日米防衛協力のための指針に関する特別委員会
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会
会議録情報#0
平成十一年三月三十一日(水曜日)
午前九時一分開議
出席委員
委員長 山崎 拓君
理事 赤城 徳彦君 理事 大野 功統君
理事 玉沢徳一郎君 理事 中谷 元君
理事 中山 利生君 理事 畑 英次郎君
理事 前原 誠司君 理事 遠藤 乙彦君
理事 西村 眞悟君
安倍 晋三君 浅野 勝人君
石川 要三君 大石 秀政君
大島 理森君 瓦 力君
栗原 裕康君 小島 敏男君
佐田玄一郎君 阪上 善秀君
桜田 義孝君 田村 憲久君
西川 公也君 萩山 教嚴君
福田 康夫君 細田 博之君
松本 純君 宮腰 光寛君
宮島 大典君 八代 英太君
吉川 貴盛君 米田 建三君
伊藤 英成君 上原 康助君
岡田 克也君 桑原 豊君
玄葉光一郎君 土肥 隆一君
横路 孝弘君 赤松 正雄君
市川 雄一君 佐藤 茂樹君
西川 知雄君 山中あき子君
若松 謙維君 東 祥三君
井上 喜一君 達増 拓也君
木島日出夫君 佐々木陸海君
春名 直章君 東中 光雄君
伊藤 茂君 辻元 清美君
出席国務大臣
内閣総理大臣 小渕 恵三君
法務大臣 陣内 孝雄君
外務大臣 高村 正彦君
大蔵大臣 宮澤 喜一君
文部大臣
国務大臣
(科学技術庁長
官) 有馬 朗人君
厚生大臣 宮下 創平君
農林水産大臣 中川 昭一君
通商産業大臣 与謝野 馨君
運輸大臣
国務大臣
(北海道開発庁
長官) 川崎 二郎君
郵政大臣 野田 聖子君
労働大臣 甘利 明君
建設大臣
国務大臣
(国土庁長官) 関谷 勝嗣君
自治大臣
国務大臣
(国家公安委員
会委員長) 野田 毅君
国務大臣
(内閣官房長官
)
(沖縄開発庁長
官) 野中 広務君
国務大臣
(総務庁長官) 太田 誠一君
国務大臣
(防衛庁長官) 野呂田芳成君
国務大臣
(経済企画庁長
官) 堺屋 太一君
国務大臣
(環境庁長官) 真鍋 賢二君
国務大臣
(金融再生委員
会委員長) 柳沢 伯夫君
出席政府委員
内閣官房内閣安
全保障・危機管
理室長
兼内閣総理大臣
官房安全保障・
危機管理室長 伊藤 康成君
内閣法制局長官 大森 政輔君
内閣法制局第一
部長 秋山 收君
内閣法制局第二
部長 宮崎 礼壹君
防衛庁長官官房
長 守屋 武昌君
防衛庁防衛局長 佐藤 謙君
防衛庁運用局長 柳澤 協二君
防衛庁人事教育
局長 坂野 興君
防衛施設庁長官 大森 敬治君
防衛施設庁総務
部長 山中 昭栄君
外務省総合外交
政策局長 加藤 良三君
外務省アジア局
長 阿南 惟茂君
外務省北米局長 竹内 行夫君
外務省欧亜局長 西村 六善君
外務省条約局長 東郷 和彦君
海上保安庁長官 楠木 行雄君
労働大臣官房長 野寺 康幸君
自治大臣官房総
務審議官 香山 充弘君
委員外の出席者
衆議院調査局日
米防衛協力のた
めの指針に関す
る特別調査室長 田中 達郎君
委員の異動
三月三十一日
辞任 補欠選任
相沢 英之君 栗原 裕康君
河井 克行君 吉川 貴盛君
平林 鴻三君 佐田玄一郎君
赤松 正雄君 若松 謙維君
山中あき子君 西川 知雄君
木島日出夫君 春名 直章君
同日
辞任 補欠選任
栗原 裕康君 松本 純君
佐田玄一郎君 平林 鴻三君
吉川 貴盛君 河井 克行君
西川 知雄君 山中あき子君
若松 謙維君 赤松 正雄君
春名 直章君 木島日出夫君
同日
辞任 補欠選任
松本 純君 相沢 英之君
本日の会議に付した案件
参考人出頭要求に関する件
日本国の自衛隊とアメリカ合衆国軍隊との間における後方支援、物品又は役務の相互の提供に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定を改正する協定の締結について承認を求めるの件(第百四十二回国会条約第二〇号)
周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律案(内閣提出、第百四十二回国会閣法第一〇九号)
自衛隊法の一部を改正する法律案(内閣提出、第百四十二回国会閣法第一一〇号)
午前九時一分開議
————◇—————
この発言だけを見る →午前九時一分開議
出席委員
委員長 山崎 拓君
理事 赤城 徳彦君 理事 大野 功統君
理事 玉沢徳一郎君 理事 中谷 元君
理事 中山 利生君 理事 畑 英次郎君
理事 前原 誠司君 理事 遠藤 乙彦君
理事 西村 眞悟君
安倍 晋三君 浅野 勝人君
石川 要三君 大石 秀政君
大島 理森君 瓦 力君
栗原 裕康君 小島 敏男君
佐田玄一郎君 阪上 善秀君
桜田 義孝君 田村 憲久君
西川 公也君 萩山 教嚴君
福田 康夫君 細田 博之君
松本 純君 宮腰 光寛君
宮島 大典君 八代 英太君
吉川 貴盛君 米田 建三君
伊藤 英成君 上原 康助君
岡田 克也君 桑原 豊君
玄葉光一郎君 土肥 隆一君
横路 孝弘君 赤松 正雄君
市川 雄一君 佐藤 茂樹君
西川 知雄君 山中あき子君
若松 謙維君 東 祥三君
井上 喜一君 達増 拓也君
木島日出夫君 佐々木陸海君
春名 直章君 東中 光雄君
伊藤 茂君 辻元 清美君
出席国務大臣
内閣総理大臣 小渕 恵三君
法務大臣 陣内 孝雄君
外務大臣 高村 正彦君
大蔵大臣 宮澤 喜一君
文部大臣
国務大臣
(科学技術庁長
官) 有馬 朗人君
厚生大臣 宮下 創平君
農林水産大臣 中川 昭一君
