林宜嗣の発言 (行財政改革・税制等に関する特別委員会)
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○参考人(林宜嗣君) 関西学院大学の林でございます。
本日は、参考人といたしまして意見を述べさせていただく機会を与えてくださいましたことに感謝いたしております。
まず、これまで私たちが研究をしておる中で懸案だというぐあいに感じておりました機関委任事務の廃止、地方債発行の事前協議制への移行、それから標準税率未満団体の地方債発行の許可制導入、こういった点を含めまして、今回の一括法案を評価したいと思っております。
ただ、今回の法案に一定の評価を与えてはおりますけれども、まだまだ課題が残っているというぐあいに感じております。この課題につきまして私なりの考えを述べさせていただきたいと思いますが、地方分権に何を期待するかによりまして抽出される課題は異なってまいります。
地方分権というのは、言うまでもなく地域が自主的にかつ責任を持って個性豊かな地域づくりを行う環境を整えることでございます。こうした目標の中で地方分権の課題をとらえることはもちろん重要ではありますけれども、私は財政を専門にしておりますので、本日は、地方あるいは国の財政構造改革という視点から地方分権をとらえていきたいと思っております。
一言で申しますと、財政責任の強化につながる地方分権の実現と言えようかと思います。少し大きな話になることをお許しいただきたいと思います。
地方自治体の行動原理は、地方自治法に規定されておりますように、最少の経費で最大の効果を上げることであります。しかしながら、これまでの中央集権のシステムの中で実態は、最少の地元負担で最大の事業費を獲得する、こういうような実態になっているのではないかと思われるような面もございます。私は、地方分権というのは、財政システムの中に受益と負担が連動する仕組みを組み込むことでなければならない、このように考えております。
最近、アカウンタビリティーという言葉がよく使われます。説明責任あるいは会計責任あるいは財政責任というように訳されますけれども、行政が行っていることを単に説明できるだけではだめでありまして、受益と負担が連動すること、つまり、住民負担が高ければ受益が大きく、逆に受益が小さければ住民負担も小さい、こういったシステムを構築することが、私はアカウンタビリティーを強化するということではないかというぐあいに思っております。これは、今から約二十年前にイギリスで地方財政改革の折に提出されましたレイフィールド・レポートで強調されている点でございます。
こうした点から、地方のアカウンタビリティーを強化する地方分権システムを構築する上で、今後御検討いただきたい点を四点に絞ってお話を申し上げたいというぐあいに思っております。
まず、第一は地方税源の拡充でございます。
現在、税収面では国が六五、地方が三五、この比率を支出面の比率にできるだけ近づけていくべきである、このような意見が出されております。話はそれほど単純ではないと思いますけれども、しかしながら、地方税源の拡充は私はぜひとも必要だと思っております。
都道府県レベルでは東京だけが、そして市町村レベルでは三千を超える市町村のうち地方交付税の不交付団体が百五十に満たないという実態というのは、これはやはりどう考えても異常ではないかというぐあいにとらえております。地方税源を拡充して、私は不交付団体の数を減らす必要があるのではないかというぐあいに思っております。ただ問題は、ではどのレベルで財政調整を行うのかという点でございます。この点につきましてはまた後ほどお話をさせていただきたいと思います。
地方税源を拡充いたしましても、十分な税収が得られない自治体は少なくないと思われますので、私はやはり財政調整の必要性は残るだろうというぐあいに感じております。
先ほど申し上げましたように、その場合に重要なのは、どの行政水準を基準にして財政調整を行うのか、言いかえれば、どの行政水準までを国が財源保障する責任を負うのかということでございます。つまりナショナルミニマムをどのように考えるかということではないかと思っております。ナショナルミニマムの再検討、これが第二点目でございます。
一九七〇年度の人口一人当たり基準財政需要額を一といたしますと、九六年度時点で、都道府県分は基準財政需要額は約六・八倍に、市町村分は約九・七倍に伸びております。この期間中に人口一人当たりGDPは約五・五倍の伸びでございます。基準財政需要額を、標準的な行政水準を達成するのに必要な一般財源の金額である、このように理解をいたしますと、これまでは標準行政が経済の成長を上回る速度で伸びてきたことを示しております。
八〇年代に入りまして、基準財政需要額の伸びは抑えられてきてはおりますけれども、これは経済が低成長期に入って税収が抑えられたということに大きな原因があるわけでありまして、バブル期のように税収が順調に入ってまいりますと再び基準財政需要額の伸びが大きくなる、こういう実態は変わっておりません。つまり、このままでは懐さえ許せばナショナルミニマムはどんどん大きくなっていくということが予想されるわけでございます。
このような状態では、地方税源を幾ら拡充いたしましても、財政調整に必要な額はますます膨らんでまいりますし、交付団体の数は減らないだろうというぐあいに思っております。
ナショナルミニマムとしてどの水準が適正なのかということに答えを出すのは非常に難しいわけでありますけれども、現在の地方分権の動きはこのナショナルミニマムの適正化という課題をどうも避けて通っているのではないかというような気がいたしております。ナショナルミニマムについての考え方がある程度煮詰まらないことには財政調整のあり方、ナショナルミニマムを上回る部分における受益と負担の連動という地方分権時代にふさわしい財政システムを構築することはできないのではないか、このように私は思っております。
