土肥隆一の発言 (日米防衛協力のための指針に関する特別委員会)

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○土肥委員 おはようございます。
 今回、周辺事態法案の審議に入っておるわけでございますけれども、私は自分のことを少し申し上げたいんであります。
 小渕総理は、六〇年安保時代にやはり学生で、少し距離を離れて、日米安全保障条約が大事なのに何でこんなに騒ぐのだろうというような視点で見ておられたようでございますが、私はこの国会をそのとき取り囲んでおりまして、安保反対で毎日毎日取り囲んでおりまして、まあ学生時代でございます。
 私は、東京神学大学という牧師を養成する大学がございまして、三鷹にございますけれども、そこのいわゆる神学生でございます、神の学問を学ぶ学生というので神学生と言うんでございますけれども。そういう、将来、自分の人生は教会に仕えるという思いで学校に行っていたわけですけれども、六〇年安保になりまして、やはりこれは大変な事態だというふうに考えて、安保反対の運動に入ったわけでございます。それが一九六〇年ですから、それから四十年近くたつわけですね。
 今回、この日米安保、あるいは周辺事態法、あるいはガイドライン、ニューガイドラインを見てまいりますと、どうしても戦後五十年四十年の自分の人生を重ねないで考えることはできないわけでございます。いわば、その戦後五十年の重ねてきた私たちの暮らし、あるいは物の考え方、あるいは信念と申しましょうか、そういうものが色濃く私たちを支配しているわけですね。
 これは国民の皆さんもそうだろうというふうに思います。割に年輩の方は戦前の軍人の体験もしていらっしゃる。そして、私どものような年齢ですと引揚者でございまして、六歳のときに満州から引き揚げてまいりました。残留孤児にならなくてよかったんでありますけれども。そういう経験、そして、戦後の新しい教育の中で小学校、中学校と過ごしていくわけですけれども。
 今回の周辺事態法案が、あるいは新しいガイドラインがいいか悪いかというようなことは、これは、ある意味で軍事同盟に関する、いわば軍事的な結びつきを述べているわけでございまして、したがいまして、普通の人にはなかなかわかりにくいわけでございます。私もこの法文を読み、かつガイドラインを繰り返し読んでおりますけれども、よくわからないところがたくさんあるんで、きょうはそういう点について質問をさせていただきたいと思うんであります。
 つまり、この委員の中には一九六三年生まれとか、あの一九六〇年安保の後に生まれた方もたくさんいらっしゃるわけでございまして、だから私は、このごろ、頭を見まして、しらがの多い人には安心して語れるんですけれども、まあ黒髪の、黒々としていらっしゃる方とはなかなか話がかみ合わないというところもあるように、私が言いたいのは、この法案には、戦後五十年の日米安保の中で生きてきた、ある意味で日本の平和外交の中に生きてきた人がやはり六割、七割、七割はいませんかね、六割以上はいるということでございますね。したがいまして、その国民の気持ちを酌みながら新しいガイドラインを実施するための周辺事態法案を通していくということは、やはりそれだけ重い課題だというふうに思うんであります。
 そういう視点から見ますと、何か、一国平和主義でありますとか平和ぼけでありますとかとよく言われるんですが、その辺の言葉の使い方についても私は後で質問したいと思っておりますけれども、やはり確かに平和だったんですね。そして、その平和を満喫してきたわけです。それは、戦後、五五年体制以降、自民党政府がとってきた一つの大きな方針だったわけです。日米安保体制を壊さない、そして、平和憲法のもとでぎりぎりの安全保障対策をとってきたということでございます。だから、国民がいろいろな考えを持つ、思いを持つということは、まあこれは言ってみれば、自民党政府が国民をそういうふうにリードしてきたゆえんでございます。そう言って間違いない。そういう状況の中でこの法案が審議されているわけでございます。
 ですから、私も、若干そういうノスタルジックな考えと、しかし同時に、私が持っております人生観なり哲学なり、そして政治家としても、ここは譲れない部分、譲れる部分それぞれあることを前もって申し上げまして、質問に入らせていただきたいと思います。
 まず、きのう、きょう、おととい、不審船の問題についてやはりどうしても私、理解できないところがありますので、きょうはその辺を押さえたいと思います。
 事件が起きましたのは二十四日の未明でございます。これは、政府が公式に海上警備行動を発動したときでございます。ところが、新聞をいろいろ読んでみますと、実はこの事態は、二十三日ではなくて、もう二十一日の時点で把握していた、こういうふうに述べられております。私が持っております新聞は地元の神戸新聞でございまして、恐らく共同の配信だろうというふうに思うんですけれども、「満持して警備行動」に出たというのがタイトルなんです。「要請からわずか二十分 早かった政治判断」こういうふうになっております。二十一日からもう既に防衛庁はレーダーでこの船を追尾していて、追っかけていて、哨戒機も飛ばして探索活動を続けた、こうなっております。そして、海上保安庁側には知らせないで、二十三日になりまして、午前十一時、海上自衛隊から海上保安庁側に通告をした、こういうふうになっております。
 この一連の経過、既にもう防衛庁は、この一隻かあるいは二隻ともでしょうか、追尾をしていて、もうウオッチしていたということなんですが、この事態は本当なんでしょうか。

発言情報

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発言者: 土肥隆一

speaker_id: 29990

日付: 1999-03-31

院: 衆議院

会議名: 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会