通商産業大臣 与謝野 馨君
運輸大臣
国務大臣
(北海道開発庁
長官) 川崎 二郎君
郵政大臣 野田 聖子君
労働大臣 甘利 明君
建設大臣
国務大臣
(国土庁長官) 関谷 勝嗣君
自治大臣
国務大臣
(国家公安委員
会委員長) 野田 毅君
国務大臣
(内閣官房長官
)
(沖縄開発庁長
官) 野中 広務君
国務大臣
(総務庁長官) 太田 誠一君
国務大臣
(防衛庁長官) 野呂田芳成君
国務大臣
(経済企画庁長
官) 堺屋 太一君
国務大臣
(環境庁長官) 真鍋 賢二君
国務大臣
(金融再生委員
会委員長) 柳沢 伯夫君
出席政府委員
内閣官房内閣安
全保障・危機管
理室長
兼内閣総理大臣
官房安全保障・
危機管理室長 伊藤 康成君
内閣法制局長官 大森 政輔君
内閣法制局第一
部長 秋山 收君
内閣法制局第二
部長 宮崎 礼壹君
防衛庁長官官房
長 守屋 武昌君
防衛庁防衛局長 佐藤 謙君
防衛庁運用局長 柳澤 協二君
防衛庁人事教育
局長 坂野 興君
防衛施設庁長官 大森 敬治君
防衛施設庁総務
部長 山中 昭栄君
外務省総合外交
政策局長 加藤 良三君
外務省アジア局
長 阿南 惟茂君
外務省北米局長 竹内 行夫君
外務省欧亜局長 西村 六善君
外務省条約局長 東郷 和彦君
海上保安庁長官 楠木 行雄君
労働大臣官房長 野寺 康幸君
自治大臣官房総
務審議官 香山 充弘君
委員外の出席者
衆議院調査局日
米防衛協力のた
めの指針に関す
る特別調査室長 田中 達郎君
委員の異動
三月三十一日
辞任 補欠選任
相沢 英之君 栗原 裕康君
河井 克行君 吉川 貴盛君
平林 鴻三君 佐田玄一郎君
赤松 正雄君 若松 謙維君
山中あき子君 西川 知雄君
木島日出夫君 春名 直章君
同日
辞任 補欠選任
栗原 裕康君 松本 純君
佐田玄一郎君 平林 鴻三君
吉川 貴盛君 河井 克行君
西川 知雄君 山中あき子君
若松 謙維君 赤松 正雄君
春名 直章君 木島日出夫君
同日
辞任 補欠選任
松本 純君 相沢 英之君
本日の会議に付した案件
参考人出頭要求に関する件
日本国の自衛隊とアメリカ合衆国軍隊との間における後方支援、物品又は役務の相互の提供に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定を改正する協定の締結について承認を求めるの件(第百四十二回国会条約第二〇号)
周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律案(内閣提出、第百四十二回国会閣法第一〇九号)
自衛隊法の一部を改正する法律案(内閣提出、第百四十二回国会閣法第一一〇号)
午前九時一分開議
————◇—————
山
山崎拓#1
○山崎委員長 これより会議を開きます。
第百四十二回国会、内閣提出、日本国の自衛隊とアメリカ合衆国軍隊との間における後方支援、物品又は役務の相互の提供に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定を改正する協定の締結について承認を求めるの件、周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律案及び自衛隊法の一部を改正する法律案の各案件を一括して議題といたします。
質疑の申し出がありますので、順次これを許します。土肥隆一君。
この発言だけを見る →第百四十二回国会、内閣提出、日本国の自衛隊とアメリカ合衆国軍隊との間における後方支援、物品又は役務の相互の提供に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定を改正する協定の締結について承認を求めるの件、周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律案及び自衛隊法の一部を改正する法律案の各案件を一括して議題といたします。
質疑の申し出がありますので、順次これを許します。土肥隆一君。
土
土肥隆一#2
○土肥委員 おはようございます。
今回、周辺事態法案の審議に入っておるわけでございますけれども、私は自分のことを少し申し上げたいんであります。
小渕総理は、六〇年安保時代にやはり学生で、少し距離を離れて、日米安全保障条約が大事なのに何でこんなに騒ぐのだろうというような視点で見ておられたようでございますが、私はこの国会をそのとき取り囲んでおりまして、安保反対で毎日毎日取り囲んでおりまして、まあ学生時代でございます。
私は、東京神学大学という牧師を養成する大学がございまして、三鷹にございますけれども、そこのいわゆる神学生でございます、神の学問を学ぶ学生というので神学生と言うんでございますけれども。そういう、将来、自分の人生は教会に仕えるという思いで学校に行っていたわけですけれども、六〇年安保になりまして、やはりこれは大変な事態だというふうに考えて、安保反対の運動に入ったわけでございます。それが一九六〇年ですから、それから四十年近くたつわけですね。
今回、この日米安保、あるいは周辺事態法、あるいはガイドライン、ニューガイドラインを見てまいりますと、どうしても戦後五十年四十年の自分の人生を重ねないで考えることはできないわけでございます。いわば、その戦後五十年の重ねてきた私たちの暮らし、あるいは物の考え方、あるいは信念と申しましょうか、そういうものが色濃く私たちを支配しているわけですね。
