阿部正俊の発言 (予算委員会)

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○阿部正俊君 ありがとうございました。
 ところで、少し福祉論についての考え方について、私なりの理解で問題提起をさせていただきたいというふうに思っております。
 今日まで、医療サービスだとか福祉サービスを論じますときには幾つかの尺度があったように思えてなりません。その一つは、いわゆる国庫負担がふえれば福祉は進んだ、逆に国庫負担の割合が減れば福祉は後退したんだというふうな見方があったのかな。あるいは全くその裏腹でございますけれども、患者さんとか福祉施設の利用者のいわば窓口での御負担がふえれば福祉の後退であり、減れば前進であるというふうな物の見方。これはやはり余りにも一面的過ぎる見方なのではないかなというふうに実は思います。
 コストはだれかが必ず負担するものでございます。国庫負担がふえるならば逆の意味で納税者としての国民負担が、国民の税負担がふえるという関係でございますし、患者さんの窓口での負担を減らすとするならばその分保険料の負担がふえる、いわば若い方の負担がふえるという関係になるわけでございますので、そのことはやはりきっちり認識していなきゃいかぬのじゃないかな、こんなふうに思うわけでございます。
 だから、それぞれの負担が多いのか少ないのかという論理だけをぶつけ合ったのでは将来展望はなかなか切り開けないというのが現実ではなかろうかな、こんなふうに思うわけです。従来の右肩上がりの経済成長があったときにはあるいはそういう論法での手法もできたかもしれませんけれども、今後はなかなかそうはいかないんじゃないかな、こんなふうな気がするわけです。
 話はちょっとそれますけれども、私の地元の山形で、ようやく春の初めになってきておりますが、四月末になりますと、前にも取り上げましたが最上川の舟下りというのを新緑の中でやります。どうかひとつ機会がありましたらおいでいただきたいと思います。ちょっと宣伝が過ぎましたか。
 実は、その船着き場、発着場に国民健康保険発祥の地という碑が建っているわけでございます。これは何なのかというと、昭和十年に実は村民全体が参加した国民健康保険組合がつくられました。今と比べれば全く貧しい時代でございました。したがって、保険給付もようやく外来給付だけ五割給付、入院は個別承認、いわゆる高額療養費なんという制度は全く影も形もございません。保険料をみんなで貧しいながらでも出して助け合いましょうという精神だったろうと思います。
 したがって、豊かだから保険をやるわけではないのでございまして、逆に貧しいからこそ助け合おうという精神だと思います。いわゆる相扶共済、お互い助け合おうというふうな相扶共済の精神を私どもは少し原点に返って改めて学ばなきゃいかぬのじゃないかな、こんなふうな気がするわけでございます。
 今の医療保険をめぐる諸状況といいますのは、そうした相扶共済というよりも、一方的に私は受ける人、あなたは出す人というふうな感覚で論議が展開される傾向がないのかなという気もするわけでございます。したがって、また繰り返しますけれども、いわゆる一人一人の負担論、高い低いという論議の中では将来の展望は開けないのじゃないかな、こんなふうに思えてなりません。
 したがって、ここでは負担論から一歩距離を置きまして、まず私たち国民にとりましてどういう医療サービスなり福祉サービスなりが必要なのか、何が必要なのかということから問題を考えていかなきゃいかぬのじゃないか。その量と質も含めて確かなものにしていく、実際に手に入る手法とはどんなふうなものが考えられるのかということを考えるのが先ではないのかなという気がするわけで、それを前提にした上でそれを実現するための費用の賄い方を考えていくという順序で、いわば今までのとは逆の順序で考えていく必要があるのではないでしょうか。
 そして、そのときに考えなきゃいかぬのは、我が国は、言うまでもなく、いわゆる計画経済の国家ではございません。可能な限り市場経済の原理を適用することもあえて辞さずに物を考えていかなきゃいかぬのじゃないかというふうな気がします。市場原理といいますのは、いわば最適な価格で最適なサービスが確保されることを予定するということだろうと思うわけでございます。
 もちろん、福祉サービスや医療サービスが全く裸の市場原理で調達できるとは決して思いませんし、私も望むものではございません。ただ、だからといって、すべていわば国家統制的な中で組み立てなければならないというのにも無理があると思えてならないわけでございます。例えて言えば、勝手なたたき合いの戦争をするのではなくて、我が日本の国技の大相撲のように土俵をちゃんとつくって、ルールをつくって、それで自由に競わせるというふうな手法も医療なり福祉サービスなりに適用される部分というのはありはしないかというふうに思えてならぬわけでございます。
 そうした考え方を一部取り入れましたのが先国会で成立いたしました介護保険という手法ではなかったかな、こんなふうにも思うわけでございます。
 そこで、厚生大臣に二つお尋ねいたします。この介護保険につきましてでございます。
 ただ、介護保険といいますのはあくまでも介護というものを手に入れるための経済的なシステムでございますので、介護保険ができたからすべて介護については大丈夫だということでもないような気がするわけです。したがって、逆に介護保険についてはどこまでできて、ここは個人個人がやるんだよというふうな役割といいましょうか、介護保険はどこまでできて、できないのか、逆に個人としてはここまでしなきゃならぬよというようなことをスタートの前に、国民に何か下手な幻想だけをばらまくようなことがあってはならぬと私は思いますので、逆にはっきり申し上げておくべきではないかなというようなことが一つ。
 もう一つは、介護保険というものの柱の一つがたくさんかかる経費をみんなで賄いましょうという面もあったかもしれませんけれども、もう一つはやはりいわゆる施設中心の福祉構造というものを改めていこう。つまり、老後といいましょうか体が不自由になっても御自宅で過ごせるような条件づくり、これは我が国は決定的におくれていると思うんです。そこを打開しようというのが一つの考え方ではなかったかなというふうに思いますけれども、その依然たる家族介護の現状、どういうふうになっておるのか。
 あわせて、在宅というものをやるためには相当やはり意識改革というものが私は必要だろうと思うんです。従来の福祉といいますのは、どうしてもお上から何か下げ渡されるような感覚で受けとめている住民なり市町村の担当者なりはまだまだ少なくないのでございます。相当な意識改革が要るんではないかというふうに思いますけれども、この二点について、厚生大臣の御所見をお伺いします。

発言情報

speech_id: 114215261X01619980406_033

発言者: 阿部正俊

speaker_id: 13814

日付: 1998-04-06

院: 参議院

会議名: 予算委員会