中山利生の発言 (日米防衛協力のための指針に関する特別委員会)

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○中山(利)委員 シビリアンコントロール、憲法の精神からいきますと、武装集団であります軍隊を例えば域外に派遣をするというようなときは国会の承認が必要であるという原則は私もよくわかるわけでありますが、実際の危機、危急のときに、余裕があれば問題ないんですけれども、一刻を争う、一秒を争うというような事態のときに一体これが効果をあらわすんだろうかどうか。アメリカのような、戦争権限法ですか、大統領にすべての権限を一任するかどうかを議会が議論して大統領に委任するというような制度も考えられていいのではないかな。
 ということで、この運用につきましては、これからも十分に注意深くとり行っていただきたいと思います。
 今回の論議を通じまして、私の戦争体験といいますか、私は十九歳のときに、徴兵検査が一年早まりまして、例年だと二十で検査があるわけですが、一年早まって十九歳で検査をして、その年のうちに軍隊に徴兵をされました。非常に厳しい、自由も束縛される、いろいろなことを教わるのもみんなげんこつと一緒にたたき込まれるというような生活を続けたわけでありますけれども、げんこつだけではなかなか物事は覚えられない。それから、何事にも驚かない、あるいは、人間としてどんな最低限度の生活も何とか耐えられるような自信がつきました。
 これは大きなプラスだったと思うんですが、終戦になりまして、今まで灯火管制で真っ暗だった世界が、ぽつりぽつり電灯がついて非常に明るくなった、気分的にも自由になった、平和と自由のありがたさというものを本当に心から喜んだわけでありまして、私のこの気持ちが、後日政治家といいますか、国会に出馬をするという一つの原点になったような気がいたします。
 そして、その体験から、平和と自由を守る、国民の安全を守るということは、外交も経済も防衛ももちろんそうでありますけれども、国民を挙げて努力を積み重ねていかなければ本当の平和も自由も獲得できないんだ、そういう気持ちを強くしているわけでありますし、それは、こういう防衛というような形で、国民の国を守る強固な意志と、そして装備や訓練を通じた準備というものの二つをやはり内外に示していく必要があるんだというふうにかたく信じていたわけであります。
 今回のこの法案の審議で、いろいろな方からお電話をいただいたり手紙をいただいたりいたしました。女性が多いんですけれども、あの戦争のときの悲惨な体験、これはもう二度とこうむりたくない、そういう悲痛なお気持ち、遺族やなんかの気持ちを考えますと、そういう一つの、私どもの決意とまた違った体験もあったんだなということを強く感じたわけでありますが、私は、戦後の復興、それから経済の発展、今日の日本に至るこの成果というものは、戦争の体験の中から血みどろになって国民全体が築いてきた成果ではないかなというふうに思っているわけであります。
 今回の法案は、アメリカ軍、これは世界の平和を目指して、力で平和を獲得するというようなちょっと嫌いはありますけれども、本当にアメリカが犠牲と努力、多額のお金を費やしてこの体制の維持を目指しているわけであります。
 九三年のボトムアップ、世界じゅうに展開をしておりましたアメリカ軍の兵力を大削減したわけでありますが、その中でも、極東については、極東の複雑な国家間の関係、そういうものを考えて、依然として以前のような十万人体制というものを維持している。その努力というものは大変なものでありますけれども、我が国も、そのアメリカの世界平和を目指す努力の一部として我が国周辺の平和と安全を担っていく、そういう役割を日米安全保障条約で確立したわけであります。
 これにつきましては、何か周辺諸国からいろいろ非難があるとかなんとかいう報道もありますが、私は、アメリカの大きな力と、そしてアジア太平洋地域の一国である日本が力を合わせて、安全保障のため、平和のために努力をするということは、専門家の間ではそれなりの評価を受けているのではないかなというふうに感じているわけであります。
 その中で、そういう体制を円滑に、効果的に遂行していこうというその約束の中で、いろいろな法制や何かで縛られて、そして国家的な働きが十分に、円滑にできない、協力ができないという一つの大きな悩みがあったわけでありますが、今回はその第一歩としてこの法案が成立できますことを、もう少しでありますけれども、心から期待を申し上げている次第でございます。
 どうも、ちょっと時間がないので一方的なお話になってしまいますが、長い間の繁栄のおかげで、昔、国民を挙げて努力をしてまいりましたこの防衛と安全というものが最近どうも忘れられている、等閑に付せられている、そういう感じがするわけであります。
 この間、ちょうど象徴的な問題として、北朝鮮の不審船、工作船の事件が起きました。時間がありませんので簡単でいいですから、発見から逃走までの経緯と、その間に我が国の海自、海保ができたこと、できなかったこと、できなかったことは何によってできなかったのか。それから、もちろん自分の判断でしなかったこともあるわけでありますが、そういうことも含めてちょっと説明をしていただきたいと思います。

発言情報

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発言者: 中山利生

speaker_id: 26012

日付: 1999-04-26

院: 衆議院

会議名: 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会