これは国民の皆さんもそうだろうというふうに思います。割に年輩の方は戦前の軍人の体験もしていらっしゃる。そして、私どものような年齢ですと引揚者でございまして、六歳のときに満州から引き揚げてまいりました。残留孤児にならなくてよかったんでありますけれども。そういう経験、そして、戦後の新しい教育の中で小学校、中学校と過ごしていくわけですけれども。
今回の周辺事態法案が、あるいは新しいガイドラインがいいか悪いかというようなことは、これは、ある意味で軍事同盟に関する、いわば軍事的な結びつきを述べているわけでございまして、したがいまして、普通の人にはなかなかわかりにくいわけでございます。私もこの法文を読み、かつガイドラインを繰り返し読んでおりますけれども、よくわからないところがたくさんあるんで、きょうはそういう点について質問をさせていただきたいと思うんであります。
つまり、この委員の中には一九六三年生まれとか、あの一九六〇年安保の後に生まれた方もたくさんいらっしゃるわけでございまして、だから私は、このごろ、頭を見まして、しらがの多い人には安心して語れるんですけれども、まあ黒髪の、黒々としていらっしゃる方とはなかなか話がかみ合わないというところもあるように、私が言いたいのは、この法案には、戦後五十年の日米安保の中で生きてきた、ある意味で日本の平和外交の中に生きてきた人がやはり六割、七割、七割はいませんかね、六割以上はいるということでございますね。したがいまして、その国民の気持ちを酌みながら新しいガイドラインを実施するための周辺事態法案を通していくということは、やはりそれだけ重い課題だというふうに思うんであります。
そういう視点から見ますと、何か、一国平和主義でありますとか平和ぼけでありますとかとよく言われるんですが、その辺の言葉の使い方についても私は後で質問したいと思っておりますけれども、やはり確かに平和だったんですね。そして、その平和を満喫してきたわけです。それは、戦後、五五年体制以降、自民党政府がとってきた一つの大きな方針だったわけです。日米安保体制を壊さない、そして、平和憲法のもとでぎりぎりの安全保障対策をとってきたということでございます。だから、国民がいろいろな考えを持つ、思いを持つということは、まあこれは言ってみれば、自民党政府が国民をそういうふうにリードしてきたゆえんでございます。そう言って間違いない。そういう状況の中でこの法案が審議されているわけでございます。
ですから、私も、若干そういうノスタルジックな考えと、しかし同時に、私が持っております人生観なり哲学なり、そして政治家としても、ここは譲れない部分、譲れる部分それぞれあることを前もって申し上げまして、質問に入らせていただきたいと思います。
まず、きのう、きょう、おととい、不審船の問題についてやはりどうしても私、理解できないところがありますので、きょうはその辺を押さえたいと思います。
事件が起きましたのは二十四日の未明でございます。これは、政府が公式に海上警備行動を発動したときでございます。ところが、新聞をいろいろ読んでみますと、実はこの事態は、二十三日ではなくて、もう二十一日の時点で把握していた、こういうふうに述べられております。私が持っております新聞は地元の神戸新聞でございまして、恐らく共同の配信だろうというふうに思うんですけれども、「満持して警備行動」に出たというのがタイトルなんです。「要請からわずか二十分 早かった政治判断」こういうふうになっております。二十一日からもう既に防衛庁はレーダーでこの船を追尾していて、追っかけていて、哨戒機も飛ばして探索活動を続けた、こうなっております。そして、海上保安庁側には知らせないで、二十三日になりまして、午前十一時、海上自衛隊から海上保安庁側に通告をした、こういうふうになっております。
この一連の経過、既にもう防衛庁は、この一隻かあるいは二隻ともでしょうか、追尾をしていて、もうウオッチしていたということなんですが、この事態は本当なんでしょうか。
この発言だけを見る →今回、周辺事態法案の審議に入っておるわけでございますけれども、私は自分のことを少し申し上げたいんであります。
小渕総理は、六〇年安保時代にやはり学生で、少し距離を離れて、日米安全保障条約が大事なのに何でこんなに騒ぐのだろうというような視点で見ておられたようでございますが、私はこの国会をそのとき取り囲んでおりまして、安保反対で毎日毎日取り囲んでおりまして、まあ学生時代でございます。
私は、東京神学大学という牧師を養成する大学がございまして、三鷹にございますけれども、そこのいわゆる神学生でございます、神の学問を学ぶ学生というので神学生と言うんでございますけれども。そういう、将来、自分の人生は教会に仕えるという思いで学校に行っていたわけですけれども、六〇年安保になりまして、やはりこれは大変な事態だというふうに考えて、安保反対の運動に入ったわけでございます。それが一九六〇年ですから、それから四十年近くたつわけですね。
今回、この日米安保、あるいは周辺事態法、あるいはガイドライン、ニューガイドラインを見てまいりますと、どうしても戦後五十年四十年の自分の人生を重ねないで考えることはできないわけでございます。いわば、その戦後五十年の重ねてきた私たちの暮らし、あるいは物の考え方、あるいは信念と申しましょうか、そういうものが色濃く私たちを支配しているわけですね。