日本におきましては財政調整をめぐって、東京や大阪といった大都市は負担超過である、このように不満を持ちます。一方、地方はナショナルミニマムの達成はまだまだで財政調整は不十分である、このように不満を申します。
日本でも地方交付税の算定等につきまして地方財政審議会の議に付されることになっておりますし、今回の改正では地方団体の意見提出権が認められました。しかし、どこまでを財政調整の対象にするかという根本問題にまだ手がつけられていないのは非常に残念なことだというぐあいに私は思っております。
財政責任を伴った地方分権を実現するための第三の重要なポイントは、地方における課税自主権の強化でございます。
一括法案では、法定外普通税の事前協議制への移行、法定外目的税の創設が取り上げられ、また標準税率未満団体の地方債の許可制も図られるなど、かなり前進をしていると私は思っております。しかしながら、課税自主権の強化という点ではまだ不十分ではないかというぐあいにとらえているわけでございます。地方税はもちろん財源調達の手段ではございますけれども、地方の行財政運営のあり方あるいは実態を住民に伝える最もわかりやすい情報伝達手段の一つでございます。
御案内のように、アメリカでは地方税率は行政サービスの水準に連動する仕組みになっておりまして、サービス水準が高ければ税率が高く、サービス水準が低ければ税率が低くなります。また、行政水準がそれほど高くなくても地方行政の運営が非効率である場合には税率が高くならざるを得ません。そして、納税者の不満は高まってまいります。アメリカで起こりました納税者の反乱は、地方税がプライスとして働いていることで起こった事件でございます。
現在、地方税は地方税法で主要な課税要件が定められておりますけれども、税率の自由決定権を含めた課税自主権の強化もぜひ検討しなければならない課題ではないかと思っております。
税率を自由に決定する権限を地方に与えた場合に、住民税などの個人にかかる税の税率引き下げ競争が起こる可能性がございます。現在は一定ですからサービス水準の引き上げ競争になりますけれども、税率が自由に変えられると引き下げ競争が起こる可能性がある。自治体関係者の中には、税率が画一的であるからこそ地方税を徴収しやすいと言う方もおられます。また、税率の引き下げ競争を避けたいという思いもあるかもしれません。
しかしながら、私は税率の引き下げ競争はどんどんやるべきだ、このように考えております。余りにも税率が下がって行政サービスの水準が低下いたしますと住民生活に当然支障を来すようになりますから、その時点で住民はこれ以上の税率引き下げは行わないでほしい、このように申してくるはずでございます。それがこの地域にとっての望ましい地方税率であり、そして望ましい地方財政の規模ではないか、このように考えております。
私は、標準税率の考え方というのは地方交付税の算定等に使う程度のものにした上で、地方税法の規定からできれば外してしまってはどうかというぐあいに考えているわけでございます。しかし、課税自主権の強化が財政構造改革につながるためには、地方税が応益課税の要素を備えていなくてはなりません。これが第四点目でございます。
現在、都道府県レベルでは法人事業税、住民税の法人税割、この二つの法人所得課税で九六年度決算ベースで約四割の税収を占めております。バブル経済期の昭和六十三年度では実に五〇%がこの二つの税目で調達されているという実態でございました。
法人所得課税と申しますのは、その大部分が大企業によって納められます。また、法人所得課税は、最終的にだれがどのような形で税を負担するのかということが非常にわかりにくい税でございます。しかも、景気がよければ税収は大量に入ってくる。現在のように景気が悪くなった場合は別といたしまして、法人所得課税はこれまで国民にとりましても、また財政当局にとりましても、税収調達という点では非常に都合のよい税金でございました。
ところが、住民にとって負担感の小さな法人所得課税に余りにも多くを依存いたしますと、受益と負担の連動が断ち切られ、住民から自治体に対して過大な要求が出てくる可能性を生んでまいります。
また、現在、超過課税は、都道府県の場合に住民税の法人税割あるいは法人事業税、これに偏っておりまして、それ以外は行われておりません。市町村レベルでも住民税の法人税割が約千五百団体弱で行われ、個人住民税の所得割の超過課税を行っているところはゼロであります。また、法定外普通税も、道府県レベルでの核燃料税など、個人以外のところで行われているにすぎません。
このように、課税自主権が強化されたといたしましても、実際には法人関係税に大きく依存するような地方税体系では、受益と負担の連動を強化し、そして地方財政の構造改革にはつながらないのではないかというぐあいに思っております。また、住民税を初めといたしました個人税に関しましても、できる限り応益的な要素を取り入れていくべきではないかと思っております。
課税自主権を強化することで地方財政における受益と負担の連動を強化し、地方の財政責任を強化するためには、やはり課税自主権の強化と同時に、地方税の構造改革、つまり地方税における応益的な要素を高めていくということもこれからの検討課題ではないかというぐあいに思っております。みずからの責任と負担で地域づくりを行っていくことが地方分権の目的でございます。しかしながら、このことが同時に財政構造改革にもつながるような、そういう地方分権の実現を期待したいと思っております。
今回の地方分権一括法は、地方の自由度を大きくするという面では私は大いに評価をいたしたいというぐあいに思っておりますけれども、財政責任を強化するにはどのような地方財政システムを構築すればいいのかという面では少し物足りなかったのではないかというように思っております。
今回の一括法に続く第二弾を期待いたしまして、私の意見陳述を終わらせていただきたいと思います。