、貸し手と借り手という関係を見ますと、もう大手銀行が本当に膨大な借り手、これも担保が必ずしもない形で、一晩で数千億円借りている。一方的な借り手であります。しかし、貸し手はどうでしょうか。もう今や機関投資家であります。したがって、あの十一月にリスクプレミアムが上がれば、これはぐっと締まるのは当然であります。
この膨大な資産を持った巨大な金融機関が非常に特殊なインターバンクに、市場からの資金調達に寄りかかっているということが非常に異常であるというふうに思います。私は、異常なのはインターバンク市場であって、むしろそこの整備をきちっとやることが重要である、これが一点目です。
もう一点目は、私は先ほどお話ししましたように、直接金融市場を何が何でももっと整備していただきたい。私は、政治家の方々の任務は、インフラを整備することであって、市場の中に介入していくことではない。おれが、私が買って出るという話ではなくて、やはりきちっとマーケットが機能するための条件整備、つまり決済システム、それから監視機構、それからある意味での格付、そして会計基準の時価評価、国際化、これをもっと後押ししていただきたい。そうしない限りは、ずるずると改革のタイミングを先送りしていくばかりであります。
私は、ベンチャー企業が今大変苦しんでいるという記事を昨日読みましたけれども、大変憂えております。やはりあの右肩上がりの時代には、経済が多少沈み込んでも、すぐ次の回復のきっかけをつくったのは中小企業でありますが、この方々は大変今苦しんでおります。そこに資金が流れていかない。やはりベンチャー企業その他にリスクキャピタル、危険資本が出ていくような条件整備を何が何でも整備していただきたいというふうに念願しています。
斎
斎藤精一郎#25
○斎藤公述人 簡単にお答えします。
公的資金三十兆は、去年の十一月の一連の金融不安、危機、それの対応としては当然のことで、そういう面ではよかったと思います。
ただ問題は、十七兆の方はともかくとして、十三兆のいわゆる優先株、劣後債等の資本注入の問題ですが、本来、ビッグバンを間近に控えて、金融行政を明快なルールと理念のもとでやらなければいけない。ところが、時間もないということもあるのでしょうが、今回の一連のを見ていますと、相変わらず恣意性と裁量性だ。
行政の裁量性といわゆる審査委員会の裁量性、どういう基準でやっているのか不明確である。それから、金融機関が言っている自己査定等が非常に金融機関の恣意性にゆだねているので、本当に何が一番重要なのかというと、今申し込んできている大手のところは、自己資本比率はともかくとして、むしろ早く不良債権を処理すべきだと思うのですね。
ところが、この不良債権が資本注入によってうまく進むかどうかが非常に不明確で、そういう面では一種の、現在の状況を延命するという相変わらずの痛みを先送りする手法になりかねないという点では、問題の出てくるのを単に先に延ばしちゃった。ばんそうこう、僕はガムテープと言っていますが、一種のガムテープで、長い目で見ると、ビッグバンに反するような状態になってくるのじゃないか。むしろ、日本の金融機関の体力を弱めるように作用するのじゃないか、十三兆についてはそういう心配を持っております。
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ただ問題は、十七兆の方はともかくとして、十三兆のいわゆる優先株、劣後債等の資本注入の問題ですが、本来、ビッグバンを間近に控えて、金融行政を明快なルールと理念のもとでやらなければいけない。ところが、時間もないということもあるのでしょうが、今回の一連のを見ていますと、相変わらず恣意性と裁量性だ。
行政の裁量性といわゆる審査委員会の裁量性、どういう基準でやっているのか不明確である。それから、金融機関が言っている自己査定等が非常に金融機関の恣意性にゆだねているので、本当に何が一番重要なのかというと、今申し込んできている大手のところは、自己資本比率はともかくとして、むしろ早く不良債権を処理すべきだと思うのですね。
ところが、この不良債権が資本注入によってうまく進むかどうかが非常に不明確で、そういう面では一種の、現在の状況を延命するという相変わらずの痛みを先送りする手法になりかねないという点では、問題の出てくるのを単に先に延ばしちゃった。ばんそうこう、僕はガムテープと言っていますが、一種のガムテープで、長い目で見ると、ビッグバンに反するような状態になってくるのじゃないか。むしろ、日本の金融機関の体力を弱めるように作用するのじゃないか、十三兆についてはそういう心配を持っております。
