野中広務の発言 (国旗及び国歌に関する特別委員会)

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○国務大臣(野中広務君) 委員からただいま、さまざまな戦中戦後の経験を通されまして我が国の歩んできた道筋を御意見としてお話しになり、かつ、ちょうど八年前になりますか、カンボジアのPKO活動視察のためにかの地を訪れた際のお話を聞きながら感慨新たなものがあるわけでございます。
 委員が御指摘になりましたように、ことしは一九九九年、まさに一九〇〇年代の最後の年であります。このときに私どもは、この一九〇〇年代という百年間が一体どんな年であったのかを反省し、検証していかなくてはならないと思うわけでございます。
 前半の半世紀は、いわゆる五十年は、委員が御指摘になりましたように、明治維新の歩みの中から、我が国は一方において西洋文明を大胆に受け入れ近代国家の建設を目指してはまいりましたけれども、一方において残念ながら富国強兵への道を歩んでしまいました。そして、その五十年間を振り返ってみますと、折に触れて、日清、日露を初めとして第二次世界大戦に至る間、景気が悪くなれば戦争という手段に訴えてきたのではなかろうかとさえ思うような状況がございました。戦争に敗れて、食べるものも着るものも働く場所もなくなった中から、多くの戦争による犠牲者の上に今日の平和を享受することができてまいりました。
 けれども、過去のこの半世紀の歩みの中に、国家を否定し、あるいは国旗・国歌を否定することが新しい国づくりかのような、新しい教育かのような、そして祖国を徹底して悪く印象づけることがすなわちその国の革命への早道であるかのごとき錯覚をするような、そんな動きが残念ながらあったことも否めないと思うのでありますけれども、我が国国民は、たくましくあの廃墟の中から立ち上がって近代国家をつくってき、そして平和憲法のもと、我々はこの五十四年間一度の戦渦にまみゆることもなく、戦争に手を出すこともなく、平和を享受することができてまいりました。
 この五十年の歩みを私どもは大切にし、来るべき二十一世紀という新しい世紀が、この国を限りなく愛し、そして家族や地域社会をお互いにいたわり合い愛し合う、そういう中に国家が存在するということを考え、そういう中に私どもの象徴である日の丸・君が代というものを成文化することによって、我が国の新しい世紀へのスタートにしなければならないと痛感をした次第であります。
 まさにカンボジアに参りましたときに、通信手段が悪かったこと、医療手段が悪かったこと、あるいは同じ民族が同じ民族でありながら相戦い、そして虐殺し、拷問し、あの虐殺記念館を眺めたときに私どもは改めて戦争の罪過の恐ろしさを知ったわけであります。また、あのとうといPKO活動やボランティア活動によって、私どもが帰りました直後に高田警視やあるいは中田青年が亡くなった犠牲を思い、七回忌を契機にして高田警視のお父さんが自殺をされたという報告を私ども受けまして、まさに傷跡はまだいえていない、そういう中で、とうとい犠牲があったことを思いながら、アジアの皆さんとともにこれからの平和を構築していかなくてはならないと改めて私どもは認識を強くした次第でございます。

発言情報

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発言者: 野中広務

speaker_id: 16313

日付: 1999-07-30

院: 参議院

会議名: 国旗及び国歌に関する特別委員会