これは国民の皆さんもそうだろうというふうに思います。割に年輩の方は戦前の軍人の体験もしていらっしゃる。そして、私どものような年齢ですと引揚者でございまして、六歳のときに満州から引き揚げてまいりました。残留孤児にならなくてよかったんでありますけれども。そういう経験、そして、戦後の新しい教育の中で小学校、中学校と過ごしていくわけですけれども。
今回の周辺事態法案が、あるいは新しいガイドラインがいいか悪いかというようなことは、これは、ある意味で軍事同盟に関する、いわば軍事的な結びつきを述べているわけでございまして、したがいまして、普通の人にはなかなかわかりにくいわけでございます。私もこの法文を読み、かつガイドラインを繰り返し読んでおりますけれども、よくわからないところがたくさんあるんで、きょうはそういう点について質問をさせていただきたいと思うんであります。
つまり、この委員の中には一九六三年生まれとか、あの一九六〇年安保の後に生まれた方もたくさんいらっしゃるわけでございまして、だから私は、このごろ、頭を見まして、しらがの多い人には安心して語れるんですけれども、まあ黒髪の、黒々としていらっしゃる方とはなかなか話がかみ合わないというところもあるように、私が言いたいのは、この法案には、戦後五十年の日米安保の中で生きてきた、ある意味で日本の平和外交の中に生きてきた人がやはり六割、七割、七割はいませんかね、六割以上はいるということでございますね。したがいまして、その国民の気持ちを酌みながら新しいガイドラインを実施するための周辺事態法案を通していくということは、やはりそれだけ重い課題だというふうに思うんであります。
そういう視点から見ますと、何か、一国平和主義でありますとか平和ぼけでありますとかとよく言われるんですが、その辺の言葉の使い方についても私は後で質問したいと思っておりますけれども、やはり確かに平和だったんですね。そして、その平和を満喫してきたわけです。それは、戦後、五五年体制以降、自民党政府がとってきた一つの大きな方針だったわけです。日米安保体制を壊さない、そして、平和憲法のもとでぎりぎりの安全保障対策をとってきたということでございます。だから、国民がいろいろな考えを持つ、思いを持つということは、まあこれは言ってみれば、自民党政府が国民をそういうふうにリードしてきたゆえんでございます。そう言って間違いない。そういう状況の中でこの法案が審議されているわけでございます。
ですから、私も、若干そういうノスタルジックな考えと、しかし同時に、私が持っております人生観なり哲学なり、そして政治家としても、ここは譲れない部分、譲れる部分それぞれあることを前もって申し上げまして、質問に入らせていただきたいと思います。
まず、きのう、きょう、おととい、不審船の問題についてやはりどうしても私、理解できないところがありますので、きょうはその辺を押さえたいと思います。
事件が起きましたのは二十四日の未明でございます。これは、政府が公式に海上警備行動を発動したときでございます。ところが、新聞をいろいろ読んでみますと、実はこの事態は、二十三日ではなくて、もう二十一日の時点で把握していた、こういうふうに述べられております。私が持っております新聞は地元の神戸新聞でございまして、恐らく共同の配信だろうというふうに思うんですけれども、「満持して警備行動」に出たというのがタイトルなんです。「要請からわずか二十分 早かった政治判断」こういうふうになっております。二十一日からもう既に防衛庁はレーダーでこの船を追尾していて、追っかけていて、哨戒機も飛ばして探索活動を続けた、こうなっております。そして、海上保安庁側には知らせないで、二十三日になりまして、午前十一時、海上自衛隊から海上保安庁側に通告をした、こういうふうになっております。
この一連の経過、既にもう防衛庁は、この一隻かあるいは二隻ともでしょうか、追尾をしていて、もうウオッチしていたということなんですが、この事態は本当なんでしょうか。
野
野呂田芳成#3
○野呂田国務大臣 二十一日の時点で、少し不審に思っている船がありそうだということは常続的な監視活動の中で考えられたわけであります。そして、二十二日につきましても、さらにそれを確かめるべく、普通の監視活動を行っておったわけであります。二十三日の朝に至りまして、P3Cが、どうもやはり不審だということで護衛艦に連絡をして追尾をさせて、これは海上保安庁等に連絡する必要があるということで連絡をしたわけであります。
ここ二、三日も、何かきのうあたりも白い船が二隻あって、工作船じゃないかという情報があったり、その前の日もありましたが、いずれもゴムボートであったり日本の漁船だったということで、やはり私どもとしては、ある程度確かめてから海上保安庁等に連絡するようにしているから、今委員が御指摘になったような経過をたどったわけであります。
この発言だけを見る →ここ二、三日も、何かきのうあたりも白い船が二隻あって、工作船じゃないかという情報があったり、その前の日もありましたが、いずれもゴムボートであったり日本の漁船だったということで、やはり私どもとしては、ある程度確かめてから海上保安庁等に連絡するようにしているから、今委員が御指摘になったような経過をたどったわけであります。
土
野
土
土肥隆一#6
○土肥委員 こういう不審な船が二隻、若狭湾のところをうろうろしている、何かわからないけれども、二日、三日かけてウオッチしていた、そしてその結果、これは海上保安庁に連絡した方がよかろうということになったと。どうも何かそれは、私なんか素人的に考えても、そういう時間がどうして経過するんだろうかというふうに思うわけであります。
