佐和隆光の発言 (国土・環境委員会)
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○参考人(佐和隆光君) お手元にこういう資料がございます。短い時間になるべく多くのことを言いたいと思ってこういう資料を用意いたしました。
それでは、読ませていただきます。
まず初めに、昨年十二月の京都会議において何が決まったのかを確認しておきたいと思います。京都議定書の要点を列挙いたしますと次のとおりであります。
一、二〇〇八年から二〇一二年を目標年次とする。つまり、二〇一〇年を挟む前後五年間であります。二、先進国全体で一九九〇年比少なくとも五%削減する。三、国別の差異化を施す。日本六%、アメリカ七%、ヨーロッパ諸国八%等の削減率であります。四、一九九〇年以降の植林、再植林などによる吸収源を加算する。五、六つの温室効果ガス、CO2、メタン、亜酸化窒素ほか三つを二酸化炭素に換算して加え合わせたものを削減対象とする。六、共同達成を認める。七、排出権取引制度を導入する。八、先進国間の共同実施を認める。九、途上国との協力をクリーン開発メカニズム、CDMとして制度化する。
温暖化問題は、科学が政治や経済を動かした過去二番目の事例だと言うことができます。最初の事例は、オゾン層を破壊するフロンガスの全廃を決めたモントリオール議定書であります。その意味で、温暖化問題についての意思決定は、次のような手順を踏んで行われるべきであります。
地球温暖化による危害を防ぐためには、例えば二一〇〇年の大気中の二酸化炭素の濃度をいかほどにコントロールすべきなのかの決定を科学者にゆだねる。次いで、そうした目標を達成するためには、二〇一〇年までに二酸化炭素の排出量を一九九〇年比何%削減するべきかを、科学者、経済学者、国際政治学者、工学者らの衆知を集めて定める。そして、どのような地球温暖化対策を講じるべきなのかもまた専門家の意見を十分に尊重して定めるべきだと私は考えます。
温室効果ガス、特に二酸化炭素の排出を削減するにはどんな対策が考えられるのでしょうか。大別すれば、それらを自主的取り組み、規制的措置、経済的措置の三つにくくることができます。
市場を尊重する立場に立つならば、経済的措置、例えば炭素税、燃費効率のいい自動車への優遇税制等が優先されてしかるべきであると私は考えます。別の言葉で言いかえますと、これからの温暖化対策を思案するに当たっては、自由化、国際化という時代潮流との整合性に配慮すべきであります。自由化、国際化がいまだしの時代、恐らく一九七〇年代ごろまでは企業や消費者の自主的取り組みが十分に功を奏し得たのです。しかし、自由化と国際化の進んだ今日の経済社会を見る限り、自主的取り組みの有効性は甚だしく減じたと言わざるを得ません。また、何かにつけ規制緩和の言われる折から、規制的措置はあくまでも経済的措置を補完するものと心得るべきであります。
一例を挙げますと、太陽電池を普及させるための施策として、我が国では補助金制度が施行されていますが、ドイツのアーヘン市では太陽電池で発電された電力を通常の電気料金の十倍の値段で買い上げることが制度化されています。どちらも太陽電池を普及させるための政府の市場介入をねらった施策であり、しかるべき財政的措置を必要といたしますが、どちらの方式が自由主義経済社会における対策としてスマートなのでしょうか。
私はアーヘン方式の方がはるかにスマートな施策だと考えております。なぜなら、補助金政策が奏功するには、政府が市場の働きをあらわす微分方程式を熟知したラプラスの悪魔でなければならないからであります。つまり、補助金政策が奏功するには、いかほどの補助金をあてがえばいかほどの応募があるのかを政府はあらかじめ知る必要があるからです。神ならざる人間にとって、あるいは神ならざる政府にとって、そんなことは不可能であります。また、余計な人手を必要とするのも補助金政策の欠点であります。他方、アーヘン方式の場合、消費者の選択の自由に任せるというのがその利点であります。アーヘン方式のように市場を尊重する施策のことを経済的措置と言うのであります。
さて、京都議定書では、コミットメント期間は二〇一〇年を挟む五年間とされています。温室効果ガスの排出を一〇%削減するとしたとき、それを一年間でやるのは確かに大変難しいことです。しかし、実際には十三年かけてやるのだということを見落としてはなりません。時間をかけてゆっくりとできるわけですから、消費者や企業に対して急いで何かを禁止したり義務づけたりする必要は決してありません。人間だれしも時間を十分にかければ新しい環境に適応することは容易なはずであります。
次に、産業部門、民生部門、運輸部門の二酸化炭素排出量の削減可能性について私見の一端を披露させていただきます。
私の基本的な考えは、できるだけ無理のないところから、我慢する必要のないところから削減すべきだということであります。同じことを難しく言いかえれば、限界費用の安いところからということになります。こうした観点から削減可能性を検討いたしますと、運輸部門や民生部門での削減可能性を過小評価すべきではないとの結論に達します。低燃費車を普及させること、そしてモーダルシフトを促すこと、省電力設計の家電製品の普及を図ること等により、別段さしたる不便を感じたりすることなく二酸化炭素の排出量を削減することができます。
近年の統計をよく見てみますと、経済成長とエネルギー消費の伸びの関連性が往年に比べて薄くなったことを認めざるを得ません。その証拠の一つとして挙げられるのが、一九九〇年以降、経済成長率が相対的に低かったにもかかわらず、二酸化炭素排出量が顕著な伸びを示したことであります。九〇年から九五年にかけて二酸化炭素排出量は約八・五%もふえたのです。
