冬柴鐵三の発言 (予算委員会第二分科会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○冬柴分科員 新党平和の冬柴鐵三でございます。
私は、本院初当選以来、ライフワークとして法律扶助の拡充を取り上げようと決意をいたしまして、これまで、予算委員会て四回、法務委員会では十数回、この問題を集中して質疑をしてまいりました。また、六十二年、今から十年ほど前になりますが、五月三日、すなわち憲法発布四十周年を記念してできれば議員立法をいたしたい、このように思いまして、法律扶助基金法案を法制局とともに約半年間かけまして完成させ、これを公表したこともございます。残念ながら国会上程には至りませんでしたけれども、そのようなことをいたしました。
この問題について初めて質疑を行いましたのは、昭和六十二年三月二十四日の法務委員会における質疑であります。国の基本姿勢をただしたわけでありますが、まずへ貧困者のために行う法律扶助は憲法上の国の義務かどうかについて伺いました。当時の人権擁護局長は、
我が国の民事訴訟法は弁護士強制主義というものをとっておらず、また、弁護士費用の訴訟費用化というものを認めておらないわけであります。したがいまして、訴訟というものはだれもがどの審級におきましても弁護士がなくても遂行し得る、こういう建前になっておるわけであります。したがいまして、弁護士を依頼すべきだと考え、その資力のある人は弁護士に委任して訴訟を行う、こういう建前がとられております。
というものでございました。
私は、重ねて、国の責務ではないのか、義務ではないのかと迫ったのでありますが、これが責務であるか義務であるかということになると、先ほど来申し上げております弁護士強制の問題などとの関係で非常に難しい問題があるということは御理解いただけると思いますということで、表現はえんきょくでありますが、明確に憲法上の国の義務を否定したのであります。
それでは、なぜ、額は僅少ながら、昭和三十一年以来財団法人法律扶助協会に対して法律扶助に対する補助金を出しているのか、このように尋ねましたところ、そういう貧しい人に対して国が援助の手を差し伸べてその費用を立てかえる、そういった形でもってその権利を十分なものにすることはまことに好ましいことでありまして、そういう考え方から現在の法律扶助制度というものが成り立っておるわけでございますというような答弁でありました。
まさに、義務に基づく国の補助ではなく、恩恵的といいますか、救貧的と申しますか、そのような観点に立って補助をしているにすぎないのだという答弁でございました。
また、重ねて、昭和六十二年度の国の扶助事業に対する補助金は年間七千二百万円でございました。この額は、六十二年からさかのぼって過去二十年間、名目額においても増額されていませんでした。
これに対する政府の考え方をただしましたところ、真に扶助を必要とするケースについて、資金不足のために扶助を断ったという事例は今のところ連絡もない、扶助申請についての拒否判定に不服申し立てがあった事例も聞いていない、したがって、現状、一応、ぜひ必要な人々にはこたえていると理解していますというものでございました。そして、増額については全く考えていないということもはっきりしたわけであります。
次に、扶助協会からの運営費についての助成要望に対しても、扶助協会から、運営費も補助金で賄うことができる制度にしてほしいという意見もあります、しかし、扶助協会というものは財団法人でありまして、運営費まで国費で出すことになりますと、国の直営と変わらなくなるということも考えなければならない問題でありますという答弁で、考慮の余地なしとしていました。
以上が、昭和六十二年当時まで、今から十年ぐらい前の話でございますが、政府の一貫した立場であったと私は理解をいたしております。
しかし、これにめげずに、昭和六十二年七月十六日の予算委員会において、中曽根総理、遠藤要法務大臣でありましたが、予算委員会総括質疑で質問をする機会がありました。貧困者のためにする法律扶助は憲法に由来する国の義務である、先進国で基本法を持たないのは我が国ぐらいのものである、ぜひ基本法制定を進めるべきである、このように熱っぽく私が訴えたのに対し、遠藤法務大臣は、先生御指摘のような制度がなくても、この補助金によって一人も欠くることなく権利を保持できるという考え方を持っており、法務省としては、今新たに制度をつくることに消極的でありますと、取りつく島もない答弁でございましたが、ただ、先生から何回もそのようなお話を承りまして、私も改めて省内において検討させてみたい、このようにお答え申し上げておきます、また、中曽根総理からも、ただいま法務大臣が答弁したとおりでありますが、よく検討させますと、首の薄皮一枚を残してもらった気持ちで、それからの挑戦を行ったわけでございます。
編言汗の如しとの言葉もありますが、中曽根総理の再検討公約は、徐々にではありますが、その後の政府の政策変更につながってまいりました。
まず、竹下内閣の林田法務大臣は、昭和六十三年十二月六日の法務委員会質疑における私の質問に答えて、
七千二百万円、ここしばらくの間それできておるわけでありまするが、来年度はぜひこれを最も優先的に法務省の予算として要求したい、八千七百万円にしたい、こういうことで今努力中でございます。特に、予算もそのうちには現在の倍額くらいにしなければいかぬ、そういう目標を掲げまして折衝をしておるという段階でございます。
と答弁をいただきまして、二十年ぶりに補助金の本格的増額への道筋を明らかにしていただいたわけであります。
周知のとおり、翌平成元年及び二年にはそれぞれ一千五百万円ずつ、平成三年及び四年には二千二百五十万円ずつ増額をしてくださいまして、平成四年度の予算の補助金総額は一億六千二百万円と、わずか四年間に二・二五倍もの本格的増額に
踏み出したわけでございます。
この林田法務大臣答弁後、竹下改造内閣が発足し、高辻正己元法制局長官が法務大臣に就任をされました。平成元年三月二十四日の法務委員会質疑で、私は再度法律扶助を取り上げ、憲法論争を挑んだわけでございますが、そのときの答弁の要旨を法務省からお答えいただければありがたいと思います。