実は、いろいろな新聞を読みますと、自衛隊は、ここで書いてありますように満を持して待っていて、二十一日の夜は新月の後と書いてありますから、真っ暗やみに、言えば、待っていたんではなかろうか。そしてそれをずっと追っかけて見ていて、そして二十三日になって初めて海上保安庁に通告する。何か待ち伏せしていて、うまいぐあいに魚を追い込んだようにして、二隻が何かしていると。
例えば、新聞にこういうことも書いてあるんです。海上幕僚長の山本安正さんという方が「日ごろから(海上警備行動の)訓練をしている。今回は実際の行動と訓練の差はほとんど無かった。やるべきことはやった」と。つまり、このケースで訓練をしたんじゃないかというふうな感じもするわけであります。
この訓練をしていて、この山本安正さんが海上幕僚長としての名前を挙げておっしゃっていることは間違いないんでしょうか。
この発言だけを見る →実は、いろいろな新聞を読みますと、自衛隊は、ここで書いてありますように満を持して待っていて、二十一日の夜は新月の後と書いてありますから、真っ暗やみに、言えば、待っていたんではなかろうか。そしてそれをずっと追っかけて見ていて、そして二十三日になって初めて海上保安庁に通告する。何か待ち伏せしていて、うまいぐあいに魚を追い込んだようにして、二隻が何かしていると。
例えば、新聞にこういうことも書いてあるんです。海上幕僚長の山本安正さんという方が「日ごろから(海上警備行動の)訓練をしている。今回は実際の行動と訓練の差はほとんど無かった。やるべきことはやった」と。つまり、このケースで訓練をしたんじゃないかというふうな感じもするわけであります。
この訓練をしていて、この山本安正さんが海上幕僚長としての名前を挙げておっしゃっていることは間違いないんでしょうか。
野
野呂田芳成#7
○野呂田国務大臣 山本海将はきょう引退されましたが、彼がそう言ったかどうか、私は確かめておりません。しかし、その真意は、この不審船を確かめるに当たってそういうことをやったというんじゃなくて、海上警備行動に移った際には、常日ごろ訓練していたとおりのことをやったという意味だというふうに解されます。
この発言だけを見る →土
土肥隆一#8
○土肥委員 その訓練は、ほぼうまくいったというわけですね。
そうすると、その訓練というのは、拿捕するとか、網なんかを持ち出してスクリューに絡ませるとか、いろいろあったようでありますけれども、初めから拿捕する予定じゃなかったんじゃないですか、どうでしょう。
この発言だけを見る →そうすると、その訓練というのは、拿捕するとか、網なんかを持ち出してスクリューに絡ませるとか、いろいろあったようでありますけれども、初めから拿捕する予定じゃなかったんじゃないですか、どうでしょう。
野
野呂田芳成#9
○野呂田国務大臣 拿捕するつもりで自衛隊も命をかけて頑張ったけれども、結果的には取り逃がしてしまったというようなことでありまして、最初から拿捕しないのが目的だったなんということは毛頭ございません。
この発言だけを見る →土
土肥隆一#10
○土肥委員 しかし、訓練のとおりにやって実際の行動をとり、実際と訓練の差はほとんどなかった、やるべきことはやったと。そうすると、訓練のとおりうまくいかなかったと理解していいんですね。
この発言だけを見る →野
野呂田芳成#11
○野呂田国務大臣 訓練のとおりやったんですが、あえて申し上げますと、自衛隊法の八十二条を発動する場合には警職法の七条が準用されますが、そこでは、武器は使っていいけれども人には危害を与えちゃいかぬ、正当防衛か緊急避難のときに当たるときしか人に危害を与えちゃいかぬということでありますので、私どもとしては、もしそういうことになっちゃ困ると思いまして、爆弾とか五インチ砲とかで攻撃することはしなかったので、しかし、相手は幾ら停船を命じてもとまらないでひたすら逃げたものですから、取り逃がしてしまったということでありまして、武器を使わない限りにおいては、私どもは、日ごろの訓練どおりきちっと対応できたのではないか、こう思っております。
この発言だけを見る →土
土肥隆一#12
○土肥委員 どうもその辺がしっくりいかないんです。あんなに若狭湾の奥まで入ってきて、そして結局は拿捕できなかったということですね。
防衛庁あるいは政府の見解として、この二隻の船は、みずからに与えられた、何の使命かわかりませんけれども、そのミッションを果たしたんでしょうか、果たしていないんでしょうか。
この発言だけを見る →防衛庁あるいは政府の見解として、この二隻の船は、みずからに与えられた、何の使命かわかりませんけれども、そのミッションを果たしたんでしょうか、果たしていないんでしょうか。
野
野呂田芳成#13
○野呂田国務大臣 この工作船が何を意図して参ったか私どもにはわかりませんが、しかし、きのう政府の見解を発表しましたとおり、この船は、いろいろな情報を総合的に分析しますと、北朝鮮の港へ入った工作船であったということが断定できたという次第です。
この発言だけを見る →土
野
土
土肥隆一#16
○土肥委員 どうやって確認したかというのは言えないということでございますけれども、これだけの条件で北朝鮮に抗議文を送る。そして、きょうなどは大変強硬姿勢が見えまして、新聞によりますと、政府としていつまでも不審船の国籍をあいまいにしておくわけにはいかなくなり、北朝鮮の工作船と断定した上で強く抗議する立場に転換した、この背景には、工作船侵入事件をうやむやにできない内外の政治状況があったと述べておりますが、これはどういうことでしょうか。
