杉原誠四郎の発言 (国旗及び国歌に関する特別委員会)

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○参考人(杉原誠四郎君) 武蔵野女子大学の杉原と申します。
 私は、教育学を専攻しておりまして、教育学の立場から話したいと思います。
 教育は今日、大変混乱、崩壊状態にありますが、それを支える教育学もしっかりしていないがゆえに、そういう意味で教育学に対してじくじたる思いがあります。その立場から見た範囲内で憲法とか日の丸とか国歌について述べたいと思います。
 まず、教育の立場から四点あるんですけれども、まず一点、憲法の制定手続をどう理解するかということです。今日の憲法改正に関係しては、改正憲法論という立場と民定憲法論という立場、占領憲法論という立場、大きく分けるとこの三つで、民定憲法論というのを極端に言いますと、宮沢俊義の八月革命説、要するに日本が降伏したときに革命があったという考え方です。占領憲法論というのは、極端に言いますと、これは占領軍に押しつけられたのであるからそれ自体が無効であるという考え方であります。
 八月革命説というのは、これは事実に反しますので違いますが、教育学の立場から見たときに、この憲法無効論ということも採用できないのでございます。これは、憲法を前提に教育基本法が成り立ち、教育基本法を前提に学校教育法が成り立つ。それによって学校を設立、運営して教育をしておりますので、そのためにその根本である憲法を教育で否定することはできないわけであります。したがいまして、教育学から見たときには、憲法学としては多様な見解が成り立つかもしれませんが、教育学の立場からは改正憲法論、すなわち大日本帝国憲法の改正手続を経て生まれたものであるという論であります。それが教育学から見たときの改正手続に対する結論です。
 第二点としまして、今日の憲法の象徴というものをどう解するかという問題がありますが、象徴とは通俗的に言いますと君主の属性をあらわす言葉のようですが、昭和二十四年八月に文部省から出ました社会科、十五番目の教科書で「社会の政治」という教科書があります。そこの中では、天皇は君主であるという説明をしております。
 今日の天皇は、この憲法のもとで政治的権能は持っておりませんが、しかしながら、日本の長い歴史とか文化とかという意味において、象徴という意味は、占領期に出された文部省の教科書に書いてある君主という考え方でよいのではないかということが言えるのではないかと思います。この主権とか国体とか君主とか元首とかいう言葉は相互に関係しておりますので、いろいろ説は分かれるところがありますけれども、しかしながら日本の場合、長い歴史を背景として憲法改正のときに象徴天皇制を明確に認めたわけでありますから、象徴天皇、主権在民制というふうなことになります。
 では第三点でございますが、そういうふうな象徴天皇制を憲法に載せたような制度がこれからの国家にたえるのかたえないのかという、ここでは先ほどの石田先生の考え方とかみ合う、議論の余地のあるところだと思いますが、これからの日本というか、世界のそれぞれの国が国際協調をしながら国際化していかなければいけない時代の趨勢にあるわけであります。
 そういう時代で、最終的には世界連邦とか世界国家というふうな状況に何世紀か後になっていくのかもしれません。そうすると、今まで存在していた国家というものは、世界国家の中で地方自治というふうな立場になっていくかと思います。世界国家になっても言語が一つになるわけでもありませんし、風俗が一致するわけでもありません。そうすると、それぞれの地方自治という現在の国家は、それぞれ個性を持ち、それぞれの歴史の意味を生かしながらアイデンティティーをそれぞれに形成し、持続させていくものだと思います。そういう意味で、我々は古い歴史を担い、その歴史をまた次の世代に伝えていくという役割を持ちながら文明の進化に合わさっていっているんだと思います。そういう意味で、象徴天皇制というものが憲法にあるということは、これは決して世界の文明の進展に反するものではないというふうに思われます。むしろ、世界の文明の発展に合わせて、日本というのが非常に個性を持った、アイデンティティーを明瞭に持った平和的な国家というか地方自治というものになっていくということで、世界の文明の発展にむしろ貢献するのではないかというふうに思っております。
 次の四点目というのは、日の丸とか君が代の問題を直接お話しします。
 先ほど憲法の改正は大日本帝国憲法の改正手続によってなしたものであると申しましたけれども、それは逆にどういうことをあらわすかといいますと、その改正した時点において改正手続を経なかったものはすべて有効であるという前提に立ちます。したがいまして、その時点で国歌とか日の丸とかというものを廃止する手続はとっておりません。したがいまして、その時点で慣習的には有効であったというふうに判断せざるを得ません。
 これは、現在の憲法体制のもとでもたしか六十か七十ぐらい勅令が存在しております。大日本帝国憲法下で出された勅令が今日なお有効であります。これは明らかに現在の日本国憲法は帝国憲法を経由して生まれたものだということになります。したがいまして、その時点で廃止の手続をとらなかったものについては有効である。ただし、憲法の中に、前文のところに、日本国憲法に反するものは直ちに廃止というふうなことがありますけれども、その条項にすらかからなかったものが六十か七十個あるわけです。そういうことで、大日本帝国憲法と昭和憲法、今の憲法は主権在民ということにおいて明確な相違がありますが、それ以外の廃止の手続を経なかったものに対しては有効であるというふうに言えると思います。