小
小林守#26
○小林(守)委員 ありがとうございました。
現在、我々は平成十年度の予算を審議しているところでございます。しかし、既に自民党の首脳は、外側でということになりましょうか、十兆円規模のいわゆる補正予算が必要だというようなことを打ち上げているわけであります。株価操作のための一種の口先介入なのかなと思ったり、橋本総理の責任を問わずに、なし崩し的に政策転換をやるための地ならしをやっているのかなというふうに思えたりするわけですけれども、政党政治における大変なモラルハザードが政権の中で今進んでいるのではないか、このように私は思えてならないわけであります。
基本的には、諸先生方の御意見の中で、長期デフレ過程に入ったのだというような御意見とか、拡大均衡路線というか経済はもうあり得ないのだ、右肩下がりの経済の中でどう再生を図っていくかというのが課題だというようなこと、それから、あらゆる日本の経済の中で市場原理の徹底、そのためにも消費者の立場を含めた市場原理の徹底が必要だというようなお話がございました。
乱暴なことでございますけれども、しかし、このような経済過程の中で、政治からすると、国民に相当の犠牲は払ってもらわなければならないのだということを真っ正面からやっていかなければならない時代なんですけれども、やはりどうしても、一種のセーフティーネットといっていいでしょうか、中北先生の中で、例えば貸し渋りについても、正常な構造に戻っていくための過程なんだ、それから、市場の論理からすれば当然の帰結なんだというふうなお話だったと思うのですが、では、雇用の問題はどうしたらいいのかというような問題が当然かかわってくるわけです。
それから、黒字倒産と言われますが、資金繰り倒産の問題も現実には起こってきているわけですね。そして、今お話があったように、次世代の産業としてのベンチャー、そういうものに対する資金が回らないというような現実の貸し渋りの状況が進んでいる。政府としては、政府系金融機関を総動員して、相当のてこ入れをしてやっているわけですけれども、そうはいっても、明らかに経営内容の危ないところというか、どうにもなりそうもないようなところについては、技術とか内容はよくても、これは無担保無保証で貸し出しするということはなかなか難しいわけです。
そんなことも含めて考えると、相当の犠牲を強いながら、国民経済全体が血を出すような改革をしなければならないということが迫られているのですけれども、しかし、国民の立場からいって、また消費者の立場という視点に立って、雇用の問題とか社会保障の問題とか、一定のセーフティーネットというものは、やはり政治の場面では最低限は押さえておかなければならないことなんだろうと思うのです。
そういう視点から、中北先生に、貸し渋りの問題と雇用対策の問題について、当然の帰結なんだという議論ではなくて、我々としては、社会政策として何らかの政治の支えがなければ困るのではないか、これは市場原理では解決できない社会政策としての雇用問題、貸し渋り対策というものはあるべきではないのか、このように考えているわけなんですが、先生の御意見をお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →現在、我々は平成十年度の予算を審議しているところでございます。しかし、既に自民党の首脳は、外側でということになりましょうか、十兆円規模のいわゆる補正予算が必要だというようなことを打ち上げているわけであります。株価操作のための一種の口先介入なのかなと思ったり、橋本総理の責任を問わずに、なし崩し的に政策転換をやるための地ならしをやっているのかなというふうに思えたりするわけですけれども、政党政治における大変なモラルハザードが政権の中で今進んでいるのではないか、このように私は思えてならないわけであります。
基本的には、諸先生方の御意見の中で、長期デフレ過程に入ったのだというような御意見とか、拡大均衡路線というか経済はもうあり得ないのだ、右肩下がりの経済の中でどう再生を図っていくかというのが課題だというようなこと、それから、あらゆる日本の経済の中で市場原理の徹底、そのためにも消費者の立場を含めた市場原理の徹底が必要だというようなお話がございました。