この発言だけを見る →野
野呂田芳成#17
○野呂田国務大臣 ちょっと、今の委員の御質問は、それは報道にそう書いてあったということでしょうか。(土肥委員「いや、そうじゃなくて、新聞です」と呼ぶ)それは、政府の見解でしょうか。(土肥委員「政府の見解に対してです。この背景について、工作船侵入事件をうやむやにできない内外の政治状況があったと」と呼ぶ)これはむしろ、外務大臣の方からお答えした方がいいように思いますが。(土肥委員「はい、ではお願いします」と呼ぶ)
この発言だけを見る →高
土
土肥隆一#19
○土肥委員 はい、結構でございます。
その後、野呂田防衛庁長官は、防衛庁の医科大学校で卒業式の訓辞をなさいました。そして、平和や安全はただ願望するだけでは得られない、防衛力の運用体制の充実に意を払うことが肝要だと言いまして、有事法制や新しいガイドラインなどが極めて重要だと、その必要性を強調した。例に挙げたのはテポドンの発射でありますとか不審船事件であって、有事法制や新ガイドラインを急がなきゃならないというふうな趣旨のことをおっしゃったようでありますが、これは間違いありませんか。
この発言だけを見る →その後、野呂田防衛庁長官は、防衛庁の医科大学校で卒業式の訓辞をなさいました。そして、平和や安全はただ願望するだけでは得られない、防衛力の運用体制の充実に意を払うことが肝要だと言いまして、有事法制や新しいガイドラインなどが極めて重要だと、その必要性を強調した。例に挙げたのはテポドンの発射でありますとか不審船事件であって、有事法制や新ガイドラインを急がなきゃならないというふうな趣旨のことをおっしゃったようでありますが、これは間違いありませんか。
野
野呂田芳成#20
○野呂田国務大臣 有事法制につきましては、長い間、二十数年間私どもは研究してきたわけでありますが、これはあくまでも研究にとどめるという前提で研究してきたわけであります。
したがって、私は、このたびの国会が始まって以来、防衛庁としては、二十数年間検討してきたので、できれば法律が立法化されることが望ましいということは言ってきましたが、一部報道にありますとおり、この国会が終われば着手するとか、この国会で成立させるなんということは言った覚えもないし、今そういうことを考えてもおりません。
この発言だけを見る →したがって、私は、このたびの国会が始まって以来、防衛庁としては、二十数年間検討してきたので、できれば法律が立法化されることが望ましいということは言ってきましたが、一部報道にありますとおり、この国会が終われば着手するとか、この国会で成立させるなんということは言った覚えもないし、今そういうことを考えてもおりません。
土
土肥隆一#21
○土肥委員 今すぐとは言わなかったという話でございますけれども、例えばテポドンの発射がありました。不審船事件がありました。それで、なぜガイドラインを早くやらなきゃいけないのか。研究中の有事法制もそろそろ引っ張り出したらどうだろうか。私は、それは日本有事でもないし、あるいは周辺事態でもない、そういう突発的な事件でありますけれども、それがどうして即座にガイドラインやあるいは有事法制に結びつくのか。防衛庁長官、その辺はどうでしょうか。
この発言だけを見る →野
野呂田芳成#22
○野呂田国務大臣 ガイドライン法案も、別にテポドンとか不審船があらわれたからやるのではなくて、これはそのずっと以前から検討されて、作業に着手されて、去年から国会に提出されているわけでありまして、テポドンや不審船に触発されて出てきたものではありません。
有事立法につきましても、ここ二十数年間ずっと政府が一体となって研究してきているわけでありまして、テポドンや不審船に触発されてこの研究を始めたわけではないということを、ひとつぜひ委員にも御理解いただきたいと思います。
この発言だけを見る →有事立法につきましても、ここ二十数年間ずっと政府が一体となって研究してきているわけでありまして、テポドンや不審船に触発されてこの研究を始めたわけではないということを、ひとつぜひ委員にも御理解いただきたいと思います。
土
土肥隆一#23
○土肥委員 ですから、最近起きたこの二つの、特に北朝鮮に関する情報を取り上げて、そして極めて大事な自衛隊の医科大学の卒業式にそれをくっつけてお話しになるというのは、私は、やや国民を誤った方向にリードするのではないかというふうに考えているわけであります。
私が冒頭に申しましたように、その都度起こってくる国内的、国際的事件や状況を、すぐさま、何かこれが一大事のごとく考えて、そして日本の国をミスリードすることがないように、特に防衛庁長官でありますとか要職にある方々は影響が非常に強うございますから、もう少し御配慮いただきたいということをあえて申し上げたいと思います。
このようにして、政府は、これまでの二隻の不審船事件についてこれだけの結論をお出しになったわけであります。官房長官にちょっとお聞きしたいのですが、長官の御発言も新聞に載っておりまして、いわば余り国際的事件などを軽々に取り上げて突っ走らないようにというふうな意味のことをおっしゃっているようでございますが、長官はどういうふうなことからこういう発言をなさったのでしょうか。御意見をお聞かせください。