 したがいまして、一般的には日の丸も君が代もここで法制化する必要は本来はないと思います。しかしながら、今日の教育状況において、法制化していないことが大いに混乱のもとになり、そしてそのことが教育の崩壊に直接関係していると言えば言い過ぎになりますけれども、それは確かに言い過ぎですけれども、少なくともその混乱の収拾に貢献はしていないということにおいて、教育においてこういう混乱を早急になくしていくためには法制化はやむを得ないというふうに思っております。
 ただし、この法制化した段階におきましては、単に制定したというだけではなくて、やはり我々国民とか官庁の方々もある程度気をつけてほしいことがございます。
 と申しますのは、私は団地に住んでおりますけれども、団地というものが昭和三十年ごろから日本にかなり普及しましたけれども、団地の中には国旗を掲揚しようにも国旗の掲揚のポールがありません。五月のときに子供たちのためにこいのぼりを上げてやろうとしましても、そういうものがありません。一棟しかない団地でしたら仕方がないかもしれませんけれども、その中に公園をきちんと持っている巨大な団地もそういう施設を持っておりません。昭和三十年代とか占領が終わったときには、各家に全部国旗を祝日の日にはかけていたんですね。それで、これが日本人の一体感を形成、石田先生にしかられそうですけれども、一体感を非常に形成していたんですね。それがそういうふうに、国旗をかけようにもかけられないような施設がどんどんできていったわけであります。
 そして、これは運輸省が関係するんだと思いますけれども、祝日のときに公共バスとか電車にはたしかかなり前までは国旗を掲げていました。それがいつの間にかかけなくなりました。そういうところにおいて、教育の学校の中においてだけ国旗をかけろとか歌えとか、そういうことだけを言われたのでは教育関係者の負担が非常に大きくなると思うんですね。やはりこれは、つくった以上は、関係省庁に自分たちのできることはきちんとやっていただかなければいけないと思います。
 こういうふうな混乱の起こった一つの大きな流れを申し上げますけれども、占領下でアメリカ軍に強制されて憲法を事実上つくって、そしてその解釈についても随分アメリカの介入があったわけですけれども、それでも先ほど申しましたように文部省の教科書において天皇は君主であるというふうなことを述べておりました。しかしながら、昭和三十二年から三十九年にかけて憲法調査会というのができました。この憲法調査会というのは、本来の意図としては憲法を改正するという意図で審議を始めたと一応言っていいと思うんですけれども、そういう形の中で三十二年から三十九年にかけて審議をして、結果的にその憲法改正を放棄しました。
 これは私個人から言わすと、憲法を改正するよりも憲法の解釈をきちんとすべきだというふうに、今日の憲法には積極的に評価すべき点が多々ありますので、そういう意味で憲法の調査をするといったときに、その三十二年から三十九年の間空白があるんですね。その間に憲法の解釈は占領期よりももっと混乱、後退した形のいろんなところにおいて問題を起こして、そしてそれが教育、特に文部省の責任もあると思いますけれども、そこからそういう憲法を改正するという前提があったがゆえに、本来望ましくない解釈が社会に普及するのを放置したんですね。
 そのために、昭和三十年代前半のころは、国旗・国歌とかというものは議論の余地はなかったんです。これはすべて占領が解除されたときにみんな喜んで国旗とか国歌をきちんとやったわけですね。それがだんだん今日のように混乱の種になったのは、その間の憲法解釈をきちんとしなかったからですね。これは、自民党の方もいらっしゃると思いますけれども、自民党の一番先輩に当たる、私は外交問題も少し勉強しておりますが、吉田茂氏などのやっぱり怠慢があったと思うんですね。
 そういう形の中で、今日の憲法の混乱は、憲法自体ではなくて解釈の問題であるということ。そこに行政の側というか国権の側がきちんとなすべきことをなさなかったがゆえに混乱がだんだん大きくなっていったというふうに解しております。そういうことです。
 それで、天皇象徴ということは、今日の憲法でそういう意味で明瞭に認められており、そして、憲法をつくるとき、押しつけではありましたけれども、あのときの国民の天皇制を残すという強い意思とあわせて、そのときの人たちが受け継いだものを後世に残すという形で非常に努力して天皇制を残したわけですから、それはやっぱり意味を持つべきだと思います。
 天皇制と戦争の問題がよく出てきますが、確かにあの戦争は日本から見ればなすべき戦争ではなかったとは思いますが、しかしながら、長い歴史を見たときに、日本の天皇制の意義を簡単に否定はできないというふうに思っております。
 と申しますのは、中国と日本の歴史を比較したときに、中国は二百年に一度革命を起こします。そのためにどれだけ国が混乱するか。日本が遣隋使とか遣唐使をしたときには日本は文字も知らないような非常に非文明的な国家でしたけれども、明治維新の時点では日本だけがアジアではヨーロッパ並みに識字率を誇り、中国をはるかに越していたという。
 これは、我々日本人が平和な社会を築いたその結果として天皇制が続いた。天皇制が続いたから平和な国家だとは言いませんけれども、平和な国家を持続させたがゆえに天皇制が残った。そういう意味において、長い歴史から見れば天皇制というのは日本の中で平和のシンボルであった。その意味であるがゆえに、返す返すもあの戦争はしなければよかったというふうには思いますが、もう少し広い観点から日本の歴史というものを考えるべきだというふうに思っております。
 ちょっと時間が早いかもしれませんが、以上です。

発言情報

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発言者: 杉原誠四郎

speaker_id: 26825

日付: 1999-08-03

院: 参議院

会議名: 国旗及び国歌に関する特別委員会