佐々木秀典の発言 (内閣委員会)
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○佐々木(秀)委員 民主党の佐々木秀典です。
いわゆる国旗・国歌法が提案をされるに当たって、そしてされてから、我が党では、民主党の中に国旗・国歌問題のプロジェクトチームをつくりました。私もそのメンバーでありますけれども、プロジェクトチームでは六回にわたって討議を行っております。真剣な討議が行われております。
率直に言って、我が党ではこの法案に対して、党としてどうするのかということについてはまだ最終的な結論を得ておりません。きのうも報道されましたけれども、私どもの党では法案に対する対応の機関として総務会がございます。これは、与党の自民党さんにもおありになることと思いますけれども、昨日夕方からこの総務会で国旗・国歌法案についての議論が行われておりますけれども、ここでもさまざまな意見があって、まだこれも最終的な結論に至っておりません。
プロジェクトチームの中でも本当に各種の意見が出されました。国旗として日の丸、国歌として君が代、それについては賛成だという意見、あるいはそのものについても反対という意見、あるいは日の丸を国旗、君が代を国歌とすることについては賛成だ、しかしこれを法制化することについては、それについても賛成だという意見、あるいは、いやいや、それについては必要がないあるいは反対だという意見、非常にいろいろな意見が出ているわけであります。
他党と比較をして民主党の態度ははっきりしていないではないかという御批判もあるようでありますけれども、それだけ我が党は一人一人の党員議員が真剣にこの問題について考え、協議に参加しているということをぜひ御理解いただきたいと思うのであります。
国旗・国歌法案が今、国会に提出されて議論されているということは、今までにないことはなかったようであります。このことについてはまた後ほどお聞きいたしますけれども、しかし、今政府が出してこれを成立させようとしていることは、今までかつてないことであるだけに、私は大変重要な問題だと思っております。
確かに、国旗として日の丸が大方から認められているのではないか、あるいは君が代についても、戦前から今日にかけて、国歌として一般的な承認を受けながら、演奏されあるいは歌われてきたのではないかということが言われている、これが大方の国民の間に定着しているのではないか、このことについてもまた後ほど議論させていただきますけれども、そういうことが言われているのは間違いありません。
しかし、たとえ国旗として日の丸が、あるいは国歌として君が代が、そういう認識のもとに使われ、歌われてきたとしても、それを法律によって定めるということについてはいまだかつて我が国ではなかったわけであります。それをやろうとしている。
このことについては、官房長官もお話がありましたように、過去の忌まわしい歴史、特に戦争の歴史の中で、特に国旗は、ある意味では日の丸は気の毒だったと私は思うのですけれども、侵略の歴史、その旗印にされたということは紛れもない事実であります。
そしてまた、君が代も、戦後新しい憲法ができるまでの間、日本は主権在民の国ではなかった。天皇を中心にしたまさに君主国家であった。そして、その君主である天皇をたたえ、天皇の御代の栄えを願う歌、それが君が代だったという認識は、まさにその当時の国民の間には定着していたと思うのであります。
実は、私は北海道の旭川市で生まれ育ちましたけれども、くしくも私の母校であります小学校は旭川市立日章小学校と申します。日章旗の日章という字が使われているのであります。ただ、そうはいっても、実は私は小学校という学校には行ったことのない世代であります。
と申しますのは、私は一九三四年、昭和九年の生まれですけれども、小学校に入ったのが昭和十六年、まさに第二次大戦がその十二月に起こったわけですけれども、その年の一年生。私どもがその小学一年生になったときから、小学校の名称は国民学校に変わったわけであります。ですから、私は国民学校の一年生、日章国民学校の一年生として小学制度に入学した。それまでは日章尋常高等小学校と言っていたようであります。
そして、第二次大戦が終わったときに、私は国民学校の五年生。その翌年、私どもが六年生として国民学校を卒業して、そこでまた再び小学校という名称に変わったわけでありますので、私は丸六年間国民学校に行っていた。したがって、小学校には行っていなかった、こういうことになるわけであります。
私のそうした小学校時代というか国民学校時代というのは、まさに戦争真っ盛りの最中でありますから、ひたすら軍事教育を受けていた。私どもも軍国少年として育ってきたし、そういう教育を受けてまいりました。学校の名前がそういう名前だからということではありませんけれども、まさに毎日毎日、日の丸に接し、あるいは式典その他のときには君が代を歌った世代であります。
ですから、全くそのころは違和感はなかったわけですけれども、しかし、私の記憶によっても、日の丸はともかく、君が代という歌は大変に歌いにくい歌であったなという記憶を持っております。そして、戦争が終わってすっかり日本の体制が変わった。そして、新しい憲法ができた。民主主義の国になった。主権在民という理念が打ち立てられたわけであります。
私は、実はたまたまこの間、ある方のお葬式で何十年かぶりに、その私の国民学校時代に、担任ではございませんでしたけれども、一時期ちょっとお世話になったこともあり、教わった女性の先生にお会いをすることができました。そして、その女性の先生は、私のことを久しぶりに会ったといって喜んでくださったのですけれども、実は、戦争が終わって余り長い時間ではありませんでしたけれども、先生は学校をおやめになった。私は、結婚をされておやめになったのだろうと思っていたのですけれども、実は、この間お会いをしてお話を聞いたときに、そうではないということを聞きました。
というのは、その先生がおっしゃるには、私は、その戦争の最中に子供たちに文部省などの方針に従った教育を施していた。ところが、自分が信じて教えていたことが戦争が終わってみて間違っていたこと、そして、私たちが教えようとしてきたことがいかに真実に反していたかということを知った。私は、それについて大きな大きな責任の重さを感じた。そして、このまま教師を続けていくことに自信を持てなくなった。そういうこともあって実は教師をやめたんだというお話を聞いたわけであります。
私は、確かに子供心に、私どもを教えてくださった先生が、その戦争を境にしてどんなにかお苦しみだったろうということを長じてから知る機会が何度もございました。本当に教育者は大変だったんだろうと思うことしばしばでございました。そういう中に、例えば日の丸だとか君が代の思いというものも私は込められているのだろうと思うのです。
今までこの国旗・国歌をめぐっての全国民的な論議というものが果たしてあったかどうかということは言えないかもしれません。部分的なものであったかもしれないけれども、しかし、ある人々にとっては大変な重さでこれが受けとめられているのは間違いありません。そして、それが現実の問題としては、これはまた後で質問の中でもお聞きをすることになると思いますけれども、教育の現場でさまざまな問題を起こしている。
ことしの二月でしたでしょうか、広島県の高等学校の先生が、この国旗の掲揚などの問題をめぐって板挟みになって、みずからの命を絶ったという痛ましい不幸な事件があったということにも象徴されているように、この国旗・国歌というものに対する問題というのは、それぞれの人の思想や良心にかかわったり、あるいは歴史観にもかかわっているということになるわけであります。この点は、官房長官のお答えの中でもしばしば出てまいります。
それだけに私は、そう軽々しい問題ではない。例えば、今の不況をどうするかというような問題だとか、あるいはどうやって食べていくのかというような問題ではないにしても、人間の良心だとか精神だとかにかかわる非常に重大な問題だと考えているだけに、私たち民主党の中では真剣な論議が行われているのだということをぜひ御理解をいただきたいと思うのです。
そこで、まず官房長官にお伺いをいたしますけれども、確かにこの間の本会議での質疑もありましたけれども、国旗・国歌をなぜ今ここで法制化しようとするのかという、この理由をいま一度率直にお示しをいただきたいと思います。