この発言だけを見る →私が冒頭に申しましたように、その都度起こってくる国内的、国際的事件や状況を、すぐさま、何かこれが一大事のごとく考えて、そして日本の国をミスリードすることがないように、特に防衛庁長官でありますとか要職にある方々は影響が非常に強うございますから、もう少し御配慮いただきたいということをあえて申し上げたいと思います。
このようにして、政府は、これまでの二隻の不審船事件についてこれだけの結論をお出しになったわけであります。官房長官にちょっとお聞きしたいのですが、長官の御発言も新聞に載っておりまして、いわば余り国際的事件などを軽々に取り上げて突っ走らないようにというふうな意味のことをおっしゃっているようでございますが、長官はどういうふうなことからこういう発言をなさったのでしょうか。御意見をお聞かせください。
野
野中広務#24
○野中国務大臣 今回の事件につきましてでございますが、委員御承知のとおりに、領域の侵犯につきましては、領空侵犯を除きましては、第一義的に警察機関、すなわち警察及び海上保安庁の任務でございます。この任務を遂行する上で不可能な事態が生じたり、あるいは著しく困難と認められる事態が生じた場合に、治安出動やあるいは海上警備行動に対処することになっておるわけでございます。
我が国の基本的な法体系は整っておると認識をしておるわけでございまして、今回の事犯にかんがみまして新たに何かを考えるということじゃなしに、むしろ一つ一つを点検して、そして今度の問題の連絡の問題、あるいは出動に至るいろいろな経過を謙虚に反省をしながら、お互いにまた今度あるべき問題に対処できる状況をつくり上げていくということでありまして、法の整備が先にあるわけではないと考えております。
この発言だけを見る →我が国の基本的な法体系は整っておると認識をしておるわけでございまして、今回の事犯にかんがみまして新たに何かを考えるということじゃなしに、むしろ一つ一つを点検して、そして今度の問題の連絡の問題、あるいは出動に至るいろいろな経過を謙虚に反省をしながら、お互いにまた今度あるべき問題に対処できる状況をつくり上げていくということでありまして、法の整備が先にあるわけではないと考えております。
土
土肥隆一#25
○土肥委員 そうしますと、自衛隊法八十二条の海上における警備行動、それを読みかえるといいましょうか補足する意味で、九十三条ではその根拠を警察官職務執行法第七条に読みかえているわけでありまして、これで法の整備は十分だ、こういうふうにお考えだというふうに理解してようございますね。——ありがとうございます。
私は、ちょっと想像をたくましくしますと、もしこれに乗り込んで銃撃戦が行われ、そしてどこからか、北朝鮮かどこかわかりませんが潜水艦があらわれて、あるいは戦闘機が飛来してきて、いわば自衛艦なりあるいは海上保安庁の船を爆撃したというようなことになったときに、一体これはどういうふうに始末するのだろうか、こういうふうに思うわけであります。
ですから、これは非常に微妙な問題でありまして、単にけしからぬという話じゃなくて、まさにこれが有事に発展する可能性だってあるわけでございまして、我々はそういうことはよく注意しておかなきゃならないだろうというふうに私の感想を申し上げます。
それでは、次に移らせていただきます。
何度も申し上げておりますように、戦後五十年、そして日米安保が正式に六〇年で確定したわけでありますけれども、それ以来いろいろな事件がございました。日本は、平和外交あるいは憲法の原則にのっとって、自衛隊を外に出さない、個別的自衛権以外は行使しないということを言ってまいりました。
だけれども、いろいろな事件がありまして、そしてだんだん日本も経済的に豊かになってまいりまして、アメリカの十分の一ぐらいしか経済力のなかった時代から、もうアメリカを追い越すのではないか、追い越してはいませんけれども、もうアメリカに三割近く追いついていると言ったらいいのでしょうか、そういう経済的な成長もございまして、日本がこのまま日米安保体制のもとで平和主義に徹することがだんだん許されなくなってきたことは、私も認めるわけでございます。
特に湾岸戦争のときに、一九九〇年八月でございます。私も初めて国会に出てまいりまして途方に暮れたことを今も思い出しますが、百三十億ドル拠出いたしました。これはもう大変な額でございまして、それを評して、小切手外交であるとか、金は出しても人は出さないとか、血を流さない日本だとかというふうなことが、マスコミあるいは我々の口の端にのってきたわけでございます。
私は、百三十億ドルという巨額、そして、何か為替差益でその後七百億円追加したなんということも含めまして、これは納税者に対してどう説明したらいいんだろうかと思うのであります。税金を百三十億ドル拠出して、だれも褒めてくれない。まあ褒めてもらう必要はないかもしれませんけれども。
いろいろな資料を調べてまいりますと、クウェートが、湾岸戦争が終わりまして、参戦国に対して感謝の意をあらわしましたね。そのときに日本が入っていなかったのです。これでもう日本はがっくりきまして、言ってみれば、それ以来、血を流さない日本、金は出しても人は出さない、こういう状況というものがずっと言われ続けておりまして、一種の精神的なトラウマといいましょうか、安全保障上の心の傷になってしまっているんじゃないかと思うのですね。それがずっと引き続いてまいりまして、まあ一足飛びに飛ぶわけにもいきませんけれども、例えばカンボジアのPKOの派遣もございました。少しずつでありますけれども、日本の貢献策を人の面から追求してまいりました。
