水谷研治の発言 (予算委員会公聴会)
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○水谷公述人 ただいま先生の方からのお話の中で、右肩上がりはもう終わったというお話が実は出ておりました。この認識がどれぐらいあるかというのが、私は最大の問題ではなかろうかと思うのであります。
戦後、我が国の経済は、明らかに右肩上がり、しかも、それは世界に冠たる奇跡的な発展を続けてきたのであります。私どもの記憶の中では、経済は発展するものだということが身にしみついて考えていると思うのであります。果たして現状がそうなっているかと申しますと、私は、既に右肩下がりになっているというぐあいに思っております。
これがなぜそれほど重要なことなのかと申しますと、右肩上がりであるとすれば、時がたてば水準は上がります。待てばよくなります。これに対しまして、右肩下がりの場合には、待てば水準は下がります。これは大変な大きな違いなのであります。
改革をやれば落ち込むと、私は繰り返して申し上げたつもりであります。落ち込んでは困る、それはそうです。落ち込まない方がいいです。我々は、よりよいものを目指して今までもやってきておりますし、これからもやはり目指していかなければならないわけであります。
しかし、一たん落ち込むとするならば、落ち込んだ場合には大変なことになるのでありまして、もう少し水準を上げてからにしたいという気持ちがございます。今はよくない、したがって、復活してから、水準が上がってからにしたい。そこで、改革を後送りにしたくなるのであります。
改革を後送りするということは、右肩上がりの経済では正しい処方せんであったと私は考えております。待てば体力が出ます。体力ができたところで手術をすべきです。体力の落ちたところで手術をして死んでしまうのは困るのでありますという議論が成り立つからであります。
ところが、待って本当に体力が上がるかといいますと、私は疑問なのであります。財政政策によりまして、いっとき水準を上げることはできます。しかし、持続的に水準を上げることは、もはや我が国では大変難しい、不可能であるというお話をいたしました。その場合に、いっとき上がってまた落ちていく。
一体いつ改革ができるか。待てば待つほど、時がたてばたつほど、体力が衰えて手術のチャンスはなくなるのではないのでしょうか。私は、今がチャンスである、今改革するのが一番耐えられると。我々が耐えればいいわけです。しかし、将来といえば、将来の国民に耐えさせなければならないわけです。それは本当にいいことでしょうか。いや、我々がつくった借金の責めを我々が負う、これは別に威張ったことでもなく、当たり前の話であります。借りた金は借りた人が返す、これをやれと、私どもは住宅金融専門会社のときに盛んに言ったわけであります。
では、我々は、日本の国民は、本当に自分の借りた金を返しているかと申しますと、返していない。それを将来の人に返してもらおうというのは、大変残念な考え方ではないかと私は思うのでありまして、物の本質のところは、実は右肩上がりではもうなくなった、そして、我々が目指しているような拡大均衡は成り立たないということなのであります。
拡大均衡というのは、一たん減税をいたしますと景気がよくなって税収がふえる、一たん出ましたところの赤字が縮小する、場合によったら黒字にまで転換する、これをねらって我々はやってきたはずです。そのとおりになっているでしょうか。なっておりません。確かに、一たん出た赤字は縮小しました。しかし、相当な赤字が残っておるのであります。そして、赤字が残る限りは借金がふえ続ける。
この現象の中で、我々はもう一遍同じことを繰り返すのか。いや、何度繰り返しても本質的な解決にならないではないか。我々は、我々自身がレベルを下げること、生活水準を下げ、経済水準が下がっても、将来の我々の国民のために苦難を忍ばなければならない、これは切々と政治家の皆さん方に、国民に訴えていただきたい、このように考えます。