乱暴なことでございますけれども、しかし、このような経済過程の中で、政治からすると、国民に相当の犠牲は払ってもらわなければならないのだということを真っ正面からやっていかなければならない時代なんですけれども、やはりどうしても、一種のセーフティーネットといっていいでしょうか、中北先生の中で、例えば貸し渋りについても、正常な構造に戻っていくための過程なんだ、それから、市場の論理からすれば当然の帰結なんだというふうなお話だったと思うのですが、では、雇用の問題はどうしたらいいのかというような問題が当然かかわってくるわけです。
それから、黒字倒産と言われますが、資金繰り倒産の問題も現実には起こってきているわけですね。そして、今お話があったように、次世代の産業としてのベンチャー、そういうものに対する資金が回らないというような現実の貸し渋りの状況が進んでいる。政府としては、政府系金融機関を総動員して、相当のてこ入れをしてやっているわけですけれども、そうはいっても、明らかに経営内容の危ないところというか、どうにもなりそうもないようなところについては、技術とか内容はよくても、これは無担保無保証で貸し出しするということはなかなか難しいわけです。
そんなことも含めて考えると、相当の犠牲を強いながら、国民経済全体が血を出すような改革をしなければならないということが迫られているのですけれども、しかし、国民の立場からいって、また消費者の立場という視点に立って、雇用の問題とか社会保障の問題とか、一定のセーフティーネットというものは、やはり政治の場面では最低限は押さえておかなければならないことなんだろうと思うのです。
そういう視点から、中北先生に、貸し渋りの問題と雇用対策の問題について、当然の帰結なんだという議論ではなくて、我々としては、社会政策として何らかの政治の支えがなければ困るのではないか、これは市場原理では解決できない社会政策としての雇用問題、貸し渋り対策というものはあるべきではないのか、このように考えているわけなんですが、先生の御意見をお伺いしたいと思います。
中
中北徹#27
○中北公述人 私は、経済は経済、社会問題は社会政策の議論としてきちっと区別して、それで必要に応じて発動すべきだと考えております。
今回のこの貸し渋り、私も仄聞しております。大変厳しい状況にあるということは、私も承知しているつもりでありますが、これに関しましては、やはり本当に緊急避難的な措置という意味で、ここで政府関係機関に貸し出しを強化していただくというのも一案ではないかと私は思っております。
それから、ベンチャーのお話を先ほどいたしましたけれども、こちらの方に資金がなかなか流れていきません。特に、一般に、元気な方々が今なかなか担保をつけていただけない。そこで、うんと思い切った投資がわき上がってこない。
ですから、従来の回復パターンになかなか乗りにくいのではないかということは私も感じるわけでありますが、やはり基本的には、社会政策の問題と経済問題、ビジネスの問題というのをきちっと峻別していく。これをやってこなかったのが護送船団であったというふうに私は思います。この轍をこれ以上踏むべきではないと私は思います。
どうしても救い上げられない事情があれば、それは財政という形で仕方がありません。社会全体の保障ということで救い上げるべきである。しかしそれは明瞭な形で、経済なのか財政なのか非常にあいまいな形で、いわば隠れた保護、補助という形で入れるのは大変まずいというふうに私は考えているわけであります。それが私の意見であります。
この発言だけを見る →今回のこの貸し渋り、私も仄聞しております。大変厳しい状況にあるということは、私も承知しているつもりでありますが、これに関しましては、やはり本当に緊急避難的な措置という意味で、ここで政府関係機関に貸し出しを強化していただくというのも一案ではないかと私は思っております。
それから、ベンチャーのお話を先ほどいたしましたけれども、こちらの方に資金がなかなか流れていきません。特に、一般に、元気な方々が今なかなか担保をつけていただけない。そこで、うんと思い切った投資がわき上がってこない。
ですから、従来の回復パターンになかなか乗りにくいのではないかということは私も感じるわけでありますが、やはり基本的には、社会政策の問題と経済問題、ビジネスの問題というのをきちっと峻別していく。これをやってこなかったのが護送船団であったというふうに私は思います。この轍をこれ以上踏むべきではないと私は思います。
どうしても救い上げられない事情があれば、それは財政という形で仕方がありません。社会全体の保障ということで救い上げるべきである。しかしそれは明瞭な形で、経済なのか財政なのか非常にあいまいな形で、いわば隠れた保護、補助という形で入れるのは大変まずいというふうに私は考えているわけであります。それが私の意見であります。
小
伊