ちょっと確認したいのですけれども、百三十億ドル出したときに、どこのだれに払って、そして、まあ国会で言えば決算書は見せてもらったのでしょうかね。領収書はどうなんでしょうか。
この発言だけを見る →私は、ちょっと想像をたくましくしますと、もしこれに乗り込んで銃撃戦が行われ、そしてどこからか、北朝鮮かどこかわかりませんが潜水艦があらわれて、あるいは戦闘機が飛来してきて、いわば自衛艦なりあるいは海上保安庁の船を爆撃したというようなことになったときに、一体これはどういうふうに始末するのだろうか、こういうふうに思うわけであります。
ですから、これは非常に微妙な問題でありまして、単にけしからぬという話じゃなくて、まさにこれが有事に発展する可能性だってあるわけでございまして、我々はそういうことはよく注意しておかなきゃならないだろうというふうに私の感想を申し上げます。
それでは、次に移らせていただきます。
何度も申し上げておりますように、戦後五十年、そして日米安保が正式に六〇年で確定したわけでありますけれども、それ以来いろいろな事件がございました。日本は、平和外交あるいは憲法の原則にのっとって、自衛隊を外に出さない、個別的自衛権以外は行使しないということを言ってまいりました。
だけれども、いろいろな事件がありまして、そしてだんだん日本も経済的に豊かになってまいりまして、アメリカの十分の一ぐらいしか経済力のなかった時代から、もうアメリカを追い越すのではないか、追い越してはいませんけれども、もうアメリカに三割近く追いついていると言ったらいいのでしょうか、そういう経済的な成長もございまして、日本がこのまま日米安保体制のもとで平和主義に徹することがだんだん許されなくなってきたことは、私も認めるわけでございます。
特に湾岸戦争のときに、一九九〇年八月でございます。私も初めて国会に出てまいりまして途方に暮れたことを今も思い出しますが、百三十億ドル拠出いたしました。これはもう大変な額でございまして、それを評して、小切手外交であるとか、金は出しても人は出さないとか、血を流さない日本だとかというふうなことが、マスコミあるいは我々の口の端にのってきたわけでございます。
私は、百三十億ドルという巨額、そして、何か為替差益でその後七百億円追加したなんということも含めまして、これは納税者に対してどう説明したらいいんだろうかと思うのであります。税金を百三十億ドル拠出して、だれも褒めてくれない。まあ褒めてもらう必要はないかもしれませんけれども。
いろいろな資料を調べてまいりますと、クウェートが、湾岸戦争が終わりまして、参戦国に対して感謝の意をあらわしましたね。そのときに日本が入っていなかったのです。これでもう日本はがっくりきまして、言ってみれば、それ以来、血を流さない日本、金は出しても人は出さない、こういう状況というものがずっと言われ続けておりまして、一種の精神的なトラウマといいましょうか、安全保障上の心の傷になってしまっているんじゃないかと思うのですね。それがずっと引き続いてまいりまして、まあ一足飛びに飛ぶわけにもいきませんけれども、例えばカンボジアのPKOの派遣もございました。少しずつでありますけれども、日本の貢献策を人の面から追求してまいりました。
ちょっと確認したいのですけれども、百三十億ドル出したときに、どこのだれに払って、そして、まあ国会で言えば決算書は見せてもらったのでしょうかね。領収書はどうなんでしょうか。
加
加藤良三#26
○加藤(良)政府委員 ちょっと突然の御質問でございまして十分な資料を手元に持ち合わせませんけれども、ただいまおっしゃられた百三十億ドルの中の非常に多くの部分が湾岸平和基金への拠出ということになっております。その内容が、物資協力、資金協力ということで大宗を占めるものだと思いますけれども、その点については基金の事業として管理され、その報告を政府が受けて、国会にも報告が行われていると承知しております。
この発言だけを見る →土
加
土
土肥隆一#29
○土肥委員 私、こういうことをいろいろせんさくしてももうせんない話だと思いますけれども、しかし、私たち日本人は、戦後あの廃墟の中から立ち上がって、ひたすらやはり平和のありがたみというものを十分認識しながら、体に受けながら一生懸命働いてきて、そして今日の極めて発展した経済社会を築いてまいったわけでございます。にもかかわらず、湾岸戦争のときにお金を出したのが何か悪かったみたいな、こういう言われ方というのは、私はどうしたことかと思うのであります。
政府当局も、どうなんでしょうか、小切手外交なんというのは考えてみたことがおありなんでしょうか。あるいは、金は出しても人は出さない日本というようなことを皆さんもお聞きになったと思うのですが、総理大臣、どうですか。この言葉、小切手外交とか、金は出しても人は出さないというような言葉が言われていたことは御存じですか。
この発言だけを見る →政府当局も、どうなんでしょうか、小切手外交なんというのは考えてみたことがおありなんでしょうか。あるいは、金は出しても人は出さない日本というようなことを皆さんもお聞きになったと思うのですが、総理大臣、どうですか。この言葉、小切手外交とか、金は出しても人は出さないというような言葉が言われていたことは御存じですか。