その内訳を見ますと、産業部門は〇%、民生部門は一六%、運輸部門もまた一六%の勢いで伸びました。産業部門のエネルギー需要と経済成長の間には一定の関係があると見て差し支えありません。しかしながら、民生用、運輸用のエネルギー需要と経済成長との間にはさほど有意な相関関係は認められません。九〇年から九五年にかけて運輸部門のエネルギー消費がなぜそんなにふえたのかというと、燃費効率の悪い三ナンバーの高級車やレクリエーションビークルがふえたからにほかなりません。また、民生用のエネルギー需要がふえたのは、電力多消費型の家電製品がこの問普及途上にあったからにほかなりません。私の見るところ、こうした趨勢はほぼ飽和状態に達しつつあるのではないでしょうか。
温暖化対策をやればまるで経済成長率が下がるかのような議論が横行しておりますが、そうした議論は経済学のABCをわきまえない、全くのためにする議論だと言わざるを得ません。温暖化対策に費用がかかるのは紛れもない事実ではありますが、だからといって温暖化対策が経済成長率を低下させるわけでは決してありません。例えば、炭素税制の導入は、消費者から政府への所得移転をもたらすだけであって、政府が移転された所得の使い道を誤らない限り経済成長率が鈍化するわけでは決してありません。また、炭素税を導入すると同時に、レベニュー・ニュートラルな所得税減税を行えば、果たして消費はふえるのでしょうか減るのでしょうか。結論だけを申しますと、ふえるとも減るとも言えません。いずれにせよ、その絶対値は小さいと言って差し支えないと思います。
ただし、もし日本だけが炭素税を課するのだとすれば、エネルギー多消費型輸出産業への適切な手当てを講じることが必要であります。例えば、鉄鋼業などがこのエネルギー多消費型輸出産業の代表例かと思います。したがいまして、例えば日本からの鉄の輸出に際しては水際で炭素税を払い戻し、例えば韓国からの鉄の輸入に際しては水際で炭素税を徴収するというのが一案であります。あるいはまた、スウェーデンにならってエネルギー多消費型産業を免税にするのも一案であります。
温暖化対策の結果、産業がウイナーインダストリーとルーザーインダストリーに分かれることは避けられません。したがって、政府は、ルーザーインダストリーのロスを最低限に食いとめるためにはどうすればよいのかを真剣に検討するべきであります。ザ・ビッゲスト・ルーザーは石炭産業であります。大規模な石炭産業を抱えるオーストラリア、カナダ、アメリカが温暖化対策に消極的なのはそれゆえよくわかります。しかし、幸いなことに我が国には石炭産業はもはやないに等しいではありませんか。その意味で、日本は温暖化対策の最もやりやすい国の一つだと言えます。低燃費車をつくることを得意とする日本の自動車産業や省電力設計の家庭電化製品をつくるのを得意とする日本の電機産業は明らかにウイナーではないでしょうか。
また、同じ業界内でもウイナーカンパニーとルーザーカンパニーに分かれることは避けられません。その意味で、先日決まったばかりのダイムラー・ベンツとクライスラーの合併を京都会議の結果を色濃く反映した自動車産業界での世界的な再編の始まりだと解釈することができます。
以上申し述べましたとおり、今後数年間のうちに先進各国のいずれもがいや応なく温暖化対策を具体化する必要に迫られます。その際、経済的措置を優先し、その足らずを規制的措置で補うというのが市場経済の国であるはずの我が国における温暖化対策のあり方だと私は確信いたしております。
最後に、排出権取引、共同実施、クリーン開発メカニズムなどの京都議定書により制度化された国際制度について簡単に意見を述べさせていただきます。
日本の排出削減率は九〇年比六%ということですが、このことを言いかえますと、二〇〇八年から二〇一二年にかけての五年間に日本は一九九〇年の排出量の九四%の五倍の温室効果ガスを排出する権利を得たことになります。すなわち、五年間の排出量が与えられた排出権以下になることを義務づけられたわけであります。この排出権を過不足に応じて取引しようというのが排出権取引にほかなりません。
例えば、ロシアの排出権はロシアの一九九〇年の排出量の五倍となるわけです。ロシアの場合は削減率が〇%ですから、一九九〇年の排出量掛ける一掛ける五ということで五倍となるわけですが、ロシアは一九九五年に九〇年比三〇%もの意図せざる削減を行っており、恐らく多少の努力をするだけで当該の五年間の排出量を排出権以下に抑えることが可能なはずです。したがって、ロシアは排出権取引の売り手となり、日本、アメリカなどが買い手となるものと予想されます。
それでは排出権の価格は一体いかほどかということになりますが、前もってそれを予測することは不可能であります。炭素換算一トン当たり二百ドルという説もあれば三ドルという説もあるといったぐあいに、諸説紛々のありさまです。京都議定書の中に排出権取引が盛り込まれたとはいえ、その中身については何も決まっていないのが実情であります。ことし十一月に開催されるブエノスアイレス会議の重要議題の一つが、排出権取引を初めとする国際制度のあり方だと言われております。これらの国際制度についての私の見解は、後ほど御質問があれば幾らでもお答えいたします。
さて、地球温暖化対策推進法は、昨年十二月の京都議定書を受けて、そのコミットメント期間である二〇〇八年から一二年へ向けて、我が国のさまざまな主体が取り組むべき地球温暖化対策の基本方針を定めるものとしてその意義を高く評価いたす思いであります。恐らく、次の課題は温室効果ガスの削減のための有効な対策を講じることであります。温暖化対策推進法がその名のとおり有効かつ公正な温暖化対策を推進するための礎石となることを願うものであります。
以上です。