土肥隆一の発言 (厚生委員会)

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○土肥委員 それでは、ちょっと踏み込んでお伺いしたいと思うのでありますけれども、この趣旨説明の中で、先ほど尾辻国民福祉委員長がお読みになりましたように、関係者の長年の悲願と書いてあるんですね。関係者というのは知的障害者及びその家族あるいは福祉関係者ということでございましょうけれども、五十七年間そのままにしてきて、今回、関係者の長年の悲願の結実だというふうに言うのでありまして、私は、行政としてもあるいは我々国会にある者も、恥ずかしい限りでございます。うっすらとというか、困った言葉だなとは思いながら、何も手をつけてこなかったということでございます。
 そういう意味では、その後に、障害のあるなしにかかわらず、すべての人が同様に暮らせる社会、すなわちノーマライゼーションの実現が求められています、こう書いてありますけれども、厚かましい限りだなと私は思うのであります。いきなりそこへ飛んでいくわけですね。五十七年間使った言葉をいきなり忘れて、入れかえて、そして、ノーマライゼーションだ何だと言うわけでありまして、やはりここには深い溝があるなというふうに私は感じます。
 それで、この精神薄弱という言葉が、実は今回の法案によりますと三十二本で、調査室の方に精神薄弱という言葉が幾つありますかと聞いたら、四百二十四カ所精神薄弱という言葉がちりばめられているわけです。それは、法律三十二本の中に、学校教育法から社会福祉事業法から全部ちりばめられている。そういう意味では、この精神薄弱者という言葉は社会のあらゆる部門に行き渡っている言葉だ。
 その名前を今変えようとするわけで、結構です。だけれども、一体精神薄弱という言葉を使ってきた五十七年の歴史はどうなるんですかということをやはり深刻に考えないと、このまま名前を四百二十四カ所変えれば済むということにはならないと私は思うのであります。
 これからは知的障害者と使わせていただきますけれども、やはり一番問題なのは親亡き後であります。親亡き後は自分でどうして暮らしていくか。その知的障害者を社会がどういう眼で見、支えていくか。これから最も必要なのは、言葉もさることながら、知的障害者のためにどういうサポートを我々の社会がしていくかということでございます。
 私は、その中でも特に大事だと思っている二点を取り上げるわけでございますが、一つは、地域生活援助事業、いわゆるグループホームというものでございます。ここに厚生省からいただいた資料がございますけれども、十年度補正後で八千五百三十六人というふうに言っております。そして、これはもう一つございますが、福祉ホームが千九百二人。障害者プランが終わる十四年度目標値で、グループホームが一万五千八百六十人、それから福祉ホームが四千二百人。一体これで足りるのかどうかです。その辺の厚生省の考えをお聞きします。

発言情報

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発言者: 土肥隆一

speaker_id: 29990

日付: 1998-09-09

院: 衆議院

会議名: 厚生委員会